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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

昭和天皇暗殺を夢想した“テロリスト”松本健一 ──松本健一に魅惑された民族系を抹殺的に一掃しよう

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 松本健一のことを「右派左派のイデオロギーにとらわれず」(注1)などと語るのが、真実隠しの定石的な松本評である。

 確かに、松本健一共産党員と北朝鮮人が支配する朝日新聞毎日新聞のお抱えライターで、極左人士。それ以前に、幸徳秋水顔負けの極左暴力革命家である点において、紛うことなき正真正銘の極左人士。「左派のイデオロギーにどっぷりと囚われたのが松本健一」とするのが正確で客観的な評価だから、この朝日新聞評は朝日新聞らしい真赤な嘘の典型。

 そればかりか松本は、豊富な北朝鮮人脈で民主党代議士になった“北朝鮮人”仙石由人とは、単なる学生時代の親友だっただけではない。仙石と松本とは、学生時代の全共闘での、「反日」暴力革命運動の同志同士。

 松本健一が、自民党完全潰しのために、また毛沢東の狂信者であるが故に中国共産党が応援する、中共工作員的な対中パイプの役割を担うべく、仙石に請われて民主党政権の「内閣官房参与」になった(2010年10月~2011年9月の丸一年間)

 これ以来、松本健一北朝鮮人説は、根づよく指摘されるようになった。真偽が未確定でも、誰か愛国の士が『松本健一北朝鮮人伝説』を出版しても、「公人」であるし、“伝説”なのだから、問題にはなるまい。

 話を戻す。摩訶不思議なことに松本健一は、民族系の産経新聞の「正論」メンバーで、このため、共産党員や北朝鮮人の間だけでなく、民族系にもかなりの人気を誇ってきた。典型的な民族系の論壇月刊誌『正論』にも、連載を含め多くのエセーを書きまくっている。

 仮に産経新聞や雑誌『正論』を「右」と看做せば、松本健一は、確かに左右の活字媒体にまたがるバイセクシャル的な両刀使いだから、保阪正康がうそぶく「左翼とか右翼とかいった枠組みを超えた思想家」(注2)との“トンデモまやかし評”も成り立とう。だが、松本健一は、極左一筋の極左イデオローグ。一度もその対極の「右」になったことはない。そのような著作があるなら、保阪正康は一篇でいいから提示せよ。もし提示できなければ、保阪はやはり単なるデマゴーグ作家ということになる。

 むしろ民族系の産経新聞や雑誌『正論』が「右」を仮装しているとか、民族系諸士が“極左の亜種”とかと考えた方が、真実に近いのではないか。とりわけ、松本健一が、産経新聞や『正論』を、朝日新聞毎日新聞と基底が同じ極左新聞/極左雑誌と看做していた事実は、このアポリア的な問題を探る上で重要な鍵を提供している。

国家権力機構の消滅か、国家そのものの廃滅か ── 二つのアナーキズム

 日本人は、特に教養ある人々の間では、左翼や極左についての研究や言及をすることを自制する。嫌がらせに恐怖してはじめから縮んでしまうのである。日本人は、知に対する勇気という美徳を喪失した末期的な堕落民族になってしまった。

 アナーキズムは大きく分類すると、二タイプに分かれる。古典的なアナーキズムポスト・モダン系のアナーキズムである。前者はクロポトキンプルードンバクーニンが代表だし、日本では幸徳秋水大杉栄らがここに括られる。

 後者のポスト・モダン系アナーキズムは、一九六八年を境にフランスで爆発的に発生して世界に糜爛的に蔓延した。フーコー/ドウルーズ/デリダラカン/リオタール/ボードリヤールなどである。日本では、ドウルーズ系の浅田彰福田和也磯崎新デリダ系の東浩紀、などの名が巷間に知られている。厚労省官僚には、『狂気の歴史』ほかフーコーの著作を座右の書としているものが百名を下らない。

 実は日本のポスト・モダンの研究者は、大学教授/准教授だけでも少なくとも三百名前後はいる。日本の大学キャンパスはまるでアナーキストの群れが饗宴する“狂った痴者の楽園”となってしまった。

 米国でも、ポスト・モダン系の大学教員は多少はいるが、保守主義系の教員に蛇蝎の如く排斥されてキャンパスの隅でこそこそしている。米国とは、実に志操が堅固で思想が健全な真正の主権国家である。保守主義という解毒剤をもたない日本の(文科系)大学は、真理探究にレーゾンデートル高らかな正しい大学とはほど遠い。

 このポスト・モダンだが、ニーチェ&ハイデカー(=ヘルダーリンを開祖とするもので、一九六八年以前にすでに、その先駆的な思想をもつものが続出していた。ヒトラーはその典型だし、フランスを侵略占領したナチへの協力者の中にもかなりいた。日本では保田與重郎がプレ・ポストモダンの優等生。『大東亜戦争肯定論』のアナーキスト林房雄もプレ・ポストモダンの先駆的日本人だったとしてよいだろう。

 古典的アナーキズムとポスト・モダン的アナーキズムとは、国家権力機構の解体排撃では共通し同一だが、顕著な相違がある。前者では国家権力機構の空洞化すなわち、政府権力の消滅が主目標で、これに留まる。簡単に言えば、政府はなくなるが無政府の政治社会が存在する。だから、アナーキズムは明治に「無政府主義」と訳された。

 マルクスによれば、アナーキズムは中間過程の共産党独裁権力機構なしに、その先にある共産社会に一飛びに到達できるとする構想・イズムだから、“空想的共産革命”にすぎないものと看做される。現に、マルクスバクーニンを徹底排除した。

 自由社会の我々からすれば、両者は共に共産社会を信仰する同じコミュニストだから理解するに多少困難かもしれない。だが、マルクスバクーニンとの間のコミュニズムは、究極の共産社会に至る中間過程に関する立場の相違は大きく、決定的である。妥協など不可能。この相違を考慮して、無政府主義の共産主義者の方をコミュニストといわず、アナーキストと称して区別することになった。

 一方のポスト・モダン系アナーキズムでは、最終段階のこの共産社会が存在しない。どんなタイプであれ政治社会が消滅している状態を目指すからだ。それは国家が死滅したことを意味する。人間も一人も存在せず死滅している状態を意味する。

 浅田彰が言うように、ポスト・モダンが求める理想郷は、「砂漠」である。だから、ポスト・モダン系アナーキズムを、国家廃滅のイデオロギーとか、人間絶滅のイデオロギーとか、と言う。まさしくニーチェの狂気そのもの、ハイデカー/ヘルダーリンの狂気そのものに他ならない。

パリ・コミューンの乱」のアナーキーを崇拝し狂喜するアナーキスト松本健一

 さて、問題は松本健一である。松本のアナーキズムは、古典的なそれか、それともポスト・モダン系のそれか。答えは前者である。だから、隠岐島において、ほんの短期間、古典的な無政府状態が現出した情況に、松本健一は有頂天になって歓喜した。

 松本の著に『隠岐島コミューン伝説』(一九九四年)がある。『秩父コミューン伝説 山影に消えた困民党』(一九八六年)の姉妹作品(注3)。

 「コミューン」と言えば、(一七八九年発祥の血塗られたジャコバン党革命の後継といえる)社会主義者・共産主義者たちが軍事力の簒奪によってパリ市の武力不法占拠をなした「パリ・コミューンの乱」(一八七一年三月十八日~五月二十七日)がある。松本健一は、第二帝政ドイツとの戦争での敗北に伴う大混乱のフランス政府の苦境と逃亡に乗じた反政府叛乱である(たった二ヶ月間の)軍事的不法パリ制圧事件をもって、自分が目指す対日暴力革命の理想・理念とした。

 そもそもマルクスエンゲルスの『共産党宣言(一八四八年)の思想汚染から全く無縁の、すなわち共通性ゼロの別次元の、日本の隠岐秩父の叛乱をもって、社会主義者・共産主義者による“労働者の解放”革命の性格をもつ「パリ・コミューンの乱」と同類に扱う松本健一牽強付会癖には、呆れるほかない。なお、幸徳秋水と同じマルクス主義系アナーキスト松本健一は、五文字魔語「コミューン」に宗教的呪文として陶酔するが、マルクスが起草した次の宣言文に従った思考なのは間違いなかろう。

「労働者のパリは、そのコミューンと共に、新社会の光栄ある先駆者として永久に讃えられるだろう。これに命を捧げた人々は、万国の労働者階級の偉大な心のうちに祀られている」マルクス『フランスの内乱』、注4)

隠岐島の二ヶ月自治に日本共産革命の萌芽を観る、松本健一の荒唐無稽

 時は幕末、明治維新政府が誕生して明治元年となる直前の一八六八年春、官軍に付くか徳川側に忠誠を貫くか、その迷いが生んだ松江藩の政治空白に乗じて、隠岐島はたった五十一日間、松江藩の行政を拒絶した「自治」をしたことがある。これがどうして共産革命への原型「パリ・コミューンの再現」なのか。松本の主張は、意味不明で、カルト宗教家の話に似た、煙に巻く詐言の極みではないか。

 松本健一隠岐島コミューン論の核心に迫ると、なお一層、意味不明でさらに荒唐無稽。その眼目的な核心を松本は、こう宣言する。 

今日(一八六八年三月十九日)からは徳川幕府の下にある松江藩の「藩民」ではなく、「天皇の民=皇国の民」になったと島のほぼ全ての成人男児三千人(全人口一万五千人)が檄文で宣言したのだから、隠岐島の島民はこのとき、国民意識ナショナリズムが芽生え的であっても現われた、と(注5)。

 徳川幕府の「藩民」意識から「明治維新政府の民」意識への単なる変更や移行がどうして“プリミティヴなナショナリズムの芽生え”なのか。ナショナリズムとは、外国の存在に対する、その対外認識の対置としての自国意識/自国防衛意識が基調であるから、隠岐島で発生したようなものはナショナリズムとは全く無関係だし、全くの別次元のもの。あくまでも「政府認識の変化・変更」であり、それ以外は何もない。

 “ナショナリズムの萌芽”と言えるものは、日本史上、事が終わると消えた一時的な淡いそれだったが、二度ほどある。第一は、七世紀の唐・新羅連合軍の対日侵攻の恐怖に怯えて九州北部の防衛を固めた時。第二は、十三世紀後半の元寇の襲来に際して、全国の日本人武士団がおしなべて国を守らんとした北条時宗の時代。

 だが、これらは近代的なナショリズムとは同一には扱えない。況んや、隠岐島の島民三千人が松江藩に武力蜂起したのは、単に松江藩の対隠岐行政への不満や憤怒に基づくもので、斉明・天智天皇北条時宗の時代に発生した“前近代のナショナリズム”にすら括る事はできない。

 松本は大上段に「ナショナリズム」と言ってはみたが、隠岐島の叛乱島民には「ネーション(国家、国民)意識」がないから、これでは間違いがばれると自覚して、慌てて「ネーション」と言うより「パトリ(郷土)に近いもの」(注5)と言い直した。

 ネーションとかナショナリズムだと英語で説明した直後、これらを仏語パトリ patrieに慌てて変えるとは笑止。しかも、patrieは「郷土」と言う意味より、多くは「祖国」と言う意味で使われる。さらに、「patrie意識」との表現の方が、「nation意識」より、nationalismとしては遙かに強度。

 そして松本健一は、なんとまあ平凡陳腐な「パトリ(くに)への愛は、ナショナリズムの原初的形態を形づくっている」との自分の解説文を誇らしげに自画自賛する。読者は、こんなアホくさいデタラメ解説を読む前に、松本健一が「パトリ」を「郷土」と訳した直後に「くに」と訳し直す、大卒とは思えぬ粗雑な狡猾さに注目すべきである。

 このことはまた、床屋談義/居酒屋談義の水準しかない、“知”を欠くノンフィクション作家の松本健一を、「松本健一は知識人」だと真赤な嘘をデッチアゲた保阪正康の他意についても等閑視してはならないことを喚起してくれている。

 要するに、松本健一は、日本人をアナーキズムに洗脳煽動すべく、「日本の過去にもアナーキーな政治社会の事例があった」とばかり、隠岐島の二ヶ月弱の無政府的「自治」をあらん限りに針小棒大化と美化のペンキを塗った。荒唐無稽な歴史の偽造にほかならない。テロ願望の暴力革命アナーキストに、良心も正常な人格も存在することは決してない。

松本健一北一輝への異常な傾倒は、昭和天皇に対する殺意が原点か

 ノンフィクション作家・松本健一の主作品は、言うまでもなく、その北一輝論である。作家としてデヴューした作品が、一九七一年の『若き北一輝』、続いて翌年に『北一輝論』を出した。これは後年、講談社学術文庫として再刊される。このほか三冊ほどが加わり、これら全部を、岩波書店が『評伝北一輝(全5巻、二〇〇四年)に纏めた。

 松本健一が情熱を傾けた北一輝論の目的は、いたって単純明快。幸徳秋水/レーニン系のテロリストだった北一輝の真像を歪曲改竄すべく、偽装表示「ロマン主義者」かの如くに真白い粉を塗りたくって厚化粧させ、それによって軽佻浮薄で無教養な民族系を“北一輝信者”に洗脳し、日本共産革命の一翼を担わせようとするもの。

 凶悪暗殺を信条とする北一輝を甘い糖衣錠に料理し、民族系の口の中にポンと入れてあげることによって、民族系を“共産党が主導する)共産革命の犬”に改造しようという訳である。

 全共闘アナーキスト松本健一共産党員ではないが、終生、共産党とは共闘する革命戦術を選んだ。松本健一と昵懇だったマルキスト西部邁は、歳をとるごとに、松本健一とほぼ同種のアナーキストに変質したが、共産党との共闘だけは断固拒み続けた西部の生き方とは対照的である。

 竹内好毛沢東マルキスト、『朝日ジャーナル』を牽引した一人)井上光晴(一九五八年に除名された元共産党員、毛沢東系の共産主義思想は捨てなかった、綽名は「嘘つきミッチャン」)、あるいは岩波書店(=日本共産党など札付きの極左がこぞって松本健一を支援したのは、北一輝を英雄化してフル活用する、松本オリジナル日本共産革命戦術を高く評価したからだった。

 松本健一はまた、自分を“暴力革命家・北一輝の再来”だとの妄念を強くもっており、すなわち“第二の北一輝”にならんとして、北一輝にかかわる作家的研究にのめり込んだと思われる。狂信的な天皇制廃止の情動が噴出しているのに、さも天皇制廃止でないかの松本の二枚舌執筆手法も、実は北一輝の模倣である。

 大川周明もそうだが、北一輝は、自分の天皇制廃止の凶悪イデオロギーをどう擬装しどう隠蔽するかに、相当な悪智慧を絞った。北一輝が目指した暴力革命は、レーニンがロシアの皇帝ニコライⅡ世をその家族全員ひっくるめて銃殺した“王殺し モマルコマキ”(注6)を、日本で再現することが筆頭の一つだった。

 日本共産党は、河上肇三木清を思い起こすまでもなく、天皇制度廃止をスターリンの「コミンテルン三二年テーゼ(命令)」に従って実行するのを革命の金科玉条とした。が、北一輝大川周明は、そのような「テーゼ」とは無関係に、革命の全てをひたすらレーニンに仰ぎレーニン革命史に学ぶ“レーニンの模倣”一本槍。

 北一輝の『国体論および純正社会主義』を読むと、例えば第三章など、北がレーニン社会主義の狂信的な信者なのを暴露する。北一輝の「純正社会主義」とは、俺のはマルクス・レーニン主義社会主義を丸写しコピーだから「純正」だとの謂いである。

 テロ革命を煽動し続けたノンフィクション作家・松本健一もこれにそっくり。“北一輝の模倣”一本槍戦術を基調に、あとは多少のバリエーションを工夫考案しただけ。つまり、松本健一アナーキズム革命思想を正しく知りたいのであれば、まずもって北一輝二・二六事件を正しく知ることが先決。

 「北一輝を知らず/二・二六事件を知らず」では、“半分嘘と半分本当のブレンド”という、それなりの効果があるプロパガンダ手法を駆使する、二枚舌・カムフラージュ・事実歪曲の名手である松本健一の作品に、コロリと騙されるのが落ちだろう。

明治天皇に国体を破壊させる」構想から昭和天皇暗殺へ、北一輝の過激化

 北一輝は、天皇制廃止と昭和天皇を暗殺することを絶対信条とした、幸徳秋水の高弟と呼ぶべきがふさわしい、知と論理に長けた最も凶悪なアナーキストであった。

 『国体論および純正社会主義(明治三十九年、日露戦争勝利後の一九〇六年、自費出版における北一輝の「国体論」は、穂積八束(備考)などのかなりショービニスム濃い憲法学者の国体重視の憲法学への牙を剥きだしての非難・誹謗に費やしているが、「国体」の二文字を日本から抹殺したい北一輝の意気込みも露骨に披瀝されている。

備考;私(中川)の憲法学はアレグザンダー・ハミルトンに「師事」したハミルトン憲法学だから、穂積八束とは似ておらず、かなり乖離する。ただ世間では、共産党系の極左憲法学と闘うが故に、私の憲法学を穂積系だと誤解する向きがあるので一言。

 穂積八束らの“明治憲法上の天皇”に関する憲法学(国体学)を、北一輝は「国体寺の山僧」(注7、以下、頁数は本文)の迷信による「土偶信仰」(二一〇頁)と罵倒して、穂積八束を「国体寺の座主」(二五三頁)とか「白痴」(二二〇頁)とか愚弄するが、その奇矯なロジックの狙いは「日本の国体=社会主義化した日本国」に転回させることだった。だから、これらの一般通念上の範囲にある国体重視派の憲法学者憲法学を完全破壊せよとアッピールしたのである。

「国民の速やかに迷信より覚醒して国体寺を焼壊するに至らしめよ」(二五三頁)

 そして、明治天皇をもって国体論の破壊者だとする、北一輝の奇矯な謂いは、「明治天皇よ、国体を破壊せよ」との意味である。

「われらは恐るべき国体論の破壊者を示す。誰ぞ、現在の天皇陛下明治天皇なり!」(二六四頁)

「いわゆる『国体論』中の天皇明治天皇とは土人部落の土偶にして、却て現天皇明治天皇を敵としつつある」(三七一頁)

 要するに北一輝は、(「元来は社会主義を<国体>としたはずの明治維新政府体制」という転倒詭弁を創っておいて、この「国家機関の一つ」だと強弁する)明治天皇をもって明治憲法体制を破壊させる、一種独特な社会主義革命を考えついた。これは、二・二六事件という名の、ソ連大使館スターリン/ベリア)とも通謀した共産主義系革新将校の、レーニンのロシア革命を再現せんとした日本版共産革命クーデタに継承されていく。

 北一輝流の血塗られたこの共産革命プランは、第一段階で昭和天皇に“二・二六事件クーデター”を承認してもらい天皇制廃止を実行させ、第二段階で昭和天皇を“用済み”として銃殺する残虐なものであった。これは、フランス革命の時のルイ十六世を徹底活用してジャコバン独裁党権力機構を創り(一七八九年春~)、四年弱を経て、それがほぼ確立したのを好機に、ルイ十六世を断頭台で(一七九三年一月に)殺害したやり方を踏襲した血腥い革命戦術である。

 証拠を見せよう。北一輝は、上記に引用した『国体論および純正社会主義』出版の前年、日露戦争が終結したその年の末、佐渡中学校(旧制、当時は義務教育は小学校まで。公立中学校にいけるのは一割弱で、現在の国立大学の大学生よりはるかにエリートであった)に対して、明治天皇を暗殺せよと訴えた詩をビラにして配布した。

・・・・・・・・・・

咄、東洋の土人部落。

 

友よ、革命の名に戦慄くか、

そは女童のことなり。

良心の頭上 何者も頂かず、

資本家も、地主も、

ツアールも

カイゼルも

而して●●●(言うべからず!)。

霊火一閃、胸より胸に、

罪悪の世は覆る、

──地震のごと。

大丈夫 斯くてこそ世に生れめ。

・・・・・・・・・・

理想こそ永久なる

ソーシアリズムあり。

・・・・・・・・・・

裸形六尺の骸、

血滑らかに、

ギロチンの刃にこそ。

・・・・・・・・・・(注8、()はビラにあったが、佐渡新聞掲載では削除)

 自国・日本国のことを社会主義国でないが故に「土人部落」と罵り、暴力革命の声を挙げて、明治天皇をロシア皇帝やドイツ皇帝とともに処刑しろと叫んでいる。しかも、この革命の最中に自らの体がギロチンにて斬られて血飛沫べっとりになる光景まで夢想している。

 この詩こそ、北一輝がのちに昭和天皇暗殺を目指した二・二六事件の血塗られた暴力革命の指導者になろうとの決意表明でなくて何であろう。ときに二十二歳、大逆事件の六年前であった。上記の詩にある●●●が、「天皇」の三文字なのは言うまでもないが、北にして憚って伏字にしている。

 北一輝の狂気は天皇暗殺だけではない。北一輝は自らが明治天皇に代わって天皇になろうと考えていた。「国体」「万世一系」などをやたら罵り続ける異様な『国体論および純正社会主義』第四編(第九章~第十四章)は、北一輝の心底に潜むこのような“自らが天皇の位に即かんとした皇位簒奪の天皇殺意”で貫かれている。北一輝は、自分を天皇に擬したというより、二十三歳の時には天皇になったつもりで『国体論および純正社会主義』を書いている。北は一九二四年頃(四十一歳)から自らを、天皇を意味する「龍尊」と号していた(注9)

 アナーキスト北一輝の怖ろしい狂気は、暗殺願望にもあらわである。天性のテロリストだった北一輝の殺戮狂は、秋葉原無差別殺人や池田小学校殺人事件の犯人が精神分裂病であったように、同種の精神異常から発生している。

 北一輝が、「暗殺(テロ)と自殺」という小論を書いたのは、『国体論および純正社会主義』を自費出版した同じ明治三九年の年末であった。

「思想界における叛徒(=北一輝自身を含めたアナーキスト群のことか?)は、内心の革命戦争に苦悶して瀑に走り火山に赴きて敗死しつつあり。…眼前の暗黒に絶望して進み戦はざるに自刃しつつあり。」

「希(ねがは)くは、彼らの前に希望の閃光を投ずなかれ。ああ誰か、煩悶的自殺者の一転進して、革命的暗殺者たる無きを保(やすん)ずべきぞ」(注10)。

 これこそ、北一輝の革命的暗殺者(テロリスト)への決意表明であった。それからちょうど三十年、北一輝はレーニン系の共産主義革命にかぶれた帝国陸軍の赤色青年将校たちのイデオローグとなって、二・二六事件を敢行した。反共・反ソであらせられた昭和天皇は、北が妄想した「この共産クーデターを嘉す」ではなく、その逆に「自ら近衛師団を率いて鎮圧す」との賢慮と勇気のご聖断において叩き潰された。

 その後については、北一輝は翌年に処刑されたが、帝国陸軍や政界・官界の主流となったのは、日本国を共産化するとのコンセンサスであった。北一輝の革命は“下から”ではなく、“上から”へと形態を劇的に変えて成就したことになる。

 具体的に言えば、狂信的コミュニスト近衛文麿を、この日本共産化革命のリーダーに新たに担ぎ上げて、大東亜戦争という戦争の形で日本共産化とアジア共産化の革命が一気に推進された。北一輝二・二六事件で処刑された狂人国賊たちの妄念は、「ソ連人」でもあった近衛文麿が一身に引き受けたことで、その後、ポツダム宣言と米軍の進駐まで八年間も日本を血を大量に流す猛火に包んだ。

 北一輝のドグマでは、大東亜戦争で戦死・戦災死した三百~四百万人の日本人の生命は、北一輝近衛文麿革命的暗殺者の犠牲だった。テロリストやコミュニストは、自国民大量殺戮をもって至高の信仰告白とする“血塗られたカルト宗教の狂信者”だが、大東亜戦争という“祖国叛逆の戦争”は、このことの実験的証明であったろう。

 近衛文麿京都帝国大学において共産党員・河上肇の弟子だった。北一輝もまた河上肇に絶賛された共産主義アナーキストだった。河上肇からすれば、両名は兄弟子北一輝と弟弟子近衛文麿だったろう。河上肇の『国体論および純正社会主義』に対する評は、次のように激賞だった。

「今のいわゆる学者階級の何らなす無きに反し、無名の一学究たる本書の著者がよくこのごとき大著を自費出版してその所見を世に問へる篤学と勇気に対し、ここに敬意を表し置くものなり」(注10、読売新聞)

 なお河上肇は、この書評から二十六年後の一九三二年、スターリンから渡された「コミンテルン三二年テーゼ」を村田陽一と共同邦訳することになる。「コミンテルン三二年テーゼ」は、その十年前に北一輝が刊行した『日本改造法案大綱(一九二三年、改造社とさほど変わらない。

 大川周明「魔王」と綽名されたほどの“魔性のテロリスト”北一輝が、自らのテロ狂をだれ憚ることなく活字にした本がある。それが『支那革命外史』(出版は一九二一年だが、実際の上梓は五年前の一九一五~六年)。そこでは、血を流し続けたフランス革命のギロチンやそれ以外の残忍な大量殺戮に、北一輝は歓喜の声をあげている。北は、殺戮そのものに革命の価値を見い出す、本性がロベスピエールやレーニンあるいはスターリン毛沢東らと同種の“殺人狂の狂人”であった。

「自由の楽土は、専制の流血をもって洗はずんば清浄なる能はず。…ロベスピエールは…パリの断頭台に送るもの一万八千人、さらに全国に亘りて死刑すべきもの七十万人を予定せし夜叉王に一変せり」

「ある期間までのロベスピエールとナポレオンは、国民の自由を擁護せんがための殺戮者なりしことを否(いな)む能はず」(注11)。

 べら棒な話とはこのような狂気を指す。生命という人間の自由の中で最も尊重されるべき自由を罪なく裁判なく無制限に剥奪する、暴力による無法と野蛮の極致とは、「国民の自由の擁護」の対極ではないか。善悪や正義・不正義を逆立ちに転倒する精神分裂病罹患者に対して、政治に参画したり政治を論じたりするのを禁止する立法こそは、国民の自由の擁護に不可決であるのを、“テロ狂徒”北一輝のこの狂言二・二六事件で殺害された政府高官の犠牲とが、思い知らせてくれている。

 北一輝は、“殺戮狂こそ、正義の自由の顕現する”とも言う。近衛文麿と並び“日本一の狂犬”北一輝を一九三六年まで逮捕せず禁錮刑にもせず放置した日本とは、余りに過剰自由の放任主義国家であったといわねばなるまい。北一輝に対して、『支那革命外史』を出版した時、精神病院に強制隔離する措置こそが、日本国の自由と法的正義の擁護に必要不可欠だった。

<殺すを嗜(たしな)む>者にあらずんば、悪を求むるの自由を斬って正義の自由なる発現を擁護扶植する能はず。…革命は速やかにギロチンを準備せざるべからず」(注11)。

 なお、二・二六事件で殺された政府高官等は以下の通り。岡田啓介首相の秘書官で岡田の義弟・松尾伝蔵(岡田は、この人違いで無事)高橋是清大蔵大臣斎藤実・内大臣、渡辺錠太郎教育総監鈴木貫太郎侍従長は重症、牧野伸顕は裏山に逃げて無事、西園寺公望は未遂で無事、・・・・・。

 このような斬殺や銃殺に、殺戮狂の北一輝が満足したのは言うまでもない。北は、二・二六事件の決起の報を聞くや、妻すず子に、「(オレ様が日本の独裁者になるから)大きな家を建ててやる」と笑って呟いている。

北一輝の重度の分裂病幻聴(狂気)を“正常”とする松本健一の“デビル” 性

 北一輝論で欠く事のできない、北一輝に関する最も重要な事実は、幻視幻聴がひどい最終段階の精神分裂症であったことだ。このことは、松本健一が編集した『霊告日記』が精神医学上の決定的証左として存在する。

 北一輝が、妻「すず子」と法華経を読誦しているときに、妻の「ぶつぶつ」から北一輝が聞こえたとする内容を、その幻聴のまま日記に書きとめたものだと、松本は言う。もしそうなら、北夫婦は、恐山の「いたこの口寄せ」に似た“シャーマンごっこ”を毎朝二、三時間やっていたことになる。この日記は、松本健一によると、すず子の「ぶつぶつ」を北一輝が「神仏言」とか(歴史上の人物の霊による)「霊言」として書き留めたものらしい(注12)。

 実際には、どうも「すず子」は神懸りの「いたこの口寄せ」などしておらず、正常な誦経をしているだけなのに、彼女のお経の声が一輝には、日記にあるように、「宮本武蔵がこういった」「平将門がこういった」「弘法大師がこういった」「徳川慶喜がこういった」「大塩平八郎…」「乃木希典…」に聴こえ、またその蜃気楼の姿が幻視されたようだ。北一輝のこのような幻視幻聴は、議員ゼロの政党をもつ某新興宗教団体が毎週のように出版する「霊言」本と同種のものと考えれば、解り易かろう。

 この日記は、一九二九年四月二十七日から一九三六年二月二十八日二・二六事件の二日後で逮捕の日)までの丸七年間に及ぶから、北一輝二・二六事件決行は、『霊告日記』だけに根拠を求めるならば、北一輝の完全発狂から七年目ということになる。

 さて真の問題は、北一輝のこの重度の精神分裂症の問題ではなく、“狂人”北一輝の狂気を正常だと考える松本健一の異常な感覚、つまり正常と狂気を区別しない松本健一の人格異状サイコパス性の問題の方だろう。

 なぜなら、徹底読了なしにはできない『霊告日記』の編集を担当した松本健一にとって、松本が常識的感覚の持ち主であれば、医学的に明瞭なのだから北一輝を“幻聴幻視のひどい重度の精神分裂病罹患者”としたはずである。だが、松本は北一輝を「日本的カリスマ」と美化した。

 北一輝マルクス・レーニン主義にかぶれた極左将校(革新将校)を魅惑し心酔させた事実において、松本が北一輝を「カリスマ」と呼ぶとすれば間違いではない。が、『霊告日記』において明らかとなった“北一輝の狂気における幻視幻聴”を、松本はわざわざ「日本的カリスマの言葉」(注12)だと嘘ラベルを貼った。北一輝に関する重要事実の歪曲改竄である。松本健一北一輝崇拝の狂度は、カルト宗教状態である。

 そもそも、北一輝の諸作品すべてから醸し出される精神分裂症の狂気は、その二十歳代のときから顕著であった。例えば、二十三歳のときの作品『国体論および純正社会主義』には、こうある。

 社会主義になると、人類は排泄も交接もせず(=食事を採る必要も無くなり、子孫を作る必要も無くなり)不死不滅の神になる、と。また、この地球が天国となり極楽になるのだ、と。精神病院の鉄格子付きの独房に押し込められた狂人の狂気妄語そのもの。それ以外だと考える人は、松本健一を除き、一人もいない。

(世界が社会主義になれば、)『人類』は滅亡して『神類』の世が来る。…人類の滅亡とは…神類の地球に蔓延することによりて滅亡すべしと云ふ大歓喜なり」

「この愚かなる知識の人類、この卑しむべき道徳の人類、この醜くき容貌の人類、排泄作用と交接作用とをなしつつある人類の一日も早く滅亡して『神類』の世の来らんことは胸轟くべきの歓喜にあらずして何ぞ」

「『神類』はわれら『人類』の死せずして永き命に進化せる子孫なり。これ社会主義の哲学宗教なり。…社会主義になれば)宇宙は一体にして進化しわれらは永久に不死不滅に進化す

天国と云ひ極楽と云ひ人類の進化せる一生物種族『神類』の地球なり」(注13)。

 この記述の前には、北一輝は、人類は排泄物が無くなる進化をするのだとの、まさしく狂気の妄説を延々と五頁(注13)に亘って書いている。嘔吐を催して読むに耐えない。がしかし、松本健一は、この狂気の狂説に感動したのである。しかも、松本健一は精神分裂症ではない。だとすれば、精神を病んでいない松本健一とは、人格を病む異常人格者だということになろう。

 松本健一の作品を読むと、タスマニア・デビルの遠吠えが聴えてくるような、そんな戦慄が全身を走る。この種の、暗闇に引摺り込まれる恐怖を感ぜず、松本健一の作品を読み耽る松本健一ファンとは、一体どのような人格の非国民なのだろう。一度、会って(話したくはないが)顔だけは見て見たい。(つづく)                                         

 

1、『朝日新聞』2014年11月28日付け。

2、『朝日新聞』2014年12月2日付け。

3、両書とも、河出書房新社刊。

4、レーニンも「パリ・コミューンの乱」を称讃している。レーニン著『国家と革命』第三章は、マルクスパリ・コミューン分析に対する、レーニンの論評である。『レーニン』、世界の名著シリーズ63巻、中央公論社、五〇二~二三頁。

5、『隠岐島コミューン伝説』、辺境社、一二二~三頁。

6、マッシー『ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇』、時事通信社、を参照のこと。

7、『北一輝著作集』第一巻、みすず書房、二五三頁。

8、『北一輝著作集』第三巻、一二三~六頁。

9、田中惣五郎『北一輝―日本的ファシストの象徴』、三一書房、三九六頁。そこには「<竜尊>と号した北一輝の誇りは…」とある。杉森久英伝説と実像―昭和人物伝 』、新潮社、一九三頁にも、「北一輝は自ら天子に擬して、<竜尊>と号した」とある。

10、『北一輝著作集』第三巻、一三九~四〇頁、五七一~二頁。

11、『北一輝著作集』第二巻、一五四頁、一五六頁。

12、松本健一北一輝 霊告日記』、第三文明社、三二三頁、三一九頁。

13、『北一輝著作集』第一巻、二〇三~四頁、一九六~二〇〇頁。

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