中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

西尾「五百年史」は、“全盲史観”のカルト宗教 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅣ)

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

第一節 西尾幹二の“お笑い歴史漫談”「戦争史観の転換」

 「知識の貧困」や「知識の欠乏」が、西尾の歴史評論問題の核心ではない。西尾の知識は、確かに貧しく幼稚。だが、それ以上に、トンデモ間違いと真赤な嘘だらけ西尾幹二とは、計画的に、虚偽歴史を企図し、その垂れ流しを通じて、日本人に狂った歴史を洗脳せんものと書きまくっている。西尾幹二とは、“犯罪的な偽情報宣伝家”である。

 チンギスカンやピサロがなした他民族に対して容赦ない“歴史簒奪の侵略”と同種の、日本人から正しい歴史を奪うことに妄執の情熱を傾ける、日本人憎悪に燃える“無国籍の反日狂人”、それが西尾幹二の正体である。

 仮に、このような悪意の意図が西尾にないとすれば、西尾の間違いだらけも度がすぎる嘘八百の歴史記述は、吉本興業のお笑い芸人もビックリの“お笑い歴史漫談”ということになる。さっそく、一例を挙げる。読者は、笑いすぎて顎を外さないで欲しい。

 西尾の「戦争史観の転換」第一章の②に、こうある。

(一八九八年の米西戦争でスペインが負け)フィリッピンの陥落後、イギリスの海軍は西太平洋をアメリカに引渡し、艦隊を撤収したスペイン帝国とイギリスとの積年の対決に終止符を打ったのはイギリスではなく、新興国アメリカだった」

「アメリカはこれによって一等国になり、太平洋はアメリカの海となった」(注1)。

「英国は、東洋艦隊を(実際より七十年も前の)一八九八年に撤収した」だって(大笑)  

 マニラ湾での米西戦争は、一般に「マニラ湾海戦」という。香港にあるイギリス海軍軍港を間借りした“米国アジア艦隊”とは、表1のごときささやかなもの。それより四年前の一八九四年九月、日清戦争黄海海戦を勝利した日本海軍から見るとまるで前近代的なレベル。一般の日本人は親米であったから、ただただ苦笑した。

 一方のスペイン・太平洋艦隊は、それよりひどい“玩具の海軍”。何しろ木造巡洋艦まである時代錯誤の艦隊。たった六時間の戦闘で、七隻のお粗末なスペイン太平洋艦隊は、撃沈を含め全艦潰滅した。「下には下がある」ということか。

 フィリッピンを獲得したのに、米国は「アジア艦隊」の軍港をつくろうとはしなかった。マニラの近くスービック湾は軍港に適した湾だったが、関心がなかった。米国が太平洋に初めて本格的な海軍基地を有したのが、ハワイのパール・ハーバーで一九一九年だった。          

表1;マニラ湾海戦時の米国海軍と黄海海戦時の日本海軍

    

米国アジア艦隊(1898年4月30日)

黄海海戦出撃の日本の連合艦隊(1894年9月17日)

巡洋艦

4隻(5870㌧、4413㌧、3213㌧、4413㌧)

5隻(3709㌧2隻、4225㌧、2439㌧、3172㌧)、海防艦3隻(4278㌧)、注2

コルベット

なし

2隻

砲艦

3隻(3000㌧、1710㌧等)

1隻(622㌧)

その他

なし

改造巡洋艦1隻、旧式砲艦等9隻

 このような歴史のイロハ事実を知れば、上記に引用した西尾幹二の嘘歴史というか、精神異常者としての狂気の妄想の重さがすぐわかる。

 大西洋からはるばるマゼラン海峡を越えてやってきた、ささやかな「米国アジア艦隊」など、戦力的には日本海軍の数分の一以下であまりに弱体。しかも、軍艦はまだ石炭が燃料の時代。日本は政府も国民も失笑をこらえて、「米国よ、もっと強くなったらどうだ」と声援を送ったのである。

 つまり、一八九八年とは、日本が英国やロシアを抜き「太平洋は、ほぼ“日本の海”となりつつある」時代。それなのに西尾幹二はなぜ、マニラ湾に初めて停泊するようになった“超ミニの米国アジア艦隊”をもって、「太平洋はアメリカの海となった」という荒唐無稽な虚構を描くのだろうか。西尾幹二の狂妄の幻覚は、精神病院に入院加療が緊急に必要なレベルで、尋常ではない。

 すなわち、一八九八年時点の太平洋の海軍力は、清国を除くと、日本がすでにナンバー・ワン。二番手がロシア、三番手が英国であった。米国は、一八九八年以降はマニラ(スービック湾)に本格的な大海軍基地をつくれるのにつくらず、太平洋を事実上“日本の海”にすることで良しとした。米国は四番手ではなく、番外だった。

 米国が太平洋への海軍力の展開を始動させたのは、一九一四年にパナマ運河が開通した後。米西戦争から十六年が経っていた。海軍戦略論の碩学マハン提督や、テオドア・ルーズベルト大統領の“シー・パワー論”の種が、実際に芽を出すのに、十六年の歳月を要したのである。

 翻ってロシアは、天性の侵略国らしく、米国とは異なり、動きは迅速だった。東シナ海や西北太平洋制海権を、日本から一気に奪還せんものと大海戦を挑んできた。それが、一九〇五年五月二十七日の“日本海海戦 Tsushima Battle”。

 だが、すでにほぼ“太平洋の覇者”となっていた日本海軍に対し、ロシアが主力のバルト艦隊をはるばる極東まで増派しても、海軍戦力の劣勢が否めないバランスになっていた。しかも、冷房装置のない時代に赤道を二度も通過したロシア海軍側の疲労は極度で、潰滅するのは不可避だった。

 日本海海戦とは、日本が圧倒的に優勢な海軍力で、劣勢のバルチック艦隊に戦いを挑まれ、返す刀で当然の殲滅を強いたに過ぎない。

表2;日本海海戦における日露の海軍力ギャップ(1905年5月)

 

日本海軍

露国海軍

露の損害

戦艦(新型)

戦艦(旧型)

4隻

0隻

5隻

3隻

撃沈6隻、捕獲2隻

装甲巡洋艦   

8隻

3隻

撃沈3隻

装甲海防艦

1隻

3隻

撃沈1隻、捕獲2隻

巡洋艦

15隻

6隻

撃沈1隻、逃走中沈没1隻

駆逐艦

21隻

9隻

撃沈4隻、捕獲1隻、逃走中沈没1隻

水雷艇

41隻

0隻

 

 絶句するほかない西尾幹二の狂気のひどさを示すものが、上記引用にもう一つある。「(一八九八年、)イギリス海軍は西太平洋をアメリカに引渡し、艦隊を撤収した」という記述。

 マニラ湾海戦は、香港とシンガポールを母港とするイギリスの東洋艦隊態勢を何一つ変化させることはなかった。第一次世界大戦が終わり、一九一九年以降の米国海軍は、ハワイまでの東太平洋で防勢的な態勢を基本とした。

 これを機に、英国海軍と米国海軍は、太平洋に展開する海軍戦力の不足が決定的だったが、相互間のトラブルを回避することも考慮して、守備範囲を西太平洋と東太平洋にそれぞれ自制した。南シナ海以南の英国が一部を担当していた西太平洋のシー・パトロール分をすべて米国が引き継ぐのは、一九七一年以降である。

 だから、一九四一年十二月八日、太平洋戦争の勃発同時に日本は、東太平洋を制海する米国海軍基地のパール・ハーバーを急襲すると同時に、南シナ海以南の西太平洋を守備する英国海軍の香港とシンガポールを攻撃した。

 日本の香港攻略戦の開始は、パール・ハーバー奇襲と同時だった。このとき香港にいた英国東洋艦隊は、「駆逐艦3隻、砲艦4隻、魚雷艇8隻、哨戒艇15隻」。日本海軍にとって鎧袖一触の相手にならない弱小艦隊。英国の東洋艦隊の主力は、当時はシンガポールを母港としており、開戦時点、ここへの配属艦艇は、「戦艦3隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦13隻、潜水艦1隻」だった。このシンガポールから出撃した英国の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」の二隻は、早々と一九四一年十二月十日、マレー半島の東(ひがし)海上で、日本海軍の雷撃機と水平爆撃機の猛襲に撃沈され海の藻屑となった。

 ところが西尾幹二にかかると、一八九八年以来、英国の海軍力は西太平洋から撤退していてゼロだったという。「戦艦3隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦13隻、潜水艦1隻」が、西尾の眼では「艦艇数はゼロ」に見える。西尾の精神分裂病は、かくも重度。

 なお、英国が東洋艦隊(戦後は「極東艦隊」と名称変更)を財政上の逼迫から閉鎖撤退したのは、一九七一年十月だった。つまり西尾幹二は、一九七一年を、七十三年前の一八九八年だと、「バック・ツー・ザフューチャー」している。分裂病は時間軸を喪失する。ために、西尾は時間のない世界を徘徊する。

 精神分裂病患者が歴史を語るのは、全盲者が油絵画家になるより難しいとされる。歴史学は時間軸で歴史事実を辿る学問だからである。西尾は、“歴史”だと詐称して、雑誌『正論』などで「歴史評論」を書きまくる。が、それは反・歴史学噴飯物。一般通念上の歴史評論ともほど遠い。良く言えば“お笑い漫談”。それ以外ではあるまい。

山田長政も創り話、米国移民も創り話、満州への移民も創り話」だって(大笑)

 西尾幹二は、日本人の初歩的な歴史も定かに認識できない。こう書いている。

「私たち自然を愛し、仏様を信仰していたこの民族(日本人)にとって…」

「私たち日本民族は、空間的な拡大や移動を求めない民族だった」(注3)。

 日本人の精神と信仰において、仏教とともに神道の比重は大きい。神社と神道とを排除する西尾とは、いったい日本人なのか。が、この問題はさておく。歴史学的に西尾はトンデモない歴史偽造を行っているので、この方を斬ることにする。日本人は、時として空間的に拡大する。だが西尾は、この重大歴史事実を改竄し、「不存在」とする。

 十六世紀から十七世紀前半にかけて「日本人町」は、マニラフィリッピン、アユタヤー(タイ)、ピニヤルーカンボジアプノンペンカンボジア、ツーランベトナム、現在のダナン)、フェフォベトナムなど多数にのぼる。もし、日本人が空間的な拡大や移動(移民)をしなかったら、これらに「日本人町」はないし、山田長政(備考)も歴史に存在しなかった。西尾幹二は、山田長政を日本史から抹殺したいようだ。

(備考)山田長政とは、一六一二年、朱印船にてシャムに渡り、アユタヤの日本人街の統領になった。一六三〇年、タイ国内の権力内戦で負傷し死亡した。

 これらの「日本人町」の形成が日本の朱印船交易と不可分の関係があるが、西尾幹二にとって「朱印船」は稲作のことらしい。秀吉が一五九二年に初めて朱印状(政府公認の海外渡航証)を発行して始まった朱印船は、支那の寧波やマカオはむろん、マラッカ海峡ブルネイボルネオ島あるいはハルマヘラ島インドネシアまで定期航路をもっていた。一六三五年、徳川幕府の第三鎖国令をもって廃止された。朱印船交易の利権は、オランダの東インド会社が実態的には引き継いだ。

 十三世紀から十六世紀の「倭寇」も、日本人が日本列島に閉じこもる稲作農民だけではない歴史である。だが、西尾に従えば、「倭寇」は歴史上不存在だったことになる。「倭寇」は、シナ沿岸を襲ったりした海賊や私貿易の商人軍団だが、日本人より支那人朝鮮人の方が多かったようだ。

 明治時代の後半から大正時代にかけて、東南アジアへ出稼ぐ公娼置屋によって生じた「からゆきさん(=海外での日本人売春婦)」の悲しい物語も、いくつかの小説のテーマにもなっているが、明治時代以降の日本人の海外移民熱の一端を示すものである。

 西尾の最も滑稽な歴史改竄は、日本人の対米移民であろう。日本人が海外移民をしない民族ならば、主にカリフォルニア州で起きた米国における一九二〇年代の“日本人移民排斥”の日米衝突は無かったはずだ。ところが、西尾幹二は、“歴史偽造本の極み”『国民の歴史』で、ほとんど一章を割いて、この対米日本人移民問題を論じ、米国を難じている(注4)。

 西尾は、片や海外への日本人移民はゼロだといい、片や日本人の米国移民を制限したり土地所有権を剥奪したのは米国の人種差別だという。西尾の分裂思考は、かくもダイバージェントdivergentである。

 米国は、自国民を一人として日本に移民させろと迫ったことはない。が、日本は米国に二十二万人の日本人を「ヨーロッパ系白人、キリスト教徒」という仮構の資格を与えて移民させろと迫った。

 日本人は農耕民族であるが、漁労民族でもある。江戸時代に樺太に四千人が移住したが、多くは漁民とその家族だった。樺太へのソヴィエト・ロシアの大侵略のとき(一九四五年八月)には、人口は四十万人強になっていた。そのうち、水産業分野は、鉱工業や林業に次ぎ、やはり大きな比重を占めていた。

 日本人海外移住のトレンドは、明治以降、ロシアの沿海州に数百人以上が移住したことでもわかる。一九二〇年春、アムール川河口のニコライエフスク港七百三十一名日本人虐殺事件は、レーニンの共産テロリスト達が、これら日本人居留民(移民)を、駐兵していた日本の陸海軍部隊(三百八十名)とともに襲撃し惨殺した大事件。同年の一九二〇年カリフォルニア州排日土地法で、一人の日本人も殺されてはいない。が、日本の民族系は、後者について音量いっぱいにがなり立てるが、同じ移民問題であるニコライエフスク港大虐殺事件については沈黙する。

 西尾幹二ら民族系論客の本性は、日本人でなくロシア人。「自主的なロシア特殊偽情報工作員」とも看做しうる。民族系論客を、在日北朝鮮人と同じ“無国籍人”と括り、監視下におく必要がある。

 しかも、日本の民族系論客はほぼ例外なく残忍非道を本性とする。同胞である日本人の命を虫けらとしか見ない特徴があるからだ。特に、ロシア人に殺された日本人を石ころとしか見ない彼らの非人間性は、“民族系のヒーロー”西尾幹二において立証されており、反論は不可能である。

 そもそも、戦間期支那との問題は、駐支那の日本人が純粋に貿易だけで駐在していたのではなく、その多くが対支那日本人移民(商業が主)で、その権益保護と居留の安全保護の問題であった。ともかく、満洲、台湾、支那本土への日本人移民を「不存在」にデッチアげる西尾幹二の歴史改竄の目的は、いったい何を狙っているのだろう。

大東亜共栄圏/満洲国の“五族協和”/サイパン島の“万歳クリフ”」は嘘話だ!

 西尾幹二のデッチアゲ日本史では、日本人は日本列島から外には移住移民などしていない。では、大東亜戦争が日本の敗北をもって終結したとき、海外からの引揚日本人はすべて軍人・軍属だけであったことになる。だったら、引揚総数「六百三十万人」のうち、「軍人・軍属の三百十万人」だけでなく、「一般邦人三百二十万人」(注5)の説明はつかない。 だが、西尾幹二においては、「海外からの引揚三百二十万人=ゼロ人」である。狂人らしい西尾の狂気算数である。

 これらには、近衛文麿の「大東亜共栄圏」や満州国づくりにおける“五族協和”という政府の真赤な嘘話に騙されての海外雄飛もあるが、多くはそれ以前の“海外一旗揚げ組”の日本人移民である。

 日本の固有の領土である樺太や日本の傀儡国家・満洲帝国からの引揚げあるいは台湾や朝鮮半島からの引揚げはポツダム宣言による国境変更だから、これらはいったん眼を瞑ろう。しかし、東南アジアや太平洋の小諸島からの引揚げは、日本人が水平的に地球上に拡散的に膨脹した歴史の結果である。

 例えば、サイパン島テニアン島からの約二万八千人の引揚げは、何を物語るのか。日本人が日本列島を飛び出し水平的に膨脹していた証左ではないか。実際に、両島に三万六千人の一般邦人が移民していた。

 西尾幹二の狂説 “日本人の海外移民ゼロ”に従えば、サイパン島では日本人婦女子が断崖から投身自殺したが(約五千名、万歳クリフ、一九四四年七月)、このような悲しい歴史は空想上のもので実在しないことになる。二〇〇五年六月二十八日、今上天皇美智子皇后陛下を伴い、この万歳クリフに六一年前の悲劇を鎮魂されるべく行幸をなされた。が、西尾の幻覚妄想に従えば、天皇・皇后両陛下のこのご慰霊の行幸は架空の嘘話を妄信したもので、してはならないことになる。

 また、西尾幹二の真赤な嘘の日本人論では、満州国や大連等を除く)支那本土からの「一般邦人四十九万人」の引揚げについての説明がつかない。そのほとんどは(一時滞在者ではなく)支那に移民していた。日本人の海外移民ゼロを主張する西尾幹二の歴史改竄は、これほどひどい無知などありえないから、無知によるのではない。誰がみても狂気からの歴史改竄・捏造である。説明以前に明白。

 なお、敗戦日本の一般邦人引揚げ史が語る、重要な歴史がある。カリフォリニア州やハワイ州など米国に移民していた日本人は、引揚げてこなかった。国外追放されなかったからである。米国だけは、アジア諸国と異なり、敗戦国・日本と日本人に対し例外的に紳士的で極度にいたわりをもって接してくれた。これが日本人が忘れた真実の歴史のひとつである。

大東亜戦争の前、米国の工業生産力は日本に及ばなかった」だって(大笑)

 西尾幹二の次の歴史改竄は、“お笑い歴史漫談”に分類する読者よりも、西尾幹二とは秋葉原無差別殺傷事件(二〇〇八年六月八日、六名死亡、十名重軽傷)の犯人と同じ“凶器を振り回す狂人”だと感じて戦慄する読者の方が多いかもしれない。

 この短い文の中で、日米にかかわるごく常識的な歴史事実を転倒している。しかも、小学校三、四年生でも知っている内容を逆さにするのだから、正常の人間なら、万が一にもできない。

「武力に優るアメリカがどうしても及ばなかったのは、日本の工業生産力だった」

「日本の工業生産力は、二十世紀の初頭からアメリカにとって眼の上のたんこぶだった」(注5)。  

 日本は、太平洋の海軍力で米国を凌駕すること三倍にまでなったが(一九四一年、空母は日本の十隻に対して、米国太平洋艦隊は三隻)、日本の経済力とりわけ工業生産力は米国の十分の一以下であった。対米戦争必敗論は、石油欠乏問題と同じくらいの比重で、ここに依拠した。

 山本五十六ら対米戦争屋は、石油についてはオランダのを盗めば足りるという嘘をついた。加えて、開戦によって米国は工業生産をフル稼働させて実際に圧倒的な物量の兵器を戦場に投入してくるだろうが、その時期を開戦二年後以降(実際には「二年半後」)とし、「開戦一年半以内には、米国に白旗をあげさせるから大丈夫」という、架空の非現実極める戦争シナリオをもって政府を騙した。一年半以上続く戦争になるのは自明だったが、一年半以降のことは考えないことにして開戦したのである。  

 工業生産を支える主要物質の生産高は、日本は米国の十分の一から百分の一であった。兵器の生産を左右する、鋼塊とアルミニウムを一九四一年で見ると、平均で九分の一である(表3は、注6)。      

表3;主要物質の生産における、日本に対する米国の生産高比(日本を1)

 

1929年

1933年

1938年

1941年

石油

501.2

468.0

485.9

527.9

鉄鉱石

416.8

55.6

37.5

74.0

銑鉄

38.9

9.2

7.3

11.9

鋼塊

25.0

7.4

4.5

12.1

12.4

3.1

5.3

10.7

亜鉛

26.0

9.5

7.5

11.7

208.0

37.9

31.3

27.4

アルミ

 

 

8.7

5.6

 船舶や航空機ほか主要工業製品についての日米生産高の比較表は、後で挿入する。それは、平均で日本は、米国の十三分の一であった。戦時体制下で、最優先される航空機を見ると、日本にはB29のような大型機は無いので補正する必要があるが、補正なしの機数だけでも米国の五分の一であった(表4、注7)。「B29の一機は零戦の十機分に相当」などと補正すれば、米国の航空機生産力は日本の六~七倍だったろう。

表4;航空機生産力の日米比較

 

日本

米国

米国/日本

1942年

8800機

4万7800機

5.43倍

1943年

1万6600機

8万5900機

5.17倍

1944年

2万8100機

9万6400機

3.43倍

1945年

1万1000機

4万7800機

4.35倍

平均

  ――

――

4.6倍

 日本の十三倍もの工業生産力をもつ米国が、どうして、日本の足元にも及ばないのか。西尾幹二にかかると、「ダンプカーは、大きさで軽自動車に及ばない」とか、「プロレスラーの身長・体重は、三歳の童子より小さい」となる。

 『正論』が、これほどの狂人に誌面を毎月毎月大量に提供するのは、『正論』が日本人の読者から正常を剥奪して狂わせたいとの、異常な“日本人に対する憎悪”を編集方針としているからである。論壇誌の編集長に、非・日本人はやはり有害が自明。

 なお、連載「戦争史観の転換」において、以上のほか、米国は大東亜戦争以前から“金融による対日侵略”をしていたなど、西尾幹二の狂気が止まる事を知らず綴られている。これらも糺しておきたいが、読者はすでに食傷気味のようだから、ここらで次節に論を移すとしよう。

第二節 究極の日本人絶滅を目指す、西尾幹二「反米史観

 『週刊新潮』に西尾幹二の“奇妙奇天烈な宣言”がある。こう言っている。

(連載「戦争史観の転換」は)日米戦争の背後に西欧五百年史、中世・近世の歴史の暗部とのつながりを発掘し、近視眼史観の克服を試みている」(注8)。

 歴史知見が全くのゼロである西尾幹二が、歴史を書けると思い込んでいるのは、平成論壇の奇観だろう。一般の歴史学を誹謗中傷するために考案した罵倒用語「近視眼史観」には驚くが、近視ならばメガネをかけて矯正すれば遠くも見える。しかし、全盲西尾幹二には、メガネの矯正も無効だし無意味である。

 『正論』に連載中の嘘八百で歴史偽造した歴史評論「戦争史観の転換」は、西尾の言葉を使えば全盲史観というべきもの。全盲史観は、歴史破壊の特効薬だから、反・歴史のことに他ならない。全盲史観が近視眼史観を論うのを、「目糞鼻糞を嗤う」と言うのだろうか。

 そもそも、通史は、それだけの長さの歴史を辿るのだから、巨大な本とならざるを得ない。例えば、ローマ帝国の最盛期である紀元後九六年から西ローマ帝国の滅亡までに力点を置いて東ローマ帝国の滅亡(一四五三年)までを鳥瞰した、ギボン『ローマ帝国衰亡史』は、筑摩書房の邦訳で全十一巻。四百字詰め原稿用紙で、荒っぽい推計では、八千枚以上である。ギボンの原著には注の二巻があるが、これは邦訳されていない。

 一方、西尾幹二の『正論』連載は、一回三十枚で三十回連載だから、せいぜい九百枚。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の十分の一。しかも、西尾幹二は大学教授の肩書きはあっても一度も教育もしたことがない、一度も学術研究をしたことがない非学者だから、彼の連載には注など無い。  

 もう一例をあげる。ブルクハルト『ギリシャ文化史』は、筑摩書房の邦訳で全五巻。上下二段組なので、注は除いて、おそらく原稿用紙で六千枚以上と見てよい。

 要するに、西尾幹二の「五百年史」とやらは、あるべき分量からすれば、「小学校の副読本レベルの薄っぺらなもの」と譬えられる。当然、「五百年史」にはならない。

 西尾が良心的な学者であれば、「五百年史のあるべき分量」は、原稿用紙で少なくとも約一万枚を費やすだろう。このうち一千枚ほどが注に使われよう。このレベルの注がないならば、仮に原稿用紙で一万枚書いたとしても、狂妄な戯言を書きなぐったトンデモ著作以外には決してなりえない。

 それなのに、西尾が薄っぺらな『正論』連載で「五百年史」が概観できると発想するのは、彼が歴史学に関して無知・無教養だからだが、それ以上に、精神異常者特有の妄想の働きが、決定的に左右している。それ以外では、説明できない。

 西尾幹二の無知・無教養は、『正論』ですでに八回連載した約二百四十枚分の「戦争史観の転換」での引用文献数が、「十冊」ほどしかないことでも明白。通常のマトモな学者なら、最低でも百、常識的には約二百ほどの文献が必ず引用されている。

通史を仮装した“超長期間の歴史評論”は、ヒトラー型の煽動宣伝(アジプロ)文書

 一般に学術的な歴史考察は、必ず、時期や事件を限定する。焦点や対象が拡散しないようにして深く掘り下げた考察や分析を進めるためには、歴史学だけではなく、このようなディシプリンが何事においても常識。

 歴史の対象期間を長くすれば長くするだけ、歴史を改竄したり歴史に政治的な意図を含める作為が、やりやすくなる。大東亜戦争は、一九三七年七月七日から一九四五年九月二日までの「八年間」だが、ソ連などからの強い圧力で、東京裁判では一九二八年以降の「十七年間」が対象となった。だから、そのぶん、「東京裁判」の判決書には、嘘歴史が存分に挿入された。

 だが、東京裁判は、「一七八〇年頃から百七十年間とする」など西尾幹二的な(無限遡及という)マルクス主義のドグマは敢然と排除した。日本人の民族系とは、マルクス漬けの知的ナラズモノばかりで、自由社会の哲理・原則たる事後法の禁止や時効の法理が全くわからない。  

 そもそも、歴史研究は顕微鏡によるミクロ研究の堆積であるべきで、それ以外は歴史学ではない。始めから望遠鏡によるマクロ鳥瞰で歴史を論じると、歴史が真っ黒に墨塗りされるのと同じで、何も見えなくなる。このことは、“世界的な歴史家”ギボンやブルクハルトを想起すれば、即座に理解できるはず。彼らは、良心の塊で生きた大歴史学者らしく、顕微鏡によるミクロ研究に全精力を注いでいる。  

 通史として世界的に有名なデービッド・ヒュームの『イングランド史』も、原著で全六巻だが、まさしく顕微鏡によるミクロ研究の堆積である。  

 このことは、ギボンやブルクハルトやヒュームとは真逆で、共産党を離党し幸徳秋水系のアナーキストに転向したがコミュニストであり続けた林房雄が、反面教師として裏づけているではないか。林房雄が書いた“世紀の悪書”『大東亜戦争肯定論』の作為は狡猾を極めたものだが、そのトリックは「百年史」にすることで全開的に発揮された。

 番町書房版で二冊の、通史としては、煎餅の薄さよりも薄っぺらいが故に、歴史の偽造レトリックが満載の“世紀の悪書”に仕立て上げられた『大東亜戦争肯定論』の狙いは、「大東亜戦争におけるスターリンの対日工作」もしくは「スターリンがすべてを操った大東亜戦争」という、大東亜戦争の核心を隠蔽することだが、これに見事に成功した。そればかりか、林房雄の真意と動機である“日本亡国を祈祷する妄執の信条”を糊塗カムフラージュすることにも成功した。「百年史」など、世界的な大歴史学者でない限り、犯罪者の犯意なしでは書けるものではない。

 なお、林房雄の『大東亜戦争肯定論』は、『中央公論』誌上で一九六三年から連載が始まる。朝鮮戦争での勝利を逸した北朝鮮金日成主席を慰めるため、北朝鮮人として当時悪名高き『中央公論』編集長と通じた朝鮮総連が、多額の金で林房雄に依頼して書かせた作品。だが、頭が水準以下の“低級下劣な半・日本人”ばかりの集団とも言える民族系は、毛鉤に喰らいつくダボハゼのごとく、 “反日の悪書”『大東亜戦争肯定論』の毒気に酔い痴れた。が、健全でマトモな日本人なら、決して読むべき書ではない。

 賢い読者ならとっくに気づかれているだろうが、林房雄の「百年史」も、西尾幹二の「五百年史」も、マルクス史学から生まれている。西尾幹二マルクス主義の強度のシンパである以上、西尾の頭における“マルクス史観”の汚染度は半端ではない。

“第二のピサロ”となって日本人を大量殺戮・絶滅したい西尾幹二  

 「戦争史観の転換」で西尾幹二がでっち上げようとする煽動宣伝(アジプロ)の歴史偽造は、一五三二年にインカ帝国を略奪し破壊したピサロなどを、米国にアナロジーする詭弁を駆使したもの。要するに荒唐無稽な「インカ帝国インディオ=日本人、米国=ピサロ」という妄想図式を描くためである。

 米国の対日政策をピサロの対インカ帝国政策に擬える“無論理・無根拠の妄想短絡”は、「反米」という大義を掲げれば、いかなる歴史偽造も、歴史偽造以前の嘘八百も許されるという狂気なしにはできない。また、この狂気の論法は、「ユダヤ人であるということにおいて無限に殺戮されるべき対象」とする狂気のドグマを、“ドイツ千年王国の大義”から演繹したヒトラーと同一である。

 問題は、一笑に附すしかないこのような反・学問のアナロジーの非を糾弾することではない。実は西尾幹二の頭では、一見「他者」と看做しているピサロに自分を憑依させており、「インカ帝国インディオ=日本人、米国=第二のピサロ西尾幹二」となっている。

 驚くなかれ、西尾の頭は一八十度回転し、西尾幹二自身が“第二のピサロ”に成り代わっている。 それはまた、西尾自身が“西尾が描く虚像の米国”そのものに変身していることを意味する。西尾の心底においては、“日本人絶滅”の妄執が燃えており、日本人数千万人を、かつてのインカ帝国インディオに対するピサロと同じように全員殺戮したくてたまらない。これが、「五百年史」という名の歴史偽造に賭ける西尾幹二のカラクリであり本心である。

 麻原彰晃の「アルマゲドン(地球上の全人類滅亡)ドグマは、教団施設外での無差別殺戮の動機と正当化の理屈だった。西尾幹二の「インカ帝国インディオ=日本人、米国=ピサロ」というドグマもまた同様。日本を米国と戦争させて、米国の報復で日本民族を絶滅的に殺戮したい、西尾の日本人絶滅殺戮狂を実践する魔策である。西尾幹二の「戦争史観の転換」を麻原彰晃の著『日出づる国、災い近し』(注10)と比較すると、似ていること双子のようである。

 西尾幹二の頭の中を徹底的に覗きこむ、さらなる脳内解剖に進みたいが、今般はここまでにして、次稿以降に譲る。

関連エントリ

西尾幹二の妄言狂史シリーズ

 

1、西尾幹二「戦争史観の転換 第一章の②」『正論』二〇一三年六月号、一四四頁下段。

2、日本海軍の軍艦諸元は、『近代日本戦争史 第一巻』、同台経済懇話会、一八一頁等を参照した。 なお、これ以外にもかなりの軍艦が配備されていたが、黄海海戦の戦場にはいなかった。

3、西尾幹二「戦争史観の転換 第一章の①」『正論』二〇一三年五月号、六一頁下段。

4、西尾幹二『国民の歴史』、産経新聞社、五四〇~五八頁。

5、若槻泰雄『戦後引揚の記録』、時事通信社、二五二~三頁。

6、上掲、「戦争史観の転換 第一章の②」、一四〇頁上段、一四一頁上段。

7、安藤良雄ほか編集『昭和経済史 上』、日経新書、二六二頁。

8、『近代日本戦争史 第四巻』、同台経済懇話会、八三五頁。

9、『週刊新潮』二〇一四年六月二六日号、一〇七頁。

10、麻原彰晃『日出づる国、災い近し』、オウム、一九九五年。

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