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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“悪魔の「親ロ反米」主義”で、日本人から歴史を奪う朝日新聞──自民党総裁は、慰霊祭を擬装した共産党主宰ヒロシマ/ナガサキ「反核」共産革命集会に出席してはいけない

筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

  毎年八月になると、日本の新聞・テレビには、気が滅入るほど、実にうんざりする。お決まりの政治的に大偏向した反戦反核の洗脳キャンペーンが、“報道”を擬装して展開されるからだ。これらの「報道」では、“国防なくして国民の生命も財産も守れない”常識は消され、日本の近現代史の歴史はアジプロの手段として嘘八百が常態となる。

 戦後七十年、今では日本国民は、歴史の真実を弊履のごとく捨てて気にならない。この異様な反歴史の状態は、日本が国家であることを止めていることからも生じていよう。流浪の日本人たちが屯する日本列島をたまたま“日本国”と称しているに過ぎない。日本は亡国に至りつつあるのではなく、すでに亡国した国家の形骸がゾンビのように惰性で日常を紡いでいる。

 要は、日本国民が歴史をないがしろにして省みることがない事象は、亡国の民となった証しとも言える。妄語「東京裁判史観」に酔い痴れる民族系もこの一味。民族系のデタラメ歴史は東京裁判が判決に援用した間違いだらけの歴史より、百倍も千倍も嘘八百である。

 「東京裁判史観」といういかがわしい六文字スローガンは、ソ連KGB第一総局(現在のSVRが日本国内に“日米分断”を狙って流した政治プロパガンダ語。つまり、六文字のアジプロ呪文「東京裁判史観」を使っている日本人とは、“ロシアの犬”だし、国賊の極みである。

 大東亜戦争(一九三七~四五年、八年間)にしても、それより十年ほど前の張作霖爆殺事件の一九二八年から盧溝橋事件までの九年間にしても、歴史事実はほとんど解明されていない。たとえば、ノモンハン事件の全容は未だ全く謎のまま。研究の糸口が米国の研究者によって、近頃ようやくつかめた段階である。

謀略・諜報の十全な歴史考察なしに、外交史も軍事史歴史学になり得ない

 日本の大学での歴史学の研究は共産党系が支配していて、一九二三年のヨッフェの来日以降の二十二年間の歴史を巧妙に歪曲・改竄する。とりわけ、“悪の帝国”ソ連の犯罪が暴かれないように、歴史事実が恣意的に取捨選択される。謀略学の専門用語では“事実の摘み喰い”という。事実、日本の大学では若手研究者が仮に正常な研究をしようとすれば、指導教官はもとより、全国の大学教師たちから一斉に無言の陰湿なリンチを受けて妨害される。

 要は、日清戦争日露戦争期の歴史研究の方法論と一九二三~四五年の歴史研究の方法論とは、必然的に相違が不可避である。まったく異次元の方法を採用しない限り研究できない。

 後者の場合、レーニン/スターリンが実行した対日謀略が日本国の外交や戦争の核心部分を決定づけたからである。たとえば、この謀略がなければ、日本は国際聯盟を脱退してはいないだろう。いや、日中戦争など開始していない。対英米の太平洋戦争もしていない。

 仮の数字だが、帝国陸軍内部のソ連工作員の将校・将軍が千二百名以上、帝国海軍内の将校・提督でソ連工作員は二百名以上だったとする。その場合、「ソ連の対日工作はなかった」との仮定において、陸軍・海軍の外交・戦争を分析すること自体、合理的に妥当だと言い得るのか。「若干正確を欠くものとなるだけ」で済むのか。一八〇度逆の嘘歴史が創られてしまうのが、自明ではないのか。

 またこの情況においては、謀略や諜報の分野に斬り込んでいく特殊な才能がない凡庸な歴史研究者は、致命的な間違い分析に陥らざるを得ないことになる。例として、恐縮だが、謀略や諜報関係の資料や情報を完全に排除するのを“学者の信条”とする秦郁彦氏を俎上に載せる。

 秦氏は高齢であるにもかかわらず、今般、『明と暗のノモンハン戦史』を出版したほど、精力的で真摯な学者である。が、『明と暗のノモンハン戦史』は、小松原道太郎/辻正信/服部卓四郎がソ連工作員である事実をいっさい捨象した。ために、秦のこの新著は、ウィスキーの入っていない水割りのごとき、ありきたりの駄作の繰り返しとなった。

 謀略や諜報にかかわる情報を加味しないで大東亜戦争の歴史を明るみにすることなど、どだい無理な話。学問ジャンルで言えば、大東亜戦争を解明するための外交史/軍事史/戦史/政治史/謀略・諜報史の五分野のうち、謀略・諜報史からの考察こそ、人体で言えば心臓部分に当たり、これなしでは人体は動くことはない。つまり、歴史は明らかにされることはない

 日本の近現代史は、シンパを含む共産党員大学教授らによる意図的な(重要核心的な歴史事実の抹殺・不言及を含む)改竄歪曲と、非・共産党系大学教授らによる謀略・諜報の排除によって、群盲象を撫でるの諺どおりに、解明されることなく暗闇の倉庫に封印された。この闇に消された部分の方が、解明された部分の数十倍になる。こんな偏頗な状態が、偏向マスメディアが好き放題に嘘歴史の報道キャンペーンができる土壌を醸成したし、嘘報道キャンペーンを阻まんとする真実への倫理観・正義観を日本人が完全に喪失していくのを助長した。     

第一節 ヒロシマナガサキ死亡者数の水増し改竄の片棒を担ぐ朝日

 二〇一四年八月九日付けの朝日新聞は、大東亜戦争にかかわる嘘歴史増幅のアジプロ報道に徹している。第一は、ヒロシマナガサキの原爆犠牲者数につき、正しい数字を用いているアメリカを批判する形で、広島市長崎市がデッチアゲた真赤な嘘数字を、さも正確な数字であるかにプロパガンダ(嘘宣伝)しているからである。

「米国の中高校生用の歴史教科書の中で、原爆投下で亡くなった犠牲者数を両市の公式見解広島約14万人、長崎約7万人に沿って記述しているものが極めて少ない」(注1)。

 何とも逆立ちの言いがかりである。死亡者数は、米国戦略爆撃調査団の数字の方が正しく、米国の学校教科書はこれに従っているので、科学的・学問的に何ら問題ない。一方、日本では、嘘八百の政治宣伝数字を反・科学的にかつ非・学問的に創作した嘘つき広島市長崎市による「公式」嘘数字の方を、学校教科書が用いている。是正されるべきは日本であり、広島市長崎市による『広島・長崎の原爆災害』所収のデータはすべて、学校教科書から削除して叩き出さねばならない。

 広島市長崎市は、一般通念上の公正な行政自治体ではない。その実態は、レーニン/スターリンだけで自国民を六千六百万人も殺した、共産主義という大量人間殺戮を教義とする、人類史上最狂・最凶のカルト宗教団体が牛耳る“悪魔の政治団体”である。自国民をたった四年間で二百万人も殺し、カンボジア人口を一気に四分の三にしたポル=ポト派と同じ悪魔の宗教を狂信するものが、両市の市役所の管理職のほとんどを占めている。

 そこでまず、ヒロシマナガサキの原爆死亡者数にかかわる、日本政府の公式数字を掲げる。経済安定本部が1949年に確定数字としてまとめたもので、表1。これが日本政府の公式統計データ。

表1;日本政府の「原爆による人的被害」公式数字(注2)

 

広島市

長崎市

死亡者

7万8150人

2万3753人

重傷者

9428人

重軽症合わせて4万993名

軽症者

2万7997人

 

行方不明

1万3983人

1927名

(以上、合計

12万9558人

6万6673人)

生命身体に無関係な衣食住罹災者

17万6987人

8万9780名

 

 この日本政府の公式数字は、広島市に関しては広島県警察内務省直轄)が、長崎市に関しては長崎県外務課がなした、それぞれ一九四五年十一月現在・十月現在での調査結果である。この調査数字は、両市に滞在していた陸海軍部隊関係者を除外している。当時は、内務省は陸海軍が所管する事項にはいっさいタッチできなかった。また、表1の広島市の数字には、商用その他での一時滞在者九万五千二五一名を含んでいる。

 なお、経済安定本部報告書における「長崎市調査(一九四五年十一月二十五日)」との記述は、“長崎県外務課の調査(一九四五年十月二十三日)”の誤記ではないかと思う。

 被曝死亡者数としてよく引用される、中村隆英/宮崎正康編『史料・太平洋戦争被害調査報告』の414頁にある数字は(注3)、この経済安定本部のを転載したもの。

アメリカ戦略爆撃調査団の数字を隠蔽する“反核運動団体”広島市長崎市

 米国の戦略爆撃調査団の報告書は、この部分のみの邦訳が『広島、長崎に対する原子爆弾の効果』として印刷されている。米国の「調査」は、一九四五年十月から十二月にかけて十週間以上の日数を費やし実施された。参加者は各分野からの「専門家一一〇名以上」という大規模なものだった。

 米国にとって、ウラン濃縮爆弾の広島とプルトニウム爆弾の長崎の被害状況については、それが人類史上初の、生きた人間に対する核投下実験であり、それぞれの原爆威力と地形・気象との関係における、またとない貴重な実験結果をもたらすものだった。このため、軍事的立場から、科学的に最正確なものを入手しようとした。その報告書が、政治色が全くないのは、この理由による。

 一九六〇年代までの米国は、むろんソ連中共あるいは英国もそうだが、「核戦争は近未来にはありうる」と想定するのが常識だったから、核戦争下の残留放射線が強度に残る核戦場で、自国軍隊をどう反撃的に攻勢作戦に投入させるかを含めた作戦計画を立てるために、広島・長崎の核被害は絶対正確さにおいて調査されねばならなかった。

 つまり、米国戦略爆撃調査団の次の結論は、このような立場からのもので、百年以上も毎日毎日、事実の歪曲と改竄を恣にしてきた朝日新聞の報道態度とは一八〇度逆である。

「本調査団は、広島の死者は七万人から八万人の間で同数の負傷者、長崎では死者は三万五千人以上とそれより幾分多い負傷者というのが尤もらしい推定のように思われる」(注4)。

 広島市に関しては日本政府(表1)と同じだが、長崎市に関しては、日本政府の「約二万四千人」に比べて一万人以上も多い「三万五千人以上」となっている。

 これ以外の数字で、権威あるものとしてかなり引用されるのが、国連のである。国際連合は、これまで、二つの『核兵器白書』を公刊した。第一がウ・タント国連事務総長の『核兵器白書』、第二がワルトハイム事務総長の『核兵器の包括的研究』である。いずれも邦訳されている。

 ウ・タントの『核兵器白書』では、広島の死者数は七万八千人、長崎は二万七千人とある(注5、原著一九六七年十月)。ワルトハイムの『核兵器の包括的研究』では、次のように書かれている。

「13キロトンと推定される広島の原爆は一ヶ月以内に約七万人の民間人の死をもたらし、…。長崎に投下された22キロトンの原爆は四万人の死者を出した。」(注6、原著一九八〇年九月)。

 つまり、ワルトハイムの国連は、長崎の死者数だけウ・タントの「二万七千人」を「四万人」に訂正した。これは、長崎についてのみ、日本政府の「約二万四千人」をそれぞれ「三万五千人以上」「三万九千五百人」に訂正した、米国や英国の調査分析と似ている。

表2;主要機関報告書における原爆死者数

 

広島

長崎

米国戦略爆撃調査団報告

七~八万人の間

三万五千人以上

英国調査団報告

 

三万九千五百人

ウタント国連核兵器白書

七万八千人

二万七千人

ワルトハイム国連核兵器白書

約七万人

約四万人

日本政府

七万八千人強

約二万四千人

 

 なお、英国は、一九四五年の米国戦略爆撃調査団に加わったが、その分析は独自に行い、米国の発表の後に発表した。広島に関しては英米は同じ結論だが、長崎について英米が異なる数字となった。ワルトハイムの研究チームは、英国の分析の方が精度が高いと判断したのか、その数字を採用した。

 さて、問題は、共産党員の真赤な飯島宗一名古屋大学学長)ら、札付きの党員学者が総出で代行した広島市長崎市共同の報告書『広島・長崎の原爆災害』の死者数。両市の共同調査は、その数字からでも実に異様。捏造甚だしきは誰しも感じよう。

 そもそも両市は、広島と長崎の死者数に関してさまざまな機関の調査結果を一覧表にしながら、米国戦略爆撃調査団のものと二つの国連報告書のだけ、この一覧表(注7)からわざわざ削除的に排除した。大学の専門家や新聞・テレビのジャーナリストが最も引用する、最も権威あるこれら三資料の意図的な排除は、広島市長崎市に嘘数字をでっち上げようとの犯罪的悪意がなければ断じてしなかったはず。

真赤な嘘数字をデッチアゲた広島市長崎市の犯罪トリックを暴く

 広島市長崎市の共同レポート『広島・長崎の原爆災害』によると、広島市の死亡者数は「軍人軍属を含めて十三万人、長崎のそれは六~七万人」とある(注7)。

 先に引用した朝日新聞の報道「広島十四万人、長崎七万人」(注1)は、これをそのまま引用したと称している。だが、広島の死亡者数で、朝日新聞はちゃっかり「一万人」を上乗せする意図的な改竄をしている。

 さて、問題は、朝日新聞の便乗改竄の問題の方ではなく、広島市長崎市の「原爆死亡者」数の捏造問題の方である。日本政府のにしろアメリカ戦略爆撃調査団のにしろ、彼らの調査手法は、当時の広島市を例とせば、県内務省所管、知事は内務省からの勅任官)の警察官が動員され、死体・死亡の確認作業を住民票や社員名簿などが残っていればそれら名簿と首っ引きで事実上ひとりづつなしたもの。この調査をさらに三ヶ月に亘って、アメリカの大規模調査団が重畳的に再チェックした。

 長崎市の方は警察官を動員しておらず、一般の県庁職員の集計作業による。現場をつぶさに歩いての確認作業ではないため、米国や英国の再チェックでかなりの訂正となったようだ。結果として、その精度は相当に高いと看做すのは合理的である。

 だが、一九七八年、戦後三十年を経た広島市長崎市は、ソ連の核戦力が米国を大きく凌駕して、米国の「後退」が顕著であったデタント時代の末期、突然、「被曝者数を天文学的に膨らませ!」をモットーに、政治的な調査を、「反核」運動ばかりをやっている共産党員大学教授たちを大量に集めて丸投げし急ぎまとめさせた。それが非学問的な“悪の政治宣伝文書”『広島・長崎の原爆災害』(一九七九年六月)である。

 このトンデモ報告書が出てから六ヶ月後の一九七九年十二月末ソ連軍はアフガニスタンに侵略し世界は騒然となった。米国は核兵器の劣勢にくわえて海軍力が弱体化しており、ソ連は米国を侮蔑して、ユーラシア大陸全域を制覇する勢いを傲然と誇示した。

 この構図は、実は、一九五〇年の朝鮮戦争の時とそっくり。一九五〇年三月、日本共産党は、核兵器反対の署名運動を突然開始した。当時の「反核」運動は、必ず「日本共産党」という幟や襷を身につけており、今のように「市民」などと化け狐のような擬装はしなかったので誰にでも識別できた。

 また、「核兵器反対」自体、一九五〇年時点では実にめずらしい考え。だから、「核兵器反対」と聞けば「共産党員」を意味した。ほぼ全日本人は、「核兵器反対」の幟やプラカードを見ては、ペスト菌並みに穢れると嫌悪し、足早に立ち去った。

 そして、日本共産党反核署名運動から三ヶ月後の一九五〇年六月末北朝鮮ソ連の後押しで韓国に侵略を開始した。共産党は時として、突然反核運動に飛躍的な熱を帯びるが、それは、世界世論を“米国の核兵器使用つぶし”に向かって洗脳的に誘導することを狙ったもの。彼らの祖国ソヴィエト・ロシアの世界制覇世界共産化の侵略を支援する準軍事行動である。

 すなわち、『広島・長崎の原爆災害』は、一般の日本人や日本政府に、被曝者への同情を喚起させることによって、米国がアフガンを侵略したソ連に対して(核恫喝だけであっても)核兵器を活用してアフガンから撤兵せよと迫ることがないよう、米国の核使用反対の共産党運動に加担させようとの意図で出版されたもの。

 だから、この報告書のほとんどは、生きている被曝(と詐称する“なりすまし被曝者”)天文学的な数字にデッチアゲルためのトリック推定に費やされている。このトリックをすぐさま見抜けるものにとって、嗤うべきか怒るべきか、一瞬、戸惑う。特に「被曝者」などと言う奇天烈な珍語は、科学や医学に反する政治的なラベル語で、耳を疑う。

 つまり『広島・長崎の原爆災害』は、生きている「被曝者」数の大々的なデッチアゲが出版の主目的。また、「被曝者」だと自称するものたちがさも被曝の後遺症で苦しんでいるかに架空のウソ情景を描き、読者を蜃気楼的な幻覚に酔わせるのも目的。だから、死んだ原爆死亡者数の算定には関心はなく、調査も分析もゼロだから、事実上していない。五百頁を越える巨大な報告書なのに、“死亡者数の推定”と称する箇所は、二頁にも満たない。

 しかも、その推定方法は、あっと驚く、度の過ぎたナンセンス。デタラメもこれほどのものはめったにない非学問の極み。

 原爆投下直前の広島市の居住・滞在住民数を推定し、この数字から、原爆投下から二ヶ月半後の「十一月一日現在の人口調査」の居住住民数を引いたもの。原爆の被害とは全く無関係な周辺の町村まで含めて、引き算の結果を「十万五千人から十万八千人の人口欠損数が生じた」と強弁し、「死者十一万人」をデッチアゲている。

 駐兵していた陸海軍部隊についてはさらに杜撰。調査をいっさいせず、口から出任せ数字の「死亡二万人」を突然挙げる。唖然とするほかない。そして、「十一万人+二万人=十三万人」だと、“世紀の嘘数字”「十三万人」を作為した。つり銭泥棒の手口そっくり。広島市長と長崎市長は、つり銭泥棒が本業なのだろう。

 一九四五年の秋の時点で、原爆が投下され都市機能が崩壊した広島市長崎市に、生き延びたからといって、原爆投下前と同じように留まる者など少ないに決まっている。しかも、日本全体が餓死寸前の食糧難。都市部の多くの日本人は、農村部の親類宅や郷里に身を寄せた。広島市長崎市に居ても、水道等のインフラも破壊されており、商店もない。かなりの住民は、一時的に田舎に疎開した。だが『広島・長崎の原爆災害』は、これら「生きている者」を「死亡した」「死者である」と断定している。

 要は、『広島・長崎の原爆災害』の数字は、佐村河内氏の全聾作曲と全く同じで、真赤な“嘘のデパート”。学校教科書はむろん、新聞テレビのマスメディアも、決して使用してはいけない。

B29の飛来に対して空襲警報をサボった、広島・長崎の核被害の最大の原因をなぜ追究しないのか

 広島の原爆投下は八月六日午前八時十五分で、八時に始まる工場などを除き、多くのものがちょうど出勤途中であった(当時は八時半始まりが多かった)。学校の生徒は、夏休みだったが、八時頃からさまざまな戸外作業に動員されて働いていた。

 だが、「B29が一機侵入中」と陸軍防空部隊から連絡を受けていた空襲警報担当の市職員(現在で言えば消防署の消防士に当たる)は、空襲警報を鳴らさなかった。一機なら偵察だろうし、鳴らせば防空壕に飛び込み、せっかくアイロンをかけた夏の上着や開襟シャツが汚れるからとの理由だった。なお、午前七時三十分には鳴らしている。

 晴天であったためB29を視認できた戸外の多くの日本人は、警報が鳴らないからと、防空壕には飛び込まなかった。ほんの一部が飛び込んでおり、彼らはほとんど生存している。爆心地の傍の橋の下に逃げたものすら生存している。

 アメリカ戦略爆撃調査団がもっとも怪訝に思ったのは、空襲警報を鳴らしておれば「死亡被害者数が十分の一になった」はずなのに、なぜ「消防士」は防空法に違反してまで空襲警報を鳴らさない自分勝手な判断をしたのか。戦争中に決して起きない、日本の一般公務員の職務違反がなぜ起きたのか、の疑問であった。

 長崎市の方でも、B29が二機侵入してきたのを空襲警報の担当公務員は原爆投下(十一時二分)前に視認していたが、警報は鳴らさなかった。鳴らしたのは、全く無意味な、投下から七分が経った午前十一時九分であった。

 このように、日本人が空襲警報をサボる異常さは、とりわけ、ヒットラー・ドイツの空襲に見事に耐え抜いた英国ロンドンの堅牢な防空体制を知る英国の調査団員にとって、驚愕であった。

 ところが、『広島・長崎の原爆災害』には、この空襲警報を鳴らさなかった問題が一字もない。全面削除している。どうすれば、被害者の数を減らすことができたかなど、人間の生命をどう守るかの言及が一行もない。『広島・長崎の原爆災害』からは、日本人の生命など虫けらと同じだという、悪魔の呟きが聞こえてくる。

 また、空襲警報の職務放棄問題での最高責任者である県知事に対する“無作為の大量殺人”を糾弾する内容も一字として不在。五百頁もあって、書いてあるのはただ「原爆は怖い、怖い」ばかり。原爆が怖いのは、バカでもわかる。

 なお、ヒロシマナガサキに投下されたのは、13キロトンとか22キロトンとかのミニ原爆。榴弾砲から撃つ核砲弾と同じ威力。一メガトンの水爆ではない。魚雷と同じ大きさのトマホーク巡航ミサイルですら200キロトンの威力はある。こんな小さな原爆で、ヒロシマで7万人を越える死者を出したならば、防空の最高責任者・広島県知事は切腹して責任をとるべきである。こう論及してこそ、地方公共団体のレポートだろう。

 だが、原爆の恐怖を煽るだけとは、いったい何故だ。法律で、地方住民の生命と財産を守ることが職務だと、地方公共団体にはその義務が明記されているが、広島市長崎市は、この職務の全面放棄をしている。

 広島・長崎市は、憲法と公務員法あるいはその他の諸法律に抵触する政治活動であるのを知りながら、「反米」「反核」の革命運動に熱を挙げている。それ以上に、日本人の生命を守るなんぞ、アホくさくてできないと宣言している。それが『広島・長崎の原爆災害』である。「反日イデオロギーの悪書『広島・長崎の原爆災害』を、日本の学校教科書は引用しているが、これこそトンデモナイ“反・教育”。

安倍晋三よ、“日本共産革命の祭典”広島・長崎の慰霊祭に出席していいのか

 「反核」「ヒロシマ」「ナガサキ」と聞けば、“赤だ!”と直ちに戦闘態勢に入るのが、一九七〇年代までの自民党だった。自民党議員が初めてヒロシマの慰霊祭に出席したのは、中曽根康弘が首相のときで、一九八三年八月六日。

 この日、自民党議員の過半は、ワイン樽を道に落としたような驚天動地の大騒ぎとなった。それまで自民党は、ヒロシマナガサキとはいかなる接点を決してもってはならないが常識だったからだ。

 中曽根に関して、一般にはタカ派と誤解されている。中曽根自身、そう演技してきた。が、中曽根とは、天皇制度廃止に執念をかけたコミュニストでNKGB工作員南原繁(東大総長)の愛弟子。海軍経理学校時代からコミュニストだったとの噂も信憑性が高いが、一般にはこれらの事実は知られていない。ために、中曽根の正体は謎。中曽根については、ここまで。

 さて、今年も安倍晋三は、ヒロシマナガサキ共産党の祭典に出席して、日本共産革命万歳! と、祝辞を述べた。原爆犠牲者の慰霊など、霊魂を信じない唯物論共産主義者が本心からするわけがない。それらが共産革命祭典なのは、自明だろう。

 だが、安倍だけではないが、自民党議員で、「ヒロシマナガサキ慰霊式典とは、殺人狂の教祖レーニンを崇拝する共産主義者たちが、原爆投下を理屈にした盛大な革命祭典」だと認識しているものが、めっきり減った。それらは、日本国家の国益に反するばかりではない。それらへの出席その行為自体、死者を弔い慰霊する人間の倫理道徳に反する。

 核抑止なくして日本国の独立と自由は保障され得ない。核廃絶を断固排斥して、米国の核戦力の増強を、今、日本は訴えるべき時にある。ヒロシマナガサキの共産革命祭典を廃絶してこそ、日本は、ロシア/中共北朝鮮からの核攻撃を阻止でき、日本国の平和と日本人の生命とを守ることができる。

 自民党総裁は八月、二度とヒロシマナガサキに訪問してはならない。厳に心得よ。

第二節 シベリア拉致・強制労働・殺戮数を十分の一に改竄する朝日

 上記の朝日新聞は、満洲樺太からシベリアに拉致連行され極寒の強制労働で死亡者続出の日本人男児の死亡者数について、今度は日本政府(厚生省)の真赤な嘘数字を使っている。この『満洲・北鮮・樺太・千島における日本人の日ソ開戦以後の概況』(注8)という真赤な嘘レポートを日本政府としてまとめたのは、厚生省引揚援護局を牛耳っていたソ連工作員・美山要蔵であった。尾崎秀実のみならず、瀬島龍三や辻正信あるいは服部卓四郎など、錚々たるソ連工作員と堂々と並びうる赤いコミュニスト将校(終戦時、陸軍大佐)。美山要蔵はまた、靖国神社つぶしにも辣腕を振るった(注9)。

 舞鶴港に生きて帰還した「五十二万人」は明白な事実だから、改竄は不可能。一方、シベリアに連行された日本人男児の数は「一〇五万人」であるのも、おおむね常識で知られていた。この正しい数字に従うと、ロシアが殺した日本人数は「五十万人」となり、ロシアにとっては、日本人には知られたくない歴史の真実である。。

 美山はソ連に依頼されるままに、すなわちソ連と謀議して、強制連行された日本人数を「五十七万五千人」に作為した。しかも、この真赤な嘘数字を政府公式数字にし、厚生省刊の政府公式文書『満洲・北鮮・樺太・千島における日本人の日ソ開戦以後の概況』に明記した(注8)。こうすると、ソ連が殺した日本人男児はわずか「五万五千人」となる。「五十七万五千人―五十二万人=五万五千人」だからである。

 だが、実際にシベリアに連行された「一〇五万人」のうち、(おそらく嘘だと考えてよいがロシア側の主張どおり)仮に「数万人」はソ満国境で病気等で列車から降ろされたのが正しいとして、それを差し引いても、「シベリア連行総数一〇五万人―数万人―帰還者五二万人=約五〇万人」が、未帰還であるのは明白。つまり殺害された数はこれ。スターリンのソヴィエト・ロシアは、五十万人の日本人男児を殺したのである。

 つまり、厚生省引揚援護局と美山要蔵は、ロシアにシベリアで殺された真実の数字「五十万人」という巨大な日本人犠牲者数を十分の一の「五万五千人」に改竄すべく、シベリアに拉致連行された日本人数を、ありもしない「五十七万五千人」という架空の数字をソ連側と謀議してデッチアゲたのである。

 一方、ソ連軍に降伏した「満洲関東軍と北鮮の日本軍と在樺太の日本軍と国後・択捉・千島列島の日本軍」の総数は「八十五万人」なのもわかっているから、厚生省引揚援護局の数字がおかしいことは、自明。さらに、満洲や北鮮そして樺太の一般邦人も“男狩り”されて、シベリアに連行された。その数は「二十万人」と推定される。シベリア強制連行者数は、「八十五万人+二十万人=一〇五万人」が最も妥当な数字。

 なお、一般邦人男児「二十万人」の連行は、明らかな国際法違反。だから、彼らはより厳しい極寒の地での過酷な強制労働でほとんどが死んだ。証拠隠滅のために、ロシアは、故殺の殺害をしたのである。

 これらのことをまとめようと思っていた矢先、筑波大学で同僚だったロシア文学の阿部軍治先生が、最高の本を書いて下さった。七百頁ほどの大著『シベリア強制抑留の実態』である(注10)。シベリア拉致強制重労働の歴史について、この本以上の正確さと十全たる資料収集をした本は他にはない。決定本である。

 話を朝日新聞に戻そう。朝日新聞は、広島・長崎の原爆死亡者数については、日本政府の数字を間違いだとして排した。代わりに、一地方自治体の嘘数字を用いた。

 ところが、シベリアで殺された日本人男児の数については、朝日新聞は、真赤な嘘が明らかな日本政府の数字を用いる。これではダブル・スタンダードではないか。要するに、朝日新聞は、共産主義者がまとめた数字を正しいとする行動基準で、資料の恣意的な摘み食いをしている。

 こうも言える。原爆死亡者数については、朝日新聞は「反米」で「親ロ」の立場の数字を選択する。シベリア強制労働日本人大量殺戮については、「反・日本」で「ロシア美化」の立場の数字を選択する。朝日新聞は、日本の新聞ではなく、日本を害するロシアの新聞。朝日新聞をモスクワに強制引っ越しさせる方策はないものか。

 

関連エントリ

ソ連・ロシアの侵略

 

1、『朝日新聞』二〇一四年八月九日付け。

2、経済安定本部『太平洋戦争による我国の被害総合報告書』、一九四九年、一七五~九頁。

3、中村隆英/宮崎正康編『史料・太平洋戦争被害調査報告』、東京大学出版会、四一四頁。

4、アメリカ戦略爆撃調査団『広島、長崎に対する原子爆弾の効果』、原著は一九四六年刊。邦訳は、財団法人・広島平和文化センター、二〇頁。

5、鹿島平和研究所訳『核兵器白書―ウ・タント国連事務総長報告』、鹿島出版会、邦訳は一九六八年、五頁。

6、国連事務総長報告『核兵器の包括的研究』、連合出版、邦訳出版は一九八二年、七二頁。

7、広島市長崎市原爆災害誌編集委員会広島・長崎の原爆災害』、岩波書店、一九七九年、二七四~五頁。

8、厚生省引揚援護局未帰還調査部『満洲・北鮮・樺太・千島における日本人の日ソ開戦以後の概況』、一九五九年五月、二〇頁。

9、美山要蔵が、満洲ソ連軍に容易に勝利させ占領させるために、レイテ島で関東軍の十万人を餓死させるプランを参謀本部の瀬島龍三と服部卓四郎と謀議して実行したことはつとに知られていよう。戦後もソ連工作員としてコミュニストとして死ぬまで暗躍し続けた。

その一つ。靖国神社をつぶす目的でA級戦犯祭神として祀らせることを考えた主犯は美山である。それを一九七八年に敢行した靖国神社宮司松平永芳は実行犯。蛇足だが、松平永芳もまた、昭和天皇暗殺団を率いた皇国史観(=超民族主義スターリン崇拝教)平泉澄の愛弟子で民族系コミュニスト平泉澄は、スターリン後醍醐天皇に、日本人ソ連工作員コミュニスト楠木正成になぞらえるレトリックを考案した。平泉澄が企画し決行された昭和天皇暗殺が、八月十四日の宮城クーデター事件である。

10、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態―日ソ両国資料からの検証』、彩流社

 

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