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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“戦争の21世紀”を誘爆したオバマ大統領の広島訪問 ──「米国の核による平和」に矜持なきオバマは、“非・米”の野蛮人

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋

 二十世紀に入るや、“パックス・アメリカーナ”と言われる、グローバルな世界秩序の担い手として米国が自由社会の偉大なスーパーパワーとなりえたのは、1780年代の“建国の父”たちが偉大だったからである。とりわけ、初代大統領ジョージ・ワシントンは世界史上に稀有な天才政治家で、(13邦合せて人口300万人以下の)“新生のミニ国家”米国を無事に出立させた手腕は、他に類例がない。

 1783年に英国から独立したものの十三邦の烏合にすぎない集合体を米国一ヶ国にする難事業を、植民地・アメリカ十三州を失った英国の逆襲を排除しつつ達成することは、超天才ハミルトンを見出して使いこなしたワシントン無しにはなしえなかった。また、かつての同盟国「ルイ16世のフランス」が、米国の誕生の半年後に忽然と消えて、血塗られた猛毒の革命イデオロギーに狂う「革命フランス」となり、当初はイデオロギー的に、次には(ヨーロッパ随一の)軍事力でもってアメリカにも侵略の触手を伸ばしてきたが、“ミニ国家”米国をこれより守り抜いたのは、ワシントン大統領が(フランス革命と同時に)革命フランスの極左イデオロギーを排斥する思想闘争を(ハミルトンを使って)国内で激しく展開したことに大きく負っている。

 そのような“自由の砦”米国が十九世紀末までに西海岸そして太平洋まで発展したからこそ日本は、ロシアからの侵略から主権と安全とを擁護することができた。1905年の日露戦争における日本のすれすれの勝利は、「一に英国、二に米国」と言うべきアングロ・サクソンの支援なしには、手にしていない。時の米国大統領は、“親日”のテオドア・ルーズベルトだった。

 満洲奉天会戦でレンガをロシア兵に投げつけていた日本兵がいたように、弾薬すら使い果し継戦力を欠乏した日本が、ポーツマスで対露戦勝講和に滑り込めたのは、小村寿太郎の日本人離れした粘り強い外交交渉能力に加えて)テオドア・ルーズベルト大統領の尽力のお蔭である。

第一節 世界平和構築に汗を流したトルーマン、J.F.ケネディレーガンの三大統領

 十八/十九世紀の米国大統領の話は、手短すぎるがここで割愛。1945年以降の20世紀後半に話を飛ばす。なぜなら、「核兵器と米国大統領」を論じる場合、ニューメキシコ州アラマゴード近郊の砂漠で)1945年7月16日に実験成功した“人類最初の核兵器”以降に限られるからだ。  

 人類初めての核兵器のボタンを手にしたのは米国大統領トルーマンただ一人だった。しかも、「米国は原爆をあと二発保有している」との連絡をトルーマンが受けたのは、ナチ・ドイツが五月に崩壊したのを受けて“欧州に関る戦後処理”を決定すべく、ポーランドポツダムで、スターリンソ連首相とアトリー英国首相と三巨頭会談中であった。英国首相は、下院議員選挙に落選したチャーチルから労働党党首のアトリーに代わり、事実上は「三巨頭」ではなく、「二巨頭+アルファ」会談だった。

 米国が二発の核爆弾を手にしたことは、日本にとって幸運だった。なぜなら、日本が自国に叛逆する“自国毀損の【狂気の戦争】大東亜戦争”から日本国を救ったからだ。米国のポツダム宣言と原爆は、日本にとって、特に、終戦を急がれる昭和天皇にとって“神の見えない手”であった。

 現に、トルーマンは、核爆弾を手にした時、それを日本に投下すればソ連の対日参戦はもはや不要と判断し、米国単独の対日降伏勧告を即座に決めた。同行したバーンズ国務長官は、ソ連の勢力圏増大を無限に要求するスターリンへの恫喝としての、日本への核投下論者であった。

 しかも、この時たまたまトルーマン大統領が手にしていた対日降伏勧告──のち「ポツダム宣言」と称される──は、親日のグルー、ドーマン、スティムソンらの作で“天皇制=国体護持”が濃厚なものだった。ポツダム宣言スターリンと協議されていたら、その内容がどうなったかわからない。スターリントルーマンに対し、参戦の代償に北海道の占領(割譲)を要求したことは想像に難くない。

 “国体護持”の保障を条件とした「ポツダム宣言」を、昭和天皇が事実上の独断で“受諾ご決心(=「ご聖断」)”されたのは、8月6日のヒロシマ原爆投下の直後だった。ヒロシマ原爆こそ、日本を毀損する日本国にとっての“狂気の戦争”大東亜戦争から、日本を解放したのである。ヒロシマ原爆こそ、スターリンの命令のままにアジア共産化革命の手段だった大東亜戦争から、日本男児二千万人の生命と(戦後復興の基盤となった)戦災を免れた約半分の産業施設・インフラ設備を守ったのである。

1960年代までの日本人の常識、久間章生の“米国原爆投下”肯定論は、1990年代に消えた

 祖国日本への叛逆であった大東亜戦争を肯定し美化する“《反日》のならず者集団”民族系は、国賊の極みだから一人残らずシベリアに追放しなければならない。“共産党の別働隊”といえる民族系の一掃は、日本が正しい歴史の真実を守る一翼として不可欠である。

 そもそも、“反日の狂気”大東亜戦争肯定論を日本で最初に振り撒いた背後の組織は、ソ連の工作と連動した“スターリン狂のソ連人”パル判事らを操ったNKGBKGBとともに、金日成北朝鮮であり朝鮮総連である。後者については、“天皇制廃止のアナーキスト林房雄が誰に頼まれて『大東亜戦争肯定論』を執筆したか、「大東亜戦争万歳!」と叫ぶ名越二荒之助らがことごとく北朝鮮人ばかりである事実からも一目瞭然だろう。

 なお、パル判事を美化した最初の“非・日本人”田中正明は、教条的な共産主義者で、日本国が国家であることを否定する“狂信的なコスモポリタン”。田中正明は、共産党の党籍も有していたと考えられる。

 話を「核兵器と米国の原爆投下問題」に戻す。1960年代末まで日本人の九割は、「ヒロシマ(原爆投下)が日本を救った」が常識だった。これは、昭和天皇の終戦詔書玉音放送、1945年8月15日正午)を拝して謹聴した日本人にとって、常識というより真理ですらあった。ところが、この常識がガラガラと崩壊していく事件が起きた。1983年8月6日に中曽根康弘・首相が、自民党国会議員で初めて“共産党主催のヒロシマ慰霊祭”に出席したためだった。

 私が20歳の東大三年生だった1965年の日本では、「日本核武装支持が6割、《広島原爆が日本を救った》と考える者が9割」だったから、私(1983年時は38歳)より年上の者の多くは(主に男性)中曽根康弘共産党員そのものの行動をしたのに心底から驚愕した。自民党国会議員の一部は、腰を抜かした。

 この1983年8月6日を境に、「反核核兵器反対、原水爆禁止)は、共産党員の専売特許の共産革命運動だ!」が常識だった日本の世論に、激変が起きた。日本人の反核運動への嫌悪・拒絶感情が、一気に消滅へと走り出したからだ。

 “沖縄人”中曽根康弘の赤い暴走から十年以上が経過した1990年代半ばになると、反核運動への嫌悪・拒絶感情を持つ正常な日本人の方が、かつて1960年代の「九割」から逆転して、「一割」程度の極少数になった。「広島/長崎の原爆慰霊祭は、共産党の危険な共産革命運動だ!」と正確に把握できる日本人は、ほぼゼロになった。

 久間章生は、初代防衛大臣だった2007年6月30日、麗澤大学での講演会で、「原爆投下によって大東亜戦争が終わった」「原爆投下によってソ連の北海道侵攻が間に合わなくなって北海道が守られてよかった」と語った。この発言が社会的問題となった。実態は裏で共産党が操っているだけなのだが、表でも久間の選挙区・長崎県全体で“久間バッシング”が大きな渦となり、久間は翌7月に防衛大臣を辞任した。その後遺症的イメージダウンは大きく、二年後の衆議院選挙に落選し、久間は政界を引退した。

 “2007年久間事件”を客観的に観察すれば、久間章生の時計が止まっているのか、原爆投下に関して日本の世論が劇的に反転したことを全く知らない“スーパー無知”が原因だろう。久間は、1960年代までの日本の常識を、バック・ツー・ザ・フューチャー的に2007年に語ったのである。

 久間が東大法学部を卒業したのは1964年だから、2007年はそれから半世紀近い四十三年が経っている。(久間が大学在学中の)日本の大衆が共有した常識が世代が完全に交替する半世紀を経ても変わらないと思い込んでいる久間章生とは、政治家の資質に問題ありと言わねばなるまい。オルテガの言う通り、大衆は付和雷同の愚昧集団だから、国家のエリートは絶えず“「大衆への叛逆」ではなく、「大衆への抵抗」”に熱情を傾けるべきである。

 また、私や久間が過ごした本郷時代(1960年代)の日本人の常識が、1990年代の日本人の非常識となった責任の一半は、田中角栄に始まる1970年代/1980年代の自民党が“ずるずると左傾化した/共産革命運動を放任した”ことにある。

 久間の問題はもう一つ。久間は、日本で唯一人の核兵器核戦略理論の専門家である私中川八洋が、核兵器に関する日本世論の激変を阻止せんものと、「対ロ/対中の核抑止力こそ平和の要諦」との“学術的真理=灯”が日本から消えないよう鋭意努力していることすら知らない。それほどの無知・無関心のレベルで、国家の最枢要な核問題・原爆投下問題を軽率にも語るとは、久間の脳内は羽毛よりフワフワしている。久間は、私を一度も訪ねてきたことはない。

原爆投下で日本を救い、スターリンへの核恫喝でイランを救ったトルーマン大統領

 話が脱線してしまった。トルーマンに戻る。トルーマンが大統領在任中に下した、核兵器に関る決断は三回ある。①広島/長崎への原爆投下(1945年8月)、②イランの北半を侵略中のスターリンに対し「イランから撤退しなければ原爆を投下する」との対ソ核恫喝(1946年、“反共・反ソの巨魁”で対ソ核使用を模索するバーンズがまだ国務長官に在任中、“反共反ソ”チャーチルの「鉄のカーテン演説」の直後)、③朝鮮戦争中、満洲における毛沢東中共軍部隊の主要基地とハバロフスクのロシア極東戦域軍司令部に対する、マッカーサー元帥の核爆弾投下を含む空爆要求を拒絶(1950年10~11月、翌年1951年4月11日にマ元帥を解任)。  

 ③については、『トルーマン回顧録Ⅱ』(注1)を読めば、いかにマッカーサー元帥の判断が正しかったか、いかにトルーマン大統領の方が間違っていたかが即座に分かる。尚、『トルーマン回顧録』には、マッカーサー元帥の要求「B29に搭載する核爆弾26発をあらかじめ(自分が最高司令官を務める)米国極東軍に移送しておいてもらいたい」は、(削除以前で)記載がない。

あり得もしない“幽霊”「米ソ核戦争」に怯えた、“怯懦の欠陥指導者”アイゼンハワー大統領

 あり得もしない“亡霊”「第三次世界大戦」に怯えて、マッカーサー元帥が率いる国連(ほとんどが米国極東軍)に、満洲中共軍基地空爆を容認しなかった1950~1年のトルーマン大統領の怯懦ぶりは、その後継者アイゼンハワーに引き継がれる。思想的には右でもなく(前任のルーズベルトのような)左でもないトルーマン民主党だからだとの俗説は、間違っている。  

 トルーマンの後継大統領アイゼンハワーは共和党だが、彼の怯懦性は、トルーマンよりひどく、あり得もしない対ソ核戦争恐怖症の八年間だった。また、トルーマンが非・軍人だからだとの俗説も間違いである。アイゼンハワー第二次世界大戦の欧州戦域の英米仏合同軍総司令官であり、生粋の陸軍軍人である。トルーマンはあり得もしない“幽霊”「第三次世界大戦」に怯え、アイゼンハワーはあり得もしない“幽霊”「米ソ核戦争」に怯えたのは、偏に両名の人格と知識(情報)に、チャーチル的な偉大性が大きく欠乏していたからである。  

 外交を担う国家の指導者に関る資質は、チャーチルを100点満点とする基準で図るのが、客観的な物差しだろう。この物差しでは、トルーマンは15点で、アイゼンハワーは5点。次節で述べるケネディは75点、レーガンチャーチルをはるかに越えるので160点だろう。  

 トルーマンの方がアイゼンハワーよりましなのは、ギリシャ/トルコ防衛を決意したことトルーマン・ドクトリン、1947年3月)、及びイラン北部からの侵略ソ連軍を叩きだす事ソ連軍の撤兵を強制、1946年春)に成功したこと、の二つの軍事的決断を行ったからである。ギリシャとトルコがNATO加盟を果たしたのは1952年で、これはトルーマン大統領の功績といえる。  

 トルーマン外交が大きく左傾化するのは、バーンズ国務長官を馘首した1947年1月以降。ルーズベルト大統領が抜擢した極左人士ジョージ・マーシャル国務長官(1947年1月~49年1月)にし、また“札付きの赤”ディーン・アチソンをその後任の国務長官(1949年1月~53年1月)にしたからである。「韓国をソ連圏に差し上げる」と発言したアチソンは、疑いの余地なく、コミュニストソ連工作員だったろう。マーシャルもまた、強度の共産主義シンパであったことは否定できない。

 例えば、マーシャルの毛沢東中国共産党への肩入れと嫌・蒋介石が、1949年10月の支那全土の赤化を決定づけた。これこそは、毛沢東による支那全土の共産化を支援すべく対・蒋介石戦争を開戦した“ソ連人”近衛文麿の後継行動であった。“強烈な反共人士”ジョン・フーヴァー長官が独裁するFBIからふんだんに情報を提供されていたマッカーシー上院議員は、マーシャルを共産主義者と断定している(注2)。  

 話をアイゼンハワーに戻す。1953年1月からのアイゼンハワー大統領は、国務長官に頭脳明晰な“反共反ソ”の愛国者フォスター・ダレスを選んだ。多くのものは、米国の対外政策は「反共反ソ」に戻るだろうと期待した。が、そうならなかった。

 アイゼンハワーが、第二次世界大戦で多くの部下を戦場で戦死させたトラウマから、「第三次世界大戦」とりわけ「米ソ核戦争」という非現実の亡霊に恐怖する“怯む精神”に病んでいたからだ。米国が世界の海軍力のほとんどを独占する1950年代の米国大統領は、同時に世界に君臨する最高指導者だったが、マッカーサー元帥のような高いIQとも無縁で、戦争で精神を病み戦争忌避症となったアイゼンハワーは、そのようなポストに適切な人物ではなかった。  

 スターリンの原爆実験成功は1949年8月、水爆実験成功は1953年8月。アイゼンハワーは、これにもろに幻惑された。そして理性ある思考力を失った。ソ連ICBM弾道ミサイルの開発に成功したのは1957年8月。これは二ヶ月後の10月、人類初の人工衛星スプートニク打ち上げで証明された。

 だが、ソ連の対米核攻撃の戦力は量的には微々たるもので、米国が上記の一連の動きに過剰反応する必要など全くなかった。水爆も戦略爆撃機ICBMも、1960年時点ですら、米ソの格差は「10対1」と大きく、ソ連にとって、米国との核戦争など現実には不可能で夢想の域を越えなかった。

 核兵器の量的劣勢だけでなく、ソ連の地理的欠陥は決定的だった。米国は(より短距離・短時間で)西欧・トルコからモスクワを核攻撃できるが、ソ連からの対米核攻撃は地球を半周するICBMしかなかったし、その数はわずかだった。しかも、このICBMとてかなり長い燃料注入時間が必要で、モスクワ近郊の基地のそれは、発射前にヨーロッパに展開する米国の核搭載戦略爆撃機B47などの餌食になる情況だった。当時のICBMは地下サイロではなく、地上の丸見え発射塔から発射した。

 すなわち、米国にとって、当時のお粗末で貧困な核戦力しかないソ連からの核恫喝など“チンピラやくざのブラフ”にすぎず、一喝するだけで済んだレベル。だが、アイゼンハワーは、核兵器の知見ゼロの核戦争音痴の上に、正確なソ連核兵器生産情報をいっさい手にしていなかった。しかも持病の戦争恐怖症のために、絶えず“逆上する逆走外交”に暴発した。

 具体的な事例をひとつ。スターリンが育てた)エジプトの共産主義独裁者ナセルは、英仏が自分たちの金で建設したスエズ運河を戦争(「スエズ戦争」)で掠奪しようとした1956年、このナセルのスエズ運河侵略を阻止することはいとも簡単だった。アイゼンハワーが「ナセルの行動は、国連憲章違反だ!」と糾弾し、英仏の権益維持行動は「国連憲章の自衛だから支持する」と宣言するだけでよかったからだ。

 ところが、何を狂ったのか、アイゼンハワーは逆立ちして、スエズ運河があるシナイ半島に展開するエジプト軍を粉砕すべくイスラエルに先遣侵攻をさせた背後の)英仏二カ国の方を、アラブ諸国と世界が聞こえる大声で徹底的に糾弾した。また、国連安保理事会に、英仏イの三ヶ国を非難する(即時停戦)決議を出した。

 後者に対しては、英仏はこれに拒否権発動で対抗せざるを得なかった。それは、英米仏三ヶ国同盟関係のまさしく亀裂となった。つまり、アイゼンハワーこそが、共産主義者ナセルの暴挙とナセルを支援するソ連による“西側同盟分断decouplingの罠”に乗っかってしまった。アイゼンハワーは、“《世紀の愚鈍》大統領”の軽蔑名を後世に残した。

 特に、ソ連のフルシチョフ第一書記が、ブルガーニン首相名で、ロンドンとパリに核弾頭を投下するとの、英仏イに対する核恫喝の書簡を送りつけたことに対抗して、アイゼンハワーが、米国の公約である対ソ“逆・核恫喝counter-nuclear intimidation”をしなかったことは、アラブ諸国の米国からの離反を促し、ソ連の対外膨張政策を元気づけた。

 「スエズ戦争」はついに11月6日、イーデン英首相が、対スエズ軍事侵攻を取りやめ、英仏は全面敗北を選択した。米国が同盟国への“核の傘”の約束を放棄したことによって、英仏はロシアの核恫喝に屈するほかなかったからである(注3)。この“紛れもない西側の対ソ全面敗北”が、その数年後に、ベルリン危機とキューバ危機を産み、さらにベトナム戦争へと、20世紀後半の世界を“已むことのない戦争の世紀”へと巻き戻した。“スターリンの息子”ホーチーミンの北ベトナムが、南ベトナムに本格的な侵略を開始したのは1959年で、ナセルの対英仏戦争勝利の三年後だった。

 同じ1959年、キューバ共産主義者カストロソ連の後押しで暴力革命に成功したのも、ナセルを使ったスエズ運河掠奪に成功したフルシチョフが、米国アイゼンハワー大統領の怯懦ぶりに味をしめたからである。アメリカの喉に突き刺さった“米国の裏庭カリブ海キューバ革命”は、“スーパー臆病”アイゼンハワーの対ソ核戦争恐怖症が、ソ連の“それいけどんどん”を奨励したからである。

 なお、1960年に核実験に成功し核保有国となったフランスが、この核武装に急いだ理由は、1956年にアイゼンハワーに裏切られた、米国の“核の傘extended deterrenceの信頼性credibility”の低さに愕然としたからだけではない。(米国に見捨てられないよう)米国との同盟関係をより緊密化するに核武装こそ接着剤的な効果があるとの理論(ボーフル将軍)に負うところも大きい。この後者の戦略理論を、私中川八洋は、「同盟国間の核カップリング効果nuclear-coupling effect」と名付けた。

米国の核戦力を信じた“勇者”ケネディと“対ソ核優位=ソ連潰し”を実行した“大英雄”レーガン  

 アイゼンハワーの対ソ外交の大敗北を反省した米国が、国際的に信頼を取り戻したのは、その後継のケネディ大統領であった。ケネディはまず、ソ連核兵器生産量を精査し、米国の核戦力の方が優位であると確信した。そればかりか、対ソ絶対優位の“ICBM/SLBMの対ソ三倍保有”を米国の使命だと信じ、弾道ミサイルの大増産に着手した。  

 アイゼンハワーのように、米国の方がソ連の十倍以上の核戦力を保有している事実を知らず、フルシチョフが世界に放った“真赤な嘘”「ミサイル・ギャップ(=米国保有の核兵器の方が、逆にソ連の数分の一だという偽情報のこと)」を信じる、“スーパー馬鹿”を繰り返すヘマを、ケネディはしなかった。  

 ソ連共産党第一書記フルシチョフが、ニューヨークとワシントンを核攻撃する中距離弾道ミサイルSS4とロスアンジェルスとサンフランシスコを核攻撃するSS5をキューバに運び込もうとした(一部は運び込んだ)1962年10月、ケネディは「核戦争してもいいよ」と、フルシチョフにそれらの即時撤去を要求した。フルシチョフは、米国と核戦争をすれば一方的にモスクワとレニングラードが灰燼に帰すソ連大敗北となるのを理解していたから、即座にケネディに屈した。

 「米ソ核戦争の瀬戸際だった」とか「人類滅亡の危機だった」とかの“キューバ危機”論はすべて、ソ連側が「ロシア人とは、実は世界で最も重症の核戦争恐怖症民族」との事実を知られないようにするため、モスクワが流した偽情報である。「危機」とは程遠い、緊張はしたが単なるソ連のSS4/SS5撤去外交に過ぎなかったのに、“大仰しい語彙”「キューバ危機」は国際政治史の学術用語になった。なお、1962年10月の米ソ核恫喝合戦を、米ソの核兵器から客観的に分析した視点と正確さは、(米国国防省などの省内専門分析を除けば)私のがおそらく世界トップだろう(注4)。

 レーガンの核戦力観と対ソ核外交は、ケネディよりももっと勇者で、はるかに天才的なものだった。まず、核防御をしないキッシンジャー相互確証破壊(MAD)を馬鹿げていると一蹴して、MD(ミサイル防御)を復活させただけではない。ソ連核兵器群で包囲して、ソ連に対して“巻き返しrolling back”の核攻勢態勢を一気に整備した。それはまた、ソ連と通じていたソ連工作員ジョージ・ケナンが発案した)有効性ゼロの“封じ込めcontainment政策”の放棄であった。

 防勢的な“封じ込め”策など穴だらけの杜撰な画餅防波堤にすぎない。そのようなものでは、ソ連がなす「それ、エジプトだ」「それ、キューバだ」「それ、南ベトナムだ」「それ、エチオピアだ」「それ、アフガニスタン」と、膨張と侵略のしたい放題を止めることはできない。あくまでも、レーガン的な“巻き返しrolling back”だけが、真にソ連を封じ込めうる。

 さらにレーガンは、この核攻勢態勢を金と時間のかかるICBM/SLBMでやらず、費用安価で大量生産ができる巡航ミサイル・トマホークと中距離弾道ミサイルのパ―シングⅡでやってのけた。しかも、米ソの地理的非対称を活用して、欧州戦域での米ソ核戦争の態勢を構築し、「核戦争をしようではないか」とのシグナルを、アンドロポフ・ソ連共産党書記長に送った。1983年だった。

 アンドロポフはKGB第二総局出身でKGB議長を経験した男。共産党の生え抜きではない。日頃から共産党独裁体制には批判的で、ひたすらロシアの存続だけを第一に考え、教条的な共産主義思想からは距離を置いていた。レーガンの挑戦状に従って米ソ核戦争をすれば、「米国勝利、ソ連敗北」は明らか。アンドロポフは、東欧を西欧に返還してヤルタ協定を正しく履行する、対米核戦争を回避する道を直ちに決定した。次に、これをKGB第二総局の一部エリート官僚に指示した。

 閑話休題。この密命を受けた/知らされたKGB第二総局のごく少数の官僚の中に、三十歳前後のプーチンもいたようだ。なお、アンドロポフは、六年も先になるのに、この東欧返還をフランス革命二百周年記念の1989年と定めた。その日を、レーニンのロシア革命記念日の11月7日とせよと命じた。ロシア民族は、十三世紀のモンゴル文化のままに異常な縁起を担ぐ民族。例えば、ゴルバチョフは、1987年米国訪問で、米国提案の11月中を蹴り、パールハーバー攻撃の12月7日に拘泥した。

 話を戻す。このように、1981年からのたった数年間の、レーガンの対ソ核攻勢/対ソ核包囲によって、東欧諸国が無血で西側に返還された。また、ソ連は、東欧諸国だけでなく、アフガニスタンからも、エチオピアからも、モザンビークからも、アンゴラからも、総引き揚げを行った。キューバたった一ヶ国を除き、ソ連と共産政権の圧政と侵略で呻吟していた国々は、共産体制から解放された。

 レーガンの核戦力増強が、米国の核兵器が、世界の平和を回復し、多くの国々を圧政や戦乱から解放したのである。すなわち、米国の精強な核兵器体系こそ、世界平和にとって、最も実効性ある手段だということが証明された。国連や条約など、米国の核兵器という“正義のパワー”に比すれば、世界平和にとってゴミに等しい“役立たず”である。

第二節 米国建国の精神と思想に叛逆するオバマは、マルクスアナーキストか?

ウクライナ問題で、プーチンに核恫喝された“米国史上最低の恥さらし大統領”オバマ

 凶暴な侵略独裁者プーチン・ロシア大統領は、2015年3月15日、国営テレビ・インタヴューで、米国オバマ大統領に、「ウクライナを軍事的に防衛したいのなら、ロシアとの核戦争を覚悟してからにしろ」と核恫喝した。これは、クリミア半島への軍事的侵略成功一周年記念日である3月18日を前に、米国に対して、ウクライナ侵略戦争勝利の凱歌を高らかにあげるもので、またウクライナを支援する米国と欧州に対する核威嚇であった。

 これに対して、オバマは事実上屈伏した。ロシアに逆・核恫喝しなかったからだ。米国オバマ大統領は、プーチンのロシアには敗北したのである。このように、オバマとは、米国の歴代大統領の中で最も怯懦(臆病)で、“病的な戦争拒否症”を病む欠陥大統領。ケニア系のアフリカ黒人オバマは、プーチンが率いる新ロシア帝国の再膨張・再侵略を逆に激励する、度し難い“平和の敵”だ。

 オバマの大罪は、米国の国家的威信を地に落とし、米国外交の汚点を歴史に刻んだだけではない。オバマは、自分の核兵器恐怖症を“核廃絶”という空名で正当化して、自由世界の新しい同盟国にならんとするウクライナのような戦略的要衝の国家を、世界平和を破壊するロシアに従属させる道に転落させているからだ。

 ロシア民族は、戦争を忌避したり核戦争に恐怖する国家や政治指導者を侮蔑し、これに乗じて戦争を躊躇わない軍事膨張を恣にする。ロシア民族は、この民族文化に基づき、“右手に絶対優位の核兵器、左手に空前絶後の絶大な海軍力を振り回した”レーガン大統領のように、ロシアが得意とする、核戦争恐怖を煽動する心理戦にもいっさい動じない真正な勇者が指導者である国に対しては、媚びるように叩頭して降伏する。  

 要するに、オバマの①奇矯な核兵器観と②対ロ過剰宥和策とが、世界平和を全面破壊してロシア主導の世界新秩序を構築せんとする“21世紀型スターリンプーチンを鼓舞して、ロシアの対外膨脹への野心を増長させている。オバマを、1938年に「ミュンヘン」でヒトラーの共犯者になったチェンバレン英国首相と同じく、「“侵略のドン”プーチンの共犯者で、戦争を世界に誘発している」と、決めつけて間違いではない。  

 スターリンソ連は、生来のロシア民族の血としての“世界一の外交力”に加え、ペスト菌共産主義の伝染力を活用した。それから八十年を経て、プーチンもまた、ロシア民族のこの天性の外交力に加え、対米優位の核兵器態勢を構築することに全力を投入している。ロシアが再び世界帝国へと成り上がるのに、さほどの時間はかかるまい。このプーチン・ロシアの再膨張政策に、秦の始皇帝以来、侵略が三度の飯より好きな支那民族の中共が必ず助っ人にでてくる。プーチンの野望が画餅で終わる事は万が一にもありえない。

プラハでのオバマ「“核のない世界”演説」が招いた、プーチンロシア帝国の大侵略の再開  

 プーチンが、ウクライナへの侵攻・侵略が代表するように、“ロシア領土を再膨張させる時が来た”と侵略再開を決意したのは、オバマが2009年4月12日、チェコプラハで「核のない世界」演説をした時である。なお、この演説によってオバマは、2009年度のノーベル平和賞を受賞した。  

 侵略や戦争を民族文化とするロシアは、一にも二にも、米国の核戦力に恐怖して、自らの侵略や戦争を自制する。米国が核戦力を大幅に削減すればするほど、ロシアの領土膨脹の情念は、加速的に肥大化する。米国の核戦力とロシアの領土膨張は、反比例関係にある。  

 しかも、オバマの「プラハ演説」は、“言葉だけ”ではなく、実際の“行動”を伴うものとなった。すなわち、米露の戦略核弾頭の配備数を米ロ対等の「1550発」とする「新START条約」を、オバマは、「プラハ演説」のたった一年後の2010年4月8日に、ロシアのメドベージェフ大統領と調印した。外交交渉として、これほどの拙速はなく、前代未聞の平和破壊条約となった。このように、世界平和を破壊するオバマプラハ演説」の害毒は、量り知れない。  

 そもそも、冷戦の勝者と敗者とが“同数の対等parity”の条約を結ぶことは、米国がロシア同等の「敗者」に扱われることだし、ロシアが米国同等の「勝者」に扱われることにほかならない。ならば、ロシアは、「敗者」の立場から解放されて、冷戦時代に戻る権利を米国に承認されたと考える。オバマは、ロシアに、戦争奨励メッセージを送ったのである。  

 だからロシアは、「新START条約」の直後、当然のようにウクライナへの侵略準備を開始した。ウクライナ侵略は2014年3月で、「プラハ演説」から五年後。米ロ「新START条約」から四年後。  

 このように世界に戦争を誘発するオバマとは、1938年9月末、ドイツのミュンヘンで、ヒトラーに言われるままにチェコズデーテン地方をドイツに割譲したチェンバレン英国首相の再来というべきだろう。ミュンヘン会談が、一年後の9月1日に第二次世界大戦の勃発となった事は、世界と人類が共通して臍を噛んだ“歴史の中でも最も苦い教訓”ではなかったのか。オバマはいずれ、「チェンバレンの愚行を繰り返した、世界平和破壊の“非・米”黒人だった」と、歴史に悪名を刻むことだろう。

プラハ演説」から広島訪問へと、米国大統領にあるまじき“逆立ち狂気”が連鎖するオバマ  

 オバマ核廃絶演説には、三つある。第一が、2009年4月5日の「プラハ演説」。第二が、2009年12月10日の「ノーベル平和賞受賞演説」オスロ演説)。第三が、2016年5月27日の「ヒロシマ演説」。

 広島でオバマは献花した後、流暢でリズミカルな演説を行った。しかし、その内容となると、「えっ、これが米国大統領の演説!」と不可解と不審が頭をよぎったほど、異様を極めるものだった。例えば、歴史が完全に消えた“無・歴史”を前面に出して、ヤタラメッタに空なる欺瞞の言葉を機関銃のごとくに撃ちだすばかり。まさに、奇矯で異常な演説。

 一言で言えば、まるで日本共産党志位和夫委員長の代理演説としか思えないものだった。それほど、共産主義者特有の思想に満ち満ちていた。

 より正確には、マルクス/レーニンの共産主義思想の源流である、“デカルトの化身”コンドルセの「無限に進歩する人間の理性」(注1)と、ルソーの「歴史不在、歴史否定」(注2)と、“コンドルセ/ルソーの後継者”コントの「人類こそ神」(注3)を、大きな鍋でごっちゃ煮したキャンプ料理のようなもの、それがオバマヒロシマ演説である。ギロチンがフル稼働した“国家テロの源流”「悪のフランス革命」を産んだ/から産まれた、これら三名の思想家は、理神論の反・宗教の狂徒たちであった。

 また、無道徳主義/道徳破壊主義の狂徒たちであった。 米国は1789年春、デカルト/ホッブスやルソーの思想を全面否定する保守主義思想で建国された国家である。故に、この建国以来二百年以上、米国民は独りとしてルソ―を読まないし、積極的に排除する。この事実は、米国についてのイロハ常識。

 また、この1787年米国憲法は、十年前の1776年独立宣言に濃厚だった“やや左翼的”ジョン・ロックの思想すら、保守主義に違背するとの理由において、徹底的に排斥した。ジョン・ロックは、1910年代から少数思想として米国に復活するが、デカルト/ホッブス/ルソー/コンドルセ/コントは、建国以来二三〇年が経た今に至るも、米国政治思想の根幹にはいっさい浸透せず、世界で米国のみが、これら狂ったドグマ汚染から免れている。

 だが、オバマは広島で、建国以来の米国固有思想を真っ向から否定し、“非・米un-Americanの極み”の、「反・宗教」「反・国家」「反・科学」を高らかに吠えた。「人間の理性は、無限に成長する」 との、神をも恐れぬ“傲慢な嬌説”──ハイエクの言う「致命的な思い上がり」──を麻薬を吸引でもしていたのか絶叫した。よく言えば、オバマ演説の基本特性は、アフリカですら今や少なくなった未踏のジャングル奥深くに棲む野蛮人の雄叫びと同じものである。

 まさにオバマとは、高度な文明社会・米国に住む、狂気の蛮族未開人(barbarian)に他ならない。以下、「反宗教、反国家、反科学」という“反・文明の野蛮人”バラク・オバマの“世紀の妄言”を少しばかり列挙し、簡単な解剖をしておこう。

反宗教;「いかなる宗教も、信仰が殺戮の許可証だと主張する信者から免れてはいない」。

反国家;「国家は、(人々を犠牲と協力に結び付ける物語を作り、)この物語を、異なる人々を抑圧し、人間性を奪うために用いてきた」。

反科学;「科学による発見発明は、これまで以上の効率的な殺戮の道具に転用された。現代の戦争はこれが真実であるのを教えてくれる。広島はこの真実を教える」(訳は基本的に注4)。

「既成宗教の破壊こそ、大量殺戮への十三階段」。フランス革命しかり、ロシア革命しかり。

 オバマよ! 第二次世界大戦において、米国のプロテスタントキリスト教会は、アメリカ国民を大量殺戮したとでも言うのか。バカバカしい妄想でデッチアゲの誹謗中傷ではないか。現在のテロ集団「イスラム国」の特殊ケースをもって、すべての宗教を人間殺戮の宗教だと断罪するオバマは、狂気の短絡思考をする悪意の詭弁家である。オバマの人格も人間性も、まともではない。

 ナチズムのヒトラーは、ユダヤ人を最低でも百五十万人ほどは殺戮した。レーニンとスターリンは、自国民を六千六百万人ほど殺戮した。毛沢東は、支那人を八千五百万人ほど殺戮した。エチオピアのメンギスツ共産政権は、計画的に農民を餓死で殺戮処刑することを企て、エチオピア農民を百五十万人ほど殺した。

 未開野蛮人のオバマよ! これらナチズムやマルクス・レーニン主義は、オバマの辞書においては「宗教」としているか否か。宗教としていないのならば、素直に「共産主義やその亜種のナチズムは、二十世紀、人類を二億人ほど殺戮した」と述べるのが、歴史事実に即した表現だろう。

 ポーランドが1944年から1989年までの四十五年間、ソ連の圧政と殺戮と搾取に呻吟したが、この間ポーランド国民に希望を与え励まし続けたのは、ポーランドカソリックの教会だった。バークやハイエクが述べる通り、数百年間の時間的経過を経た、“棄教(脱会)の自由”を認める既成宗教こそは、文明社会の文明性に欠くことのできないものである。

 この事は、近代の無宗教ドグマの源流である、ヴォルテール無神論やルソーの理神論を狂信するジャコバン党が、キリスト教会を破壊尽した後、ギロチンや他の手段でフランス国民をいくら殺したかを思い出せば、いとも簡単なことではないか。 つまり、宗教には「いい宗教」と「悪い宗教」があり、文明社会は、この区別・差別をして、前者を大多数に成長発展させるべく、努力してきた。

 「いい宗教」と危険なカルト宗教/イスラム原理主義宗教の区別・差別ができないのは、オバマの本心が狂信的な無神論者で、マルクス・レーニン主義を吸引しているからである。オバマの恐ろしい“反・宗教”のイデオロギーは、既成宗教キリスト教への篤い信仰を重視して新生国家・米国を建設発展させることにした初代大統領ワシントンや建国の父たちへの叛逆である。オバマは、“非・米”の悪のイデオローグだと言える。

 ワシントン大統領の新聞発表演説「大統領職を去るに当って」(1796年秋)は、次のような内容だった。ワシントン大統領のこの宗教観を全面否定して冒瀆するオバマは、米国を去るべきだ。ケニアに帰るべきだ。

 「政治家も、敬虔なる人々と同等に、宗教道徳を敬い慈しむべきである」

「道徳は宗教がなくとも維持され得るという仮説を蔓延らせることには、慎重でありたい」

「理性的に考えても、経験的に考えても、宗教的原理を除外して、国民の道徳心が守られ得ると期待することはとうてい不可能である」(注5)。 

 次のマルクス/エンゲルス共産党宣言』の一節とオバマの「広島演説」とが一致するように、オバマは、ワシントン初代大統領を継ぐ第四十四代大統領でありながら、米国に対して叛逆している。

「道徳、宗教は、プロレタリアートにとってはすべて、ブルジョア的偏見である。それらすべての背後にはブルジョア的利益が隠されている」(注6)。

国家否定は、アナーキズム排除を理念として建国した米国への叛逆で、無法と殺戮の元凶

 “国家”に関するオバマの極論も同罪。国際政治の場裏における“国家”とは、侵略から国を守る事にほとんどの知力と国力とを傾ける。1940年5月の英国は、ヒトラー・ドイツの侵略に抗して、国民一丸となってチャーチルの政府とともにまずは防衛、次にナチ・ドイツ打倒の戦争を遂行した。それがどうして一般理論として「国家は、抑圧装置で人間性剥奪の機構」なのか。

 オバマのこの狂気の暴論は、クロポトキンバクーニンの主張そのものであり、無政府主義のドグマではないか。日本でいえば、大杉栄幸徳秋水イデオロギーである。

 国家もまた、第二次世界大戦期を例にすると分かり易いように、「いい国家」と「悪い国家」がある。ナチ・ドイツは「悪い国家」、レーニン・スターリンの国家は「悪い国家」。一方、英国は「いい国家」、フィンランドは「いい国家」、米国は「いい国家」である。

 此の峻別ができないのであれば、法的正義・不正義は峻別・差別できず、国際法は廃棄され、世界は無法が支配者となって弱肉強食の巷となる。オバマは、世界を法的正義のない血塗られた戦争の地球にしたいのだろう。オバマは真正の悪鬼で、自由と正義と平和の敵と言える。

 国家なしに自由と法秩序ある社会を人間は手にすることはできない。すなわち、自生的な善き国家の存在は、必要悪ではなく必要善である。だから、伝統と歴史ある自然的に発展してきた国家は、国民が命を捨てても守るだけの価値がある。そして、「悪い国家」は、ソ連にせよ、ナチ・ドイツにせよ、自生的国家とは異次元の、ことごとくデカルト的な浅薄な人間の知力で設計された社会主義共産主義の国家である。人類の、不幸と陰惨な二十世紀の経験において、自生的国家、とくに封建遺制を内包する自生的国家こそ、最も優れた国家である。

 現に、米国憲法の条文の中に十三世紀英国のマグナ・カルタの思想と言葉が散見できるし、米国憲法は十七世紀初頭のコーク『英国法提要』を下敷きに起草された。このように米国は、英国中世の封建時代の政治体制・法思想を理念として建国された国家である。故に、米国は“自由の王国”になり得た。だが、異様なことにオバマは、第四十四代米国大統領でありながら、米国という国家もその伝統も否定している。オバマは、“悪性のアナーキズム”病に冒されている。

科学の発展は、不可逆だから止められない。問題の核心は「科学を誰がどう使用するか」のみ。

 科学と科学の発展を拒絶するオバマの暴言も、オバマの宗教観/国家観と同じく、「馬鹿げている」を越えて、戦慄するほど恐ろしい。核兵器は科学者が発明・製造したが、この点で科学や人間を非難糾弾しても始まらない。科学の発展は火を発見した人類の宿命であって、科学の発展と人類は、共存する以外の選択肢はない。自明なこと。

 核兵器については、「誰が持つべきで、誰が持つべきでない」という問題のみが正常な思考。だが、オバマは狂妄の空想家で、科学の発展が可逆であるかに妄想している。核兵器は、万が一にもなくならない。仮になくなるとしたら、核兵器以上に殺傷力・破壊力のある、次なる兵器が発明されて、時代錯誤になったときである。弓矢が兵器として消滅したのは、鉄砲や大砲が発明されたからで、核兵器の消滅は弓矢の同じ運命を辿る時のみ。

 要するに、「核廃絶!」を絶叫することは、殺人カルト宗教団体の狂信と何ら変わらない。正常な人間なら、「核の廃絶」など決して考えつかない。「核の廃絶」が可能だと信仰するのは、オバマが、精神に深い障害が潜む、正常とは程遠い人物だからだ。

 日本の共産主義者が「核廃絶」の運動をしているが、それは米国の核兵器に対してだけの廃絶。彼らは、ロシアや中共核兵器に対して、実態的には一度も廃絶を運動したことはない。このダブル・スタンダードは、広島市長/長崎市長も同様。両名ならびに両市は、日本に差し掛けている米国の核の傘を潰すことを唯一の目的にしている。日本国を破壊尽したいからである。

昭和天皇の“終戦詔書玉音放送”を読まずに広島訪問したオバマの欺瞞と怠慢

 話をオバマに戻す。オバマは、ヒロシマ演説で、なぜ昭和天皇ポツダム宣言受諾に言及しなかったのか。具体的には、ポツダム宣言受諾を日本国民にラジオで呼びかけられた昭和天皇の“終戦詔書玉音放送”を、オバマはなぜ言及しなかったのか。“終戦詔書玉音放送”で、陛下は、次のように、お述べになられた。

「敵は新たに残虐なる爆弾(広島/長崎原爆のこと)を使用して頻りに無辜を殺傷し、惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せむか、終にわが民族の滅亡を招来する・・・」

「これ朕が帝国政府をしてポツダム共同宣言に応じせしむるに至れる所以なり」(注7)。

 このように昭和大帝は、終戦ご決意の理由の第一が広島原爆/長崎原爆であると、率直に宣言されたのである。われわれ真正の日本国民は、昭和天皇のこの玉音放送を片時も忘れず拳々服膺して戦後復興と日本国の再生に勤しんできた。米国の原爆投下を恨むものは、1968年頃までの日本人九割には存在しなかった。共産党核廃絶原水爆禁止)運動に街頭で遭遇すると、九割の日本人は、「共産党の奴め!」と白眼視した。忌避・嫌悪の仕草を露骨に示すものも多かった。

 ところが、オバマは、米国の1945年の核投下が日米間の太平洋戦争を終結させたことに誇りを持たない。どうもオバマは、日米の太平洋戦争が、さらなる死闘を繰り広げて、米国はさらに百万人以上、日本は一千万人以上の死者を出す凄惨な結末になったのを望んでいる。オバマの本性は、悪鬼というより悪魔ということか。

 オバマ昭和天皇の終戦詔書に思いを致さないことは、通常の人間性を有さない、重大な人格欠陥をもつ証左とも言えよう。なぜなら、米国の広島原爆投下を大東亜戦争終結の事由とした昭和天皇の終戦詔書を、ヒロシマ演説でのオバマの奇矯なロジック「核兵器ゼロ=戦争ゼロ」では、論理が自家撞着し説明できないからだ。要するに、米国の核廃絶と“戦争のない世界”とは両立しない。オバマは、広島で口から出任せの演説をしたのではないから、一種のカルト宗教の信仰を告白したことになる。オバマの人格も思想も、正常の域にはない。

 これに絡みオバマへの疑問をもう一つ。オバマは、米国のエノラ・ゲイ(広島原爆投下のB29爆撃機の名前、首都ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館の別館)展示問題について、何も語らない。これはおかしい。なぜなら、オバマは、彼の核廃絶主義において、エノラ・ゲイ展示を糾弾するのが筋。が、オバマは、狡猾から無言を選択したのではなく、思考が破綻したが故に無言に徹している。

「人間は学び/選べば、人類は《比類なき種》だから、戦争ゼロの世界を構築できる」だって(笑)  

 オバマ広島演説には、まず「またか」と失笑し、次に、人間の本性を理解できない病的な非人間性が露出していることにぞっとする、次のフレーズがある。

 「私たちは、一つの人類one human raceの構成員membersとして、相互関係を再構成しなければならない。この事も、人類という種our speciesを比類なきものuniqueにしている」。

 「またか」と感じたのは、オバマオスロで、「人類の状態を完成させることが可能だと信じる」と述べていたからだ。オバマは、“人類の進歩”という狂気的な妄想をする。1794年にジャコバン党に逮捕され自殺したジロンド党のコンドルセ侯爵の亡霊”が米国大統領に憑依したかのようである。だが、世界の警察官のトップである米国大統領がかくも狂っていていいわけがない。世界の平和にとって実に深刻で由々しい事態である。平和は現実の課題だから、現実の人間を前提しなければ、それを掴むことはできない。だが、オバマは現実の人間が理解不能で、仮構の人間を妄想する。  

 人類や人間は、数学ではない。当然、数学の問題を完全正解で解くという意味の「完成」などとは無縁。が、デカルトホッブスは正気ではなく、人間の社会は幾何学の数学的な設計ができると妄想した。これを継ぐコンドルセも正気ではなく、人間の社会を数学の確率論で合理的に構築できると妄想した。レーニン/スターリン/ヒトラーが、これらの後継者なのは知られていよう。オバマのように、人間や人類をダーウィンの「種」で表現する者がマルクス主義者に限られていることも常識だろう。   

 また、世界74億人を相互依存の状態にしたいと考えるオバマは、やばいカルト宗教を信仰している。世界190以上の国・地域が相互依存する時代が到来するとの信仰も、オバマが、麻薬を吸引せずして可能だろうか。  

 いや、それ以上に、「人類が相互依存すれば、戦争が世界から消滅する」とのオバマ妄想の方が、もっとチンプンカンプンで狂気である。オバマは、「人間の本性は天使だ」と考えているとしか思えない。ともあれ、オバマの人間観や人類観は、米国建国の父たちの人間観とは180度対極にある。初代大統領ワシントンもハミルトンも、その他の「建国の父」たちも、人間観はすべてデーヴィッド・ヒューム『人間本性論』に依拠した。例えば、米国の第四代大統領ジェームス・マディソンは、こう書いた。

「そもそも、政府とはいったん何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくて何であろう。万が一、人間が天使ででもあると言うのならば、政府など、もとより必要とはしない」(注8)。  

 人類から戦争はなくならない。生存と主権を求めるならば、いかなる国家も精強な国防力を保有しない限り、それを達成することはできない。そもそも、中世、近世、近代、現代の歴史を辿れば、戦争は増えているのか減っているのか、悲惨さはより激しくなったのか緩和されたのか。これらの歴史事実は、中学一年生でも、回答できる。

 オバマ大統領のような、ヒュームの人間論から大きく乖離する米国大統領は、過去二百三十年の米国大統領に一人もいない。オバマは、米国籍はあっても、“米国人”ではない。明らかに“非・米 un-American”的な「外国人」である。米国は核兵器の廃絶をしてはならない。“非・米”のオバマオバマ的政治家をアメリカ合衆国から廃絶する事に全力を挙げてもらいたい。  

 

第一節  

1、『トルーマン回顧録Ⅱ』、恒文社、280~95頁。  

2、Joseph McCarthy,America’s Retreat from Victory;The Story of George Marshall,1951.  

3、スエズ動乱スエズ戦争第二次中東戦争における、英仏がフルシチョフの核恫喝に屈伏していく過程の簡単な素描は、例えば、アダム・ウラム『ソヴエト外交史3』、サイマル出版会、750~3頁。  

4、中川八洋地政学の論理』、徳間書店、209~29頁。

第二節

1、コンドルセ『人間精神進歩史』第一部、岩波文庫、181~287頁。

2、ルソー『人間不平等起源論』、岩波文庫

3、コント『社会組織に必要な科学的作業のプラン』、『世界の名著』第46巻、中央公論社

4、『朝日新聞』2016年5月28日付け、11面。

5、井上一馬『後世に伝える言葉』、小学館、239頁。

6、マルクス他『共産党宣言』、岩波文庫、54頁。

7、多くの本に収録されている。例えば、『終戦工作の記録 下』、講談社文庫、492~3頁。

8、『ザ・フェデラリスト』福村出版、254頁。

 

附記;オバマ大統領は、キング牧師から過激な牙を抜いた“穏和な共産主義者”ということか  

 バラク・オバマは、ケニア国籍のアフリカ系黒人イスラム教徒)の父と米国籍を持つ白人の母との間に生まれた。母の二度目の夫はインドネシア人。ためにオバマは、小学校時代をジャカルタで過ごしている。

 実態的には母子家庭であったオバマの、その母親は祖国喪失・地球放浪ディアスポラ型のコスモポリタンで、心理的には米国は祖国ではなかっただろう。実際にもオバマの母は、インドネシアで農村開発に携わり、その後にハワイ大学文化人類学を専攻しているから(Ph.D取得)、コスモポリタニズム思想と総合すると、実態的には正真正銘のコミュニストではなかったか。  

 母親の影響からか、オバマは、共産国に親近感をもち、共産主義者との長時間の話を好む。これは、オバマの根底が共産主義者(orそのシンパ)でなければあり得まい。オバマが、1959年の革命以来いまだに南北アメリカ大陸で唯一の共産国キューバとの国交回復に拘ったのは、この瀝然たる証左。2016年3月20日、オバマは、貧困と圧政に喘ぐ共産党独裁の共産国キューバに満面の笑みを湛えて降り立った。  

 また、2013年6月7~8日、中国共産党トップの習近平国家主席と二日間に亘って親密な話し合いをしたが、これほど長時間の会話ができるのは、オバマ共産主義者への共感、もしくは非・嫌悪感が強度だからだ。  

 このように、共産主義者との親交を楽しむことにおいて、オバマ日本共産党志位和夫委員長を例外とはしていない。2009年5月5日付けで志位委員長に返書(手紙)を出している(『しんぶん赤旗』、2009年5月20日付け)。  

 今般のヒロシマ訪問でも、演説後に、坪井直氏と森重昭氏の二人の共産党(共産革命運動家)と熱く語り合っている。後者に対してはハグまでしている。CIAから両名が共産党員という警告を聞いた上での行動だから、共産主義者と聞けば必ず顔がこわばるトルーマン以降の)すべての米国大統領とは、オバマは異質でありすぎる。共産主義者と聞いて、逆さに親近感をもって側近に登用する性癖があったフランクリン・ルーズベルト大統領と酷似している。  

 オバマに対して、キング牧師を連想するアメリカ人は少なくない。キング牧師とは、その演説内容を分析すると共産主義者と見做すほかないし、ベトナム反戦運動の手法などからは、「ソ連KGB第一総局の指揮下にあるロシア工作員」だった可能性は極めて高い。キング牧師が1964年にノーベル平和賞を受賞した時、背後で随分とKGBが動いたとの噂が根強く流れた。オバマの2009年の受賞の時も、「第二のキング牧師」と揶揄されるほどで、同じ情況が展開されたようだ。  

 キング牧師オバマの両者は、過激(暴力的)と穏和(非暴力的)という人柄の相違を除けば、共通するものが多い。いずれも、中世英国の封建制度を継承する偉大な二百年史を誇る“米国”あるいはその“アメリカ国民”だとの意識がない。いずれも、1914年以降これまで百年にわたり、米国が善意で“世界秩序の回復と維持”に貢献した歴史への懐旧と誇りが完全に欠如している。いずれも、歴代米国大統領の事績にかかわる知見が全く皆無だし、興味すら有していない。

 キング牧師は代わりに、“憎悪感情”を米国民の間に撒き散らす煽動に終始した。オバマ大統領は代わりに、抽象語彙「人間」「人類」を空無な蜃気楼に投げつける“空体語ごっこ”を弄んだ。両者とも、過激と穏和の差異はあるが、共産主義者に固有な思想と行動を特徴とする。

 なお、米国では、米国共産党やその傘下のどんな小さな団体であれ、これに関って共産主義運動をすれば、政治家など国民の税金から給与が出ている場合なら、直ちに懲戒免職になる。1951年の共産主義者規制(弾圧)が今も厳然とFBIによって生きているからだ。このため、米国の共産主義者のほとんどは、共産党などの組織と関係をもつことは稀で、個人単独で信条に生きるのが常。

 ともあれ、オバマの広島訪問は、オバマが準・共産主義者であることを露呈させた。また、広島を訪問する米国大統領はまともな人間でない重要な事実が、日本人に伝達された。オバマは、体を張って、正常で健全な日本国民ならば広島/長崎に近づいてはいけないことを、反面教師的に、日本人に知らしめたのだと、解釈しようではないか。

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