中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

トランプ大統領への協力優先は日本の国益──幣原喜重郎の対米協調主義の転覆が日本破滅となった苦い歴史の教訓

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 さる1月21日早朝(ワシントン時間1月20日)、トランプ大統領の就任演説を視聴しながら脳裏に浮かんだ事柄を、粗暴なトランプ旋風に慌てふためく日本人に冷静さを覚醒させるべく、以下に纏めておく。米国大統領の就任演説についてケネディ(1961年1月)レーガン(1981年1月)のをよく知る者としては、トランプのは感動を呼ぶ高雅な格調や文学的修辞とは無縁だった。高邁な理念アッピールが欠如する、花がない演説だった。

 だが、図らずも、この1月21日の新聞朝刊に、前日の安倍晋三の国会における施政方針演説が全文掲載されており、テレビの前で居ながら、安倍演説をトランプ演説と比較することができた。地元田舎の無教養な老人有権者相手に自慢話をしているだけで、国家も国民も不在の浅薄空無な安倍晋三の演説とは異なって、トランプのは、これから四年間の治世で並み並みならぬ果敢さで実行するだろう(粗野・乱暴剥き出しの)熱血政策で漲っていた。

 また、それらが米国の国益にとって最善か否かは別とすれば、また逆効果は想像以上のものになるだろうが、母国・米国の国益を政治未経験な浅学トランプなりに必死に考え必死に取り組もうとしている情熱にfaithがあるのは十分に伝わってきた。一言で言えば、粗野だが愛国の熱情が先行的に迸るのがトランプ演説。一方、安倍晋三の国会演説には“日本国が無い”、「非・日本」丸出しだった。

 もう一度言う。偶然にもほぼ同時となった「粗暴な大衆型の祖国愛一辺倒・トランプ」演説が、「祖国不在の自己チュー・安倍晋三」演説の恐ろしい真実を炙り出してしまったのである。危うい国は、破天荒に感情暴発型の大統領を戴く米国ではない。政治家全てが水準以下となった、亡国一直線の日本の方である。

トランプ流「アメリカ・ファースト」の三本柱は、戦間期「アメリカ・ファースト」の拡大版

 さて、トランプ大統領の筆頭政策は三つ。第一は、国内雇用絶対優先主義。第二は、建国の理念に反して“米国の分断”を深刻化する元凶である「中南米からの大量移民」を制限し、不法移民の強制送還と米墨国境の壁建設。第三が、対外防衛コミットメントや「世界の警察官」役を今後は大幅に減らすこと。「アメリカ・ファースト」の原義である国際不介入主義への回帰・移行である。

 第一の、TPPの破棄やNAFTA北米自由貿易協定の全面見直しという自由貿易国際協調体制を有害視し、国内雇用絶対優先主義の経済政策が果たして米国の経済発展にプラスになるかと言えば、おそらく米国経済を中長期的には下降させると思う。が、この問題は米国の主権的内政事項だから、日本はいっさい詮索せず協力に徹すべきである。ここ一年ほどは、戦後アメリカ史において余りに極端で前例のないトランプ流貿易政策・雇用政策と日本はうまく付き合っていくことだ。

 なお、所得階層「中の中/下」の所得向上を図る、トランプの雇用絶対優先政策は奇矯だが、経済学的に三分の理はある。荒唐無稽な意味不明なアベノミクスにおける“百害あって一利なし”「異次元の金融緩和で脱デフレ」の経済学的ナンセンスに比すれば、学的にははるかにまし。

 第二は、米国とメキシコの問題だから、日本には関りがない。ただ、もし「メキシコ系不法移民の強制送還と米墨間の3000km国境の壁建設」が現実的に可能ならば、私は大賛成である。理由は、こうだ。米国とは、偉大な哲人アレグザンダー・ハミルトンと初代大統領の“賢者”ジョージ・ワシントンが、“中世封建時代の英国に回帰する”ことを理想に建国した国家で、この建国の理念を明文化した憲法コメンタール『ザ・フェデラリスト』やワシントンの「惜別の辞」(退任数ヶ月前の1796年秋発表)座右の書とする米国人による国家を指す。とすれば、これらを読めない無国籍のスペイン系の米国在住者は、米国人ではない。彼らの国外への排除は極めて適切で正当である。米国における建国の精神を維持する愛国行動として、トランプは本件で躊躇うべきではない。

 また、トランプによって米国の分断が起きたのではなく、1960年代のケネディ/ジョンソン大統領の「移民政策」により“米国の分断”が発生したのである。サミュエル・ハンチントン著『分断されるアメリカ』を一読されたい。トランプの過激な“反イスラム教徒”主義も、ハンチントン著『文明の衝突』が憂慮した、米国に敵対するイスラム教徒の危険性という現実を考えれば、粗暴なトランプ流の反撃的防御も、賛否を脇に置けば、理解はできる(注1)。  

 第三の、国際介入主義から大幅に撤退して米国国内問題に国費も政府の頭脳も集中したいとする、トランプの(元来の原義)「アメリカ・ファースト」(「孤立主義」ともいう、備考1)については、かつてこれと見事に日本の国益を調和させて米国と良好な関係を築いた、戦間期(備考2)幣原喜重郎の対米協調主義外交に焦点を当て考察する。これが本稿のモチーフ。歴史学の用語では「幣原外交」と言われるものだが、これこそは、2017年以降の日本外交、ひいてはこれからの日本の国防政策ならびに貿易政策の基軸はどうあるべきかを探るに、最小限知っておくべき基礎知識でもある。

(備考1) トランプは、国内雇用重視策まで「アメリカ・ファースト」だと考えており、このような拡大的用法は広義で、戦間期アメリカの原義「アメリカ・ファースト」は狭義。  

(備考2) 第一次世界大戦第二次世界大戦の間、1918年11月~1939年9月1日を指す歴史学の専門用語。

第一節 英国の“智慧”(兜)と米国の“力”(鎧)の連携欠く日本外交は風船

 英国のメイ首相が首脳会談前、共和党の集会で講演していたフィラデルフィア、1月26日)。「わたしたち英米両国は、そのリーダーシップと特別な関係で、第二次世界大戦に勝ち、敵を打ち負かせただけではない。現代世界をつくった」、と。

 細かく言えば正確でないが、趣旨の基本は概ね正確。第一次世界大戦(1914~8年)に始まる英米の絆と(正義と智慧に裏付けられた)両国の力こそは、1991年末のソ連邦の崩壊までの七十五年間、国際秩序の要となって人類の自由擁護に偉大な貢献を成した。このことは、ソ連邦を崩壊に追い込んだ、1980年代の米国のレーガンと英国のサッチャーの二人三脚を思い起こせば真実である。戦後日本の経済繁栄と平和も、確かに“英米両国の智慧と力と正義”に大きく負っている。

 日本とは、英米との緊密な連携でしか、この厳しい国際社会において生存と繁栄を果たしえない。この理由の第一は、神の見えない手によって永遠に定められた地理の運命であり、地政学的に真理だからである(注2)。第二は、日本が、鎌倉時代から江戸時代を通じて形成された)中世封建制度の法規範と武士(騎士)道的道徳を世界人類の中で英米とのみ共通する。このことにおいて、日本が生存を欲するならば、“友邦”英米との連携・同盟堅持こそ、永遠不変の日本の唯一つの選択肢である。

(備考) 米国は、中世封建時代の1620年代頃の英国を“理想の国体”として英国臣民が建国した国家。移民が造った国家ではない(注3)。1830年代から移民によって米国は人口的大膨張を始めるが、移民は1780年代の国家創建には関わっていない。建国の父たちは、「移民」ではなく、「入植者」である。

戦間期・米国のぶれる外交や韓国併合後の日本外交の大錯乱から“超然”幣原喜重郎の明察眼

 前置きはここまで。幣原喜重郎外交は、外交舵取りが困難な“世界秩序未形成による大混沌と視界不良の時代”にあって、加えて、肝腎の日本国の対外政策が分裂してそれぞれが多方向に暴走している時にあって、日本の国益に合致する外交の基本方向を的を射て把握するのみならず、“世界唯一の超大国”米国とナショナリズムに沸騰し始めた支那をよく納得させて日本の国際的地位と評価を守り抜き、また日本国内のアジア主義と陸海軍の利権漁りを抑制したことにおいて、特段に評価されるべき外交官である(注4)

 戦間期・米国のぶれまくる外交は、表1に纏めたが、上院の強硬な「アメリカ・ファースト」で、米国政府(大統領)の対外政策に内向きベクトルが余儀なくされたために、必然的に発生するものだった。余談だが、トランプ時代の米国とは上院が国際主義で大統領の方が「アメリカ・ファースト」だから、戦間期の「大統領-上院の関係」が、逆になっている。    

表1;ぶれる戦間期・米国の外交の方が、支離滅裂の日本外交より基軸も合理性もあった

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 日本の外交は、幕末からの世界の動向を冷静に観察して、日本の領土安泰と国力増進を図りつつ国家の国際的名誉を重んじる武士型の明治外交が、明治維新から四十年をもって突然消えた。1905年の日露戦争の勝利を境に一気に逸脱したからだ。1906年頃以降の日本の外交には、基軸は無く、自国を棄損することなど気にもかけない、矢鱈にハチャメチャな対外暴走が外交の日常となった。表2参照のこと。

 特に、山縣有朋がほぼ専断的に1910年に断行した“世紀の愚行”韓国併合は、“祖国に叛逆する日本外交”の幕開けだった。皇太子・李垠の韓国国王即位を心待ちにされておられたから、本心では韓国併合絶対反対の明治天皇は、1912年7月に崩御された。1910年を境に、武士型明治外交がクラゲと化して消滅して、その後の日本外交は逆走と脱線ばかりの暴走列車となった。(※吉田注→バックナンバーに詳細記事あり)

 日本外交のこの大混迷の開始と同時に、アジアも世界も既存の秩序は大激変と大改編で揺れた。前者の支那においては、1911年に辛亥革命が起き、翌年に清朝が消滅した。そればかりか、その後に、内戦とナショナリズムの勃興と狂乱が常態となった。後者の世界においては、第一次世界大戦が終了すると、「パックス・ブリタニカ(英国による世界平和)」から「パックス・アメリカーナ(米国による世界平和)」に移行する大激震が起きていた。

 一方、日本では、幸運にも1919年に幣原喜重郎が駐米大使となり、その後の日本外交を牽引した。このお蔭で十年間だけだが、幣原外交によって、1930年までは日本の暴走と転落は辛うじて一時凍結された。が、暴走列車化する戦間期・日本外交の癌細胞を、幣原外交が切除したわけではなく、凍結・封じ込めただけ。一時凍結と切除の相違は、その通りに直視すべきである。

 ともあれ、戦間期前期の幣原外交と1930年末以降の戦間期後期の反・幣原外交(=反・国益外交)は、つぶさに比較されねばならない。一国の外交が過てば、国家は破滅へと転落する。この当たり前の事実を、これほど端的に教示する歴史と経験は、そうざらにあるものではない。体験した歴史に学ばない国家など、地球に生存する能力を失い亡国する。なお、「幣原外交」は1930年11月14日の浜口雄幸・首相の狙撃事件で終焉したが、幣原自身は、幣原外交を墓場に埋めた満洲事変を経て1931年12月13日まで外務大臣の地位には留まっていた。

表2;韓国併合を境に狂いだす日本の、その自国損傷の対外行動

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(備考)大陸浪人で、日本の国益に合致する行動をしたのは、支那からの満蒙独立を画策した川島浪速ぐらいか。

日本外交の精髄は米国と英国に尊敬され信頼されること。幣原喜重郎はこの偉大な体現者だった

 幣原外交が発揮されるのはワシントン会議(1921年11月12日~22年2月6日)。が、そのうち、日米英三ヶ国の海軍軍縮交渉は、幣原ではなく、加藤友三郎海軍大臣が日本側の主役だった。ここから振り返っておこう。また、ワシントン会議は、(ウィルソン大統領の国際主義を排した1920年の)国際連盟への非加盟に対する米国の代償的な代替であった。

表3;ワシントン会議における日米代表の相互感情 

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備考1;ワシントンで会議が始まる直前の1921年11月4日、原敬は、東京駅で刺殺された。原敬は、ワシントン会議に“最高の日本側代表団”を送り出した事が、最後の政治功績となった。

備考2;幣原喜重郎は時代を見るに俊すぎて、その親米英主義は、露骨に「米国が第一、英国は第二」だった。

 海軍軍縮条約は、理性的か信念的かで多少の温度差があるが、表3で明らかなように“相互に親米/親英/親日”だった「米国のヒューズ、英国のバルフォア、日本の加藤友三郎」だから、会議の冒頭で合意が定まった。海軍条約の内容については衆知なので、ここでは説明省略。会議ならびに背景をもう少し詳しく知りたい方には、例えば、注5などが参考になろう。

バルフォアの智慧をゴミ箱に捨てた、対米関係重視で日英同盟を軽視した幣原喜重郎の大失策

 さて、米国が「アメリカ・ファースト」で枕を高くして眠るには、日英の海軍力を削減しておくだけでは安心できるものではない。理論的には、「英国が大西洋から/日本が太平洋から攻めてくる」“挟撃”態勢の可能性をゼロにしておくのが万全の措置。かくして、米国はワシントン会議の主要議題として、海軍軍縮よりも日英同盟破棄に重きを置いていた。ただ、この問題は、相互に信頼し合っている「ヒューズ、バルフォア、幣原喜重郎」の三名間の協議だから、合意に至るのは容易。つまり、合意の中身が勝負で、三名相互の知恵比べ/駆け引き比べとなった。

 まず、三名の日英同盟への方針における温度差。ヒューズは「日英同盟の完全消滅」が狙い。“スーパー親日”バルフォアは、会議中の英米間論争・対決を回避して「日英同盟の骨だけは残す」が方針。幣原喜重郎は「パックス・アメリカーナの時代」に入ったから、「日英同盟の役割はほとんどなくなった」と思い込んでおり、日英同盟軽視論が本心だったようだ。外務大臣内田康哉を始めとする、日本国内の多数意見だった日英同盟重視論とは乖離していた。

 英国の代表バルフォアとは、日露戦争期の英国首相であり、第一次世界大戦期の外務大臣であり、イスラエル建国が可能となった「バルフォア宣言」のあのバルフォアのこと。私はチャーチルの次に、バルフォアを英国外交史に燦然と輝く“智謀の外交官”だと見做している(注6)

 バルフォアは25歳で保守党の下院議員となった政治家で、職業外交官ではない。が私は、職業外交官はバルフォアのごとくあれ、と考えている。ちなみに、日本の政治家で仮にも外交分野にしゃしゃり出るならば、チャーチルを範とせよ、と考えている。「日本の政治家は外交をチャーチルに学べ! 日本の外交官は外交をバルフォアを範とせよ!」は、私の座右の標語。これとペアの「国防はレーガンとマンネルへイム元帥に学べ! 軍人はパットン将軍と大村益次郎を範とせよ!」も、私の標語。

 話をワシントン会議に戻す。バルフォアは1921年11月、次の試案を会議直前に日米両国代表に渡した。流暢な訳なので、岡崎久彦の本から孫引きする。

「日英米いずれかの国の領土権が他の国から脅威を受けた場合、そのいずれかの二国は軍事同盟を結ぶ自由を有する。但し、その同盟は、純粋に防衛的性質のものであり、かつ三番目の国に通告される義務がある」(注7)

 バルフォアは当代随一の智謀者らしく、「日英同盟は、米国の希望の通りいったん解消しますが、近い将来に日英いずれかが侵略の外的脅威を受けた場合には、その防衛のため復活することがあります」という、米国の顔を立てた日米英三ヶ国条約案を考案したのである。これについては、バルフォアは、首席全権の加藤友三郎に、こう説明している。

「両国のために多大の利益を供した貴重な歴史を有する該同盟は妄りにこれを棄てるべきではない。かつ近日において一時消滅した同盟の存在理由が、将来再び発生することがないとは保証し得ない以上、なお然りである」(注8)。  

 ところが幣原は、このバルフォア案を、バルフォアに直接交渉して日英同盟解消を了解する旨の案に替えさせた。この幣原案(英文、注8)が、日英共同案としてヒューズに渡された。ヒューズは、これを諒とし「日米英三ヶ国」を「日米英仏四ヶ国」にして条約とし、日英同盟を葬り去った。  

 幣原がワシントン会議で対米譲歩したとされる、満蒙における借款問題、対支21ヶ条要求の第5号の正式撤回、南満洲における日本人顧問の優先権放棄などは日本の国益に合致するので、「譲歩」ではない。ワシントン会議で幣原外交が犯したミスは唯一つ、日英同盟の骨だけ残す英国の意向を無視して、日本側から日英同盟の解消を了解すると米国側に伝達したこと。なぜなら、日英同盟の消滅とは、1930年11月の浜口雄幸首相狙撃に始まる日本外交の暴走が、無制限に加速されて自爆死に到るエスカレートを阻むブレーキの消滅であったからだ。

第二節 日英同盟の存続が日独伊三国同盟を阻止した“if歴史の教訓”

日米同盟軽視の幣原喜重郎の失策を嘆く、英国ピゴット陸軍少将の落涙『絶たれたきずな』

 幣原喜重郎の唯一の外交失策は、なぜ生まれたのだろうか。

 原因は、二つあるように思える。 第一は、世界秩序のメーカーが、「パックス・ブリタニカ」から「パックス・アメリカーナ」に移行したとのマクロ的な判断は正しいが、肝腎の米国が「アメリカ・ファースト」である以上、「パックス・アメリカーナ」は凍結状態で機能していない。これを洞察しなかったことは、幣原の欠陥である。実際にも、戦間期は「パックス・アングロ・アメリカーナ(英米両国による世界平和)」であって、「パックス・アメリカーナ」ではなかった。「パックス・アメリカーナ」は、1947年のトルーマン・ドクトリンから始まる。

 第二に、日英同盟の解消と同時に日米同盟が始まるのなら、生まれたばかりの赤ん坊「パックス・アメリカーナ」に日本外交の基軸を預ける策は賢策といえる。だが、日米同盟は1952年4月に発足したように、1922年の日米同盟の終焉後から丸三十年間も先の話。つまり、幣原喜重郎は「“英米との同盟無し”でも大丈夫」「英米との軍事同盟なしでも対英米協調の外交があれば十分」と判断した。

 この幣原の結論は、「軍事力と外交力は一体不可分で、一方を欠いては他方は機能不全となる」というクラウゼヴィッツ『戦争論』の常識を欠いている。また、軍事バランス(Balance of Power)が国際秩序の要であるとする国際政治の常識も欠いていた。先達の陸奥宗光小村寿太郎武家出身であるのに比して、幣原寿太郎は裕福な農家出身で武士の素養を全く欠いていた。このため、軍事バランスがさっぱりわからなかった。これは、“軍事バランスによる平和”“同盟による平和”を塵扱いしたウィルソン大統領と酷似している。軍事力に対する偏見と視野狭窄の弊害が、幣原とウィルソンには顕著に見えるようだ。  

 日本人以上に日本人だった“英国の親日軍人”フランシス・ピゴットは、その著『Broken Thread』(1950年、注9)で、1920年代、日英同盟の終焉に涙を流して嘆いたと回想している。確かに、1930年以降の日本の対外行動を見れば、日英同盟の葬送に流したピゴットの涙こそは、日本の国家生存の破綻を見通す千里眼だったと言えよう。

 幣原喜重郎が、評価できる対英米協調主義を貫きながら、“九仭の功を一簣にかく”かに、その要石である日英同盟を、なぜあれほど簡単にポイ捨てしたのか。この点だけは、幣原を尊敬している私ですら、幣原に対する糾弾の手を緩めることはできない。日英同盟を欠く対英米協調主義など、ウィスキーの入っていない水割りのようなものではないか。

 日英同盟があれば、ポスト幣原の日本が、“亡国の疫病神”日独伊三国同盟を締結することは決してありえなかった。それより前のことだが、日本が“親日”『リットン調査団報告書』に噛み付く、逆立ち狂気を起こすことも決してなかったはず。当然、日英同盟の代用品として機能していた国際連盟からの脱退もしていない。反ナチのチャーチルの影響が日本にも直輸入されるから、日本全体が“ゴロツキの人殺し狂人”ヒトラーに魅了されることも少なかっただろう。そして何よりも、幣原の対英米協調主義が、自分の下野と同時に反転して、日本中があれほどの「反英/反米」の狂気に狂乱することはなかっただろう。

 蛇足だが、私は、幣原喜重郎が生きていたらどうしても聞きたいことが一つある。「陸軍発祥のスローガン“鬼畜米英”が日本中を木霊した時、どう思ったか」、と。親英米同士なので尊敬しているが、幣原喜重郎と私にはある相違がある。私は「反米/反英」という“反日”猛毒思想を我が国から一掃すべく、「我が師」バークの教え通りに、共産主義者&民族系の“国賊ども”と熾烈なイデオロギー闘争をしている。一方、上品な紳士だった幣原は、それをしなかった。

同じ親英米の吉田茂幣原喜重郎の違いは、日本外交が優先すべき「反共」「反露」の有無

 幣原喜重郎には、彼を糾弾するつもりはないし、また幣原喜重郎の責任とは必ずしも言えない、もう一つの深刻な問題がある。それは、幣原喜重郎共産主義イデオロギーに対して“撲滅したい”の「反共」はともかく、警戒感が全くなく、無関心だった問題である。これこそ、吉田茂が幣原より一等上の人材と目される所以であろう。

 吉田茂は、親英米で対英米協調主義である事では、幣原喜重郎と同一である。だが、吉田茂は、「反共」「反露」であって、これが“反共ではない/反露ではない”幣原と決定的な相違。日本国の生存のためには、1917年のレーニンの共産革命以降二百年間は、三つの外交基軸に依拠しなければならない。順不同だが、「親英米」「反共」「反露」の三つである。

 陸奥宗光小村寿太郎については、1917年以前の外務大臣なので、「反共」は評価規準から免除されるが、1917年以降の外務大臣である幣原は、この「反共」の有無問題から逃れられない。1925年の日ソ基本条約を、共産主義者でロシア工作員後藤新平から要請されるままに締結した幣原・外務大臣の罪は、目をつぶってあげたいが、やはり万死に値すると言わねばなるまい。日ソ基本条約が1941年春の日ソ中立条約に一直線につながっているからだ。

ウィンストン・チャーチルの「ウィルソン十四ヶ条」「国際連盟」全面否定論は、国際政治学の白眉

 さて、話は飛ぶ。“戦間期に完璧な外交政策”を主張した天才が、地球上に一人だけいた。ウィンストン・チャーチルである。         

表4;第二次世界大戦の勃発を理論的に見透した天才チャーチル

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 天才チャーチルが、英国民に対し「民族自決」は間違っており、ヒトラーのオーストリア併合(1938年3月)チェコズデーテン地方の併呑(1938年9月)も「民族自決」だが、それはナチ・ドイツの侵略であると説明しても、英国民の八割以上は1918年ウィルソン十四ヶ条に洗脳されており、チャーチルの声に耳を貸さなかった。あるいはチャーチルが、フランスの陸軍は、ポーランド/チェコ/ルーマニア防衛分があるから過剰でないと言っても、ウィルソンの「軍縮こそ平和」に情報汚染された英国・マクドナルド首相は耳を貸さなかった。

 いったん刷り込まれた間違った考えを是正するのは至難である。とすれば、天才ではない、ただの東京帝大で目立つ秀才だった幣原が、1910年から既に狂って走り出していた日本の国論の暴走を1921年から十年間だけでも凍結しただけでも上出来と言うべきだろう。戦間期の英国と日本の、それぞれの国民が挙げて、「軍備バランス重視」「同盟重視」「反露」「反共」「親米」で一致して、この五政策を合同で米国に突きつけ、その「アメリカ・ファースト」の転換とウィルソン主義の一掃を迫ることなしに、第二次世界大戦は防止できなかったと考えられる。

 米国が「アメリカ・ファースト」とウィルソン主義を放棄・転換したのは、1941年12月の日本のパールハーバー奇襲攻撃の衝撃が契機となったのは、何ともパラドキシカルな皮肉である。

 この歴史を思い出せば、粗暴大統領トランプをして、「アメリカ・ファースト」を放棄的に転換させ、同盟重視に覚醒させることは、そんなに容易な事ではないことが判ろう。

「隗より始めよ」──精強な軍事力をもつ国は同盟国・友邦国を惹きつけ絆を強める

 トランプ米国大統領の下品と粗暴は目に余るが、それに目くじらを立てるのも大人げない。EUの首脳会議を見ても豪州首相を見ても、この感がする。我々自由社会の国々は、米国なしには生存できない。我々は米国に敬意をもって感謝する礼節を失ってはならない。  

 その上で、米国と同盟関係を持つNATO、日本、豪州は、次の二つを実践しようではないか。

1、「親米」「軍事バランス重視」「同盟重視」「反露」「反・支那(チャイナ)」「反共/反・左翼思想」「内政事項“移民”制限の相互尊重」の七項目を不動の共通基本方針とする。

2、当該同盟国は、防衛力を直ちに三割以上増強し、米国民にくすぶる“防衛タダ乗り”疑念を払拭する。  

 日本はこれに加えて、尖閣諸島の自力防衛を直ちに実行する。

3、陸自部隊の常駐と要塞化──対人地雷の敷設、40~50ノットの高速ミサイル艇10艘以上の宮古島常備、対艦ミサイル(ハープーン)百基以上の魚釣島の地下坑道への配備など。また、軽空母4隻/ハリアーⅡまたはF-35Bを60機以上/人員2万人の海兵隊創設。詳しくは拙著『尖閣防衛戦争論』を参照されたい(注10)。  

 これに絡んで、日本国民に注意を喚起したい。マティス国防長官は、安倍晋三を表敬訪問した際、「核の傘の提供」を明言した(注11)。これに日本人が安堵したのは、日本が核武装していないのだから理解できる。が、「尖閣諸島防衛に日米安保条約が適用される」とのマティス言明にまで日本人が喜んだTVや新聞報道には、恥ずかしくて顔を思わず覆ってしまった。

 なぜなら、上記3が示すように、尖閣諸島は日本が自前で防衛できる。それを米国にしてもらうというのは、日本人が三歳の幼児であると世界に宣言するようなもの。日本の男児たるものが選択すべきことではない。日本人は恥も矜持も失った。恥無き民族に堕落した。

 また、防衛簡単な尖閣すらも自力防衛できない、何でもかんでも対米依存する幼児化した日本国を、東南アジアの諸国が信頼できるだろうか。北朝鮮人・土井たか子の非武装主義が安倍晋三だけでなく、一億日本人の常態になってしまった。永年の、朝日新聞共産党社会党産経新聞・民族系の教宣によって、つまり、日本人はロシア工作員/北朝鮮人が垂れ流す情報に洗脳されて、精神における“ロシアの奴隷”“北朝鮮人への人格改造”をしてしまったのである。

 これほどの日本民族の矜持すら喪失した堕落と非国民化において、今日の日本人とは、もはや主権国家の国民とはほど遠い生物学的ヒトに成り下がってしまった。

(2月4日記)

 

関連エントリ

トランプ大統領は日本の好機

 

1、ハンチントン分断されるアメリカ』、集英社(原著2004年ハンチントン文明の衝突』、集英社(原著1996年。米国分断論では、この他、ブキャナン『病むアメリカ 滅びゆく西洋』、成甲書房(原著2002年、なども薦められる。

2、中川八洋地政学の論理』、徳間書店、第2章。

3、中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書、第1章。

4、外務大臣になった外交官ベスト・フォーについて、私の個人的な順位付けは次表。

表5;外務大臣となった日本の外交官ベスト・フォーに、順位を付けたら? 

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5、麻田貞雄『両大戦間の日米関係 海軍と政策決定過程』東京大学出版会の第2章/第4章。

6、バルフォア外交論で、邦語の本が一冊もない。興味のある方には、Jason Tomes著“Balfour and Foreign Policy”などが入門書として適当かも知れない。

7、岡崎久彦幣原喜重郎とその時代』、PHP文庫、236頁。

8、鹿島守之助『日本外交史』第13巻、鹿島研究所出版会、148頁、150~1頁。

9、邦訳は、長谷川才次『絶たれたきずな 日英外交六十年』、時事通信社、1951年。

10、中川八洋尖閣防衛戦争論』、PHP研究所、64~72頁。

11、『朝日新聞』2017年2月4日付け。

附記;トランプ就任演説が暴いた“日本が無い”安倍晋三の国会演説

 せっかく両演説の比較を1月22日に書き上げたが、紙幅を越えたし、時宜を失った。割愛する。

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