中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

安倍晋三は、憲法改正の正攻法を、本当に学んだのか

──“逆・憲法学長谷部恭男憲法学界の多数説という現実

 

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 

 安倍晋三は、岸信介の孫である。「集団的自衛権憲法解釈」を正常化することは、今から五十五年前の1960年、岸信介憲法第九条改正と国防軍設置に至るに不可決な中間段階の措置としてプランしたもの。岸信介は、「集団的自衛権憲法解釈変更」を出来ず仕舞いのうちに、安保騒動の責任をとらされ無念の涙を飲んで内閣総辞職した。安倍晋三は、憲法第九条改正に至る前段階として通過すべきこの大仕事を、今、岸の遺言どおり仕上げようとしている。

 ところで、岸信介の遺言がどのようなものであったかについて、一般の日本人は知らない。そこで、このことから論を始める。むろん、本稿の目的は、これではない。

 岸信介のDNAが遺伝しているので、安倍晋三もまた必ずや、憲法第九条改正に至る前に、岸信介同じ挫折をし、同じ大いなる禍根を我国に残すだろう、との危険な近未来を論じたいのである。第九条改正への安倍晋三憲法改正手順は根本的に間違っているため、安倍晋三憲法改正は単に破綻するだけで終らない。彼の挫折と破綻は、ブーメラン的に致命的な後遺症を日本国に残し、日本を破壊するだろう。日本国の現在の惨状は、さらに悪化する。

第一節 安倍晋三憲法改悪は、必ず日本国の天皇制度廃止に至る

 岸信介憲法改正にかかわる)「挫折」とは、何だったか。

 岸信介は、(「必要でなかった」とまで言い切れないが)必要性が低く緊急性が全くなかった、吉田茂とフォスター・ダレスが(一九五一年に)創った旧・日米安保条約の改正(備考1)に政治生命を賭けるかのように自滅した。安保改訂には成功したが、総理職を失った。

(備考1)憲法は、国内法なので厳密に解釈される。が、軍事同盟条約は、当事国の双方が合意さえすれば、ほとんど融通無碍に拡大解釈してよい特殊な条約。国内法を解釈する時のルールや常識は要らない。だから、日英同盟条約は、一九一四年、「(インド以西の)ヨーロッパは、“インド以東”にある」と超解釈された。現安保条約の「極東条項」も、一九八四年だったか、外務省が「ペルシャ湾も<極東>である」と国会で答弁した。このように、同盟条約の解釈は変幻自在。旧安保条約の文言に異常に拘った岸信介の姿勢には疑義が残る。

軽佻浮薄でIQゼロの安倍晋三は、岸信介「挫折」の原因を突き詰めようとはしない

 旧・日米安保条約の前文は、吉田茂憲法第九条改正をダレスに拒絶したときと同じ、“日本が「米国の保護国でいたい」と希望したので、米国はこの要請に従い日本を守る”となっている。この文言は、確かに異様。岸信介の改正への情熱は、それなりに健全だった。

 だが、“占領中の日本は、主権喪失の被占領国であるので、国防のための国防軍と諜報機関は、占領軍のGHQが代行する”を定めた憲法第九条の全面改正の方を優先すべきだった。しかし、岸信介は、憲法第九条の改正をにし、旧・日米安保条約の改正をにすることにした。なぜ岸は、こんな理に合わない、順序の転倒をしたのか。

 以下は、人を介して岸信介に直接確認した折の彼の回答。他の資料とも一致する(注1)

 第一「憲法第九条の改正の方が、旧安保条約の改善・改正よりはるかに重大のもので、優先されるべきは、ご指摘の通りです」。

 第二「しかし、旧安保条約の改正を憲法改正より先にした理由は二つあります。まず第一の理由は、第九条改正と国防軍の設置は、反対勢力が国会議員の三分の一以上存在するので発議が困難。一方、条約改定は内閣の専管なので容易である。第二の理由は、旧安保条約が改正されるその流れにおいて、第九条改正へと国民の世論が大きく動き、国会での社共の反・憲法改正の動きが弱まると予想した。結果からは、致命的な誤解でした」。

 第三「(一九五六年六月の法律で設置された)内閣の憲法調査会がいずれ〈憲法を改正せよ〉との結論を出すだろうから、それが安保改訂によって昂揚する『憲法第九条を改正せよ』の国民世論と重畳するので、国会における社会党を必ずや軟化せしめるし、その前に総選挙を行えば社会党議席数を大幅に減らす・・・・・」。

 

 このゴチックの部分から即わかるように、岸信介とは極度な“国防音痴”の上に、極左革命勢力に極度な無知な“左翼音痴”だった。日本の極左勢力は、森嶋通夫と同じ類で)ソ連軍の対日無血侵攻を考えており、①日米安保条約の破棄(=在日米軍事力の絶滅)と②第九条護持(=侵攻するソ連軍と戦える日本の国防軍の不在)は、日本共産化にとって最重要目標で両輪。両者は表裏一体で不可分だから、彼らはいずれにも手を抜くことはない。「第九条の反対が強度ならば、安保条約への反対も同一の強度」になるのは、岸信介を除いて、誰でも予見できる常識だった。

 安保条約の改正交渉を米国と開始しても直ぐ妥結することはない。交渉には時間がかかる。この改正交渉期間を好機とばかり、社共系の極左集団は、安保条約の破棄(日米同盟の破棄、在日の米軍事力の全面撤退)を求めて、大衆動員の革命的な大規模運動を展開するのは当り前。が岸信介は、これほど自明な“一九六〇年の安保騒動”を予見しなかった。

 岸信介には重大な欠陥が二つあった。欠陥の一は、旧安保条約の前文への憤懣を必要以上に爆発させたこと。前文が日本国の国家プライドを傷つけるのは事実。だが、そんなものに拘泥するのは政治情況によっては日本国の国益に反する。が、岸の歪な「反米」感情が、冷静であるべき自国の国益判断を曇らせた。

 欠陥の二は、憲法第九条改正へと(巨大な左翼勢力をなぎ倒して駆逐し)国論を糾合するには、防衛力の増強や自衛隊法の全面改正など、国防制度(軍事法制)の整備や国防力の強化をしつつ、国民に国防の必要性を訴えていく正面突破方式しかない。が、商工省出身でナチ型社会主義経済に専念してきた岸信介は、実はひどい“軍事音痴”であった。

 安倍晋三は、岸信介以上に、軍事音痴/国防音痴である。それなのに、岸信介と同じ方法を踏襲しようとしている。岸が「安保条約を改正すれば、迂回的に、憲法第九条改正にいたる」と幻想したように、安倍晋三もまた「憲法第九六条を改正すれば、迂回的に、憲法第九条改正に至る」との幻想に耽っている。憲法第九条改正に向けて必ず突破しなくてはならない極左勢力という敵を打倒・粉砕することを避ける“敵前逃亡”の怯惰が心底にあるゆえの幻想である。結果として、憲法第九条改正が永遠に吹っ飛ぶ。そればかりか、国会議員の二分の一で天皇制廃止を決定できるようになるので、100%の確度で日本では天皇制度が廃止される。

 安倍晋三憲法改正は、天皇制度廃止に一直線に繫がるようになる。しかし、安倍晋三を支持する民族系団体も論客も、この深刻な問題について反対したり警告したりはいっさいしない。安倍晋三と同様、日本の民族系は、その出生において半・共産主義者である。民族系において、天皇制度の廃止に命を賭けて絶対反対する者は、今では少数派となっている。

 もう一度いおう。第九条改正(=国防軍設置)を成功させたいなら、国民に対し、それを正面から訴える正面突破作戦しか方法がない。しかし安倍晋三は、岸信介から隔世遺伝で相続した、労を惜しんでうまい迂回路があると“敵前逃亡する”惰弱癖において、第九六条の改悪に着手するだろう。それこそは、日本国を共産化し亡国の奈落へと突き落す最短コースとなるのは必至。

憲法第九条改正を訴えず、第九六条改悪を改正だとする安倍晋三の惰弱の淵源──「情況はいずれ好転するさ」の安倍晋三の妄想は、破綻と挫折の岸信介のDNAか?

 安倍晋三憲法改正のやり方は、「必要の理由」から改正を提議する、常識の範疇にはない。安倍の憲法改正が危険な理由は、ここにある。日本国の要諦も国益もそっちのけの、“改正のための改正”論である。だから、最凶の改悪へと反転する第九六条改正の逆効果を、安倍は観ることができない。

 安倍晋三は、その上、日本国の総理として「いかがなものか」の低学歴。大学とは名ばかりの成蹊大学卒のレベルでは知的・学的なことに関心をもつことができない。加えて、知や学を高める努力をいっさいしない。安倍は、憲法改正の作戦を巧緻に練り上げるための最小限の基礎知見が全くない、驚くほどの無学・無教養人だが、これを恥じない。

 少なくとも、岸信介が総理だった頃の政治状況と、現在のそれを比較検討することは当然だが、安倍は、これもしない。例えば、第九条の改正に並々ならぬ意欲を見せた岸信介が総理になった最初の一九五八年五月の総選挙で、自民党は定員四六七名中、二八七名(六一%)が当選した。つまり、六六・七%の三分の二まで、あと二五名が足りなかっただけ。社会党議席数は一六六名の三五%で、単独で改憲阻止政党だった。一方、国民の憲法第九条支持率は、六十%をはるかに越え、輿論工作など必要ではなかった

 だが、現在では、憲法第九条改正に賛成する有権者は、五十%をはるかに下回っている。つまり、憲法改正をするに、岸信介の時代とは異なって、国民への啓蒙キャンペーン=輿論対策をしなくてはならないが、安倍にはこの方策の研究をした形跡が無い。

 岸信介は、社共という「反日」政党の議席が三分の一以下に激減するよう追い込む“社共つぶし”に無為無策だった。安倍は、国防軍設置の緊要性を国民に理解させることに無為無策で、いっさい努力しようとはしない。怠惰が隔世遺伝している。

 しかも安倍は、自民党や内閣の自堕落さの問題を棚上げし、真っ赤な嘘に摩り替える。自らの責任を回避しようとするダーティな幼児性が剥き出していると言える。輿論対策/学者対策をいっさいしないことが、自民党憲法改正に成功しない主因。が安倍は、この主因を、憲法の改正条項に問題があるからだと無実なものに擦り付ける。

「日本で憲法改正が行われなかったのは、国会議員の三分の二の賛成と国民投票の過半数の賛同という改憲しにくい仕組みになっていること」(注2)。

 アメリカでは、その憲法改正には日本よりもはるかに厳しい条件を課している。それでも、憲法制定の一七八八年以降、すでに無数の改正をしている。ついでなので、憲法改正条件の日米比較を、表1に掲げる。米国憲法第五条が定める改正条件は、「両議院の議員三分の二以上で発議」「四分の三の州議会の承認」だから、日本より何倍も厳しい。

       

表1;憲法改正の条件に関する米国と日本

米国(第五条)

日本(第九六条)

両議院の議員三分の二以上で発議

衆参国会議員の三分の二以上で発議

四分の三の州議会の承認

国民投票の過半数の賛同

 

 憲法第九条が改正できなかった原因は、あくまでも、第九条をカルト宗教の呪文だと“聖なるドグマ”に昇華したマルクス・レーニン主義の社共の、尋常でない反対運動の結果である。“ロシア/中共の宣伝紙”『朝日新聞』をはじめとして、“外国に操作された極左マスメディア”が執拗な反対キャンペーンで、日本国民を洗脳した成果である。それ以上に、自民党が『朝日新聞』つぶしの行動も、社会党(現在の民主党つぶしの行動もしない、無為無策だったことが最大の原因である。

 しかし安倍晋三は、岸信介と同様、「真犯人」の社共(現在の民主党朝日新聞を攻撃・粉砕しようとはせず、この問題にはひたすら沈黙する。国民に対する犯人隠避行為である。これでは、国民の輿論が好転することなど決してありえない。

 そして安倍は、自分のこの努力放棄を糊塗すべく、憲法改正を阻害する「真犯人」は憲法第九六条だと責任転嫁する。真犯人(=自民党の努力ゼロの惰弱さ)隠しと冤罪づくりの偽証宣伝といえる。絶対に改悪すべきでない至宝の憲法第九六条は、今や安倍によって“冤罪”の罪を着せられて改悪されようとしている。この改悪は天皇制度の廃絶に直行する以上、安倍晋三共産党に入党した方が違和感は少ない。 

GHQが条文原案「十年間は憲法を改正しない」を削除した事実を知らない安倍

 安倍が、憲法第九六条の改悪に拘るのは、日本会議その他の民族系論客が吹き込んだ真っ赤な創り話を信じたからである。「GHQ・米国は、GHQ憲法が改正されず、日本がいつまでもGHQ憲法を護持し続けるよう、改正条項を極度に厳しくした」という嘘話。

 そのような考えが、ホイットニー率いるGHQ民生局の中に、ほんの少し煙ほどはあった。が、GHQ内部ですぐに却下された。これが歴史事実。具体的に言えば、プール海軍少尉とネルスン中尉が書いた第九六条の原案は、「いかなる改正も十年間禁止される」だった。両名は「日本が民主主義を修業するのに十年は必要だ」と考えた。

 プールとネルスンは、実際に改正が困難になるよう「発議は衆参・国会議員の三分の二以上で、承認は国会議員の四分の三」と原案を書いた。しかし、(完全な共産主義者ではなく)共産主義シンパだったケーディス大佐すら、「ある世代が次の世代の憲法改正をする自由を制限する権利は認められない」と指摘し、日本の憲法改正を困難にする仕組みを根本から排除した(注3)。米国憲法に倣えば「国民投票の三分の二以上」となるのを、「過半数」に敷居を低くした。米国憲法よりも改正手続を「軟性化」したのは、このようなGHQ民生局の多数意見による。

 つまり安倍とは、“憲法第九条を改正して国防軍を設置する”大義のために、緊急避難的に第九六条をやむを得ず改悪するのではない。「反米」の妄執における時代錯誤の“反GHQ闘争”として、第九六条への憎悪感情から第九六条を改悪しようとしている。

 この“非在で仮構の一九四六年”に生きる安倍晋三の性悪な妄執を、ドン=キホーテがオランダの風車めがけて槍で突いている滑稽な光景の類いだと看過してはいけない。第九六条の改悪によって、第九条が仮に容易に改正されるのならば、第一条も容易に改悪されることになり、それでは天皇制度の廃止になる。人気至上主義の安倍の知力は、やはり吉本興行の滑舌芸人レベル。第九六条改悪がもたらす最悪の危険が感得できない。

第二節 憲法学者を悉く叩き潰し、朝日新聞と全面戦争して勝利する正攻法に怯む安倍晋三は、安逸・惰弱な憲法改悪でお茶を濁して、“天皇制廃止”という亡国の大禍根を日本に残すだろう

 岸信介は、憲法第九条改正&国防軍の設置を目指すに、「日米安保条約改訂→輿論国防軍保有に大シフト60%→80%社会党支持層の激減→集団的自衛権憲法解釈の正常化&総選挙→自民党国会議員『三分の二以上』獲得→第九条改正の発議」のチャートが実現するだろうと推定した。だが、岸のこの予想は妄想となって消えた。

 岸信介には、多くの秀才に特有な「冷静な事態推移予測力」が欠如している。変わった秀才である。代わりに強度な妄想癖があった。岸信介東京帝国大学法学部の首席卒業の実態は、どうやら“張りぼて人形の首席”のようだ。

因果関係が転倒する妄想と“知的・学的な内戦”逃避の惰弱──岸信介の大欠陥

 上記のチャートの第一発目に当たる「安保条約改訂」で挫折して総理職を失った岸信介の失敗の、その原因は二つ。

 第一の原因は、現実の推移を冷静に見ることができず、「輿論が大好転して社会党国会議員議席が大幅に減る」との幼児的な願望 wishful-thinkingで事態を妄想したこと。日米安保改訂と社会党への支持票とは無関係。八年前の一九五二年四月に発効した日米安保条約はすでに存在している。それを改訂しようが改訂しまいが、一般の国民の眼において変化ゼロ。だから、「社会党への支持の大激減につながる」ことにはならない。

 一方、憲法第九条の改正&国防軍設置は、国防軍の「無」から国防軍の「有」への大変化だから、国民の意識も輿論も大変化する。国防軍設置の反対が党の筆頭公約であった以上、社会党支持層は大激減する。つまり、「憲法第九条の改正→社会党支持層激減の決定打」は、確かな事態の流れ。だが岸は、これを本末転倒して、「妄想上の〈社会党支持層の激減〉→憲法第九条改正」と逆立ちさせた。自分の妄想連鎖に耽っている。

 憲法第九条改正への岸信介の手順の第二の間違いは、岸は、当時の社共勢力を支える輿論を煽動する『朝日新聞』や雑誌『世界』『中央公論(備考2)に対して正面から激突するイデオロギー戦争を避けた。すなわち、知的・学的論争から逃避する道を「賢明だ」と逆さに錯覚した。岸本人は、知的激突など無駄だし、これを回避するのが利口な迂回戦術だと自画自賛的に考えていた。が、それは、極左勢力との全面イデオロギー戦争からの敵前逃亡で、労多きことを避ける惰弱と堕落の言い訳ではないか。

 国会議事堂を取り囲まれたりの、全国的な連日連夜の暴力デモとの物理的激突を粉砕することより、知的激突の方が何十倍も何百倍も労は少ない。が、岸信介は、このような事態推移の予測・推定能力が劣等生並みであった。

(備考2)1960年時の月刊誌『世界』は実数で20万部が売れていた。現在の6千部で影響力ゼロとは、天と地の差がある。間違わないように。

 

 憲法第九条を本当に改正したいのであれば、「第九条」に関して狂気的に護持を煽動し、さらには現在と同じくカルト宗教の経文化・神格化を展開した当時の社共系の極左学者達との全面対決は、絶対に避けてはならないし、最も有効な突破口だった。

 第一に、それこそは、国際法的に「第九条は非でありすぎる」、国際政治学的に「日本国の国防を致命的に毀損する」と、国民の前で堂々とキャンペーンできる好機であろう。しかも、その結果は輿論を劇的に喚起できたし、敵陣営の狂説・妄説を完膚なきまでに叩きのめせたはずである。

 第二に、極左学者たちを打ちのめせば、輿論が雪崩的に動き、社共の国会議員数が激減する。それ以上に、極左学者に連動する社共の国会議員たちが青菜に塩と萎れて、「国会議員三分の二以上の発議」など、いとも簡単な国会情況が到来する。

 だが、岸信介は、憲法第九条改正への唯一の道であるこの正攻法を選択しなかった。青い鳥を追い求めるチルチルとミチルのように、絶えず「安逸な道」を捜した。岸信介の思考と行動は、惰弱が本性だった(備考3)。

(備考3)岸信介社会主義経済に魅惑され、とりわけナチ統制経済の虜になった事は、つとに知られていよう。その理由は、東京帝大の学生時代から、市場経済よりもっと安易に日本経済を大発展させる特効薬があるはずだと、労せずして経済発展させる方策探しに興味関心が行く特性があったからだ。“安逸と堕落の社会主義”に走ったのは、岸信介自らの本性が倫理観に欠ける安逸主義の人生観を有していたからである。

 

 ポスト岸の自民党政治家は、安保騒動の羹に懲りて、憲法第九条改正に挑戦しなくなった。特に、岸を継ぐ首相が、社共が改訂安保条約の批准阻止に失敗した挫折感でボロボロになっていた好機の一九六〇~二年、もし社共に追撃戦をしていれば憲法第九条の改正ができただろう。だが池田勇人は、「所得倍増計画」を掲げて、逆さにも岸構想の完全放棄を自民党の路線とした。集団的自衛権憲法解釈変更が五十五年も遅れ二〇一五年になったのは、池田勇人が羹に懲りて、社共への追撃戦をしなかったからである。

日本の劣悪な憲法学者を悉く粉砕するのはいとも容易いこと。だが、安倍晋三は尻込みして敵前逃亡して闘わない。なぜか

 話を、前回の「長谷部恭男と逆・憲法学Ⅱ」の続きに戻す。長谷部恭男の発言「第九条集団的自衛権の行使を容認しているとの解釈は、違憲!」に、安倍晋三が率いる自民党はパニックに陥った。安倍晋三自民党も、「日本の憲法学者の99%が極左」だという初歩的事実を知らなかったのである。

 自民党国会議員四百名は、立法府の議員として熟知するのが職務である、憲法にかかわる根幹的な日本の情況を全く知らない。まさに堕落と腐敗に生きるクズ人間以下の集団といえる。与党たる自民党国会議員の四百名が、これほどまでに国制に関する知がいっさい無い、国政の志がいっさい無い、“無い無いづくし”が無限乗の事態は、国会が絶対的な専制君主以上の危険な立法機関になっていることに他ならない。

 しかも、長谷部恭男ショックが起きたとき、自民党の採った措置は、①霞ヶ関の官僚全員に「国会参考人を選ぶ場合は事前に入念なチェックをせよ」の指示、および②「学者の国会発言なんか、立法に関係しない!」と、学者のもつ一般国民への強力な影響力を無いことにする「極左学者を見ざる/聞かざる」作戦の大合唱、の二つであった。

 霞ヶ関官僚の過半は共産党の指揮下にあり、①の指示は共産党本部への指示と同じだから、霞ヶ関官僚たちはこれからますます自民党議員を騙す技を磨くことになろう。②は意味がさっぱりわからない。立法府国会議員しか立法に参画できない国家機関だから、初めから学者とは何の関係もない。自明なこと。敢えて言挙げすることか。

 しかし、憲法改正では国民投票がある。共産党が支配する朝日新聞NHKがこれら学者と連動するから、放置したままでは、憲法第九条の改正に有権者国民の過半数が賛成する事は万が一にもない。憲法第九条を改正して国防軍を設置するには、憲法学者の99%をまず先に粉砕するしかないのである。

 この正攻法を敵前逃亡のごとく回避するのが、頭に描いた願望で膨らんだ妄想プランに恍惚とする“急性認知症”の安倍晋三安倍晋三の大妄想「憲法第九六条やその他の条項を改正すれば、国民は憲法改正アレルギーが解消されるから、憲法第九条改正への道が開ける」は、真っ赤な非現実を自己催眠しているだけ。

 憲法第九条改正に、その他の条項の改正は影響しない。だが安倍晋三は、「憲法改正がうまくいかないのは、国民に憲法改正アレルギーがあるためだ」の、事実無根を現実だと虚妄する。この虚妄を前提に、憲法第九条改正への政治アジェンダを立てている。

 現実には、日本人の誰にも憲法改正アレルギー”など全く存在しない。しかし、日本人の過半数は「憲法第九条改正に反対せよ!」との煽動洗脳キャンペーンに直ちに汚染される。この事態こそ現実の中の現実。つまり、憲法第九条改正反対の大規模キャンペーンとすぐさま洗脳される大衆”の問題が、唯一の現実なのだ。

 だが、安倍晋三は、憲法第九条改正反対の大規模キャンペーンとすぐさま洗脳される大衆”の問題に、取り組もうとしたことは一度もない。岸信介と同じく安逸と惰弱を本性とするから、目前の障害物を真っ正面から除去する行動を起こそうとしない。

日本の弱小軍事力を精強化しない安倍晋三の、憲法第九条改正はデタラメ──「尖閣」への視察もしない、魚釣島に石柱「日本国領土」の建立式典もしない

 安倍晋三は、集団的自衛権憲法解釈変更を、祖父・岸信介の遺言だから積極的だが、その実、その目的は定かではない。岸のは憲法第九条の改正&精強な国防軍の建立への直行便としての解釈変更だったが、安倍には後者の精強な国防軍の建立が稀薄である。

 安倍は「集団的自衛権の解釈変更だけで日本の国防力が天文学的に大増強される」と、カルト宗教信者のように信じている節がある。集団的自衛権憲法解釈変更は、岸にとって最終目的に至る中間過程だが、安倍においては最終目的のようでもある。

 安倍の頭では、集団的自衛権憲法解釈変更は、第九条改正/国防軍設置と密接不可分な連続にはなっていない。どうも別々。第九条改正への安倍晋三の情動には、一九六〇年代までの日本国民や自民党国会議員の強烈な熱気がない。安倍晋三は、こう言う。

「日本は、国防費に毎年五兆円近い予算を投入していて、自衛隊は装備においてはきわめて精強性の高いものをもっています」

(日本は有事法制集団的自衛権の行使などの法制度上の欠陥を改善して)クリアすれば、安全保障の問題は心配ないでしょう」(注4)

 そして、安倍首相が第一次内閣で編成した二〇〇七年度の防衛予算は、その通りであった。四兆七八一八円。二〇〇六年度の四兆七九〇六億円から八八億円削減した(SACO/米軍再編成経費を除く)。「防衛費は多すぎる」「防衛力はもう充分だ」という日頃の持論を、こうまで有言実行したのに驚いた自衛隊関係者は多かった。

 安倍晋三の防衛費に対する敵意に近い嫌悪感は、第二次内閣でも変わっていない。第一次内閣時の自衛隊からのブーイングを「学習」し、二〇一三年七月の参議院選挙の票田に活用したく、二〇一三年度予算では前年度比で四百億円を増した。SACO/米軍再編成経費の四九億円を差し引けば、たった三五一億円の雀の涙の増額だった。

 ちなみに、社会保障費の方は、安倍晋三は、べら棒きわめる二兆七千三二三億円の増額をした。つまり安倍は、防衛費の伸びを社会保障費のそれに比し百分の一とした。安倍晋三とは“反・国防力の確信犯”である。

 しかも、集団的自衛権有事法制を整備さえすれば自衛隊のままでいいと、安倍は言う。それは、自衛隊国防軍にする必要がないとの謂いではないか。「国防軍の設置などどうでもいい」との安倍晋三の気配と態度は、二〇一三年七月の参議院選挙のための“選挙戦術上の一次退却”ではない。彼の本当の信条だろう。安倍が、二〇一二年末の総選挙で“国防軍”を声高にアッピールしたが、選挙用のリップ・サービスと考えられる。

 安倍の国防政策のことを、専門家筋では、“いやいや国防”とか“しぶしぶ国防”と言う。日本の永年の国防軽視の長期化によって、日本国の安全保障など風前の灯。が、安倍が、国防力欠乏の日本の深刻な状態を気にかけている様子はない。

 だから、安倍は、二〇一五年六月末現在、未だ尖閣への視察もしなければ、「日本国領土」の標柱を建立する式典を挙行しようともしない。予算措置など不必要で、総理が一声指示すれば即実行可能な「尖閣陸自の小部隊(五十名程度)を駐屯させよ」と、中谷元防衛大臣への命令も発していない。

 この安倍の“反・国防力”感情や“国土防衛への情熱”の欠如が、集団的自衛権憲法解釈変更に対する(安倍首相支持から間接的に支持するものがいるだけで、)一般国民からの直接的な支持がいっこうに巻き起こらない理由である。しかも、安倍は国会で「周辺の安全保障環境が変化したから」を何度も声高に繰り返すが、何と空疎なことか。

 「周辺の安全保障環境が変化したから軽空母を建造する。これと連動し、米国や東南アジア諸国との対中安全保障協力・連携の強化のために集団的自衛権の行使が不可決である」と国民に訴えるのであれば、国民は直ぐに理解でき、「集団的自衛権憲法解釈変更」を熱烈支持するだろう。それが国民の七割に達する事態すら推定できよう。

 安倍の軍事力へのアレルギーは、かくも深刻である。この軍事力軽視主義だけでなく、安倍晋三とは実は、異常な親ロ主義者の父親・晋太郎からの薫陶を受けており、“スーパー親ロ”主義者である。安倍晋三の左手には集団的自衛権憲法解釈変更があるが、右手には軍事力軽視主義とスーパー親ロ主義がある。安倍のヤヌスの顔的な、外交・防衛の分裂性の大矛盾は、いずれ、日本国に大きな禍根を遺す病原体になるだろう。

第三節 “反・立憲主義”の憲法学者がうそぶく、真っ赤な嘘の「立憲主義

 安倍晋三が本当に憲法第九条を改正したいなら、99%の憲法学者が合唱する、真っ赤な嘘の「立憲主義」を叩き潰すことにまずもって全力疾走する。が、それをしない安倍晋三は、我が国土防衛のための憲法第九条改正を真剣には考えてはいない。

 おそらく安倍は、偏見の民族主義感情と歪な反GHQ信条から、現憲法に難癖をつけたい一心で憲法改正をしようとしている。だから安倍は、日本の極左憲法学者との知的なイデオロギー戦争などしない。関心もない。これから述べる事柄は、あくまでも真正な日本国民に供するためで、安倍晋三に期待してではない。

 さて、極左憲法学者たちの真赤な嘘・立憲主義を解剖するに、この連載のありようからして“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の著を対象とすべきが順当だが、水準的には六流学者以下の非・学者である長谷部の記述は、一杯飲み屋での酔客の雑談調。

 ために、長谷部の問題箇所を引用しても全体の文脈が無いと意味不明。そこで、クリティークの対象を長谷部恭男に代えて、同じ六流学者の阪本昌成/高橋和之、及び少しましな五流学者の佐藤幸治をもって、代打に起用する。

 高橋/阪本は、長谷部と同じ“ガラパゴスの赤色の奇獣”。佐藤は“ガラパゴスの桃色の奇獣”で長谷部/高橋/阪本よりは少しまし。ゴリゴリの極左共産革命家である前三者とは異なり、佐藤幸治は「共産主義シンパ」の穏健な左翼。

 ここでは表2としてまとめた、前稿「長谷部恭男の逆・憲法学Ⅱ」の表1を、もう一度、読者は暗記して欲しい。基礎知識中の基礎知識である表2は、犯罪捜査で用いられる殺人現場の血痕を確度100%で鑑識するルミノール反応よりはるかに優れた、超級精確な嘘発見器である。

 

表2;主要な立憲主義者と主要な反・立憲主義者/理論

反・立憲主義

半・反立憲主義

立憲主義

ホッブス

ルソー

シェイエス

フランス革命とその憲法

リチャード・プライス

トーマス・ペイン

ベンサム

カール・シュミット

ハンス・ケルゼン

社会契約論

価値相対主義

実証主義(人定法主義)

命令法学

ナチズム

マルクス・レーニン主義

ジョン・ロールズ

ドウォーキン

 

 

 

ジョン・ロック

T・ジェファーソン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラクトン

エドワード・コーク

マッシュー・ヘイル

デービッド・ヒューム

ウィリアム・ペイリー

ブラックストーン

エドマンド・バーク

バンジャマン・コンスタン

ド・トックビル

アレグザンダー・ハミルトン

ジョン・アダムス

ジョン・マーシャル

ジョセフ・ストーリ

ジェームス・ケント

ダニエル・ウェブスター

伊藤博文井上毅/ロェスラー

フォン・ハイエク

 

スターリン大量殺戮教の狂徒”阪本昌成の脳内を解剖する

 阪本昌成は、“立憲主義”と“法の支配”を、日本から殲滅的に剥奪したい妄念を燃やし、数十人のゲッベルスを束にしたような“世紀の嘘本”を書いた。『新・近代立憲主義を読み直す(成文堂)と『法の支配―オーストリア学派の自由論と国家論勁草書房がそれである。

 『新・近代立憲主義を読み直す』がマルクス主義一色で、レーニン/スターリン独裁体制を礼讃する“スーパー極左/スーパー反・立憲主義”本なのは、目次を見るだけで充分。

 なぜなら、その第Ⅱ部タイトルは「立憲主義の転回」だが、副タイトルは「フランス革命とG・ヘーゲル」。ということは第Ⅱ部全体が、「立憲主義を絶滅させたマルクス主義やレーニン主義を礼讃する/信仰しよう」のアッピールということ。レーニンの共産革命は、立憲主義を爆撃して破壊した“フランス革命の二番煎じ”。“経済社会学を混入したルソー主義”であるマルクス主義の誕生も、ヘーゲルの介在で初めて可能となった。

 そればかりか、第Ⅰ部の第二章は「ホッブス理論」、第四章は「J・ルソー理論」。阪本昌成が、ヒトラーを越えたスターリン崇拝者で大量殺人教の狂徒なのは、このように目次も充分な証拠となっている。殺人事件の刑事裁判なら、これだけで死刑判決を下せる。

 狡猾な“二枚舌の達人”阪本昌成は、“反・立憲主義”の極左思想を「立憲主義の転回」と表現する。確かに“立憲主義”を百八十度ひっくり返せば“反・立憲主義”だから、「立憲主義を百八十度転回しただけ」とも言い張れる。阪本昌成は、オレオレ詐欺師の教師のようだ。

 阪本の『新・近代立憲主義を読み直す』を一読すると、上記表2でリストした立憲主義者は、基本的には、“反ホッブス”のヒュームしか出てこない。しかも、ヒュームとは(へイルを継ぐ)ホッブス排撃の哲人であることについては一言も言わない。阪本昌成は、スターリン共産主義者として、ホッブス美化/ホッブス礼讃の情報操作をしている。

 ハイエクについては、立憲主義の研究者として、マクヮルワイン以上に最重要な大学者だが、阪本は形だけ触れて、ハイエクの真髄には蓋をする。また“立憲主義”と言えば、各国の大学が最初に読ませるマクヮルワインの著名な二冊(注5)への言及も、一行も一文字もない。うち一冊は邦訳されていて、阪本昌成も読んだはず。

 しかも、立憲主義を構築し擁護したコーク/へイル/ブラックストーンや“立憲主義の守護神”である“反・立憲主義を撃破する天才哲人”エドマンド・バークについては、名前すら出てこない。バークとは、革命以前にはフランスにも細々とは存在した立憲主義を全面破壊したフランス革命を、それ故に徹底糾弾した。“世界史上の古典”であるバークの『フランス革命の省察(1790年)は“立憲主義擁護の神風”だった。が、人類史の一頁を飾るこの偉大な古典について、阪本は一文字も一行も書かない。

 また、バークの著『旧ウィッグは新ウィッグを裁く』(1791年)を、立憲主義を擁護する理論として最高の作品だと看做す学者は世界に多い。が、阪本昌成は、これにも言及せず、ひたすらバーク隠しに専念する。阪本昌成とは、学者ではない。麻原彰晃以上に悪辣な、学生に「反・立憲主義」という“反・学問のカルト宗教”を刷り込む偽情報洗脳工作の宣教師。

 バークは、まず、暴虐のフランス革命権力がテロルの威嚇で創った1791年のフランス初の明文憲法を“捏造の憲法”だと断罪する。

「背信、瞞着(騙し)、虚偽、偽善、理由なき殺人(無差別テロ)などが駆使されて誕生したフランスの革命体制は、無政府を制度化し、無秩序を秩序付けし、それらを恒久化するトンデモナイ革命に他ならない。…」

「革命勢力は暗殺(テロ殺人)の威嚇によって、議会議員の大部分を追放し、外見上の偽りの多数派をつくり、その結果、(実際にはごく少数派である)この架空の多数派がフランス憲法を捏造した。この捏造憲法のもとでフランス国制は、それ故、近代ヨーロッパ世界では類例を見ない圧制の政治機構となった。フランス捏造憲法を支持する者とは、最も恥知らずな最も下劣な最悪の隷従体制を支持する者たちである」(注6)。

 古来から連綿と続く英国憲法(不文)と1789年の暴力革命が突然創作したフランス憲法(明文)の決定的な相違は、自由の有無。この核心を、バークはこう述べている。

 「英国憲法の自由は、秩序と結びついた自由、秩序ならびに美徳と両立した自由、その上に秩序や美徳を抜きにしては存在できない自由」。一方、「フランス憲法の自由とは、(テロルや財産奪取などの)悪徳と混乱(無秩序)への惑溺以外の何物でもなく、英国の自由とは真逆で対極的な〈自由(=自由ゼロ)〉である」(注6)、と。

  そして、バークは、古来からの憲法の基本原理を決して変革しない立憲主義原則の一つを明らかにしている。

「英国民にこの素晴らしい相続財産(=憲法を遺した祖先は、このような憲法を尊崇し讃美する者たちであった。われら英国の祖先は、英国憲法を徐々に完成へ近づけてきたが、その基本的原理からは決して逸脱せず、本来このイギリス王国の法と憲法と慣習に深く根をおろしていない改良(改革、変革)など決してしなかった。我々も、英国憲法の古来からの基本原理から逸脱する変革は絶対にしなかった祖先を見習うべきである」(注6)

 この“正しい立憲主義”に従えば、現・日本国憲法の内、天皇に関る条項は、国会や国民が投票で決することはできないことになる。国会や国民の意思に帰属するものでなく、国民の意思から超越する国体(=古来からの根幹的な国制)に帰属するからだ。

 天皇にかかわる国制は、憲法改正条項の第96条が適用されない旨が、憲法第96条に明示されていなければならない。同条をこの趣旨に改正をするか、そう解釈する法律の制定をしておく必要がある。

 “正しい立憲主義”とは、明文憲法の上位にある“法=憲法=国体”は、ニュートン力学に相当する)「真理」だから、下位の明文憲法に対して、古来からの根幹的な国制・法制「から逸脱する変革を禁止する」あるいは「に従うよう促す」絶対的ブレーキの権能あるいは羅針盤の権能だと考える主義のこと。一方、長谷部恭男らの“狂った立憲主義 false constitutionalism”は、「現憲法の条文を“カルト宗教の経文”だと信仰せよ! この憲法の宗教呪文化が立憲主義だ!」と煽動する狂気の謬論。

 長谷部恭男に代表される日本の“反・立憲主義”は、先験的もしくは純理的な明文憲法である1791年フランス憲法と同じで、必ず国民をギロチンで殺しまくり、瞞着と暴虐が国政の常態となり、国家の法も道徳も粉塵となって溶解的に破壊し尽くす。憲法の不在つまり無法常態へと日本を誘うことになる。

 

 話を、阪本昌成に戻す。阪本は、スターリンやポル=ポトに継承される、世界最凶の残虐な反・立憲主義者ルソーの教義を『新・近代立憲主義を読み直す』という本の「近代立憲主義の二つの流れ」という第1部の第四章で論じている。このように阪本とは、どう屁理屈で糊塗しようとも、自著で、ルソーの『社会契約論』『人間不平等起源論』を枢要な立憲主義の本だと高らかに宣言している。

 しかも、IQが長谷部恭男と同じく欠落状態の阪本は、ルソーの著作をハチャメチャ間違いだらけでしか読めない。無道徳主義のルソーを「世俗化されてきた自然法思想を、再度、道徳化・内面化させてしまった」などと(注7)、極度に異常な誤読しかできない。ただ本稿では、この阪本の誤読問題を難じる紙幅はない。

 だが、ルソーを「近代立憲主義」として『新・近代立憲主義を読み直す』第四章で論じておきながら、「あとがき」で「ルソー的思想は立憲主義にとって最も危険な発想だ」と転倒する(注7)、阪本の分裂症的な二枚舌は断じて看過すべきではなかろう。

 ルソーが矯激的な“反・立憲主義者”なのは、全世界の学者の常識。これに従った阪本の唐突な「あとがき」は、「本文」で反・立憲主義者ルソーを立憲主義者だと真っ赤な騙しを展開した自著が、読者から蔑視され糾弾されるのを回避すべく、狡猾なアリバイとしての記述である。

 ルソーとは、法などとは無縁の弱肉強食がルールであるジャングルの野獣と同じく、人間を無法な野蛮・未開社会への退化を提唱した天才狂人。だから、『人間不平等起源論』がアッピールしたものの中に、「如何なる法律も破壊して無くしてしまえ」がある。中学生一年生でも、同書を読めば気付く。例えば、ルソーは、こう書いている。

「社会および法律の起源はこのようなものである。この社会と法律が、弱い者には新たな頸木を、富める者には新たな力を与え、自然の自由を永久の破壊してしまい…全人類を労働と隷属と貧困に屈服させたのである」(注8)

 すなわち、法律を一つ残らず破壊せよと提唱したルソーが描く「暗黒のディストピア社会」では、不文の憲法であれ、明文の憲法であれ、煙ほども存在しない。だから、ルソーに従ったフランス革命のフランスは、ルソーの計画通り、血塗られた(当時の時点での)史上最悪の暗黒社会になった。法が無い、自由が無い、国家権力ジャコバン党の幹部)に恣意的に殺戮される革命フランス、それが、どうして「立憲主義の国家」なのか。阪本昌成は、ルソーと同種の病気かもしれない。

 また、実態はディストピアである、ルソーのユートピア「契約社会」においても、立法機関の議会は存在しておらず、一般通念上の憲法も法律も存在しない。ルソーが仮構した「契約社会」における法律とは、人民を超越する「立法者」という独裁者の「命令=決定」のことではないか。

「立法者は、あらゆる点で、国家において異常の人である。…立法者はその理性の決定(命令)を不死のもの絶対神の口から出たもののようにし…」(注9)。

 かくも、坂本の著は、瞞着だけの危険な有害図書。ルソーだけでなく、ホッブスヘーゲルデュルケームと、反・立憲主義の悪の思想家を、次々にこれでもかこれでもかとオンパレードに登場させる毒書中の毒書。グノーシス派の神学者ヘーゲルは法実証主義の源流だし、デュルケームはルソーの無道徳主義を狂信するルソー原理主義者。

 認知症の老婆から多額の金を騙し取るオレオレ詐欺の犯罪者は刑務所に収監されている。ならば、次代の日本人を騙して知を奪う長谷部恭男や阪本昌成とは、同種の学的詐欺の犯罪者だから、長谷部/阪本もまた刑務所に収監されるべきだろう。

佐藤幸治は、せっかく学者なのに、“ガラパゴス憲法学界)に生きる奇獣”を選択した

 紙幅が足りなくなった。もう一匹の“ガラパゴスの赤色の奇獣”高橋和之にメスを入れることが出来ない。別の機会に譲る。が、憲法学者の中では例外的に赤色が脱色した“ガラパゴス桃色の奇獣”佐藤幸治について、サワリだけでも触れておかねばなるまい。

 その前に、戦後の永きに亘ってこれまで憲法学界が避けて通った学術用語立憲主義」が反語化の転倒語法において、突然、日本の赤い憲法学界を席捲してキャンペーンされている。「立憲主義」を反転させて濃縮毒物に仕立て上げるのに成功したからである。この怖ろしい情況を、一般国民に喚起しておきたい。ほんの一部だが、表3にまとめておく。

 

表3;反・立憲主義の“ガラパコスの赤い奇獣”日本の逆・憲法学者

逆・憲法学者

主著

発行年

阪本昌成

『新・近代立憲主義を読み直す』

2000年

阪口正二郎

立憲主義と民主主義』

2001年

高橋和之

立憲主義日本国憲法』第2版

2005年

阪口正二郎

立憲主義の展望』

2005年

長谷部恭男

憲法の理性』

2006年

赤坂正浩

立憲国家と憲法変遷』

2008年

辻村みよ子

『フランス憲法と現代立憲主義の挑戦』

2010年

愛敬浩二

立憲主義の復権と民主主義』

2012年

(備考)阪口正二郎/辻村みよ子らは、過激な共産党員。

 

 さて、佐藤幸治の『立憲主義について 成立過程と現代』を一読すると、表面的にはまともに見える。立憲主義の入門書マクヮルワイン(米国発音、「マッキルウィン」は英国的発音)の著書を一応は読んでいる。コーク/バーク/ハミルトン/ジョン・アダムス/トックヴィルなど、“立憲主義”の概説で決して欠いてはならない最重要な憲法思想家・哲学者にも、薄っぺらいレベルに目を瞑れば、言及している。

 つまり佐藤幸治は、「スターリン憲法よ、永遠なれ! スターリン、万歳!  毛沢東、万歳!」の反・立憲主義を心底に潜めた長谷部恭男や阪本昌成のような血塗られた極左学者たちの、読者騙しが主目的の「真赤な嘘の立憲主義」論者ではない事は認めてよい。その意味では、佐藤幸治は、共産革命家を職業とする他の憲法学者に比すれば、一般通念上の“学者”の範疇には括れる。だからといって、佐藤幸治を、正しい立憲主義を理解している“まともな学者”であると結論づける事はできない。

 第一に、佐藤幸治は、明文憲法が制定されていれば、それをもって立憲主義だと考える。現に、『立憲主義について』第六章の章タイトルは「現代の憲法立憲主義への展開とその課題」とあるように、「憲法立憲主義」のスーパー短絡思考をしており、このような視点を良心的な憲法学者のそれかに錯覚している。

 「明文憲法立憲主義」ならば、スターリン憲法(1936年)の下のスターリン時代のソ連立憲主義の国家だったことになる。が、佐藤幸治は、スターリン体制の暗黒と立憲主義の関係に思考が及ばなかったかに演技する。言及するのを忘れたかに無知を装うとは、佐藤幸治とは、なかなかの芸達者。

 ルソー教徒/スターリン教徒の極左法哲学者ケルゼンを「師」と私淑した、スーリン崇拝主義の宮澤俊義は、まさに、この演技術に長けていた。宮沢俊義は、「スターリン憲法があるから、ソ連立憲主義の国家だ」と強弁する、過激な立憲主義破壊を信条とした逆・憲法学者だった。

 だから、宮澤俊義は、『世界憲法集』(1980年、第三版)を編纂するにあたって、憲法とは名ばかりで対外的な宣伝用ショー・ウィンドーでしかない、ソビエト社会主義共和国連邦憲法ポーランド人民共和国憲法中華人民共和国憲法を、「これらも憲法だ!」と嘘宣伝すべく、この『世界憲法集』に収録した。宮澤俊義流のこのトリックにおいては、「スターリン憲法」やそれ以前の「レーニン憲法(1918年7月制定)の下で六千六百万人のソ連国民が虐殺された、自由と生命と財産の法的保護が皆無の暗黒政治体制も立憲主義の国家だ、との大詭弁が可能となる。

 佐藤幸治が、世界の明文憲法成文憲法を、“立憲主義”に基いて自由擁護の機能が働く正常・健全な憲法と、“立憲主義”を破壊して国民の自由を国家権力が剥奪する悪逆非道な憲法とに二分する峻別作業をしないのも、宮澤俊義と同じ立場だからだろう。世界の憲法はなぜこの両極端に分かれるのか、という立憲主義の本質に関わる解明から逃避する以上、佐藤幸治を正常な憲法学者に括る事はできない。

 佐藤幸治の第二の大欠陥は、レーニン憲法スターリン憲法毛沢東憲法(1954年)の源流である1791年フランス憲法(1792年に停止)/1793年ジャコバン憲法(施行停止)の下ではギロチンがフル稼働して大量殺戮が行われたのに、同時代の1788年に制定された米国憲法の下では一人として国家権力に殺されなかった/一人として財産が奪取されなかった、国民の権利侵害が一件も起きなかった理由と原因をいっさい研究しない、“正しい立憲主義”の最重要特性の解明を避けて、学問を放棄するその反・学者性にある。

 しかも、この理由と原因はすでに明瞭で既知。シェイエスやカール・シュミットの「憲法制定権力」に拘れば悪逆非道な憲法となり、「憲法制定権力」を排撃した憲法だけが自由擁護の機能が正常・健全に働く、ということではないか。

 つまり、明文憲法自体も“古来からの国家の根幹的な国制・法制”に制限される、真正の立憲主義を国民が理解し支持するとき、国家権力が制限されて国民の自由が擁護される。これこそが立憲主義にかかわる真理である。この原理原則に違背すれば、国家権力は暴走し国民の自由と生命が侵害される。

 だが、佐藤幸治は共産革命を目指す極左憲法学者に組して、「憲法制定権力」を排斥する立憲主義を否定して、「憲法制定権力」を支持する。この故に佐藤幸治は、憲法と国家の順序を転倒する反・立憲主義者トマス・ペインを批判せず(注10)、また「憲法制定権力」を革命勢力が狂信するよう煽動した“ルソーの化身”シェイエスを批判しない(注10)。何ということは無い、実は佐藤幸治とは、反・立憲主義の逆・憲法学者の一味だったのだ。

 また、佐藤幸治は、米国憲法をいっさい研究しない。米国憲法とは、ジョン・ロック系の左翼思想に立つアメリカ独立宣言を完全に排斥したものだが、米国憲法のこの最も重要な特性について、佐藤は一言もない。これも、佐藤幸治を、赤色からは距離を置き桃色なのに、“ガラパゴスの奇獣”の一匹とせざるを得なかった根拠の一つである。

 日本の憲法学者で、米国憲法や英国憲法はむろん、フランス憲法やドイツ憲法など外国の憲法を真面目に研究したものは、宮澤俊義以来、一人もいない。日本の憲法学者は、あくまでも現在の日本国憲法をカルト宗教の経文化する政治的作業を行っているのであって、学問の対象として学術研究をしているのではない。日本の憲法学者は、世界の学界の基準では、奇観を越えた“奇獣の群れ”としか形容できない。

 

1、岸信介は、「安保条約改訂の後に、憲法第九条)改正をする」順序/アジェンダについて、多くの関係者に語っている。例えば、原彬久編著『岸信介証言録』、毎日新聞社、二四〇頁。岸信介憲法第九条改正(=国防軍設置)への健全な情熱については、Foreign Affairs,Oct.1965.に発表した彼の論文を参照のこと

2、安部晋三宮内義彦憲法改正で信頼される国へ」『VOICE』二〇〇三年七月号、一〇六頁。

3、『日本国憲法制定過程Ⅰ 原文と翻訳』、有斐閣、一三四~七頁。

4、上掲、安倍・宮内、一〇二頁。

5、McIlwain, Constitutionalism;Ancient and Modern. Constitutionalism and the Changing World

6、The Writings & Speeches of Edmund Burke, vol.Ⅳ, Cosimo Classics, pp.70~1,pp.97~8, p.213.

7、阪本昌成『新・近代立憲主義を読み直す』、成文堂、五七頁、二一八頁。

8、ルソー『人間不平等起源論』、岩波文庫、一〇六頁。

9、ルソー『社会契約論』、岩波文庫、六二~六頁。

10、佐藤幸治立憲主義について』放送大学叢書、一三頁、八七~八頁、一〇七~一三頁。

 

関連エントリ

赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型

 

“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の“逆・憲法学”

 

 

 

 

中川八洋掲示板は、amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。