中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“生前ご譲位”は、皇位断絶への危険な一里塚 ──安倍・自民党は、天皇制廃止の民進党を立法から排除せよ

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋

極左思想”「立法府の総意」に思考硬直し、事の核心を忘れた大島理森衆議院議長の本末転倒

 2月20日、大島理森衆議院議長は、10に及ぶ政党・会派の代表者を集め、今上陛下の“生前ご譲位”のための立法に関する意見を集めた。衆議院議長としての大島理森の行動は、余りに浅薄。また、自分の立場(国会のトップ)への世間の評価を最優先したエゴ行動で、本末転倒も甚だしい。

 大島理森が議長権限をもって国会でやっている根回しは、国会議員全員一致で今上陛下の“生前ご譲位”特例法の採択を目指すもの。これは、一見すると理に適うかに錯誤される。何故ならば、畏れ多くも今上陛下に関わる立法で、国会で賛否を問う形や対立を避けたいというのは、天皇陛下への尊崇の表れと言えなくもないからだ。

 が、「国会において、賛否を問う形や対立を避けたい」は、望ましい形態と言えない。そのような国会審議の有りようは、事の内容によっては矮小な事柄だし、時には問題の重大な本質を抉らずにそれを隠蔽する逃避行動にもなるからだ。今般の本件問題は、我が国の皇位継承としては、異例の望ましくない皇位継承の在り方に直面している事態を直視することがまず先決。となれば、数百年のスパンで考えるべき超長期的な「永久」においては、今般の特例法は果して皇室・皇統の基盤強化を高めることが困難な現実を克服できるや否やが問題の中心で、衆議院議長が腐心すべき核心。

 情況からして、「国会における、賛否を問う形や対立を避ける」=「立法府(国会)の総意」などは、皮相的問題。この際、きっぱりと斬り捨てるのが日本国の真正の国会なら選択すべき道だろう。この意味で、残念ながら、大島理森は知識も知性も貧困にすぎて視野狭窄に陥っている。「理森」という名前とは真逆に、大島議長は樹を見ても「森を見ていない」。

 すなわち、一歩間違えば皇位断絶への重大な法的瑕疵となる怖れがある今般の“生前ご譲位”問題に対処するには、露わな天皇制廃止を秘めた実に巧妙な甘言・詭弁が想像以上に国会内に横溢しているから、大島理森が真正の日本国民ならば、これら「天皇制廃止を秘めた、実に巧妙な甘言・詭弁」を果敢に排撃・粉砕する方を最優先すべきである。「立法府(国会)の総意」など、問題として取るに足りない枝葉末節だし、有害な拙慮甚だしきものと言わざるを得ない。

第一節 天皇処刑or天皇制廃止を意味する二文字魔語「退位」を厳しく禁止せよ!

 「天皇制廃止を秘めた、実に巧妙な甘言・詭弁」の最たるものは、何といっても悪魔の二文字「退位」。自民党ですら正しい語彙「譲位」を用いていないし拘ってもいない。どうしてなのか。 例えば、自民党には座長・高村正彦副総裁の下で「天皇の退位等についての懇談会」があるように、天皇制廃止の好機とばかりに大キャンペーンを張る朝日新聞NHKその他のテレビ報道に洗脳されて、驚くなかれ「退位」という、一種のコミンテルン用語を平然と使っている。自民党国会議員ですら、共産主義者天皇制廃止用語「退位」を用いるものが過半。何という体たらくか。  

 第125代「今上陛下」に到る約二千年の歴史をもつ日本国の皇位継承において、「退位」は一度として存在したことはない。皇位は、一秒の間を置かず、先帝から今上へと直ちに践祚(備考)されてきた。つまり、日本国の皇統史においては、天皇の生前譲位はあるが、天皇生前退位など全く無い。

(備考)践祚とは、先帝の崩御の瞬間に新帝が皇位を践(ふ)まれることを言う。皇位は寸秒の隙なく連続している。即位とは、正しくは即位の大礼を指し、皇位を継承することの意味は元来無い。践祚は事実で、即位は儀式である。  

 日本で奇天烈な二文字魔語「退位」が大手を揮って登場したのは、敗戦となった1945年8月からしばらくの間のみ。昭和天皇大東亜戦争の責任をとらせて処刑に処し、天皇制廃止を達成せんとする共産党が牛耳る)朝日新聞などの共産革命勢力がキャンペーンしたためだった。彼らは、ロシアの共産革命成功祈願として“王様の生き血を供える人身供犠”だったニコライ二世殺害(処刑)を、そっくり昭和天皇に当て嵌め実行しようと企んでいた。その方法の一つが、東京裁判昭和天皇A級戦犯として裁いてもらい、あわよくば処刑してもらおうと、そのためにも「退位」は絶対だった。

 退位すれば元・天皇にすぎず、一般国民になる。当然、聖性も無答責の特権も消滅する。東条英機と同列に処刑できる。なお、皇帝ニコライ二世および皇后ならびに皇子/皇女すべての処刑は、皇帝が軽々しく「退位した」1917年3月から、僅か一年四ヶ月後の1918年7月だった。レーニンら共産主義革命家たちの悪鬼的な恐ろしさは、皇帝とその家族銃殺に到る歴史をまとめた本に明瞭(注1)。日本国の皇統を守らんとする真正の日本人なら、この書は精読すべきである。私は、この本を涙なしには読むことができなかった。

 エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の「退位→処刑」も、ニコライ二世殺害をそっくり模倣したもの。“アフリカのレーニン”を自称する血塗られた共産主義者メンギスツは、レーニンに倣い、革命直後に皇帝に「退位」を強制し(1974年9月2日)、その一年後に惨殺した(1975年8月27日)

 「譲位」は皇統の連続を前提とした語彙。しかし、「退位」は、処刑への13階段を含む、王制廃止語彙。「譲位」と「退位」の相違は、このように、天と地の差。日本国二千年の皇統史には「譲位」しかない。しかし今や、極左革命語彙「退位」が、日本中を駆け巡っている。今の日本は、本来の日本ではない。大島理森よ、高村正彦よ、悪魔の共産革命用語「退位」を、国会から/自民党から、そして日本から一掃する義務と責任を直ちに果せ!

皇室典範は、皇祖皇宗の遺意を承けた皇室の家憲。国会議員ごときが関与・介入してはならない。  

 悪魔語「退位」と同等に恐ろしい、「皇室典範に退位の定めを!」という“悪魔の天皇制廃止思想”もまた、昨年8月以来、燎原の火のごとくに国会を席捲してしまった。自民党議員からも多数が加わっており、今では国会議員の約半数近くが皇室典範改悪教の信者になった。

 自民党の例を挙げれば、天性の嘘つき屋で隠れコミュニスト石破茂は、慎重にあからさまな極左革命語彙「退位」を使用していないが、共産党社民党と同一の政治信条「生前ご譲位を恒久化する皇室典範改悪をせよ」を自分のブログで公然とアッピールしている(1月31日)。この石破ブログが挙げる参考図書リストには、真っ当な本が一冊もない。全冊が、共産党員/隠れ共産党員/北朝鮮人が書いた天皇制廃止を信条とする“非・国民”本ばかり。石破茂が「コミンテルン32年テーゼ」の信奉者なのを一目瞭然に立証する「読書リスト」になっている。

 石破茂は、共産党社民党かに入党すべきである。石破茂よ、慶応大学在学中に共産党員だった過去を隠すな!石破茂の顔は、凶悪殺人鬼の目つきで怖すぎ、誰も正視できない。これほどひどい殺し屋風の目つきと異様な顔は、石破茂が“稀代の365日/24時間嘘つき”であるが故に形成された。もう一度言う、石破茂よ、共産党に入党せよ。自民党から出て行け!そうすれば、その殺し屋風の目つきは、多少は改善されるだろう。

 さて、皇室典範とは何か。明治日本で群を抜く未曽有の碩学だった井上毅の定義を越えるものは無いので、以下に引用する。

皇室典範は皇室自らその家法を條定するものなり。・・・已むを得ざるの必要によりその條章を更定することあるも、また帝国議会の協賛を経るを要せざるなり。蓋し、皇室の家法は、祖宗に承け子孫に伝ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。また、臣民の敢えて干渉する所に非ざるなり」(注2)。  

 明治天皇が満腔の賛意をもって嘉賞された、偉大な「明治皇室典範」のこの奥義において、今般の今上陛下の御諚(ごじょう、仰せごと)は、畏れ多いことながら、皇室の家法に明らかに違背されておられますと申し上げるほかない。陛下であろうとも、典範の「摂政」の定めを改変することはできない。摂政の定めは、今上の天皇陛下がご任意に制作(=ご改変)できる定めではないからである。  

 同時に、この摂政の制度が定められている皇室典範を、国会や国会議員がいじくり回すことはできない。皇室典範に対して、国会議員は敬して拝するのが最小限の心得。この心得がない国会議員は、赤い支那人である民進党蓮舫と同じで、日本国の国会議員ではないし、日本国民ですらない。  

 安倍晋三は、陛下の本件御諚を特例法で乗り切ろうとしているが、これは百点満点で「50点」。なぜなら、総理大臣として陛下に摂政制度をご納得いただけるよう最善を尽くすのが臣下の道。この努力が足りないのは歴然としている。安倍総理がなすべき(御諚を是非とも御撤回されますようとの)奏請について、その内容は非公開でいいのだが、「奏請した」とは我々は寡聞にして聴いたことがない。  

 とはいえ今般の安倍の動きは、今上陛下のこの御諚に便乗して天皇制廃止に暴走する“コミンテルン革命家”石破茂の「マイナス500点」からすれば、“はるかにまし”なのは事実。また、「立法府の総意」を求める余裕などないのに、この迷妄な謬論に頭をやられて迷走する大島理森の「プラス5点」からすれば“少しはまし”。  

 仮に、安倍晋三の特例法で“本件御諚による皇位の危機”を乗り切ろうとするなら、この特例法は、今上陛下の崩御と共に、跡形もなく霧と消えるよう仕上げて置かねばならない。現在、大島理森が、この特例法の根拠規定を皇室典範に定めることは、皇室典範への破壊sabotage行為の何物でもない。烏滸の沙汰も甚だしい。大島理森よ、血迷っても、本件特例法で、皇室典範に指一本触ることは断じてしてはならない。

世襲皇位”の悠久と日本国民の“世襲の忠誠義務”は一心同体。後者を欠く蓮舫を抛り出せ!

 民進党が、皇位問題に関する立法に関与してはならないのは、関与できる資格をいっさい有さないからで、当然のこと。天皇・皇族も皇室の家憲“皇位継承の法”に準拠しなければならないが、日本国民も皇位継承に関して“世襲の忠誠義務”を果さなければならない。民進党は、“世襲の忠誠義務”を果していないだけではなく、民進党には“世襲の忠誠義務”を果す資格が初めから存在していない。  

 「天皇・皇族・皇室に対する“世襲の忠誠義務”」については、井上毅は、明治皇室典範に何らの定めも設けなかった。その必要が全くなかったからだ。明治日本においては、「天皇・皇族・皇室に対する“世襲の忠誠義務”」が、日本列島をところ狭しと満ち満ちており、すべての日本人の血肉になっていた。だが、それから百年以上が経った今日の日本は、「天皇・皇族・皇室に対する“世襲の忠誠義務”」を日本人に再教育する必要が喫緊なほど、“非国民たちの跋扈”が常態の惨状となった。

 悲しいことだが、これが日本の現実。そこで、井上毅に匹敵する、英国の偉大なジョン・サマーズ卿が原案を書いた「1689年の権利章典」を引用し、「天皇・皇族・皇室に対する“世襲の忠誠義務”」とは何かを概説する。「1689年の権利章典」には、“生前ご譲位”という“皇位の危機”に瀕した、平成日本が取り戻すべき「天皇・皇族・皇室に対する“世襲の忠誠義務”」につき感動する見事な言及がある。その文の一つはこうだ。

「前記の僧俗の貴族および庶民は、その相続人もそのまた子孫も永遠にわたって、先に述べた全国民の名において、最高の恭謙と忠誠をお誓い申し上げつつ(most humbly and faithfully)、この事に従いますsubmit。すなわち、前記僧俗の貴族および庶民ならびにそれらの相続人はその子々孫々に至るまで永久に、前記両陛下(ウィリアム国王とメアリ女王)(この章典に明記された)その限嗣継承順位に従って王位に即かれる将来の国王陛下のために、これに反するすべて人々に対抗して、生命を賭けて財産もなげうって全力をあげて闘い、これらの玉座を護持し防衛いたす忠誠の義務をご誓約申し上げますdo faithfully promise」(注3)。    

 王制の王位は世襲において正統性(せいとう性legitimacy)が付与され、この世襲により王位は「正統 しょうとう right lineage」に順位正しく継承されていく。余談だが、『神皇正統記』の正統(しょうとう)を、意味において正統(せいとうlegitimacy)と誤解釈したトンデモ馬鹿がいる(備考)。度外れの無学・無教養“お馬鹿”集団「民族系」論客の一人、小堀桂一郎である。保守主義に立脚する正しき日本国民は、“愚者”が跋扈する「民族系」を他山の石として傲然と蔑視し、自らには謙虚に遜り知を磨く研鑽を怠らぬよう努められて頂きたい。  

(備考) 「正統(せいとう)」の対置語は「異端」。「正統(しょうとう)」の対置語は「傍統/支統/支系(lateral lineage)」。  

 話を戻す。王位と同様に、最高の政治制度として立憲君主制を奉戴する国民もまた、世襲において玉座護持の名誉ある義務を光栄にも付与されている。正しき日本国民について言えば、日本列島に生まれると同時に、皇位を護持すべく生命も財産も擲つ“世襲の忠誠義務”を課されている、その事自体を至福とし歓喜しなければならない。だから、正しき日本国民は、皇位を護持する高貴な義務を履行することを、栄誉と言うより、最高の美徳だと、この日本国に生まれた“運命の生”を神仏に感謝するのである。

皇位継承問題は、天皇制度護持に自ら命を投げ捨てる“真正の日本国民(臣民)”のみ関与できる

 話を、大島理森が拘泥する「立法府の総意」に戻るとしよう。大島理森が、最優先的になすことは、本件「生前ご譲位」問題に関与できるか否かにつき、国会議員を厳正に峻別し差別することである。特に、「コミンテルン32年テーゼ」を信奉している共産主義者はむろんのこと、金正恩習近平を心底では崇拝・心酔する国会議員を静かに排除することである。

 また、イデオロギーが前面に出ていない国会議員であっても、皇室典範の改悪に踏み込もうとしている輩については、全員を天皇制廃止の容疑者として扱い、本件「生前ご譲位」の論議から、人知れず排斥していくことである。要するに、大島理森は、皇室もしくは天皇制度そのものへの尊崇があるならば、特例法を圧倒的多数で採択しようなど、本末転倒で有害ナンセンスを目指してはいけない。考えてもいけない。あくまでも、特例法の制定を天与の機会として、“世襲の皇統護持の義務”に生きる正しき日本国民を結集し、皇統の悠久に貢献すること、これに尽きよう。そして僅かでも、皇室典範に一字たりとも触れないことに、衆議院議長の政治生命を賭けるべきだ。

 国会は、皇位継承問題に関しては、皇位継承を合法化する機関ではない。今般の皇位継承が古来からの皇位継承“法”に則っているか否かを判断する一種の裁判所だと自覚されたい。

 話を戻す。大島理森は、外省人台湾国籍の父の心に従い、習近平支那本土を帰郷すべき故郷だと永年考えてきた蓮舫を代表とする民進党を、本件「生前ご譲位」問題に加担させてはいけない。理由は簡単明瞭。このような蓮舫を代表に選ぶ民進党に、皇位を護持するに命を擲つ“世襲の忠誠義務”意識などあろうはずもないからだ。蓮舫が皇統問題に不適格である事実は、議論する以前に明らかなこと。現に民進党は、「生前ご譲位」問題に便乗して、女性宮家などの天皇制廃止運動に躍起である。民進党は、日本国の政党ではない。  

 また、天皇制廃止を信条とする“悪の非・国民”菅直人/福山哲郎/細野豪志/辻本清美など、北朝鮮人だけでも十五名以上が屯する事実を慮れば、民進党国会議員皇位を護持するに命を擲つ“世襲の忠誠義務”意識など存在しないのは明らか。なお2010年8月、菅直人は首相時代、天皇の名を騙って、自分の祖国・朝鮮半島宮内庁が保管していた「朝鮮王室儀軌」を返還した。このように、不敬罪に該当するレベルで“世紀の詐欺”を平然となす犯罪歴いっぱいの朝鮮人菅直人がいる民進党に、本件に関与させない方が道理に適う国会審議の有りようである。  

 民進党ばかりではない。社民党も、福島瑞穂北朝鮮人たちの巣窟。小沢一郎も母親が朝鮮人のハーフだが、狂信的な毛沢東系の社会主義者であることにおいて、福島瑞穂と同レベルの「北朝鮮人」に扱うべきである。特に小沢一郎とは、2009年12月、習近平・国家副主席が今上天皇の謁見を賜われるよう、その手続きを宮内庁に強要した不敬事件の張本人で、まさしく“害虫の外国人”。

 小沢一郎から本件「生前ご譲位」問題の意見聴取をすること自体、天皇陛下に対する不敬以上の天に唾する冒涜行為。こんなことが、なぜ大島理森にはわからないのだろう。小沢一郎とは、日本国に存在してならない“非・国民の害獣”。大島理森小沢一郎に語る言葉はたった一言、「さっさと北京に移住して、日本から出て行け!」。

今上陛下のテレビを通じた御諚が“法”であるから、根拠法は冗長・夾雑で必要がなく、有害無益

 大島理森は、特例法の根拠法を思案している。だが、この大島の悩みは、過剰防衛的で、要らぬお世話である。本件特例法は、皇室典範に基づくものではなく、それに悖るのだから、皇室典範をいじくり回し尤もらしい条文挿入など許されない。では、この特例法の法的根拠をどこに求めるか。

 答えは明瞭。今上陛下がテレビを通じて国民に優しくお述べになられた「2016年8月の御諚」が“根拠法”である。いや正確には、「2016年8月の御諚」こそが、根拠法の上位にある“法”に当る。  

 裁判官ブラクトンやエドワード・コーク卿を持ちだすまでもなく、上位の“法”に従って下位の法律を立法することを“法の支配”と言う。陛下の御諚が“法”である以上、特例法に根拠法を求めることは、屋上屋を架す“冗長な愚”であって、不適切の極み。  

 さらに喚起しておきたい。御諚に基づき国家の最終意思とした先例を踏襲する叡智を、日本国民は失ってはならないことだ。1945年8月14日午前11時の、御前会議における昭和天皇の御諚は(注4)明治憲法が定める条文に違反するが、明治憲法を超える上位の“法”として国家の意思となった。「ご聖断」ともいわれる「ポツダム宣言受諾の御諚」がそのまま詔書となり、翌日の8月15日正午、「玉音放送」としてラジオを通じ全国民に流された。  

 皇室典範に違背する今般の今上陛下の御諚は、昭和天皇の「ご聖断」の先例に従い、恐懼して慮れば、そのまま崩御とともに跡形なく消滅する)特例法にする方策が正しい法的措置で、これ以外の模索はすべて間違っている。そのようなものは必ず皇統の将来に治癒し難い重大な禍根を残す。

第二節 皇位は“世襲の法”、憲法第一条「国民の総意」は、“法”違背の謬論・暴言

 大島理森が愚かにも謬念「立法府の総意」を信じているのは、憲法第一条のトンデモ思想「国民の総意」が刷り込まれたからだろう。「国民の総意」が、(立法に優越する、古来からの伝統と慣習が積み重なって昇華して自生的制度となった)“法”に違背するのは、日本国の皇位継承の“法”が世襲原理であり、国民の意思を完全排除することを“法”としているからだ。

 大島理森のこの暗愚は、大島一人の責任ではなく、広く日本国民にも責任がある。なぜなら、迷妄の謬語「国民の総意」を憲法第一条から削除する正しい憲法改正を急ぎ行う必要があると考えている日本国民が、恐るべきことに、「私などごく少数」になってしまい、日本から真正の日本国民が消えたこの情況が“暗愚”大島理森の迷走を生んだと考えられるからだ。“憲法改正の権化”安倍晋三ですら、妄語「国民の総意」がある憲法第一条後段を全文削除する憲法改正をしようとは、一度も口にしたことがない。  

 また、今上陛下が、皇室が決して口に出すことはむろん、発想すらしてはならない「生前ご譲位」を御諚されたのは、今上陛下を含め皇族全体が、皇室の藩屏を剥奪した異常環境を政治家が戦後七十年間も放置して、孤独を強いた/強いられたことが主たる原因である。「生前ご譲位」問題が発生した2016年8月、多くの識者が口を揃えて「摂政摂政!」と大合唱した。「摂政摂政!」の叫びは、法理上は正論。

 が私は、この“法理上の正論”に、寒々しさ/空々しさが強く募ってくるのを押さえることが出来なかった。この“法理上の正論”には、今上陛下への臣下としてor国民として抱くべき至誠の忠義や恋闕が欠いており、それがあからさまに不在であるのを感得したからだ。何故に美徳に満ちる今上陛下がかくも明白な皇室典範に違背する“生前ご譲位”を仰せになられたのかを慮って、その責任と罪がある国民としてどうすべきかと懊悩する“世襲の忠誠義務意識”が欠如した、大学での試験答案を書くような軽佻浮薄な“法理上の正論”だったからだ。

刑法に不敬罪を復活し、朝日新聞皇室典範を遵守させ、天皇・皇族等への尊崇精神を再建せよ

 すなわち、今般の陛下の御諚に関しては、国会も含めた国民は、コインの裏表のように不可分の二つの義務を同時に果たす必要がある。コインの表は特例法──どれほど危険性の少ない特例法になるかはまだ不明だが──、コインの裏は今般の「生前ご譲位」のような“天皇による皇位への叛乱”が決して発生しないような、天皇・皇后両陛下を始めとする皇族の方々がもっとゆとりのある私的空間・時間を持たれる皇室環境を整備することである。

 コインの裏とは、卑俗的な表現を許して頂ければ、天皇・皇后両陛下を始めとする皇族の方々が、精神の健康維持に不可欠な“癒し”の働きが絶大なものをいう。いや、このようなvisibleな制度改善だけでなく、それよりも日本国民が保持すべき皇室尊崇というinvisibleな精神・思いこそ早急に再建・再生しなければならない。国民挙げての皇室尊崇という熱き恋闕の精神に囲まれた時、天皇陛下や皇族の方々に心の安らぎが回復され得る。

 つまり、コインの裏は、visibleな制度の改善とinvisibleな国民の皇室尊崇の精神の復活の、二つから構成されている。後者のinvisibleなものとは、一例を挙げれば、次のようなもの。

 朝日新聞を始めとする新聞・テレビは、天皇陛下や皇族の方々に対して敬語使用を「平等」に反するとの、ルソー発祥のカルト宗教的ドグマにおいて、それを拒否する。その流れで、五人の子供を産むやすぐ捨てた狂人ルソーが妄想したカルト「平等」教理を振りかざし、皇室典範第23条の2(備考)が定める敬称すら拒絶する。

(備考)第23条の二;「(陛下を敬称とする天皇/皇后/太皇太后/皇太后)以外の皇族の敬称は、殿下とする」。

 「皇太子殿下」とか「皇太子妃殿下」などの正しい言葉・表記は、いつしか死語になって、久しくお目にかかったことはない。皇室典範に違反する新聞・テレビの、このような永年の教育宣伝(アジプロ)報道記事に洗脳されて、一般の日本人はゲス人間に成り下がって「殿下」の言葉を失った。現在の日本人小学生は、自分たちが奉戴する近未来の天皇である「悠仁親王殿下」の「親王」や「殿下」の語彙をしらない。その親の世代、三十代・四十代の日本人が、これ等の用語が皇室典範の定めである事すら知らないからだ。知らなければ教えることすらできない。

 右派と誤解されている産経新聞もまた、内実、朝日新聞の弟分だから、皇室典範第23条に違反する報道記事の常習犯。要は、日本の新聞・テレビは、一紙・一局の例外すらなく、全紙全局が一丸となって、八十年前の「コミンテルン32年テーゼ」を奉戴している。だから彼等は、敬語・敬称廃止の共産革命運動に全力投球をする。「invisibleな国民の皇室尊崇の精神の復活」への第一歩は、このように「日本人から皇室への尊崇や義務意識を剥奪せんとする」日本の新聞・テレビを排撃粉砕するのが先決で、ここを突破する以外に、日本国の存立できる道はない。  

 もう一例あげる。精神分裂病ニーチェ系の天皇制廃止狂アナーキスト西尾幹二が書き殴った、悪魔すらたじろぐ“不敬の妄書”『皇太子さまへの御忠言』(2008年)に対して、不買運動はむろん、大規模はおろか小規模の西尾幹二糾弾デモが杉並区善福寺で発生しなかった。杉並区善福寺で火災も起きていない。日本人から、皇室の尊厳を守らんとする健全な精神は完全に消失した。

 もしも、これとは逆の情況が草莽の国民の間に熱く沸き起こるならば、この時初めて、皇室の尊厳を護持し防衛せんとする「invisibleな国民の皇室尊崇の精神が復活する」芽が生まれてこよう。が、今や、これは希望的願望を空しくするばかり。

 「invisibleな国民の皇室尊崇の精神の復活」とは、ルソー系の朝日新聞ニーチェ系の西尾幹二に対して直ちに糾弾や攻撃の剣を抜く、“世襲の忠誠義務”を果敢に履行する、正しき皇室尊崇の精神を持つ日本国民を育成することが第一歩だが、問題は、それをどうやってするかだ。

旧皇族皇籍復帰と公家制度の復活は、今上陛下の「生前ご譲位」撤回を祈る国民の義務の一つ

 皇室典範に違背して摂政をご拒絶された今上陛下の「生前ご譲位」のすべての責任と罪は、われわれ日本国民にある。政治家の罪は万死に値する。今上陛下の国事行為とご公務に対する至誠のお働きは、われわれ凡庸な国民のなしえぬ至上の倫理・美徳の顕現という他なく、恐懼至極。この故に陛下を仰ぐとき、私はいつも頭が低く垂れる。

 前述した通り、戦後日本は、政治家の決断だけでできたはずの“visibleな制度の改善”を、七十年間に亘り、しようとはしなかった。皇室を奉戴し皇統護持のためには、十全な皇室の藩屏の制度が不可欠だが、この「十全な皇室の藩屏の制度」を整備する動きが、日本の政界では全く不在だった。

 皇室の藩屏の整備とは、旧皇族皇籍復帰と公家制度の復活の二つを指すが、1960年代の永田町には東京大学三年次生の)私の説得に(備考)、この二制度の必要不可欠性だけならまだ知る/そうあるべきだとの信条を持つ国会議員が前者では百名ほど、後者では五十名ほどがいた。が、この方向の立法その他で動いてくれる政治家は一人もいなかった。旧皇族皇籍復帰は、特例法の制定一本で可能なのに、「誰か他の国会議員が音頭をとって推進すれば、必ず賛成します」ばかりだった。自ら、このリード役を買って出ようとする国会議員は一人もいなかった。票にならないからだ。

(備考) 当時の東大は、1970年以降の(他の大学より頭がいいだけが評価の)東大とは異なって、まだ「東京帝国大学」扱いだった。「帝大生」の東大生であることが社会的地位をもち、いかなる国会議員であれ、東大生の訪問希望には多忙を理由に拒否することなど決してできなかった。他大学の学生と会合で一緒になった場合、私大の早慶の学生は東大生の下座の椅子に座るのが慣例で、東大生が同列に扱われる現在の風潮は、私には理解を超える。民間企業ごときに他大学生と同じ部屋で机を並べて入社試験を受けている東大生の光景は、絶句どころでなく失神しそうだ。

 公家制度の復活の方での、永田町廻りの情況はかなり厳しかった。理由は、憲法第十四条第二項に「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」の条文があるからで、この憲法の禁止条項をどう潜り抜けるかが議論の中心になり、積極的に推進しようの段階に話が進まなかったからだ。

 20歳であった当時の私の憲法第十四条第二項のoverride方策は、1950年の文化財保護法を用いて旧公家を人間国宝に指定し、約100家の旧・堂上公家の当主を集合した“旧公家・人間国宝の民間団体”をつくる案だった。人間国宝であれば、かなり高位の叙勲ができるから、それをもって旧華族爵位に代用しようとしたのである。公家制度を復活する趣旨に賛同する国会議員も、そのほとんどが、この具体的な中川奇策には黙っていた。絶句していたのかも知れない。

 話を、1965年から五十二年後の2017年の現在に飛ぶ。もし安倍晋三憲法改正が本心であれば、その優先順位は次の通りでなくてはならない。第一優先は、言うまでないことだが第九条の全面改正。第二優先は、憲法第一条後段「主権の存する日本国民の総意に基づく」を全面削除し、条文をただの一行「天皇は、日本国の元首であり、日本国を代表する」とする(注5)。第三優先は、憲法第十四条第二項「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」の全文削除。

公家制度の廃止はGHQではない。内閣法制局の赤い官僚と衆議院社会党議員の暗躍の成果

 余談。公家制度を廃止したのは内閣法制局の日本人官僚と衆議院国会議員たちで、ホイットニー民生局長のGHQ憲法原案では、公家制度も爵位もその残置を容認していた(注6)。その条文は次のように、「新憲法発布時点に華族であったもの一代かぎり」になってはいるが、占領終了とともに日本が憲法改正し、この「一代限り」を外すだろうを前提にしていた。

GHQ憲法草案第13条(1946年2月13日)

華族の称号爵位の授与は、今後は、国家的・国民的な政治権力を伴わない」

華族としての権利は、皇族のそれを除き、現存する者一代限りとする。栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない」(注6)

 このGHQ憲法原案第13条を、GHQの了解を経て国会に提出した「修正・日本政府原案」は、第97条に下げた。その上で、衆議院内閣法制局の工作で、日本側が、この日本政府修正案第97条をばっさりと削除した。日本側の方が、マルクス・レーニン主義者が跋扈しており、GHQをうまくだまして一気に日本の共産革命を達成しようとした。その一環で天皇の藩屏を完全破壊して消滅させるため、周到なアジェンダをつくって、上記のGHQ憲法原案第13条の完全削除を実行した(注7)。  

 当初、「GHQは公家制度を残置する」旨が内奏されていた昭和天皇は、この急転直下の事態に驚き、幣原喜重郎・首相に、まだ日本政府案が国会の承認を得てない時点であるから、「日本政府案第97条GHQ憲法原案第13条)につき、削除方針を撤回して、堂上公家だけはやはり復活したい」旨、急ぎGHQから了解をとるよう命じた。が、脳天気な幣原喜重郎は、これを閣議に諮った。極左岩田宙造・司法大臣が猛反対し(注8)、結局、日本政府案第97条(=GHQ憲法原案第13条)を削除したいとの、GHQへの日本側途中経過報告が確定した。

悠久の皇統護持は“法の支配”遵守の皇位継承が基盤。が、“法の支配”を理解する日本人はゼロ

 さて、本稿の第一節で、“法の支配”について多少触れた。英米憲法思想である“法の支配”について、日本の憲法学者は全員が完全に無知。つまり、彼らが“法の支配”を口にする時、それは思い付きのデタラメの吹聴だから、一種の犯罪。全く知らないのに知ったかぶりをする憲法学の大学教師とは詐欺師にほかならない。懲戒処分に付されるべきキャンパス犯罪である。

 なぜ、そうなのか。日本の憲法学者は90%以上が共産党員や中核派・核マル派出身者で、反・英米憲法思想を信条とするからである。また、“法の支配”を理解するには、エドワード・コーク卿の『英国法提要』&『判例集』13巻を必ず読まなければならないが、大部すぎて読む能力が、民族系を含め日本の憲法学者の全員に欠如しているからである。例外者は、一人もいない。

 そもそも日本では、エドワード・コーク卿の『英国法提要』&『判例集』13巻を備えている大学が極めて少ない。(合計して100万円をはるかに超えるから)私費購入には金額が高すぎるし、読まない/読めないから私費購入する日本人憲法学者は文字通りのゼロ。例外は、私と伊藤正巳の二名のみ。

 例えば、東京大学法学部図書館には、十三巻の『コーク判例集』が一巻も入っていない。『英国法提要』の方はあるが、購入してすでに数十年経つのに、頁をめくるとインクの匂いがぷんとした。誰一人として読んだ者がいないということ。実際にも数十年に亘って借り出したものが一人もいない。東大卒の長谷川恭男や木村草太は、“法の支配”について、実は口から出任せの騙りで語っている。両名は詐欺師である。

 それはともあれ、法の支配について、簡単なおさらいをしておこう。手短な入門書としては、ハイエク『自由の条件憲法』がよい(注9)。“法 Laws”とは、国会や国王などによる法律(statute、成文法)勅令(法律と同等)の立法(legislation)を制限・規制する“上位の法”を指す。

 法律や勅令(トランプが連発している、米国の大統領令は、これを後継したその変形)は、ある時期/ある行政に必要なものであれば、法治主義の要請から立法されるが、それ故に永久的で一般規則的であることから逸脱する。そればかりか、恣意的な一時的法律が立法されるのは避けられない。それではこの法律は誠実な公的正義との合致がもたらされない危険性を孕む。自由を侵害する危険性も孕む。中・長期的には、確実に大きな弊害を生む危険性も高い。この故に、法律の立法を規制(=支配、rule)する“法の法(leges legum)”が不可欠となる。

 このように、法の支配の“法”は、明文化されたものであっても法律ではなく、あくまでも“法”である。前述の「1689年の権利章典」は、明文化されて法律の形式となっているが、英国では“法”に扱い、法律ではない。英国では「憲法的文書」などとも言うが、“法”だとの意。英国には明文憲法は無いから、「憲法的文書」とは日本のニュアンスでは、「国体constitutionの法」とでもいうのだろうか。

 井上毅が起草した明治皇室典範は、2000年間にわたる(122代の)皇位継承の一般規則を明文化した永久法だから“法”であり、法律ではない。法律でないから、改変してはならない。法律ではないから、国会でいじくってはならない。「不磨の大典」とは言い得て妙である。

 特に留意すべきは、博覧強記の抜きん出た碩学であった井上毅は、122代の皇位継承の歴史を具に検証して(注10)、最も確実で安全な“証明済み”皇位継承を一般規則化して明文化に成功した。当然、永久の真理である“法”となった明治皇室典範に違背する特異な皇位継承は、必然的に自傷と禍根をもたらすことを免れない。

 すなわち、今般の今上陛下の御諚「生前ご譲位」が、天皇制度の自壊への大きな慣性力となることは避けられない。特例法では、この問題を解決できない。故に、可能な限りのマイナス最小化を図った特例法にする叡智を絞ることに全力をあげるほかない。

 紙幅が限界なので、ここでいったん擱筆。後は次稿に続く。

(3月1日記)

 

1、ロバート・マッシー『ニコライ二世とアレクサンドラ皇后』、時事通信社、1997年。なお、大東亜戦争は、共産革命の代用であり、レーニン共産革命を模倣したものだから、昭和天皇の処刑場も作られていた。長野県松代にある大本営に隣接して造られた「皇居もどき」は、昭和天皇と皇后を監禁する(処刑前の)拘置所であった。 スターリン/べリヤに直属するロシア工作員で“赤の権化”阿南惟幾らが、1945年8月14日深夜、昭和天皇の逮捕・拘禁が目的の宮城クーデターを敢行したように、もし昭和天皇が松代に行幸されておられたら、阿南はこのとき、スターリンの命令のまま、松代「皇居もどき」の近傍で昭和天皇を銃殺していただろう。嘘だと思う者は、じっくり“松代の遺跡”を見学せよ。

2、伊藤博文(実際は、井上毅著『帝国憲法 皇室典範義解』、国家学会、昭和5年版、143頁。

3、『人権宣言集』、岩波文庫、86~7頁。訳は一部改良した。なお、この表題は間違っている。英国でも米国でも憲法関連文書はすべて、フランス革命思想の「人権」を全否定するか排除している。「《国民の権利》宣言集」と訂正する場合に限り、正確ではないが、間違いとは言えない。

4、『終戦工作の記録』下、講談社文庫、490~2頁。

5、中川八洋『国民の憲法改正』、ビジネス社、13頁。

6、高柳賢三ほか編著『日本国憲法制定の過程 Ⅰ』、有斐閣、274頁。

7、日本側こそが公家制度を含む華族制度を廃絶した歴史事実については、かなり歪曲・粉飾が激しい次の資料でも、その基本部分は明らか。佐藤達夫(当時、内閣法制局次長)日本国憲法誕生記』、中公文庫、154頁。実際的にも、「公家制度を含む華族制度の廃絶」は、共産主義シンパ佐藤達夫の暗躍の成果。佐藤達夫『日本国憲法成立史』第三巻、有斐閣、286~7頁。

8、『芦田均日記』第一巻、岩波書店、90頁。

9、『ハイエク全集』第六巻、春秋社、第11章&第12章。

10、井上毅の2000年間にわたって連綿たる皇位継承の全ケースの研究と知見の全てを、現代にそのまま発掘したのが、中川八洋皇位継承三部作」である。すなわち、中川八洋の『皇統断絶』『女性天皇は皇室廃絶』『悠仁天皇皇室典範』とは、明治皇室典範を起草するに井上毅が頭の中に集積した“皇位継承の歴史情報”をタイムマシーン的に平成時代に精確無比に活字化したもの。私には明治皇室典範を起草した井上毅ほどの頭脳は無いが、その基盤となった知識に関しては全く同一/同量だから、この点では「井上毅中川八洋」である。換言すれば、『皇統断絶』『女性天皇は皇室廃絶』『悠仁天皇皇室典範』を真面目に読破した後に明治皇室典範を三読すれば、明治皇室典範皇位継承“法”としての完全性に必ず驚愕するはず。

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