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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

西尾幹二はなぜ、64歳のとき突然、“集団ヒステリー” 「鬼畜米英!教」の宣教師になろうと決心したのか ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(21)

西尾幹二の妄言狂史

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

「一億玉砕」が右脳に「鬼畜米英」が左脳になった、十歳の西尾幹二少年

 ベストセラー『国民の歴史』の624頁にある「西尾少年の手紙」を読んだとき、すぐ脳裏をよぎったのが、日本国民を日本共産化/アジア共産化のための戦争に駆り出す“洗脳のための四文字魔語”「鬼畜米英」のスローガンだった。「鬼畜米英」は1970年以降では誰も思い出すこともない死語だから、参考までその一つを紹介する。

 敗戦数ヶ月前の1945年3月、封切られた戦争鼓舞の対国民洗脳映画『撃滅の歌』のテーマ歌「米英撃滅の歌」の三番が次。この作曲は山田耕筰、作詞は野口米次郎。

「草は燃える殲滅の時は今だ 鬼畜米英 断じて斃せ

山が彼奴らの墓標だ墓石だ 山が彼奴らの墓標だ墓石だ」(注1、1945年)

 次に、「西尾少年の手紙」は、ポツダム宣言受諾の昭和天皇のご聖断を拒否して、日本は対英米戦争を続行すべしとあるから、日本民族絶滅の「一億玉砕」が西尾少年の目指すものだと理解した。国民全員を“一億心中”に巻き込む、精神異常者の大量殺戮願望が、西尾少年をすでに濃厚に支配していたのである。

 ユダヤ民族の絶滅の後にドイツ民族の絶滅を考えたヒトラーと同じ精神の病である。西尾幹二とは、生まれながらに、ニーチェ=ヒトラー主義に冒された、ニーチェ的でヒトラー的な精神異常者と考えられる。

 このような病気は、さほどめずらしくない。去る3月24日にはジャーマン・ウィングスの副操縦士アンドレアス・ルビッツは、フランス南東部の山岳に、自分以外の149名の乗員・乗客を道連れに墜落自殺を決行した。西尾幹二もまた、米英との全面戦争を通じて日本民族全員を殺戮しようと考えたのは間違いなく、それが十歳の時だったとは、何とも怖ろしい。

 ともあれ、スローガン「一億玉砕」と「鬼畜米英」とを考案した人物は、後者を手段に前者の目的を達成する“日本民族七千万人皆殺し”を考えたのだから、戦後日本は草の根をくまなく捜しても特定して処刑に処すべき“大量殺人鬼の犯罪者”。

 「一億玉砕」の方は、ソ連工作員コミュニスト種村佐孝・陸軍大佐のグループと目される。煽動洗脳スローガン「鬼畜米英」を造語した犯人は、帝國陸軍のコミュニスト軍人だけでなく、民間人の雑誌・新聞記者まで調査しなければならず、私だけの無知ならばお恥ずかしいが、未だ見当もつかない。ご存知の方は教えて欲しい。

 さて、話を本論に少し戻す。西尾幹二著『国民の歴史』は「鬼畜米英」を中心モチーフにしたもので、その出版は西尾幹二が六十四歳の1999年だった。つまり、五十四年の歳月を経て、突然、六十四歳の西尾幹二に“十歳の西尾少年”がぬっと顔を覗かせたのである。

 この時以来さらに十五年が経って今は2015年。西尾幹二はなぜか、「鬼畜米英」を基調にした妄執奇言の“反英米”「歴史評論」ばかりを、この十五年間、精力的に書き殴り続けてきた。『国民の歴史』→『GHQ焚書図書開封』→『戦争史観の転換』の流れである。これらすべては、過激な“「鬼畜米英」史観”の巨大な綱で繫がっている。

 日本民族の絶滅を狂妄し“「鬼畜米英」史観”の病を発症した十歳の西尾少年は、タイムマシーンで五十四年間をぶっ飛んで六十四歳の西尾幹二に憑依したのだろう。以来、今もなお、老耄の八十歳となった西尾幹二の精神病は日々重く、十歳の西尾少年が狂信した魔語“鬼畜米英!”を呪文のごとく大音声で読経する。

国民への“洗脳麻薬”『鬼畜米英罪悪集』は、西尾幹二GHQ焚書』の虎の巻?

 “鬼畜米英”の煽動文書や煽動命令書などの歴史史料を蒐集する時間がなく、手元にあるのは僅かしかないが、その一つを垣間見てみよう。それは、ナチ全体主義体制での労働者を国家が統轄するシステムを真似た「大日本産業報国会」が、1943年12月に出版した、対英米戦争に批判的な良識ある正しい愛国的国民を一掃的に封殺するためのプロパガンダ洗脳教本。タイトルは、西尾幹二が大好きな『鬼畜米英罪悪集』で、今読むと、誰しも思わず苦笑するに違いない。

 この本のタイトルからわかるように、「鬼畜米英!」のスローガンは、1943年にはすでに国家統制下の官製スローガンと化していた。国家権力が、国民が洗脳されるよう強制する四文字魔語だった。戦時下日本では、全国の隅々までが、オウム真理教の富士山麓「サティアン」そのものに化していた。この結果、国民が手にする情報はヒトラー的というかスターリン的というか、そのような全体主義国家となった政府からの“一方的”なものしかなかった。

 なお、日本の戦時下体制を、四文字「軍国主義」で表象する教科書は多い。が、「軍国主義」という言葉では歴史が明らかに意味不明となるし、実際にも日本がスターリンの国家体制を目指していた歴史事実を隠蔽するために考案されたカムフラージュ専用語である。「軍国主義」は、現代史用語として使うべきではない。

 また、「天皇制ファッシズム体制だった」など、共産党は卒倒するようなトンデモ語を乱発して戦前日本を歪曲する。天皇制度とそれを支える明治憲法と補完的な治安維持法とは、日本の“鬼畜米英ヒステリー時代”(1932~45年)の、スターリン型共産体制を目指す革命の大暴走に抗して、真正の日本国を守る“孤高の自由の砦”であった。言葉「天皇制度」と「ファッシズム」は、水と油の対極概念であり、それを同時に用いる「天皇制ファッシズム」など国語的に成り立たず、噴飯物としても度がすぎる。

 すなわち、1932~45年の日本の全体主義体制は、“半ばヒトラー/半ばスターリン”の社会主義共産主義国家体制のそれであった。よって、仮に「ファッシズム」の語彙をどうしても使いたいのであれば、共産主義型ファッシズム体制だったとしなければ、歴史事実と符合しない。それはさておき、『鬼畜米英罪悪集』に話を戻す。全12章からなる目次は、以下の通り。

  1. 抑留邦人への暴虐
  2. 虐殺されたダバオの同胞
  3. 病院船への盲爆
  4. 無武装の漁船へ挑む悪魔
  5. 戦場での鬼畜行為
  6. 米英の経済謀略
  7. 米英の政治的策動
  8. 非道なる日本移民圧迫
  9. 英魔のインド侵略
  10. 支那に伸ばされた暴英の魔手
  11. 比島を詐取した米鬼
  12. 異民族への暴圧

 これを見ると、「アッ何だ!」と誰でも驚く。『GHQ焚書図書開封』での西尾幹二の饒舌な主張と余りに同一にすぎ、実態的には西尾幹二の虎の巻だからだ。例えば、『GHQ焚書図書開封 第十巻』は、『鬼畜米英罪悪集』第9章/第10章(注2)と瓜二つ。

“鬼畜米英”大宣伝の参謀本部は、“悪魔の国民洗脳機関”「情報局」

 大日本産業報国会という国策団体が『鬼畜米英罪悪集』を出版して、労働組合を通じて、国民に“鬼畜米英!”の狂気を刷り込もうとした事は、スローガン“鬼畜米英”が政府の所轄官庁からの行政命令だったのがわかる。すなわち、「情報局」の指示・命令によって、『鬼畜米英罪悪集』が出版され、そればかりか、大日本産業報国会は、この本を暗記した洗脳宣伝指導員を各傘下の労働組合一つ一つを回らせて話を聞かせる洗脳運動を展開せねばならなかった。 

 国家機関「情報局」は、二・二六事件の直後(1936年6月)、札付きのソ連工作員たちがつくった霞ヶ関の中央官庁の一つである「内閣情報委員会→内閣情報部」が発展したもの。だから、「情報局」は、狸穴のソ連大使館が操作する、実態的にはスターリン/ベリアが直轄する“ソ連の在京官庁”だった。

 すなわち、スローガン“鬼畜米英”は、それをオリジナル的に造語したものが誰かはわからないけれど、それを日本国民に刷り込む最優先洗脳スローガンに定めたのは「情報局」であるのは間違いなかろう。とすれば“鬼畜米英”は、「情報局」のさらにその背後にあるソ連の強制でもあろうから、実態的には“モスクワ製四文字魔語”の一つと看做しても、論理学的には妥当といえよう。

 さて、対国民煽動洗脳機関の「情報局」の源流を探っておこう。

 一九三一年秋の満州事変から翌年には早々と満洲国建国を進めたことに対して、国内外からの轟轟たる非難が爆発的に巻き起こった。この海外からの対日批判、国内における政府・軍部批判を好機とばかり、逆に国際聯盟脱退そのほかもっと過激な対外政策に国民世論を活用できないかと考えた、日本共産化を牽引する“日本一の狡猾な狐”が外務省情報部にいた。ソ連工作員コミュニスト白鳥敏夫である。

 この“外務省のソ連細胞のボス”白鳥敏夫が中心となって、帝国陸軍きってのソ連工作員コミュニスト鈴木貞一(注3)武藤章らを誘った。彼らが(主に支那満洲に絡む)対外戦争のため国内輿論を戦争狂一色にすべく、その方向に煽動宣伝する国家機構づくりを1932年ごろから協議して考案してつくりあげたのが、外務省と陸軍との間の非公式組織「情報委員会」であった。この非公式「情報委員会」が二・二六事件の直後の1936年、政府機関「情報委員会」として内閣に設置された。

 すなわち、国家機関となった「内閣情報委員会→内閣情報部→情報局」の源流は、”ソ連工作員三羽烏”と称され、「情報局」の戦争煽動指導すべてが、毛沢東支那全土掌握とソ連の対日侵攻に貢献するものばかりだったのは、偶然ではなく、計画的にそう進められたからである。

 国民騙しの魔語“鬼畜米英”もまた、1949年10月の毛沢東中国共産党軍の蒋介石追放成功に直結し、1945年8月9日のソ連軍の満洲樺太・国後・択捉島への侵略に直結したのは、日本国が自滅への高速道路を盲目的に走ってアジア情勢が必然的にその方向になる脱法ドラッグ“鬼畜米英”が日本国民に1942年ごろから徹底的に投与された当然の結果にすぎない。

企画院と内閣情報部・情報局──近衛文麿がつくった戦争拡大国民煽動機関

 河上肇の愛弟子でコミュニスト近衛文麿は、一九三七年、首相になるや、日本の共産革命を上から実行することを決意し、これを果敢に推し進めた。このための重要組織が三つある。

 第一が、官邸での近衛首相を囲む、戦争拡大の方策を発案し、同時にそれにかかわって国民が反対しないように国民を煽動洗脳する、共産主義者ばかりを集めた知識人グループ「昭和研究会」をフル稼働させたこと。「昭和研究会」に所属する極左知識人たちは、近衛文麿の“上からの日本共産革命の戦争遂行”を大義であるかに嘘宣伝するための、近衛文麿主導の戦争を称讃する鉦や太鼓の役割を演じただけではない。「東亜新秩序」とか「大東亜共栄圏」とか、戦争狂の魔語を造語し、またこれらの魔語を拡声器で国民に宣伝洗脳するに全力をあげた。

 第二が、近衛文麿の政権誕生と同時に、当時はまだ大多数の国民が“戦争による日本共産革命”に反対であったので、これを封殺することを可能にすべく、「内閣情報委員会」を「内閣情報部」に昇格させ拡充した。

 第三に、近衛文麿は、米国に比すれば脆弱な日本経済&産業では長期的で規模無限の対外戦争などできないのは明らかだし、対中戦争すら日本の経済財政を逼迫させるのは自明であったから、そうでなく無期限で大規模な二正面作戦の戦争すらできるかにデッチアゲた真赤な嘘数字を振り回す国家機関としての「企画院」を1937年10月に発足させた。「企画院」の源流も、さほど古くはなく、日本がナチ統制経済スターリン計画経済を絶対な真理だと考え始めた一九二九年以降につくられた、一九三五年の「内閣調査局」が前身である。

 これら三つの組織が、日本を自国を“破局=共産革命”に導くための“革命戦争遂行トップスリー政府機構”「近衛文麿首相官邸昭和研究会―内閣情報部―企画院」トライアングルであった。

 なお近衛首相は、「内閣情報部」を1940年12月にはさらに対米英戦争を前提にした、挙国一致の戦争遂行輿論以外は息の根を止める対国民煽動の強力な国家機関にすべく、「情報局」に拡大強化した。「情報局」初代総裁に、近衛首相は、近衛文麿白鳥敏夫の子飼いでソ連工作員コミュニスト外交官の伊藤述史を選任した。第二代総裁は、形式上は谷正之・外務大臣だが、実際の総裁は情報局次長の奥村喜和男であった。奥村とは、ソ連工作員逓信(戦後の郵政省)官僚で激烈な共産主義者であった。

 そして“戦前昭和期の赤の巣窟”「内閣情報部/情報局」「企画院」には、霞ヶ関と三宅坂から赤い官僚と赤い軍人のみを集中的に集めた。ために、両組織は共産主義革命のための国家機関として、スターリン/ベリアに忠誠を誓う、日本国内の日本人からなるソ連の機関であった。

 とすれば、大東亜戦争敗北とGHQの進駐が、日本国と日本国民を“悪魔の赤化洗脳機関”「情報局」「企画院」から解放してくれたことになる。この解放情況は、三千名の警官隊の襲撃によって、“まだ理性と良心が残る棄教可能な信者”達が、オウム真理教の富士山麓サティアンから解放された1995年の光景に似ている。「情報局」や「企画院」を廃止に追い込んでくれただけでも、1945年8月からの米軍進駐とGHQは、正確に“日本国の救世主”だったといえる。真正の神風だったと称しても、オーバーではあるまい。

 補足。「昭和研究会」も、スターリン型共産革命であった「二・二六事件」の失敗を契機に、「二・二六事件」の目的を別の方法で成功させるための日本共産革命を目指す団体で、1936年11月に発足した。「昭和研究会」を、翌年の近衛文麿内閣の誕生ともに、「二・二六事件」の心情的同志でもあった近衛文麿を囲む“有識者の会”“近衛ブレーン”とみなすのは、少し矮小化しすぎる嫌いがある。あくまでも、“近衛文麿の日本共産化に資する具体的革命アジェンダ研究機構”だったと、より現実に近い実態に合わせた言葉を選ぶべきだろう。そうでなければ、“赤い準政府機関”「昭和研究会」の真実を暴くことはできない。

「ゾルゲ・尾崎事件」と「企画院事件」はあるが、なぜ「情報局事件」は無いのか

 戦時下日本で、最後まで、共産主義者にその官庁を明け渡さなかったのは、警察つまり内務省だけである。内務省からも南原繁や富田健治などソ連工作員コミュニストは幾人も輩出しているが、キャリアー官僚の多数派はまだ「反共」だった。戦時下の霞ヶ関で、昭和天皇の股肱の臣であり続けた官庁は、まさに内務省一つになっていた。

 この故に、ゾルゲ・尾崎秀實らを逮捕し、また企画院におけるスターリン計画経済を信奉するコミュニスト官僚群の一斉検挙が可能となった。何れも一九四一年の対英米戦争直前であった。

 企画院の逮捕された共産主義者には、稲葉秀三共産党員、戦後に産経新聞社社長)/正木千冬共産党員、4回投獄)/和田博雄(労農派系マルキスト、戦後は左派社会党勝間田清一(戦後は、日本社会党委員長KGB工作員/和田耕作(教条的なマルキスト、戦後はソ連抑留の経験から反ソの社会主義者に半分転向)らがいる。

 一方、“赤の官庁”だった「企画院」と同じく、“赤の官庁”として際立つ「情報局」が治安維持法違反での検挙者を出さなかった理由は、何であろうか。むろん、うまく証拠を残さなかったからだが、そのほか二つの理由があるように思える。

 第一は、陸軍が直接絡んでいる官庁だから、ここに斬り込むことは二・二六事件の悪夢を内務官僚に蘇らせたからではないか。「情報局」第1/2部は陸軍からの出向組が多かった。

 第二は、「情報局」第4部(検閲)内務省の部局をそのまま併任させたもので、内務省が「情報局」の一部を構成していたのである(注4)。「情報局」内の共産主義者・ソ連工作員逮捕は、形の上では内務省も一蓮托生になる両刃の剣であった。

 戦後、「情報局事件」がなかったことをうまく利用し、共産党が支配する現代史学界は、「情報局」に関する研究を、「検閲」のところだけを例外に、全体として回避する口実とした。かくして、スターリンヒトラー全体主義国家で絶対権力を振るった対国民煽動洗脳機関と同種の、犯罪的な「情報局」の実態が歴史の闇に消された。

大東亜戦争期の日本の検閲・国民洗脳と、GHQのそれとはどちらが酷かったか

 以上の超簡略な説明だけでも、大東亜戦争の戦時下日本における、対国民煽動洗脳の情況と実態の一端は理解できただろう。この歴史事実を知りながらぽっかりと空白化するのが共産党系の現代史研究者たち。この歴史事実をまったく知らない無知無教養のままでさらに研究などいっさいせず口からデマカセで書き殴るのが民族系論客たち。

 特に後者は、戦後のGHQの「検閲」等を知ったかぶりで論じては難詰し、幼児的な愛国者の演技をなす。西尾幹二もその一人。その上、民族系論客たちは、GHQのそれより百倍も千倍も過激で精緻だった、戦時下日本での検閲や国民煽動との相対化(比較)をいっさいしない。民族系論客とは、学的良心を失い人格が腐敗する“人間のクズ集団”である。次稿では、これを論じる。

 

1、辻田真佐憲『日本の軍歌 国民的音楽の歴史 』、幻冬舎新書、二三一頁。

2、大日本産業報国会鬼畜米英罪悪集』、五三~六六頁。

3、鈴木貞一昭和天皇を騙して、対英米開戦のご了承を迫る、1941年11月5日の御前会議説明は、『太平洋戦争への道 資料編』朝日新聞社、五七四~八頁を参照のこと。また、この時の「鈴木貞一」を「スターリン」に置き換えて読むと、大東亜戦争の正体がくっきりと浮き上がってくる。

4、『現代史資料41 マスメディア統制2』。みすず書房、三一六頁。

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