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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

文部省の大学入試改悪は、大学劣化/日本人劣化を目的の“日本衰退”化革命──北朝鮮人文部官僚(寺脇研)の“ゆとり教育”を容認した“自民党の暗愚”は繰り返されている

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋

 日本の教育を破壊し劣化させているのは、GHQが去った1952年から今に至る戦後六十年間、一貫して文部省と朝日新聞が共同正犯である。また、日本の学校教育を“赤化教育手段”に公然と悪用する主犯は文部省であったし、これを応援的に煽動するのが朝日新聞であった。

 学校を赤化教育の手段とする日本固有の問題について言えば、日本とは、“二十一世紀世界の奇観”というべき、かつてのソ連のピオネールそのものに、文部省が国家権力をもって、平成時代の今もなお小学校から大学までの学校教育を“共産主義を洗脳する宗教道場”化を過激に推進している。一方、一般の日本人はことごとく、祖国に対しても自分たちの子孫に対してもアパシー(無気力)を濃くして、当然、教育に全くの無関心となった。だから、文部省の官僚のほぼ全員が教育問題不適格者と共産革命運動家ばかりとなった事態に、危機感ひとつ感じない。

 2・26事件(=レーニン型暴力共産革命)の失敗から、帝国陸軍という日本最大の共産勢力と一体化した文部省は、翌1937年春、洗脳型革命に変更し、マルクス・レーニン主義を巧妙に「皇国史観」の名前で粉飾した『国体の本義』を出版し、全国の小学校にこれを強制し洗脳した。皇国史観『国体の本義』は、記紀神話における天孫降臨の神勅を押し頂いた右翼民族主義に一見みえるが、スターリンを崇拝する「偽装右翼」民族主義者のイデオロギーとして、ヘーゲル哲学を基調にスターリン著『レーニン主義の諸問題』などを国産極左思想の水戸学でブレンドしたものだった。

 この話はここまで。文科省のうち旧文部省と朝日新聞とが、現在、日本の教育制度を徹底的に破壊し、次代の日本人の学力低下をさらに加速する“祖国叛逆の反・教育行政”を論じる。

第一節 教育を破壊し人格を歪める推薦制度は、生徒への“抑圧”装置

赤い教師の管理教育を増長させる高校入試・大学入試の学校推薦は、全廃せよ!  

 中学三年生が、高校入試のための学校推薦制度によって(2015年12月に)自殺した事件は、去る3月に日本の新聞テレビを賑わしたから(2016年3月9日付けの各紙)、記憶にまだ新しかろう。しかし、新聞・テレビ報道も(当該事件を直接に責任を負う)広島県府中町教育員会も、お門違いのミクロ問題に話を逸らし、問題の重大な根幹部分、つまり真の核心をいっさい言及しなかった。  

 確かに、悲しい本件自殺事件は、他の生徒の万引き行為を間違って誤記録したのをそのまま信じた担任教師が、これをもって「校長推薦状が出せない」と誤った進路指導をしたことが原因である。だが、この自殺事件の責任追及を、誤記録問題や(判断力やコミュニケ―ション力に欠陥ある)担任教師の人格的資質問題に終わらせていいのか。

 “問題の中の問題”は、私立高校入試ごときに中学校長の推薦状を必要とするような、極度に馬鹿げた制度の方ではないか。「ナンセンスを越える恐るべき校長推薦制度がなければ、この中学三年生の自殺はなかった」事が唯一の論点・争点であろう。

 だからか、こんな馬鹿げた制度を導入させた文科省は、責任逃れのため、この推薦状制度の問題につき一言も発せず沈黙に徹した。受験競争を悪だと、正邪逆の“逆立ち教育”を信仰して、“反教育”イデオロギーで教育行政を牛耳る文部省(現・文科省だが、教育問題なので「文部省」とする)は、日本人の学力大低下を狙って、有害無益な推薦状制度の導入を考え付いた。そして、全国の教育委員会に強制した。

 今般の広島の中三自殺事件の元凶は、あくまでも赤い文部省にある。アホ馬鹿の担任女性教師の責任は逃れられないが、文部省こそがこの無能女性教師の万倍も百万倍も厳しく断罪されてしかるべきだろう。  

 受験競争こそは、学校教育制度の神聖な原点である。入試には、一回のペーパーテストこそ公正だし、これ以上の公正な方法は他にない。また、一回のペーパーテストとそのための受験競争こそが、子供の学力を最も向上させる最良の方法である。

 だが、文部官僚とは、上級職をやっと合格した最下位の劣等生だけが行く“落ちこぼれ六流官僚の群れ”。これらの吹き溜まりが文部省。だから、文部官僚は、現状を破壊し悪化させることはできるが、日本の教育制度を向上させる知恵も知識も精神もスッカラカンで欠落したまま。その上、彼らは共産党系と北朝鮮人が多い)中核派がほとんど。日本を衰退・滅亡させるべく、日本人をどう劣化させるかの“反教育”もしくは“教育制度の破壊”にしか関心がない。  

 要は、「広島県府中町の中学三年生自殺の元凶は、“反教育”や“教育制度の破壊”の一環として、文部省が押し付けた不必要を極める“有害無益な推薦状制度”にある」と、正しく認識すること。この問題の最核心から目を逸らすならば、自殺した中三男子生徒の魂は浮かばれまい。

大川小学校の悲劇は、日本の学校教師が推薦状を書く以前の“馬鹿&白痴”の証拠

 宮城県石巻市は、学童74名を津波で「殺害」した、“トンデモ馬鹿&白痴教師十名”による過失殺人犯罪が行われた“悲劇の大川小学校”を、震災遺構として保存すると決定した(2016年3月末)。ただ、大川小学校の保存の是非は地元関係者が決定する問題なので、これにはコメントしない。  

 が、大川小学校を、「追悼や祈りのための震災遺構として残す」とした石巻市長・亀山紘の、奇怪というか狡猾というか、この事件の本質を逸らす妄言には「異議あり!」と申し上げたい。そうしなければ、児童74名の魂が浮かばれない。なぜなら、この事件は、震災による死亡ではないからだ。正確には、無能教師による過失殺人の人災である。

 思い出しても見よ。大川小学校の学童74名は、この学校校舎の中にいて突然の津波で死んだのではない。避難のため校庭に集合させられてから、(一名の教師だけは正常で山に逃げたが、残る)十名の教師がどこに逃げようかと、この校庭でペチャクチャ井戸端会議を50分という長時間にわたってやっていた結果として発生した事件である。故意ではないが、この十名の教師による明らかな過失致死の七四名児童殺人事件である。

 つまり、この事件を警察と検察が、被疑者死亡だから逮捕はできないが、過失致死による七四名殺人事件として十名の教師を司法処理していないのは重大な過誤といえる。ただ、この大川小学校74名殺人事件の問題は、裁判の判決に譲り、本論に戻る。  

 大川小学校の教訓とは、津波の恐ろしさではない。教訓の第一は、日本全体が、学校教師とは一般的には人間的成長に問題がある「水準以下」という事実を忘失していること。教訓の第二は、この世で恐ろしいのは、レベルの低い無能人間や(人格や思想において)狂った人間に権限を与えること。大川小学校の教頭以下の無能教師に児童避難権限を与えたことが74名死亡の主因だと、事柄の本質を直截的に直視することが、74名児童殺人事件の教訓である。

 だが、保存を決めた亀山・石巻市長は、この教員資質問題であり過失致死殺人事件である“大川小学校の悲劇”を、震災遺構にすると政府から金が出る利権欲しさの正当化の理屈に悪用するだけで、74名児童への哀悼の愛情は一欠けらもない。  

 学校教師とは、小学校から大学まで、知識や学問の伝授に関して、それに専念すべきものであって、「それ以外」に期待すること自体が基本的に間違い。現実に、この「それ以外」を身に着けている者など教師全体の一割に満たない。大阪市の寺井壽男・中学校長のような“賢者の教育者”はごく少数どころか、例外的な存在。

 要するに、共産党員の大学教師が牛耳っている日本の大学の教育学部で教育された公立の小中学校の教師の大半は「人間的には無能、思想的には赤化」しており、「それ以外」を期待すれば子供たちは不健全に育つということだ。  

 さて、本論。入試用の推薦状制度とは、このような人格的・人間的欠陥が顕著で社会的常識が「水準以下」ばかりが過半を占める、そのような学校教師に推薦状を書かせる制度である。そもそも生徒の知識習得レベルは、上級校が行う一回の入試テストで十分かつ客観的・公正にわかるから、推薦状など全く不必要なこと。

 また、このような「水準以下」が過半の学校教師には、児童生徒の(その人格や人間性を含めた)学業以外の能力を判断する力はなく、実際にはチンプンカンプンで皆目わからない。だから、本の学校教師が書く推薦状は、必ず「出鱈目」か「偏向する」か「不公平」かのいずれかとなる。(小学校から大学まで)学校教師は、そもそも人格/人間/社会的判断力を査定され評価されて、その資格を得たのではない。推薦状を書く以前のレベルしかない彼らに、推薦状を書かせてはならない。

 では、入試用の推薦状制度を、文部省は、何のために創ったのか。日教組や高教組と裏でベタベタに繋がっている“赤い共産革命官庁”文部省は、トンデモ教師のめちゃくちゃ授業や授業外行動を勇気あるトップ生徒に批判されないよう、逆にそのようなトップ生徒を脅迫できる手段を教師側に与えたのである。推薦制度とは、生徒への“抑圧”装置である。日本の学校教育制度における推薦状は、“反教育の中の反教育”の極みでなくて何であろう。

 トンデモ教師のトンデモを批判したら「推薦状を書かない/悪く書いてやるぞ」と脅す、トンデモ教師は主に三グループ、共産党系教師朝鮮人系教師無能教師に分類できる。

 そして、これら“欠陥教師”“問題教師”や“犯罪者教師”の群れに、生徒の方がビクつく/オドオドする現実情況が日本の教育現場。つまり、日本の教育を改善するにはまず、“欠陥教師”“問題教師”“犯罪者教師”群の一掃など現実的には無理で困難だから、せめて、これら“欠陥教師”“問題教師”“犯罪者教師”群から生徒の自由を擁護する制度にしてあげることである。この方法の第一歩は、生徒を推薦状恐怖から解放し自由を回復してあげること。それにはまず、生徒に突き付けるジャックナイフのような脅迫手段というべき推薦状制度の廃止は、直ちに断行されねばならない。

推薦枠25%を20%に減らした東京都よ! さらに0%にする真の改善を断行せよ。

 話を、中三が自殺した広島県府中町府中緑が丘中学校の実情解剖に戻すとしよう。この学校は、2015年11月に、私立高校受験の校長推薦の選考基準の厳格化を決定した。ところが、その後の12月に自殺事件が起きるや、この中学校のトンデモ校長・坂元弘は、この選考基準を撤回した。わずか一ヶ月間に「従来の基準→厳格化→従来の基準」と二転三転したことは、推薦選考基準は基準でなく、単なる校長と三年生担任教師団の談合的な“恣意”だったことを明らかにしている。  

 更に、この推薦の可否を決めるに当り、このトンデモ女性教師は廊下で立ち話的に自殺生徒に「万引きしましたよね」と、唐突・突然に「確認した」のであって、面談室で十分に反論・説明の機会を与えたのではない。このトンデモ女性教師の実名が新聞報道されていないのは、明らかに不自然で腑に落ちない。「共産党員の赤い教師」もしくは「日教組系の活動家教師」だからなのか。広島県の公立中学校の教師の過半は共産党員とも言われるから、そう断定して間違いないだろう。  

 そもそも、高校入試に推薦制度を導入するならば、それは①都道府県単位の統一されたものでなければならないし、この②推薦選考基準は公表されていなければならない。なのに、どうして推薦基準が中学校ごとに恣意的に定められる“無法基準”制度なのか。

 中学校ごとに基準が異なる推薦状だから、高校側にとって公正な判断材料になり得ない。自明ではないか。入試実施の高校は、これを“合否=差別化”の判断に公正に活用することなど万が一にも不可能である。

 かくも公正を欠如した無法基準が横行しているのが、日本における「入試に送り出す中学校→入試を実施する高等学校」の実情。ならば、日本の子供たちは教師や学校(=大人)に対して(漠然としたものであろうが)不信感を必ず募らせる。これは教育ではなく、反教育・逆教育の極みに他ならない。

 しかも、広島県の県教育委員会は、推薦状入試が、どのように使用されているかを調査したこともない“スーパ-無責任”に徹する堕落と腐敗の役所。広島県の県教育委員会は、「広島県立高校は、多いところでは五割を推薦で合格させ、少ないところでは二割を推薦で合格させているようだ」としか掌握していない。日本の高校入試は、推薦制度という悪の教育制度によって、「中学校の推薦も恣意、高校の合否判定も恣意」の、不正と同質の“反・公平&恣意”という無法が入試基準である。

 赤い文部省が、日本人の学力低下を狙って、「受験競争をなくす」と言う“反・教育”を旗幟に導入を強制した推薦制度は、本の学校界を“世界一の腐敗の巷”に堕落させるのに成功した

 推薦制度の反教育性を少しほど実感した東京都教育委員会は、2013年度から、都立高校入試における、それまでの推薦枠25%を20%に減らした。だが、これでも不公正と恣意は排除できない。東京都は、直ちに推薦枠を0%にして、最も公正な入試方法「一回の筆記試験制度」に回帰しなければならない。公明正大と公正な試験こそは、教育界・教育者が命を捨てても守らねばならない。

第二節 日本人の学力低下を目論む“赤い落ち毀れ官僚の魔窟”文部省

 日本が直面する喫緊の教育問題には、二つある。換言すれば、この二つ以外の教育問題をさも最重大な教育問題であるかに吹聴する者は、他意のある“反・教育”の煽動者デマゴーグだから、日本から排斥すべき危険分子といえる。

 特に、猿回しの文部省に操られる“痴愚的な猿”が集まる中央教育審議会(以下「中教審」)とは、この二つの最重要問題以外の教育制度の改悪ばかりに専念するから、最も「排斥されねばならない」“反・教育”の行政機構。中教審の廃止こそ、日本の教育制度を守るために急がねばならない。

東大はなぜ23位から43位に転落したか──文部省の教育改悪の当然の成果!

 ともあれ、日本が直面する喫緊の二つの教育問題とは、次の二つ。

 第一;日本の教育の質が戦後一貫して自壊的状況をひどくし、劣化の一途を辿っていること

 第二;日本が、人的劣化とエリート不在によって、国家的な大衰退を自ら加速させていること

 第一の問題は、英国の教育専門誌『TIMES HIGHER EDUCATION』の世界大学ランキングで、東大が23位から43位に転落した事実において、象徴的に証明されていよう。東大は今や、アジア域ですらシンガポール大学北京大学の後塵を拝して第3位というお粗末さ。これらの順位は、日本という国家全体が腐敗と堕落を恣にし、赤い狂気の文部省が狂奔する教育制度改悪(いじくりまわし)がもたらす巨大な弊害を阻止しようともしない、昨今の日本人アパシーのひどさにおいて当然の結果。また、日本の教育水準がこれからもっと大転落するが、「第43位」はこの始まりの象徴ともいえよう。  

 実際に、理Ⅰに入学した東大生の数学ができないこと目を覆う惨状が現実である。理Ⅰ入学者のほとんどは、北京大学に入学できないレベルになった。この現実は、あと二十年も経たず、日本は輸出産業が完全に自滅的事態に至るということ。それなのに、これを憂える日本人はゼロ。共産党員と北朝鮮人と朝日新聞だけは、この東大すら大劣化した問題に満面の笑みを浮かべているのに、この問題に恐怖して直視する真に愛国心ある日本人の方はゼロ。もう日本全国、どこにもいない。  

 かくも、東大を始め、日本の高等教育機関が軒並み劣化の一途をたどるのは、中等学校での教育の劣化が大きな原因である。そして、この「中等学校での教育の劣化」は、日本の大学教師とくに文系教師の質的劣化が急降下したことと連動している。とりわけ、日本の文系学部では、大学教授の水準にない者が教授となっている。共産党朝鮮人であるというだけで東大教授になった姜尚中は、その氷山の一角に過ぎない。大学教授レベルにない“似非”大学教授が、文系学部の9割を占める日本の大学の異常さは、世界に類例がない。

 また、学問業績ゼロの文筆家に過ぎない姜尚中共産党朝鮮人である理由で東大教授になったのを問題視しないほど、日本人は自分たちの子孫の教育にいっさいの関心も責任も感じなくなった。病気の治療が医者や病院で決まるように、教育は教師で決まる。「姜尚中を東大から追放しろ!」の運動も声すらもなかった日本とは、教育に真剣な日本国民が一人もいない教育無関心国。日本はすでに国家であることを放棄した。

国際競争力27位に転落した日本──文部省が劣化させた初等中等教育の成果!  

 第二の問題は、2015年6月、スイスの国際経営開発研究所IMDが発表した世界競争力ランキングで27位と、この転落が止まらない日本の順位が冷静に物語っていよう。

 また、国民一人当たりのGDP(2014年)、「米国4位」に比べはるか後塵を拝して、OECD34ヶ国中18位となったことも、第二の問題を象徴する。具体的な購買平価換算USドルで表せば、米国の「5万4千ドル」に対し日本はたったの「3万6千ドル」。つまり、米国の三分の二しかない。   

 1970年前後、日本は「英国病!」として英国を軽蔑するほど、第二次世界大戦戦勝国・英国をはるかに抜いていたが、今では英国より下である。英国は「3万9千ドル」で、今では日本よりはるかに豊かである。近く伊勢志摩サミットがあるが、このサミット(主要先進7ヶ国)の順位を言えば、「米国、ドイツ、カナダ、英国、フランス、日本、イタリア」で、日本はビリから二番目。日本がG7から自然的に脱落する日は近い。  

 労働生産性も、日本は34ヶ国のうち21位である。この労働生産性を、「世界6位」の米国と比較すると日本の衰退はさらに歴然としてくる。米国の年金平均労働時間は1789時間と、日本の1729時間より長いのに加え、労働生産性は日本よりはるかに高く1.6倍。要するに、日本人は勤勉を喪失した上に経済効率性も悪く、「米国人の6割にしか相当しない」のである。  

 日本の経済は完全にガタを来している。日本人の質的向上を大幅にアップさせ、同時に勤勉の回復を図らない限り、日本経済の未来は絶望的で衰落一直線は免れない。

 後者の勤勉の問題について言えば、国民の休日を半減し月曜日振替を中止することからまず断行しなければならない。安倍晋三アベノミクスは、何から何まで、日本人の堕落を促進し日本経済の衰退を加速するキワモノの“反・経済”。だが、そんな経済政策に恍惚となって自分の名前を冠する“お馬鹿”総理大臣しか日本にはいない。このような安倍やその他の政治家を育てたことに着目するだけでも、永年、日本の教育が逆走教育をし続けている事は端的に証明されている。

初等中等局/高等局の文部省官僚の学歴と上級職合格順位の公開を義務化せよ  

 これほど日本の国家の先行きが、日本人の新生児数激減と人的劣化によって、不安などでは済まない惨憺たる方向に転落しているのに、これを挽回する基盤である教育は、文部省によってさらに破壊的な大改悪ばかりが遂行されている。現に、日本人の学力向上や日本の国際競争力/世界水準維持などを考えている文部官僚など一人もいない。文部官僚は、教育問題不適格者ばかりとなった。  

 その上、この劣悪を極めて“悪の反・教育”しか考えないトンデモ文部官僚が、面白半分に選択する中央教育審議会の委員は、クズ人間か、二、三人を除いて超劣悪な教育ド素人ばかり。実態的には、猿回しの赤い文部官僚に芋につられて芸をする“日光猿軍団の猿の群れ”の三十名。中教審の全面廃止は、日本の教育再生でまず決行すべき前提条件である。

 日本には正しい教育を考える行政組織は、明治時代をもって消えた。今ではどこにも存在しない。それどころか、教育改悪・教育劣化を促進する“反教育の行政組織”文部省が、隠れ蓑の中教審を操ってやりたい放題の強権力を振るう惨状が、日本である。占領軍のGHQですら、文部省のような強権力は振るわなかったし、文部省のような「反日」一色ではなく、「親日」「愛日」が半ばはあった。

 この“反教育の行政組織”の毒を少しでも薄める方法を今すぐに実行しないと、日本は危うい。手始めは、共産党員と北朝鮮人ばかりの、文部省の初等中等教育局と高等教育局の上級職官僚に対し、その学歴と上級職合格時の順位を公開させる立法をする事。そうすれば国民の目に、彼らが入試制度や教育制度をいじくりまわすレベルにない事実が一目瞭然に暴露される。水準以下の彼等が、お門違いの文部省に入省した事実がバレ、その暴走的な教育改悪が自制される。

 この学歴公開の義務は、中央教育審議会のメンバー30名についても当然に適用される。いや、中央教育審議会こそ、率先して自らの学歴を詳細に国民に開示しなくてはならない。教育は学歴と不可分であり、現状の中央教育審議会メンバーの学歴秘匿は、中教審設置の目的に違背する重大な瑕疵で犯罪ともいえる。現状の学歴非公開は、許されない。

 中教審メンバーの学歴公開は、政令である中央教育審議会(平成12年6月7日付け)の「第3条 委員の任期等」の第5項の次に「第6項 委員、臨時委員、専門委員の学歴は、詳細に公開されるものとする」を付加すれば済む。国会での法律改正などの厄介な手続きは不要である。

第三節 「エリート教育」を破壊し尽した日本は、“不可逆の亡国”一直線 

 養老孟司の著書に、タイトル『死の壁』というエセー風の軽い読み物がある。その中に、常識的な常識が書かれている。それをここに引用する。理由は、凡庸なイロハ的事実指摘に過ぎないが、日本の教育制度の大欠陥を指し示しているからだ。このイロハを日本人が脳裏からすっかり消したからだ。   

「日本の場合、平等主義が至る所に蔓延してしまった。そのために、エリート教育というものも無くなった。そしてエリートが背負う重さというものがなくなってしまった。エリートという形骸化した地位だけが残った」(注1)。  

 養老孟司が指摘するこの常識的事実は、例えば、日本におけるエリートの地位総理大臣の椅子に座る政治家を見るだけでも、明らかに正確で真実である。現在のそれは安倍晋三。彼は、集団的自衛権の解釈変更を含め憲法第九条問題には(祖父・岸信介の遺言履行として)いたくご執心なのに、具体的な軍事国防となると、とたんに嫌悪して拒絶する。安倍晋三は人間としてエリートには育っていないし、エリート教育など受けていないからである。  

 自衛隊の超貧弱な軍事国防力のままでは、尖閣諸島だけでなく宮古島石垣島もいずれ一瞬のうちに中共の餌食になる。そのとき、これらの島々では数百名/数千名の住民は陰惨に殺害されるだろう。しかも、その多くは、今は、乳幼児であり小学生であり若年層の人々である。さらに、未生の子孫たちである。  

 同じことは、北海道にも起きる。ロシアの侵略で、五百万人道民の多くがロシア兵に殺されるのは火を見るより明らか。だが、安倍晋三は、そのような近未来の現実は見えない。エリートでないからで ある。この沖縄南部と北海道の近未来のケースが明らかにするのは、エリート不在の政治は基本的には“反・国政”にしかならないということである。この「エリート不在の政治は基本的には“反・国政” にしかならない」という原理原則は、逆に、国家の政治エリートとはどのような資質を持たなければならないかのエリートの要件を示唆している。  

 エリートの要件の第一;国家に襲う/発生する現実の近未来が正確に予見できること。第二;国民に降りかかる惨劇や絶望自体を未然に防止しなければならないという国民への義務duty意識。この二つを併せて言えば、「国家の安泰を図ること」の一語になる。“エリートとは未来を含めた国家への義務意識をもつ者“と定義される。一般に、エリートのことを“(民族や国家において)義務に生きる少数しかいない人々”などと称すが、間違ってはいない。

国家の教育システムは、エリート教育と大衆教育ボトムアップ教育)の複線が根幹

 日本では死語になり定義すらも誰も知らない「エリート」の基本要件を思い出した所で、ではどうすれば、このようなエリートを育成できるかの問題に移るとしよう。日本では完全に死滅した「エリート教育」のことで、エリート教育の復権/エリート教育の再生をどうするかの問題である。

 エリート教育の復権/エリート教育の再生には、ダブル・トラック二重路線の対策が不可欠である。第一の路線は、エリート教育を憎悪し破壊する平等主義とその淵源イデオロギーであるルソー教と共産主義思想に対して、殲滅を目指す保守側からのイデオロギー闘争を展開すること。第二の路線は、マルクス・レーニン主義共産主義からの妨害を排除しつつ、正しいエリート教育の制度化を考案し実践する事である。  

 「プロレタリアート万歳!」と一体化していた日本の過激平等主義が、戦後僅かには残っていたエリート層を完全に粉砕しきったのは、1960年代末であった。この日本の過激平等主義を、反転的に、殲滅・粉砕・除染する問題(第一の路線)については、本稿では紙幅の関係から論じない。以下は、エリ―ト教育制度をどう再生的に創りあげるかを、概略的だがほんの少し論じておきたい。  

 国家の教育システムは、学校教育後の実社会におけるエリ-トの扱いと組み合わされて、各国それぞれの歴史的経過の伝統を踏まえつつ整備されている。英国のオックスフォード大学/ケンブリッジ大学やそれに至るパブリック・スクール中等教育制度は、日本人にもよく知られていよう。今に続く中等学校修了証書=大学受験資格である、フランスのバカロレアやドイツのアビトゥアの制度は、大学が無制限に大衆化してエリート教育が消滅する教育劣化を防止している。

 米国は、一見すると“大衆教育の国”のように見えるが、実は、その大衆教育の森の中に、巨木のような“英国型のエリート教育制度”の大きな柱を何本も聳え立たせている。このように、欧米諸国では、大衆社会化した現代において、主権国家の維持/国家の未来への安泰に欠かせない、中世封建体制時代の古き良きエリート教育制度が堂々とビルトインされている。

 だが、世界で日本だけ、狂人ルソーの『人間不平等起源論』を経典に押し頂いて、日本国を、エリート不在の「メダカの学校」的 “動物へと退化した人間の単なる集合体=下等社会”に改造する事ばかりに専念している。平等主義の行き着く社会は、暗黒の全体主義体制か、それに至る前に起きる“ruleなき無法のアナーキー的な社会”である。広島県府中町の中三自殺事件は、日本が“ruleなき無法のアナーキー的な社会”と化したことを示す由々しき事件であった。

大衆ボトムアップ教育から超然する、エリート育成という差別化教育制度の重視  

 英国のエリート教育の巨木は、オックスフォード大学とケンブリッジ大学を頂点に、その中核的な大学生を養成するパブリック・スクール(伝統ある名門私立中等学校)が幹になっている。世界大学ランキングでは、オックスフォード大学が2位、ケンブリッジ大学が4位である。  

 余りにみじめすぎる東大の43位は、日本の未来が次第に暗くなっていることの信号。一方、世界トップ水準を維持するオックスフォード大/ケンブリッジ大の基盤は、英国におけるパブリック・スクールという群を抜く優秀な中等教育にあり、日本にはこれが欠けて存在しない。

 パブリック・スクールには、日本人にもなじみのあるイートン校/ハロー校/ラクビ―校のほか、ウィンチェスター校/チェルトナム校/チャーターハウス校/セントポール校/ウェストミンスター校などがあり、全体でこれらを含む上位22~3校の出身者が「オックスブリッジ」の供給源となり、英国を牽引する層を形成する。「オックスブリッジ」とは、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の総称略語。ロンドンにあるセントポール校やチャーターハウス校を除けば、これらのパブリック・スクールは全寮制。

 この英国パブリック・スクールが、米国のエリート育成ハイスクール「ボーディング・スクール」に引き継がれている。一方、日本の灘や開成などの中等学校は、全寮制ではないことと、エリート教育ではなく受験教育のみが目的となっていることで、英国のパブリック・スクールとは際立つ差異がある。むろん、受験競争は学的知識を増大化させて知の基盤をつくるのに欠かせず、受験教育は重要視されねばならない。

 すなわち、国家を担う少数精鋭を育てる中等教育のトップ校の役割は、英米独仏における「エリート教育+大学受験教育」の二本柱が正しく、日本の「大学受験教育」一本柱では、まさしく片手落ち。日本では、東大/京大に合格することだけでburnoutする学生が多く、世界に伍していくものが少ないのは、エリート教育の欠如による。

 「エリート」とは、たゆまず向上することを自らに課すのであり、人生の途次において、精神の虚脱や満足とは無縁でなければならない。しかも、人生を自らのためではなく、国家社会への義務感において歩んでいく。このようなエリートの精神と思考とは、小学生から「ティーンteen」の中等学校時代までに形成されて、大学においてではない。

 つまり、東大がエリートをつくるのでなく、東大はエリートを磨く場である。英国でも米国でも上流階級が存在し、そこでは小学生の頃から、英国では(貴族やgentry層における)家庭教師などにより、米国では教育ママなどにより、徹底的に勉学やスポーツを含む習い事が叩き込まれる。だが、日本には多少の金持ちはいるが、上流階級が存在しない。英米の上流階級の家に行くと、その図書館の豪華さと蔵書の多さには驚かされる。しかし、日本には、(学者以外で)図書館を完備している個人の家など、一度としてお目にかかったことがない。

 それ以前に、エリート教育を授けうる専門の教師が、日本にはおらず、不在という体たらく情況。この情況は、エリート教育の方法に関する知識が日本から完全に消滅したことを意味する。

 ここで、エリート教育はどうすべきか、「古典、歴史、数学は絶対である」等、どんなカリキュラムであるべきか、などを論じる紙幅はなく割愛する。が、本稿は、「文科省は、日本から消滅した“エリート教育”をどう再生するかの教育課題は断固として排斥しつつ、わずかに残る“大学受験教育”まで破壊しようとしている」問題の方を言及する。

 英米では「エリート教育+大学受験教育」を両輪とするが、日本では「大学受験教育」の片輪だけがかろうじて存在している。正常な教育行政ならば、日本にも「エリート教育」を再生的に導入しようとなる。ところが、文部省は、半分しか残っていない「大学受験教育」まで破壊し、日本から一掃しようと企てている。片足しかないスポーツ選手に義足をつけるのではなく、残る健常な足を切断しようとするのと同じ蛮行。が、現在の文部省は、この“狂気の蛮行”反・教育だけを極限に推し進めている。

“虚像のアメリカ入試制度”を捏造する、日本人の学力劣化を狙う朝日新聞  

 劣化し続ける日本人の総知識量をかろうじて維持しているのは、灘や開成などの私立中等学校であり、林修氏で有名になった東進スクールなどの“予備校” である。文部省が破壊と全面解体を狙う標的は、これら一流私立中等学校と有名予備校で、それらの存在を無意味化することにある。それによって、日本の大学の水準はさらに下落し、日本人全体の知識総量がさらに下降し激減するからである。これについては、次節で論じる。ここではまず、“日本をぶっ殺す”犯罪者しかいない文部省の初等中等教育局と高等教育局を全面応援している朝日新聞の噓事実報道を垣間見ておく。  

 文部省の初等中等教育局と高等教育局の上級職官僚のほぼ100%は、今では共産党員と北朝鮮人になっている。朝日新聞編集局と同じである。朝日新聞と文部省(初等中等教育局と高等教育局)とは一心同体なのは、いずれも日本国民でない者が集まり、宗教セクトと人種が同じだからである。  

 教育問題に関する朝日新聞の噓報道の一つは、米国の大学入試。例えば、別刷りの『The Globe』2016年3月6日付けの内容は、腰を抜かすほどトンデモ捏造。このことは、タイトル『人で入るか? 点で入るか』やキャプション「日本の大学入試制度を改革する動きが始まった。点数だけを物差しとする従来のやり方から、米国流の人物をみるシステムへの移行を目指す」だけでも明らか。  

 米国は、点数絶対主義(過激数字主義)の競争社会である。日本のように、点数絶対主義から“落ちこぼれた”者を何らかの形で救済しようなどの敗者同情主義など存在しない社会。つまり、朝日新聞は、文部省が狙う「受験教育」を廃止して、知識ゼロの“アホ馬鹿”日本人に改造するための大学無試験化という“世紀の大犯罪”を応援すべく、米国の大学入試に関する真赤な非事実(噓)をでっちあげた報道をなしたのである。ハーバード大学スタンフォード大学など米国の超一流私立大学は、「点数絶対主義+親の学歴と収入と社会的地位+人物」で合格者を決めており、「点か、人か」ではなく、「点も、人も」が入試の合否を決定する。  

 ところが、虚偽報道を社是とする朝日新聞は、ハーバード大学を取材し、ハーバード大学が「点数絶対+親の学歴と収入と社会的地位+人物」で合否判定する事実のうち、この「点数絶対」の方を全く消し去る改竄をしている。報道記事の本文を読めば、日本では考えられない「親の学歴と収入と社会的地位」も合否に影響するとしているが、タイトルとキャプションからだとそのようなものがないとしか読めない。朝日新聞の捏造記事は何時もながら実に恐ろしい。

 米国の一流大学はレベルが高く、東大の非ではない。東大なんか生まれながらの秀才にとっていっさい受験勉強せずとも簡単に入学できるが、米国の一流私立大学はそうはいかない。私の学歴は「東大理Ⅰ/工学部(備考)スタンフォード大学大学院」だから、東大の教師・学生のレベルが、スタンフォード大学の足下に及ばないことを冷静に観察できた。世界ランクの、スタンフォード大学が「世界3位」に対し東大が今や「43位」は、納得できる。

備考;私が東大に入学したのは、(理Ⅲは関東圏の医者の息子が行く地方大学。文Ⅰだと頭が悪いかに誤解されるので嫌厭し、全国のトップ秀才は猫も杓子もまだ理Ⅰに行く時代だった)1963年。それでも、スタンフォード大学法科大学院や工学部のレベルの高さには驚愕した。それから五十年、東大の質は上がるどころか、一ランク下の別大学となり下降の一途を辿っている。

  さて、体験に基づくエピソードをひとつ。

 スタンフォード大では私は大学院生だったが、ロシア語を習得すべく学部一年生のクラスに潜り込んだ。吃驚したのはクラスメイトの年齢。スタンフォード大学では語学クラスは「13名以下」と定まっており、内訳は私を除くと「16歳が8名、17歳が3名、18歳が1名」だった。つまり、ハイスクールを2年飛び級して卒業した者が8名だから、13名中の60%。18歳で入学した大柄の穏やかな女子学生が何時も一人ぽつんで“おばさん”に見えた。

 要するに、ほぼ全員が、よほどの著名ハイスクールでない、普通のハイスクールならその学年の一番。また、SAT(大学進学適性試験の成績は、数学などは、CIT/MITと同じくスタンフォード大学の入学者のほぼ全員が満点。また、米国には、全国のすべてのハイスクールのレベルを相対評価したデータがあり、学年の一番同士の場合には上位校の方からの受験生が合格している。このように、米国では一流校に合格したいのであれば、飛び級の事実や数字化された点数は絶対だから、何が何でも秀才を示す事実と数字化された点数で抜きんでていることは最低条件。米国は、何でもかんでも数字化して序列表/順位表をつくっている。

 ハーバード大学の入学受験を例としている、朝日新聞『The Globe』は、なんでも数字化する文化を持つ米国の数字化された点数絶対主義につき、全体の文脈ではさも関係がないかに歪曲・捏造している。そして、入試願書に添付する小論文だけで合格するかに作為している。

 ハーバード大学の小論文は、合否と無関係ではないが、合否への影響率は5%以下の微々たるもの。スタンフォード大学であれ、ハーバード大学であれ、合否を決定的に左右するのは(SATや高校の成績・順位などの他は)小論文などよりも、両親の学歴・年収・社会的地位。これこそ、文部省は最も真剣に考慮すべきものではないか。例えば、有名ハイスクールの順位や数字化された点数絶対主義での合格者を入学定員の三分の二とすれば、あとの三分の一は親の学歴と収入と社会的地位を考慮して決定する米国の一流私立大学入試のやり方は、間違っていない。

 実際にも、日本でも、父親が出世をした東大卒の子弟は、全員ではないがほとんどが優秀。少なくとも、東大以外の大卒の父親の子弟とは、平均すれば格段に顕著な差異がある。スタンフォード大学/ハーバード大学/イエール大学などでは、父親が同窓で高所得の場合は、親のキャリアーを合否にかなり露骨に考慮する。このこと自体、依怙贔屓の不公平とは言えず、統計学的にも合理的な判断基準である。

 日本の社会は超平等主義だから、米国の一流大学の、親の学歴や所得の調査・考慮を、依怙贔屓だと勘違いする。親の知的能力は遺伝する。親の高度な社会的知見もその子弟は家庭にいて自然に身に着ける。子供が優秀な人材か否かは、親を見れば、当たり外れがなく無難な判断ができる。

米国のエリート教育──ボーディング・スクール  

 犯罪的捏造記事を書く朝日新聞の報道問題で道草を食ってしまった。話を、英国のイートン校/ハロー校/ラグビー校などを真似て設立された米国の“エリート教育”「ボーディング・スクール」に戻す。米国の教養ある豊かな家族の子弟が入学する「ボ―ディング・スクール」について、日本でもこの頃では馴染みが出たようだ。アグネス・チャンの長男/次男/三男は、『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』朝日新聞出版)によると、揃って「サッチャー・スクール→スタンフォード大学」に進んでいる。  

 サッチャー・スクールは、米国ボーディング・スクールの中でベスト10位の名門。加州にある。が、多くの有名ボーディング・スクールは、英国からの有力入植者の子弟が多かった東海岸にある。  

 なお、ボーディング・スクールとはプレップ・スクールのうち寄宿制のを指すが、ここではほとんど同義に用いる。プレップ・スクールとは、Preparatory Schoolの邦訳語。米国最初のボーディング・スクールは、フィリップス・アンドーバー・アカデミーで1778年創立。米国が建国される1789年より十一年前であった。現在「全米一」と評価されているフィリップス・エクセター・アカデミーは、同じフィリップス親族が設立したもの。

 これらのプレップは、東部のアイビー・リーグ大学などに入学することを前提とし、その名前の通り大学教育への準備をする中等学校である。と同時に、英国のパブリック・スクールを継承し、国家のエリート/指導層を担う人材の育成という精神や人格の鍛錬も重視されている。

 日本の教育制度との大きな相違は、なんといっても①授業料の高さであり、②猛勉強のすごさであり、③テューターのレベルの高さである。フィリップス・エクセター・アカデミーの授業料と寄宿料は、年4万7千ドル。むろん、様々な奨学金制度が充実しているので低所得層の子弟も入学しているが、富裕層の子弟がやはり中核。これは差別ではなく、エリートを輩出する確率は富裕層の子弟の方が圧倒的に高い以上、理論的にも現実的にも合理性は十分に高い。

 だからと言って米国は、家が貧しい秀才生徒に対しては愛情を惜しまない。例えば、フィリップス・エクセター・アカデミーは、親の所得が7万5千ドル以下だが抜きん出た生徒を見つけると授業料免除で入学させている。エリート育成を米国国民の義務だと考えるからで、この義務意識が米国の一流大学/一流プレップに共通して漲っている。

 日本は、ジェラシーが大手を振るう歪さが罷り通る国で、目立つような秀才に敬意を払わないし、むしろ排除する傾向が強い。中学校・高校における無法化した推薦状制度も、元とはと言えば、筆記試験の優等生への卑しいジェラシーが原点。日本社会の癌である、秀才をつぶしたいジェラシーの横行は、“赤い落ちこぼれ”の文部官僚を筆頭に、下等な感情を排除しないゲス野郎が日本に多いからである。そして、このさもしく下劣なジェラシーをさも教育的視点の一つかに屁理屈で正当化して有害な推薦状を制度化した。

 米国の教育文化の偉大さは、英国のような生まれによるエリートを生産する階級である貴族やジェントリー層をもたないが、この英国型エリート教育を基本的には継承しようとの伝統的智慧への尊敬を基軸に、米国独自のものを発展させる賢慮から逸脱していないことにあろう。だから、日本の文部省の赤い官僚が、ルソーやフーコーに心酔しては妄想(思い付き)で教育制度をいじくりまわす、ゴロツキ/ならず者的な破壊主義教育論など、米国には片鱗もない。米国のプレップ・スクールや英国のパブリック・スクールについては、参考書を注2に紹介しておく。

第四節 日本衰落・崩壊を目指す“悪の教育破壊”一色の文部省『答申』

 以上の一~三節は、実は、イントロ。これからの第4節と第5節が本論。この本論を理解するに基礎知見が必要だと考え、第一~三節に記述した。

 本稿のモチーフ第一は、安倍政権が誕生して二年が経った2014年12月22日、中央教育審議会が文科大臣に答申した『新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について』を解剖するのと同時に全否定し、良識ある国民が安倍晋三に、この『答申』の全面撤回を要求する運動を起こしてほしいとの願いを出発点としている。

 なぜなら、この『答申』とは、中央「反教育」審議会と正しく名称変更すべき中教審が、日本の教育を徹底破壊せんとする“日本破壊革命”のため、教育制度の大改悪を宣言したもの。安倍晋三内閣になってから、霞が関共産党系官僚は、水を得た魚のごとく、やりたい放題に非暴力の共産革命に熱をあげているが、この中教審『答申』もその一つ。

 特に、赤い文部省は、安倍晋三が肝いりで創った「教育再生実行会議」に便乗して、“教育破壊”や“教育改革にかこつけた日本共産社会化革命”に暴走している。本ブログの読者は、答申『新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について』、並びに、これ以上に危険で“反日犯罪性”が露な安倍晋三の反・教育推進機関”教育再生実行会議」とに、徹底した監視と批判の眼を注いでいただきたい。そして、本稿の第二目的も、百害あって一利なき「安倍晋三教育再生実行会議」を即座に廃止させることにある。

1、「ゆとり教育」推進部局の廃止処罰なしが、文部省の教育破壊犯罪を暴走助長

 1996年7月19日、文部省は、中教審第一次答申の名で、「“ゆとり重視”だと詐称して、学習指導要領の改悪を決定」した。これが、日本の教育を公然と破壊する、文部省主導の“反日革命”「ゆとり教育」の始まりだった。「ゆとり教育」は、共産党員官僚と北朝鮮人官僚が跋扈する“赤い文部省”が期待する通り、大学生に至るまで日本の子供たちの学力を大幅に低下させた。これを是正したのが第一次安倍晋三内閣で、安倍の「教育再生会議」だった(2007年)。また、主要国立大学の共産党系教授たちが寝返って「ゆとり教育」に反旗を翻したことが、“ゆとり教育つぶし”の決定打になった。

 ところが第二次安倍晋三内閣は、“反・教育”「ゆとり教育」をつぶした過去の栄光に慢心して、「教育再生会議」の後継組織である「教育再生実行会議」を文部省に丸投げしてしまった。これが、「ゆとり教育」の百倍も千倍も過激な“反・教育”を、文部省が次から次に導入する、現在の恐ろしい“教育破壊のチェーン”が暴走する情況を呈するようになった。

 1990年代以降、特に現在の自民党議員は、政治家しか経験のない者が多く、吉田茂岸信介佐藤栄作のように、官僚機構に精通している者はほとんどいない。だから、「ゆとり教育」という文部省の犯罪に対して、表向き目立つように行動した寺脇研だけを“トカゲの尻尾切り”よろしく左遷し/省外に追放しただけで、文部省を何のお咎めなし処罰なしにした。安倍晋三は、「ゆとり教育」の廃止と同時に、「ゆとり教育」を立案・推進した関係部局をすべて廃止する文部省設置法改正という対文部省処罰を断行すべきだった。この文部省への処罰なしは、いったん決めた方針は手を変え品を変えて貫く官僚機構の怖さに無知すぎだし、甘ちゃんに舐めすぎである。

 すなわち安倍が、文部省から巨大癌を切除する処断をしなかった事が、この「ゆとり教育」を導入した犯罪官僚たちをして、新たな装いで「ゆとり教育」よりはるかに毒性の強い、日本人の学力をすべて“中学校を小学校の劣等生レベル”“大学を高等学校の劣等生レベル”に落す学制改悪(=小中一貫校制度と高校・大学接続)を次々に考案・実行させることに繋がった。

閑話休題】 日本人を劣化・動物化させ、日本国を破綻的な衰落に至らしめる《ゆとり教育を考案したオリジナルの「反日」勢力は、社会党左派の社会主義協会系の学者と朝鮮総連系の学校教員たちであった。“奇怪な珍語”「ゆとり教育」を日教組1972年に初めて使用したのは、この理由による。共産党の造語ではない。 そして、この日教組と、「連動・連携している」というより完全に一体化している文部省は、日教組の要望に沿って「ゆとり教育」導入の好機と方法の模索をすぐさま開始した。成功した1996年から振り返ると、日本人の学力低下のための犯罪「ゆとり教育」実行に、文部省は二十四年をかけている。文部省と日教組の対立の構図は1960年代末で消滅していた。

 話を戻す。“中学校を小学校の劣等生レベル”“大学を高等学校の劣等生レベル”に落す学制改悪を実行するための行政機構上の決定を、文部省は、中教審だけでなく、安倍晋三の「教育再生実行会議」も悪用している。これほどまでの文部省官僚の狡猾な悪の凄腕には唸るほかないが、赤い文部官僚に容易く騙される“お馬鹿”安倍晋三の極度の愚鈍さにも唖然として絶句するほかない。

 ともあれ、以下、赤い文部省が企てている、日本国の破綻と衰落を必然に招く日本人劣化のための、日本の教育制度の徹底破壊の三つの制度改悪を、俎上に載せる。

2、“教育犯罪”日本人劣化を潜行隠蔽して推進する“共産革命ドグマ”「生きる力」

 (具体性を全く欠く)甘い言葉や意味不明語を多用するのは、犯罪の意図がある証拠だし、この犯意を隠すに有効だからである。「気を付けよう、甘い言葉と暗い道」の標語は、正しい。

 だが、世界で日本人だけは、脳天気な民族だからか、甘言や意味不明語という毛鉤に直ぐ喰らいつく。それに加え、日本人は、大正時代以降一貫して、人間として大幅に劣化し続けている。“赤い犯罪者たちの巣窟”文部省は、「日本人は大人ですらこれほど劣化したのだから、次代の日本人の子供たちを更に劣化させうる」と、ますます大犯罪を限度なくエスカレートさせるようになった。

○1996年『中教審・答申』が暴く、日本人劣化の犯意を包み隠す文部官僚の甘言「生きる力」  

 日本の子供たちの生涯が塗炭の絶望と悲惨な人生で終わるよう憎悪の呪いでまとめられた文書である『中教審・第一次答申』は、北朝鮮人と共産党員だけとなった“凶悪な文部官僚たち”の国民騙しの詐言を暴く貴重な犯罪記録である。これを読了しておけば、教育破壊に爆走する文部省が再び、『答申』に甘言で潜ませた犯罪トリックが一目瞭然に見破れる。安倍晋三政権の『2014年答申』は、村山富市政権の『1996年答申』を踏襲したものである。

 日本人の学力を大低下させる教育破壊を狙った“世紀の教育犯罪”『1996年答申』は、次のように表現されていた。   

「これからの社会は、変化の激しい、先行き不透明な厳しい時代と考えらます。このような社会では、子供たちに生きる力を育むことが必要です」(『答申』のパンフレット版)。  

 意味不明な言葉「生きる力」という用語は、これが我が国で最初の用法。“騙し語”「ゆとり教育」は朝鮮人の造語だが、「生きる力」は共産党の造語である。この犯罪語「生きる力」の真意は、「日本人は人間ではなく、動物化して生きろ!」である。 実際にも、「売春婦として生きる」ことも「暴力団として生きる」ことも「泥棒や強盗として生きる」ことも、すべて「生きる力」。つまり、用語「生きる力」には、“人間とはどう生きるかで人間的でありうる”との教育の根本が全否定されている。

 「どう生きるか」を訓育する学校教育は、「倫理道徳的であれとか」「真善美を失うことなかれ」とか「独立自存」の絶対普遍のものから、「○○で一流になりたい」「指導者になりたい」「〇〇の職業に就きたい」の子供たちの希望にできるだけ役に立つ“基礎学力/基礎能力”を培ってあげる場である。学校を「売春婦として生きる」「暴力団として生きる」「泥棒や強盗として生きる」の下層的・動物的・生物的に“ただ生きればいい”を訓練する場にするならば、学校こそ有害。学校の存在理由はない。

 だが、この下層的・動物的・生物的な「生きる力」という共産主義ドグマこそ、「ゆとり教育」のイデオロギーであった。そして、目的「生きる力」と手段「ゆとり教育」が目指すものは、日本人の子供たちを共産社会における共産主義的人間への改造であった。2007年、「ゆとり教育」が“悪の教育”として一掃されるのが決定されたとき、共産主義的人間への改造ドグマ「生きる力」も完全に粉砕的に一掃しておくべきだったのに、安倍晋三やその周辺には、このような高度な見識が不在だった。

 いや、魔語「生きる力」を見破るのに高度な見識など要らない。平々凡々の常識で十分の筈。なぜなら、「生きる力」など人間は産まれながらに有しており、学校教育とは無関係だからだ。このことは、飛鳥時代奈良時代には、学校などなく国民のほぼ全員が自分の名前も書けない文盲だったが、全員生きていたし、あれほどの文化文明の構築に参画していた歴史事実を思い出せば、明白ではないか。

 「生きる力」とは、例えば、母熊が本能に従って乳ばなれした仔熊に餌のとり方を教えるようなことを指す言語。つまり、自然界の動物の仔育てのことを「生きる力を育んでいる」という。そんな「生きる力」に共産党員文部官僚がこだわる理由は、簡単明瞭。次代の日本人が共産党の独裁者の命じるままに夢遊病者的に“生きる動物”に改造することが、共産革命の成就と考えるからである。

 夢遊病者的に“生きる動物”に堕した日本人に、知識は必要か。むろん不必要。むしろ、知識があれば、夢遊病者的に“生きる動物”化改造を拒絶して、この狂気から脱出しようとする。だから、この拒絶や脱出をさせないために、日本人から基礎学力を破壊的に簒奪すべく、その手段として「ゆとり教育」を導入・強制したのである。

○「生きる力」を旗幟にした『2014年答申』は、日本人の共産主義人間への改造が主目的

 『2014年中教審答申』は、共産党系文部官僚が書いた、共産革命のために日本教育制度をゼロベースで全面破壊するとの宣言書になっている。それはまた、教育制度の崩壊的破壊を通じて、あるべき日本国を(共産社会に改造するためにまず)全面破壊することだから、日本国と日本国民に対する垂直侵略者たちの宣戦布告文となっている。

 このことは、『2014年中教審答申』の中で“共産革命ドグマ”「生きる力」が、2頁/6頁/…と執拗に連発されていることで明白。また、全編にわたり、意味不明語や意味不明文ばかりであることでも、共産革命の犯意が潜んでいるのが直ぐ判る。

 例えば、『2014年中教審答申』冒頭の文は、カルト宗教団体への露骨な勧誘文となっている。国家の教育制度を論じるものとは程遠い。共産社会は、ルソーとマルクスを教祖とする凶暴な大量殺戮を信仰告白するカルト宗教団体の“妄想上のパラダイス”のことだから、『2014年中教審答申』冒頭の文が、日本の子供たちへの憎悪を燃やすカルト宗教団体への勧誘文なのは当たり前か。   

新たな時代を見据えた教育改革を進めるに当り重要なことは、子供たち一人ひとりに、それぞれの夢や目標の実現に向けて、自らの人生を切り拓き、他者と助け合いながら、幸せな暮らしを営んでいける力を育むための、初等中等教育から高等教育までを通じた教育の在り方を示すことである。子供たちに育むべき、このような力を、言い換えるならば、それは《豊かな人間性》《健康・体力》《確かな学力》を総合した力である《生きる力》に他ならない」(2頁)。  

 意味不明語「新たな時代」とは、「日本が共産社会に向かいつつある時代」という意味の隠語だろう。それよりも、この方が悪質。まず、文部省が教育制度をいじくりまわすと、途端に「子供たち一人ひとりの夢や目標が実現する」とは、麻原彰晃などの詐欺師宗教家の騙し文句と同じではないか。次に、文部省が教育制度をいじくりまわすと、「幸せな暮らしを営んでいける力が教育される」とは、「この飲料水を飲むと空を飛べる」と嘘を言い募る狂人詐欺師と同じではないか。  

 しかも、この文で明らかだか、「大学教育まで受けないと幸せな暮らしを営んでいける力は育まれない」と断じている。「高卒は不幸だ!」の、高卒者を侮蔑する宣言である。

 そもそも、赤い文部省に巣喰う共産党系官僚や北朝鮮人官僚に、「豊かな人間性」などあるのか。彼らは、「豊かな人間性」とは無縁だし、たった四年間で国民人口の四分の一を殺戮したカンボジアのポル=ポトと類似の、次代の日本人を憎悪して不幸と絶望の淵に落しこもうとする非人間性が顕著な人間以下の悪魔的輩である。上級職すれすれ合格者の“赤い落ちこぼれ”が群れる文部官僚で、横田めぐみさんの救出をしようとしたものは一人もいない。日本人の子供たちが北朝鮮人に殺されたら万歳! と快哉する鬼畜が、文部省官僚の大半を占める。

 そんな残忍非道な人格異常のものが過半の文部官僚が、行政権限を振りかざして、日本の教育制度を大改悪するため、その有害・有毒のいじくり回しをしている。その結果は、家庭で培われてきた日本の子供たちのもつ「豊かな人間性」まで必ず剥奪され破壊される。「豊かな人間性」「確かな人間性の形成」を学校教育に求めたいなら、絶対に①『2014年中教審答申』を直ちに廃棄することが絶対不可欠。また、②寺脇研のような残忍非道な人格異常のものが過半を占める文部官僚をまず十把ひとからげにいったん分限免職し、人格/人間性の調査のあと一部は再採用してもよいが、全国の公務員の中から“人間性”を精査して入省させる総入替を断行すること。

 “教育破壊の権化”『2014年中教審答申』は、人倫的な大欠陥いちじるしい文部官僚が考案したのだから、カルト宗教団への勧誘文となるのは必然。現に、『2014年答申』の副題を読めば、「カルト宗教団体への入信勧誘文」や「暴力バーへの入店勧誘甘言」との類似性がさらに一段と露骨である。この副題、何と「すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために」とある。

 正常なものなら誰しも失笑する大嘘。だが、失笑している暇はない。「すべての若者の夢や目標が芽吹き、未来に花が開く」など、オウム真理教やその他のいかがわしい宗教団体の入信勧誘と同じく、戦慄すべきパラフレーズ。この副題からでも、『2014年中教審答申』が、日本の子供達の未来を確実に危うくすることは、直ぐに分かる。

 『2014年中教審答申』の副題は、プロ野球選手や民放キー局の女性アナになりたいと考えている若者のすべてに、その夢を実現させてあげると言っているのだから、真赤な噓=詐欺師的甘言でなくて何であろう。野球少年が全てプロ野球選手に成れないのは自明。音楽家など芸術家希望の夢がかなうのは、希望する高校生のうち、数百分の一/数千分の一である。  

 それなのに、『2014年中教審答申』は、「高校・大学が接続してかなりの大学では大学入試が消え、また、これまでの大学入試が共産党教授や北朝鮮人教授の好むままに恣意的に入学させる制度に変革したら、日本の若者は全員、それぞれの夢がかなう/目標が達成される」と、荒唐無稽を越えて不可能な戯言を豪語する。日本の若者への(ポル=ポト的な殺意もちらつくほどの)最凶の憎悪感情なしには、これほどの大噓甘言は吐けない。『2014年中教審答申』は、次代の日本人の確実な不幸や絶望を祈願し、その人生を絶対に破滅させてやるぞとの“狂気の悪魔性”を基調にまとめられている。この事実は、副題だけでも証明している。

 次代の日本人を極限までに劣化させて、日本の高度産業社会を維持できないようにすれば、ブーメラン的に次代の日本人は貧困と破局にあえぐほかないが、文部省はこれを目指して『2014年中教審答申』をまとめたのである。『2014年中教審答申』を全面廃棄に追い込めるか否かが、次代の日本と日本人を救えるか否かの分岐点である。

3、 日本の大学をさらに劣化させる決定打が、文部省の狂気の“大学入試の大改悪”

 『2014年中教審答申』という隠れ蓑で、文部省は、大学入試に関し、次のような大改悪を決定した。その理由は、一見では意味不明。だが、紙背に目を通せば、国際標準においては劣化し続ける、日本の大学教師の顕著な水準落下や日本人入学学生の学力レベルの大幅低落問題など日本の大学が現実に直面している諸問題の方は「看過せよ」との悪意が貫かれている。そればかりか、新しい致死性の癌細胞を注入して日本の大学を完全な死に体(「痴者・愚者の楽園」)に追い込む“教育破壊の完全犯罪”計画書=『2014年・中教審答申』になっている。まず、次の文言を読んでみよ。

「何よりも重要なことは、個別選抜を、画一的な一斉試験で正答に関する知識の再生を評価に偏ったものとしたり、入学者の数の確保のための手段に陥らせたりすることなく、【人が人を選ぶ】個別選別を確立していく」(『答申』11頁)。  

 【人が人を選ぶ】は、現実にどういうことを惹起せしめるのか。主要な国立大学では、優秀な本物の大学教授は自分の研究と子弟の教育で手いっぱいである。入試作業に進んで手を挙げる教授や准教授は、決まって、学問業績もない研究能力・意欲もない最低の劣等教官たちである。また、政治活動/学内政治ばかりに熱心な共産党系教官や北朝鮮人系教官がほとんどである。  

 つまり、【人が人を選ぶ】の、前者の「人」とは、“学問業績もない研究能力・意欲もない最低の劣等教官か、政治活動/学内政治ばかりに熱心な共産党系教官や北朝鮮人系教官”のことを指す。文部省は、国立大学のこの実情・実態を十分に熟知している。

 だから、国立大学を完全な共産党支配にすべく、入学する大学生をことごとく共産党員の子弟もしくは党活動家だけにできると判断して、【人が人を選ぶ】入試制度を導入するのである。ありていに言えば、“共産党の学生組織”SEALDsの高校生活動家をすべて東大に合格入学できるようにするのが文部省の狙い。噓だというのであれば、現実の例をあげよう。私が筑波大学に在勤中、OA入学者はほぼ全員、共産党員の子弟か、もしくは高校生共産党活動家であった。  

 そもそも、政治でも、古代と近代の相違は、「人による政治」から「法(一般rule)による政治」への発展であった。つまり、人の恣意を排除する「一般rule」において、人類は自由の保障を拡大してきた。大学入試も同じである。あくまでも「一般rule」で合否を判定すべきで、これ以外の方法はない。合否の判定に関するオープンの基準を明示できないのは、不正と無法で合否を決める制度だからだ。こんな不正と無法の大学入試制度に改悪すれば、高校生は誰も学業をしなくなる。そして、共産党の政治活動に精を出すだろう。その方が確実に東大や他の主要国立大学に入学できるからだ。  

 ハーバード大学スタンフォード大など米国の大学入試を日本人は「神話」信仰レベルで誤解している。米国は成績/数量化絶対優先主義の国柄だし、“法の支配”の哲人コークを建国の元祖とする国柄であるので「一般rule」に厳しく自己規制する。

 例えば、ハーバード大学には学部入学判定を専業する四十名ほどの(教員ではない)専門職員がおり、“大学教官だけでの入学合否判定”する日本とは全く異なる。そして、これら四十名は、強烈な愛校心と愛国心をもって、伝統的な入学判定の「一般rule」に従い、絶えず「これからのハーバード大学の百年の栄光と祖国への貢献」をモットーに、全米から優秀な高校生──ほとんどは有名ハイスクール卒業生か飛び級者──を見出すのに精力的に働いている。

 ハーバード大学の入学競争率は二十倍だから、応募した高校生のトップ5%の選抜作業ということ。赤い大学教授がOA入試委員となり、共産党活動家高校生ばかりを恣意的に合格させている日本の国立大学とは天と地ほどの差。だから、米国のトップ高校生は、寝食を忘れた猛勉強に明け暮れる。一方、日本では、米国のような受験競争は、全国すべての高校から火が消えたように消滅した。日本の衰退と次代の日本の絶望の人生は確実に到来する。これは、すでに世界が嘲笑する常識。

「思考力・判断力・表現力」を判定できる大学教師など、一人も存在しない

 さて、“大学入試選抜の無法化”を企図して、日本の大学教育を根底から全面破壊するのを目論む“悪魔の反・教育宣言書”『2014年・中教審答申』につき、次に進もう。

A「知識・技能だけでは全く不十分であり、【主体性・多様性・協働性】や【思考力・判断力・表現力】を含む【確かな学力】を、高い水準で評価する個別選抜を推進することによって、」

B「年齢、性別、国籍、文化、障碍の有無、地域の違い、家庭環境、等に関らず、多様な背景を持った学生の確保に努める必要がある」(12頁)

 AとBの連続した一文を読んで、具体的な入試選抜方法を思いつくものは、大学教師側にも高校教師側にもいないだろう。Aについての選抜方法など世界中のどこにもない。そもそも【主体性・多様性・協働性】と【確かな学力】は意味不明・内容不明。「高い水準で評価する」も隠された犯罪的な無法化の意図は滲み出ているが基本的には意味不明。  

 だが、「意味不明」だと感じた者は、正常な日本人の証拠である。この意味が分かったものは、共産党員か北朝鮮人である証拠である。

 なぜなら、Bとは、共産党と在日朝鮮人が目指している“日本の多民族共生社会”のことで、また“ジェンダーフリーの男女共同社会”のことで、フーコーが目指す“精神障碍者が支配する狂人崇拝社会”のことだから、そのような「狂気の異常な社会」をイメージしたその実験社会のようなものに、なぜ「学問と研究をする大学」を改造しなければならないか、正常な常識人であれば考えもつかないのが、普通である。  

 つまり、この長い一文の前半分Aは枕言葉である。敢えて意味を探れば「入試をするな」という意味。すなわち、「大学は入試などせずに、“日本の多民族共生社会”のミニ実験社会に大学を改造しなさい」「“ジェンダーフリーの男女共同社会”のミニ実験社会に大学を改造しなさい」ということ。そして、「高い水準で評価する個別選抜を推進すること」とは、この「Aの紙背に隠された共産党文部官僚の犯意を汲み取れ」という意味。  

 序に、【主体性・多様性・協働性】【思考力・判断力・表現力】【確かな学力】につき、少し解剖しておこう。まず、【主体性・多様性・協働性】については、評価基準など存在しない。が、例えば、「SEALDsのメンバーになり、激しく安保法反対の高校生部隊のデモを指揮していたら、【主体性・多様性・協働性】が満点だ」にできる。要するに、高校生の共産党活動家を、東大はじめ主要国立大学に優先的に入学させる基準のことを指している。  

 だが、例えば、世界的な音楽家/デザイナーなどの芸術家/建築家あるいは発明的な高級技術者を希望する者には、あくまでも個人の才能をみずから伸ばす克己と努力が重要であり、【主体性・多様性・協働性】など不要である。また、発明的な高級技術者の資質には、数学と物理学と化学の知識量が絶対で、【主体性・多様性・協働性】などあろうとなかろうと価値がない。すなわち、『2014年中教審答申』は、「これからの日本は、世界的な音楽家/デザイナーなどの芸術家/建築家あるいは発明的な高級技術者については完全ゼロとする。絶滅させる」との、日本を未開発の野蛮国に退化させるとの、日本国の崩壊的劣化・退化宣言書である。  

 『2014年中教審答申』の「【思考力・判断力・表現力】で評価しろ」の方は、もっとひどい反教育丸出し。なぜなら、それは「入試は一切の基準などあってはならず、ただ無基準の無法に徹して、入試委員となった大学教師の個人的な裁量・恣意で行え」と言う意味だからだ。

 理由の第一。劣化著しい現在の日本の高校生の学力において、【思考力・判断力・表現力】を持つものなどほとんどいない。存在しない中から「選抜せよ」とは一体どういうことだ。魚が一匹も泳いでいない大海原で「30㎝以上の大物の鯛だけを釣り上げよ」という狂気の命令が、『2014年中教審答申』の「【思考力・判断力・表現力】で評価しろ」である。  

 理由の第二。現実とはかけ離れた話だが、日本の高校生の中に【思考力・判断力・表現力】を持つ者が仮に一万人いたと仮定し、この一万人が全員東大を受験したとする。この中から三千人を選抜する東大教師に、「【思考力・判断力・表現力】を評価できる者」など存在するのか。東大でもほぼいない。つまり、東大以外では、この評価ができる大学教師が完全にゼロだということ。

 実際にも、文系の大学教師は、学問業績がない者が多く、東大で3割、筑波大学で7割が学問業績ゼロである。その他の地方国立大学などでは、9割以上の大学教師に学問業績がない。学問業績ゼロの大学教師に、【思考力・判断力・表現力】など存在しない。それが、どうやって高校生の【思考力・判断力・表現力】を評価するのか。

 日本の大学問題は、文系大学教師の水準が、灘高校開成高校の高校生の知的思考力の水準にすら及ばない問題だが、これを解決しないで、“馬鹿アホ間抜け大学教師”が、高校生の【思考力・判断力・表現力】を評価し序列化の判定をするなど、悪ふざけの何物でもなかろう。

 【思考力・判断力・表現力】を有さない“馬鹿アホ間抜け大学教師”に、「【思考力・判断力・表現力】を判断しろ」とは、ピアノも弾けない者にピアノ・リサイタルをすると称して多額のチケットを販売させる詐欺の勧めと同じで、これが『2014年中教審答申』の正体である。 

 理由の第三。【思考力・判断力・表現力】の評価と序列化判定を、仮にその方法が発見できたとしても、それを完遂するには少なくとも受験生一人当たりに五時間はかけねばならない。なぜなら、病院における精密検査と同じになる筈だからだ。

 受験生1万人なら5万時間。百名の入試教官で手分けして行っても教官側一人当たり500時間で、一日10時間をぶっ続けてこの評価にかかりっきりでも50日は必要である。こんな入試など現実には可能か。つまり、狂気の『2014年中教審答申』を振りかざす共産党文部官僚は、受験生一人当たり5分で「【思考力・判断力・表現力】を評価せよ」と、大学側に命令している筈。

 どうやら、『2014年中教審答申』の秘めた犯意が見えてきた。「共産主義者か否か」「日本を憎悪する北朝鮮人か否か」なら五分間でチェックできるから、共産党員を合格させろ、北朝鮮人を合格させろ、ということ。ゲイやレズは優先合格させろ、精神障碍者を優先合格させろ、ということ。

 ところで、忘れてはならないことがある。国家・国民に対するこれほどの犯罪というべき大学入試の大改悪を敢行している“赤い文部官僚”たちの頭には「【思考力・判断力・表現力】がある」のか、という問題。文部官僚の頭は、かち割ったら真赤な汁が腐臭とともに流れ出る腐った西瓜そのものなのはわかるが、【思考力・判断力・表現力】が不在というより狂っている。狂った【思考力・判断力・表現力】を排除することが、日本が緊要としている課題である。

 これら凶暴と残忍非道さを剝きだす赤い文部官僚は、簡単な上級職試験をやっとこ通過した“落ちこぼれ六流官僚”に過ぎないのに、上級職の一発試験に合格しただけで、国家の教育制度を根底から破壊できる権力を振り回す輩である。狂った【思考力・判断力・表現力】しかない赤い革命狂徒が、【思考力・判断力・表現力】を絶対価値だと、大学教師や受験生に強要するのは、これら“赤い文部官僚”に、謙虚とか自制とか中庸とかの道徳が完全に欠落した人格欠陥の非人間だからである。日本の学校教育が改善すべきは、教育破壊の制度改悪をする暴力団以上に悪の“赤い文部官僚”を殲滅できない事、これに凝集されている。

文部省は文系学部の廃止的削減をまず断行せよ!

 序に言っておこう。日本の教育制度が限界を超えて破断寸前となったのは、学問業績ゼロのトンデモ文系教師が、全国に雨後の筍のごとくに文部省が利権目当てで創った「大学」と詐称する大学の、その文系学部で“痴者の楽園”“愚者の楽園”と化す先導者になっているからである。

 日本が直面する“大学を国際標準への改革”問題は深刻で、それにはまず文系学部を全国平均で七~八割廃止することが緊要。だが、赤い文部省は、これを断行する気配すらみせない。代わりに入試改悪を強行する。この理由は、日本の大学教育を腐蝕する“病気”で“元凶”である文系学部が、“大学を多民族共生ごっこの実験社会に改造する”犯罪に最も協力するからである。

 この問題を含め、日本の教育破壊を狙う“犯罪企画書”『答申』が打ち上げた“大学入試の大改悪”問題、どうやら一冊の本に纏めて出版する必要がありそうだ。

4、“大学劣化・大学崩壊の劇薬効果抜群”「高大接続」  

 『2014年中教審答申』が潜ませる教育制度改悪という犯罪は、このほかも多々あるが、紙幅がすでにオーバーした。もう一つの大学劣化/大学解体の特効薬「高校・大学接続」問題だけはどうしても簡単に触れておきたかったが、残念ながら、紙幅がない。第四節は、無念だが、ここで閉じる。

第5節 安倍晋三は、「教育再生実行会議」を“赤い文科省”に丸投げした 

 安倍晋三は、政権発足と同時に、安倍晋三・総理大臣みずからが主宰する「教育再生実行会議」をスタートさせた(2013年1月、閣議決定。だが、安倍晋三肝いりの「教育再生実行会議」の実態は、完全な“教育破壊実行会議”。安倍晋三とは、“教育問題への無関心・無気力”というより、“教育問題白痴”を持病とする政治家である。  

 その上に安倍には、“公約は履行すべきだ”という、人間が持つべき誠実さが全くない。際立つほど道徳をいっさい欠く人間。例えば、大声で発した自民党の選挙公約ではなく、総理大臣になったらこうしますの個人的)公約すら、使い捨て肩こり膏薬ぐらいにしか考えない。だから、安倍晋三は、党公約より重い「個人公約」を次から次にゴミ箱にポイ捨てする。安倍晋三とは道徳心を欠如する無道徳者。

 安倍晋三の公約ポイ捨ては、“拉致被害者の奪還”公約の放念、「七十年安倍談話」での「村山五十年談話の否定」公約を逆走して村山談話を継承、“靖国神社参拝毎年履行”公約の不履行、従軍慰安婦問題で“歴史の真実”「帝国陸軍は、徴募に無関与」を死守するとの公約の放棄、など。思い出せばきりがないほど多い。

 この「教育再生実行会議」に関しても、「道徳」の教科化以外は、すべてが「教育破壊実行会議」へと変貌しているのに、安倍晋三はこれを放置。これもまた、「教育再生」という公約のポイ捨て。

 「道徳」の教科化(=学習指導要領の改正)以外は、前節で述べた『答申』と同じ、トンデモ制度の小中一貫教育制度とか、共産党が運営するフリー・スクールへの国家支援とか、職業訓練学校の大学化など、文部省の赤化教育と日本の教育制度の根底からの破壊ばかりが取り組まれている。

 安倍晋三の頭が水準以下なのは、“教育の再生”は文部省には任せられないから総理官邸主導でやりたいと「教育再生実行会議」を作っておきながら、その事務局も運営も文部省に丸投げしたことで明らか。しかも、安倍晋三が主導したのは、「道徳」の教科化一つだけ。ならば、これをもって「教育再生実行会議」を閉店すれば害を最小限度に抑え得たのに、「教育再生実行会議」を赤い文部省に簒奪させ、逆に「教育再生実行会議」に教育破壊を進めさせている。

 尚、「道徳」の教科化を、朝日新聞共産党の猛反対の中で、これとつるんでいる文部省が安倍の指導を飲んだのは、安倍に与したのではない。一般通念上の“道徳”とは似て非なる、マルクスの道徳一掃/道徳破壊主義に合致する“非道徳の道徳”を「道徳」教科にする予定だからである。

 道徳と言えば、通常の教養ある日本人は、サミュエル・スマイルズの道徳四部作『自助』『品格』『義務』『節倹』や孔子の『論語』をイメージするが、文部省は“全体主主義体制下の自由喪失人間が従うべき(刑務所の囚人用の)規律こそ「道徳」だ”と詭弁するデュルケームの『道徳教育論』などを下敷きに教科書づくりをする予定である。デュルケームの「狂った道徳」ならば“反・道徳”だから、共産党朝日新聞も大歓迎である。だが、無学・無教養な“お馬鹿さん”安倍晋三は、1960年代から自民党の悲願だった「道徳の教科化」を俺様がついに成功させたと自惚れている。

 「教育再生実行会議」が、その文字通り誠実に、日本の教育を“再生”したいならば、①“教育破壊の病原体”文部省をまず解体的に大縮小すべきである。次に、②日本人の学力を欧米やアジアのトップ水準に戻すべく、“大学受験競争の復権”と“大学受験科目七科目以上への知識量重視”への回帰。第三が③エリート教育制度の導入である。この三つを行わない「教育の再生」など、ペテン師の騙し以上に有害である。安倍晋三は、せめて「教育再生」一つぐらい、公約を履行し実現させたらどうなのか。

共産党の革命活動拠点「フリー・スクール」への税金投入による革命運動助成  

 安倍晋三が進める「教育破壊実行会議」の二大教育破壊は、二つある。第一は、かつての“貧しいルンペン・プロレタリアート”を集めての暴力革命集団と同種である、劣等生以下の不登校児を集めた“共産党の革命団体”フリー・スクールに国の助成金をたんまりつぎ込ませる「義務教育」との同列化。おかしいではないか。無償の義務教育は公立小学校で提供されているのに、それを自ら勝手に拒否したのである。公立小・中学校に行かない自由は十分に尊重されているから、それ以上のことを国家がするのは、“不登校の自由”に対する侵害で、過剰な国家権力の介入である。

 すなわち、フリー・スクールや不登校児側も、尊重されている“自由の選択”において、国家からのいかなる助成やいかなる資格(=小学校卒の証書)を拒絶するのが筋だろう。だが、安倍晋三の「教育破壊実行会議」は、一般児童の学力を不登校児並みに大低下させるべく、逆さにも義務教育制度の破壊に他ならない「フリー・スクールと不登校児を称賛する」。こんな逆立ち行政は、背後に、狂気“日本国の破壊”なしには行われえない。安倍晋三教育破壊実行会議」が進める“教育の逆走”フリー・スクール法案はすでに策定され、議員立法として国会に上程される直前にある。

 尚、この“天下の悪法”フリー・スクール法案にいたくご執心なのが文科大臣の馳浩である。共産党朝鮮人馳浩は、不登校児という、劣等生以下の「落ちこぼれ」のレベルに、普通もしくは優等生を引き下げて平準化する逆教育を進めている。次代の日本の子供たちを愛せず、「劣化させてやれ」との憎悪を剥き出しの“日本憎悪狂”の外国人(非国民)が、馳浩の正体である。

いじめとレイプが多発する“暗黒と恐怖の小中一貫校”

 安倍晋三の「教育破壊実行会議」が進めた第二の教育破壊は、“トンデモ学制”「小中一貫校」制度であろう。この教育破壊は、2015年6月17日、学校教育法が改悪され、合法化された。この改悪学校教育法で、小学校と中学校とを合体させた“九年制の義務教育校”が、共産党が強い地方自治体で2016年4月から正式に開校した。

 この“悪の教育制度”「小中一貫校」導入の表向きの理由は、「中一ギャップ解消」だという。これが仮に本当ならば、小学校の“落ちこぼれ児童”を神棚に押し頂き、他の一学年百万人生徒の中学校教育を犠牲にする下降化推進教育である。しかも、実際の目的は、東京都品川区の教育長で共産党員・若月秀夫らが実践していたように、義務教育を“無秩序と無法のミニ共産社会ごっこ”の場に革命・改造するのが目的である。

 朝日新聞は、共産革命がついに義務教育まで支配できた事に歓喜して、このトンデモ教育破壊「小中一貫校」を大称讃する煽動/宣伝記事を書いている(注1)。だが、この「中1ギャップ」を解消するなら、中学一年生をクラス分けして、“落ちこぼれ中一”だけのクラスをつくり補習すれば解決するものではないか。これを小中一貫校にすれば、逆に“落ちこぼれ”は発見されず、救済されない。

 即ち、共産党共産党系文部官僚が、小中一貫校を推進する理由は「中一ギャップ解消」とは無関係。全く別の他意が隠されている。この悪の他意を隠蔽するため、「中一ギャップ解消」というもっともらしい屁理屈が、国民騙しのために考案され喧伝されたのである。さて、この他意とは何か。

 第一の目的は、日本の中学生を小学校レベルに落とすこと。高校受験がある中学生とそれとは無関係の小学生との間には共通項は一切ない。教育内容や教育方法にも共通性がない。だから、世界中、日本も含め、小学校と中学校とを分離してきたのである。ともあれ、日本の中学生の学業レベルを小学校レベルに落とすべく、中学校と小学校の教員免許状の差異をうやむやにすることが、すでに進められている。

 第二の目的は、中学生による小学生に対するいじめを激増させ、上級生への恐怖から不登校する児童を増やし、教育現場を大混乱させること。いじめをなくすのではなく、いじめ増加が目的の小中一貫校制度は、反・教育の極み。

 第三の目的は、中学校の男子生徒による女子児童へのレイプを頻発させること。小中一貫校主義者はすべて性的変質者である。だから、この教育現場にあってはならない事態を目的にできる。

 菅直人首相など共産党系政治家が赤い文部省と組んで推進してきた“反・教育”小中一貫校制度については、いずれ稿を改めて論じたい。日本人の学力低下を阻止し健全な学校教育を保全すべく、2015年6月の改悪学校教育法を旧に戻し、小中一貫校を絶滅しなければならないからだ。

日本が改善すべきは、堕落と安逸で薄っぺらになった“小学校教育の強化と再建”  

 日本の重大な教育欠陥は、幼児教育の欠如と小学校における古典読書教育の欠如である。この問題を詳しく論じる紙幅がないので、二ケースの紹介に留める。赤い「反日」文部省の凶悪な反・教育に消されているが、それにめげず家庭で正しい教育を実行している事例の一つは、本田真凛本田望結の素晴らしい姉妹を含めて5名の子育てに全力投球する本田竜一氏ご夫婦。  

 本田家の五姉兄妹のうち四名は、岡本康裕氏が主宰する京都の私塾「七田チャイルド・アカデミー・六地蔵教室」にゼロ歳から通っている。この塾では、①記憶力を高めるために“右脳教育”を重視している。方法は、①杜甫漢詩「春望」や孔子の『論語』や清少納言の「枕草紙」など古典をゼロ歳から聞かせ、素読させる。②吉田松陰/東郷平八郎/明治天皇/乃木希典/ナイチンゲールなどの偉人の物語を紙芝居にして読み聞かせる(注2)。  

 この本田家の教育方法こそ、日本全国の幼稚園と小学校とが模倣し導入すべき正しい初等教育である。もう一例は、リオ・オリンピックにバタフライ100メートルで出場する池江璃花子選手。自宅に雲梯を設置しゼロ歳から雲梯にぶら下がらせた。一歳六ヶ月で鉄棒の逆上がりができるようになり、水泳の世界的才能の開花の基礎をつくっている。そればかりか、本田家と同じく「七田チャイルド・アカデミー」に生後二ヶ月のゼロ歳から通い、抜群の暗記力の持ち主になっている。暗記力のない者は基本的にバカにしかなれず、思考力ゼロの“お馬鹿”の道しかない。  

 だが、文部省と中教審『答申』は、小学校における古典と歴史の、暗記、暗記、暗記なしには思考力を培えないのを知って居て、この暗記を学校教育から排除する強権力をふるう。次代の日本人から思考力を剥奪して、日本人全員を“お馬鹿”にするのが目的だからである。

結語 国防と教育に全く無関心の、“未来と子孫への責任喪失の日本人”  

 “国防は放念し、教育は赤い文科省の破壊するままに任せる”。これこそが、小学校卒の田中角栄が総理大臣になった1972年以降の、五十年に及ぶ日本の実態である。国防教育年・新生児数(家族の重視)の三つは、保育園とか地震復興とか、現時点対問題対応のその日暮らし政治/枝葉末節の政治とは次元を異にする、国政の中核である。国家が存立するための基盤三要素、国土/人材/人口だからである。まさに、国防と教育と新生児数(家族の重視)は、近未来/未来の日本のために今、日本国民がこぞって眦を決し精励すべき、最優先政治の三大要諦である。  

 ところが、一億日本人は、日本の未来を左右する国家が存立するための基盤三要素、すなわち国防と教育と年・新生児数(家族の重視)にいっさいの関心がない。一億日本人は国挙げて、完全に愛国心を失った。「愛国心」という三文字を、教育基本法に書けば愛国心が芽生えるなどと考える痴呆的無責任な投げやりさこそ、日本人から愛国心が消えた証左である。  

 実際にも安倍晋三を例とすれば、安倍は国防を嫌悪して空母海兵隊もつくらない。安倍は教育破壊を推し進める赤い文部省と意気投合し一緒になっている。この事実において、安倍晋三を “愛国心なき総理大臣”と断定するのに、僅かの間違いもない。

 そして問題は、安倍晋三愛国心ゼロなど、実はマイナー。メジャーな問題は、あくまでも一億日本人が愛国心を失い、祖国日本の三大国政、国防と教育と家族の重視(年・新生児数)にいっさいの関心を喪失したことである。つまり日本国それ自体の未来が消えたことが、日本国が直面する最大の国家的問題である。「ここ三十年を経ずしての日本の亡国が確実となった」こと自体が、問題の核心である。

 国防問題と教育問題と新生児数(家族の重視)を、当ブログは、これからも重視していく。この国を滅ぼしてはならない。そのための日本最後の“保守する精神”の灯は、どんなにか細くとも、消してはならない。(2016年4月15日記)

 

 

注 (第3節)

1、養老孟司死の壁』、新潮新書、147頁。

2、石角莞爾『アメリカのスーパーエリート教育』、Japan Times。田中義郎編著『プレップ・スクールーアメリカのエリート私立中等学校の教育』、CSL。橋本伸也ほか『エリート教育』、ミネルヴァ書房

(第5節)  

1、『朝日新聞』2016年4月8日付け、同15日付け。  

2、『週刊新潮』2016年3月31日号、36頁。

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