中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

日テレ『偽装の夫婦』は、家族解体と日本民族の絶滅を狙う、共産党製作の“史上最悪の共産革命”宣伝TVドラマ ──“狂気”ゲイ礼賛/レズ礼賛/夫婦否定/家族否定は日本亡国の麻薬

筑波大学名誉教授    中 川 八 洋  

 

 女優の天海祐希(48歳)と俳優の沢村一樹(48歳)とが主演した、ラディカル倒錯の日テレTVドラマ『偽装の夫婦』は、12月9日に終わった。初回の10月7日からすれば十回連続の放映だった。

 このドラマが日本国中に垂れ流した“赤い有毒ガスの情報公害”は、レーニンがテロルで実行した「家族解体」革命の狂気に匹敵する。特に、次代の日本の子供たちに対する悪影響は、これらの子供たちがオウム真理教の教団に誘拐監禁されて洗脳教育を注入されたレベルに相当する。  

 『偽装の夫婦』の脚本を書いたのは、過激な共産党活動家としても著名な遊川和彦(1955年生、広島大卒)だから、TVドラマが共産党の革命アジェンダに従ったものになるだろうとは予測はしていたが、これほど露骨に『しんぶん赤旗』一色の、革命煽動洗脳の政治プロパガンダTVドラマになろうとは、毎回、目が点になる思いがした。

 ドラマにおけるゲイ沢村一樹と、三歳の時に両親を火事で失い人格が準サイコパス的に正常・普通を喪失した天海祐希とは、偽装結婚”の罪すなわち公正証書不実記載の刑法第157条で逮捕されるべきが“法の正義”に適う。当然、ドラマの最終回は、手錠を嵌められた沢村と天海が“偽装結婚の犯罪者”として、悄然として、刑事法廷に入廷する光景がラストシーンでなければなるまい。

TVドラマ『偽装の夫婦』は、人間をビルや橋の建造物と同一視する狂気の唯物論  

 日テレTVドラマ『偽装の夫婦』のモチーフは、恐ろしいデカルト主義設計主義つまり人間をビルや橋の建造物と同一視する唯物論的ないくつかの異常思想から構成されている。

 第一の異常モチーフは、「夫婦」は男女の両性である必要はない。「夫婦」が子供を出産する必要はない(=民族や人類は死滅すべきだ)。よって「夫婦」は、ゲイ同士でも、レズビアン同士でもよく、いや親友同士でもいい。生活を共にするパートナーならば、それが「夫婦」だと強弁する詐欺師の言説。つまり、子供を作れない/親子関係を持ちえない“狂ったパートナー主義”を「夫婦」だと詐称し、理想化・理念化する、医学的に狂気のプロパガンダTVドラマである。

 この論法は、「夫婦」の定義を、バカげた戯言どころではない、狂妄定義=狂義に転換させようとの悪意に基づいている。狂妄定義だから、明らかに詭弁を超えているのは当然。しかも、正常な日本人なら、このような狂妄定義を受け入れないから、理屈抜き/説明抜きで、ただ矢鱈目鱈に煽動的に洗脳しようという姿勢を貫いて、このTVドラマは制作されている。

 人類の普遍的な真理を、こんな暴論狂気に定義変更が勝手にできるなら、「男は女」「女は男」となるだろう。実際に、ゲイ礼賛/レズ礼賛の狂気のフェミニズムは、最終的に「男は女」「女は男」を狙っている。そのために、“日本人を100%発狂させる脱法ドラッグ”「ジェンダー」を、日本の学校では徹底的に小学校から大学に至るまで教え込んでいる。

動物化する日本人をさらに動物化させようと、反日悪意が詰ったドラマ『偽装の夫婦』

 第二のモチーフは、「家族解体」。この方法として『偽装の夫婦』は、家族は周辺の知人で代替できるとの非現実な妄想と狂気を、視聴者に刷り込むことに精を出す。こんな日テレ狂気番組『偽装の夫婦』に騙されないためには、視聴者である日本人が、まず“正しい家族”を正しく思い出すことだ。

 正しい家族あるいは正しい家族像とは、記録にも記憶にもない太古の昔からの人類の叡智におけるダイヤモンドのごとき結晶“夫婦と血縁で結合した親子”からなる最小人間集団のことを指す。しかも、それが人間の理性で考案されていない自然的発展をした精華spontaneous orderである点で、これに優る“民族の永続/国家の永続”の方策は一切存在しない。“種の保存”という生物学的・医学的な原理・真理とも合致するのは、この夫婦と血縁の親子からなる人間集団だけである。  

 そればかりではなく、“家族”には、さらに三つの重大な機能がある。第一は、民族の伝統・慣習や文化を次代に継承していく世代間パイプラインの機能で、この機能は“これまでの&これからもあるべき正しい家族=“伝統的な家族”以外では果しえない。日本人が日本民族であり続けるに、家族が重視されずしては不可能。なのに、日本では腐蝕力抜群の“家族の希薄化”“家族の軽視”“家族解体”という猛毒が国中を糜爛している。日本民族の確実な滅亡は、既に決定づけられている。  

 家族の第二の機能は、親が受け継いだ民族や地方の伝統や慣習が宿る家族から授かる無意識の教育なしに、子供は健全な人生をどう生きるべきかの基本姿勢が形成されないように、伝統や慣習が宿る家族こそ、次なる世代の子供たちが人生をより確実に歩んでいける人生の指針を手にしうる淵源である。この伝統や慣習が宿る家族なしでは、例外はあるが、一般に、人間は根無し草デラシネになるか、動物化する。学級崩壊に見る日本の子供たちの動物化現象は、まさに伝統や慣習が宿る家族の衰退/希薄化あるいは機能不全/消滅の結果である。  

 家族の第三の機能が、家族間に相互に行き交う/家族を包む“無報酬の愛”であり、これは家族外から手にすることはできない。立ち居振る舞いや言葉遣いの躾を伴った無報酬の愛が大きければ大きいだけ、子供たちの人間性は豊かになる。これこそはまた、倫理道徳的な人間を形成する基礎基盤を提供する。

 倫理道徳的人間と言えば、今や世界がサムライとして尊敬する江戸時代の武士を誰しも思い起こすが、理想の人間=武士は、武家という、伝統や慣習が宿る家族の中でも最高に昇華した形態の家族において育てられたのであって、それ以外でそうなったのではない。武家こそ、最高無比な家族である。ならば、日本が目指すべきは、逆走の家族解体もしくは家族の希薄化促進ではなく、正常な方向にある、武家的な伝統や慣習が強固に宿る家族の再生であろう。

マルクス/エンゲルス共産党宣言』の家族解体/夫婦解体/親子解体を貫くドラマ

 上述のごとく正しい家族を正しく思い出した所で、日テレ『偽装の夫婦』の第二の異常モチーフを解剖しよう。ドラマの中で、母子家庭の“母親”でレズの内田有紀の幼稚園の女児(井上琳水)が、天海祐希に「お父さんになって下さい」と執拗に頼む場面が、何回も何回も回を重ねて放映されていた。バカバカしさもこれほどひどいのは滅多にお目にかかれない。怪奇場面/狂気場面だからである。

 過激な教条的共産主義者が脚本家だと、人類の歴史を全世界に広げても一件として現実には存在しない、これほどのトンデモ嘘をデッチアゲれるということか。レズの母親の幼児が長じてレズになるケースはある。が、この幼児が、大人の女性に「父親」を感じて父子関係を迫ることは万が一にもない。遊川和彦氏は、科学を支配できると狂妄する共産主義者だからか、太陽は西から昇ることもあると狂信しているようだ。

 そもそも四歳の幼稚園女児が、思春期を過ぎていなければ起きえない、「レズ」の性的行動をすると考える遊川和彦氏とは、正常とははるか遠い異次元の頭の持ち主。しかも、この「四歳児レズ」は、“女性の大人を男性の大人とみる畸形レズ”らしく、どうやら“レズの新種”らしい。日テレは、精神病院収監中の重度の狂人級を、脚本家社員に雇っている。

 ともかく、この「四歳女児レズ」の狂気の言動とそれへの大人の言動の狂気とを、TVから思い出して頂きたい。天海祐希が「父親」になれなくとも、この「四歳女児レズ」にとっての赤の他人の知り合い皆(TV画面上には十数人)が「四歳女児レズの家族」だから、母子家庭で家族が不十分だというのではなく、「〈家族〉は、充分に存在している」と、合唱していた光景を。

 “家族”を家族ではない「知り合い」に摩り替えるマジックショー的な悪の詭弁である。「家族がないのは、家族があることだ」の詐称レトリックである。まさしく悪質な狂妄定義=狂義。“反日極左TVドラマ”『偽装の夫婦』が垂れ流した狂気「知り合い=家族」を強弁する日テレの狂義は、「家族を解体しても、家族は解体されていない」の狂信に立つ“凶暴なヴァンダリズム革命”「家族解体」運動のドグマを日本人に洗脳するために創られた。

 このように「単なる一時的な知り合いの集団」をもって“幾世代をも継承される家族だ”と信仰せよと強迫する狂妄の教説は、実は、遊川和彦氏のオリジナルではない。「共産社会(コミューン、コミュニティ)こそ、家族だ」とは、共産主義者の誰しもが信仰する普遍的な狂気の妄想で、マルクス/エンゲルス共産党宣言』が明確に宣言する“悪魔の超カルト宗教”「共産党教」の絶対教義である。

 共産社会とは家族が解体された“無家族の社会”のことだが、日テレ『偽装の夫婦』で合唱させた「知り合いの皆は、家族」だとの日テレ狂義は、マルクスが教祖のカルト宗教「〈無家族の社会〉教」に基づいて創作されている。また、TVドラマ『偽装の夫婦』では、周りの大人が、この「四歳女児レズ」に向かってこう言っていた。「絆があれば、家族(親子)なんだ」、と。

 これこそは、究極の親子切断による親子死滅の共産革命運動に沿った狂妄言語ではないか。共産党の親子切断運動とは、「親子は、血縁や養子縁組手続きをせずとも、勝手に【親子と思えば、親子になりうる】ものだから、血縁親子や養子縁組親子は不要だ」という狂気。まさにナチの宣伝大臣・ゲッベルス顔負けの嘘宣伝である。この言説には、「血縁親子や養子縁組親子の制度も消滅させねばならない」が、言外から滲み出ていた。  

 人間の「絆」には一時的なもの/恒久的なもの、弱いもの/強いもの、と千差万別。その基本は“移ろい易く”、ために家族や民族という強固な真正の絆/信頼される絆が自生的に発展してきたのである。これが人類の行為の堆積による“人類の叡智”というものである。  

マツコ・デラックスは差別されているか──差別されていないのに「差別されている!」は、共産革命運動の常套プロパガンダ  

 LGBT(性的異常者or性的マイノリティ)のゲイやレズの運動やその言説に、一つとしてまともなものはない。まず、余りに嘘が多く、彼らには嘘、嘘、嘘だけが洪水のように溢れている。例えば、『偽装の夫婦』では、ゲイ同士やレズ同士の結婚の制度化は、「沢山の人を幸せにできる」とキャンペーンしていた。バカバカしさを通り越したオレオレ詐欺と同じ詐欺語ではないか。もし、こんな詐欺語を振り撒きたいのなら、渋谷区で結婚証明書を手にしたレズ・カップルが、どれほど沢山の人を幸せにしたかを世間に提示した後にすべきではないのか。

 この詐欺語に加え、運送屋(工藤監督の息子)に“第二の詐欺語”「世界平和のため」と言わせ、間接的にゲイやレズの結婚制度化は「世界平和のため」であるかのような洗脳ムードを安物香水を振り撒くかのように振り撒いていた。  

 そもそも、われわれ人間として正常で社会的正常の維持に応分の責任を果たしている健全な日本国民にとって、ゲイやレズには一瞬だけ一瞥することはあるが、基本的に関心はない。この「関心がない」態度は、差別とは別次元にあることを意味し、差別が不在であることを意味しよう。

 現に、ゲイであるマツコ・デラックスが、TVタレントしてスーパー人気を獲得できるのも、この差別不在の証左である。ゲイが差別されるのであれば、蔑まれる役柄が与えられているはずだが、マツコ・デラックスの役は、その逆。“上から目線のご意見番”が多い。この事実は、逆差別とまでは言わないが、日本社会における差別ゼロの確たる証拠ではないのか。

 それ以上に、LGBT革命運動がダーティな奇奇怪怪さに満ちているのは、デタラメの限りを尽くす恐ろしい矛盾言説において明瞭だろう。福島瑞穂コミュニストは、婚姻制度をエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』に従って、法律婚を廃止して事実婚にせよと主張してきた。だのに、このゲイやレズの結婚に関しては、今度は逆に法律婚にせよと主張する。

 ゲイやレズの「同棲」そのものは彼ら/彼女らにとっての事実婚の結婚であって、それで十分なはずだ。社会が、このような「同棲」に対し住居から追放して住む場所がない制裁を加える差別をしているわけではない。

 このような、「正常な男女の結婚に対しては、事実婚主義を適用せよ」、しかし「異常なゲイ・カップルやレズ・カップルには法律婚にせよ」のダブル・スタンダードを“二枚舌の矛盾だ”ぐらいで済ましていけない。日本のLGBT革命運動は、正常と異常の価値基準を破壊して、日本国民からそれなしには社会の健全性を維持できない正しい規範や基準すべてを剥奪・溶解せんとする危険な破壊主義である。

 LGBT革命の向こうには、LGBTだけでは終わらない“社会解体の革命”が無限の慣性力をもって、日本国が粉塵となって滅ぶまで永久に続く。LGBT革命を、「少数者への過剰サービスであって、認めたところで多数が占める社会にさほどの悪影響はないはずだ」と考える善意の日本人とは、巨大ダムの小さなひび割れを「小さい」として放置して、ダムがそこから決壊して下流の都市全部が水浸しの大災害を蒙る事態を招来するのを手助けするのに似て、“恐ろしい共産革命の随伴者”である。結果的に「反日」人士の一味だから、その善意は犯意を内包している。

フリースクールの宣伝で結んだのは、コミュニスト馳浩文部大臣である好機の活用

 なぜ突然、2015年の秋、トンデモ共産革命宣伝の日テレTVドラマ『偽装の夫婦』が放映されたのか。それは、教条的コミュニスト馳浩文部大臣になったのが最大の誘因である。馳浩は、共産党フリースクール運動の代弁者だし、またLGBT革命の熱烈な支持者である。  

 共産党としては、この好機を逃すはずもなく、一気呵成に“ゲイ/レズの結婚”問題を、弱者救済のレトリックにして日本共産化の革命運動のフロントに担ぎ出した。そればかりか、『偽装の夫婦』の最終回で、沢村一樹が、唐突に、フリースクールの大宣伝をやってのけたのも、学校教育制度破壊の突破口であるフリースクール運動を推進してくれる共産主義者の馳浩文部大臣を、洗脳の標的にしているからである。沢村一樹が、役柄においてだが、共産党が運営するフリースクール東京シューレ」の赤色本『フリースクールとは何か』を振り回して視聴者に宣伝したのも、馳浩がこれから進める“フリースクールを突破口とする学校教育の共産党簒奪”を、一般の国民が違和感を持たないようにする馴化訓練である。

法律婚を望むゲイ/レズカップルから、公的社会保障制度の享受権を剥奪すべき  

 ゲイやレズの当事者たちは普通に社会に生きており、正常な男女とは何ら軋轢があるわけでなく、平和共存が達成されている。現状以上に行政が何かをしなければならない問題は皆無。なのに、行政に過度の要求をする現在の動向には悪質な他意があるからで、それらすべては日本国を害することは明らかではないのか。

 すなわち、日本国の永続性を守らんと思うならば、これらゲイ/レズカップルが声高に叫ぶ社会変革のすべてを阻止し粉砕しなければならない。この方法の一つに、ゲイ/レズカップルで法律婚要求をする者に対して、社会保障の制度の枠外にする立法の推進運動を展開することがあるだろう。

 社会保障は、子孫の負担において創られている制度である。「子供を産まない/産めない」ことを公然と制度化されるカップルが、社会保障の特典を享受することは理に合わない。仮に、社会保険料を支払っている場合、その支払い分を国庫から返還して処理すれば済む。権利には義務が伴う。ゲイ/レズカップル結婚の公的制度化は、最低要件として、社会保障制度からの強制離脱という義務を課すべきである。(2015年12月10日記)

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