中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

戦後日本の民族系論客は、『朝日新聞』を実母とする“知的障害の次男坊”

 民族系論客は、『朝日新聞』の子供たちである。具体的に名前を挙げれば、西尾幹二小堀桂一郎小田村四郎櫻井よしこ高橋史朗江藤淳渡部昇一らは“朝日チルドレン”と呼ばれるべき存在。なぜなら、歴史学的・思想史的に、民族系論客は、『朝日新聞』と血のつながった絆の強い母とその次男坊という母子関係にある。

 たまに民族系論客は、「従軍慰安婦」問題などで現在の朝日新聞と喧嘩するが、これは母子喧嘩。しかも、一般の人々が、このような偶に起こす他人行儀の母子喧嘩をもって、何か思想的な対立関係にあると錯覚するのは、これら一般の人々が戦前の日本歴史を忘れ知的な教養が低いための判断力欠如が原因である。この母子関係は、西尾幹二が、敗戦から七十年を経た今もなお、戦時下日本での朝日新聞“鬼畜米英”大キャンペーンをそのままそっくり拡声器の大音声で繰り返すだけの“「鬼畜米英」史観”『GHQ焚書図書開封』を十巻も出版して悦に耽っている事実一つで、異論はあるまい。

 民族系論客の父親は誰かといえば、いうまでもないがスターリンである。簡単に言えば、スターリンにレイプされた母親『朝日新聞』が産んだ“スターリンの私生児”が、西尾幹二らの民族系論客である。この母親には、スターリンに認知してもらった長男がいるが、それが日本共産党(=正式名称は「コミンテルン日本支部」)である。つまり、西尾幹二たちは、日本共産党とは同父同母の立派な兄弟である。

 ただ、学歴もちゃんとし(狂った有害思想であっても、形の上では)学問的に発言をする長男の兄貴の方は、母親と一緒に一心同体の同志的に今もスターリン時代のまま、仲良く暮らしている。が、次男坊の民族系論客は、学歴が低い上にほとんど「知的障害児」並みの知力欠如の問題児ばかりで、ために、母親に嫌われ家を追い出された。しかし次男坊らしく、徒党を組んで売文の放浪生活で威勢がよい。民族系論客が時たま母親の『朝日新聞』と喧嘩するが、勘当された恨みの鬱憤晴らしを兼ねた親子喧嘩である。

1970年代末から急成長した民族系論客は、“カルト反日宗教”を洗脳宣伝する売文・売名が目的の「宣教師」業者というべきか

 民族系論客は、おしなべて、歴史学ジャンルに寄与する学術的な論文を一つとして書いたことがないし、書く能力がまったくない。これに関して、例外が無い。彼らは“カルト宗教の宣教師”に分類される大衆煽動家だから、そもそも学問的であろうとしない。

 彼らには大学教授の肩書きをもつものも多い。が、その売文は、一読してわかるように水準が低い上に、驚愕するデタラメのひどさが特徴。つまり、民族系論客とは、学者性は片鱗もなく、大学教授であっても学者とはほど遠い“非学者”たち。つまり民族系論客とは、学問的な裏付けなどいっさいせずに、知ったかぶりに書き殴るのを常習とし、これをもって商売する大道芸人以下の卑しい売文業者である。

 民族系論客はここ数年以内に、かつての恐竜の絶滅に似た形で、忽然と消え去る。だから、絶滅危惧種となった民族系論客について、なぜ1980年から三十年間以上もそれ相当に人気を獲得して隆盛したかの理由は、滅ぶ前に急いで客観的に分析し明らかにしておかねばならない。民族系論客たちが三十年間に及んで日本国を蝕んだ事実は、これからの確実な日本滅亡の主因である、日本の大学が“ソ連人”共産党系に完全支配された深刻な問題を考える上で、欠くことができないからだ。

 ただ、この稿はあくまでも、“民族系論客の最後のボス恐竜”西尾幹二の解剖である。正面切っての“民族系論客三十年間隆盛の理由”を考察する紙幅はない。そこで、結論を先に述べる。民族系論客がその売文業に成功した理由の一つは、彼らが三つのカルト宗教を考案して、それらを緩やかな擬制カルト教団のやり方で教宣する宣教方法を採ったことにある。

 では、民族系論客たちが、計画的ではなく偶然と試行錯誤によってつくりあげた、この三つの“緩やかなカルト宗教”とは何か。表1に掲げるが、大東亜戦争肯定教、東京裁判呪詛教、反GHQ(「戦後<反米>教」)である。信者が不特定で信者団体もなく、強制寄付もなく、仏陀像など礼拝対象の神仏がないが、教祖による経典や経文のみが充実しているカルト宗教。この三つのカルト宗教は、相互に連携的で共同関係にある。

 

表1;戦後民族系論客が教宣する三つの“反日カルト宗教”

カルト宗教と教典

教祖

主な宣教師たち

淵源の極左思想

大東亜戦争肯定教

大東亜戦争肯定論』、1965年。雑誌連載は、1963年に開始。

林房雄

小堀桂一郎西尾幹二椛島有三らの日本会議渡部昇一

(備考)林房雄金日成主席(朝鮮総連)からの依頼で書いた事を知らない民族系の無知は犯罪的。

スターリン亜細亜共産化の教義/日本国廃滅の亡国主義(ポスト・モダン思想、プレ・ポストモダン

東京裁判呪詛教

A級戦犯靖国合祀」ヒステリー教、1978年

小堀桂一郎松平永芳

靖国神社椛島有三らの日本会議西尾幹二渡部昇一

大東亜戦争肯定教から派生。昭和天皇暗殺が教義の「皇国史観スターリン崇拝教」。

反GHQ教

閉された言語空間』、雑誌『諸君』で1982~6年連載。

一九四六年憲法―その拘束』、同雑誌で1980年連載。『忘れたことと忘れさせられたこと』、同雑誌で1979年連載。

江藤淳

 

櫻井よしこ椛島有三らの日本会議勝岡寛次高橋史朗西尾幹二石原慎太郎

(備考1)石原慎太郎『<NO>といえる日本』三冊。1989~91年。

(備考2)江藤淳は、共産党を1960年離党したが、離党そのことを生涯悔やんだ。江藤は死ぬまで“ソ連”が「祖国」だった。ために、共産党員である方が矛盾なく心の静謐を撹乱から守ることができたのに、と後悔したのである。

マルクス・レーニン主義コミュニズム

(備考)戦時下日本は、自国民に“鬼畜米英”を徹底的に洗脳した。民族系は、これを小学生の時に吸飲し、呪文“鬼畜米英”が頭から抜けなくなった、洗脳され易いタイプか。1945年時点、江藤淳は13歳、西尾幹二10歳、小堀桂一郎10歳。

 

 しかも、表1の右欄にあるように、これらのカルト宗教はすべて、マルクス・レーニン主義スターリン崇拝を母胎とした極左イデオロギーを変形させた“畸形の極左思想”をこね回して創られている。これは、民族系論客の本性が、共産主義やそれに類する極左思想を根に持つ“畸形の極左人士”だからである。彼らに、保守主義は微塵もなく、皆無。民族系論客の出生が“朝日新聞チルドレン”である事実は、民族系の三つの“反日カルト宗教”の隠された本性の事実と、見事に整合している。

昭和天皇への叛逆の煽動である、民族系論客の三“反日カルト宗教”の宣伝

 大東亜戦争肯定教東京裁判呪詛教GHQは、どれも、“反日の極みの極左思想”から発生し発展したと言う事実は、必然的にある重大な問題を秘める。大東亜戦争肯定教東京裁判呪詛教GHQすべてが、“保守主義の聖帝”昭和天皇への憎悪剥き出しの“昭和天皇への叛逆”を企てたものだという問題である。

 昭和天皇が、ポツダム宣言の受諾と大東亜戦争の全否定を“ご聖断”され、さらに東京裁判の判決を受諾された“第二のご聖断”もなされた事は、教養が極度に低い民族系論客と言えども知っている。昭和天皇が、マッカーサー元帥とGHQの対日占領行政を厚くご信任されておられた事も知っている。つまり、表2を民族系論客は知っている。

 

表2;昭和天皇の、二つの“ご聖断”と一つの“ご信任”

 

備考

【ご聖断】

ポツダム宣言の受諾と大東亜戦争の全否定

「本土決戦」「一億玉砕」に絶対ご反対。元来、対中戦争&対米英戦争にも“絶対反対”だと意思表示されたのに、ソ連工作員近衛文麿首相が無視し、両戦争を強行した。

【ご聖断】

東京裁判の判決の受諾

A級戦犯のほとんどを、祖国日本への叛逆者だと、正しく罪人視されていた。

【ご信任】

マッカーサー元帥とGHQの対日占領行政

日本中が共産主義者に牛耳られている以上、日本国を守るのは“反共の自由の騎士団”米軍の駐留しかないと、米国占領軍に全幅の厚い信頼をお寄せになられていた。

 

 だが、共産主義ニーチェヒトラー主義などの極左思想を母胎として育った者がほとんどを占める異様な民族系論客たちは、徒党を組んで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかり、昭和天皇への叛旗を平然と翻す。すなわち、みんな一緒に談合的に“昭和天皇への謀叛”をするのが、民族系論客たちの言論教宣の真意である。

 一言で言えば、民族系論客とは、共産主義に被れた二・二六事件の“ソ連系の赤い将校たち”と酷似する“畸形の共産主義者”たちである。だから、表2にある、昭和天皇の二つの“ご聖断”と一つの“ご信任”に対して、これを全面的に否定して、昭和天皇を愚弄しようとする。表1がことごとく、表2とは百八十度逆のイデオロギーとなっている事実は、民族系論客が昭和天皇への叛乱軍であることの動かぬ証拠である。

 民族系論客たちが論壇雑誌『正論』『WiLL』で書きまくっているデタラメ歴史が、昭和天皇を愚弄し「昭和天皇に叛旗を翻せ!」と煽動する“反・昭和天皇キャンペーン”になっている怖ろしい事実のメカニズムは、これで氷解しよう。民族系論客たちの言論が、天皇制廃止の「コミンテルン三二年テーゼ」に忠実に昭和天皇への戦争責任を直截に追及する日本共産党と五十歩百歩で、さほどの相違が無い理由が、本稿の読者諸兄だけには、明々白々に判然となったことだろう。

 補足。林房雄共産党を離党したが)共産主義者であり続け、天皇制廃止論者なのは、『大東亜戦争肯定論』にそう自白している以上、明白至極。江藤淳西尾幹二の本心が、天皇制度廃止論なのも明らかに過ぎる。西尾幹二は、現に、しばしばそう発言している。

 小堀桂一郎は、「地球上すべての王制を打倒せよ/王様を殺せ」を人類史上初めて理論化したルソー『人間不平等起源論』の熱烈な信奉者(注1)。昭和天皇を尊敬しているかに見せる『昭和天皇論』などの著作はあるが、“昭和天皇の暗殺教団”であった「皇国史観」を継承する小堀桂一郎の底意では、天皇制度への殺意的な憎悪が燃えているだろうことに疑う余地はない。西尾幹二と同じく精神異常者である小堀桂一郎は、自らの本心が天皇制廃止であるのを意識できないのかも知れない。

 最後に、“人間のクズ集団”のような民族系論客の群れは、彼らの人格が腐敗的な低劣性を特徴とするように、反共・反ソで“高徳の聖帝”昭和天皇とは、何から何まで真逆であることを、もう一度、強調しておこう。

GHQの百倍千倍もの苛烈だった検閲機関「内閣情報部」「情報局」を黙過して、GHQのみ罵倒する“半・共産主義者”江藤淳の、牽強付会ダブル・スタンダード

 本稿では、表1の民族系の三“反日カルト宗教”のうち、三番目の「反GHQ教」だけを扱う。民族系「反GHQ教」教祖は江藤淳。その経典が江藤淳の『忘れたことと忘れさせられたこと』(1979年)『一九四六年憲法 ── その拘束』(1980年)『閉された言語空間』(1989年)の三冊。なお、この三冊が不可分で一連のものだと、江藤淳自らも語っている(注2)。

 歴史事実のスーパー視野狭窄とスーパー無知で書かれたこの三冊が民族系の「反GHQ教」の経典となった事実は、次の重要な二つの特徴への留意を喚起する。カルト宗教「反GHQ教」は、①戦争時に小学校生だった大東亜戦争を冷静に省察などできない子供(特に知見も視野も成長できない未熟児性をもつ者が)創ったこと、②1945年の敗戦から四十年近く経ち、大東亜戦争の体験者が死没もしくは引退しデタラメ歴史が見破られない時代に入ってから創られたこと。「四十年の歳月」とは、1868年の明治維新から1904年の日露戦争の開戦までと同じ年数である。日露戦争時に、幕末の維新動乱時代を正確に記憶していた日本人がいかほどいたかを反芻してみるといい。

 さて、江藤淳が一九八〇年に『一九四六年憲法』を出版した翌年早々、福田恒存は『一九四六年憲法』に対してではないが、『一九四六年憲法』関連シンポジウムでの江藤淳の基調講演(注3)を、次のように批判した。

 福田恒存の批評は、『一九四六年憲法』等に対する私の江藤淳批判と瓜二つで、林健太郎が評価するだけあって、このとき、福田恒存とは実に常識豊かな正常な感覚の評論家だと思った。憲法学に無知・無学であるのにそれを恥じず創り話を大仰しく語る歌舞伎役者の演舞のような江藤淳の評論の、その害毒性と極左性とを強く確信した。

「『憲法第九条第二項後段<交戦権の不承認>は、)日本にいつまでも附いて廻る手枷足枷で日本を拘束している』ことを知るために、わざわざウッドロー・ウィルソン・センターにまで出かけ、調べ直して見なければならぬことでない。江藤氏は何をしにアメリカにまで出掛けたのか」

 

「『GHQ(一九四八年までの)敗戦後三年間、広範囲に亙る事前検閲をやっていたのです』と、氏は言つてゐるが、そんなことは誰でも知つてゐる。」

 

「事前検閲が書簡、私信、電報、電話にまで及んでゐたと氏は言ふが、それは特殊な人のことであらう。電話の盗聴といふのは、その当時としては至難の技であつた」

 

憲法と文学とは何の関係もない」

 

「江藤氏ほどの才人が、国語表現力の衰退を憲法のせゐにするのは、どう考えてもをかしい。言ふまでもなく、これは憲法が悪文のせゐではない。事前検閲のせゐでもない」(注4)。

 江藤淳の『忘れたことと忘れさせられたこと』『一九四六年憲法 ── その拘束』『閉された言語空間』を通読すると、“何とも奇々怪々な牽強付会と短絡の連鎖を駆使した悪質な詭弁であることか”と嘆息せざるを得ない。と同時に、この三冊をもってなす煽動一辺倒の江藤淳GHQ検閲論”の狙いが、日本人の思考から重大な事柄を忘却・脱落させることにあるのが、大蛇がひょいと首をもたげるように現れてくる。

 過去の日本の権力が日本国民に犯した重大犯罪を、日本人が記憶から忘却し思考から脱落させる麻薬として、江藤淳は『忘れたことと忘れさせられたこと』『一九四六年憲法 ── その拘束』『閉された言語空間』を書いたのである。すなわち、“江藤淳製の忘却麻薬”三冊は、1937年からの戦時下日本だけでなく、五・一五事件の1932年以降から苛烈さを加速した日本政府・軍部の「検閲」を、日本人から忘却させる政治的意図からのもので、米国での研究成果を単に発表したものではない。

 日本政府・軍部がなした「検閲」の酷さは、明治海軍の将校あがり作家水野広徳の対米戦争反対論河合栄治郎の「マルクス主義批判/ナチズム批判/二・二六陸軍クーデター批判」などが発禁処分された、江藤淳も知っているイロハ的な歴史事実で明らかなこと。

1、江藤淳は、水野広徳や河合栄治郎の言論抹殺で露わになった、ナチズムスターリニズム全体主義“赤い国家”日本の「検閲」には、なぜ、口を閉ざすのか

 1932年頃からの日本は、実態的に「赤い陸軍の占領下」となった。戦争煽動に違背する“戦争反対”の出版物はいっさい出版できず、また「全体主義礼讃・自由主義糾弾」以外の出版は不可能だった。このような戦時下日本に比すれば、GHQの「検閲」など他愛もないレベルとしか形容できない。

 (赤い文部省と組んで「皇国史観」との嘘ラベルで、小学生まで赤色洗脳をした)赤い帝国陸軍の軍政下にあった日本の“表現の自由”と、反共の米国軍隊GHQの軍政下の“表現の自由”とのいずれがましだったかは、占領時代に大人だった日本人は体験で知っている。GHQの進駐が、敗戦以前の日本で十年以上も喪失していた“自由の(完全ではないが大幅な)回復”だった歴史事実は、占領下の七千万日本人すべてが体験した。

 しかし江藤淳とは、このような、戦前日本での「検閲」や検閲以上に酷かった「戦争遂行煽動の道具としての新聞発行/雑誌・単行本出版の強権的指導」が絶対であった暗黒の歴史を、さもなかったかのごとき、つまり「検閲は、日本史上GHQが始めて行った」との歴史改竄・嘘歴史創作をしているのである。戦時下日本に関する歴史改竄を宗教呪文型オブラートに包んだのが、“反日カルト宗教の江藤淳作の三経典”である。

 例えば、一九三二年十月刊の水野広徳の『打開か破滅か 興亡の此一戦』が発売と同時に発売禁止処分となった事実や、河合栄治郎の四冊の著作が発禁処分された事実や、さらに河合栄治郎がこれらの出版で刑事裁判の被告人となった事実など、江藤淳とて充分に知っている。だが、江藤淳はこれには言及しない。GHQの検閲のみを糾弾するよう日本人を洗脳し、共産党の反米闘争に参加・協力させるのが、江藤淳が吹くハーメルン魔笛の目的である。

 つまり江藤淳は、「背後がスターリン共産主義者達がなした日本の検閲は許せるが、“反共”米国が検閲したことは許せない」の奇矯なダブル・スタンダードで、『閉された言語空間』等を書いた。『閉された言語空間』等の立ち位置は、「逆コース!」とGHQを罵る日本共産党と寸分の差異がない、まったくの同一。

 『閉された言語空間』など三冊の経典を書いたときの江藤淳は、共産主義者に戻っていた。離党後の江藤淳が、共産党員で北朝鮮人の大江健三郎との緊密な人間関係を維持し続けたり、自分の後継者に北朝鮮人の福田和也を選んだのも、「共産主義者に戻りたい」との心情からだった。江藤淳は自殺する最期まで、離党・転向を悔恨し共産党員時代を懐かしんだ。このイデオロギー上の懊悩と葛藤から解放されるには、自殺しかなかったのである(注5)。江藤淳が、1960年まで党籍のある共産党員であった事実を出版界が徹底的に隠してきたのは、江藤淳が半分しか転向しなかった“半・共産主義”だったことを熟知していたからである。

 蛇足かも知れないが、河合栄治郎の発禁処分等について、簡略な説明をしておく。

 発禁処分の対象となった河合の本は、内務省警保局により『ファシズム批判』『時局と自由主義』『改訂社会政策原理』『第二学生生活』の四冊で、1938年10月だった。翌1939年2月、今度は検事局から出版法第17条「安寧秩序を紊るもの」に相当するとして刑事法廷に起訴された。起訴状の中で「<国家主義全体主義>批判」が罪状の一つとなっているから、河合栄治郎の「五・一五事件批判/二・二六事件批判」や著作『国家主義の批判』が、彼の「自由主義」擁護論とともに罪となったのである。

 「江藤淳よ、こんなべら棒な<言論弾圧/学問の自由>弾圧をGHQがしたことがあるか。したと主張するなら一件でも例示せよ」。これは、機会があれば江藤淳に詰問しようと予定していたもの。江藤淳が、鳩山由紀夫の件で私に電話してきた一九九六年の某日が、この予定質問をぶつける好機だった。江藤の自殺は、三年後の一九九九年。「そのうちに」と後回ししたことが、「反GHQ教」というカルト宗教の教祖・江藤淳への宣戦布告を逸してしまった。“生涯ソ連人だった江藤淳”を糾弾する事は、祖国日本を守る真正な日本国民の義務。この義務を果せなかったことに、今も遣る方ない自責の念に駆られる。

 話を戻す。江藤淳の経典三冊の中には、河合栄治郎弾圧に相当/近似するケースが一件も挙げられてない。つまり、「江藤淳の経典三冊こそ、GHQの検閲が戦時下日本のそれに比すれば、百分の一/千分の一の超マイルドだった証左」となっている。

2、ロシアKGB中国共産党の対日非公然工作あるいは日本共産党天皇制廃止プロパガンダ報道指針など、これらの日本共産化の情報操作や革命運動を、「GHQの検閲のせい」と米国に転嫁して隠蔽してあげ、日本共産革命の真犯人隠避に生きた“純ソ連人”江藤淳

 江藤淳とは一貫して、「僕が東大を落ちたのは郵便ポストが赤いからだ」と、東大にも入れない自分の頭の悪さを棚に上げて郵便ポストのせいにする、そのような共産主義者特有の“憎悪対象を勝手に創っては攻撃する”ことに生きたコミュニスト革命家を本性とする男。だから、「貧しい大衆・労働者が多数いるのは、富裕なブルジョアジーが搾取したからだ」の、革命という政治的意図からデッチアゲた憎悪対象者を冤罪的に大罪悪人に仕立て上げるマルクス流の赤色論理から、一生涯、卒業する事はなかった。

 このことは、馬鹿馬鹿しくて笑い転げるしかない、次の一文が明瞭に証明する。

「CI&EGHQ民間情報教育局の<ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム>の効果は、占領が終了して(1952年)一世代以上を経過した近年(1982~6年)になってから、次第に顕著なものとなりつつある…」

 

「1982年夏の鈴木善幸内閣の中・韓両国に対する屈辱的な土下座外交も、『おしん』も、『山河燃ゆ』も、本田勝一記者の南京虐殺に対する異常な熱中振りも、そのすべてが、1945年12月8日を期して各紙に連載を命じた、『太平洋戦争』と題するCI&E製の宣伝文書に端を発する空騒ぎだと言わざるを得ない」(注6)。

 江藤淳とは、常識であるべき基礎情報・知識すら決定的に欠く、極端な社会的未熟児でもあった。だから、本田勝一北朝鮮人で、中国共産党の対日偽情報工作員になることを自らの意思で選択したことすら知らない。

 朝日新聞の「南京虐殺」大嘘キャンペーンは、つとに知られているように、中国共産党毛沢東崇拝狂徒の本田勝一に目をつけ『中国の旅』(1972年)を書かせ、これを皮切りに“北京の下部機関”である朝日新聞コミュニストたちが一斉に日本人を洗脳すべく、無制限に紙面を使って「大報道」し続けたからである。朝日新聞1972年から始まった南京虐殺」大キャンペーンが、1948年には店じまいしたGHQ/CI&Eと全く無関係なのは、小学生一年生でもわかる自明すぎること。

 NHK大河ドラマ山河燃ゆ』の原作者は山崎豊子で、その作品は『二つの祖国』。山崎豊子と言えば、教条的な共産党員である。とりわけ、日本の共産革命に疾駆したコミュニストを英雄化することが山崎の作家活動の中核にある。『不毛地帯』『沈まぬ太陽』『運命の人』は、この種の三小説。

 『不毛地帯』の主人公は、1945年8月の満洲へのソ連軍の侵攻を手引きした瀬島龍三がモデル。『沈まぬ太陽』は、日本航空の経営をガタガタにした共産党系労組委員長の小倉寛太郎がモデル。後者は、『週刊新潮』での連載が終了したのが1999年4月だったから、江藤淳は読んでいる。少なくとも、前者の『不毛地帯』は、『閉された言語空間』よりずっと前の1978年に単行本になっていたから、江藤淳は、山崎豊子の正体を知ることができたはずだ。『不毛地帯』が出版された当時、「山崎豊子は、ソ連KGBから依頼されたらしい」とのまことしやかな噂が流れていた。

 また、首相の鈴木善幸自民党に所属していたが、ゴリゴリのマルクス主義者。誰でも知っている。鈴木善幸は、GHQ占領下の1947年、衆議院日本社会党から立候補し初当選した。だが江藤淳は、「鈴木善幸が1930年代にマルクス主義者になったのは、1945年以降のGHQのCI&Eのせいだ」と言う。正常とはほど遠い、このような江藤淳の異常言説を、もし“麻原彰晃と変わらない「反GHQのカルト新興宗教」”としないならば、何といえば良いのか。

 次の一節も、江藤淳が、狂気の境地に浮遊する「カルト反GHQ教」の“教祖”に変貌していることを示して余りあろう。

 1932年のソ連共産党製「コミンテルン三二年テーゼ」に従い、共産党が新聞社/通信社/放送各社に対して、「一般国民から皇室や天皇への尊崇の念を剥奪せよ」と命じた“言葉狩り(検閲)”指令書──日本新聞協会『皇室関係用語集』/NHK『皇室関係放送用語集』ほか──の重大犯罪を、江藤淳は、何と、GHQのCCD(民間検閲支隊)に責任転嫁して、新聞テレビ界が“天皇制度廃止による共産革命”絶対信条としている怖ろしい日本の現実を、日本人から隠蔽する情報操作を行った。顔にのみ民族系の白ペンキを薄く塗り、実際には共産党の随伴協力者だった江藤淳のような、悪質な情報操作をする検閲官は、GHQにはいなかった。

「今日の日本に“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然(伝統)の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に“自由”はありえない」

「CCDが消滅し、占領が終了した後になっても、日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、…現に日本国内において」(注6)。

 (以前からだが、江藤淳が議論の対象とする)1980年代の共産党が絶対独裁者として報道機関に命じた伝統的国語を破壊するための検閲は、1952年にはとっくに消えていたGHQのCCDとは全く無関係なのは自明。だが、江藤淳は過激に牽強付会し、「CCDの検閲は持続性の薬物効果をもつはず→だからCCDから共産党天皇制度廃止が生れた→共産党が主導する新聞テレビの皇室報道から伝統的皇室用語の抹殺は、実態的にはCCDの仕業」となる。自ら創造した「GHQのカルト新興宗教」に酩酊し恍惚状態の江藤淳には、いささかの正気も正常も存在しない。

 なお、これらの伝統的な皇室用語を全面破壊せよとの共産党製“言葉狩り”指令書の内容は、「践祚」「御名」「勅旨」「行幸」「出御」「御不例」「聖上」「今上」「親拝」その他、伝統的皇室用語を使用禁止とするもの。

3、米国と西欧諸国が一丸となってソ連を崩壊に追い詰めている1986年、『日米戦争は終わっていない』と嘯き、対ソ攻勢中の米国の足を引っ張れと日本人を唆す“ソ連人”江藤淳

 江藤淳が、後に文庫本となった『忘れたことと忘れさせられたこと』『一九四六年憲法 ── その拘束』『閉された言語空間』に収録されたかなりの数になる論考を、雑誌『諸君』や『文学界』に連載したのは、1979年の春からで、最期のは『諸君』1986年2月号(1985年の年末発売)。六年弱の歳月をかけている。

 これらの連載が終わるや、江藤淳は、たった二日間(1986年4月8~9日)の語り下ろしで、タイトル『日米戦争は終わっていない』というブックレット的な本を出版した。六年近い歳月をかけた、「民族系カルト宗教」の一つ“反GHQ教”の三経典を書き終えた直後だから、三経典の主張を手短に総括するものではないかと思い、たまたま文藝春秋社の村田耕二さんから贈られてきたので、パラパラと捲ったら、案の定そうだった。滑稽で笑止なパロディ漫画的というより、“悪の教祖”の面目が躍如していた。

「第二次大戦後の日本人は、個人としての自由を獲得したかのような幻想を、占領者から与えられ、これまでそう信じながら暮らしてきたけれども、実は個人としても、国民としても、国としても、人間並みの自由を得ているわけではない」

 

「アメリカのつくりあげたあの閉された言語空間の中で、意識と行動を決定された状態に甘んじつつ、そのことに気付かぬまま今日まで来てしまったからです。今日の日本人に一番欠けているもの、戦後の日本人から決定的に奪われいるものは自由です」

 

「自由でなかったといわれている戦前の日本人は、外交政策、国防政策を自主的に決定する自由を持ち治安維持法その他の法令によって処罰投獄されることを覚悟の上であれば、そのような政策を採用している国家(=日本、祖国に叛逆する自由をもまた有していた」(注7)。

 同志・大江健三郎たちと暴力革命で日本を“ソ連の植民地”にしようとした若き日の江藤淳は、五十歳をすぎてもこのように共産革命のため祖国への叛逆をススメるように、離党とは形式的で実態的にはその生涯は共産党員のままだった。江藤淳は、赤い服を脱ぎ捨て民族系の白い服に着替えたが、暴力革命を一般日本人にススメる煽動と洗脳は止めず一貫して続けていた。だから、戦前日本の歴史を、悪びれず、これほど非在の架空(虚偽歴史)に平然と改竄できるのである。

 戦前日本は、「満洲事変(1931年)満州国の建国(1932年)」を最後に、「満州国承認/国際連盟の脱退」から「対中戦争の開戦/三国同盟の締結/日ソ中立条約の締結/対米英戦争の開戦/対ソ終戦工作」に至るまで、自主的な外交など一つもしていない。この間の日本の外交権はすべて、背後のソ連スターリンに剥奪されていた。

 日本とは、1932年から1945年の間、スターリンを主権者とするソ連の完全な属国だった。日本が久々に外交権を自主的に行使したのは、1945年8月のポツダム宣言の受諾決定であった。ポ宣言受諾は、日本国の法令には叛いたが“日本が独自で決行した最後の外交満州国建国から、実に十三年ぶりであった。

 江藤淳の問題は、戦前日本に関する歴史捏造だけにとどまらない。実は、江藤淳は、ソ連の世界侵略を幇助すべく、日本が「反ソ」の米国との同盟関係を切断するよう、また米国の対ソ強硬策の足を引っ張って非協力に徹するよう、“ソ連人”として“反GHQのカルト宗教”の経典三冊を書いたのである。

 江藤淳の経典三冊が書かれた時期が、ソ連アフガニスタンを侵略した1979年から1986年の、米国がトルーマン大統領に始まる“対ソ封じ込めcontainment”を止めて欧州戦域核戦争を辞さずとの“対ソ巻き返しrolling-back”策に転換し、西欧諸国も米国と一丸となって対ソ攻勢を後押ししている時期、裏を返せばこの米欧共同の対ソ巻き返しを妨害できる時期、と完全一致するのは偶然ではないだろう。

 紙幅がなくなった。江藤淳の解剖は、ここでいったん中断する。

江藤淳に倣えば、愛国演技と売文に好都合」と考えた卑しく下劣な民族系論客

 2002年、『<真相箱>の呪縛を解く』という本が送られてきた。櫻井よしこ氏とは交流がまったく無いので、おそらく出版元の小学館からの贈呈であろう。1946年8月に刊行された活字版『真相箱』の再刊だが、一読して、江藤淳『閉された言語空間』(文庫版1994年、273~4頁)に触発された事は明らかで、「江藤淳が病原となった民族系カルト宗教が、いよいよ伝染力を発揮し始めたな」が、私の率直な印象だった。

 しかも、櫻井よしこ『<真相箱>の呪縛を解く』に続き、日本共産党員の保阪正康櫻井よしこと同じ内容の『日本解体 真相箱>に見るアメリカの洗脳工作』を翌2003年に扶桑社から出版した。民族系と共産党がシンクロし、ともに“GHQ検閲”をもって仲良く反米運動をする姿は、「民族系が先祖がえりを開始した」実態をまざまざと見せつけてくれるものでもあった。

 もともと“スターリンの犬”だった戦時下『朝日新聞』の次男坊である民族系論客、同じ母親が産んだ長男である戦後共産党員たちとは血のつながった兄弟、仲良くなって当り前で、不可解さは何もない。紙幅が無いので、江藤淳のこれら“猿まね本”の内容に立入っての、有害性を追及する分析は割愛する。

 

表3;江藤淳の猿真似で歴史を歪曲・改竄する、“知的障害児”民族系論客──なぜ民族系は、共産党と同じ立場、同じ主張になるのか

著者

著作のタイトル/発行年、ほか

備考

江藤淳

閉された言語空間』、1982~6年。『一九四六年憲法──その拘束』、1980年。『忘れたことと忘れさせられたこと』、1979年。

共産党員の立場で執筆、民族系「<反日>カルト反米教」の初代教祖。

櫻井よしこ

『<真相箱>の呪縛を解く』、2002年。

江藤淳の“猿まね第一号”

勝岡寛次

『抹殺された大東亜戦争』、2005年。

江藤淳の“猿まね第二号”

西尾幹二

GHQ焚書図書開封』第一~十巻、2008~2014年。

民族系「<反日>カルト反米教」の第二代教祖

高橋史朗

『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』、2014年。

共産党員・保阪正康の影響もあり。

 

 問題とすべきは、江藤淳の『閉された言語空間』や櫻井よしこの『真相箱』などが、なぜ共産党その他の極左人士と全く同じ内容となるのかである。表4に2冊ほど掲げておくので、読者の中で時間がある方は、表3と表4の本を読み比べて頂きたい。民族系論客の母体が、スターリンにレイプされた戦時下『朝日新聞』なのが、直に理解できる。

 

表4;“反共”GHQを敵視する極左革命人士と寸分変わらぬ江藤淳櫻井よしこ

著者

著作のタイトル/発行年、ほか

備考

山本武利

GHQの検閲・諜報・宣伝工作』、2013年。

 

保阪正康

『日本解体 <真相箱>に見るアメリカの洗脳工作』、2003年。

共産党が主導した「男女共同参画社会基本法」は、真に劇薬的な日本解体の法律。が保阪は、この法律は大歓迎。

 

 しかも、国家権力等の検閲や情報操作に関して、民族系論客を、共産党や類似の極左人士と比較すると、①民族系論客の知的水準が知的障害児レベルであること、ならびに②歴史改竄狂の悪質な犯罪的な輩ばかりしかいないこと、の二つが判明する。この事実は、民族系論客が、江藤淳西尾幹二を筆頭に、櫻井よしこ高橋史朗もみな、戦前・戦中の日本が行った言論操作・情報操作のすさまじさについて一行も一文字も言及しない歴史改竄/歴史空白化の作為をなすことと符合する。

 彼らが「情報委員会」「内閣情報部」「情報局」について一言も論及しない事実は、民族系論客とは大衆煽動家であって、少しでも知的な研究をしようと考える平凡な学者からもほど遠い人種の証拠。より真実に近い歴史を眺めたいとの人間としての正常性もない。民族系論客の存在自体、日本国にとって有害であっても益になることはない。

 一方、極左人士は、共産党系の児童文学作家がまとめた『新聞は戦争を美化せよ!』(注8)などを例に挙げるまでもなく、「検閲」問題であれば必ず、「情報委員会」「内閣情報部」「情報局」への言及を万が一にも欠くことはしない。左翼人士かどうかは知らないが、前坂俊之の『太平洋戦争と新聞』(注9)も、「情報委員会」「内閣情報部」「情報局」をしっかと抑えている。

 さて、西尾幹二は戦時下の出版物の大礼讃を商売にする売文業者。ならば、それら戦時下出版物が、「情報委員会」「内閣情報部」「情報局」のバックアップで垂れ流された戦争煽動洗脳本である事実ぐらい、仮に西尾にひとかけらの常識や良識があれば、必ず言及したはずだ。西尾がこれらを全く言及しない事実は、何を語る?

“カルト大東亜戦争肯定教”/“カルト反GHQ教”の第二代教祖となった西尾幹二

 西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』第一巻のタイトルは、『米占領軍に消された戦前の日本』。これだけでも、カルト宗教「反GHQ教」の“教祖・経典”江藤淳『閉された言語空間』に基づいた出版物なのが直ぐわかる。しかも、この第一巻で西尾幹二が「GHQに殺された“殉教書”」として祭壇に祀る、戦前日本で発行された書籍群は、「鬼畜米英!」を唱えながら“大東亜戦争、それ行けドンドン”調の“究極の反日書”ばかり。なぜ、“究極の反日書”と言うか。それらは皆、日本国の滅亡と日本男児の絶滅を狙う、スターリンが背後で蠢く敵性書籍群だからである。

 これらのトンデモ本には、真っ当な日本人は、特に知性ある真正の愛国心に燃える日本人は、嫌悪感を催す。しかし、ニーチェヒトラー主義の西尾幹二は、真っ当な日本人ではないからだろう、逆さにも、これら“究極の反日書”に拝跪する。

 それはともかく、「市販禁止にしてくれて、GHQさん、どうも有難う」とお礼を言いたくなる、西尾幹二が礼讃し三拝する“究極の反日書”群は、実際には、敗戦後日本の書店にほとんど並んではいなかった。「大東亜戦争は“聖戦”だから、日本人は命まで捧げよ」と洗脳されたんだと知った、正常で公正な絶対多数の日本人が決して手に取らなかったからだ。GHQが、これらを市販禁止にした理由は、イマイチよくわからない。

 要は、“ソ連人”江藤淳は、GHQのCI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」を象徴に、あと一歩で日本が共産国になる寸前にGHQがそれを阻止したことに、コミュニストとして怨恨をぶつけている。一方、西尾幹二も同じく、GHQの「没収指定図総目録」を槍玉に上げ、あと少し戦争を続ければ「一億玉砕」で日本民族が絶滅したのに、その寸前にGHQが進駐して阻止した、そのこと自体を恨んでいる。

 江藤淳西尾幹二が、カルト宗教“反GHQ教”の教祖初代と第二代となったのは、実に納得できる。なお、西尾幹二の奇矯なロジックは、戦前日本の大東亜戦争が美化され聖化されていなければならず、そこで林房雄の『大東亜戦争肯定論』を西尾は経典とする。図1に図示しておく。

 

図1;二つのカルト宗教をブレンドした第二代教祖の西尾幹二

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 序に、かつて江藤淳に詰問しようと予定していたのに自殺されその機会を逸した苦い体験を繰り返さないために、西尾幹二に少し問い質しておきたい。

 第一は、一九三二年に水野広徳の『興亡の此一戦』(注10)が発禁処分になったが、これをどう思うか。GHQの市販禁止処分は、日本の出版禁止処分に比すれば“スーパー穏健”。両者の比較において回答されたい。しかも、『興亡の此一戦』は軍事学的に分析された学術性のある書。実際にも太平洋戦争は『興亡の此一戦』の指摘通りの推移と結末となった。西尾幹二は、それでも、この出版禁止措置が正しかったと言張るか。

 第二に、『興亡の此一戦』とは一見すると逆さを主張しているかに思える『アメリカ敗れたり』(注11)が、パール・ハーバー奇襲の直後の1942年4月に出版された。この出版は、日本国民の頭に真赤な偽情報を注入するためのプロパガンダのためだが、西尾幹二よ、こんな出版を正当だと考えるか否か、回答されたい。狂人であっても、この程度の回答はまだできるはず。

 『アメリカ敗れたり』は、日露戦争の後、当然のことだが日本が太平洋全域の覇者となった時代の1909年、日本がカルフォリニア州ほか米国の西海岸に攻めてきた時を仮定しての、米国の対日防衛戦争を真面目に分析した本。著者は、米陸軍の将軍。

 『アメリカ敗れたり』は、何一つオーバーなことを書いてはいない。パナマ運河(1914年開通)がなく、ハワイに太平洋艦隊(1919年に創設)もない、1905~1914/19年の約十年間に限って、日本がハワイを占領できカルフォルニア州を併呑する事が軍事的に可能だった時代の日米戦争のシミュレーション。真面目で真っ当な本。

 しかし、1919年以降、対アメリカ西海岸への侵攻など次第に困難になり、1930年代以降では不可能に逆転していた。つまり、1909年に妥当でも1942年には全くの妄想でしかない三十三年前の本を日本が翻訳出版したのは、日本国民に「対米戦争に勝てる」との狂った幻想を抱かせる洗脳のためだった。なお、この邦訳本の推薦文は、ソ連工作員コミュニスト奥村喜和男である。

 

1、小堀桂一郎「女系容認論の過誤」『別冊正論14』。小堀桂一郎共産主義思想吸飲度が99%であることについては、中川八洋小林よしのり「新天皇論」の禍毒』第八章、オークラ出版、を参照のこと。

2、江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』、文春文庫、三四九頁。

3、江藤淳「」『VOICE』1981年1月号。

4、福田恒存「問ひ質したき事ども」『福田恒存全集 第七巻』、文藝春秋社、五九九~六〇三頁。初出は『中央公論』1981年4月号。

5、江藤淳が1999年7月に自殺したとき、朝日新聞は大きな追悼文を掲載した(7月22日付け)。弔辞者は福田和也だった。これを見たとき、江藤淳は成仏できると確信した。朝日新聞が、江藤淳共産党員として遇し、北朝鮮人に追悼文を書かせたのである。江藤淳の永眠する心が安らかにならぬはずはない。

6、江藤淳『閉された言語空間』、文春文庫、二七一~二頁、三四七~六六頁。

7、江藤淳『日米戦争は終わっていない』、ネスコ、二七二~三頁。

8、山中恒『新聞は戦争を美化せよ! 戦時国家情報機構史』、小学館

9、前坂俊之『太平洋戦争と新聞』、講談社学術文庫

10、『水野広徳著作集』第三巻に所載、雄山閣出版。

11、ホーマー・リー『アメリカ敗れたり』、1942年、小学館、原著1909年。

 

 

 

 

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