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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

ネパール国の大地震は、王制廃止への神仏の怒りでは?

──日本政府の復興支援は王制復活を条件とせよ

 

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 

 ネパールに大地震が発生したのは、2015年4月25日。だから、すでに一ヶ月以上が経った。5月24日現在の「一ヶ月間」の死者数は、ネパール国内で八六五〇名、周辺国は一三四名。全壊家屋は四九万戸。国連は5月31日時点で校舎倒壊・破損による学校に行けない子供は87万人になるという。以上の数字は、注1。

 この報道を読んで脳裏にふと浮んだ事柄を、以下少しばかり書きとめて置きたい。

 人口2600万人のネパールが、毛沢東主義共産主義者たちの跳梁跋扈によって、王制を廃止したのは2008年5月28日。つまり、今から、ちょうど七年前。このとき、ギャネンドラ国王が退位し、「ネパール王国」が終焉し、「ネパール連邦民主共和国」という新しい共和国の国名に変わった。そして、二週間後の6月11日、国王が宮殿を追われていくことを知った私は、ネパールは、そう遠からず連続した大不幸に見舞われるだろうと確信した。今般の大地震は、王制を廃止したネパール国民に降りかかる、これら連続する「天罰」の第一号にすぎないものだろう。

 こう考えてこそ、歴史に学ぶ賢い智慧の態度というもの。エチオピアの王制廃止しかり、アフガニスタンの王制廃止しかり、王制廃止は国民が地獄へと転落し苦難に伸吟する始まりとなる。

 この政治学的公理は、古くは十八世紀のジャコバン党のフランス革命や二十世紀初頭のレーニンのロシア革命に見るごとく、王制廃止国家の常として血塗られた政治に国民が阿鼻叫喚した歴史において十分に証明されている。この公理に例外が無いとすれば、王制廃止がもたらす国民の大不幸という政治の大鉄則には、ニュートン力学的な真理に近いものがある。

 

一九七三年に国王を追放し、一九七九年、ソ連の属国となったアフガニスタン

 対ソ戦十年とその後の内戦いまだ終息しない三十年を越える国土荒廃が続くアフガニスタンこそ、ネパールが王制廃止の害毒を学ぶ“他山の石”であろう。だが、ネパール国民は、地理的には近いアフガニスタンの「一九七三年~現在」の歴史を学ばず、アフガニスタンの愚行を繰り返している。実に、愚かなことだ。

 アフガニスタンは、名君ザーヒル・シャー国王がイタリアに病気療養中の一九七三年、ソ連におだてられた親ソの社会主義者のダーウードが、国王を追放して共和制を宣言した。だが、フランス革命以来、左翼革命の常として、いかなる革命政権も左翼へ左翼へと左バネが無限に働く。現に、この五年後の一九七八年五月、アフガニスタン共産党(「人民民主党」)が軍事クーデターを起こした。この狂信的な共産主義者がタラキーである。

 フランス革命で言えば、ダーウードがジロンド党、タラキーがジャコバン党である。ジャコバン党は、ルイ十六世国王を処刑した直後(1793年1月)、「用済み」とばかりかつての同志ジロンド党を殺しまくったが、これと同じで、タラキーはダーウード大統領一族を全員処刑した。

 だが、タラキーは、腹心のアミーンに殺害された。一九七九年九月であった。アミーン共産主義者だが“ソ連のイエス・マン”ではなかったので、ブレジネフソ連共産党書記長は、ソ連の言いなりになる別の共産主義カールマルを擁立すべく、大統領宮殿にアフガン兵の軍服を着たソ連の特殊部隊を投入してアミーンを殺害した(12月)

 カールマルは何でもソ連の言いなりで、自国へのソ連軍の侵略を容認して、これによってソ連は正規軍のソ連軍十万人をアフガニスタンに侵攻させた。国王追放・王制廃止から僅か六年でアフガニスタンは、国家の独立と自由と平和を喪失したのである。

 アフガンの義勇兵(ムジャヒディーン)とこれを軍事支援するレーガン米国大統領とによって、十年の歳月がかかったが、一九八九年、ソ連は東欧解放の直前にアフガニスタンから撤兵した。

 だが、ソ連から主権をせっかく取り戻した一九八九年のアフガンは、王制しか自由な国政が望めないアフガンの政治原理と国情を無視し、共和制を選択した。これが、権力闘争の巷となり、ついには狂気の権力集団タリバーンを生んだ原因である。のち大統領になる反共・親米のカルザイですら、王制では対ソ戦争十年間で疲弊したアフガニスタンの復興は非効率だと考え、まさに千載一遇の好機であった一九八九年の王政復古の宣言を出すことを躊躇い反対した。王制の働きが理解できないカルザイは、二流の政治家以下でしなかった。が、それでも、アフガンではベストの政治家であるから、アフガン政治の絶望と不幸は必然の結果ともいえる。

 一九八九年にソ連軍が撤兵したけれども“国民殺しの狂人”共産主義者ナジブラの「アフガン共産党=人民民主党の権力構造はそのまま残存しているのだから(ナジブラ共産政権の完全崩壊は一九九二年)、この一掃に王制こそ確実な特効薬であった。前国王ザーヒル・シャーの仮宮殿をパキスタンのカラチに置くことなど何でもなかったはずだ。

 また、バジョットが指摘する通り、王制こそ国民の心を国家に糾合する不可思議な機能を持ち(注2)、それだけでなく戦争後の廃墟において蔓延するヒトラーナチスのようなカルト宗教団体のヒドラ的台頭を抑制する機能で王制を越えるものはない。

 ドイツ皇帝ウィルヘルム二世がオランダに亡命して帝政ドイツが崩壊したことは、ドイツの第一次世界大戦の敗北以上にドイツ人の心に巨大な空無の空洞を形成していた。これが、カルト「ドイツ千年王国教」の教祖として、ヒトラーがドイツ人のこの心の隙間に闖入するのに成功した最大の背後状況であろう。

 アフガンがもし賢明で一九八九年に王制復帰の宣言さえしておれば、十年間の対ソ戦争で全土が廃墟となった絶望しかない当時のアフガン国民にとって、それこそは空に輝く永遠の松明となって、国民の魂に安堵と未来への希望と激励を吹き込む不可思議な力を発揮していただろう。

 そうなれば、イスラム教のカルトであるタリバーンが1996年にカブールを占領するほどに勢力膨脹などしていなかったはず。また、“世界的なテロリスト”ビン=ラーデンが、タリバーンの庇護を受けてアフガニスタンでその力を強大化する事態は決して起きていない。

 カルザイがアフガンで実権を握ったのは、やっと2001年12月。前国王ザーヒル=シャーの国王復帰が可能だった1989年から十二年の歳月が経っていた。しかも、このカルザイの権力掌握は、アメリカがニューヨークの世界貿易センターを破壊した「9・11」でのビン=ラーデンへの報復として2001年10月に開戦した対タリバーン戦争によってであって、自力でそうなったわけではない。

 「王制は復興に非効率」であったか否か、十六年間の経験で今はわかっただろう。王制に戻さなかったことが、対ソ戦争の廃墟の上に、「対ナジブラ」と「対タリバーン」の二つの内戦廃墟が重なり、“廃墟の三層”となったのがアフガニスタン

 カルザイに助言しておこう。今からでも遅くはない、カルザイよ、アフガンの未来のため、王政復古に余命を捧げよ。これが、「王制は廃墟復興の足手まとい」と錯誤した一九八九年の自分の愚行・拙見に対する、せめてもの償いとなろう。

「エチオピアの人為的飢饉は、王制廃止の後に実行された」歴史を教訓とせよ

 一九七四年九月、ソ連共産党のブレジネフ書記長は、アフリカ担当のKGBとGRUの工作員に対し、総力をあげて“エチオピアの共産革命”を決起させよと命じた。これに呼応して、エチオピアの反・皇帝派と共産主義者たちが連合して一斉に蜂起した。そして、僅か二ヶ月後、叛乱クーデター勢力のうち、「ジロンド派」の穏健なアマン派が殺害され、「ジャコバン党派」の過激な共産主義者メンギスツ陸軍少佐が権力を掌握した。これが“ソ連の傀儡”共産国家エチオピアの誕生である。そして翌年の1975年、軟禁していた皇帝ハイレ・セラシェ1世を殺害した。

 スターリンの再来である“殺人鬼”メンギスツは1991年、ソ連邦崩壊と同時に、仲間とともにジンバブエに亡命し、今も存命で法的正義をせせら笑っている。2008年、エチオピア最高裁は死刑の判決を下したが、ジンバブエが身柄送還を拒んでいて、この死刑が執行できないからだ。

 メンギスツは“アフリカのレーニン”を自称し、エチオピア国民を少なくとも二百万以上を殺害した。第一に分類されるのは、自分の絶対権力を脅かすと目されたものや共産体制に批判的なもの「五十万人以上」の殺害。次が、紅海側の「チグレ州」と「ウォロ州」をエリトリア州とのバッファーゾーンとして無人地帯にすべく、この地の農民を餓死でことごとく殺害する計画を立て実行した。このことにより「百五十万人以上の農民」が、赤ン坊や子供を含め餓死処刑された。

 後者が、1983~5年にかけてのエチオピア人為飢饉による大量餓死処刑事件である。これを日本のNHK朝日新聞は、ソ連に命令された通り、「旱魃だ」「自然的な天災飢饉だ」との大規模な嘘キャンペーンを展開した。今でも、エチオピアの「百五十万人以上の農民殺し」を“旱魃飢饉の天災”だったと信じている愚かで馬鹿な日本人がほとんどである。

 国家権力で実行された“飢餓による大量殺戮ホロコースト、ジェノサイド)政策”である、独裁者メンギスツの「世紀の犯罪」“餓死処刑”は、二つの方法で実行された。

 

A 政敵の反政府ゲリラの拠点である「チグレ州」「ウォロ州」などの農村でこれら反政府ゲリラたちが潜めないよう飢餓地帯にすべく、老人と子どもを残し、働ける農夫とその妻たちの多くを、エチオピア南西部の荒地に強制移住させた。ために、これら働き手を失った農村で農業ができず飢饉が発生した。

 悪魔のメンギスツ共産政権は、海外からの善意の大規模な量の援助食糧を、意図的にこれらの飢饉地帯にほとんど運ばなかった。そのほとんどは、ソ連への武器代金の代わりとなってソ連に売却された。また、海外からの援助食糧に対してメンギスツは一トンに当たり一・五㌦を徴収し、外貨獲得の手段にした。年間二百万㌦をゆうに越える額となったようだ(注3)。

B 「チグレ州」「ウォロ州」などで、南西部へ駆り立てた残りの農民に対して、ソ連がすでに失敗して失敗確実が証明済みの集団農場コルホーズ化を試み、必然的に生じる食糧生産と食糧流通の崩壊を発生させた。これは、四千万人以上が餓死した中共毛沢東が「大躍進」と称した)人民公社化の狂気の繰り返しでもあった(注4)。しかも、これらの州では「集団農場」に登録されていた少数の飢餓難民に限り、海外支援食糧を支給したが、そうでない多数には支給せず餓死処刑を執行した(注5)。

 さらに、ウォレガ(ワレガ)州などの南西部の荒地での集団農場づくりの実態は「農機具はない/肥料はない/灌漑設備はない」から、ここでも飢餓・餓死が大量に発生した。この飢餓を救う方法は簡単。これら強制連行された百五十万人農民を「チグレ州」「ウォロ州」に帰還させれば、すぐさま完全解決する話であった。

 

 レーニン/スターリンウクライナ農民殺し(八百万人)を真似た(注6)、メンギスツ共産政権の農民殺しは、エチオピア国民が一九七四年の王制廃止クーデターを阻止していたら、万が一にも発生していない。王制はその本性において国民を柔らく包む羽根布団であり、ベストな政治制度である。国民の自由と平和にとって、王制を越える政治制度を人類はいまだ知らない。

 なお、エチオピアでの農民大量殺戮を実行していた“スターリンの再来”メンギスツを応援した、日本のコミュニスト四人組を忘れてはならない。黒柳徹子日本共産党の熱烈党員)安倍晋太郎三宅和助アグネス・チャン中国共産党員)であり、この四名が“日本の<メンギスツの犬>四人組” である。

 「毛布百万枚以上を飢餓農民に配布しよう」と詐称して善意の日本国民を騙し、その実、殺人鬼メンギスツが直轄する共産陸軍にこれらを軍用毛布として(「武器輸出」ではないが「兵器輸出」に当たる)無償供与した犯罪の旗振りの筆頭は、“一人共産党の党首”安倍晋太郎と“共産党員”黒柳徹子であった。最終的に、殺人鬼メンギスツに貢がれた日本人善意の毛布は、「一七一万枚」となった。

 なお、日本では、安倍晋太郎毎日新聞社の記者時代から教条的コミュニストである事実が、情報操作されていてほとんど知られていない。

 参考までに、1983~5年エチオピア餓死処刑犯罪について、入門書二冊を挙げておく(注7)。安倍晋太郎を操っていた人物は、ロシア工作員として著名な国会議員石田博英KGBコードネームは「フーバー」)の娘婿でコミュニストの三宅和助(当時、外務省中近東アフリカ局長、注8)。なお、石田博英も三宅和助も、血統は北朝鮮人。北朝鮮人やコミュニストをすぐ側近にする安倍晋三の癖は、父親・安倍晋太郎のDNA。

ネパール国民よ、アフガンとエチオピアの愚行に学び、王制復活に命を賭けよ

 話をネパールに戻すとしよう。約一万人に近い死者を出したネパール国民は、地震からの物理的復興にのみ頭を使うならば、それはアフガニスタンの二の舞になる。大不幸は必ず連続して襲い掛かる。第一の大不幸から本当に脱出し、次なる第二の大不幸を回避したいならば、幸福だったor不幸でなかった時代の原点に立ち戻るべきだ。

 それはアフガニスタンの「1973年~現在」の歴史を振り返れば歴然としていよう。共産主義者が国内政治をかき回して幸福になった国などなく、この政治公理はアフガンやエチオピアだけでなく、スペインやカンボジアなど数多くの事例で証明されている。スペインやカンボジアが王制復活によって国家に平和と自由と安定・安心を取り戻したが、ネパールもまた、毛沢東共産主義者を国内から一掃すること無しに、それを回復する事はできない。真正の復興とは、物理的・経済的復興ではなく、自国の伝統と慣習を復興することであり、また人類の政治叡智を復興することである。

 日本政府も、このことを拳拳服膺して、これから本格的な経済支援をする時、それを王制復活の条件つきにして、ネパール国民の蒙を啓いてあげることこそ、日本の責任である。それはまた、習近平中国共産党のアジア侵略の毒牙からネパールを守る確実な防衛策でもある。

 

1、『朝日新聞』2015年五月25日付け。

2、バジョット『英国憲政論』世界の名著72、中央公論社

3、『朝日新聞』1985年7月25日付け。

4、ベッカー『餓鬼ハングリー・ゴースト』中央公論新社、ディケーター『毛沢東の大飢饉草思社、などを参照のこと。

5、伊藤正孝編著『アフリカ難民──悲しみの大地から』、ほるぷ出版、五六頁下段に、「やっとウォロ州の救援センターにたどり着いても、チグレ州の農民は食料はもらえない。配給は“農民組合”の名簿をもとにしている」との記述がある。この「農民組合の名簿」が、コルホーズ型の集団農業のメンバーか否かによる、救済するか餓死させるかの差別の基準の一つだった。

6、ロバート・コンクエスト『悲しみの収穫──ウクライナ飢饉』、恵雅堂、ほか。

7、飢餓によるエチオピア農民大量処刑に関する入門書。Edward Kissi,REVOLUTION and GENOCIDE in ETHIOPIA and CAMBODIA,Lexington Books.ETHIOPIA:the POLITICS of FAMINE,Freedom House.

8、一九八〇年代以降の「外務省コミュニスト四人組」と言えば、“田中均孫崎享、中江要介、三宅和助”を指す。三宅和助の『外交に勝利はない』(扶桑社)では、エチオピア飢饉への安部晋太郎への洗脳工作の成功が自慢げに回想されている(二〇四~二一頁)。扶桑社の編集担当社員には、KGB工作員北朝鮮工作員が多数活躍している。

 

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