中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 十歳のときより顕著な“ロシア系無国籍人”である西尾幹二は、当然に、日本を祖国だと認識できない。ニーチェヒトラー系の日本国廃滅主義を信条とする西尾幹二の視点は、何から何まで、地球上を彷徨う地球放浪者のそれである。このような地球放浪者を学術用語で「ディアスポラ」と言う。

 西尾幹二が日本人なのに今や“在日北朝鮮人たちのヒーロー”に担ぎ上げられている事実も、西尾幹二が“ロシア系無国籍人”であることと無関係ではない。在日朝鮮人といえば、かつて二十代の大前研一が自分のことを「俺は無国籍人だからな」としばしば公言していたように、確かに日本人でもないし、また決して朝鮮半島朝鮮人でもない。

 在日北朝鮮人たちが、その心理においては日本列島に住む「外国人」で無国籍人だと自己認識するのは自然である。そして、自分たちと同類の日本人(=日本列島に住む日本人だが精神における無国籍人に出会って、「仲間」として親近感を懐くのもまた自然の情というべきだろう。

 かくして“ロシア系無国籍人”西尾幹二は、八十歳を迎えてますます「脱・日本人」の狂気が増幅したのか、これら在日北朝鮮人系の“無国籍人”に神輿のように担がれ、そのヒーローとなって彼らのオベッカと喝采だけを生きがいとする日々に恍惚と耽る。

 なお、西尾幹二の日本国廃滅主義は、かつてニーチェ文学(「ニーチェ哲学」ではない)の翻訳家を職業としていた西尾が、ニーチェのダブル精神分裂症(注1)の思惟に共鳴共振するばかりか同種の病気を持つ以上、必然的にニーチェ的な国家廃滅主義の思惟をなすに至ったと考えられる。この情況は、十九世紀末の世紀末的ニヒリズムを濃く湛える無国籍人ニーチェが、百年の時間を越えて西尾幹二に憑依し、二十一世紀初頭の日本国を呪い日本を再びの亡びと国家廃滅に導かんと祈祷している姿である。

第一節 (敵前逃亡した山本五十六提督の)ミッドウェー海戦」と(過剰に用心深い性癖で引き分けとなったが勇猛に敵艦隊殲滅を試みた英国ジェリコー提督の)ユトランド沖海戦」の比較 ──「寡兵よく大軍を破った」米国ニミッツ提督と「破れなかった」独国シェア提督

ミッドウェー海戦はなかった」ことにする帝国海軍の戦時国民騙し(偽情報宣伝)を踏襲し、“平成の日本人騙し”の対日嘘歴史キャンペーンに精を出す西尾幹二

 国内における「反日」革命分子が日本国を滅ぼすに、その手段に武力闘争など必ずしも必要ではない。日本人から正しい歴史を剥奪して、代わりに狂った歴史を注入すれば済む。正しい歴史という羅針盤を失えば、いかなる民族も国際政治における国益擁護の正しい道を選択できず、自国損傷の奈落へと迷い込む。その先に到来するのは亡国。

 歴史の改竄を恣にする西尾幹二の狂った歴史の煽動・洗脳の事例として、前回に続いて帝国海軍がらみのものを挙げる。具体的には、一九二一~二年のワシントン海軍軍縮会議に関する西尾幹二の悪質きわめる歴史歪曲。これを俎上に上げる。

“巨大艦隊の日本海軍”は、なぜ“中規模艦隊の米国海軍”に破れたか ──桶狭間の“驕慢愚将”今川義元を演じた“世界一の怯懦軍人”山本五十六

 西尾幹二の“世紀の悪書シリーズ”『GHQ焚書図書開封』の第八巻第八~十章は、ワシントン海軍軍縮会議に関する“壮大な真赤な嘘”で塗り固められた、薄ら寒い小説である。この西尾流ノンフィクション小説の全編すべては、戦時プロパガンダ本『米英の東亜制覇政策』(一九四三年十二月、毎日新聞社刊)の盗用で書かれている。学術研究を一度もしたことが無い“売文業評論家”西尾幹二の嘘と盗みの特性が遺憾なく発揮された偽造歴史で、悪のノンフィクション小説である。

 西尾幹二が『米英の東亜制覇政策』から著作権法に照らしても学界の通常慣例によっても「盗用」と断定できる)引用する厖大な盗用文の中の、ある箇所の引用は、一年半前に真赤な間違いであることがすでに十全に証明されたお粗末に過ぎる、余りに馬鹿げた嘘でデタラメ。

(海戦における勝敗は)数理的に言えば、艦艇数の二乗および攻防力に正比例する。近代海戦の実例に照らして見ても、例外なく寡勢軍はすべて敗退の結果に終わっている(注2、ゴ部分が真赤な嘘歴史)

 なぜなら、一九四二年六月五日のミッドウェー海戦において、圧倒的に強大な日本海軍は、その数分の一の戦力しかない米国太平洋艦隊に完膚なきまでに叩きのめされた。日本の帝國海軍は、日露戦争東郷平八郎の顔にドロを塗り、世界中に軽蔑される最低海軍に成り下がったが、この大敗北を喫した「ミッドウェー海戦」をなかったことにした対日嘘宣伝本、それが『米英の東亜制覇政策』。

 つまり、対米戦争はもはや万事休すと「絶対国防圏」(一九四三年九月)が設定されたように、一九四三年夏を境に、日本は攻勢から守勢に転じることを政府・軍部は決定した。ために、国内では、大東亜戦争の帰趨を展望できる軍・政の一部エリートが、対米講和の方向を模索するようになっていた。

 この動きを牽制して封じ込めるべく、ソ連と通謀し大東亜戦争による日本共産化を図る赤色勢力は、ソ連軍の対日侵攻まで大東亜戦争の続行を企図し、日本国民への嘘八百の偽情報を宣伝して洗脳することに一段と熱を挙げた。共産主義者が牛耳る毎日新聞社が『米英の東亜制覇政策』を急ぎ出版したのは、この理由と背景においてであった。

 西尾幹二が「反日」偽情報本にすぎない『米英の東亜制覇政策』に意気投合するのは、西尾幹二自身が、嘘八百の歴史を垂れ流して日本人を騙す「究極の反日」人士だからである。このことは、西尾幹二がひた隠す「ミッドウェー海戦」の、日米間の損害(表1)と、日米両海軍の投入戦力(表2)を比較すれば、一目瞭然だろう。

 

表1;ミッドウェー海戦での損害

 

日本

米国

沈没艦艇

正式空母4隻(赤城、加賀、蒼竜、飛竜)

正式空母1隻(ヨークタウン)

損傷艦艇

重巡洋艦1隻、駆逐艦4隻

駆逐艦1隻

喪失航空機

263機、数機の水上偵察機

約150機

 

 西尾の狂気の妄説に従えば、米国が全面勝利し日本が大敗北を喫したミッドウェー海戦では、日本側がよほどの「寡勢軍」でなければならないが、実際は米国の方が日本の四分の一しかない「寡勢軍」だった。米国は「寡兵」をもって、巨大な「大軍」日本海軍に乾坤一擲の心境で臨んだのである。桶狭間において八倍の今川義元軍に臨んだ織田信長の寡兵三千名の心境は、ミッドウェー海戦フレッチャー/スプルーアンスの二人の海軍少将に通じていよう。ミッドウェー海戦の彼我の戦力格差は表2。

       

表2;ミッドウェー島攻略海戦に投入されたに日米の海軍力

 

日本

山本五十六海軍大将

南雲忠一海軍中将

米国

ニミッツ海軍大将

フレッチャー/スプルーアンス海軍中将

空母

正式空母4隻(搭載278機)

改装空母2隻(搭載39機)

小型空母2隻(搭載63機)

正式空母3隻(搭載152機)

戦艦

戦艦11隻

ゼロ

巡洋艦

重巡洋艦11隻

軽巡洋艦10隻

重巡洋艦4隻

軽巡洋艦3隻

その他

駆逐艦56隻

駆逐艦16隻

小計

96隻

26隻

 

 四分の一の戦力しかない寡兵側が大勝利した「ミッドウェー海戦」の、日本の恥ずべき戦史について、日本人なら誰でも知っている。西尾幹二大東亜戦争中にはすでに小学生で、東京裁判ほか戦後これが問題になった頃には中学生だから充分に知っていた。

 とすれば、陸戦ではよくある「寡兵よく大軍を破る」戦闘の事例を、海戦においてもありうることを米国が見事に実証した「ミッドウェー海戦」について、西尾幹二は狡猾にも、これを意図的に隠し、次代の日本人を騙すことにしたと断定できる。西尾幹二とは、悪の権化であり、歴史偽造の大犯罪者である。 

 米国艦隊は、その艦艇・航空機などの戦力が「四分の一」と、スーパー劣勢だっただけではない。米国の空母艦載機パイロットの訓練はまだ不十分で、未熟者が多かった。着艦ができないものは数知れず、そればかりか、魚雷を装備して離艦するパイロットの中には生れて始めて魚雷を見たど素人パイロットすらいた。だが、攻撃のタイミングにおいて、フレッチャー/スプルーアンスの両海軍少将の判断は天才級だった(注3)。

 米国側にはミッドウェー島からの艦上爆撃機が加わるが、基本的には「日本の空母4隻対米国の空母3隻」「日本の艦載機278機対米国の152機」の、絶対優位の日本と絶対劣位の米国との戦いだった。ではなぜ絶対優位側の日本が負けたのか。

 第一の敗因は、ミッドウェー島攻略戦の最高指揮官・山本五十六が、この主戦場の海域から五百四十kmも離れた安全地帯に敵前逃亡し、加えて将棋をさしていた、人類の海戦史に類のない臆病と堕落の最低軍人だったからである。

 戦場で先頭に立って指揮しないのであれば、ニミッツ提督の如く母港パール・ハーバーに留まり、戦場の指揮官フレッチャー/スプルーアンスに全幅の信頼をもって任せることが王道である。だが、山本五十六は戦場に出撃しながら、わが身安全が第一と「敵前逃亡」していたのである。詳しくは拙著を参照されたい(注4)。

 山本五十六のこの行動は、海軍刑法第四四条第一項に従って死刑が相当の大犯罪(注4)。だが、戦後日本では、対山本糾弾の動きはすべて封殺された。日本を「反米」に仕向けるためのソ連の対日工作の成果だし、国内共産革命勢力の情報操作の成果である。

 山本五十六の犯罪隠蔽による美化は、直接に「反米」闘争に効果覿面だし、これは戦後七十年を経た今に続いている。日本が国家として今後も生存を期するならば、祖国叛逆者として海軍刑法大犯罪者として、山本五十六靖国神社から叩き出し追放しなければならない。

(備考)大敗北の原因として、奥宮正武と渕田美津雄がデッチアゲた「魔の5分間」と言う巨嘘が日本では出回っている。多くの識者が、この創られた嘘神話を断罪しているが、一度広がった嘘はなかなか消えない。拙著も、簡単な分析結果を書いておいたので参照されたい(注5)。要するに、南雲忠一が、偵察に関する手抜きから、敵空母の位置を誤算して「30分後襲来」と算出した。だが、実際には米国の雷撃機等に「5分後」に猛襲された。この南雲の誤算は、戦艦「大和」に騎乗する山本五十六が、敵機の動きを知っていたのに、自艦の位置を敵に覚らせたいために、南雲の空母部隊に連絡せず無線封じをしたことに発している。

 なお、奥宮正武とは、パネー号事件についての虚言が証明するように、西尾幹二と同類の、生来の虚言癖の大嘘つきで、晩年、生活に窮して中共工作員となりデッチアゲ小説『私が見た南京事件』を書いた(注5)。噂では代価150万円を手にしたと言う。

 蛇足だが、役所公司が山本五十六を演じた映画『連合艦隊司令長官山本五十六(2011年12月公開、東映は、中川八洋山本五十六の大罪』(2008年6月刊)を封殺するための対抗宣伝の映画として企画されたとの風評が、その当時、流れた。真偽は未確定だし単なる噂かも知れない。が、「留意する価値は全くない」とはいえまい。

 話を戻す。日本がミッドウェー海戦に破れた最大の理由は、自らが「大軍」であることに驕慢をきわめた帝国海軍での、その将官のほとんどがデタラメの極で腐敗していた事実に尽きよう。確かに、パイロットなど一部の士官・下士官などには人格的に申し分のない勇猛果敢な軍人が多かったが、上層部が腐敗をきわめていた以上、戦争という国家の命運を決定する国の一大事では無意味である。

 この問題は第二節で紙幅があればさらに追及するとして、ここでは西尾幹二が無知を晒して大はしゃぎする、上記『米英の東亜制覇政策』がデッチアゲる「海戦法則」なるものの真赤な嘘・謬説を暴くべく、もう一つの歴史的事例を挙げる。「ユトランド半島沖海戦」である。

艦隊決戦が戦争の帰趨を定めた時代の終焉を告げた「ユトランド沖海戦」を学ばず、米海軍に対する数的優勢に拘った「戦間期」日本海軍“反米屋”の祖国叛逆 

 「ユトランド半島沖海戦」と聞いても、現在の日本人は老いも若きも究極の堕落に生きており、ために羞恥心を失って、健全な民族の一般男児がもつべき最小限の軍事知見、すなわち軍事史・戦史の知見を全く欠如するのに、反省もしない。やむを得ず、ここで簡単に復習しておく。

 第一次世界大戦が始まって二年目の一九一六年五月三十一日~六月一日、二十六年後の「ミッドウェー海戦」と酷似した彼我の戦力格差の大きい大海戦が、デンマークユトランド半島沖合いの北海において決行された。海軍超大国イギリスの「大艦隊」に対して新興海軍国に成り上がった帝政ドイツの「大洋艦隊」の海上決戦である。

 損害で見る限り、数的に英国艦隊の戦力の三分二しかない「寡兵」ドイツ艦隊が二倍の戦果を挙げた。ドイツ側が「寡兵よく大軍を破る(に勝利する)」までには至らなかったが、「寡兵よく大軍と拮抗する(に敗北しない)」の凱歌を挙げたのである。

 

表3;ユトランド沖海戦の英独海軍の損害

英国の損害

帝政ドイツの損害

戦死  6094名

 (沈没)

巡洋戦艦   3隻

装甲巡洋艦  3隻

駆逐艦    8隻

 

合計排水量 11万3300㌧

戦死    2551名

 (沈没)

弩級戦艦     1隻

弩級(旧式)戦艦 1隻

軽巡洋艦     4隻

駆逐艦      5隻

合計排水量 6万2300㌧

 

 しかも、戦力格差は、その艦艇の一般的な性能を考慮すれば、英国とドイツでは比較にならなかった。出撃した主要艦艇数の「(150隻)(110隻)」は、艦艇能力を考慮して補正すれば「」と看做しうるものであった。なぜなら、英国の弩級戦艦の速力は最低で20ノット、最高はクイーン・エリザベス級4隻で25ノットが出た。が一方のドイツのは、前弩級戦艦が16ノットと低速であるため、弩級戦艦がこの旧式戦艦と艦隊を組めば、この16ノットにならざるを得なかった。そればかりか、ドイツの弩級戦艦は、最高速力が21ノットで英国より4ノットも遅かった。 
 さらに、搭載砲の数と性能は、英国とドイツは「」だった。英国の「15インチ砲48門/14インチ砲10門/13・5インチ砲142門/12インチ砲144門」に対し、ドイツは「12インチ砲144門/11インチ砲100門」であった。砲弾一斉射出力に換算すると、英国は40万ポンドであったのに、ドイツは19万ポンドだった。

表4;ユトランド沖海戦の英独出撃艦艇(注6)

英国の大艦隊Grand Fleet ジェリコー海軍大将

帝政ドイツの大洋艦 High Sea Fleet シェア海軍中将

弩級戦艦   28隻

巡洋戦艦   6隻 

装甲巡洋艦  8隻

軽巡洋艦   23隻

駆逐艦    85隻

小計       150隻 

弩級戦艦      16隻

巡洋戦艦      5隻

弩級(旧式)戦艦  6隻

軽巡洋艦      11隻

駆逐艦       72隻 

 小計       110隻


 では何故に、「寡兵」のドイツ大洋艦隊は、「大敗」して当然なのに、「不敗」の戦術的勝利を得たか。戦法と幸運性についてここでは抜きにして考察すれば、英国の主力艦艇の設計上の欠陥にあろう。 

 第一は、砲塔と弾薬庫の間は二重扉を設置しておかねば、砲塔での爆発火炎が揚弾機を伝わって弾薬庫に伝わる。実際には一重扉で、しかも戦闘中、開けっ放しであった。第二に、砲塔の天蓋の厚さがわずか3インチでは、砲弾がひしめく砲塔が敵艦からの直撃弾を喰らえば艦全体が瞬時に大爆発する。第三は、射程を含めて、砲攻撃力が大幅に劣るドイツ側がそれ相当の戦果を挙げた理由は、砲の仰角の工夫にあった。第四に、装甲板貫通力において、ドイツの砲弾のそれは英国のを大幅に凌駕していた。

 英国の巡洋戦艦「クイーン・メアリー」「インヴィンシブル」「インディファティガブル」の轟沈は、これらの設計欠陥や砲弾開発での質的劣性が主因である。

 さて、軍事史学的には、ユトランド沖海戦は何を語るか。一言で言えば、東郷平八郎日本海海戦やネルソン提督のトラファルガル海戦のように、一度きりの大海戦で戦争全体の帰趨を直ちに決定した時代が終焉したことを示していた。

 さらに、「ユトランド沖海戦」直後の海軍バランスで言えば、沈没を逃れて母港に帰還できたたものの損傷を受けた艦艇は修理なしには出撃できないから、これを差し引くと、英国の即時戦闘可能な弩級戦艦及び巡洋戦艦は24隻も残存し、一方のドイツの戦艦と巡洋戦艦は10隻しかなかった。これほどの英独間の軍事力ギャップがあるのに、絶対優勢の英国は絶対劣勢なドイツ艦隊を攻めて殲滅する作戦を決断しなかった。港湾の機雷や海底に潜む潜水艦その他を考慮すれば、殲滅的勝利は不可能で、逆襲されれば負の結果を招くと算定されえたからである。海戦の陸戦化が起きていた(注7)。

 ために、北海を制海(sea control)できない英国はバルト海も制海できず、バルト海第一次世界大戦の終わりまでドイツの支配下にあった。この軍事対峙情況は、レーニンがサンクト・ペルブルグで共産革命を起こしたとき(1917年11月)、あるいはこのレーニンの赤色ロシアがブレスト・リトフスク条約でドイツと単独講和してドイツ側に寝返った時(1918年3月)、英国が「敵国となった」赤色ロシアにバルト海から軍事介入してレーニンの共産革命勢力を瞬時に叩き潰す好機をもてなかった原因となった。

第二節 ワシントン会議/ロンドン会議での対米協調こそ国益 ──数の優位に拘る愚昧な海軍は、数の優位に驕って自滅に至る

 私が、専門を比較政治学や原発政策から国際政治学に変更すると決心したのは、一九七九年十二月末にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したからである。ソ連が、次なる侵略の標的として「日本の北海道ペルシャ湾制覇を見据えてのザーグロス山脈以北のイラン北半アフガニスタンの南方でインド洋に面するイランパキスタン領土の一部(回廊)」を考えている事は、私だけでなく、一定レベル以上の米欧の軍事専門家の一致した観方だった。

 核兵器の研究をすでに二年ほどしてきた当時の私は、ロシア人が核兵器と核戦争を過剰に恐怖することを知っていた。故に、最も迅速かつ確実にソ連の世界侵略を抑止する方法は、米国の核戦力を一気に三倍増することだと考えた。それだけでなく、当時は西側不利と目されていた地理的非対称をソ連不利に逆転する方法として、欧州戦域核戦争と東アジア戦域核戦争を遂行し勝利できる核戦力を配備することが(注1)、最良の対ロ抑止だと理論的に考察した。

 このため、私は、米国の核戦力が数的にソ連の三分の一になった主原因の、ニクソン大統領の愚行である対ソ核軍備管理条約SALTⅠ(一九七二年)がなぜ締結されたか、などの外交史・核戦略の研究に勤しむことにした。これが、私が国際政治学者を開始した一九八〇年、まず最初の研究テーマが軍備管理・核戦略理論となったきっかけである。

 だが、一方、この一九八〇年代に早期に対ソ核抑止をすべく欧州や東アジアに配備する中距離核兵器については、一九八〇年時点、私自身は全く発想できなかった。欧州の地上に新たに配備すべき新型ミサイルは、これまでの中距離弾道ミサイルの型では、ソ連のSS20に先制攻撃されて役に立たない。いろいろ考えたが、自分のIQからはついに、その基本設計構想が浮かばなかった。

 また、ICBM等をフル生産して対ソ三倍になるまでは相当に時間がかかり、また米国と言えども(海軍力の大増強が優先されねばならない時に、これに加えて)厖大な予算を喰らうICBMSLBM三倍化大生産への米国民の納得を勝ち得られるかが心配だった。

 だから、翌一九八一年一月にレーガン大統領が就任して明らかになった、走行型の中距離弾道ミサイル「パーシングⅡ」を南ドイツに配備し、移動式の地上配備型巡航ミサイル「トマホーク」を欧州五ヶ国の陸地に配備するとの方針を知ったとき、驚愕をもって米国を再評価した。欧州戦域核戦争を遂行できる新核兵器を発想する天才的技術力、また迅速にそれらを生産できるその産業力の高度さに対してである。

 次に、全体的な米国の対ソ核絶対優位を、長距離ICBMSLBMの対ソ三倍化ではなく、海上・海中から発射する中距離核巡航ミサイル「トマホーク」でソ連を包囲することで達成するとの、米国の発想には再び心底から驚嘆した。この兵器ならば、私の旧式といえる対ソ核兵器体系三倍増構想に比すれば、同一の抑止効果を数分の一の予算で済ませる。開発生産の時間もさほどかからない。

 以上の一九八〇~一年の米国の核兵器開発と配備の新動向は、私に、すでに十分に知ってはいた米国の世界的特性を再確認させた。米国は、理論なしで、実際で理論以上の行動が直ちにできる、と。「欧州戦域核戦争による対ソ核抑止強化」の理論は、おそらく私が世界で最も早かっただろう。当時、米国の核戦略の数百本の論文を集めていたが、類似のものはなかった。がしかし、米国は、この理論に合致する新兵器体系を生産し配備することを、あっという間に決定し、あっという間に進めていたのである。

 このとき私は、エディソンを生みグレアム・ベルを生んだ技術革新天才国家・米国ならではの早業にほとほと感心したし、同時に「ミッドウェー海戦」で劣勢米国が勝利した理由を見い出した思いがした。

 空母戦 aircraft carrier warfareは、日本が先進国で、米国は後発国である。米国の空母戦の理論的研究は日本の足下に及ばないのが一九四二年の実態だった。が、フレッチャー/スプルーアンス海軍少将は、「ミッドウェー海戦」の実戦現場において、日本に優る空母戦の理論を発想し、発想と同時にあっという間に実践していたのである。

歴史関連図書を全く知らない“歴史のスーパー無知”西尾幹二とその狂言妄語

 話を一九二一~二年のワシントン会議をただやたらに難詰する、知が空無な“ロシア系無国籍人”西尾幹二の狂気の妄想と口汚い罵倒に戻そう。まずは、西尾幹二の評論が、次のような前代未聞のスーパー無知に基づくことを紹介しよう。

ワシントン会議の第一回会議〔1921年11月12日〕でシナ全権・施肇基が、十原則を提案したが)この十原則の話は、普通の歴史書には出てきません」(注2)。

 近現代の外交史・軍事史を学びたいものは大学一年生の時、外交官が執筆した『日本外交史』全三十四巻を暗記する。その第十三巻(一九七一年刊)ワシントン会議で、その第三章第二節に、この十原則が、英語原文で収録されている(注3)。これ以外の無数の「普通の書籍」でも論及されているから、「普通の歴史書には出てきません」とは、西尾が「普通の歴史書」を一冊も読んでいないことの証左ではないか。

 「十原則」を読まなければ、九ヶ国条約の成立過程がわからないので、近現代史を専攻するものは誰でも『日本外交史』を熟読する。『日本外交史』を読まずにワシントン会議について、さも日本最高の専門家のごとくに知ったかぶりに論難する輩は、日本のどこを捜しても、“売文専業の嘘つき評論家”西尾幹二以外にはいない。

 西尾幹二のごとく、極度な無学無教養を恥じることもなく、やたらにお粗末な自己流捏造歴史を高飛車に語ることなど、麻原彰晃と同じ精神異常者でなければできない。これに類似する西尾の狂言妄語をもう一つ。

豊島沖海戦黄海海戦日本海海戦など)各海戦と艦艇数と勝敗のデータは戦後の歴史書には出てきません」(注2)。

 これには思わず驚倒し、失笑した。近現代史の中でも戦史の書籍や雑誌はごまんと出版されており、戦後だけで数千点をはるかに越える。戦史マニアの数は、戦後でも1970年代までは、常時、小学生を含めて日本人男児の数十万人に上っていた。

 例えば、「フォークランド沖海戦」と大人に問われれば、即座に「戦闘一九一四年十二月八日」「ドイツ側の撃沈された軍艦は、装甲巡洋艦シャルンホルストグナイゼナウ防護巡洋艦ライプツッヒ&ニュルンベルグ」「ドイツ指揮官は・・・」と答える小中学生など、ごく普通で、どの学校にも二、三人はいた。私が軍艦名や戦闘経過などを各海戦ごとに暗誦したのは、小学校五年生で十歳だった(1955年)。

 以上のように、日本で出版されている/きた歴史関係の厖大な書籍や雑誌を全く知らないのが、老醜をさらして無恥に生きる、とびきりの無知男・西尾幹二。この故もあって西尾幹二は、二つの狂気に立脚したトンデモ歴史評論を書き続けられるのである。

 西尾の二つの狂気の第一は、「皆知らないだろうが、オレ様だけが近現代史の歴史を知っている」。その第二は、「オレ様だけが知っているのは、オレ様だけがGHQが<焚書>した本を読んだからだ」。このような西尾の異常な自惚れと無知に発する自己神格化は、西尾幹二が狂人か、少なくとも正常でない医学的証拠なのは言うまでもなかろう。

幼稚園児以下で数的比較もできない西尾幹二の算数力は、猿に及ばない

 九ヶ国条約に関する西尾幹二のハチャメチャな論評をここで論駁しておきたいが、本稿はあくまで第一次世界大戦以降の海軍問題なので、実に残念だが、割愛する。さて西尾幹二は、一九二二年にワシントン会議で日米英の主力艦比が「三、五、五」となったことを、こう言う。

「数が少ないほうが必ず負ける。だから、<米国五>対<日本三>の比率で(1922年に)押し切られた日本は(1941年12月8日には)負けることが決まったんです」

 

「『米英の東亜制覇政策』には、精神力では勝てませんよとあるわけですから、日米戦争に負けることは必至だった」(注3)。

 この言辞を読むと、誰でも「西尾幹二の異常な馬鹿さは痴呆を越えて、猿にも及ばない」レベルなのがわかる。この指摘は比喩ではない。学術的な表現である。なぜなら、ワシントン会議主力艦の上限比率は、国家全体の保有海軍力であって、各海戦ごとの実際の出撃艦艇数を定めたものではない。

 このことは、ミッドウェー海戦での日米出撃艦艇数が、「日本96隻/米国26隻」(表2)の、日本側が対米四倍だった事実一つで一目瞭然。ワシントン海軍軍縮会議は、各海戦で出撃する艦艇数を「日本三対米国五」と定めた訳ではない。つまり西尾幹二は、国家全体のマクロ的な海軍力保有量の上限比を、各海戦ごとに実際に出撃する艦艇数の上限比だと短絡している。中高校生のどんな劣等生でも、この二つの相違が理解できないものはいない。が、頭が正常でない西尾幹二だけ、これすら理解できない。また、ワシントン海軍軍縮条約は出撃艦艇数に上限など設けていない。だが、西尾は狂人なのか、これすらわからない。

 さて、ワシントン会議主力艦保有量制限(軍備管理)条約に対し、日本は一九三四年十二月に脱退した。ために同条約は、一九三六年十二月に失効した。だから一九四一年末の対米開戦時は、ワシントン海軍軍縮条約が消滅してから丸五年間が経っていた。

 つまり、一九三六年十二月以降、日本の海軍力保有量に国際条約の制限など存在しないから、戦艦であれ空母であれ、日本はいくらでも建造できた。また、一部はそうした。空母や戦艦の建造が四年かかるとすれば、主力艦比率を定めたワシントン軍縮条約の後遺症など無かったことになる。すなわち、太平洋戦争勃発時の日米海軍力比とワシントン海軍条約との間には因果関係がそもそも存在しない

 一九三〇年に締結・加盟したロンドン海軍条約に対しては、日本は一九三六年一月に脱退したから、巡洋艦や潜水艦などの軍艦に対して、日本は無制限に増産しえた。パール・ハーバー奇襲まで、丸六年間も経ていたからである。

 話を、西尾幹二の「猿以下の算数力」問題に戻す。

 歴史で重要なのは現実の事実。対米開戦時の日本の海軍力は対米一・三倍空母は三倍)だったが故に、対信長八倍の戦力をもつ今川義元織田信長なんぞ簡単に潰せると攻略決行をしたのと同じく、日本はその一・三倍を誇った驕慢において、劣勢米国に宣戦布告した。

 だが、「劣勢は米国ではなく、日本の海軍力の方だった」と事実を逆立ちさせた“歴史の偽造屋”西尾幹二がでっち上げた「嘘事実」の虚偽は、例えば一九四一年十二月八日から翌年六月五日の、現実に太平洋に存在した日米双方の軍艦の客観的数字を見れば、異論なく余りに明瞭ではないか。

 とりわけ、太平洋に浮ぶ空母は、一九四一~二年、すべてで十三隻。その内訳は「日本十隻」に対し「米国三隻」だった。が西尾は、「三の方が十より数的に多い」と言う。猿は「十個の芋の方が、三個の芋より多い」と正しく認識できる。西尾幹二の算数力は、幼稚園児レベルというより、猿以下であると先に述べたが、この正確な表現に何か間違いがあるだろうか。日本中の小学校一年生で、西尾幹二より算数のできない児童は一人もいない。

 西尾幹二の歴史偽造の暴走は、「猿以下の算数力」だけに生じてはいない。“真赤な間違い”「海軍力が優位な方が、劣位に対して必ず勝利する」など、海戦史のイロハ的歴史事実に反することを平気に嘯く、重病の虚言癖の問題にこそ真因があるからだ。

 西尾が、戦力四倍の日本が、つまり四分の一しかない米海軍に大敗北を喫した「ミッドウェー海戦」はどうしてそうなったのかの説明がつかない矛盾にすら気付かない症状は、西尾が分裂症の精神病に罹病していなければ、ありえないだろう。

 ともあれ、重ねて強調しておきたい。一九一六年の「ユトランド沖海戦」以降、海戦における、それ以前にはおおむね存在していた、艦艇数の優劣と勝敗の確率的比例性は消失した。その後の海戦では、「数の優位に驕るものは、その驕慢ゆえに敗北そして亡びへと導かれる」法則の方が、大きく支配するようになった。

米国との協調や同盟は、日本外交が最優先すべき国家生存の絶対要件

 一九八〇年代前半、軍備管理論の専門的研究に勤しんできた私は、軍備管理条約のような方式で、広地域/地球規模の平和や安定維持を図ることは不可能だし逆効果だと、それを全面否定する(日本人国際政治者の中では)稀有な学術的結論に至った、そのような学者である。戦間期の具体例で言えば、ワシントン海軍軍縮条約/ロンドン海軍軍縮条約(陸軍兵力の軍縮である)世界軍縮会議/化学兵器第一使用禁止条約などのすべてを、太平洋や世界の平和・安定にとって有害無益で大いなる障碍にしかならないとの学術的理論を構築してきた(注4)。

 すなわち、第一次世界大戦後の米国のように、初めて世界のリーダー国になった嬉しさからか、軍備管理条約体制による平和維持を目指したのは、国際政治を知らない素人の思いつきにすぎず、怖ろしい結果を推断できない危険で間違った偽りの思考だと糾弾してきた。現実にも、前二者の海軍軍備管理条約の結末が、二十年を経ずして、日米間の太平洋戦争となった。

 このような軍備管理条約の持つ反平和の逆効果力を透視して、それに絶対反対の声を挙げたのは、戦間期においてはウィンストン・チャーチルだけだったように思う。“国際政治学の天才”チャーチルが、英国の下院で声を張り上げ、「世界軍縮会議を直ちに解散させてしまえ」「軍備制限条約が世界の平和を破壊して、再びヨーロッパを戦場にする」と、その条約締結に向けて爆走する世界軍縮会議ジュネーブとそれを牽引する英国首相をなじりつつづけたのは一九三〇年代のことであった。

 まだ若かった私は、一九八〇年代、このチャーチル演説に感動し、それを枕の下に敷いて寝る日々がかなり続いた。“座右の書”ではなく、この“枕下の書”の名前は、『英国の眠れる間に(=賢慮な外交をすべて放棄した戦間期の英国)』(注5)。

 だが、一般理論として軍備管理条約が負の機能を持つからと言って、個別具体的な軍備管理条約について、それが現実に存在する事態になった時、それらすべてを調印拒否をすることが妥当だとはいえない。ここに国際政治の妙がある。例示すれば、ロシアや中共との軍備管理条約はすべて拒絶しなければならないが、あるいは対人地雷廃絶条約は直ちに脱退すべきであるが、米国とのそれは是々非々で参加するか否かの選択を慎重に賢く決定しなければならない。

 軍備はあくまでも当事国がその国家意思でその国家安全保障の観点から独自に定めるものである。だが日本は、西太平洋の北西に位置して、絶えず南下を窺う侵略国家・ロシアに隣接してその標的となっている以上、好むと好まざるにかかわらず、米国や英国との協調は絶対優先しない限り生存が保障されない。それは、地政学に定まった日本の運命であり、選択の対象にはならない。拙著『地政学の論理』(注6)を参照されたい。

 戦間期に話を戻せば、ワシントン/ロンドン海軍軍縮条約については、日本は、その締結を甘受すること、並びに、決して脱退しないことが、日本の国家安泰の必須要件であった。米国とのいさかいは、必ず、ロシアの南下につながり、日本は固有の領土を奪われる。一方、米英両国は、日本の領土にはいっさいの食指を働かせることが無い。

 この意味で、世界で唯一例外的に、日本の友邦たる米国と英国とだけは、それらの国からの条約締結の要望には、ギリギリまで交渉するが、最後には莞爾として調印を受諾するのが、日本の至高の国益擁護の要諦である。

 況や、いったん米国や英国と締結した条約は、あらゆる犠牲を払っても、その加盟持続に全力投球して、日本側からは万が一にも脱退したり、破棄したりしてはならない。日本が一九三六年、ワシントン/ロンドン海軍条約を失効消滅させた代償が、その五年後の対米宣戦布告となり、一九四五年の日本の大敗戦となった。

 今に続く樺太や国後・択捉島ほか固有国土の喪失、美しき明治憲法体制の喪失、中共北朝鮮など東アジアにおける共産国家の簇出は、すべて米国との海軍条約が切断したことによって起きた対英米戦争の結果である。これほどの自国毀損の愚行の歴史を、日本はいつまでも拳拳服膺して、猛省し続けることを忘れてはならない。

ワシントン会議を非難する国益毀損の詭弁を擁護する、西尾幹二の逆立ち妄説

 だが、日本を米国と戦争させて日本国を亡国させることを狙い、あらん限りの嘘と詭弁を弄する西尾幹二は、真赤な嘘を書き続ける。

「米国は、(大規模な海軍力構築の)建艦が間に合わなかったので、イギリスと日本を軍縮会議の中に引き入れ、結果的に自分の方が有利に立つよう計略を張り巡らせた」(注7)。

 

(対米六割という)実際にもアメリカにまんまとやられた日本は、加藤寛治(海軍中将)が嘆いた通りの轍に嵌ってしまった」(注7)。

 西尾の嘘は、日本が対米戦争を決行した一九四一年末時点の、日米海軍力を比較すると直ぐわかる。米国は、海軍力で対日優位になるような、つまり「有利に立つ」ような計略はいっさいしなかった。なぜなら、太平洋・アジア域における、日米の海軍力格差は、表5に示すとおり、日本が絶対優位だった。

 米国が推進した「米国十対日本六」のワシントン条約は、実は米国は半分を大西洋に振り向けるので、「米国五対日本六」で、日本の方が二割多かったのである。米国らしい、提案国として自らの方を「不利にする(劣位にする)」条約にしていたのである。すなわち、日本は「対米六割」ではなく、「対米十二割」が事実であった。

 このことは、日本が隻数で「対米十四割」、トン数で「対米十三割」で対米戦争を開始した事実からも裏づけられる(表5)。「対米六割」という奇天烈な数字の蔓延は、条約条文上から創られた日本人騙しのプロパガンダ用の数字。反日人士しか用いない偽情報の数字。

 

表5;1941年12月8日時点の日米海軍力(注8)

 

日本

米国

空母

9(10)隻

3隻

戦艦

10隻

9隻

重巡

18隻

13隻

軽巡

20隻

11隻

駆逐艦

112隻

67隻

潜水艦

 64隻

54隻

合計隻数

233隻

157隻

合計㌧数

97万6千㌧

76万4千㌧

備考

空母9隻」は、練習空母「鳳翔」を含めず。

大西洋配備が232隻、66万㌧

 

 また、対米協調派の海軍軍人と対米戦争派の海軍軍人のいずれが日本の国益を考えたかは、これらの軍人の見識や人格を考慮すれば、一目瞭然ではないのか。

 ワシントン海軍軍縮条約の賛成派は、全権の加藤友三郎・海軍大将/海軍大臣、随員の山梨勝之進(大佐)/野村吉三郎(大佐)/堀悌吉(中佐)軍令部長の山下源太郎・海軍大将、軍令部作戦班長の斉藤七五郎(少将)海軍次官の井出謙治(中将)らである。

 一方、加藤寛治(中将)、軍令部作戦課長の末次信正(大佐)、軍令部次長の安保清種(中将)らは、「対米七割の死守」というプラカードを掲げてさも国益を守る愛国演技をした反対派だが、彼らの本性は、おぞましい対米戦争屋ではなかったか。

 しかも加藤寛治は、その後はソ連工作員となり、ソ連のアジア侵略を幇助すべく、日本を対米戦争へと駆り立てる“反日極左”人士となった。だが、西尾幹二は、「反日の権化」と化した加藤寛治が好きでたまらない。「信念の軍人」だと絶賛している(注9)。“ロシア系無国籍人”が、“ソ連工作員”に共振し傾倒するのは、「類は友を呼ぶ」の自然な生理といえるだろう。

 

第一節

1、宮城音弥天才』、岩波新書、一三五~八頁。ニーチェ精神分裂病の症状は、生まれながらの精神分裂病に加えて、脳梅毒による外因性精神病(症状は精神分裂病と酷似)を発症したことにおいて、“ダブル精神分裂症”といえる。ニーチェは数学や物理学が全く理解できなかった。この特性は西尾幹二も同じで、いつも零点だったと本人がかつて私に語ったことがある。

2、西尾幹二GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス』、徳間書店、二七九頁。

3、「ミッドウェー海戦」についての良書には、プランゲ博士の『ミッドウェーの奇跡』上/下、原書房

4、中川八洋連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』、弓立社、一五六~七頁。

5、同上、一六三頁、一四二頁。

6、ウィンストン・チャーチル『世界大戦』第五巻、第五十八&五十九章、非凡閣、1937年。などを参照した。

7、この意味で、海戦を陸戦の一種と考えることしかできないモンゴル帝国のままだから、ユトランド沖海戦以前では時代錯誤と看做されていたロシア海軍戦略が、実は最先端だったことになる。1970年代以降のゴルシコフ海軍戦略は、1916年のユトランド沖海戦を境に、世界第一級のドクトリンになった必然が生じていた。

 なお、リデル・ハートユトランド沖海戦を分析している。だが、その結論は、「ユトランド海戦の(英国側の)最大の欠陥とは、そもそも海戦をやったことだった」(注8)というもの。お話にならない。海戦前と海戦後の英独海軍力バランスが変化せず戦況に変化をもたらさなかったからと言って、戦争warの戦闘battleは、いかなるものも、必ず戦争の趨勢に見えない影響を与える。

 ドイツは、回天の一発勝負であったユトランド沖海戦に打って出たが、勝利を逃がしたことで、その後は潜水艦Uボートによる大西洋上の商船に対する(国籍を問わない)無差別撃沈という通商(SLOC)破壊戦に、主たる海軍戦略を転換した。この結果、翌一九一七年四月六日の米国の対独宣戦布告となり、ドイツ敗北への道程が定まった。リデル・ハートの『第二次世界大戦(フジ出版社)も、チャーチルの『第二次世界大戦』には及ばない。英国であれ、それ以外の世界であれ、軍事史家でチャーチルに及ぶものはいない。

8、リデル・ハート第一次世界大戦』上巻、中央公論新社、四九四頁。一九七六年刊のフジ出版社の復刻版。

 

第二節

1、「欧州戦域核戦争」等については、中川八洋日本核武装の選択』、徳間書店、一五三頁、などを参照のこと。

2、西尾幹二GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~』、二三一頁、二七九頁。

3、『日本外交史』第一三巻、鹿島研究所出版会、八八~九〇頁、二八一頁。

4、中川八洋核軍縮と平和』、中公新書、などを参照のこと。

5、W.Churchill,While England Slept 1932~8,Putnam’s sons,1938.

6、中川八洋地政学の論理―拡大するハートランドと日本の戦略』、徳間書店

7、上掲、『GHQ焚書図書開封』第八巻、二八四頁、二七六頁。

8、『現代史資料39巻 太平洋戦争五』、みすず書房、八〇四頁。

9、上掲、『GHQ焚書図書開封』第八巻、二七五頁。

 

 

 

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