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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①

産経新聞は天皇制廃止狂

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋  

 世間では、産経新聞と言えば「保守」で、「極左」もしくは「左翼」の朝日新聞に対抗する良心的な新聞だとのイメージが通常。だが、この通説or一般イメージには、二つの致命的な錯誤がある。  

 第一は、産経新聞が秘匿している本当の社是、つまり産経新聞が心底に潜める政治主張は、朝日新聞と完全同一であるのを逆さにしていること。産経新聞は、朝日新聞と対決・対抗する思想信条など、社是としては皆目もっていない。要するに、朝日新聞を「左翼」とか「極左」というなら、産経新聞もまた「左翼」であり「極左」である。なぜなら、両紙の社是は、根幹では完全に同一。  

 第二は、「民族系」で擬装している産経新聞の、この「民族系」は言葉の正確な用法としても「民族系」であり、「保守」とは異質・異次元のものなのに、「保守」だとの偽りで粉飾していること。「保守」と「民族系」は、天と地の差異がある。「民族系」を「保守」とするのは、“子供のおもちゃ”の三輪車を、自動車だと強弁するのと同じ。粗雑な間違いというより暴言である。第三節を参照のこと。

 経緯を言えば、1950年前後に誕生した新語「保守」が、1983年の頃より徐々に「民族系」をも含むようになった。ところが、「民族系」はその後一気に一大勢力となり「保守」を蚕食的に喰らい尽くし、1990年代に入ると、かつての「保守」と「民族系」の上下関係は引っ繰り返った。

 当然、「民族系」の団体や論客の一群の方が、さも「保守」であるかの、“保守なりすまし”をするようになった。この情況は、「保守」と「民族系」との越えがたい境界が意図的に無視(破壊)された結果だが、1990年代に入るや、戦後日本の「保守」を正統に継承する最後の保守知識人となってしまった私を除き、日本全体から「保守」思想がほぼ死滅したことが大きく関係している(注1)。

 「保守」とは、“共産主義社会主義思想を信奉する人々”を意味する、戦前からの語彙「革新」に対して対決するイデオロギーをもつ政治家・知識人あるいは政党を指す、「革新」の対置語として考案された、戦後の新語。一方の「民族系」は、戦前「民族系」民族主義の流れも基底に息づいており、その定義にはかなりの紙幅を要する。なお、狭義で、戦後「民族系」を簡略的に、江藤淳を元祖として1983年頃に誕生した論壇の一派を指すこともある。本稿では、この狭義で十分だろう。

第一節 金日成/金正日の写真に毎朝拝礼していた産経新聞社長・住田  

 2004年6月から2011年6月にかけて七年間も産経新聞社長を務めた住田良能の綽名は、「住正日 スミ・ジョンイル」だった。この綽名は産経新聞社内での通用語だったから、「住田良能は北朝鮮人である」事実は、社内で広く知られていた。一部のものだけに限って囁かれた噂ではない。

 さて、話が変わるが、北朝鮮人の筑紫哲也本多勝一らが、日本で最も過激な週刊誌『朝日ジャーナル』の後継誌として1993年に創刊した週刊誌に『金曜日』がある。一般には読まれないが、執筆者のほとんどが北朝鮮人であることから、過激な在日朝鮮人たちの愛読雑誌である。一部の共産党員も読んでいる。購読部数は、おそらく産経新聞社の『正論』より多いかも知れず、必ずしもミニコミ誌とは言えない。  

 『週刊金曜日』の常連執筆者として、佐高信(以下、敬称略)辺見庸(以下、敬称略)が活躍していることは衆知の通り。佐高信辺見庸の血統が何人であるかも衆知の通り。 例えば、佐高信は、「新・政経外科」のコラムを、今も毎号担当している。辺見庸も2015年まで、「『時間』はなぜ消されたのか」を連載していた。  

 ここで、産経新聞社の社長・住田良能に話を戻す。住田の特性は、何といっても、“極左の中の極左”として紛うことなき辺見庸佐高信と、思想を含めた同志的な昵懇関係にあった事に尽きよう。住田良能にとって『週刊金曜日』こそ、産経新聞の紙面編集のあるべき指針だったようだ。

“凶暴な天皇制廃止狂”辺見庸産経新聞社の記者にヘッドハントした住田良能  

 このことは、辺見庸の回想でも、はっきりとわかる。辺見庸は、こう語っている。

「僕は共同通信社の記者時代、住田さんにウチ産経新聞社)へ来ないかと誘われたことがあったんです。住田さんの誘い方には熱がこもっていて、今でもよく覚えています。」 「待遇(給与)産経新聞社より共同通信社の方がいいわけです。なのに共同通信社で記者をしている僕に、『ウチ産経新聞社)に来い』というくらいだから、住田さんは僕を組織人ではなく、個として見ていた」(注2)。  

 「個として見ていた」とは、住田良能が、「辺見個人の思想を買っていた」と読んでよかろう。住田良能の辺見庸ヘッドハントには、住田良能が「辺見庸が、産経新聞社内で、自分の過激極左思想に従って大いに活躍すること」を期待していたことを如実に伝えている。  

 辺見庸がどのような思想・イデオロギーの持ち主かは衆知だから、常識的には、この話を聞くと、住田良能は朝日新聞社の幹部だと錯覚する。だが住田とは、1969年に慶応大学卒業とともに入社し、産経新聞社だけで順風満帆に出世した男。49歳の1994年に東京本社の編集局長に就くや、二年後には取締役、その二年後には常務、さらにその二年後には専務、その四年後2004年には社長となった。しかも、1998年から2004年の六年間は主筆も兼ねた。  

 辺見庸の、筑紫哲也張りのスーパー過激革命思想/日本国憎悪感情は、その多数の著書において直截に述べているから、誰でも知っている。が、ほんのさわり程度だが、復習しておく。とりわけ、辺見庸天皇殺しに近い天皇制廃止の妄念は、過激を越えて凶暴残忍の一語に尽きる。

明仁らをいまだもって個人ないし総合的人格として扱わず、またそれゆえ、実質的天皇制を裏から支えるばかりであり、・・・・・」

「群衆と対面し、『君が代』を歌い奉られることの、個人としての正直な実感とはいかがなものか、記者たちは何とかして天皇に問うべきである」

天皇は将来にわたり天皇たりえたいか、憲法九条/13条/19条/21条に関し、一個人としてどうお考えか、ヒリヒリしながらお訊きしてなに悪かろう」

「それは不敬などではさらさらなく、人間の人間存在に対する敬意というものであろう」(注3)。

 天皇を囚人として監禁したうえで訊く=訊問する、検察取り調べ官になった積りの辺見流凶暴妄想についてのコメントは後にする。

 問題の核心は、産経新聞社長・住田良能が、このような「天皇を囚人として監禁し訊問する」辺見流凶暴妄想にいたく共鳴し、産経新聞社で同志として一緒に働きたいと熱望した事実の方だからだ。住田良能は、2004年から産経新聞社社長として天皇制廃止に狂乱的に暴走したが、それは“筑紫哲也の化身”住田良能が正体をあらわにしただけであって、産経新聞が厚化粧を落とし化けの皮を脱いだだけに過ぎない。産経新聞の正体とは、実は、『週刊金曜日』を日の丸で包んで偽装した極左新聞で、『朝日新聞』と何ら遜色のない過激な「反日」新聞である。  

 なお、上記引用の辺見庸の言動は、「今上天皇」を「明仁氏」と珍奇で不敬な呼称をわざとするなど、辺見庸が自ら“非・日本人”だと自白したものといえよう。また、天皇は国民の前ではいかなることがあっても天皇でなければならず、私人的な個人である事はできないことぐらい、日本人ならば常識。監禁しての「訊問=憎悪感情の投擲」を、「敬意」だと詐言する辺見庸とは、毒殺を病気治療の投薬だと強弁する殺人鬼と同じ発想。これはまた、産経新聞天皇制廃止を社是としながら、それを180度逆の天皇制度擁護が社是だと購読者騙しを平然となす、産経新聞の悪魔のような詐欺師型編集と同じ発想。

佐高信と密に会い密に電話していた産経社長・住田良能の目的は何だったのか  

 『週刊金曜日』の編集委員で、常連執筆者の佐高信は、住田良能との関係をこう語っている。   

産経新聞前社長の住田良能とは慶応大学同窓ということもあって、昼食会の仲間だったんですが、住田と私(佐高)の間にホットラインがあった

夕刊フジに私が『福澤諭吉と日本人』を書くように勧めたのも住田」(以上、注4、2013年)。   

「私は住田さんとは慶応大学の同窓で、五年ほど前(2009年)から月に一度、六人ぐらいで昼食会をやっていたんです」   

(私がやっている憲法改正反対の)憲法行脚の会》で新聞に広告を載せようという話になったとき、…産経新聞社長の)住田さんに相談すると、『いいよ』と即断だった。・・・・・一方の住田さんの方も、読者から『そんなに広告が欲しいか』と言われて大変だったそうです。でも住田さんは《憲法行脚の会》の広告を載せる事にも平気な人でした」(以上、注5、2014年)。

 上記引用の佐高信の言にある、産経新聞の現役社長が、佐高信と密に連絡しあうための極秘の電話回線をもっていた事実を、どう解釈すればいいのか。やはり素直に、住田良能とは、憲法改正絶対反対の北朝鮮人・土井たか子(李高順)の信奉者だったと考える方が、辻褄が合う。ならば、共著『護憲派の一分』を出したように土井たか子憲法改正絶対反対をアッピールした佐高信(韓吉竜)と、住田良能は、この憲法改正反対で当然に、同志關係であったろう。住田良能の朝鮮名は何であったか、産経新聞社は“社会の公器”として公表する義務がある。  

 また、佐高信とは、強烈かつ凶暴な天皇制廃止狂で、辺見庸以上かも知れない。例えば、佐高信は、2006年11月19日、日比谷公会堂で、『週刊金曜日』主催の集会において、悠仁親王殿下を「猿の縫いぐるみ」に見立てて、「こんな子 要ーらない」と放り投げる寸劇の、事実上の座長だった。

 この大不敬事件を、産経新聞はどう報道したのか。それとも、社長の住田良能が、報道禁止にしたのか。産経新聞には縮刷版がなく、調査に時間がかかる。読者の方で、誰か奇特な方が代わって調査して頂ければ有り難い。

北朝鮮人”住田良能が直接手を下した、“産経最後の保守”大島信三の解任事件  

 住田良能が社長として強行した、社内でも唖然とブーイングとが起きた、醜聞的な人事事件がある。住田が、“産経新聞社の最後の保守”大島信三を、天皇制擁護に偏り過ぎだと怒り、『正論』編集長から解任したからである。

 もともと役員コースにあった大島信三は、1990年2月に左遷され『正論』編集長になったときの実売2万部を、最高で実売11万部を記録した名編集長であった。2006年正月に「本年の秋には解任する旨」を通告された大島の最後の編集2006年11月号(10月1日発売)すら実売6万部であった。

 論壇誌としては前例のない高い業績を上げていたのに、天皇制廃止狂の住田良能にとって、大島が論壇誌『正論』で“女系天皇反対・女性天皇反対”の論陣を張ったことは断じて許せなかった。なぜなら、首相・小泉純一郎共産党員官僚が支配する)男女共同参画局に焚き付けられ、天皇制廃止の妙案「女系天皇女性天皇」を共産党朝日新聞とグルになってぶち上げた2004~5年、日本の天皇制廃止勢力は天皇制廃止の唯一のチャンスが来たと一丸となって爆走していた。

 “天皇制廃止狂の北朝鮮人”住田良能・社長は、これを天皇制廃止の千載一遇のチャンスとばかり、産経新聞社全体を「女系天皇女性天皇」派にすべく、“癌”大島信三を外科手術的に産経から叩きだすことを決めた。

 まず2005年春だったか、“北朝鮮人”小島新一(現・『正論』編集長)を『正論』編集部に入れた。そして、既に同編集部で屯していた“北朝鮮人”上島嘉郎とタッグを組ませて、「大島信三の問題行動」を有ることないことデッチアゲ密告をさせた。そして、両名の「中傷誹謗」を根拠に、2006年に入るや、「本年の秋には解任する」と大島に通告した。この大島解任に協力した功績で、“街宣右翼型の北朝鮮人”上島嘉郎を、高卒である問題だけでなく勤続年数その他の問題からしてもあり得ない破格の人事、編集長に抜擢した。論功行賞である。辺見庸佐高信と同志の“凶悪な北朝鮮人”住田良能の、一種の犯罪人事であった。

 住田は2011年6月に社長を退任したが、産経新聞社の天皇制廃止の妄執的な情念は、現在も受け継がれている。第二節で述べるが、2013年に発表された『産経新聞社の憲法改正案』も、公然と天皇制廃止を宣言している。なお、産経新聞社の「天皇制廃止」の社是は1960年代からで、2004年の住田体制からではない。だから、産経新聞の“売り”「正論」欄のメンバーの中で、天皇制護持を信条とする者は、渡部昇一八木秀次のたった二名。この事実も、第二節で論じる。

 “北朝鮮人”住田良能が産経新聞社の社長になったのを、たまたまの例外と考えるならば、大変な誤解である。産経新聞社の中堅管理職以上に、大人数の北朝鮮人が跋扈するようになるのは、1980年代からで、この人事環境があったから、“北朝鮮人”住田良能が1990年代にその代表として一気に産経社内で出世できたのである。

 「産経新聞社の中堅管理職以上に多数の北朝鮮人が跋扈する」社内情況は、1973年に始まる「正論」欄メンバーへの北朝鮮人優先登用にも表れている。毒入り餡子を白い皮で包むように、産経新聞は「日の丸」で包んで味を変えているが、その中身が毒餡子『週刊金曜日』なのは変わらない。 

 なお、産経新聞は何故か、「正論」メンバーのリストを非公開にして厳重に秘匿している。このため、正論メンバーに、血統上の北朝鮮人が「十数名」いるとの情報を耳にするが、これを個々に確認して調査を完成させることができない。取りあえず、判明している一部を注6の表5にしておく。

第二節 「ソ連こそ我が祖国」を貫いた“スターリン狂”産経社長・稲葉秀三

 住田良能・社長の前も後も、産経新聞の社長は、天皇制廃止狂の北朝鮮人や共産党系がほとんどである。この節では、スターリン計画経済を絶対信条とした共産主義者で、終世、ソ連を「我が祖国」として“熱情的なソ連工作員”だった稲葉秀三・社長について、簡単に触れておきたい。

「企画院事件」関係者も、ゾルゲ・尾崎事件と同様、死刑に処理しておくべきだった

 「稲葉秀三」と聞いても、今の若い世代にはピンと来ない。しかし、1960年代までに大学を卒業した日本人なら、「稲葉秀三」と聞けば、「あんなトンデモ“ソ連人”を、戦前日本はどうして死刑にしておかなかったのだろう」と連想する。尾崎秀実と同じで、東京帝大経済学部(恩師は矯激なスターリン教徒の脇村義太郎か?)で洗脳された稲葉秀三は、スターリン計画経済の信奉者となり、政府の「計画経済」推進本部である企画院に入庁した(高等文官)。ナチ・ドイツ型統制経済の推進官庁が岸信介の商工省で、スターリン計画経済の導入が企画院。1930年代の日本とは、政府自体がほとんど共産国のそれだった。1943年に商工省と企画院は合体し軍需省となった。その事務次官岸信介

 日本の共産国化に抵抗していた官庁は、簡単に言えば、大蔵省と内務省の二つだけで、少数だった。むろん、大蔵省といえども、星野直樹など共産主義官僚は少なからずいた。

 問題の稲葉秀三に話を戻すと、稲葉らは、1940年10月、『経済新体制確立要綱』を発表した。「経済新体制」とは、「スターリンの五ヶ年計画」を丸ごと日本に移植することであったから、共産主義者以外では発想することはできない。内務省警保局の反共官僚が、治安維持法違反の廉で、『経済新体制確立要綱』の執筆関係者17名を逮捕したが、法治主義において極めて正当。

 この主要執筆者が、稲葉秀三/正木千冬/佐多忠雄/和田博雄/勝間田清一/和田耕作らだから、確かに全員、札付きの強烈な共産主義者ばかり。しかも多くはソ連工作員で、戦後の勝間田は毛沢東崇拝の中共工作員となった。

 稲葉秀三は、生涯、ソ連を祖国とする“ソ連人”だった。このことは、1991年12月にソ連が崩壊する一年前、稲葉が八十三歳の1990年後半、ソ連経済を立て直しソ連の共産体制を持続させようと、「共産主義体制を捨てずに市場経済化しろ」との、思わず失笑する、次のピエロ的提言にあらわ。

私は共産主義社会主義に異議を唱えているのではないソ連人なら、(ソヴィエト型の市場経済への移行は)やる気があれば、容易に実現できる」(注7)。  

 だが、ソ連は破綻した経済の再建に市場経済を導入することを決心したとき、稲葉の切なる願いとは相違して、共産主義を捨てることを決断した共産党を権力から追放した)共産党独裁体制下で市場経済を導入して共存させるサーカスは、ソ連にはできなかった。

(備考)この前人未踏のサーカスに成功したのは鄧小平だけ。商業民族の支那人だから、例外的に可能だった。

 ソ連が東欧六ヶ国を西側に返還した1989年11月の直後から、日本でも「ソ連はどうも経済破綻したらしい」が常識となった。稲葉は、これを聴いて悲しみ、どうしても“共産国大本山ソ連を維持したく、稲葉と同じく生涯をソ連工作員としてソ連に尽くし続けた堤清二に声をかけ、ソ連市場経済を導入させようと、稲葉は、ロシア語翻訳を前提に、このソ連に上程する提言本をまとめた。

 この1990年、私はと言えば、一気にソ連を叩き潰して(ニコライⅡ世の子孫を皇帝に迎え)帝政ロシアに戻し、ソ連断罪のモスクワ裁判をして、ソ連が侵略した周辺の領土すべてを無条件即時返還させる方法はないものかと思案していた。だが、上記の引用文は、1931~4年(24~7歳)スターリン狂になった稲葉秀三が八十三歳になっても、私と真逆の“スターリン教徒”だったことを明らかにした。

 このようなガリガリの共産主義者ソ連工作員だった稲葉秀三が、産経新聞の取締役・論説主幹の役職で中途入社したのは1961年12月。1963年には常務に、1964年には副社長に、1965年には産経新聞の社長になった。1968年10月までの三年間は社長だった。

産経新聞ロシアKGB細胞の参謀本部は、「稲葉秀三→山根卓二(カント)→斎藤勉」

 産経新聞社が“朝日新聞KGB分室”として、ロシア工作員の巣窟となった原因の一つは、稲葉秀三が1961年12月からの七年間、そうなるよう人事でソ連工作員を大量に入社させたからでもある。また、産経新聞社が天皇制廃止を社是とするに至ったのも、天皇制廃止の狂信者だった稲葉秀三の働きが大きい。産経新聞「正論」欄メンバーにロシア工作員が「十名強」も跋扈しているのは(注8、表6)、その氷山の一角である。

 産経新聞社社員のソ連工作員は「二~三十名」という。KGBのコードネーム「カント」を付けられた“ソ連工作員”山根卓二は産経新聞社の常務取締役・編集局長だった1982年、「レフチェンコ証言」で引責退職したが、社長候補だった。レフチェンコ証言の中に、「山根卓二が、1976年、デッチアゲ記事『周恩来の遺書』を書いた」があったのが(注9)、引責辞職の事由。確かに、1976年1月23日付け『産経新聞』のコラム「今日のレポート」に、山根卓二は署名入りで、『周恩来の遺書』という不在の架空話を、KGBから渡された通りの真赤な筋書きで、デッチアゲ記事を書いている。

 産経新聞が、ロシアKGB第一総局から渡された/指示された通りに真赤な噓報道するのは、実は常習であって、山根卓二だけが例外ではない。産経新聞は、朝日新聞が「従軍慰安婦」に関して虚偽の捏造報道をしたことを大騒ぎして糾弾するが、これを諺では「眼糞鼻糞を嗤う」という。捏造報道の競争で、朝日新聞産経新聞との間に優劣はないからだ。

 例えば、ノモンハン戦争に関する偽造歴史は、産経新聞の十八番である。そして、産経新聞ノモンハン戦争に関する捏造歴史を宣伝する前衛部隊に、「正論」メンバーの中西輝政渡部昇一西尾幹二小堀桂一郎が参加している。彼らを操っているのは、“ロシア工作員”斎藤勉(現在・専務取締役)と内藤泰朗だろうか。産経新聞におけるロシアKGB細胞は、「稲葉秀三→山根卓二→斎藤勉」と、大木のような大きなパイプで脈々と今に繋がっている。 産経新聞の「正論」欄メンバーになることは、このように悪質な虚偽報道(偽情報宣伝)の共犯者になることは避けられない。また、巧妙に嘘をついて購読者を騙すことで、やっと社員の超安い給料が払えている産経新聞詐欺師的な新聞づくりへの協力を強要されることも避けられない。

 正常な人間性の良識ある学者や知識人ならば、決して「正論」欄メンバーにはならない。現に、産経新聞の「正論」欄メンバーは、北朝鮮人、ロシア工作員、“非・学者”の雑文業者、共産党員、マルキストばかりで、真っ当な者は一人もいない。ちなみに私は、1980年12月、私の意思確認も了解もなしに産経新聞社が勝手に「正論」欄メンバーにする社内手続きを済ましたが、学者として知識人としての私の信用に瑕がつくため、連絡を受けた時、言下に拒絶した。

“産経流の天皇制度廃止”に進軍ラッパを吹いた、産経新聞の現社長・熊坂隆光

 以上、社長・住田良能以前の産経新聞を、社長・稲葉秀三を例に遡って照査した。そこで今度は、2011年6月以降のポスト住田良能の産経新聞を観察しよう。具体的には、熊坂隆光・社長になってからの産経新聞を、レントゲン写真撮影することである。事例として、2013年に公表した産経新聞社の憲法改正案を取り上げる。

 産経新聞社が創立80周年の記念事業として鳴り物入りで出版した『国民の憲法』は、驚くなかれ、住田良能・前社長の“狂気の命令”を守って、天皇制廃止を高らかに宣言している。産経新聞案の第一条が、「皇統に属する男系の子孫がこれを継承する」(注10)となっているからだ。「男系の子孫」とは、男系である今上天皇の子孫はすべて皇位継承権を持ち、天皇の地位に登極できるとの定めである。 

 すなわち、今上天皇の第一皇女であられる紀宮清子内親王は臣籍降嫁されて黒田清子様になられたが、産経新聞憲法案では、天皇への皇位継承権が付与される。何の事はない、産経新聞は、教条的な天皇制廃止主義の共産党朝日新聞と同じく、女系天皇女性天皇への憲法改悪を提言している。共産党朝日新聞との相違は、産経新聞の方が、共産党朝日新聞の100倍も1000倍も悪賢く、巧妙なトリックを駆使すること、これだけしかしない。 

 GHQは、マッカーサー元帥を始め王制主義者monarchistがほとんどだったため、皇位継承男系男子とする日本皇室の伝統を即座に了解した。が、産経新聞社は、朝日新聞共産党と同じで、“スターリン日本共産党への命令”「コミンテルン1932年テーゼ」に従った天皇制廃止教徒ばかりだから、黒田清子様にはお子様がおられないので)今上天皇から二代を経れば男系の女性天皇、三代になれば女系女子の女性天皇になるようにしている。  

 なお、GHQが創った現憲法は、日本国の2000年の皇室伝統を重んじて、「皇位世襲である事/皇位継承皇室典範が定める」と定め(第二条)皇室典範第一条でそれを「皇統に属する男系の男子」とした。  

 産経新聞は、この「男系男子」を、「男系の子孫」に、マジックショー的に摩り替えた。真に恐ろしいのは、2013年から三年が経つのに、日本人の誰も、天皇制廃止を狙った産経新聞の、この狡猾な“皇位継承の大改悪”問題を指摘もしない、気づきもしない問題の方だ。日本には、皇統護持を真剣に考えている日本人が、もはやほとんどいない事態が常態になった。これこそ皇統断絶に至る情況の到来。私は、戦慄が止まらない。

 尚、私も迂闊だったが、2016年の早春、某氏と「田久保忠衛とは、隠れ共産主義者で、擬装の大名人だ」と雑談するまで、『国民の憲法』を読んでいない事に気付かなかった。急いで購入して読み驚愕した。私が糾弾するまでの丸三年間、これほどに天皇制廃止狂一色の“トンデモ新聞”産経新聞の動きを、誰も指摘しなかった事実は、想像以上に重大で深刻。

 産経新聞「正論」メンバーの中で例外的に皇統護持が本心の渡部昇一八木秀次も、全くの無能で“役立たず”ということが証明されたからである。また日頃、皇統護持派を自認する百地章/櫻井よしこ/日本会議/神社本庁が、実は本心では、天皇制度が廃止されようと消滅しようとどうでもいいと考えていることが暴露されたからである。日本で、真正保守の知識人は、文字通り、私中川八洋一人になっている。

 産経新聞憲法草案については、既発表の拙稿「“平成の尾崎秀実田久保忠衛の怖しい正体」で多少の論及をしたが、表1の五名で策定されたもの。この中の三名(田久保/佐瀬/大原)憲法学とは無縁で全くの門外漢。二名(西/百地)憲法学者とされているが、レベルは三流以下のクズ学者・ゴミ学者。そればかりか、チーフの田久保とサブの佐瀬は、マルクス・レーニン主義者で「コミンテルン32年テーゼ」を奉戴する、狂信的な天皇制廃止主義者。

 民族系で、何時も皇統護持を商売道具とする怪しげな百地章は、この“奇奇怪怪な珍語”「男系子孫」に反対しなかったのだから、とうとう天皇制廃止が本心である馬脚を現した。確かに、百地章は、皇統に武家の養子制度を導入する露骨な皇統断絶の主張者である。それが、今般の産経版憲法改正案起草委員会のメンバーになったことで、百地章の素性はバレバレになった。

 西修は、皇統護持には、いっさいの関心がない。天皇制廃止で構わないのである。大原康男皇位継承に関する知識は全くのゼロだから、この分野では完全な痴呆老人である。産経新聞神社本庁を籠絡的に騙す手段として大原康男を起用したに過ぎない。

表1;「民族系」演技で天皇制度廃止の社是を隠蔽する“購読者騙しの巨悪”産経新聞

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 要するに、現在の社長・熊坂隆光は、教条的な天皇制廃止狂の田久保忠衛佐瀬昌盛に産経版憲法草案づくりをさせたことにおいて、住田良能・前社長の天皇制廃止狂を継承している。これは、産経新聞社の共産党と同じ)天皇制廃止の社是を変更しないとの、社内社外への闡明でもあろう。  

 産経版『国民の憲法』は、もう一つ、重要な事実を暴露する。この本は、「正論」メンバー14名の“憲法改正の掛け声エセー”も収録しているが、佐伯啓思森本敏や西原正など、ほとんどが天皇制度廃止論者と無関心派を選んでいる。佐伯啓思はブンド、森本敏はマル青同、西原正は社会主義協会革労協出身だから、すべて強烈なマルクス・レーニン主義者、つまり天皇制廃止主義者である。田久保忠衛は、意図的に渡部昇一八木秀次の二名を排除し、代わりに天皇制廃止主義者を、天皇制廃止の憲法草案『産経新聞憲法』の応援団に選んだ。  

 渡部・八木の両名を入れれば、事前に条文を読まれ、産経版『国民の憲法』が天皇制廃止なのがばれるから、追放的に遠ざけたのである。日本国の全てをロシアに貢ぐことに全知全能を傾けた“平成の尾崎秀実”らしく、田久保忠衛の狡猾さは第一級である。

天皇制廃止主義か、そうでないかの演技上手か、が産経「正論」メンバーの絶対条件

 産経新聞社の役員・社員に天皇制護持論は皆無である。そればかりか、『朝日新聞』や『週刊金曜日』に同調(シンクロ)し積極的に天皇制廃止を教宣するのを、産経新聞は根幹的編集方針としている。しかし、それを直截に表に出せば、せっかく騙して顧客にしている民族系の購読者が逃げてしまい、赤字すれすれで瀕死の産経新聞は部数がさらに激減して発行停止に追い込まれる。  

 そこで産経新聞は、「正論」メンバーに、読者騙しに長けた狡猾さ抜群の一流ペテン師型人材を集めた。この一流詐欺師型評論家が、田久保忠衛/西尾幹二/加地伸行/櫻井よしこである。おっと、佐伯啓思を忘れるところだった。  

 まず佐伯啓思から解剖しよう。佐伯啓思の自分の極左イデオロギーを隠す狡猾さは、田久保や西尾と同レベル。現に、佐伯啓思の激越な天皇制廃止の信条は知られていない。佐伯の隠蔽術が精緻で高級だからである。

 佐伯啓思は、例えば、革マル派大澤真幸と対談して、天皇制廃止キャンペーンもする。が、この対談を全く売れない本でしかしない。この場合でも、言質をとられないよう、佐伯啓思は、用心に用心を重ねた表現を選ぶ。次の様に。   

三島由紀夫は戦後になってから天皇主義者となり、精神の拠り所へ天皇をもってきたわけですが、戦前のものをもってきてもダメではないかと思う。拠り所とすべきは、共和主義(=天皇制廃止)かもしれない・・・」(注11)。   

天皇のもう一つの本質は、血がどうとか、男系の継承がどうとか、それは表面的なことに過ぎなくて・・・」(注11)。

 続いて大澤の「佐伯さんは共和主義天皇制廃止)へのシンパシーが非常に強い」に、佐伯は「そうですね。共和主義天皇制廃止)と・・・」と答えているから、天皇制廃止が本心だと大澤に間接的に同意した(注11)。  

 佐伯啓思は、今でも共産党と同じく『共産党宣言』を信奉する、強度のマルクス主義者。当然、天皇制など暴力でも打倒すべきものだと考えている。どれほど佐伯が狂信的なマルキストかは、教条的マルキストであるゾンバルトの『ブルジョワ』の書評で吐露した、佐伯啓思の、反・資本主義というより“市場経済への呪詛”感情に端的に表れていよう。こう書いている。   

「端的に言えば、資本主義市場経済の正体は、キリスト教が産み出した悪魔のごときもの、正当な宗教秩序に対する異端者、浮遊者の中から成育してきた権力慾なのである。この悪魔が、ファゥストを誘惑するメフィストフェレスのように人間を誘惑した時、黄金と金銭への渇望を合理的な市民精神で言いくるめた経済人が誕生した」(注12)。  

 佐伯啓思とは、産経新聞社が『週刊金曜日』を日の丸で包んで『産経新聞』として発売しているのと同じく、狂信的なマルクス主義者なのに、見破られない「保守偽装」ができる異能を発揮する。この才は、西尾幹二加地伸行にも同様に天賦されている。西尾/加地の両名は、天皇制廃止を『皇太子さまへのご忠言』の形に料理し直して、お客(読者)に出して、天皇制廃止を間接的に喧伝する。

 平成に入ってからの日本人は、一部のものを除き、知的劣化著しいから、例えば、『WiLL』六月号における、西尾幹二加地伸行の対談「いま再び皇太子さまに諫言申し上げる」が、凶悪な天皇制廃止の底意で貫かれていることを見抜けない。『WiLL』購読者など、知能指数が豚やアヒルの水準でまともな日本人ではない。別の機会に、この怖ろしい西尾/加地対談を解剖せねばなるまい。

 実は西尾幹二は、ドイツから帰国した1967年秋、雑誌『論争ジャーナル』12月号で、天皇制廃止を鮮明に宣言している。これが、周辺の情況に合わせて主張を猫の目のように変える“ペテン師評論家”西尾幹二の原点で本心である。  

 櫻井よしこの本心も、天皇制については無関心か、非積極的に廃止になってもいいと考えている。櫻井よしこの「女性天皇反対、女系天皇反対」は、講演料稼ぎの商売が目的で、信条とはいっさい無関係だということ。この事は、櫻井よしこが、女性皇族について「御成婚後にも臣籍降嫁せずに、公務員にして皇族のお仕事を続けられるようにすべきだ」との珍論暴言に明らか。  

 公務員は臣籍であり、皇族の身分喪失が前提。臣籍降嫁したから公務員に成れる。公務員の身分取得=皇籍離脱(喪失)して皇族ではなくなったのに、“皇族としてお仕事をして頂く”など、分裂症を有さない(精神病とは無縁の)櫻井よしこは、どうやって考え付いたのだろう。皇族や皇位継承問題に、一切の知識がない自分を自覚できないほど、極度に無関心だから思いついた珍論暴言。

 櫻井よしこが理事長として運営する「国家基本問題研究所」の副理事長は、天皇制廃止狂の田久保忠衛である。櫻井よしこ田久保忠衛の昵懇度は、血の繋がった兄妹を越える。この事実も、櫻井よしこが、“天皇制廃止シンパ”であることを明らかにしていよう。

 また櫻井よしこは、“稀代の天皇制廃止狂”花田紀凱と共著『正義の嘘』『民意の嘘』(産経セレクト)を出した。これこそ、櫻井よしこ天皇制廃止シンパであると正体を暴露したものはなかろう。天皇制廃止狂狂の花田紀凱は、美智子皇后陛下を失語症に追い込んだ、美智子皇后陛下に対する中傷誹謗キャンペーンを直接指揮した『週刊文春』編集長(同誌1993年9月23日号/月30日号ほか参照のこと)天皇制護持が信条である正常な日本人なら、花田紀凱を蛇蝎ごときに嫌悪して、共著など地球が真っ二つに裂けても断固拒絶する。

 櫻井よしこが理事長として運営する「国家基本問題研究所」の副理事長は、天皇制廃止狂の田久保忠衛である。この事実も、櫻井よしこが、“天皇制廃止シンパ”であることを明らかにしている。  

 櫻井よしこよ。もうそろそろベトナムハノイで自分を産んだ母親が、1943年時点で、どんな職業だったかをカミング・アウトすべきではないのか。櫻井よしこは1946年にハノイからハワイに移住したが、敗戦直後に日本国籍の日本人だったならば、この移住は万が一にも不可能。『文藝春秋』誌上で母を語るなら、この時の母親の国籍について、カミング・アウトすべきではないのか。

 櫻井よしこの付焼き刃の“デタラメ女性天皇反対、女系天皇反対”論は、深刻な逆効果になる怖れが高い。日本人でない、いかがわしい素性の者は、日本国の皇位継承問題に、くれぐれも口を出さないで欲しい。

朝日新聞は『しんぶん赤旗』の姉妹紙、産経新聞は民族系擬装の『週刊金曜日』  

 話が多少脱線した。産経新聞など新聞の問題に戻る。日本で発行されている新聞で、日本の国益にプラスになる新聞は一紙として無い。主要紙も地方紙もすべて廃刊にして、日本を“新聞のない国”にするのが、日本国を救う確実な方法。極論「核兵器のない国」を日本は選択したのだから、もう一つの極論「新聞のない国」を選択するのは、何でもない事ではないか。  

 「新聞のない日本」への第一歩として、『しんぶん赤旗』をマイルドな表現に書き直して国民を“共産社会日本”への革命に煽動洗脳する『朝日新聞』に対し、その発行部数ゼロを目指すことは、健全な日本国民なら必ずなすべき愛国行動だろう。が、この時忘れてはならないのは、『朝日新聞』と全く同一の編集方針=社是を秘匿した、赤い毒入り餡子を白色で包んだ“購読者騙し”産経新聞という有害新聞も発行停止させておく必要がある。  

 「産経新聞があるから、朝日新聞は存在しても存在しなくともいい」と、朝日新聞を無罪放免する現実において、「民族系nationalism」の白ペンキを塗りたくった(『週刊金曜日』系の)産経新聞を廃止しておくのが、“赤い巨城”『朝日新聞』の落城に向けて、良識ある日本人が剣をとって立ち上がる勢いを誕生させるに、兵法の王道である。

 「朝日新聞のない日本」「産経新聞のない日本」、それこそが“新聞のない国”日本という、日本を救う前提情況づくりの第一歩となるだろう。

第三節 天と地ほどに差異が顕著な、「保守」と「民族系」  

 日本人は、平成時代に入るや、著しく教養を失った。近頃、日本人の脳が豚やアヒル並みのIQへと劣化している現況に、茫然と佇むことが多くなった。例えば、本稿で正確に使用している語彙の差異すら、理解できないものが増えに増えた。「保守」と「民族系」という、天と地ほどに異質・異次元の語彙を平然と混同し同一化する、未開人のような無謀な無知が、日本で蔓延している。  

 「保守」と「民族系」の区別・差別は、具体的な人物を双方から十名ほど、保守思想の定義を物差しに比較すれば、客観的・学術的に明らかになる。次の表2と表3は、1960年までの日本において、「保守」とは「反共/反ソor反露/親英米/市場経済」派を指す言葉だった厳密な定義を継承して比較したものである。この表2/3を見れば、例えば中川八洋が、昭和天皇/吉田茂を正統に継承している一方、「民族系」の江藤淳/小堀桂一郎/西尾幹二らとは水と油のごとく対極的な思想を持っていることが一目瞭然となる。

表2;「保守」とは、次の四イデオロギーを信条とする愛国者のこと(70点以上) 

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表3戦後「民族系」は戦前戦中の朝日新聞を吸引して生まれた“朝日新聞チルドレン”

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(備考1) 渡部昇一のみ、「保守」が一部に混入する、「保守」と「民族系」のハーフ。 

(備考2) ML主義とは、マルクス・レーニン主義の略号。  

  表4は、この表2と表3にもう少し説明を加えたもの。この表4で、「保守」と「民族系」の相違が、よりはっきりと理解されたのではないか。

表4;終戦によって形成された「保守」と、1983年頃から簇生した戦後「民族系」

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「民族系」の「保守」蚕食による“保守の死滅”  

 ここで、日本の「保守」がなぜ衰退し、今やほとんど死滅したか、について、若干の解説をしておかねばなるまい。これは、二段階で進んだようだ。第一段階は、狭義の戦後「民族系」の台頭によって。第二段階は、戦後世代の引退と「保守」継承者の不在とによって。

第1段階;亜流の「民族系」が主流の「保守」を蚕食した80年代初頭  

 戦後日本は“反共”GHQのお蔭で、「革新」と対決する「保守」が初めて誕生し、多数を掌握した(67%に満たないが60%)。政治家は吉田茂/幣原喜重郎ら、知識人は林健太郎/福田恒存/竹山道雄/磯田光一らが、それ相当の影響力で社共/朝日新聞と対抗し、“反・社共”政権の安定的持続に貢献した。とりわけ、田中角栄首相誕生の1972年までは。

 だが、昭和天皇崩御後の1990年に入ると、日本の“保守知識人”は中川八洋だけとなった。この事実は共産党を筆頭に左翼人士の間では常識(備考)。だが、無教養なナラズ者集団ともいえる「民族系」はこの事実に全く無知・無関心。多少は知っても逆に歓迎する始末。

(備考)福田和也/浅田彰「左翼は消え、保守は死んだ」『VOICE』1995年9月号。

第2段階;1990年代前半──「保守」の死滅、共産党の日本完全制覇  

 日本における「保守」の死滅は、「民族系」が「保守」を蚕食し、ついには「保守」を衰退に陥れた1980年代前半に続き、1990年代前半には「民族系」は自らを「保守」だと錯覚的に自任するに至ったこととも関係している。「民族系」は共産党とは同根異花のため、共産主義思想と対決すべきとの意識もないし責任感もない。「従軍慰安婦問題」も、“お客”旧軍の元兵士の要望(読者市場)への迎合が動機で、“歴史真実の死守”という保守知識人的な発想は皆無である。結果、1990年代半ば以降の日本では、「保守」不在/「保守」死滅となったから、共産党や在日北朝鮮人は、無人の平原を走る数万輌の戦車軍団のごとく日本全体を易々と制覇している。

 

1、1990年代半ば、「保守知識人は、とうとう中川八洋一人になったな」など、左翼界での勝利の雄叫びのような話が耳に入るようになった。確かに、事実はその通り。1990年頃を境に、吉田茂に始まる“戦後保守”が細りに細って終焉を迎えるように自然消滅したことに疑う余地はない。

 例えば、ポスト・モダンドゥルーズ中核派の論客二人が、“「保守」の消滅”に万歳!の祝杯をあげたが、基本情況の把握においては、彼らは間違ってはいない。福田和也浅田彰「左翼は消え、保守は死んだ」『VOICE』1995年9月号。このタイトルの前半「左翼は消え」は、「日本全体は左翼だらけになった」の転倒表現である。  

2、辺見庸佐高信『絶望という抵抗』、(株)金曜日、41~2頁。

3、辺見庸『永遠の不服従のために』、毎日新聞社、50~1頁。

4、佐高信佐藤優『世界と闘う読書術』、集英社新書、242頁。

5、上掲『絶望という抵抗』、40~1頁。

6、「正論」メンバーに血統上の北朝鮮人が「十数名」という事実は、産経新聞の正体を明らかにする情況証拠。この調査分析を疎かにすべきではない。         

表5;産経新聞「正論」メンバーの北朝鮮人たち(空欄は、調査中)

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7、稲葉秀三/堤清二ソ連経済改革への提言』、日本経済新聞社、35頁。

8、産経正論欄メンバーのうち、ロシア工作員「10名強」は、その一部だが表6を参照のこと。

 

表6;産経「正論」欄のロシア工作員(一部)

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9、これは『ミトローヒン文書』にも記述されている。C.Andrew&V.Mitrokhin,The Mitorokhin Archive Ⅱ,Penguin,p.303.

10、『国民の憲法』、産経新聞社、216頁。

11、大澤真幸/佐伯啓思/高澤秀次天皇の謎を解きます』、左右社、85,98,101頁。これは、大澤真幸が主宰する対談専門雑誌『THINKING 〇』の第9号。

12、『文化会議』、第?号、29頁。

13、林健太郎小堀桂一郎、及び林健太郎中村粲との『正論』誌上での論争などは、この例。林健太郎の日本現代史は、ドイツ近・現代史についてあれほどの造詣があるのに、さっぱりダメが特徴。林健太郎が、無学・無教養な小堀桂一郎を一刀両断に斬り殺せないのは、近衛文麿あるいは陸軍参謀本部ソ連の支配下にあった最重要な歴史事実に無知だからである。

 大東亜戦争否定論が「保守イデオロギー」の一つだった昭和天皇以来の「保守勢力」にとって、林健太郎の粗雑な論争技術は、致命的にマイナスとなった。大東亜戦争の肯定か否定かは、「侵略だったか、自衛だったか」をゴミ的な“些末な論点”として排除する昭和天皇の高度な賢慮を踏襲すれば、簡単に決着がつく。「民族系」の“反・歴史/反・国益大東亜戦争肯定論”を、燎原の火のごとくに完全焼却・抹殺している、1996年以降の“中川八洋大東亜戦争論”は、論争に失敗し、「保守」にダメージを与えた林健太郎の後始末と言えるかもしれない。

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