中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“皇統断絶の妙薬”「養子論」を教宣する百地章の「犯意」 ──明治期の宮家皇族間の養子を除き、皇統史に養子の例はゼロ

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋  

 産経新聞とは、朝日新聞とは兄弟関係にある危険な新聞である。さも「民族系」新聞かのように見せるべく、日の丸を振りまくって鉄板のような厚い厚化粧をしているが、その実、朝日新聞とは通底しており、朝日新聞とは本質的に同類。産経新聞の経営陣や編集陣のトップほとんどが(血統上の)北朝鮮人なのは、その何よりの証拠だろう(注1)

 こんな産経新聞が、何か朝日新聞と対峙する「保守」系の新聞かに誤解されているのは、「保守」と「民族系」の区別もつかない平成日本の劣化した日本人一般に蔓延する“無知”を原因とするが、産経新聞の購読者が学歴のない/学歴の低い無教養な階層である事にも関係していよう。このような購読者階層にとって、産経新聞がアリバイ工作として朝日新聞との違いを巧妙に演技するトリック報道など見破ることはできない。

 そこで以下、「民族系」の代表かのごとくふるまう、近頃めっきり横柄な態度が満開の「産経新聞の正論メンバー」百地章を俎上に載せる。読者騙し術において産経新聞の報道紙面と競争している、百地章の秘匿した本心は、明確な女系天皇論の可能性が高い。百地章園部逸夫朝日新聞との差異は無いと警戒を怠ってはならない。

第一節 “二枚舌屋”の“半・共産党百地章の本心は、女系天皇論か?

 百地章は、“民族系擬装”産経新聞社の公式な憲法改正案の起草委員五名の一人(注2)天皇制廃止を社是とするコミンテルン系『産経新聞憲法改正案』(2013年7月刊)女系天皇論をぶち上げているから、この起草にかかわった中心人物の百地章女系天皇論者であることに疑問を挟む余地はない。共産党が大絶賛した「産経憲法案」第三条とは、次のトリック文。  

皇位は、皇室典範の定めるところにより、皇統に属する男系の子孫(「男系の男子孫」ではない)がこれを継承する」(216頁)。  

 「男系の男子孫」から「男」の一字を省いて、「男系の子孫」としている。読者を騙すことを意図していない限り、このようなダーティな語彙の発明など決してしない。産経新聞らしく、“天才詐欺師”田久保忠衛共産党秘密党員・佐瀬昌盛と組んで造語した“魔語”「男系の子孫」には、“2013年、騙し語大賞”を緊急に創設して、それを贈呈せねばならない。なぜなら、「『男系の子孫』への継承」とは女系天皇論/女性天皇論の別表現だが、一般の人は概ねそれに気付かないからだ。なお、皇室典範第一条は、「皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。つまり、産経新聞は、皇室典範の全面破壊を目論んでいる。

 どうやら問題は、百地章の正体を明らかにせねばならないということになろう。「女系天皇反対」「女性宮家反対」の論陣を張る百地章にとって、「男系の子孫への継承」は「女系天皇/女性天皇」主義のトリック表現であることなど、いとも容易にわかっていたはず。

 百地章はなぜ、“騙し語”「男系の子孫」を創った“悪の隠れコミュニスト”田久保と佐瀬コンビに猛然と反対しなかったのだろうか。百地章は知って知らない振りをしたのか。or田久保・佐瀬と共謀して“国民騙し語”「男系の子孫」を造語したその一味なのか。おそらく後者だろう。いずれにせよ、「百地章とは心底では《女系天皇/女性宮家論者》である」のが事実だと警戒しておく必要がある。  

 もしそうなら、百地章が常日頃なす「女系天皇反対」「女性宮家反対」アッピールは、彼の心にもない、自己売名の商売用言辞だということになる。こんな二枚舌男の百地章だから、もう一つ、奇妙奇天烈な主張をする。百地章が発信源の一人といえる、女系天皇に直結する「養子論」のこと。

 オーウェルの転倒語「ニュースピーク」に分類できる「養子論」は後で論じるとして、先に百地章が所属する「民族系」とはどういう種族かについて少し触れておきたい。

「保守」と「民族系」の越えがたい相違を無視し、「民族系」を「保守」に括る無知・無責任な平成日本

 「民族系」と「保守」の相違を端的に明らかにする方法は、具体的な人物で比較するのが手っ取り早い。「保守」には五名吉田茂/中川八洋/曽野明/谷沢永一/栗栖弘臣、「民族系」としては小堀桂一郎百地章の二名を具体例とする。栗栖弘臣とは、帝国陸軍の“軍人”出身の自衛隊統幕議長。私にとって栗栖統幕議長は、様々なご指導を頂いた“国防における師匠”である。

 まず、「保守」の定義から。「保守」は、戦前1930年代からの語彙「革新」の対置語として、1950年代の戦後に造語された言葉。明快に「反共(反・社会主義、反・共産主義」「反ソ(反露)」「親英米日米安保条約支持)」「皇統護持・皇室尊崇」「第九条改正による国防軍設置ほか」を意味していた。1960年代末まで、少なくとも田中角栄が首相になる1972年以前までは、「保守」と言えば、この“保守の五条件に立つ日本人のこと”だと、誰しもイメージしていた。

 表1が明らかにするごとく、「保守」と「民族系」との差異は、対極的なほどはなはだしく大きい。

表1;“民族系の首領”小堀桂一郎は「共産党の別動隊長」、では百地章は?

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備考1;中川八洋の「国防第一」の論拠「反露」を支持する形で「間接反露」。

備考2;狂信的マルキスト堺屋太一の「首都移転!は、“皇居潰し”を主眼とする天皇制廃止革命の一つ」だが、この重大問題で堺屋糾弾をして呉れたのは谷沢永一だけだった。私の「皇位継承学三部作」を称讃しその完成を祝ってくれたのも谷沢永一だけだった。

 「保守」の具体的定義が根底から揺らいで、「自民党支持者」とか「朝日新聞嫌い」とか漠然とした抽象的なものに変質したメルクマールは、(心底では土井たか子的な社会主義者だった)自民党の総裁”田中角栄が日中国交回復を強行して、毛沢東共産主義支那と国交を持ち、「反共」の台湾を斬り捨てることをやってのけた1972年9月25~29日だった。

 私は、日本から「保守」の基盤を突き崩した、この9月下旬から10月いっぱい、日本列島が真っ黒な雲に覆われたような憂鬱な気分で耐えがたかったことを思い出す。米国・GHQマッカーサーのお蔭でやっと手に入れた、戦後日本の国是「反共」の死滅だったからだ。「反共」の聖上昭和天皇の御心中(宸襟)はいかがと案じられてならなかった。

 続いて、イデオロギー的には土井たか子の化身だった田中角栄は、日本の「保守」のレーゾンデートルである“反露”を一気に潰す策にでた。それが、東シベリア経済開発である。1973年、田中角栄はブレジネフ書記長に、北方領土の返還なしに、油田開発や森林開発など四大シベリア開発プロジェクトの経済協力に合意した。「反露」路線は、「親ロ」を越えて、それ以上の日本の対ロ属国化路線へと一八〇度転換された。1973年、反共反露の昭和天皇/吉田茂の国是は転覆してしまった。

マルクス・レーニン主義の開祖ルソーを崇拝する小堀桂一郎は、天皇殺しが無意識下での本心

 話を戻す。1960年代の「保守」定義をもって、「民族系」小堀桂一郎/百地章の思想を覗くとしよう。両名には、「保守」思想はいっさい無いか、あっても“タバコの煙”ほど。いや、小堀に至っては、99%共産主義者としか言えない。小堀が表向き口に出す皇室尊崇の言動は、真赤な嘘である可能性が極めて高い。理由と分析は、拙著『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』で論じておいた(注3)。詳しくはそれを一読されたい。  

 たとえば、小堀桂一郎は日頃、所功高森明勅と付き合い、共産党天皇制廃止革命の特効薬「女性宮家論」にどっぷりと染まった(洗脳された)。小堀は、北朝鮮コミュニスト高森明勅について、「博捜周到の高森氏が提示してくれる史料上の知見は・・・」「高森氏の周到精密な論理構成に十分の敬意を払ひながら・・・」など、学的知識ゼロのペテン師である高森明勅を、笑止にも「大学者だ」と大絶賛する(注4)森鴎外論を除けば学問業績ゼロの小堀桂一郎は、大学教師としてはペテン師だから、“ペテン師同志の褒め合い”である。  

 高森明勅が史料を改竄的に意図的な曲読する例は、枚挙に遑がない。その一つに、律令の継嗣令にある「註」を「条文」だと改竄しておいて、古文や律令に教養があれば万が一にも読めない奇怪な嘘読みをする「犯罪」などがある(注5)。継嗣令には、「女帝(じょてい)の子」などの記述は全くない。「女帝(じょてい)」という語彙は、称徳天皇崩御後に称徳天皇を揶揄するために創られた、凡そ平安時代以降の新しい和製漢字だろう。少なくとも飛鳥・奈良時代までの日本には存在しない。飛鳥・奈良・平安時代と同時代の支那にもそのような漢語はない。一般的語彙として「女帝」が頻繁に使用されるようになったのは、明治時代初期からである。

 継嗣令には条文「皇兄弟皇子。皆為親王。」があり、それに続いて小さな小文字の二行書き「女帝子亦同」という註がある。註であって条文でない「女帝子亦同」の意味は、「(ひめみこ、皇女)についても、帝(すめらみこと)の子だから、皇子(みこ)を《親王》にするのと同等に、《内親王》とせよ」である(注6)。こう正しく読めないのは、継嗣令全体に関する知見を欠如し古文素読の基礎訓練を中高時代にしていない無教養によるか(注7)、高森のように“犯意をもった嘘読み”をしているかである。  

 小堀桂一郎は、律令を改竄するこれほどの“学問に対する大犯罪者”高森明勅を「大学者だ」と逆さに称賛するだけでない。デリダ系のポストモダンアナーキスト北朝鮮人の東浩紀にぞっこん惚れて、そのルソー論をベタ褒めする。東浩紀の方はさておき、小堀桂一郎は、『人間不平等起源論』で「王制を暴力で倒せ!」「王様を殺せ!」と人類初の王制転覆暴力革命を提唱したルソーに、何故にこれほど傾注するのか。小堀桂一郎の本心が、無意識であれ、ニコライ二世ロシア皇帝銃殺を真似る、“天皇殺し”の天皇制廃止論を秘めているからだろう。  

 絶対独裁者の命令を「一般意思」と名付けた“狂おえる天才”ルソーの『社会契約論』を牽強付会して、意図的誤読丸出しの小堀桂一郎のルソー礼賛論の異常さは、彼のエセー(注8)を是非とも読んでもらえば、すぐにわかる。ルソーの「一般意思」=絶対独裁者の命令を、憲法第一条「日本国民の総意」と同義だとする小堀桂一郎の狂気は、小堀が暴力による王制転覆論のルソーを狂信する余りの、スーパー詭弁である。しかも、狂気のルソー礼賛を、選りにも選って「皇室の弥栄…を祈る」の特集号である『別冊正論 第14号』の146頁上段から151頁下段までの大長文で論及するとは、無意識下における小堀の“天皇殺し”の憎悪と妄執は、共産党員ですら驚くレベル。

 小堀桂一郎は、狂信的な“ソ連人”だった「皇国史観の教祖」平泉澄と同じく、強度の“天皇殺し”を心底に秘めている。こう喝破してこそ小堀思想の真実を穿つ“小堀桂一郎の解剖”だと言える。

 このような地道な考察と分析を重ねた上で、表2を見ていただきたい。小堀は、自分の周辺で活動する「民族系」天皇制廃止論者をいっさい批判したことがない。この事実は、何を語る?

 この異様な小堀桂一郎と全く同じ傾向を示すのが、百地章である。百地章は、自己を180度逆に見せる天才演技力を持つマルクス・レーニン主義田久保忠衛とは、日頃、実に昵懇。この事実を看過するのは、適切だと言えるか。

 尚、表2では、小堀桂一郎百地章の正体をあぶりだすため、中川八洋/新田均/渡部昇一/斎藤吉久の四名を比較対象として選択した。

表2;百地章は、民族系論壇の天皇制廃止狂徒「八名」を批難したことはあるか(未完成、作業中)

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備考;「撃」とは、「非難した/批判した」という意味の記号。

第二節 皇統の「養子」は“猶子”の事で、家制度民法の“養子”ではない

 天皇制廃止法である「1999年男女共同参画基本法」の制定以降、文字通りに天皇制廃止に暴走する日本での、オーウェル「転倒語法」のニュースピークには、天皇制廃止の即効毒薬「女系天皇」「女性宮家」「婿養子」の“悪魔の三語句”がある。皇統護持を信条とする真正の日本人なら命を捨てても、二千年皇統史の伝統破壊を阻止せんとするから、「女系天皇・反対」「女性宮家・反対」「婿養子・反対」となる。だが、「コミンテルン32年テーゼ」に立つ者は、天皇制廃止の即効毒薬「女系天皇」「女性宮家」「婿養子」を、皇統の安定的な継承のためとか、天皇のご公務の軽減のためとか、真赤な嘘ですり替えている。これ等の詭弁もまた、「戦争は平和である」としたスターリンと同じ、転倒語法(ニュースピーク)の典型。

 しかし、「民族系」で、この三本柱を揃えて正しく主張した者は、共産党員の吉川弘之が座長を務めた、首相・小泉純一郎肝いりの“赤い暴風”『有識者会議』(2005年)の前後を含めた2004~6年、一人もいなかった。本件問題で「民族系」トップ評論家の八木秀次は、「条件付きの女系天皇・反対」を叫びつつ、共産党が大拍手した「養子・賛成」論を展開した。  

 八木秀次は、附け焼き刃の“《急ごしらえ皇位継承》評論家”である上に、IQが極度に低く、「婿養子の制度化→女性宮家/女系天皇」が理解できない。いや、それ以上にIQの低さと知識の貧困さは致命的で、八木は実際に起こる現実が全く予見できない。女性天皇女性宮家や婿養子の、どの一つでも制度化される皇室典範改悪がなされた瞬間、天皇制度は一気に自壊して消滅する。それなのに、この深刻な現実事態が八木秀次には見えない。  

 共産党天皇制廃止革命を応援する積りなのか、八木秀次は奇々怪々な養子論を、小泉・有識者会議が設置される半年前の2004年5月頃の対談で展開した。

 閑話休題。『有識者会議』が設置された2005年1月よりずっと前から、その中心テーマとなる女系天皇問題や養子問題が前哨戦的に論壇で賑わっていた理由は、小泉純一郎は首相になる2001年4月の直前から天皇制廃止を筆頭の政策にすると決心し(注1)、2001年4月には共産党員の元・厚生事務次官羽毛田信吾宮内庁次長に据えただけでなく、2001年12月に積極的にマスコミに事前根回しの工作を行ったからである。

 読売新聞は、2002年3月、「女性天皇の賛否」につき世論調査をしているが、これも小泉の内意を受けてのもの。2004年5月の八木の高橋紘との対談も、この「小泉内閣文藝春秋社」で企画された(『諸君』2004年7月号)。『VOICE』2004年9月号の八木/高森/所/大原康男/福田和也中西輝政対談も、PHP小泉首相の内意を受けて、天皇制廃止を一般国民に教宣するためのものだった。

(蛇足) この大原康男の『VOICE』エセーの題名は、「欠陥だらけの皇室典範」。ということは、大原は“共産党の犬”になりきって皇室典範の全面破壊を目論んだことになる。現行の皇室典範は皇統を護持できるが、(「皇室会議」を「皇族会議」に改正する以外の)現行皇室典範のいじくりをすれば、一瞬して皇室は瓦解消滅する。大原康男は、きっと共産党に入党したのだろう、「コミンテルン32年テーゼ」を奉戴しているようだ。

八木秀次の養子論は、旧皇族への侮辱に立つ、共産党と同じ「天皇・皇族は囚人」視が基調

 八木秀次の養子論は、単に奇天烈であるだけでない。まともな人間の口からでる言葉ではない。なぜなら、こう述べているからだ。  

「旧十一宮家に属する男系の男子が、現在の内親王や女王と結婚された場合は、皇籍に復帰できるようにする方法である。・・・」(注2)。  

 この八木秀次の言説は、「旧皇族の男性に対して、内親王や女王と結婚したら、皇籍復帰してあげよう」「俺様は日本国の独裁者だ、皇族女子と結婚すれば、何でも望み通りにしてやろう」との謂いだから、こんな傲慢不遜と不敬の極みで穢れた八木のこの一文は、とても再読できるものではない。譬えれば、ある会社の社長が若い男性社員に向かって、「俺の娘と結婚すれば、すぐに部長にしてやるぞ」と同じもの。野卑きわめる言動である。  

 われわれ日本国民は、旧皇族の方々に、頭を下げて是非とも皇族に戻って頂きたいと、お願いする立場にある。そうしないと皇統は断絶する。旧皇族皇籍復帰は、日本国の皇室奉戴を救う唯一の方策であり、緊急を要している。内親王殿下とのご結婚などとは全く関係ない。

 すなわち、皇族が皇籍復帰して頂けるだけで感謝し感涙することが、正しき日本国民が有する“世襲の皇室尊崇の精神”に基づく行動である。しかも、内親王殿下や女王殿下が、皇籍復帰された旧皇族とご結婚されるか否かは、内親王殿下や女王殿下がお決めになること。何人も国家権力(法律)も、その自由を剥奪することはできない。自明ではないか。  

 八木は、旧皇族の男性男児に対しても、現在の内親王殿下や女王殿下に対しても、心理学的には、上から目線の命令をして悦に入っている。小泉純一郎野田佳彦と同じである。ルイ16世マリー・アントワネット王妃に対して囚人を扱う態度だったフランス革命時のジャコバン党が乗り移っている羽毛田信吾園部逸夫は、天皇・皇族をまさに刑務所に収監している囚人を扱う憎悪の目で見ているが、八木秀次も羽毛田や園部と五十歩百歩である。

行政や立法の実際をいっさい知らず、新聞報道の分析もしない、無知丸出しの百地章八木秀次

 純血の在日朝鮮人天皇制廃止に執念を燃やす小泉純一郎は、首相となった2001年4月から起算しても2004年暮れまで約四年の歳月をかけた研究の上に、皇室典範をハチャメチャに破壊する“皇室典範の大改悪”を目的として、それを決行することにした。2005年1月発足の、共産党員の吉川弘之が座長の『有識者会議』とは、この小泉純一郎の指示を受けた皇室典範をハチャメチャに破壊する“皇室典範の大改悪”のため設置された(法律に基づかない)首相の私的諮問会議であった。

 「民族系」論客の問題は学歴が低いだけでない。(多少は目立つ)論客人生であっても、国家のエリートとは縁遠いため、テレビのお笑い芸人と同種に成り下がっている。当然、彼らは、国政の実務部門がどう動いているかなど無教養にすぎて皆目わからない。だから、短気な小泉純一郎が、共産党員・園部逸夫が主導する『吉川・有識者会議』が2005年の年末に出す報告書の全容を、『吉川・有識者会議』が発足する十一ヶ月前、『読売新聞』2005年1月4日付けで一気に発表したのに、これを等閑視した。その内容については後述する。

 「民族系」論客のもう一つの致命的欠陥は、『有識者会議』に呼ばれて何か発言すれば、それが考慮される、すなわち若干なりとも影響を与えうるとの、幼児的な妄想をする特性。政府の審議会や諮問会議は、多様な意見を聴取したとの演技をするために外部の人間から意見を聞くふりをする。意見を聞いたからと言って、審議会や諮問会議が発足前に決めている報告書内容を変更することは、万が一にもしない。

 すなわち、皇室典範全面破壊を目指す、小泉・有識者会議が出す、そのとんでもない『報告書』を粉砕したいならば、この有識者会議で意見を述べることの方がはるかに危険な愚策。外部から、激しく非難の礫を雨霰と叩きつける策こそ、百倍も千倍も有効である。

 しかも、相手は、1999年4月~2000年3月の「宮内庁共産党細胞+内閣府男女共同参画局(全員が共産党員)内閣法制局共産党細胞」の非公式勉強会からすれば、(2005年1月の時点ではすでに)五年以上の歳月をかけてたっぷり研究して決起している。霞が関官僚よりはるかにIQや学歴で劣る八木秀次百地章その他の有象無象の「民族系」諸氏が、即製ラーメン以下の貧弱で安っぽい即製知識をいかに集合させても、審議会や諮問会議の場を通じての対抗などできる筈もない。

 民族系論客は、実は、簡単かつ確実な方法があるのに、それに気付かない。簡単かつ確実な方法とは、2005年11月に出る『報告書』の内容は読売新聞の報道で透け透けにわかっているのだから、この報告書を十ヶ月前の1月から一つ一つ丁寧・精確に論破しておく策である。が、劣悪な大学教師である上に、百地章は傲慢男、八木秀次は軽佻軽薄な売名屋。『読売新聞』2005年1月4日付けで報道された『報告書』骨子を分析すらしなかった。

皇統史を知らない無知蒙昧の百地章らしく、その養子論は皇位継承の伝統を蔑にした皇統破壊論

 そればかりか、天皇制廃止革命を決行した小泉純一郎/羽毛田信吾/園部逸夫/渡邊充(備考)“悪の四人組”は、読売新聞があまり本当のことを書きすぎたとして、慌てて、民族系騙しを商売にしている産経新聞に嘘訂正記事を書かせた。産経新聞の当時の社長は、北朝鮮人の住田良能(社長は2004年6月~2011年6月)で札付きの天皇制廃止狂徒。小泉純一郎らにすぐ全面協力した。  

備考;共産党シンパの渡邊充は1996年12月から2007年6月まで侍従長。元伯爵の家柄だが、堂上公家ではなく、諏訪藩の武士の出。羽毛田信吾は、2004年時点は宮内庁次長、2005年4月1日に宮内庁長官

 上記の読売新聞は、『有識者会議』が目指す天皇制廃止の策謀を全てバラした。①長子継承にして「女性天皇女系天皇」とする。②永世皇族制度を廃止して、皇胤が絶滅すれば即天皇制廃止が自然と起きるようにする。③女性皇族に宮家を持たせ、その婿養子に民間人を認めて、親王家=宮家を完全破壊する(注3)。  

 この三番目について、小泉総理たちは、余りに露骨すぎるので嘘修正で穏和化し、民族系の籠絡をすることにした。それが、1月22日に産経新聞にリークされたと称する「女性宮家の婿養子は旧皇族に限る、養子制度導入(=「養子の禁止」を定めた皇室典範の破壊」という真赤な嘘(注4)産経新聞の見出しは「旧皇族から養子検討」である。むろん、これは真赤な嘘報道。20005年11月の『有識者会議報告書』を見れば一目瞭然ではないか。

 これを、旧皇族の復籍を主張する「民族系」は、産経新聞の報道だったこともあり、真に受けた。特に、この嘘報道に我が意を得たりと恍惚となった“スーパーお馬鹿”が「政教分離」運動家の百地章。百地は、この報道から一年もつのに、頭が一年間休暇中だったらしく、次の戯言に酔い痴れる。    

「養子縁組の制度を復活させることです。旧皇族の男子に宮家に養子に入っていただく。その場合、旧皇族男子が宮家の女性の婿養子になって頂くということになりますと、・・・・・」(注5)。  

 学者以下の専業評論家・八木秀次や間違いだらけの『政教分離』の著作しかない六流学者・百地章は、立法において旧皇族からの養子に限り「養子を認める」などの条文が可能だと思いこんでいる。旧皇族など法令条文に馴染まないのは、中学生でもわかる。そもそも旧皇族は民間人である。「養子の禁止」を定める皇室典範第九条の削除は、何をもたらすのか。

 “女性皇族を民間人と結婚させる”ために、臣籍降下させずに女性皇族であり続けさせることは、男系男子の皇胤でない「ニセ皇族」を創る。旧皇族男子が宮家の女性の婿養子になることは、瞬時にして「天皇制度など要らない!」の大合唱が国民の大多数を占め、天皇制度の廃止が自爆的に必定となる。  

 しかも、八木秀次百地章は、思考が本末転倒している。まず、旧皇族皇籍復帰して“正しい宮家”である「親王宮家」を持てば、すべてが解決するのに、これを門前払い的に排除している。内親王も女王も、親王宮家の妃の道を選択すれば、そのまま女性皇族であり続ける。民間人の男性と結婚すれば、臣籍降下となる。皇族継続の道か、臣籍降下するかの選択の自由を、独身の内親王や女王殿下はお持ちになるべきである。  

 学者以前の無知さを恥じることない八木秀次百地章が鉦や太鼓で騒ぎまわる、「皇室典範から養子禁止条項を削除せよ」は、彼らが小泉純一郎/羽毛田信吾/園部逸夫/渡邊充の“悪の四人組”の一味になったことに他ならない。思わず古諺「馬鹿は死ななきゃ治らない」を思い出してしまった。

 もう一度言う。旧皇族皇籍復帰さえすれば、“ニセ宮家”女性宮家を創設しようとする共産党策謀も潰せるし、女性皇族が皇族の身分のまま民間人と結婚されて「男系の皇胤でない」、いわゆる“ニセ皇胤”が生まれる、そのようなトンデモ皇統断絶の危機も完全に阻止できる。旧皇族皇籍復帰こそが唯一に男系男児の皇胤を最小限の数で確保する方法である。これ以外の他策はすべて、皇統断絶に至る。

論語礼記から生まれた皇統史の“猶子(「養子」ともいう)”は、皇位等の継承とはいっさい無関係。

 読売新聞や産経新聞が2005年1月に報じた養子容認論が、男系男児の皇胤絶滅による極め付きの天皇制廃止の革命だと察知できないのは、八木秀次百地章が、①皇位継承の伝統に関してイロハも知らないだけでなく、②漢籍の基礎教養を欠く無教養人だからである。  

 皇統史に表れる「猶子」の二文字を見て、『論語』や『礼記』を思い出さないのは、彼らが学者では無いからだ。『論語』には、こうある。  

「顔淵死す。・・・回や、予孔子を視ること猶父(なお ちち、ゆうふ)のごとくす。予は顔回を)視ること猶子(なお こ、ゆうし)のごとくするを得ず」

 『礼記』の壇弓上でも、「兄弟の子、猶子なり」とある。「家」の家督相続などとは無関係に、気持ち・感情において“親子の情愛を持つ”ことを、このように「猶子」と言う。当然、両者間に限った個人的・人間的な関係で、この両者の関係は両者を結ぶ人間的側面に限られ、その範囲を越えない。日本でも、『平家物語』や『古今著聞集』などを読めば、「猶子」が、家督相続権を有するに至る「養子」とは意味が全く別だったのは一目瞭然。あくまでも親子のような感情関係を指し、またそれを擬制化した親子関係を指す語彙であった。

 井上毅皇室典範起草で直面した問題は二つ。第一は、先帝と新帝の間や、皇后と天皇庶出の皇子・皇女との間などで、皇室では武家家督相続権を有する“養子”とは全く異次元の「猶子」が広く行われており、しかも「猶子」を不用意にも「養子」とか「実子」とかの語彙で代替することも稀でなかったこと。これでは、皇室における「猶子」の儀式や関係が、何れ制定される明治民法家族法が全て武家の慣習法の援用となり、この民法上の「養子」制度と混同される危険は大であった。そればかりか、皇位継承順位を混戦させてしまう恐れも大だった。

 明治皇室典範の第五八条は、この「猶子」儀式・関係を遠回しに間接禁止させるもの。条文は、「皇位継承の順序はすべて実系による。現在皇養子皇猶子または他の継嗣たるの故をもって之を混することなし」。

旧皇族の復籍は宮家皇族間“養子の禁止”を必要とする。この条文不要論は旧皇族復籍反対論!

 第二は、井上毅がかなり怒りをもって禁止せねばと考えた、明治時代に入って開始された宮家皇族間で流行した“養子”の問題。これは武家の家制度の“養子”を模倣するもので、民法家族法の“養子”との混同は不可避だった。宮家とは男系男子の皇胤保存が任務である以上、また皇室は血の相続で家の相続でない以上、家制度の養子制度の皇統への闖入は許さないのは当然で、井上毅の怒りは理に適う。これが現行皇室典範第九条に引き継がれた、旧典範第四二条の定めで「皇族は養子をなすこと得ず」である。条文の「皇養子」には「皇猶子」を含むと『義解』は注釈している。

 明治時代初期、宮家皇族間で流行した武家の家制度的な“養子”の例。

1、明治五年、閑院宮家が、伏見宮家から邦家親王の王子・易宮を養子に迎え、宮家を相続。

2、明治五年、北白川宮家は、伏見宮家から邦家親王の王子・能久王を養子に迎え宮家を相続。

3、明治十六年、華頂宮家は、博厚王の薨去に伴い、伏見宮家の貞愛親王の王子・愛賢王を養子に迎え宮家相続。

4、明治十八年、小松宮家は、山階宮家の定麿王を養子として迎え継嗣とした。

5、明治十八年、山階宮家は、梨本宮家の菊麿王を養子に迎え継嗣とした。

6、明治十八年、梨本宮家は、久邇宮家から多田王を養子に迎え相続。

 このような無慮の“養子とり”に井上毅がいかに怒ったかは、その注釈『義解』にあらわ。「皇族互いに男女の養子をなすことを禁じるは宗系紊乱の門を塞ぐなり」と語気が荒い。  

 しかし、これほど必要明らかな養子禁止条項(現行典範第九条)を、八木や百地は軽佻浮薄に削除しようとする。たとえば八木秀次は「要は、憲法と同じく、皇室典範も九条改正(削除)で行くべし、それしかない!というのが私の結論です」と(注6)、テレビ芸人よろしくはしゃいでいる。八木のIQは、マツコ・デラックスの足下に及ばない。  

 「八木や百地はスーパーお馬鹿である」は、批判の通例を越えた“過剰に非礼だ”と思う読者がいるかも知れない。が、冷静・客観的な指摘をしたまでで、私は両名に感謝される立場にある。何故なら、旧皇族皇籍復帰をした場合、現行典範第九条「養子禁止」は、再び必要になる。つまり、両名の不要論とは、旧皇族皇籍復帰に反対する共産革命ロジックに立脚している。  

 八木や百地は、2012年、女性宮家論で、“推進派の巨魁”園部逸夫と猛激論したと聞き及ぶ。が、両名こそは、“園部逸夫の犬”である。何故なら、養子禁止を撤廃して、内親王や女王の女性皇族に婿養子をとらせることを推進しているから、それこそまさに女性宮家論そのものではないか。

 中学一年生でもわかる「養子禁止の一般規則維持が、女性宮家阻止の鍵」が解らないのは、八木秀次百地章のIQが低すぎる事実だけが原因ではない。彼らが常日頃、倫理道徳を書くナラズモノ的クズ人間であることに大きく起因している。学問には、IQ(暗記力と思考力)の高さとそれを駆使した知識の蓄積が不可欠だが、それだけでなく、倫理道徳に適う人格が決定的に左右する。両名は、このいずれでも水準以下で、学者としては“番外のクズ”にしか分類できない。

養子禁止の典範第九条を断固死守しよう、憲法第九条は断固削除して国防軍を設置しよう

 さて、紙幅が限界にきた。皇室の養子問題を知りたい読者には、拙著『皇統断絶―女性天皇は、皇室の終焉』の第三章を薦める(注7)。また、百地章の「典範養子禁止条項」削除論を批判した拙稿「女性宮家と養子は、皇統紊乱そして天皇制廃滅」も参考になるかも知れない(注8)

 

関連エントリ

生前ご譲位は皇位断絶への道

 

第一節

1、本ブログ「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』」を参照の事。

2、『国民の憲法』、産経新聞出版、2013年7月。以下、本文に頁数を記載。

3、中川八洋小林よしのり《新天皇論》の禍毒』、オークラ出版、第八章。

4、小堀桂一郎皇位の正統性について』、明成社、12~3頁。

5、高森明勅『正論』、2005年8月号、279~80頁。

6、中川八洋『正論』、2005年10月号、284~92頁。

7、継嗣令の古文が読めない、この種の無教養人には新田均八木秀次がいる。新田均については田中卓/小林よしのり/西尾幹二に対して非難をした功績に免じて余り批判したくはないが、2011年1月刊の『別冊正論、第14号』40~2頁で、新田均は屁理屈読みの「皇族男子と結婚された女性天皇の皇子」だと荒唐無稽な珍説を展開する。女性天皇は“ご懐妊の禁止”が絶対的に課せられており、皇子・皇女はお生まれになることは万が一にも無い。そのようなケースを想定すること自体あり得ない。こんな珍説奇論なら、小林よしのりと五十歩百歩。小林と新田は、相互に「眼糞鼻糞を嗤い合っている」。   

 八木秀次は、「女帝(じょてい)の子」とは皇極天皇の初婚相手の高向王との間に生まれた漢皇子のようなケースを想定したものだと、明らかに間違いのこんなトンデモ謬説を一考もせず、いつもながらの安直な引用で無教養ぶりを満開させる。『正論』2005年7月号、42~3頁。

8、小堀桂一郎「女系容認論の過誤 《国民の総意》理念の欠如」『別冊正論 第14号』、146頁上段~151頁下段。

第二節

1、「宮内庁共産党細胞+内閣府男女共同参画局(全員が共産党員)内閣法制局共産党細胞」の三者連合は、1999年4月~2000年3月、非暴力での天皇制廃止革命のため、皇室典範改悪の秘策を練る会合を重ねていた。この政府部内における密かな赤色革命勉強会の中心人物が、共産党員の園部逸夫であった。首相権限で天皇制廃止を断行しようとした“純血朝鮮人小泉純一郎が総理になった2001年4月、上記の三省庁・非公式勉強会の成果が化学反応を起こしヒドラとなった。2005年の『吉川弘之有識者会議』こそは、このヒドラの一つで最後の仕上げを担当した。公然たる対国民洗脳キャンペーンが2001年12月に開始されたのも、小泉の指示による。原稿用紙1000枚を超える私の皇位継承三部作は、これに対抗すべく、このころ準備を開始した。第一部『皇統断絶』は、2005年4月下旬に店頭に並んだ。

2、八木秀次女系天皇容認論を排す』、清流出版、74頁。

3、『読売新聞』2005年1月4日付け。

4、『産経新聞』2005年1月23日付け。

5、百地章ほか「皇室典範の改悪を許すな」『VOICE』2006年1月号、113頁。

6、八木秀次ほか「女性天皇 是か非か」『諸君』2004年7月号、53頁。

7、中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、83~108頁。

8、中川八洋、『撃論』第五号、86~103頁。

 

附記

 『平家物語』に、「入道相国平清盛の御娘(徳子、のち安徳天皇の国母、建礼門院高倉天皇の)女御に参らせ給ひけり。御年15歳、後白河法皇 御猶子の儀なり」とある。『平家物語』上、日本古典文学大系岩波書店、121頁。

 『古今著聞集』第二巻の項52に、「後朱雀天皇に入内した)麗景殿の女御、僧正(のちの大僧正「行尊」のこと、源基平の子で三条天皇の曽孫にあたる。十二歳で出家)を御猶子にして、憐愍の志 実子に過たりけり」とある。『古今著聞集』、古典文学大系、岩波書店、88頁。尚、行尊は歌人としても有名で、小倉百人一首の66番「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに知る人もなし」の作者でもある。

 上記の「猶子」事例二つだけでも、猶子と養子の、全くの相違を明らかにする。前者では、臣下の徳子は、後白河法皇と「父-娘」の関係になったが、皇族にはなってはいない。あくまでも臣籍のまま。また、両ケースは、猶子の儀式を通じて「父-娘」や「母-息子」になったが、婿養子による家督相続の家を継ぐ、そのような性格は微塵も存在しない。皇統史に数多く散見される“猶子”は、このように武家や商家の婿養子制度とは全く異なる。

 ところが、「民族系」の論客や大学教授は、皇位継承に伴い先帝陛下と新帝陛下とが猶子の儀式をする例が多々あることをもって、これを皇位継承の儀式であるかに勘違いするものが多い。例えば、島善高は、この種の誤解に走った典型。皇位継承はあくまで、“三種の神器”の継承が行われる践祚の儀と“天皇の霊的魂”が憑依する大嘗祭の挙祭によって定まる。これを完全に排撃する愚を犯し、表層の現象に短絡させていく島善高の著が、『近代皇室制度の形成』、成文堂、1~5頁。立法過程を安直に上っ面の史料読みで事足れりとするのは、木を見て森を見ないから、島のように根本的な誤謬を犯す。なお島は、百地や八木と異なり人柄の方には問題がない。

 さらに、これ等の猶子制度を先例だと錯覚・詐称して、皇室や皇統とは継承慣習の一般規則(=“法”)を全く異にする武家や商家の家督相続の婿養子制度を導入しようと、結果として“国体変革の共産革命”をなさんとしているのが、人格劣悪・学識貧困の百地章八木秀次。百地は50%共産主義になびいているし、八木は売名優先の私欲が共産党朝日新聞に、「全面対決は致しません」のメッセージを送るべく)共産党系への媚となる。

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