中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

古代史“捏造のドン”井上光貞に全面降伏した“保守”なき日本 ──真赤な“嘘と偽造の古代史”を粉砕し、古代史に真実と日本国を取り戻そう(5)

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋  

 私が「古代史が変だ! 異常だ!」と認識したのは2001~2年の頃。新宿・紀伊国屋書店の歴史コーナーで数冊の本を手にした時である。そして、重大な問題が濃厚な、これら古代史の新刊2~30冊を買い求め、そのまま段ボールに詰め込んだ。引退した時の老後の読書用である。

 自分が古代史まで専門を広げることなど、他の分野の研究ですら時間がない以上、頭の片隅にも思い浮かばなかった。また、大東亜戦争八年史のヒストリアンとしての義務感に駆られ、大東亜戦争史を大成せねばとの焦りに苛まれていたから(備考)、古代史に興味を持ってはいけないと自分に言い聞かせていた。ところが、2017年夏、ふとしたことから、この「古代史が変だ! 異常だ!」を思い出した。急いで段ボールを開け、序に「古代史」関連本を三百冊ほど追加購入し、国会図書館に通って論文を含め三百点ほど目を通した。これらについてのさわりは、「特別ゼミ」第二回/第三回で発表予定。

(備考)研究が終了している「ノモンハン戦争」「満洲においてソ連と通謀していた関東軍」「ソ連軍侵攻後の地獄の満洲邦人」など、そのほとんどは未だに出版用原稿にすらなっていない。

 この2001~2年頃に紀伊国屋書店で纏め買いした一冊に、中高校でどんな歴史教育がなされているかをチェックするため、吉川弘文館の『日本史年表・地図』がある。今般、それを取り出して古代史の箇所をパラパラと捲ったが、恐ろしい記述(正確には「無記述」)があった。5頁の欄「天皇」が、第15代の応神天皇から始まったと断定し、神武天皇から仲哀天皇までの14代を完全抹殺している(注1)。

 何と言うことはない。この中高校生用の歴史年表は、天皇制廃止の共産革命ドグマを狂信する井上光貞/直木孝次郎ら共産党員や“金日成狂”江上波夫らが捏造した“古代天皇抹殺プロパガンダ”に忠実に作成されている。すなわち、次代の日本国民に“真赤な嘘歴史”を刷り込ませる洗脳目的の、教宣の“歴史の偽造”「歴史年表」をでっち上げている。「吉川弘文館、お前もか」と、唖然!

古代史学者の口裏合わせ「応神天皇以前の皇統史は皇室の創作」が、歴史の真実を破壊し尽した

 ところが、1989年の昭和天皇崩御に偶然一致して、日本から“保守”が、私一人を残して、完全に消えた。1993年歳末、私を突然ホテル・オークラのロビーに呼んで遺言だと言い残した福田恒存の予測は、見事に的中した。曽野明、林健太郎栗栖弘臣谷沢永一らが、その末期に当たり私にエールを送ってくれたが、“たったひとりの保守”で、政界・官界・法曹界・学界の全てにおける正常と日本を護る“無敵・万能の不動明王”になれるわけがない。  

 ともあれ、1995年初刊のこの吉川弘文館中等教育用の“嘘歴史年表問題”を、日本人の誰も一人として非難しなかった事実は重い。この無非難の事実は、1995年時点、日本から“保守”が壊滅的に消え去ったことを意味しているからだ。

 実際にも、無非難を旗振った産経新聞は、「保守」を詐称する「民族系」で厚化粧の擬装をしているが、裏ではがっちりと朝鮮総連やロシアKGB第一総局と通謀する全くの極左“保守殺し”新聞である。例えば、産経新聞は、古代史でいえば、極左の中の極左だった考古学者・森浩一と特段に昵懇だった。また、産経新聞が後ろ盾した“新しい歴史教科書”の西尾幹二八木秀次は、十社ほどの教科書会社刊の“左翼/極左”中等学校歴史教科書をいっさい非難しなかった。産経新聞は、西尾幹二が廃墟主義アナーキストであり、八木秀次が売名一辺倒男だから支援したのである。彼らが“保守”なら、北朝鮮人が幹部社員のほとんどを占める正体“極左”の産経新聞は西尾や八木を排除している。  

 ともかく、1995~9年時点、吉川弘文館のこの年表を一瞥してすぐさま、中央公論社刊の井上光貞『日本の歴史1』を思い出した日本人は、幾人いただろう。私を除けば、おそらくゼロか。井上光貞のこの本がでた1965年、東京大学三年生だった私は直ぐ読んで、余りに馬鹿げている歴史捏造を蔑して投げ捨てた。天皇制廃止に執念を燃やすアナーキスト(亡国主義)林房雄大東亜戦争肯定論』(1965年刊)にも怒り心頭で投げ捨てたから、1965年は、私にとって“極左本を投げ捨てる年”になった。  

 井上光貞が、応神天皇以前を抹殺する天皇制廃止運動の嘘歴史捏造を思い着いたのは、崇神天皇以前の天皇抹殺をやってのけた“奇人”津田左右吉の暴論妄説を下敷きにしただけではない。江上波夫と水野祐にも強く触発されている。だが、今日の日本では、水野祐など誰も知らない。

 そこで、まず最初に、“天下の悪党”水野祐の“古代史改竄の迷著”『増訂 古代王朝史論序説』(1954年)の紹介から始める。水野祐は生涯、“非コミュニスト”を偽装し続けた「コミンテルン32年テーゼ」の信奉者だった。『増訂 古代王朝史論序説』を読めば、全体としてマルクス史観を狡猾に排斥しているが、「天皇神権」とか「主権者」とか当時の日本流マルクス用語がツクシンボのように頭を覗かせており、共産主義者特有のオドロオドロしい歴史偽造の典型本である。なお、風評「水野祐コリアン説」は当時から根強く、確かに論旨と内容は朝鮮人そのものだが、文体と論理展開の特性が日本人で、朝鮮人のそれではない。

 水野祐の主張は、これが学者かと訝しく思わざるを得ない抱腹絶倒の妄想創作歴史だから、私がこんなイカサマ古代史をわざわざ取り上げること自体を不審に思う読者も多いだろう。理由は単純明快。井上光貞が、このイカサマ学者・水野祐にぞっこん心酔し、その後継者たらんとした事実を明らかにしておきたいからだ。つまり、井上光貞とはかくも度はずれイカサマ学者の系譜にある人物という不動の真実を喚起すべく、この節を書いている。

仁徳天皇は、北方森林騎馬狩猟民族が九州に侵略し国家をつくり難波に遷都した外国人」(水野)  

 “狂人”水野祐のスーパー迷妄書『古代王朝史論序説』は、1952年の私家版として自費出版された(100部、謄写版。これを贈呈された井上光貞は「感激した」との礼状を返信している。この私家版に第三章「諡号考」を付加して活字出版にしたのが『増訂 古代王朝史論序説』(1954年)である。1952年とは、江上波夫騎馬民族征服王朝説が雑誌に公刊された1949年から三年後。この著が江上波夫が創作の嘘歴史小説に触発されて書いたことは、本人の自白もあるから、間違いなかろう。

 水野祐のスーパー狂気の嘘歴史は、次の三つからなる。第一は、神武天皇から推古天皇までの33代のうち、実在したのは16代に過ぎない。初代・神武天皇から第9代・開化天皇までの9代は津田左右吉に従い不在。第11代・垂仁/第12代・景行天皇も不在。安康/清寧/顕宗/仁賢/武烈/宣化天皇の6代も不在。よって、「33代-9代-2代-6代=16代」が実在した天皇だという。読者は嗤わずに、水野のさらに続く狂説に耳を傾けよ。狂人の話を熟考・精査せずして、狂人を殲滅できない。  

 水野の第二。「仲哀天皇は、九州島に遠征の途次、戦死。これによって大和朝廷は瓦解。代わりに九州に「九州国家」が誕生。これこそが、『魏志倭人伝』に言う卑弥呼邪馬台国」が苦戦を強いられた)「狗奴国」である。そして、「狗奴国」とは、北方系騎馬狩猟民族の血を引く高句麗の北に跋扈した)扶余と同族。そして、この「狗奴国」すなわち「九州国」の首長こそが“外国人・仁徳天皇”で、首都を九州から摂津国の難波に遷都した。仁徳陵は、その名残である。  

 第三。上記の歴史は、天皇諡号を分析するだけで充分に明らかである。つまり、前代未聞の荒唐無稽な上記歴史を裏付け証明する文献史料や遺跡なんか何一つ要らない。天皇諡号を解読すれば、暗号を解読する如くに、上記の妄想歴史は“あら不思議や”白日の下に史実となる。「“外国の侵略者”仁徳天皇の難波侵攻に摂津/河内/和泉/大和の古代の日本人は何一つ抵抗せず、諸手を上げて歓迎した」ことは、言わずもながの自明の歴史だ!・・・・・。  

 これほどまでに精神病院に収監されるべき重患者・水野の狂説は、要するに、「血統の連続が無い、統治機構の連続もない、戦争や侵略による二度の断絶&新支配からなる三王朝交替」説と言える。すなわち、日本の大和朝廷は、「九州国家に滅亡させられた崇神/成務/仲哀の古王朝、ツングース系の狩猟民族の応神を祖とする)仁徳から雄略までの中王朝、継体天皇以降の新王朝」の三王朝からなり、継体王朝が今に続く。それなのに、天皇神武天皇以来の万世一系だと強弁する、こんな“嘘で固めた”天皇制度をわれわれが奉戴するなど、あってはならない。という一杯飲み屋ですら一笑に付される馬鹿馬鹿しい戯言。

津田左右吉江上波夫+水野祐」+スターリン32年テーゼ=“古代史捏造のドン”井上光貞

 さて、日本の古代史を、スターリンコミンテルン32年テーゼに従った天皇制廃止のイデオロギー一色で改竄した、つまり共産党史観一色に仕上げた井上光貞に論を転じよう。八年間の大東亜戦争が“コミンテルンの手先”近衛文麿によって一貫して遂行されたように、古代史の大捏造もまた“共産党の手先”井上光貞によって大成された。井上光貞を”古代史学界の近衛文麿”と名付けるのは、この理由による。  

 井上光貞『神話から歴史へ 日本の歴史1』(1965年、中央公論社は、古代史の真実を軒並み剥ぎ取り、日本国民から“日本国の古代史”を全面的に剥奪した。現に、この本の出版以来、日本の古代史は、天皇制廃止に爆走する共産革命の僕となった。戦後日本で歴史が学問ではなく、政治運動の洗脳用手段となったのは、事実上、戦後日本史上“最凶の毒書”『神話から歴史へ』井上光貞が嚆矢である。江上波夫や水野祐は、“真打”井上光貞を登場させるための前座であった。

 なお、この本は、単行本と文庫本を合わせると100万部を突破した超ロングセラーではないだろうか。そうならば、日本人のほとんどは嘘古代史を脳内に徹底的に刷り込まれたことになる。

 歴史が最も頭に入る私の中学1、2年生は1957~8年だったから、この井上光貞の本が1965年に出版される前だった。教科書も教師も井上光貞の悪書に汚染される以前であった。お蔭で、私は赤化目的の歴史改竄書から洗脳をされずに済んだ。しかし、次代の日本人の子供を、嘘歴史の洪水から救出するのは、今生きている大人の責務である。  

 井上光貞『神話から歴史へ』には重大な問題が多々あるが、ここでは古代天皇を歴史から抹殺する“反・歴史学の犯罪”に焦点を当てる。井上光貞は、次のように嘯く。

1、「神武天皇は神話のなかの人」・・・(根拠;津田左右吉がそういった)、279~282頁(注2)。  

2、「第2~9代天皇は実在しない、架空につくりあげた天皇群」・・・(根拠1;帝紀だけの記述しかなく、事績を収録する旧辞での言及が皆無)(根拠2;天皇諡号が八世紀的である)、294~8頁。  

3、「崇神・垂仁・景行の三天皇は実在するが、成務・仲哀天皇は実在しない」・・・、301~3頁。  

4、「日本武尊神功皇后は神話上の人物」・・・、355~84頁。  

5、「応神王朝は、新王朝の創始者だ」・・・、408~20頁。  

 まず、「天皇諡号が八世紀的である」が、天皇の実在・非実在を決定できるとの、牽強付会を超える暴論から分析する。そもそも、和風であれ、漢風であれ、諡号の習慣の発生時期ならびに制度化について、井上光貞こそ、まずもってその時期を明示すべきだろう。だが、彼はこれについて一言も語らない。歴史家にあるまじき、重要な歴史事実の隠蔽工作をなしている。  

 そこで、諡号、実名=諱、敬称などについて、一括して井上光貞の悪意ある歴史捏造を指摘しておく。天皇諡号や実名をどういじくろうとも、それによって、天皇の実在・非実在など万が一にも何一つわからない。全くの無関係だからである。

(1)まず、古代の天皇諡号だが、その多くはずっと後代の作。後代の朝廷で遡って諡号を作ったからと言って、古代天皇の実在・非実在とは何の関係もない。たまたま五世紀頃or六世紀頃?に、“諡号なし”はおかしいとなって、そうしたまでのこと。諡号とは崩御後の諡(おくりな)であるから生前には存在しない。支那諡号制度を輸入する前に、諡号があるはずもない。よって、記憶されることはない。諡号の欠如を大騒ぎして、その天皇が不在だった根拠にコジツケルのは、まさしく悪質な歴史の捏造。

 要は、古代天皇諡号については、後代のいつの時代の作かが逆に算定できると解するもの。諡号があること自体、その天皇が実在した証拠である。非・実在の天皇諡号を贈ることなど実在の天皇に対する聖性冒瀆となるから決してできないし、しない。天皇は神社のご神体と同じようなものと目されていた。しかも、諡号は朝廷の中でかなり厳粛な儀式を伴って贈られるもので、践祚した新・天皇個人や有力貴族あるいは官人だけでどうとなるようなものではない。

(2)「天皇 すめらみこと」号は、推古天皇時代に完成し、のち制度化される。それ以前、六世紀半ばには、「あめたらしひこのおほきみ」などが称号として考案されたようだが、これすら紀元一世紀前半の神武天皇から五百年も後である。天皇号が後代につけられた事実をもって、神武天皇ほかの古代天皇が非・実在だと結論ずけることなどできない。

(3)実名も、ほとんど記憶(のち記録)されなかったのは、歴史事実。だが、それがどうした。実名は、よほどの高官や外戚の家族を除けば、臣下や民が口にしてならない“諱 忌み名”であり、当然、臣下も民も知らない。皇室内部の皇族間でしか使用が許されないもの。実名が後世に残った古代天皇は奇跡的例外だと歴史家なら心得るべきである。

 実名=諱については、私が大学生だった1960年代まで(2000年間一貫して)巌に日本国民は守っていた。例えば、1966年、毎日新聞社モズレー著『天皇 ヒロヒト』の翻訳本を出したが、これを本屋で見た誰しもが皆「えっ」と絶句した。天皇に対しては「今上陛下」「陛下」とかの抽象名詞の敬称で呼び、固有名詞の最たる“諱=実名”「裕仁」を口にすることなど不敬の極みで“考えられない異常事態”だった。刑法不敬罪があれば、1966年時点、警察に逮捕されている。実際にも、当時、「裕仁」などと口にしたり書いたりする者は、共産党員だけであった。だから、本郷キャンパスで「裕仁」などの言葉を聞くと、次に必ず「赤がいるゾー」との大声が聞こえてきた。  

(4)要は、古代から1960年代までの約2000年間、臣下や民が使用したのは敬称である。現代のそれは、「今上陛下」や「陛下」。すなわち、古代にあって敬称「今上陛下」や「陛下」に相当する言葉が何だったかこそ、歴史家はまず提示する義務がある。が、井上光貞は意図的にサボりにサボって、この義務を果たない。歴史偽造の犯意あらわではないか。

 また、敬称はすべての天皇に対して共通の同一語彙だから、史書に書き留める理由もチャンスもない。このごく当たり前のことに井上光貞は歴史家として良心があれば、これに違背するトンデモ本『神話から歴史へ』を出版しなかっただろう。なお私は、暫定的に敬称は「おほきみ」だったと仮定している。

大和朝廷の日本統一の軍事制圧史、租税徴収史、古墳の発展史等を意図的に断捨する井上光貞

 井上光貞が古代史を犯意をもって改竄・捏造していることは、①さまざまな重要事柄について歴史年表を秘匿し完全に排斥すること、②また国家の政治統治として現実的にはあり得ない非現実を前提に仮定の上に仮定を重ねていく詭弁と短絡的牽強付会を駆使すること、等に明らか。  

 例えば、井上は「初代の神武天皇は神話」「第2~9代天皇は実在しない、架空につくりあげた天皇群」とし、その根拠の第一として、「帝紀だけの記述しかなく、事績を収録する旧辞での言及が皆無」などとの屁理屈をこねる。紀元後550年頃に作成されたらしい旧辞からすれば、紀元後20年前後から同246年前後に至る初代~第9代天皇三~五百年も昔のことである。旧辞を策定すべく六世紀半ばに伝承を集めたが「集まらなかった」ことは十分にあり得る。なんら問題にすべき事柄は存在していない。

 しかも、本シリーズ第三稿の表2で示したように、大和朝廷の武力制圧を伴った日本統一は、神武天皇から第十二代の景行天皇に至る連続する軍事行動なしには不可能。ヤマトタケル尊を神話としては、現実の史実として日本統一が説明できない。

 それなのに第十代・崇神天皇が実は初代で、神武天皇から開化天皇までの全ての軍事行動も行ったとする井上の皇統史は、暴論というより悪質な虚構の極みである。そもそも神武から開化天皇までの治世を、崇神天皇が一人で行ったとして、そんなことが時間的/財政的(=兵力量)/軍事的に可能なのか。全く不可能ではないか。つまり、井上光貞が意図的に歴史を偽造しているのは明々白々。  

 また、応神天皇が突然に日本国の覇者となるなど、どうやれば現実的に可能なのだ。例えば摂津・和泉・河内の豪族も民も立ち上がって、この余所者を命を賭けて排除するのは常識だし、それ以外は現実性がゼロ。だが、井上は、平然と二枚舌で論を進める。例えば、大和盆地で歴代の天皇に仕えた和珥氏と葛城氏が応神天皇を助けたとする。つまり、応神天皇大和朝廷の由緒ある皇統の出自だとしている。  

 井上の真赤な二枚舌は、さらに無限。井上は、神功皇后新羅征討を「おとぎ話」(374頁)と決めつけていた。「伝説であって、史実でない」(377頁)と罵り、「一種の神話」(379頁)とまで言い切っていた。その舌先が乾かないうちに、日本書紀神功皇后記から引用して「香坂・忍熊の二王を倒した」とし、神功皇后の大和入りが成功したとする(412頁)神功皇后を「神話」「おとぎ話」から突然、歴史上の人物にしてしまう狡猾さは、井上光貞共産党員だから可能である。  

 仮に、応神天皇が皇室の始祖とするなら、応神天皇の父と母を特定しなくてはならない。だが、井上は「父」については黙す。仲哀天皇は実在しないとの真赤な嘘との整合が取れないからだ。「母」については神功皇后としている。が、神功皇后は「お伽噺」ではなかったのか。井上光貞神功皇后 お伽噺論は、自滅的に破綻している。井上の『神話から歴史へ』は、嘘が連なる“嘘の大倉庫”。  

大型ダンプカー17万台以上の土を盛った425㍍の応神天皇陵造営に民がなぜ嬉々と協力したか

 神武天皇に始まる大和朝廷の武力制圧による領域拡大は、同時並行的に法秩序を整備していくので、平和を民衆レベルが享受でき、富が必然的に増大し民衆レベルへのその浸透も加速する。これが一般民衆(民)の大和朝廷への尊崇と感謝となって、三世紀に始まる古墳時代の最重要な基盤を形成した。古墳の造営は、農閑期の農民がこぞって積極的に嬉々として参画しない限り可能ではない。  

 箸墓の前方後円墳でも、応神天皇陵の前方後円墳でも、大量の民が自ら積極的に土運びに喜びを感じなければ、その造営はおぼつかない。応神天皇陵造営には、大型ダンプカーで17万台の土が運ばれている。しかも、それらはすべて人力でなされた。労賃(貨幣か物かは不明)などのいわば臨時収入の魅力だけで集め得る人数ではない。  

 大和朝廷天皇と民の精神における絆は、僅か数代で構築できるものではない。15代目の応神天皇は、神武天皇からの14代の天皇が築いた「天皇と民の精神における絆」という、何ものにも代えがたい遺産があったればこそ、崩御後の自らの陵を造営し得たのである。  

 皇位の連続/天皇位における血統の連続/善政の連続があって初めて、応神天皇の巨大陵が造営されえたのだから、成務・仲哀天皇の実在はむろん、神武天皇から開化天皇に至る全九代の天皇の実在も疑う余地などない。また、日本武尊神功皇后に関わる記紀記述を「神話だ/お伽噺だ」と誹謗し“歴史でない”と断じる方が“反・歴史の極み”。歴史学を冒涜する歴史の偽造の典型。     

 

注  

1、児玉幸多編『日本史年表・地図』、吉川弘文館、第五版、1999年刊、5頁。  

2、本文での頁数は、中公文庫版。

(2月8日)  

 

【連絡】  

2月17日「特別ゼミ」参加者の、できるだけ当日持参する資料として、井上光貞『神話から歴史へ 日本の歴史1』、中央公論社、を追加します。アマゾンで、1965年の単行本だと中古で295円ですから、この方がよろしいと思います。文庫本の中古は、まだ新品と同じ値段です。

中川八洋掲示板は、amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。