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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

西尾幹二は、学歴詐称の“犯罪評論家” ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(28)

西尾幹二の妄言狂史

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋

 ここ二年ほどの間に日本を賑わした一群の事件がある。詐欺師の続出である。

 ゴースト作曲家新垣隆に作曲させていた“ウソ全聾”佐村河内守政務調査費を着服した“号泣県議”野々村竜太郎、“マジック実験の天才”小保方晴子学歴詐称のショーン・マクア―ドル川上(本名は川上伸一郎)などなど。

 このショーン・マクア―ドル川上は、高卒なのにハーバード大学経営学大学院卒MBA取得)だと偽り、また純血の日本人なのにアメリカ人と日本人の混血だと詐称していた。学歴詐称と血統詐称の“凄腕の詐欺師”である。

 テレ朝ニュース・ステーションのキャスター古舘伊知郎とのやり取りで、ショーン川上が余りに空疎で何ひとつ実質的な意見を述べていない光景に、私は、何時も違和感を感じていたので、『週刊文春』が彼の学歴詐称をすっぱ抜いた記事には直ぐ納得できた。が、同時に、この学歴詐称事件から、ふと“論壇の大ボス”西尾幹二学歴詐称が頭をよぎった。

 ショーン川上は社会的制裁を受けすべての職を失ったのに、西尾幹二は何ひとつ社会的制裁を受けていない。疑惑を越えた西尾幹二学歴詐称は、その言論の影響力を考えると看過してはならない社会的問題である。

西尾幹二がドイツ留学先を四十四年間も秘匿した“学歴秘匿”の理由は何?  

 西尾幹二が、1965~7年の二年間、ドイツに滞在していたのは事実と断定できよう。だが、「どの大学に留学していたのか」となると、西尾幹二は76歳になった2011年まで決して明かすことはなく、徹底的に秘匿した。いわゆる“学歴秘匿”で、その期間は1967年から四十四年間にも及ぶ。なぜか。

 例えば、西尾幹二の主著『ニーチェ中央公論社刊、1977年)の奥付には、十年前の主要履歴であるドイツ留学に関する記載は一字もない。大学人がしてならない“留学履歴の秘匿”行為である。

 それなのに、「あとがき」には、この主著はドイツ留学のお蔭で書けたと、奇々怪々な西尾ドイツ留学時の一部を得々と披歴している。その部分を全文、以下に引用する。

「1965~67年の留学中に、私は今日あるを予想してバイエルン州立図書館所蔵の古い書物、雑誌、新聞を、約四千頁写真にして持ち帰った」(注1)。  

 まず、留学大学名がない。ドイツは国立大学しかないので、州立図書館は大学とは全く無関係。私は、1999年11月、西尾幹二に直接、「どこの大学か」「ドイツ南部であるのは推定していたから、ミュンヘン大学か、ボン大学か、ケルン大学か」と尋ねたことがある。だが、西尾は、冷の日本酒(「八海山」)を飲むばかりで、一言も答えなかった。  

 西尾幹二のドイツ留学時の大学名秘匿の方針は頑なで、(印税が一憶四千万円も入った)七十万部以上が売れた西尾幹二のベストセラー『国民の歴史』(1999年刊)の奥付にも、ドイツ留学の大学名はない。つまり、ドイツ留学で、三十二年が経っても隠蔽しなければならないほどの事件が西尾幹二に降りかかったことは、もはや明らかであった。  

 この異常なドイツ留学二年間の大学名秘匿という、大学人の職業倫理に違背する隠蔽工作は、2003年にも続いている。著『私は毎日、こんなことを考えている』に、次の一文がある。

「私の最初の留学(1965~7年)は、両親の夢を代役で満たしたような熱い思いが一家にあった。そのころ私の給与は静岡県立大学から)1万5300円、ドイツ政府の私の支給額は月額5万5000円…」」(注2)。  

 ここでも「ドイツに滞在した」ことだけはわかるが、「ドイツの大学に留学した」ことを示すものは何もない。なお、どうでもいいことだが、西尾幹二はこの文で、ドイツ政府から留学費用が支給されたとする。が、これは虚偽記述の疑惑が濃厚である。「日本の民間団体がドイツ滞在費を支給した」が事実ではないのか。  

 要するに、西尾幹二の100冊を越える単著・共著の奥付で、ドイツ留学の学歴を書いたものは一冊もない。なぜ書かないのだろうか。

 この事は、西尾幹二が「二年間ずっと州立図書館に通っていた」と私にも明言した通りに、ドイツの大学にはまったく通学・通勤しなかった“西尾幹二の真実”をクローズアップさせる。このような「留学派遣国で、大学に行かなかった/大学から追放された」事例は、実は無数といえる。名もない日本人ならば、履いて捨てるほどの天文学的な数字になる。

 日本の近代史に名を残した人物で、「留学派遣国で、大学に行かなかった/大学から追放された」事例の代表は、留学期間一年半のほぼすべてを下宿に引き籠った夏目漱石の英国留学が有名だろう。夏目漱石は下宿を転々としつつ英国に「滞在した」が、英国に「留学した」ことはない。なぜなら、ロンドン大学から事実上の追放となり英国の大学には通っていないからだ。  

 西尾幹二も、夏目漱石と同様で、ドイツの大学には通学・通勤してはおらず、その二年間をミュンヘン市にあるバイエルン州立図書館で過ごしていたようである。これが事実で真実だろう。が、学歴に関する説明責任は、言論人のそれは政治家より厳しく、本人自らにある。西尾幹二よ、ドイツ留学に関する事実を明らかにして、説明責任を果たせ! そして、学歴秘匿を越えた学歴詐称の「犯罪」を犯したのであれば、自ら出処進退を決断して、適正な罰をみずからに課せ!

ミュンヘン大学から机も椅子も与えられず、学外に追放されていた西尾幹二

 話を戻す。2011年、76歳になった西尾幹二は、唐突にドイツ留学先名を初めて公表した。「ミュンヘン大学であった」と。また、その留学時のステータスは、博士論文の提出資格を取得できる大学院生ではなく、居候的な「客員助手だった」と。この公表は、2011年に国書出版会が作成して頒布した、『西尾幹二全集』の販売促進の宣伝パンフレットにおいて。

 大学に職を有していたものなら誰しも、この突然の学歴公表に「奇妙だな」と、強い不審と疑念を抱く。第一の不審は、1967年から四十四年間も秘匿していた学歴を、なぜ突然76歳になって公表するのか、である。

 第二の不審・疑惑は、それを自分に責任が問われる西尾幹二の自著ではなく、なぜ出版社のみが記載事実の責任を負う“出版社のパンフレット”で公表したのか、である。具体的に言い直せば、この公表学歴が全くの偽りであっても、西尾幹二としては、「それは国書刊行会が勝手に書いたもので、私は知りませんでした」と、政治資金規正法違反の政治家の常套語「秘書が…、秘書が…」と同じ言い訳で逃げ切ることができるからである。

 また、わずかしか印刷されず個人あてに郵送されて一般に目に触れる事は不可能な、一出版社のパンフレットを、西尾幹二の学歴を知る電気通信大学の人事関係者が読む可能性は限りなくゼロだから、仮にそれが虚偽記載つまり西尾幹二の“学歴詐称”であっても、問題視される可能性は極めて薄い。

 問題の核心は、「西尾幹二ミュンヘン大学には通っていない」「代わりに、バイエルン州立図書館に通っていた」事実に尽きる。また、西尾幹二が「客員助手」であった可能性は限りなくゼロであった事実に尽きる。

 西尾幹二がもしも「助手」であったならば、研究の時間は考慮されるけれども、一日のうち三時間とか週三日とかは、その研究室の雑用をする。西尾が公言してきた「自分は二年間、バイエルン州立図書館にずっと籠っていた」情況は、この「助手」の仕事をすることが全く不可能だったことを証明している。

 そもそも、西尾幹二のように自分を自慢してビッグに見せる自己顕示欲が強度な男が、ドイツの「国立大学の助手」という誇らしいステータスを、四十四年間も“吹聴しない/秘匿する”など、万が一もあり得ないだろう。

西尾幹二の口癖「自分はドイツ留学中、徹底的な人種差別の犠牲者」との整合性

 更に、西尾幹二には、「助手」が務まらない決定的な欠陥がある。①「西尾幹二は、喋る学術的ドイツ語能力が水準以下であること」。②「ニーチェ哲学がさっぱりわからない極度な哲学音痴であること」。③「ドイツ国立大学の哲学科・哲学部での必須言語古代ギリシャ語がさっぱりであること」。 これらの事実において、西尾幹二を「助手」として手元においてくれる、そのような奇特なドイツ人教授など一人もいない。ニーチェ研究を目的のドイツに留学した西尾幹二を、ドイツ人教授たちは、日本から来た“似非ニーチェ研究者”だと直ちに喝破する。西尾幹二には指導教官も世話教官もいなかったはずだ。西尾幹二ミュンヘン大学から追放したのは、人種差別ではなく、大学教授なら当然の行動である。  

 西尾幹二は、ニーチェの著作が読める、いわゆるニーチェ作品の翻訳家レベルであっても、“ニーチェ哲学に無知なニーチェ知らず”の自分を自己認識できない。現に、西尾幹二の主著『ニーチェ』は、ニーチェ伝記で、西尾幹二とはニーチェ哲学がさっぱりわからない“ドイツ語屋”に過ぎない事実の証拠となっている。西尾の著『ニーチェ』は、『評伝ニーチェ』と、タイトル変更すべきである。  

 だが、精神的に正常ではなく人格的にひん曲がっている分裂症の西尾幹二は、上記の①②③の自己を反省せず、ミュンヘン大学からの追放を、“ドイツ人=白人による黄色人種の人種差別だった”と身勝手な曲解を妄想して自己正当化を行った。西尾幹二が、何でもかんでも人種差別に論を枉げて、白人への過激強烈な怨念感情を爆発させるのは、ミュンヘン大学から叩きだされた若き日の不幸な体験からのルサンチマン(恨み)からだろう。

学歴詐称や盗用盗作癖は、“ペテン師評論家”西尾幹二の歴史捏造狂の一断面

 西尾幹二の歴史評論が荒唐無稽な捏造歴史であることは、つとに明らかな事。が、上記のような学歴詐称や他人の作品を盗みまくる西尾幹二の盗用盗作癖もまた、西尾幹二の歴史捏造癖or歴史捏造狂と密接な関係があるだろう。  

 これらに一貫して貫いているものは、「俺様が嘘をついてなぜ悪い」「俺様は嘘をついてよい神様であるぞ」の西尾幹二の狂気である。この狂気を基に、西尾幹二の脳内の半分は、ショーン・マクアードル川上となり、残る脳内半分は佐村河内守となったのだろう。  

 もし、この私の見解が間違いで、西尾幹二にはまだ正常な良心が残っているとするならば、西尾は『西尾幹二全集』の出版を直ちに中断するはず。それだけでなく、今やいかがわしい素性の雑文家たちの落書き帳となったクズ雑誌『正論』への執筆を直ぐ断わるはず。

 “ペテン師評論家”西尾幹二の断末魔を見ることが十五年遅すぎたことが、日本の論壇を“反・保守”と“反・知性”一色に化し腐敗の極にしてしまった。日本人の頭に対する朝日新聞の支配的な洗脳力をさらに助長して、日本国を基盤から毀損してしまった。

 

注  

1、西尾幹二ニーチェ』下巻、中央公論社、390頁、1977年。  

2、西尾幹二『私は毎日、こんなことを考えている』、徳間書店、15頁、2003年。

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