中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

史実の神武天皇を抹殺した津田“記紀罵り史学”の弟子達 ──真赤な“嘘と偽造の古代史”を粉砕し、古代史に真実と日本国を取り戻そう(4)

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

最初に、本シリーズ第二稿“記紀殺し”成って、皇室亡ぶ」の、次の脱漏部分を挿入お願いします。

 うっかり欠落していた次の注5と注6を、注の最後に付加して下さい。いずれも本文末尾にある、「摂政」&「魏帝国からの遣使は、大和川をどう遡行したか」についての注です。  

5、「ももそひめ」は摂政だったのではないかという仮説の根拠は、『魏志倭人伝』にある「倭国乱れ、相攻伐すること歴年、すなわち一女子を共に立て王となす」の二文字「共立」。「共立」には、“共同で擁立した(連合して推戴した)”の意味は皆無。「共立」は、支那語では、“嫡男子の正統な皇位継承ではない、通常ではしない異例な特別措置で擁立した”という意味だからである。すなわち、摂政も「共立」に含まれる。「ももそ姫」の場合、外交権を独占しているから、“外交における摂政”だったと言える。現在風に言えば、「ももそ姫(及び後継の「台与」)は対外的国家元首天皇は内政の長」という二元政治権力構造が第8代天皇から第11代天皇の297年まで存在したことになる。  

6、大和川については、「迎賓用の豪華舟」を、漕ぎ手十名ほどが漕ぐ別の先行舟でどこまで牽引して遡行したか、どこから(川幅が狭くなり流れが急になったため)両岸からロープで牽引したか、どこから陸に上がり輿に乗ったか、などの現地調査はまだ未実施。ただ、『魏志倭人伝』の「水行十日陸行一月」は「陸行一日」の誤記だろうから、輿で一日5時間の距離(速度一時間3㎞)だと15㎞なので、纏向遺跡の南端から(蛇行し舗装無き田んぼ道で測り)約15㎞北に位置する「佐保川との合流地点」辺りか、それより少し上流で、魏の遣使一行は大和川から上って陸歩行に変えたと推定できる。

 

(以下が本稿)

1、津田“記紀罵り史学”に便乗の第一期コミュニスト古代史“悪の四人組”  

 津田左右吉が、戦後すぐ、共産党員・吉野源三郎が編集長の月刊誌『世界』に自稿「建国の事情と万世一系の思想」を掲載した時(1946年4月号)、世間はあっと息を飲んだ。津田左右吉コミンテルン系の天皇制廃止狂徒でなかった事実に、共産党員のコミュニスト読者も、当時かなりの数だった「反共」保守系も、そして当時は少数派だった純粋民族系も、皆一様に驚き、絶句したからである。

 天皇制廃止狂でないのに、津田左右吉はなぜあれほど激しく、『古事記』『日本書紀』を誹謗的に罵倒し、破壊的な非難(ヴァンダリズム)の拳を振り上げたのだろうか。これについて、誰ひとり理解できるものはいなかった。特に、「読んでびっくり」の驚きを、敗戦直後の日本中のインテリ階級に走らせた津田『世界』稿に、最も驚愕し腰を抜かしたのは、実はこの原稿を津田本人に依頼した狂信的コミュニスト吉野源三郎だった(注1)。  

 吉野は、津田論文と同号の『世界』誌に、後にも前にも例のない、「津田論文を嫌々ながら掲載しています」との言い訳を載せた。「共産党から処罰的に殺される」と身の危険を感じ(注2)、共産党本部に申し開きの弁明をしたのである。共産党は、「殺すぞ!」と脅迫しての言論弾圧言論統制を、1970年代まで日常としていた。私は1980年代初頭、共産党員で擬装転向の清水幾太郎から、東大や学習院大でのケースで、教授会の前日に敢行される、共産党の意に従わない人事をやろうとする教授を脅す“共産党の手口”をいろいろと教わった。この時、共産党員教授が必ず、「殺すぞ!」を口にすることも教わった。ともあれ、津田左右吉記紀罵り史学”の代表的な作品をリストしておこう。

1、『神代史の新しい研究』、1913年。

2、『古事記及び日本書紀研究』、1919年。

3、『神代史の研究』、1924年

4、『古事記及び日本書紀の研究』、1924年

5、『日本上代史研究』、1915年。

6、『上代日本の社会及び思想』、1919年。            

(備考)「新しい」「新」がついている方が古く、それを冠してない方が新しい改訂版。  

 ここで津田史学を詳述する気は毛頭ないが、要するに、神武天皇から第九代開化天皇までは史実として実在せず、架空の文学作品に過ぎないとするのが津田史学の核心。津田の挙げる根拠は、多弁を弄しているが、いっさい具体性がなく、結局のところ津田は「俺はそう思う」を根拠としている。

 本稿では、この津田左右吉を後継せんものと古代史学者になった“実態的に津田の直系弟子”コミュニスト四名を俎上に挙げて、その脳内を解剖する。紙幅の関係から、本稿では、この四名の中、一名ほどの主要著作の紹介にとどまるだろうことについて、前もってご了解いただきたい。

津田史学の継承者は全員、津田と異なって、共産党員や狂信的なコミュニストばかりで例外はゼロ

 津田“記紀罵り史学”の嫡流的な直系弟子は、具に調査すると十名をはるかに超える。後世への悪影響が大きかった者に限定すると、井上光貞、直木孝次郎、水野祐、上田正昭の四名が、その筆頭。津田史学を活用して天皇制廃止運動とカネ稼ぎに没頭した江上波夫は、津田史学の直系弟子ではなく、津田史学の便乗組。  

 表1には、教科書裁判で名を馳せたゴリゴリ共産党員・家永三郎をリストしている。家永史学は津田史学と基本は同じだが、家永は最初から河上肇系の「コミンテルン32年テーゼ」の信奉者で、津田史学がこの世にあろうとなかろうと、自説を主張したはず。「津田史学がなければ、主張が大幅にマイルドだっただろうし、そもそも古代史学者になっていない可能性がある」井上/直木/水野/上田の四名の学説や行動は、家永とは異なっている。同じコミュニストとはいえ、古代史学者としての生き方が異種の家永三郎をここで取り上げたのは、対比によって、この四名をクローズアップでき、より鮮明化できるからである。

表1;津田左右吉記紀罵り史学”が産んだ“悪の赤い四人組”──井上、直木、水野、上田

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(備考1) 表1の六名は、1937年の日中戦争に始まる日本共産革命八年間、洗脳され易い少年期・青年期だった。

(備考2) 上記四名と同じく津田史学の系列にある、「初代~9代天皇葛城王朝は、崇神王朝に滅ぼされた」の鳥越健三郎(1914年生)は、北朝鮮人。旧制中学時代から津田史学信奉者になった上田正昭も、神社宮司の家の養子になるが、元は移民の北朝鮮人? 朝鮮総連との昵懇の交流やその他の情況証拠は、半端な数ではない。

(備考3) 青木書店は、日本共産党の党本部が直轄する、実態的には党の出版部局。

江上の狂説「騎馬民族征服王朝説」は、津田の暴論「皇統は崇神天皇に始まる」の便乗デフォルメ  

 まず、今では一笑に付されて誰も信じない荒唐無稽な三文小説扱いになった、江上波夫の“お笑い狂説”「騎馬民族征服王朝説」をとりあげる。理由は、いったん溝に捨てられたはずの江上・騎馬民族説を、共産党が今も執拗に教宣し続けているからで、この情況からすれば、消したはずの種火が再燃して次代日本人の頭を席捲することは目に見えている。

 例えば、中央公論社は、すでに読者ゼロになっており、絶版が常識の江上の『騎馬民族国家』中公新書昭和天皇崩御を機に再刊した(1991年)。また、講談社は、現在の七十歳以下は誰も知らないはずの、騎馬民族説を史上初にぶち上げた1948年の雑誌対談を、半世紀に等しい四十七年ぶりの1995年、講談社学術文庫に再刊した(初出は、1949年刊の雑誌『民族学研究』)。  

 「騎馬民族征服王朝説」を妄想した江上波夫の頭の中は、簡単に言えば、こうだ。津田左右吉の妄説「日本の大和朝廷は、崇神天皇でもって、突然に畿内とその周辺に誕生したのであって、それ以前の天皇は神話にすぎず歴史上には実在しない」に従えば、崇神天皇は日本の外からやってきたことにすれば、話の筋が通るではないか。

 これが、「そうだ一発、有名人になって金儲けしよう」とばかり、「他の日本国内のミニ国家群に比すれば強大な武力を初めて保有する崇神天皇朝鮮半島の《任那》に造営した宮城から日本に渡り九州を征服した」との荒唐無稽で耳目を引くデッチアゲ嘘歴史を、江上が捏造した動機であった。

 江上は、この嘘フィックションに続けて、第二の嘘フィックション「畿内制覇は、応神天皇がなした」を嘯き強弁する。つまり、天皇による日本統治は、外来民族である天皇(=天神あまつかみ族)が、九州と畿内を二段階で征服して始まったとの、“妄想も度外れの反・歴史”。以下が、その一節。

任那こそ日本の出発点であったので、そこを根拠として、崇神天皇を主役とした天神(外来民族)が北九州に進撃し、ここを占領した・・・いわゆる天孫降臨の第一回の日本建国・・・、その結果、崇神はミマ(ナ)の宮城に居住した天皇──御間城天皇みまきのすめらみこと)──と呼ばれたと同時に「ハツクニシラススメラミコト」の称号も与えられる・・・」

「北九州から畿内に進出した時の第二回の日本建国の主役は…たぶん応神天皇であろう。応神が筑紫の出身であることは記紀の伝えるところであり・・・。応神こそ北九州から畿内に進出し、そこに大和朝廷を創設した大立物であったろうという水野祐・井上光貞らの推定はすこぶる理由があるように思われる」(注3)。

  読者の一部は笑い過ぎて、お腹が捩れてしまったのではないかと心配だ。江上波夫のこの狂説の愚をあばくことについては、多くの駁論がすでに無数にあるから、それに譲る。だが、ここで一つだけ喚起しておきたい事柄がある。江上波夫は、北朝鮮金日成に四回も直接会いに行ったように、金日成崇拝の“北朝鮮の犬”であった。この事実は看過すべきではない。金日成は、一回ピョンヤンを来訪する毎に江上波夫(帰国後、朝鮮総連金日成に代わり持参する方式で)一千万円づつ渡したというが、もっと高額だった可能性もある。

 まさに考古学者・江上波夫の生涯は、天皇制廃止と金日成崇拝と金儲けの三つしかなかった。かくも「反日」一辺倒に生きた“嘘つきコミュニスト考古学者”江上波夫を真似て、その後、多くの考古学者が「反日」群像として澎湃と膨れ上がり、日本の古代史から真実と日本国を剥奪する一大勢力となった。

共産党出版社・青木書店でデビューの直木孝次郎は共産党雑誌『歴史学研究』『歴史評論』の常連

 直木孝次郎がその生涯を通して全力投球した、天皇制廃止だけに焦点を絞った教条的な共産党色一色での“歴史の偽造”については、直木流の捏造歴史ごとに一つ一つ論駁していると紙幅がいくらあっても足りない。そこでまず、直木が出版した著作の中でもロングセラーとなった人気の高い『日本神話と古代国家』をとりあげ、それが収録した論文十四本の初出の分析から始めるとしよう。

1、共産党の党本部が直接出版している「新日本新書」で一本。  

2、河上肇ら戦前の「コミンテルン日本支部」以来の「歴史学研究会」発刊の『歴史学研究』に一本。  

3、共産党の直轄団体「歴史科学協議会」の機関月刊誌『歴史評論』に二本。  

4、共産党直営出版社・青木書店が出版した本で一本。  

5、共産党の直轄団体「歴史教育者協議会」の機関月刊誌『歴史地理教育』に二本。 (以上、注4)  

 すなわち、十四本のうち七本、つまり『日本神話と古代国家』の50%が天皇制廃止の共産党出版媒体での掲載論文。ということは、それらの論文は学術的な目的で書かれたものではなく、あくまでも天皇制廃止というスターリン命令に従った血塗られた暴力革命を目標とした共産党お手製のプロパガンダ(嘘宣伝)論考。最凶の政治文書の何ものでもなかろう。

 実際にも直木孝次郎は、レーニンとともに自国民だけで6600万人を殺戮したスターリンの「32年テーゼ」を信奉して、昭和天皇天皇制を終焉させるべく、日本国の歴史に燦然と輝く多くの“優れた偉大な賢帝”が続出する我が日本国の天皇制度それ自体を抹殺することに、その生涯の学究生活を賭けた。直木孝次郎こそは、日本に叛旗を翻し祖国をロシアとする“大量殺人鬼スターリンの良き信徒”であった。皇統二千年史の初期天皇を一四代ほど根こそぎ歴史から抹殺すれば、皇室の土台は根底から揺らぐが、これこそが大量人間殺戮を宗教信条とする共産主義者・直木孝次郎の、心底で燃えたぎらせていた本心であったろう。

 歴史学的に実在したと明々白々に断言できる神武天皇以降の初期天皇を、十四代も一緒にばっさり日本歴史から抹殺・削除する方法は、「古事記日本書紀を噓だらけの政治文書だ」と言い募り、それを歴史学の対象から排斥するのがもっとも簡便で確実。これが、直木孝次郎が、声高に「記紀は、史書にあらず」という狂気の暴言・詭弁を叫び続けた理由であった。

 また、直木孝次郎が生涯をかけて出版した書籍はひとつ残らず“嘘だらけの政治プロパガンダ文書”だから、自分のこの嘘だらけ政治文書の“嘘だらけ”を見破られないようにすべく、先制攻撃的に「古事記日本書紀は、嘘だらけ政治文書だ!」に貶める策を採ったのである。阿漕な暴力団が、通りがかった一般人を先に殴っておいて「お前、俺を殴ったな!」と難癖を付け、金品を巻き上げるやり方と同じ。

 「記紀は、歴史書にあらず」と吹聴する共産党員・直木孝次郎の歴史学的に根拠と見做しうる根拠がいっさい皆無の)ただ因縁をつける暴力団的なコジツケ詭弁を、記紀誹謗の部分に限定して)順不同でほんの数例リストする。何れも学術的に真面な根拠は一つも挙げていない。バックの日本共産党の威光(=批判をした学者に対して組織ぐるみで大学での凄まじい報復)がなければ、こんな“無根拠の記紀誹謗論考”は万が一にも発表できないし、発表していないだろう。  

a、「記紀の内容は、簡単には信用できない。記紀は、日本の歴史を書き換えた」(19頁)。  

b、「記紀は古い神話を、天皇の日本支配を正当化するという記紀編集の目的に合うように書き改めている。…人代に属する伝承の類も同様に書き直されている」(41頁)。

c、「伊勢神宮側が改作の手を加えた時期は、・・・・・天武朝のことと見てよい」(46頁)。  

d、「記紀の叙述には史実と考えられる部分が極めて少ない」(48頁)。  

e、「記紀の元になった帝紀旧辞は、六世紀前半ないし中葉の頃に、天皇が日本を支配するに至った事情を説明するために、朝廷の貴族によって術作されたもので民族とともに伝わった歴史の伝承ではなく記紀はさらにそれに修飾を加えて成ったもの」(49頁)。       (以上、注4)。

“笑止な戯言”「和風諡号から天皇の実在・非在を判定できる」なら、歴史学研究は不要ではないか

 上記の直木流“記紀誹謗の詭弁”を少し解剖しておこう。例えば、「e」だが、帝紀旧辞は、八世紀以降の日本人は、誰ひとり見た者はいない。記紀編纂後に伝わっていないからだ。ところが、あら不思議、直木孝次郎は手にして読んだらしい。なぜなら、「朝廷の貴族によって術作された」と主張している。いわゆる「改竄・創作された」との謂いの、穏当を越える誹謗語「術作された」とまで言い切ったのであるから、具体的にどこをどう術作したのか、直木孝次郎は明示しなければならない。が、むろん彼はそれをできない。口からデタラメの嘘八百に過ぎないからだ。

 そもそも、天皇の統治が空気のように当たり前だった時代に、マルクス史観の「天皇が日本を支配する事情の説明の必要」など存在するはずないではないか。それに、「古事記風土記こそ、民族とともに伝わった伝承である」が、これ以外に伝承があるのか。是非とも聞きたいものだ。  

 だが、共産主義者・直木孝次郎は、“狂気の妄想”「記紀以外に民族とともに伝わった伝承が、これこれ、ある」の嘘前提の上に、「記紀はそれを粉飾改竄した」と更なる狂気の妄想を嘯いて重ねている。直木孝次郎とは、狂気の妄想を連鎖させて虚構にあそぶ、精神病院から脱走した精神異常者と同類と言うべきか。

 このように、直木流の記紀誹謗のやり方は、具体的証拠も根拠も全くゼロで、記紀を「日本の歴史を書き換えた」「改作した」「書き改めた」「書き直した」「術作した」を連呼して罵倒するだけ。これなら、国会でのヤジやデモのシュプレヒコールと同一。学問ではなく政治運動ではないか。  

 初期天皇14代を抹殺・削除する直木孝次郎の、もう一つのダーティ手口も紹介しておこう。それは、和風諡号は実在天皇か捏造天皇かが一目でわかるリトマス試験紙だという、唖然とするコジツケ。馬鹿馬鹿しさも度が過ぎた“カルト占い手法”と呼ぶしかない。

 具体的には、『日本神話と古代国家』53頁に、直木は、初代・神武天皇から第43代・元正天皇までの和風諡号の表を掲げる。そして、第7代/第8代/第9代が「(オオ/ワカ)ヤマトネコ」という、七~八世紀の第40代/第41代/第42代/第43代天皇の「ヤマトネコ」と同じ称号的な語彙があることをもって、それこそ記紀編纂時の、「712年~720年に、“でっち上げた非在の天皇”の証左だ」と、直木は鬼の首でも取ったかのようにはしゃいで、スーパー短絡を極める悪意あらわな即断をする。

 だが、第7~9代は、二世紀後半から三世紀半ばまでの天皇である。記紀編纂は、それから四百年以上を経過した712~20年である。帝紀旧辞をまとめていた六世紀半ばですら、三百年以上が経っている。

 稗田阿礼の家系と同じく、何代にも亘る、皇統譜や伝承の口誦担当官人はかなりの数いただろうが、崇神天皇までの九名の天皇のこの「九」という数は世代を重ねても正確に伝達できても、文字無き日本の古代に「三百年以上」や「四百年以上」が経過する中、天皇の実名や諡号を忘れて伝達できなかった事態は十分に起こり得る。それなのに直木らが大騒ぎする。濃厚な他意があるからだ。

 もう一度いう。口誦担当官人が数百年前の一部天皇の実名/諡号を忘却したことをもって、そしてやむなく和風諡号を創作した事実をもって、当該天皇が不在だった証拠には決してなり得ない。そもそも和風諡号の問題と史実としての天皇の実在問題とは全くもって無関係。だが、直木孝次郎は、次のように、この無関係な両者をカップリングさせて、次のような唖然を超える嘘歴史を捏造する。  

天皇の歴史を荘重に語り伝えるために、七世紀末以降に、(一~三世紀半ばの)八代の天皇の系譜を机上で作りあげ、第一代の神武天皇とその次の崇神天皇との間にはめ込んだ、と解せられる」(注4、54頁)。  

 『古事記』『日本書紀』を読んで天皇の歴史が荘重だとしたのは、直木が日本史上初である。この事も直木孝次郎が天性の嘘つきである証左だろう。記紀は、天皇を“庶民の悪がき”や非道徳人間に描くことを躊躇わない。別の機会に詳述したい。  

 井上光貞とそのクローン水野祐については、紙幅が足りそうにないので、次以降の稿で論じる。

 

1、遠山茂樹『戦後の歴史学と歴史意識』、岩波書店、37〜43頁。

2、稲垣武『悪魔祓いの戦後史』、文藝春秋、1994年、10頁。

3、江上波夫騎馬民族国家』、中公新書、172頁。

4、直木孝次郎『日本神話と古代国家』、講談社学術文庫、302~3頁。      

 

(2月6日記)

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