中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“学校解体の共産革命”フリースクールに熱狂する“共産党の操り人形”安倍晋三

──安倍晋三の人気至上主義の代償は、日本の教育崩壊

 

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 

 2015年2月12日、総選挙に勝利して喜色満面の安倍晋三は「施政方針演説」を国会でぶち上げた。が、その内容は、「エッ、これが一国の国政を担う総理の政策表明?」と絶句するほど眉を顰める軽薄さが基調だし、日本国を毀損するものが多々ありすぎる。

 このうち“反日極左性”を突出させている一つが、共産党が日本の共産化革命として、“夫婦別姓による家族解体”と並んで最優先する“フリースクールによる学校解体”を、安倍晋三は国策として推進すると高らかに闡明したことであろう。安倍晋三は、筋金入りの共産主義者だったのかと耳を疑ったほどあっけらかんと、「私は“共産党の操り人形”になりました」と宣言したのである。

第一節 「日本の共産化革命のために“学校解体”を開始する!」と宣言した安倍晋三

 少し長いが、安倍晋三の「施政方針演説」のうち、この部分をすべて引用する。

「〈娘は今、就職に向けて前向きに頑張っております〉。20歳の娘さんを持つお母さんから手紙を頂きました。娘さんは、幼い頃から学習困難があり、友達と違う自分に悩んできました。

〈娘はだんだん自己嫌悪がひどくなり『死んでしまいたい』と泣くことがありました。…学校に行くたびに輝きが失せていく…しかし、娘は世の中に置いていかれまいと、学校に通いました〉」

「中学一年生のとき、不登校になりました。しかし、フリースクールとの出会いによって、自信を取り戻し、再び学ぶことができました。大きな勇気を得て、社会の偏見に悩みながらも、今は就職活動にもチャレンジしているところです。その手紙はこう結ばれていました。〈子供は大人の鏡です。大人の価値観が変わらない限りいじめは起こり、無くなる事はないでしょう…多様な人、多様な学び、多様な生き方を受け入れ認め合う社会を目指す日本であって欲しいと切に願っております。ちっぽけな母親の願いです〉、と」

「いや、当然の願いであります。子供達の誰もが、自信をもって学び、成長できる環境をつくる。これは、私たち大人の責任です。フリースクールなどでの多様な学びを、国として支援して生きます。義務教育における〈六・三〉の画一的な学制を改革します。小中一貫校の設立も含め、9年間の中で学年の壁などに捉われない多様な教育を可能とします」

「〈できないことへの諦め〉ではなく、〈できることへの喜び〉を与える。地域の人たちの協力を得ながら、中学校の放課後などを利用して無償の学習支援を行う取り組みを全国二千ヶ所に拡大します」(注1)。

 やはり安倍晋三は、100%の共産主義者と同類である。安倍のこの国会演説は、“日本の教育を全面破壊して、日本の次世代が学力の大幅低下し人格も大幅劣化するよう、大々的に〈反教育〉を驀進させるぞ”の決意表明でなくて何であろう。安倍晋三に「次代の日本人子孫への憎悪」感情がこれほどあからさまに露わなのは、“共産主義思想という母胎から生れた畸形児で、白痴に近い知力の民族主義”だからである。

 さて、安倍晋三のこの国会演説とフリースクールの解剖は、後回し。その前に、安倍が国会で読んだ(共産革命運動家が書いたフィックション宣伝文であろう)「母親の手紙」が言及した“フリースクールの出身者”なら、実在の例こそ、読者は思い出すべきである。日本のフリースクールの嚆矢である“トモエ学園”出身者の黒柳徹子である。

エチオピア農民を「もっと殺せ! もっと殺せ!」と絶叫した“血が滴る悪魔”黒柳徹子フリースクール出身。これを理想の教育だと大絶賛する安倍晋三の狂気

 黒柳徹子といえば、1983~5年、エチオピアの残虐な共産政権が実行した“餓死による残虐なる農民大量惨殺”を、「もっとやれ、もっとやれ」と激励支援した、エチオピア農民大量殺戮(ジェノサイド)の日本における応援団長。大量殺人の実行犯ではむろんないが、実数150万人エチオピア農民を餓死処刑したメンギスツの日本応援団長であった事実において、黒柳徹子を“人間の顔をした悪魔”と称する事は、ユダヤホロコーストヒトラーを“悪魔”と呼ぶのが一般的で適切であるように、真実を語る客観的に妥当な表現である。

 なお、日本では、朝日新聞NHKが先頭に立って、エチオピアの農民大量餓死が共産政権の人為的無差別処刑である事実を隠蔽し、旱魃などの自然災害だと真赤な嘘を大キャンペーン的に報道した。「旱魃ではない、共産政権の餓死強制だ」との、現地潜入の諜報情報に基づく専門家の指摘を封殺するための偽報道だった。

 共産主義者メンギスツは、エリトリア地方を根城にする反メンギスツのゲリラ勢力が首都アディスアベバに侵攻するに必ず通過する、この中間にあるウォロ州とチグレ州を無人地帯にするため(ゲリラ戦力が潜みうる農村や農家をがら空きにするため)に両州の農村の完全破壊を実行した。が、それだけが理由ではない。レーニン/スターリン毛沢東/ポル=ポトと同じく、共産主義という宗教ドグマの信仰からの農民大量殺人をしたかったからだ。農民は最も伝統慣習・習俗が根強く、これを人間もろとも抹殺するのが共産革命である。

 つまり、共産主義者特有の農民大量殺戮の実行方法として農民大量餓死が選択されたのである。レーニンとスターリンは、ウクライナ農民800万人以上を餓死で殺害した。毛沢東は「大躍進=人民公社化」を強制して農民4500万人ほどを餓死殺戮した。これと同じである。

 では、メンギスツ共産政権の“農民の皆殺し”の具体的方法は、どんなものだったか。第一は、働ける屈強な男女を根こそぎワレガ州/インバボール州などの(農地に適さない)荒地に銃口を突きつけて強制移住させた。強制連行である。この強制連行・移住に抵抗したものは、直ちに銃殺した。そして、この荒地で餓死させた。

 第二は、ウォロ州やチグレ州に残存した老人・子供達や強制移住を遁れた農民家族に対する殺害だが、まず農家に残っている作物はすべて、配給制度にするからと称して政府に供出(=強制徴発)させた。食糧の農家からの収奪である。次に、これらの食糧の配給にあっては、集団農場に加入したものにしか配給しなかった。集団農場に入っていない農民は「反・共産革命派」に分類し、加罰としての無配給を徹底して餓死を強いた。

 これが、簡略すぎるが、NHK朝日新聞が「旱魃」という嘘ラベルで報道したエチオピア大飢饉の真実の歴史である。

 さて、まだ記憶のある読者は思い出して欲しい。この1983~5年時の黒柳徹子は、農民大殺戮を行っているメンギスツ共産政権の百万人を超える巨大陸軍赤軍のための軍用毛布を無償で送ろうとの大キャンペーンを張った。だが、黒柳は「ワレガ州に強制移譲させられた農民をウォロ州やチグレ州に返せ!」とは一言も言わなかった。黒柳徹子は、「集団農場化を即時中断せよ」とは一言も言わなかった。「収奪した食糧を農民に返して配給制度を即時中断せよ」とは一言も言わなかった。

 エチオピア農民殺しを平然と進める悪魔のメンギスツを熱烈に崇拝する黒柳徹子は、その実質的共犯者として、メンギスツ共産政権の基盤強化のため、日本人を洗脳すべくテレビの電波を使って嘘宣伝に精を出したのである。「エチオピア農民を救うには、メンギスツ共産政権を打倒するのが最善・最短の道だ」との、真に道徳的かつ人間的humanlyな声を封殺することが、黒柳の秘めた本当の第一目的であった。

 黒柳徹子は、狂信的な共産主義者で共産党員である。また、共産党への多額献金者として著名である。それ以上に、黒柳徹子は、フリースクール“トモエ学園”出身者である。フリースクール時代を回想した黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』は、800万部のベストセラーになった。

 黒柳徹子の事例は、フリースクール出身者は必ず“血が滴る悪魔的人格”になる、との証拠にはむろんならない。が、フリースクール安倍晋三がはしゃぐような“理想の教育”とはほど遠い、あるいは、そのようなものとは全く無関係である証拠にはなる。

乞食型“卑しい利権漁り屋”下村博文は、民族系の確信的な“半・共産主義者”

 学校解体による共産革命の手段「フリースクール」運動に、自民党議員で最初に洗脳された“スーパー馬鹿”は、安倍晋三ではなく、下村博文。下村が小泉純一郎内閣の文部大臣政務官のときで、2005年だった。

 つまり下村博文とは、道徳の教科化をはじめとして夫婦別姓反対や女系天皇反対など健全な自民党議員の側面も持つ。しかし、意味不明なカルト的なもの──例えば「親学」など──にのめり込向む傾向が強く、これが本質的にはカルト宗教である共産主義に一瞬にして洗脳される原因の一つであろう。むろん、あくまでも原因の一つ。もともと下村博文は、共産主義者が教員のほぼ100%を占める早稲田大学教育学部卒。授業を通じて、無意識の内に共産主義にシンパシーする「基礎」が、骨の髄まで染み込んで形成されている。

 また、ちまちました裏献金を漁る卑しい乞食型の下村博文政治資金調達のやり口は、ソ連邦崩壊後に赤旗を引っ込めマルクス・レーニン主義を標榜せず、ちまちました無数の個別案件ごとに共産革命を潜ませ最終過程で集合・集結させる21世紀型共産革命のやり口とは同一。つまり下村博文は、性格的に共産党の革命運動に共感する素地をもつ。

 ともあれ、2005年、共産党系の赤い文部官僚に見事に洗脳されて、下村博文は“共産党の犬”となり、フリースクールの推進者となった。それから十年、2015年の年頭、安倍晋三は“共産党の操り人形”となってフリースクール共産革命に魂を奪われた。下村博文も、安倍晋三を引き摺りこみ的に洗脳した事は間違いなかろう。

 安倍晋三下村博文とは、仲良く、フリースクールという、真赤な脱法ドラッグ=共産革命教のドグマを吸飲して日本の教育崩壊に驀進していることになる。安倍と下村の両名を覚醒させて、共産革命狂をもたらす薬物中毒から離脱させる方法は果たしてあるのか。

第二節 文部官僚が崇拝する“【学校解体→共産革命】教祖”イリイチ

 日本には「保守主義」が存在しない。「革新」という社共とは対決すると意味の、日本政治の特殊用語「保守」も、田中角栄が首相になった一九七二~三年の僅か一年間ほどでぶっ壊れて、ほとんど死に体となった。その後の自民党は、イデオロギー無しの利権集団となり“選挙屋・利権屋の集合体”以外の何ものでもない。

 自民党国会議員の実態である“選挙屋”は“選挙屋”であって、政治家ではない。かくして、日本の国会には、社会主義共産主義の革命家=赤い政治家を除けば、自民党国会議員のような“選挙屋”すなわち非・政治家しかいない。要するに、日本の国会は、赤い政治家の野党と非・政治家の選挙屋たちの与党によって構成されている。

 赤い政治家からなる野党と非政治家たちからなる与党が半ば対決し半ば野合する国会が船長の役割を担う、そんな日本国の政治が、政治不在となるか、迷走する政治にしかなりえないのは、当然であろう。“船長のいない巨大船舶”がただ大洋に浮んでいるだけの“生ける屍国家”こそ現在の日本だ、とも譬えられよう。日本国とは、羅針盤も海図も失って大洋を彷徨っている、腐敗と堕落がすすむ老朽巨大船舶である。ならば、日本にはもはや未来はない。沈没して海の藻屑となる亡国だけが待ち受けている。

 内閣もまた、このような惨状を呈する国会から選出される以上、頽廃と劣化の国会がもつ悪弊を凝集した塊にしかなりえない。この結果、日本国は、すでに赤い官僚が過半を占領した非・日本の官僚機構となった霞ヶ関官僚たちのやりたい放題の共産革命が暴走する無法状態になってしまった。

 オルテガの言葉を用いれば、「赤い垂直侵略者」に、日本国は簒奪されてしまったのである。「垂直侵略」とは、ロシアや中共など国境を水平に侵犯する外国からの侵略ではなく、日本国内で生れた日本国籍をもつ“非・日本国民”が(国境を水平に侵犯する必要がなく、国土に垂直に現れて)日本国を侵略し占領する情況をいう。この赤い官僚たちは、共産党が支配する“共産コミューン”となった日本の大学の文系学部で大量生産される。しかも、上級職の採用は共産党系の東大生/京大生/一橋大生が優先されているから、霞ヶ関の「赤い垂直侵略者」は、霞ヶ関を所狭しと大繁殖することになった。

 三権分立の制度によって、この赤い行政府を牽制しうる国会は、前述の通りのテイタラク惨状。このため、日本の行政府では共産革命のための極左イデオロギーの官僚は、滅菌もされず消毒薬を撒布されることもなく、平然と共産革命に邁進している。

 今や、霞ヶ関の官僚で、共産党系や中核派あるいは革マル派・旧社青同以外の、非・左翼官僚などごく稀できわめて少数。むろん、「保守主義」官僚はゼロ。「保守」系官僚が警察庁と財務省に若干名が散見できる程度。

 若干名であれ共産主義思想とのイデオロギー対決が国家を守ることだとの政治信条をもつ)保守主義」官僚が主要官庁に必ず存在し、(社共は日本にとって有害政党だと、平凡だが正常な判断をしていた)「保守」系官僚が過半数だった1960年代までの霞ヶ関の風景は、遠い昔に読んだ絵本のような話となった。思い出すことのできる日本人さえ消え去ろうとしている。どうやら私(中川)が、1960年代までの日本の霞ヶ関官僚機構を記憶している最後の日本人のようだ。真正のエリート日本国民は、絶滅危惧の危険ラインをとっくに超えている。絶滅したといえるからだ。

“日本のフリー・スクールのモデル”英国のサマーヒル校は、校内での性交を奨励

 話が脱線してしまった。さて、日本のフリー・スクールだが、その基本モデルは、英国の過激共産主義者ニイルがレーニンのロシア革命に共鳴して開校した「サマーヒル校」1924年ベトナム反戦運動から生れた米国共産主義者が運営する「クロンララ校」(1963年)である。この事実は、日本のフリースクール革命運動の旗手「東京シューレ」の理事長で共産党員の奥地圭子の出版物──例えば、奥地圭子の2000年刊の『フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る』や、同じく2005年刊の『不登校という生き方―教育の多様化と子どもの権利』──などを読めば直ぐわかること。

 つまり、「レーニン→ニイルの【サマーヒル校】→日本のフリースクール」である。また、「ソ連KGB第一総局→米国共産主義者のベトナム反戦運動→【クロンララ校】→日本のフリースクール」である。例えば、前述の「東京シューレ」は、「クロンララ校」との交流が緊密である(注2)。

 ところで、日本ではフリースクールについては、ほんの一部の識者が「共産党不登校児を集めて、共産革命のための学校解体運動に悪用している」事実に気付いているぐらいで、それ以上のことは日本では全く知られていない。安倍晋三下村博文自民党国会議員や一般日本人に至っては無知を極めて、フリースクールが共産革命のための怖ろしい学校解体運動である事実すら知らない。

 そこでまず、“悪魔の共産主義者”黒柳徹子を育てた「トモエ学園」が参考したらしい「サマーヒル校」を開校したニイル校長の怖ろしい凶悪な教育思想を紹介しょう。反教育/反人間の“悪魔”的な教室であるフリースクールの実態が、直ちに理解できる。

 ニイルは、多くの著作を出版した。このため、サマーヒル校が“人間の動物化改造”という反教育の実践機関であることは、英国だけでなく世界の常識である。だから、フリースクールあるいはオールタナティブスクールは、正常な全世界の教育界が、弾圧はしないが、監視対象としている。

 この2015年、日本の文科省フリースクールを監視せず、あろうことか逆立ちして、支援しようとするのは、文科省自体が共産主義革命の国家権力と化しているからである。今や文科省こそ学校解体を先導する「レーニンごっこ」の急先鋒である。

 なお、中核派マルクス主義者で北朝鮮人・寺脇研にリードさせて文部省(当時)はかつて、日本の教育破壊と日本人の知的劣化を目指して「ゆとり教育」を導入した。この「ゆとり教育」が、フリースクール運動とは親類筋の日本共産革命の一つだったように、文科省の教育行政は共産党の完全支配下にある。共産党中核派その他、共産主義者でない“中立的な文科官僚”など果して何人いるのだろう。

 さて、ニイルの「教育」は、次のように“教育”ではない。まず、生徒には、授業欠席の「自由」を享受させる。次に、教師には、どんな授業をしてもよく一般常識の授業である必要はないとする。

「授業は出席自由である。出てもよいし、出なくてもよい。出たくなければ何年でも出なくてよい」

「私自身は、それぞれのクラスでどのようなタイプの授業が行われているのか知らない。一度も授業を見て廻ったことがない」

 さらに、言葉遣いはむろんマナーとか礼節・礼儀とかはいっさい排斥する。動物を理想の人間と設定している以上、人間が人間らしくなる躾を悪と考えるからだ。

「汚い言葉については、学校内ではどんなに悪態を吐いても構わない」

「サマーヒルの食堂は、食事時には動物と同じくらいうるさい」(以上、注3)。 

 フリースクールの発祥サマーヒル校の驚愕は、これでほんの序の口。躾の禁止は、マルクスの『共産党宣言』に従った“道徳教育の禁止/絶滅”が最終目的だからである。つまり、フリースクールの絶対理念である“道徳の完全破壊”に向かって、「礼節は道徳の玄関口」である以上、礼節やマナーはまず破壊し尽くされねばならないのである。片や道徳の教科化を進め、片や道徳絶滅のためのフリースクールを推進する下村博文とは、分裂症には見えないから、“単なる度外れのバカ”ということになる。

「道徳なるものが子供を悪くする。子供ための道徳教育というものは全く存在しうる余地はない」(注4)

 道徳破壊教育あるいは道徳性剥奪教育という“逆教育”の信条において、サマーヒル校では、生徒同士の校内での性交を是認というより奨励した(注5)。動物が発情すればところ構わず交尾する光景こそ人間の理想と考える(『人間不平等起源論』で展開した)ルソーの人間動物化改造の狂気は、ニイル校長にとり最高の宗教的真理であった。

 かつて安倍晋三と山谷えりこ(現在の国家公安委員長は、健全にも性交教育に反対して、ある共産党員の小学校教員の性交教育教材を没収した立派な行動をしたことがある。この同じ安倍晋三が、今般は真逆に逆立ちしたのか、過激な性交教育を「教育理念」とするフリースクールを推進している。

 安倍晋三とは、分裂症かもしれないが、自分の二律背反の分裂思考を認識できない、下村に負けないレベルでの“度し難いスーパー馬鹿”ということか。なお、上記の性交教材没収事件は裁判となり、安倍晋三と山谷えりこは敗北した。裁判に負けるとは、何というテイタラクの失態か。

 さて話を戻す。サマーヒル校は、“理想の共産社会ごっこ”を子供たちに教育することを、その建学の最高理念とした。具体的なその方法は、「自治」という名で、「五名の政治局員」と(一般ルールなき)恣意的な「人民裁判」を柱とする、レーニンのソ連共産党を生徒達に模倣させるやり方である。

 私有財産制の廃止を金科玉条とするサマーヒル校では必然的に窃盗の横行が日常となっていたが、これは“全生徒数八十名の夜盗盗賊団が相互に盗みに明け暮れる史上最低の学校”が実態だったことの証しであった。ニイル校長は、「共産主義的人間=野生の動物化した人間」への改造がフリースクールの根本理念だとの狂気において、この全生徒が泥棒へと「成長」するのを、フリースクールの素晴らしい成果だと胸を張る。

「資本主義という忌まわしいし私有制社会は急速に滅びようとしている。すべての学校で(誰が生徒で先生かがわからないような)生徒が先生に代わる「自治」が実行されるなら、新しい(ポスト資本主義の)世代の子供達は、それ(=共産主義社会の精神や価値観)を身につけて人生に乗り出す」(注6)。

下村博文よ、ニイルやイリイチ『脱学校の社会』を読み、安倍晋三を吊し上げ“フリースクール法案つぶし”に驀進せよ。これこそが真正の愛国心の顕現である。

 下村博文は、大秀才だった伊藤博文と名前は一緒だが、頭の悪さは“バカの見本”のようなスーパー劣等生。明治時代であれば、小学校の卒業も不可能なレベルが、下村博文のおつむである。

 だから、下村は、①フリースクール関係者に、教条的な共産主義者以外が一名もいない実情を見抜けない。これほど露わな文科大臣失格者は、見た事がない。次に下村は、②「フリースクール」などと聞きなれない言葉を文教の国策にするとなれば、正常な社会人・政治家なら、「フリースクールの創始者ニイルの著作数冊を目を通すから、すぐ買ってこい」と、文科官僚に必ず指示したはず。だが、堕落と腐敗に生きる最低政治家の下村博文は、こんな当たり前の事すらしない。

 下村博文よ、今からでも遅くはない。本稿が言及した三冊でいいから、ニイルの著に目を通せ。これが文科大臣の当然の職務で、最小限の責任である。もし下村が、文科大臣の職責を履き違えて、この職務を放棄するなら、さっさと辞任するのが政治家の出処進退というものである。

 さて、ベトナム反戦運動家でソ連工作員で狂信的な共産革命家だった、マルクス・レーニン主義者イヴァン・イリイチは、(学校を共産主義人間への改造の場に活用する)ニイルのようなレーニン崇拝の原初的な共産革命ではなく、自由社会における学校そのものを解体・消滅させることを通じて共産革命を実現するドグマを考案した。「脱学校化 deschooled」のドグマである。そして1980年代、イリイチの“学校解体による共産革命”論は、文部省の過半をどっぷりと洗脳してこれら赤い文部官僚の“座右のバイブル”になった。それが、邦訳された『脱学校の社会(邦訳1977年、原著1970年)である。

 北朝鮮人連合「小野事務次官寺脇研」の「ゆとり教育(備考)は、イリイチの学校解体ドグマを基軸に、ニイルのフリースクールをブレンドしたもの。だが、赤い文部官僚がゆとり教育」というトンデモナイ“反教育”を推進した1996年、猛反対すべき自民党は、小渕恵三らが中心となって、あろうことか、全面的に大賛成した。安倍晋三も、この時、「ゆとり教育」──“イリイチ型の学校解体による共産革命”プラス“ニイル型の共産主義人間への改造教育”──を消極的であれ支持したのである。安倍が国会議員になったのは1993年であった。

 安倍は、1996年の自分の愚行と無為を、フリースクール法案を国会に上程する前に、じっくりと思い出して自省すべきである。そして、総理としての職務ならびに日本国民としての責任を果し、この法案を粗大ゴミとしてぶっ壊して捨てることだ。

 なお、安倍晋三が後年、「ゆとり教育」が日本経済つぶしと日本人の知的劣化を図るものだと反省したのは立派である。2006年の第一次内閣で、安倍は中山成彬文科大臣に狂気の「ゆとり教育」を全否定した正常な「脱ゆとり教育を指示し、その結果、2008年に学習指導要領が正常化された。

 だが、安倍は、今般ふたたび、“共産党の犬”になった1996年を再現している。安倍晋三よ、反省するのなら今しかない。フリースクール法案を国会上程前に“つぶし”てしまう、真正の「愛国心」を一度ぐらい発揮したらどうだ。そして、遡って、「ゆとり教育」にからんだ赤い文科官僚を、そのほとんどは定年退職しているが、処分するか、少なくとも名前だけでも公表して糾弾する“正義”を体現すべきである。

(備考)北朝鮮人の寺脇研ら赤い文部官僚と“マルキストの牙城”日教組が共同で推進した「ゆとり教育」は、1996年7月19日の第15期中央教育審議会の第一次答申で実行が決定した。安部は1993年から衆議院議員だから、この第一時答申を阻止する行動をおこす事はできたが、何もしなかった。 

      

 話を、マルクスの人間解放論の詭弁を信仰するイリイチに戻す。その著『脱学校の(理想)社会』は、次のように言う。文明の偉大な産物である“学校”に対して、あらん限りの嘘と悪罵を投げつけ、自由社会の一般人が恐怖に慄き子供を学校に行かせないように仕向け、制度化して機能している文明社会の叡智である“学校”を丸ごと破壊しようとの企みである。

「学校はマルクスの言う)疎外を人生への準備として必要なものとし、教育から現実性を奪い、仕事からは創造性を奪う」

「すべての人に学校教育を平等に受けさせることが人々を知的に無気力にし、社会の分裂化をもたらし、人々の政治制度への信頼艦をかえって失わせている」(注7)。

 イリイチは、自由社会における共産革命の方法として、①学校解体と同時に、両輪的に②家族解体を提唱し、日本の共産主義者にとっては偉大な宣教師として崇められている。前者が文部官僚を虜にした『脱学校の社会』『脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか』など、後者が『シャドウ・ワーク』『ジェンダー』などである。『シャドウ・ワーク』は、内閣府男女共同参画局法務省民事局の官僚が“赤いバイブル”として崇拝している。

 つまり、イリイチは、フリースクール(学校解体)共産革命においても、家族解体・フェミニズム共産革命においても、霞ヶ関官僚を冒すコロナウィルス的な致死性の伝染病となって、日本国を死亡に至らしめるべく猛威を振っている。

 だが、無知と無教養さで小学生と競い合う自民党は、今日の霞ヶ関官僚の実態を全く知らない。自民党が描く霞ヶ関のイメージは、今から五十年前、一九六〇年代の霞ヶ関である。五十年前は五十年前に過ぎ去った。だがこれを認識できない自民党とは、“時代感覚を失った浦島太郎以下の白痴老人”ばかりが国会議員の政党だといえる。どうやら自民党とは、利権屋や選挙屋はいても、政治家が一人もいない白痴ばかりがいっぱいの政党に成り下がった、と嘆息する他ない。

第三節 教育破壊と人格改造の共産革命手段「フリースクール」の国家制度化を完全に阻止し、その存在は容認するがその悪弊から日本国の教育制度を擁護すべく隔離するにはどうすればよいか

 安倍晋三下村博文は、フリースクールや家庭での自習(=ホーム・エデュケーション)を義務教育の制度内に位置づける「多様な教育機会確保法案」(仮称)を、超党派議員立法で立法化しようとしている(注8)。

 超党派議員立法の怖さは、大東亜戦争の戦時下の大政翼賛会のやり方を踏襲したもので、事実上、国会での審議や論戦をいっさいしない立法のやり方。その更なる原点は、スターリン独裁制度を模倣したもの。「スターリン共産党独裁→戦前日本の大政翼賛会→戦後の超党派議員立法」である。すなわち、国会が立法するにあたっては、国民にその法案の是非を考えさせる機会と多様な視点とを提供すべく、必ず国会でオープンに論戦が行われなければならない。

 が、共産党が実態的に主導する共産革命運動に絡むもので、自民党が痴呆老人となってこれに騙され唯々諾々とメクラ合意をする場合がある。ここでは、デモクラシーと三権分立が絶対要件とする国会における開かれた論戦憲法違反的に回避すべく、つまり国民の目からそのような法案が立法されること自体を隠蔽するのを狙って、秘密立法方式の妙案として超党派議員立法が活用されている。超党派議員立法は、国会の本義において絶対に禁止されねばならない。超党派議員立法は、立憲主義に違背する。

 日本の戦後国会には、コミュニストスターリン狂信者だった近衛文麿が創った、暗黒の全体主義体制の一つである大政翼賛会が、このような形で、今も日本国に暗い悪影響を残している。近くの事例をあげれば、2013年12月に成立した「福島原発原子力賠償紛争にかかわる時効中断法」は、超党派議連の議員立法だったため、民法の時効規定を反故的に破壊するという、前代未聞の“法の支配”を冒涜する重大な凶悪立法であったが、あっという間に成立した。

 なお、自民党で今、真赤な共産革命法である「多様な教育機会確保法案」をはしゃいで推進している中心人物は、日朝国交正常化議連のメンバーである衆議院議員馳浩。馳は、かつて野田聖子夫婦別姓運動の熱烈な賛同者だったし、北朝鮮の日本人拉致を支持して朝鮮総連本部パーティに出席したり(2007年9月)アントニオ猪木に似た思想怪しげな元プロレスラー。要注意以上の、レッド・カード直前のイェロー・カードの人物。

政調会長稲田朋美は、もしフリースクール法案を潰さなかったら、「稲田朋美=“共産党の犬”」となるが、この現実を自覚しているのか

 この悪法は内閣提出法案ではなく超党派議員立法なので、自民党が阻止しようとすれば、いとも簡単なやり方がある。自民党政調会長のサインが無い限り、自民党議員立法を国会に上程できない制度になっている。つまり、政調会長稲田朋美がNO!といえば、この法案は内閣提出法案に変更せざるを得ず、その場合、国民が広く知ることができ、その是非の論争が国民の前で可能となる。だが、政調会長は民族系の稲田朋美

 ソ連軍のアフガニスタン侵略(1979年12月)の前後、ソ連KGB第一総局は、日本の輿論を「ソ連脅威」から「反米」に方向を転換させるべく精力的な対日工作をなした。その結実として、1980年前後に“思想の畸形児集団”日本の民族系が誕生した。だから、日本の民族系は、保守主義に牙をむき、マルクス・レーニン主義が濃厚な小堀桂一郎江藤淳に代表されるように、“日の丸を振り回す畸形の極左”が本性となった。

 安倍晋三下村博文共産党フリースクールに直ぐ洗脳されるのも、共産主義思想の母体から生れた民族系という、彼らの出生のDNAを考えれば必然といえる。TPP反対で共産党の一味だった民族系の稲田朋美が、フリースクールで再び“共産党の犬”になるか、それとも人生で初めて正しい愛国心に目覚めて祖国日本のために「多様な教育機会確保法案」(仮称)を叩き潰すか、われわれ真正の日本国民は注視しよう。

不登校の子供を使って、学校を粉砕せよ」──仮面の下のフリースクールの正体

 さて、もう一度、日本のフリースクールの怖ろしい実態の解剖に戻ろう。過激共産主義者が書いた、日本共産化への狂った執念が猛炎と燃える『不登校という生き方 教育の多様化と子供の権利』に、こうある。

「これまでは、直す(=治療する)対象は不登校の子どもであった。そのまなざしをくるっと変えて(大砲の向きを反転させて、学校自体を砲弾をぶち込む標的として)学校の方を直す(=学校を共産革命用に改造する)

不登校(=共産革命の戦士予備軍)フリースクールの経験者(=共産主義的人間に改造された非・日本国民)が増える中に希望を見い出すこともできます」

「今の生きづらい社会(=市場経済自由社会)を変えていくには(=革命・改造するには)、これまでの世間の尺度に縛られない多様なものの考え方(=伝統や慣習や文明の叡智として機能して社会を円滑に平安に動かしているものを破壊尽くしたいと考える共産党極左の考え方)が広がっていくことが大事だと考える」(注9)。

 この短い引用文を読むだけでも、フリースクール(本稿の冒頭で紹介した)安倍晋三が国会で演説したものとは全く異次元のものであるのが誰でも納得できよう。また、フリースクールを支持することの重大な危険性を把握し得る。

 安倍晋三とは、大学とはほど遠い成蹊大学卒の無学無教養な暗愚性が顕著で、赤頭巾を被った狼であるフリースクールの正体を見抜く能力が全く無い、アホバカ水準の“暗愚の宰相”だということである。フリースクールでは、日の丸や君が代が排除されているだけでなく、それらを罵倒し中傷誹謗する洗脳が徹底されている。が、安倍晋三はこの情況を国会で大絶讃した。安倍晋三の脳の重量は、その滑舌とよく似た、初秋に鳴き続けるキリギリスと同程度ではないのか。

 集団的自衛権憲法解釈の変更など、祖父・岸信介の遺言を実行している安倍政治は、秀才だった岸信介の通りだから安心して信頼できる。しかし、岸信介が言い遺さなかった新しい政治課題についての安倍晋三の政治は“共産党の犬”となるのがオチ。自民党議員は、いずれ必ず何から何まで“共産党の操り人形”になるだろう安倍晋三に対し、その首にしっかとワッカを嵌めて手綱を緩めないことが肝心である。

 ともあれ、上記の引用文はまた、フリースクールには、不登校児童や不登校生徒を「学校に代わって面倒見てあげよう」との人間的なhumanly温かいまなざしも、そのような通常の教育者の姿勢や思考もいっさい存在しないことを暴露している。二十一世紀日本のフリースクールが、レーニンの共産革命に呼応した1924年の“共産社会ごっこ”サマーヒル校そのものの再現・復活であることを、上記の引用文は明らかにしている。

 だから、フリースクール運動の主眼は、共産主義的人間に改造された“赤い凶悪な小型ロボット”に学校を簒奪させることが真の目標となる。この“赤い凶悪な小型ロボット”とは、現時点では言うまでもなく、親が共産党員の子ども達のこと。この共産主義的人間の予備軍である赤い子ども達を使って、実際にはその親とこの親が所属する共産党の地区委員会が、公立学校の運営と教育委員会を簒奪して独裁することを狙っているのである。

「子どもの事はすべて、子どもに聞いてから行うようにする。先生から家庭への電話、家庭から学校への欠席届、友人や先生の訪問、手紙・プリント・宿題の持込み、行事の案内、アルバム・式への参加・不参加。すべて子どもの意思を尊重する」(同)

「子どもが校長になったり、教育長になったりするのがいい…。せめて、すべての学校に【子どもの学校運営委員会】を置き、どんな子も何を言ってもよい、言えなかったら紙に書いて持ち込んでもよい、代理人に言ってもらってもよい、というシステムを創ったらよい。」(同)

 このように、「子供は全能の神であり、全能の神である子供に、教師も学校も教育委員会も従え!」というのが、フリースクール運動の骨格を成している。こんな異常きわめる狂気の考えは、オウム真理教以上の、狂人たちが狂信するカルト宗教のそれだが、マルクス共産党宣言』の「プロレタリアート」のところを「子ども」に置き換えた革命論理なのは明らか。すなわち、このようにフリースクール運動は、人類史上類例のない最悪・最凶のカルト宗教である共産主義の革命運動である。だから次のようにも言う。

「定期的に(子ども達に)何か困っていることはないかを調査(して、この調査で子ども達が困っていることが明るみになり、しかもそれらが子どもの)権利の侵害に当たることがあれば、共産党が独裁する)オンブズマン委員会に持ち込み、徹底した調査と助っ人を見つける。助っ人には共産党員活動家の)弁護士さんやお医者さんなど子供の人権の側にたって活動している専門家にも入ってもらう」(注9)。

 これこそは、子供を使って学校や教師を脅迫し、さらには教育委員会をも嚇し、学校と教育委員会を簒奪するプランではないか。この事実の否定はできまい。「不登校児を救済する」という表看板の触れ込みの、日本のフリースクール運動では、対象である不登校児など、実はフリースクールの運営者の頭の中には存在しない。彼らは、不登校児を実験体として、「学校に通う子供一般をどう利用すれば学校を簒奪できるか/教育委員会を簒奪できるか」の悪巧みの共産革命の研究をしているのである。

 安倍の国会演説の中で、「中学校の教室を開放して、地域の人たちの協力を得て、無償の学習支援を行う」とあるが、これこそが共産主義者たちの学校簒奪の典型。安倍の言葉の中にある「地域の人たち」とは「地域の共産党員」のことだからだ。つまり、公的な学校の校舎を活用して、白昼公然と、地区共産党が教育を簒奪して中学生を共産主義者に洗脳することを合法化すると安倍晋三は、国会で演説したのである。

 安倍晋三は、以上のことを知ってもなお、共産革命の前衛部隊「フリースクール」に税金を投入して支援することに執着するだろう。“共産党の操り人形”安倍晋三は、引退後に、代々木に銅像を建立してもらうのが夢なのかも知れない。

魔語「多様化」は、自由社会の根幹“一般ルール”を爆殺する共産革命スローガン

 安倍晋三は、国会演説で、「多様な教育」とか「多様な学び方」とか、「多様」の文字を連発している。安倍が共産革命用語「多様化」に洗脳されていることがよくわかる。

 日本は高度な自由社会である。故に、義務教育以外のフリースクールという異様なものすら、禁止することなく、永年、その存在と活動を許容してきた。自由社会の偉大な寛容イデオロギーの働きである。つまり、日本にフリースクールが存在していること自体、日本の自由社会としての寛容の素晴らしさが発揮されていることに他ならないし、義務教育の学校と並行的にフリースクールの存在が許容されていること自体、一般通念上の“多様化”は、すでに100%実現していることに他ならない。

 “多様化”が100%認められている状況なのに、ではなぜ、「フリースクールによる教育の多様化」が主張されるのか。この矛盾を平然として躊躇わない詐欺師的な「フリースクールによる教育の多様化」論に対して、正常な疑問視と警戒をしてこそ、自由日本の国家を維持せんとする日本国民のもつべき当然の理性であり健全な知性である。

 「多様化」は、“現状の打破”とか“現状の破壊”という意味であって、それ以外では用いられてはいない。このことは、「フリースクールによる教育の多様化」主義者が、北朝鮮などの全体主義国家とその唯一の独裁者を崇拝する完全画一的な暗黒教育を理想だと考える、「教育の多様化」を絶対否定する人々である事実においても、充分に窺い知ることができよう。

 まさに度がすぎる矛盾である、「多様化」否定主義者の「多様化」主張こそ、日本のフリースクール運動の正体を暴いている。「フリースクールによる教育の多様化」論とは、教育破壊に向かって暴走を開始する烽火であり、自由社会・日本の教育制度に対する殺意的な憎悪と破壊主義の犯意とを隠蔽するための擬装表現なのは明々白々。

 日本における、現状の「教育の多様化」を超える、更なる過剰な「多様化」は、日本の教育の基盤を全面的破壊に至らしめる。とすれば、これまでのフリースクール放任主義を、自民党政権は大転換すべき時にある。具体的には、フリースクール」が“共産革命のコミューン”となっていることを、国民広くに知らしめて、弾圧や禁止はしないまでも、“フリースクール監視”もしくは“フリースクール隔離”に一般日本人を啓蒙する必要がある。

 少なくとも「多様な教育機会確保法案」を国会に上程させないよう、良識ある日本国民は、数十万ではなく数百万人の声を、早急に、かつ、この六月中に、稲田朋美政調会長にぶつけようではないか。

 

1、『朝日新聞』2015年2月13日付け。

2、『フリースクールとは何か』、教育史料出版会、四二頁。

3、ニイル『恐るべき学校』、黎明書房、三一頁、四五頁、一二九頁。

4、ニイル『人間育成の基礎』、誠信書房、三一六頁。

5、ニイル『ニイルのおバカさん』、黎明書房、四二六頁、ほか。

6、上掲『恐るべき学校』、五七頁。

7、イリイチ『脱学校の社会』、東京創元社、九三頁、二八頁。

8、『朝日新聞』2015年5月20日付け。

9、奥地圭子不登校という生き方 教育の多様化子どもの権利』、NHKブックス、二一八~三八頁。

 

附記

フリースクール」について正しくそれを分析した書籍は、日本では、中川八洋著『教育を救う保守の哲学―教育思想(イデオロギー)の禍毒から日本を守れ徳間書店のたった一冊しかない。政調会長稲田朋美がもし真に日本を愛する愛国心があるなら、この書を自民党国会議員全員に配布するだろう。

 

中川八洋掲示板は、amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。