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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

「ロシアの世界征服」が悲願のカンジミール・ニシオチョフ ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(20)

西尾幹二の妄言狂史

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 

 西尾幹二の職業は評論家であるが、「その専門は?」と改めて問うと定かではない。専門と言えるものは、ドイツ語屋としてニーチェ作品の翻訳ぐらいで、それ以外には何もない。要は西尾幹二は、何でもかんでも、流行のテーマに専門知識なくして飛びつき、口から出任せで評論しているので、「西尾幹二の職業は、売文専業評論家」と称するしかない。確かに、相対的には「売文専業評論家」が最も客観的。これ以外の言葉は見つからない。

 しかも西尾幹二は、IQが最低基準にいかず頭が極度に悪いため、必然的に哲学音痴にならざるをえない。先天的な哲学喪失症である。だから、西尾はニーチェ作品の翻訳を永年やっていながら、ニーチェに関する哲学的考察の学術論文ではなく)学術性のある論文すら一本もない。

 西尾には『ニーチェ』を冠する本が数冊もあるのに、ニーチェ伝記が一冊と“翻訳者の翻訳あとがき読後感想文”に類するものしかない。これらは一冊として学術書ではないし、「学術性のあるもの」ともほど遠い。このため、西尾は1990年代半ばまでは、「ニーチェ研究者」と詐称していたが、バレルと覚ったのか、いつの間にか自称の「ニーチェ研究者」を店仕舞いした。代わりに、空き巣泥棒もびっくりの実に静かな早業で「歴史評論家」に成り済まし、この大道芸人業に大忙しである。

 しかも、自分を「大歴史家」かのごとき大仰しいハッタリ演技で歴史を評論するやり方は、「ニーチェ哲学もわかる」かに演技する“永年のペテン師稼業”のやり方とそっくり。西尾幹二が“大道芸人歴史評論”を開業したのは1997年だから、西尾の「大歴史家」を装ったペテン師流の売文専業歴史評論家稼業も、2015年時点で十八年になる。まさに、“稀代のペテン師評論家”というべきか。

 だが、歴史知識が小学校四年生程度と、哲学音痴以上に先天的な“スーパー歴史音痴”だから、西尾幹二の歴史評論は、西尾の並外れて優秀な大衆煽動術を別とすれば、妄想と嘘と意味不明ばかり。それ以外はない。西尾幹二が垂れ流す厖大な冊数になる「歴史評論」の形をとった“煽動洗脳ノンフィックション小説群”は、まさしく“平成の有害図書”の中でも突出してナンバーワンであろう。

 「歴史」を喰い散らかして商売する西尾幹二の重大弊害は、このような、絶句するほど劣悪で貧困な間違いだらけの歴史知識の垂れ流し問題に留まらない。実は西尾とは、“無道徳の人間(=道徳喪失の人格)”を理想と考える道徳破壊主義/背徳主義の“反・人間”の信条の持ち主。このため、背徳主義が西尾幹二の「歴史評論」を貫ぬき、西尾のデタラメ歴史本が“反道徳の煽動本”となっている真に深刻な問題がある。

 端的にいえば、西尾幹二の「歴史評論」群は、妄想と嘘と意味不明と反道徳(背徳)の四本柱で構築された、有害性を超えた犯罪性の塊。国を愛する真正の日本国民は、正しい歴史と正しい歴史知見とを守るべく、西尾断罪の義務を果さなければならない。

ニーチェ的悖徳主義を信条に、"反・日本人“に加えて“反・人間”西尾幹二

 西尾幹二ニーチェ思想を哲学的に理解できないとしても、二十歳のときから永年、ニーチェの多くの作品を読み続けてきたから、ニーチェ思想に影響されない/汚染されないということはありえない。それ以前に、ニーチェという、正常な人間はみな跳び上がって嫌悪し唾棄する狂気の思想を、西尾幹二が一度もそう感じなかった事は、西尾がニーチェ思想に無意識下において共鳴・共振しているからである。西尾幹二の基本思想はニーチェ思想と解釈して決して間違ってはいない。

 ニーチェ思想とは何か。一言で言えば、人間からすべての人間性を換骨奪胎して人間を非人間化するための思索。人間を金属製のボルト・ナットのようなものに改造することを追い求めたから、人間の人格から人間的なものすべてを剥奪する人間の脱構築の追求がニーチェ思索の中核を占めている。

 しかも、人間の非人間化/人間の脱構築を、ニーチェは人間から道徳を完全に排斥することを第一に、次に人間から伝統・慣習や歴史を剥奪することで、さらには人間から科学的知と宗教信仰を剥奪することで、達成しようとした。確かに、道徳、歴史、伝統・慣習、科学的知、宗教信仰は、人間が豊かな人間性を持つに絶対に欠いてはならないもの。これらを人間から完全なゼロになるまで剥奪する事は、人間の非人間化(ボルト・ナット化)の手段として実に有効。ニーチェの思惟は、人間破壊主義のニーチェの狂気とぴったり整合していて、なんらの矛盾もなかった。

 例を一つ。ニーチェは、「道徳を、人間から切開手術的に排斥せよ」と、次のように絶叫調で主張する。

「私たちは真の世界を破壊しよう。このためには、私たちはこれまでの至高の価値、道徳を、廃棄しなけれならない」

仮象の世界と虚偽の世界──これこそが対立的なのだ。虚偽の世界がこれまで<真の世界><真理><神>と呼ばれてきた。このものを私たちは廃棄しなければならない」

「至高の価値としての道徳の成果は、この現世で何の役にも立たず、<真の世界>ではない」

「道徳とは何か?──デカダンスの本能である」(注1)。

 ニーチェのこの激しい道徳破壊への情動は、基本的には、サディズムの語源ともなったマルキ・ド・サド侯爵の多くの作品の、その一つ『ジュリエット物語、あるいは悪徳の栄え』にも通底している。人類初の道徳破壊アッピール、ルソー『人間不平等起源論』(一七五五年)の後世への影響は、マルクスエンゲルスの『共産党宣言』やレーニンのソヴィエト共産体制という幹線道路の系譜だけではない。ルソーはサドに、ルソー/サドはニーチェへと継承された小さな脇道の系譜もあったのである。

 それはともあれ、道徳に対するニーチェの憎悪感情・破壊衝動は、このように尋常ではなく、過激さはマルクスが温和に見えるほど前代未聞のレベル。このニーチェの凶暴な道徳破壊/無道徳ドグマを、頭はむろん、体全体に染み込ませた男が、ニーチェと同じ精神分裂病を病む西尾幹二であった。

対中戦争の開戦以降、戦争遂行を煽動する以外の出版は不可能だった日本

 さて、本稿批評の対象である『GHQ焚書図書開封 第十巻』、つまり西尾幹二トンデモ本『地球侵略の主役イギリス』に話を進めよう。なお、この書は、西尾幹二の精神病を端的に露出しており、精神疾患者・西尾幹二を臨床研究するに重要な「証拠」の一つになっている。

 『GHQ焚書図書開封 第十巻』は、1938年2月から1945年1月までの大東亜戦争期に、大東亜戦争に日本国民を駆り立てる煽動洗脳のため出版された“ゲッベルス流プロパガンダ本”八冊についての、西尾の涙を流さんばかりの大礼讃が陳列されている、いわゆる“西尾幹二の狂気炸裂の読後感想文”。この八冊は、次の通り。

 

  • ボーズ・ラスビハリ『インドの叫び』、1938年2月。
  • エ・エム・サハイ『英帝國敗るるの日』、1940年12月。
  • 高橋勇『亜細亜侵略史』、1941年3月。
  • 桑原三郎『アジア侵掠史』、1941年4月。
  • 柴田賢一『米英の東亜侵略年譜』、1942年10月。
  • 籠瀬良明『東亜十億人の地理』、1943年7月。
  • 小牧實繁『世界新秩序建設と地政学』、1944年11月。
  • 小牧實繁/室賀信夫『大南方地政論』、1945年1月。

 

 これら八冊すべて、大東亜戦争のうち、日中戦争近衛文麿首相が独断で開戦した1937年7月以降の戦時下出版物。しかも、これら八冊とも、日本国民に対する戦争煽動洗脳を主任務とする「情報委員会」がさらに拡充された、近衛文麿が主導し赤い軍人/赤い外交官らが中核の「内閣情報部」が設置された1937年9月以降のもの。

 「内閣情報部」が設置された以降の日本で、自由な出版などほとんどできなかった。少なくとも外交や戦争の対外政策あるいは国際政治学に属する分野の出版では、自由な出版はゼロ冊となった。日本はヒトラーナチズム全体主義と遜色のない、怖ろしい暗黒の全体主義体制に変貌していた。「内閣情報部」は1940年12月、ナチ型の“宣伝省”と称すべき巨大な官庁「情報局」となり、出版社に対し好き放題の強大な権限を振ったし、紙の配給制度によってそれは完璧に実行された。

 “親英米の反共反ソ”昭和天皇御独りと明治憲法治安維持法だけが、ナチズムからスターリニズムへと全体主義の暗黒度を加速する1937年以降の日本における、暗闇でなお小さな光明を照らし続けた“たった三本の蝋燭の灯り”つまり“自由の三つの灯り”だった。

 「内閣情報部」や「情報局」が、どのように書籍や雑誌の出版を完全にコントロールしていたかは、講談社自身もまた積極的な大東亜戦争推進の赤い出版社だったことを隠蔽しているバイアスはあるが、)講談社社長だった野間省一の伝記がその一端を伝えているので紹介しておく。

「1940年3月1日に陸軍情報部出版担当官の鈴木庫三少佐が初めて講談社にやってきた。以後、鈴木はたびたび来社したが、それよりもしばしば社の役員や編集者を呼びつけ、威嚇によって講談社を軍の意向に従わせようとした」

(『情報局』の設置に伴ない)1940年12月19日に、…有力出版団体が自発的に解散して日本出版文化協会、略称『文協』を設立した。『文協』は『情報局』の監督下に置かれ、出版物の事前審査とそれに要する用紙の割当を行った。…取次店を一本化する日本出版配給株式会社、略称『日配』が1941年5月5日に設立され、出版物はすべて『日配』が配給することになった」

「これで出版物の企画から配給(=書店配送)まで官庁の統制下に置かれることになり、官の意向に添わぬものには紙の配給をしないという方法によって言論の統制を行ったのである」(注2)。

 では具体的に、「内閣情報部」「情報局」は、どんな命令を新聞社や出版社に出したか。ほんの一部の例だが、次のごとし。これは「内閣情報部」の前身「情報委員会」が発した、対国民煽動宣伝の基本方針「支那事変に対する(国民への洗脳)宣伝方策大綱」。1937年9月3日付け。内容は、支那が日本の属国となるまで)対支戦争を無限に拡大する近衛文麿首相を盲目的に支持させるよう国民を洗脳せよ、とある。

「今回こそは如何なる犠牲を払ひても、徹底的に支那を膺懲してこれを覚醒せしめ日支紛争の根本原因を芟除し、東亜永遠の平和を確保せんとする帝國上下の不動の決意を固めこれを…特に支那に反映せしむ」(注3)。

 1938年1月17日付けの「支那事変に対する(国民への洗脳)宣伝方策大綱」は、対支戦争で日本経済・財政に悪影響が出始めているけど、国民に「堅忍持久毅然として動かざる=戦争への批判や停戦要求の声を出させない」ようにする、つまり国民を戦争狂に洗脳しようと定めている(注3)。

 後は省略するが、このように、大東亜戦争の戦争を熱烈支持させる出版物や新聞報道以外は存在させない政府の方針に逆らう出版社や新聞社は、一社もなかった。西尾幹二が感激する、上記の八冊は、このように出版の自由がゼロの全体主義体制だった大東亜戦争期の出版物である。良心ある真に愛国的な日本人や、戦争狂以外の冷静な識見をもつ者が執筆したものではない。

 さらに、「情報委員会」「内閣情報部」「情報局」の幹部も情報官も、実態的に、GRUやNKGB所属のソ連工作員たちが主力であり、当然、スターリンのアジア共産化命令に合致した日本国民洗脳を目標にした出版物に統制を行った。この結果、上記の八冊もそうだが、1937年から1945年の八年間の日本の出版物はことごとく、日本国民をしてアジア共産化を国益ある大義かに錯覚させて、自らの生命喪失と財産喪失の犠牲を甘受する“戦争狂”を植えつける洗脳本となった。例外は一冊もない。

 西尾幹二は、大東亜戦争期の戦争関連の書籍群を論及しながら、それらが背後でスターリンやベリアが操作し使嗾する“赤い国家機関”「情報委員会」「内閣情報部」「情報局」の指導下で出版された歴史事実については決して触れない。この問題は次稿で論じるが、西尾幹二の歴史改竄の犯意は、このように尋常ではない。

精神病院から脱走中の西尾幹二

 では、洗脳もされないのに十歳のときよりすでに“戦争狂の狂人”だったためか、一読してこれらの八冊に共鳴し共振する西尾幹二の、その異常な“畸形の反日極左思考”を解剖することにしよう。

 『GHQ焚書図書開封 第十巻』の中で、戦慄的に感動を呼ぶ圧巻は、何と言っても、西尾幹二の次の一節。西尾が精神病院から脱走しているのが、万人の目に明らか。

「現在、白人(=「アメリカ」?)が何をやろうとしているかご存じですか。日本と中国を戦わせようとしているのです。尖閣諸島の下に眠っている油田──アメリカがその石油を手に入れるには日本と中国を戦わせるのが一番いい」(注4)。

 まず、尖閣諸島の西方にある日中「中間線」付近では、海洋法など国際法に従えば日中双方が平等に所有すべき天然ガスが埋蔵する。が、中共は勝手にそれを採掘・生産し支那本土に送っている。しかし、西尾幹二にかかれば、この「中間線」天然ガスの問題ではなく、中東並みの巨大な海底石油尖閣諸島周辺海域に埋蔵されているらしい。読者は初耳だろう。世界にとっても新ニュース。いくら狂人の西尾幹二でも、まさか「天然ガス=石油」とは考えまい。

 次に、事実には眼を瞑り、仮にそこに石油があると仮定してあげよう。この仮定ケースで、尖閣諸島で日中が戦争すると、なぜ米国がこの石油を入手できるのか。正常な人間にはさっぱりわからない。日中戦争で勝利する中共が、この「海底油田」を獲得する。言うまでもないこと。それとも日中戦争で勝利した国は尖閣諸島の海底油田を米国に渡す国連決議でもあるというのか。上記引用文は、西尾幹二精神分裂病が最終段階にあるのを示唆していよう。

「アジアとは、日本だ」?──日本国を地理上に認識できない西尾幹二の病気

 さて、西尾幹二の『GHQ焚書図書開封 第十巻』のほぼ半分に当たる第二~六章は、高橋勇の『亜細亜侵略史』(対英米戦争八ヶ月前の1941年3月刊)からの引用文がずらり。学者ならば、著作権法の問題だけでなく、他人の作品で自著をつくることを厳に戒めるので、違法でなくともこのような盗作まがいの事は決してしない。西尾幹二は、自分自身を学者ではなく売文専業評論家だと自覚しているからか、ふんだんな“盗作・盗用”もしくは“盗作・盗用もどき”が許されると考えているようだ。

 それはともかく、高橋勇の主張には、西尾幹二に酷似して、「アジア」という地域があっても、日本という「国家」が存在しない。“自国=祖国”意識が不在である。つまり、高橋勇は、日本国民ではなく、“思弁上の無国籍アジア人”になりきっている。

 そればかりか、日本陸軍支那大陸への軍事侵攻での蒋介石の国民党軍との熾烈な戦争を「神国(=日本)の霊光による、支那の生命の奥に眠つてゐる、神国の神の心と同じに響く心を呼び覚ま(すためだ)」と、幽鬼が漂う神がかり戯言・妄言に置き換えている。恐山のいたこの口寄せそのもの。

 だからだろうか、『亜細亜侵略史』の主張は、奇々怪々と言うか、荒唐無稽と言うか、常人の理解する事は不可能な「アジア勃興のための“日中戦争聖戦論”」となっている。

支那事変日中戦争は、神国の霊光によって、支那を恐るべき植民地化の雲烟から救ひ、日本とともに亜細亜をその退嬰的沈溺から救ひ、夢に耽る亜細亜を覚醒して、現実の世に生き生きと躍動する亜細亜とし、支配されてきた亜細亜を、むしろ支配する亜細亜にまで進めるために、戦つてゐるのである」

「これを聖戦と言はないで、何を聖戦と言へよう」(注4)。

 日本が蒋介石の国民党軍と戦えば、無傷の毛沢東の共産軍を相対的に強大化するから、日中戦争の帰結は共産軍の支那全土支配となる。それなのに、まず唐突に、戦争の戦場である「支那」を、抽象語の「亜細亜」に摩り替える。次に、「亜細亜を救う」「亜細亜を覚醒させる」「躍動する亜細亜」「支配する亜細亜」と、意味不明な抽象表現をオン・パレードさせて、この意味不明な「亜細亜」を粉飾している。

 そもそも、日中戦争とこれら「亜細亜を救う」「亜細亜を覚醒させる」「躍動する亜細亜」「支配する亜細亜」との間には、何の因果関係があるというのだ。どうやら高橋勇は、“日中戦争などやめるべきだ”の日本国民の大多数の声なき声を封殺すべく、催眠術的な魔語を日本人に注入して、「聖戦だから中止できない」に洗脳して思考停止に陥らせるのを企図しこの文章を書いている。高橋勇とは、(後で述べるように)背後がスターリンに直属するソ連系プロガンディストか。

 だが、西尾幹二は、この高橋勇の催眠術師型呪文に意気投合し、大東亜戦争の目的を、妄想病をフルに発症させてあっと驚く奇天烈なものに捏造する。

日本は大東亜戦争を)亜細亜を救おうではないか”と戦ったのです。ヨーロッパ(「英米」?)を倒すだけでなく、亜細亜に日本の戦った方針、思想、生き方を教えようとしたのです」

「そうした気概を今でも持ち続けているのが日本人なのです」

「こういう風に、わが国がインドやシナを西洋の攻撃から守るという姿勢は脈々とあったのです。それが戦前の日本人の精神であった」(注4)。

 「貧しい亜細亜を救う」のに、1970年代に日本が始めたODAの垂れ流しは賛成はしないが、一方法とは言える。だが、蒋介石に戦争を仕掛けると、どうして「亜細亜が救える」のか。また、日本は、その総合軍事力において長期戦になれば「英米に倒される」が、万が一にも「英米を倒す」ことなどできない。現に1945年8月、日本は英米に屈して白旗をあげ、陸海軍の無条件降伏が筆頭条項のポツダム宣言を受諾した。

 記憶喪失と夢遊病が合併した西尾幹二は、七十年前の現実の歴史事実を受容せず、1945年の十歳の時のままに、今も狂気の逆立ち蜃気楼の中で遊んでいる。

 NKGB工作員近衛文麿や赤い陸軍参謀本部の中枢は「大東亜戦争で日本を大敗北させ、敗戦と廃墟から日本の共産革命を成功させる」べく開戦した。が、日本人の中には気の毒にも洗脳されて大東亜戦争に必死に勝利しようとした“役に立つ白痴”が大勢いたのは事実。

 それでも、「亜細亜に日本の戦った方針、思想、生き方を教えようとした」事実など存在しない。「そうした気概を今でも持ち続けている“狂人”日本人」など、正常な日本人の中には一人もいない。西尾幹二の妄想と虚言は、狂気を越えている。

 インドも支那も日本にその民族の声として、「西洋から守ってくれ」と頼んだ歴史事実など一度も一つもない。ガンジー蒋介石も、日本の戦争を「迷惑千万!」だと拒絶した。「わが国がインドやシナを西洋の攻撃から守る戦争」とは、西尾流戦争狂の狂人だけが振り撒く、戦争狂信者特有の極めつき戯言・妄言にすぎない。

日本を侵略し続けた北方のロシア、日本を助け続けた南方からの“友邦”英国──日本人を“反・英米カルト宗教” に洗脳すべく、高橋勇/西尾幹二が企む、日本人の地図からロシアを「空白」にする対日本偽情報操作

 西尾幹二が心を奪われて義兄弟となった高橋勇の『亜細亜侵略史』は、「ロシアのアジア侵略」「ロシアの太平洋侵略」をすっぽりと消している。意図的に一行も書いていない。高橋勇が、資本主義国同士を戦争させるレーニン著『帝国主義論』の世界共産化戦略に忠実に従って、『亜細亜侵略史』を書いた事は一目瞭然。

 動かぬ証拠を突きつけよう。

 高橋勇の『亜細亜侵略史』は、アロー号事件(1856年10月)とそれによるアロー戦争(1856~60年)を長々と論じている。そして、清国が屈辱的に締結させられた、英国/フランスとの「北京条約」にも言及している。

 ところが、摩訶不思議なことに、高橋勇は、アロー戦争に火事場泥棒的に割り込んだロシアが、不平等条約を押し付けたと非難される英仏以上のあこぎな領土侵略条約──英仏のと同名の「北京条約」──を清国に強制した“東アジア最凶最悪の侵略”には、一行も一文字もいっさいの言及がない。ロシアが清国に押し付けた「北京条約」については、隠蔽したのである(注5)。

 高橋勇『亜細亜侵略史』は、「ロシアの東アジア侵略」「ロシアの太平洋進出」「ロシアの対日侵略」を隠蔽することを第一義に書かれた、対日本人洗脳本。日本を“友邦”英米と戦争させて、日本が疲弊し荒廃したところに、ロシアに日本全土を侵略・占領させることを意図した、日本国にとって害毒きわめる“スーパー反日の悪書”。

 このような本に歓喜して、不特定多数の日本人にこの“反日の悪書”に心酔せよと薦める西尾幹二とは、まさしく“畸形の反日極左人士”。そう呼ばずして、西尾を何と呼ぼう。だから、高橋勇が“ロシアと清国の間の「北京条約」を故意に欠落させて隠蔽した”歴史の大改竄に対し、西尾幹二は見て見ぬふりをして擁護する。

 この「北京条約」の箇所への西尾のコメントは、190~2頁の約一・五頁分の分量もありながら、イギリス批判だけ。西尾の結語は、何と「北京条約で、イギリスは大英帝国の繁栄をますます加速させた」である(注5)。

 つまり西尾は、「イギリスの東アジア進出は不可、しかしロシアの東アジア侵略と対日侵略は大歓迎する」との堅い信条に立つことを暴露している。西尾幹二が“ロシア系無国籍人”なのは、これほど明瞭。

 なお、アロー戦争の当事者でもないロシアがしゃしゃり出て、火事場泥棒的に清国に同意させた「北京条約」は、1860年11月14日の締結。

 その内容は、①1858年のアイグン条約の再確認。これで黒竜江以北の「外満洲」がロシア領となった。続いて、②沿海州を割譲させた。これによって不凍港ウラジボストークを獲て、ロシアはついに太平洋に進出した。ウラジボストークとは対日侵略の海軍基地だから、さっそく翌1861年、対馬侵略を実行した。③さらに、トルキスタン地方の国境画定の外交交渉をすることを誓約させられた。これによって、清国はイシク・クルなどの広大な領域をロシアに割譲する1864年の条約を締結させられていく。

 西尾幹二が興奮して読み耽る1937~45年の悪書群はすべて、ロシアを世界地図から抹消して白く塗ってあげているものばかり。日本人がロシアの存在とロシアの対日軍事侵略の脅威を「見ない/忘れる」、そのような阿片効果が強度の本のみを日本人読者に推薦するのは、西尾幹二が悪魔すらたじろぐ怖ろしいニーチェヒトラー主義の“日本国廃滅”を狂信し祈祷する“畸形の反日極左の狂人”だからだ。

 どうも「西尾幹二」とは、ロシア人のペンネームのようだ。西尾幹二の本名は、例えば「カンジミール・ニシオチョフ」などではないのか。こう考えれば、“ロシアの世界征服”を祈願している西尾幹二の真赤な嘘だらけ言論活動の理由が氷解する。

迫るソ連の対日侵攻という日本の危機を日本人の頭から完全忘却させよ!──近衛文麿の「内閣情報部/情報局=ソ連細胞」へのスターリン命令

 西尾幹二が『GHQ焚書図書開封 第十巻』で列挙した八冊の本は、揃いも揃って、英国その他の西欧諸国のアジア/太平洋進出を論じるものばかり。そこには、「ロシアのアジア進出」と「ロシアの太平洋進出」とが露骨に抹殺されている。当然である、1937年以降の日本における出版物はすべて、「“ロシアの対日軍事脅威”を日本人の脳裏から忘却させる洗脳書であるべき」が、国家権力で強制されていたからである。これに反する出版はできなかった。

 このため、「ロシアのアジア進出/太平洋進出」に関しては、歴史関連の書であれば、当該歴史を偽造するか、都合の悪いところを隠蔽し抹消するかが、出版の条件であった。同時代の国際軍事情況解説であれば、「ソ連は日本の友邦国」などと、ソ連を美化する徹底的なソ連歪曲がなされていないならば、出版されることは万が一にもなかった。簡単に言えば、「ソ連宗主国、日本はソ連の属国で共産国」の前提に立つか、この前提に間接的であれ役に立つか、でない書籍の出版は絶対禁止だった。

 このことは、『GHQ焚書図書開封 第十巻』が取り上げた九名の執筆者を見ても明らか。全員ではないが、この執筆者のほとんどは、札付きのソ連工作員コミュニストばかり。彼らの本を読めば、彼らが狙う通り、目前に迫るソ連の対日侵略の準備状況と予定とが錯覚的に頭から消えていく。日本人は、ロシアの軍事脅威を認識することが全くできなくなる。

 実際にも、1937~45年、昭和天皇や若干の親英米系外交官を除けば、このような出版情況/新聞報道情況において、七千万人のほぼ全員の日本人は、“スターリンに頭をレイプされた操り人形”になっていた。日本民族七千万人が、モスクワから渡された赤い麻薬を飲んで、「鬼畜米英!」と大合唱している様に、スターリンは笑いが止まらなかっただろう。

 西尾幹二が大好きな“対日偽情報工作本”『米英の東亜侵略史年表』と『アジア侵掠史』が、この『GHQ焚書図書開封 第十巻』の冒頭で紹介されている(29頁と19頁)

 両書の狙いは、日本人が南方ばかりに眼を向け、日本を侵略する北方のロシアに決して眼を向けないように洗脳すべく、それぞれ“ソ連人”柴田賢一と桑原三郎の作。

 なお、前者の『米英の東亜侵略史年表』は、“戦争狂の狂人”で“日本国廃滅教の教祖”西尾幹二の教唆で、「国書刊行会」という私企業の出版社が復刻再刊した(2012年)。ロシアの対日侵略と日本亡国に協力した“売国奴”出版社「国書刊行会」は、「反日書”刊行会」か「“悪書”刊行会」かに社名を正しく変更すべきである。

“日本の偉大な友邦”英国への恩義に唾する“無道徳のならず者”西尾幹二

 歴史の隠蔽・歪曲・改竄に終始する西尾幹二の“異様な歴史評論”は、歴史ではない。理由の核心は、ロシアを世界地図において真白に塗り消す作為をした捏造のことではない。歴史学とは、地球狭しと同時に進行していた祖国に死活的に重大なあらゆる歴史的事件を同時に鳥瞰する知的作業のことを指す。が、西尾はこれを拒絶する。西尾の「自称歴史」は、必然的に歴史になりえない。

 当然、勢力を地球規模で膨脹させた国家が歴史上あたかも英国しかなかったかに描く『GHQ焚書図書開封 第十巻』12~13頁の「イギリスの地球侵略図」など、捏造・歪曲の有害歴史といえても、歴史とは異次元で反歴史である。なぜなら、不可分の関係にある同時期の“ロシアの世界侵略図”を抹殺しているからである。

 そもそも、国籍と民族の熱誠が欠如した歴史など歴史ではない。日本民族の男児として生まれた真正の日本国民が描く歴史は、まずもって祖国の存立のための“国を守らんとする精神”が迸るものでなくてはならない。この精神における、(1700年代半ば以降の)1945年までの日本の対西洋関係史の歴史は、当然に、“ロシアの対日史”と“英国の対日史”が同時不可分の複合で鳥瞰されているはずである。これのみが、正しい日本国民が書く正しい歴史となる。

 具体的に言えば、ロシアは日本国を侵略せんとした歴史しかない。一方、英国の対日史はその嚆矢から、ロシアの対日毒牙を牽制するもので始まり、その継続であった。ロシアと英国の対日関係史は、本性において対極的で非対称だった。

 とすれば、“日本を巡る英露の角逐”で描かれていない歴史など、歴史にはなり得ない。例えば、「日本周辺の北太平洋進出は、ロシアの方がイギリスより圧倒的に早い」「英国の日本国への直接的な出現は、ロシアより大きく遅れた」(備考1)とか、「ロシアの太平洋進出によって、初めて日本は西洋列強の軍事脅威を受けるようになった」とか、「ロシアが恐れるのは、第一次世界大戦までは、イギリスのみであった」とか、「ロシアには南下政策として日本への侵略の意図が露骨だったが(備考2)、英国は対支那とはうって変わって日本への領土欲がゼロだった」とか、両者を相対化する客観的視点が欠如した歴史など、“歴史の改竄”にしかなり得ない。

(備考1)英国は日本にほとんど関心がなく、一八〇八年のフェートン号事件も対ナポレオン戦争の一環だし、1854年10月の日英和親条約も、英露間のクリミア戦争プチャーチンのロシア艦隊を殲滅せんものと偶々立ち寄った長崎で、さらに偶然にも長崎奉行の水野忠徳の勘違いから締結されたもの。日本に対するロシアの公式の開港要求が1792年のラクスマン根室来航とすれば、これに相当する英国の対日行動は日英和親条約が最初と言えるので、英国の対日政策はロシアに遅れること六十二年ということになる。

(備考2)イルクーツク日本語学校は1754年設立。これがロシアの対日侵略準備の開始年だと言える。

 

 日本国の立場からの“国籍のある歴史観”においては、“北西太平洋=極東への英国の進出は日本にとって幸運だった”とするのが、根幹的に正解である。なぜなら、阿片戦争の勃発によって、英国は1840年、初めて「東洋艦隊支那艦隊)」を編成した。また、阿片戦争の勝利で香港を割譲させ(1842年、南京条約、日本に地理的に近い香港に「東洋艦隊」のプレゼンスが始まった。香港の「東洋艦隊」ほど、日本の国防に裨益したものはない。

 とすれば、阿片戦争こそは、日本を庇護せんとする“神の見えない手”であった。つまり日本の国家存立にとって、イギリス海軍力の西太平洋での北上こそ天佑であり神風だった。

 このことは、1861年、対馬を侵略したロシアから対馬を無償で奪還したのは英国の「東洋艦隊」であった歴史事実において、端的に証明されていよう。

 1861年3月、沿海州不凍港ウラジボストークを清国に割譲させた1860年の直後に当るが、ロシアは軍艦ポサッドニック号を対馬に停泊させ、芋崎浦の割譲を要求した。英国公使オールコックは香港の「支那艦隊」司令官ホープと図り、1862年8月末、二隻の軍艦「エンカウンター号」「リングダブ号」を対馬に派遣し、ロシア軍艦に退去を強制した。ロシアは外交交渉では妥協しないが、強い軍事力には屈服する。一ヶ月を待たずロシア軍艦は占領していた芋崎浦からさっと退去した(注6)。

 もう一例挙げる。

 日露戦争にあたり、英国は①日本の戦費の工面に全面協力し、②日本が新造新鋭の軍艦を入手できるよう智慧と情報と援護とを無償で提供し、③さらにバルチック艦隊の戦場到達を遅らせ/疲弊させるべくスウェーズ運河通航を拒絶した。英国との同盟なしに日本の対ロ勝利はなかった。具体的に言えば、こうだ。

 アルゼンチンがイタリアに発注し完成したばかりの二隻の新鋭軍艦「日進」「春日」を日本に斡旋したのは英国。しかも、この二隻の日本回航にあたってロシア海軍に撃沈されないよう、両艦とも艦長を英国海軍大佐にし、ユニオンジャックの旗を靡かせ、かつ英国海軍の一万四千㌧の当時世界トップの巨大な装甲巡洋艦を提供しセイロン島のコロンボまで護衛した。事実上、英国海軍による日本への回航だった。また、ロシアがチリから購入しようとした軍艦二隻は、英国が急いで高額で落札し、ロシアに売却されるのを寸前に防いだ。

 そればかりか、戦争遂行の財政力がない日本は、日露戦争の戦費の四割を英米二ヶ国での外債によって賄ったが、このとき英国国王はイギリスの資産家を国王晩餐会に招待しては、日本公債の購入を勧誘する営業マンに徹してくれた。

 対馬が日本領土であるのは英国の御蔭。日露戦争の勝利も、米国とともに英国の御蔭。日本は英国に、計り知れない恩義を負っている。英国に対する感謝は、道義に生きるべき日本の美徳であり矜持である。恩義とか感謝とかは、日本人の道徳性を磨くためにも顕現が遺棄されてはならない。美徳国際法は、賢慮な対外政策を支える二大柱である。

 が、西尾幹二は、『GHQ焚書図書開封 第十巻』を挙げるまでもなく、“最高の友邦”英国に罵詈雑言を投げつけることしかしない。それは“反・英米カルト宗教”の狂信からでもあるが、西尾幹二の人格がニーチェ反道徳のドグマに冒されて、人間性を喪失した“非・人間”のボルトナット化しているからである。西尾幹二の「歴史評論」が“反・歴史”となるのは、無道徳・背徳の人格からの当然の帰結である。

 

1、ニーチェ『権力への意志』上、ちくま学芸文庫、四五二頁。

2、『野間省一伝』、講談社、一四七~一五〇頁。

3、『資料 日本現代史 10』、大月書店、三一六頁、三一八頁。

4、西尾幹二GHQ焚書図書開封』第十巻、三四頁、八六~八頁。

5、上掲、一九〇~二頁。

6、『日本外交史』第一巻、一五七~九頁。

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