中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

「安倍晋三・式典事務局の犯罪」シリーズ第2弾「山本信一郎を懲戒罷免せよ」の一部訂正について

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 当ブログ8月23日に掲載した、タイトル「“今上陛下・皇太子殺し”を信条とする山本信一郎宮内庁長官を懲戒罷免しない安倍晋三の“犯罪”」について、その第三節が正確では無く、第三節すべてを差し替えました。読者の皆様には、大変ご迷惑をおかけしましたこと、ここにお詫び申しあげます。

 原因は、『光格天皇実録』第三巻が、剣璽渡御の儀が始まる前の、剣璽を仮奉安する建物について、引用した史料『禁裏執次詰所日記』と『日次案』が相矛盾する記述をしていることに発したもの。いずれが誤記であるかにつき、私は、後述する理由からこれまでは前者としていた。が今般、再度読み直し、後者の方が誤記だとした。本稿で、これを是正する。また、この是正により、1817年3月22日の「譲位・受禅の儀」全体がより正確に/より鮮明に浮かび上がり、第三節の全面書き直しとなった。

剣璽を仮奉安できるのは、清涼殿「夜の御殿」と御常御殿「剣璽の間」の二つのみ

『禁裏執次詰所日記』は1671頁で、「未半剋前、剣璽清涼殿へ渡御」(=「清涼殿に仮奉安」)としている。一方、『日次案』は1675頁で、「節会(譲位式典)訖んぬ、剣璽は新主の御所(=御常御殿に渡らせらる」(=「御常御殿に仮奉安された」)とある。

 平安時代は、清涼殿は御所を兼ねていた。が、江戸時代は、現在の日本で首相官邸と首相公邸が分離しているのと同じく、清涼殿は「天皇官邸」専用となり、「天皇公邸」は御常御所に分離された。

 つまり、『日次案』が記述する「新主の御所」は御常御殿を指し、清涼殿を指してはいない。しかも、『仁孝天皇実録』第一巻などと整合させると、剣璽渡御の儀の前に剣璽が仮奉安された場所は、御常御殿の「剣璽の間」ではなく、清涼殿の「夜御殿 よんのおとど」と解する方が合理的である。とすれば、『日次案』は、「清涼殿」を「新主の御所」と誤記したことになる。

 この誤記が生じたのは、紫宸殿での剣璽渡御の儀が終わった後、剣璽は「新主の御所(御常御殿)」に遷幸され「剣璽の間」に奉安される。これらも記録する『日次案』は、この「仮奉安→剣璽渡御の儀剣璽の間に奉安」の儀式の流れを、粗雑というより乱暴にも、たった三行で記載したためだろう。

私が、当初、『禁裏執次詰所日記』の方が誤記だと即断した理由

 『日次ひなみ案』は議奏たち(「天皇秘書官」と解すると分かり易い。光格天皇には四名)の業務日誌。『禁裏執次詰所日記』は、警護・支出会計官たち光格天皇時代、内裏には七名。警護は緊急時には京都所司代に出動を要請するが、この連絡も任務の一つ)の業務日誌。議奏は堂上公家で、主に公卿の若く教養ある子弟が選ばれることが多い。一方、「詰所」は主に地下官人たちで、清涼殿に上ったこともない。

 とすれば後者の方が、業務日誌の記載ミスをする確率は高い、と考えた。また、清涼殿に上れる議奏が清涼殿の「夜の御殿」での仮奉安を見逃すはずはないと考えた。ミスが発生するような1675頁の最後の三行の粗雑な書き方はかなり気になったが、エリート公家が、こんな単純な記録ミスをするはずはないと先入観が優先した。大いに反省している。

八儀式から構成された、1817年3月22日の譲位・受禅の儀

 第二弾の第三節の改訂版で言及しているが、1817年3月22日の譲位・受禅の儀は、概ね次の八儀式から構成されていたと結論付けることができる。

表1;ご譲位パレード優先が、二儀場化の原因か

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*印は光格天皇が臨御。・印は仁孝天皇が臨御

光格天皇が譲位・受禅の儀を紫宸殿で取り行わなかったのは、ご譲位パレードの優先

 譲位・受禅の儀式は、21世紀の我々が皇室の儀式法令と扱い遵守すべき『貞観儀式』『北山抄』『江家次第』『西宮記』『代始和抄』すべて、紫宸殿にて執り行えとしている。実際にも、平安時代に始まる数十回の譲位・受禅の儀式はすべて、紫宸殿にて執り行われた。

 この“法”レベルの慣行を初めて破られたのが光格天皇剣璽渡御の儀の方は、古式通りに紫宸殿で挙行されたが、「譲位の儀式は仙洞御所、受禅の儀式は清涼殿」となった。このような儀場の分離方式も、儀場の非・紫宸殿も、変則的・例外的である。この理由を伝える史料があるのかも知れないが、私はまだ研究できていない。

 推測するに、譲位パレードは平安時代から続く慣行の儀式だが、これほどに大規模化した(備考)ことによって午前2時半起床の光格天皇は体力的に紫宸殿に戻れないと判断し、また3月22日は大内裏が開放されて一般庶民数千人の拝見者が仙洞御所の周りに群がっている以上、戻るとすれば少しおかしいものとなると、紫宸殿での譲位・受禅の儀式を断念したのではあるまいか。

(備考) ご譲位パレード参列の堂上公家/地下官人/その従者たち約800名の衣装はすべて新調だが、全額、光格天皇が代金を支払ったようだ。幕府がパレード費用として二千両(千両箱を二つ)を献上したようで、今、この史料を捜している。

 皇太子・恵仁(あやひと)親王が、仙洞御所の御譲位儀式に参列されないのは、それはこの式典によって受禅され新天皇になられるからである。天皇上皇は、その政治的権能においては上皇が上であっても、“位”においては、天皇上皇より上位にある。儀式は、“位”がすべてを決定する。天皇は下位にある上皇の御所には行幸できない。

 これは、建物にも格があり差別的に序列化している事を思い起こせば分かり易かろう。「紫宸殿>清涼殿>御常御殿>仙洞御所」である。紫宸殿・清涼殿・御常御殿の“主”である新天皇は、下位の仙洞御所には伺うことはできず、光格天皇(=光格上皇が譲位の儀式を仙洞御所で挙行される以上、天皇になられる恵仁親王は代理=名代(正親町大納言)をもっての参列しかできない。血塗られた嘘つき共産党員たちが総出で書いた宮内庁『歴史上の実例』は、「恵仁天皇は譲位の儀式に参列しなかった」(2頁)とするが、悪意ある歪曲。「新天皇になられる恵仁親王は、譲位の儀式が上皇御所なので、この理由において儀式に参列できなかった」と正しく記述されるべきだろう。

“凶悪な共産党員”山本信一郎・宮内庁長官は、真赤な嘘歴史捏造の大量生産機械

 この嘘をさらに上塗りすべく、殺人鬼もたじろぐ“世界史に残る大嘘付き”山本信一郎は、紫宸殿で執り行えと明記する『貞観儀式』を全面捏造して、「貞観儀式では天皇と皇太子が揃って儀場の上皇御所にお出ましになり、譲位が執り行われることとされた」とデッチアげる(4頁の注1)。紫宸殿を上皇御所だと言い募る山本信一郎は、このような大嘘をもって内閣と国民を騙した罪において懲戒免職は免れない。が、これほどの嘘は山本信一郎が想像を絶する凶暴な人格異常か狂気の精神異常かを病んでいるからで、即時に分限免職しなければならない。

 真赤な嘘ばかりが満載の『歴史上の実例』については、これまでもおよその所は指摘したが、改めて本格的な解剖をする必要があるようだ。それは後日として、本稿では当ブログの読者は、表1を拳々服膺していただきたい。また、8月23日アップ稿「“今上陛下・皇太子殺し”を信条とする山本信一郎宮内庁長官を懲戒罷免しない安倍晋三の“犯罪”」の、修正済み第3節も是非とも読んでいただきたい。                                     (9月25日記)

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