中川八洋掲示板

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歴史学的に成り立たない「神功皇后新羅征伐は伝説」「神功皇后は創作」 ──真赤な“嘘と偽造の古代史”を粉砕し、古代史に真実と日本国を取り戻そう(6)

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

○ 新羅百済朝貢(属国)化し日本府・任那を獲得した、日本の四世紀後半の朝鮮出兵に関わる歴史についての古代史学界の情況。

1、日本書紀が引用する『百済記』『百済新撰』『百済本記』の存在については、学界に異論ゼロ。

2、この場合、『日本書紀』の“我が国の朝鮮出兵”記述が史実ということになるが、これも異論ゼロ。

3、金石文の広開土王碑も、『日本書紀』の“我が国の朝鮮出兵”記述内容を史実だとする。

4、高麗朝の『三国史記(1145年)にも、四世紀後半の“日本の朝鮮出兵”に関する記述があり、この史実性をさらに補強する。

 

○ とすれば、学界で合意されていないのは一つだけ。「朝鮮出兵はどの天皇が主導したか」がそれ。

1、紀元後366年から404年にかけての四十年に及ぶ朝鮮出兵が、それがあったとすることは史実だと認めながら、突然、どの天皇によって主導されたかになると古代史学者の多くは口を閉ざす。日本の朝鮮出兵新羅攻略と制圧、高句麗との数回にわたる交戦、百済新羅の属国化ほか)は、万が一にもあり得ない「最高軍事指導者なしでやった」という嘘歴史になる。が、これこそが歴史捏造がバレて都合が悪くなるとひたすら黙秘権を行使する古代史学者のダーティな人格の特徴だろう。刑法重犯罪の無法者と同じ罪逃れ/罰逃れ戦術は、古代史の学問方法であるらしい。

2、上記の黙秘をする理由は歴然。朝鮮出兵の主導者は神功皇后しかいないし、これが史実だからである。だが、戦後共産党とその古代史学者は、天皇制廃止への強力なスプリングボードの一つとして、記紀を潰して古代天皇を軒並み不在にすべく、抹殺する天皇リスト(いわゆる“記紀において死刑とする戦犯天皇リスト”)を作り、その一人に神功皇后を含めていた。だから、どんなに学問的に齟齬をきたそうとも、実在明々白々の神功皇后を非・実在だと強弁し続けるのである。

3、そこで、この偽情報工作を担うトップの、鉄面皮の共産党員・井上光貞は、「神功皇后伝説・お伽噺」を平然と声高に吹聴しつつ、同時に「四世紀後半の、日本の朝鮮出兵は史実」だと公言する策に出た。真赤な舌を出しての“世紀の二枚舌”である。彼の著書『神話から歴史へ 日本の歴史1』(中公文庫)の374~96頁が、それ。

 

朝鮮出兵の概要(ほんの一部)百済三書日本書紀逸文や広開土王碑文ほかを用いる。日本書紀神功皇后卑弥呼に比定するため、干支を二運(120年=60年間×2)ずらしているが、これは修正。  

a、366年;百済の肖古王、大和朝廷の使者と同盟を契る。  

b、367or369年;日済同盟軍、新羅を総攻撃。  

c、372年;肖古王、日本に「七枝刀 ななつさやのたち」(369年製)と「七子鏡」を贈る。  

d、382年;日本の将軍・葛城襲津彦(そつひこ)新羅ハニー・トラップで裏切り、任那を攻撃。  

e、397年;高句麗側に寝返った百済を攻略。百済、人質を出して日本に和議を乞う。

f、広開土王碑文;「391年、倭人、海を渡り、百済加羅任那新羅を破り、臣下とした」

*これは上記の367~397年と一致する。

 

サッチャー英国首相のフォークランド島奪還を彷彿とさせる“実在する偉大な女帝”神功皇后

1、神功皇后は、天皇ではなく、摂政である。が、北畠親房神皇正統記』は天皇としているように、実際においては天皇であった。古代史に関しては誤差二十年以内であれば正確と言えるから、上記の歴史年表は単に正しいというより、とびぬけて正確ということ。とすれば、神功皇后が胎中天皇(懐妊中で、ご誕生前の応神天皇摂政の位に即かれたのは、367年か369年ということになる。ここでは、前者の367年だと仮定する。

2、井上光貞は、成務天皇仲哀天皇は非・実在だというが、それでは辻褄が合わない。それどころか、皇統史は荒唐無稽も度が過ぎたものになる。

 なぜなら、これまでも仮定年を示してきたが、第12代景行天皇の即位を仮に303年とする。とすれば、神功皇后摂政就任までは六十四年間ある。第14代・仲哀天皇の在位が八年間だったのは間違いなかろうから、第12代・景行天皇と第13代・成務天皇は合計五十六年間も在位していなくてはならない。半分づつとすれば、景行天皇の在位は303~31年、成務天皇の在位は331~359年。つまり、仲哀天皇の在位は359~367年となる。この在位年について、また在位年数について、どこにも不自然さや不合理さがないことに留意されたい。

 このことは、井上光貞の「成務天皇仲哀天皇は、机上の創作天皇で架空かつ不在」との説が(上掲書301~4頁)、歴史捏造を企図した暴論・狂説であることを即座に暴いてくれている。井上光貞歴史学者として“犯罪者”の何者でもない。

3、応神天皇は、368年に筑紫の国で御誕生になられたことになり、これについても何らの問題もない。

 応神天皇以降、仁徳天皇履中天皇反正天皇と続くが、この反正天皇は、438年、宋に遣使した年、即位しているので、神功皇后/応神天皇/仁徳天皇/履中天皇の四代は、合計で367~438年の七十一年間在位したことになる。平均で一代二十三年間。これも問題ない。ここで、応神天皇の在位年数は、摂政神功皇后薨去をもって初年と算定した。

4、もし神功皇后が非・実在であれば、応神天皇は、生まれたばかりの赤ん坊の時より、対朝鮮出兵の総指揮を執ったことになる。「神功皇后お伽噺」説は、何ともお粗末限りない噴飯物の歴史偽造ではないか。井上光貞とは、このような噴飯物の嘘歴史を平然と捏造する天性の大嘘つき学者だった。まっとうな人間ではなかった。なお、応神天皇が軍事的な対朝鮮攻略の総司令官としてご活躍されるのは、二十歳を過ぎてからである。                                        (2月11日)

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