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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“反・歴史”の戦時宣伝本が「歴史」に見える狂気(insanity) ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅡ)

西尾幹二の妄言狂史

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

(本稿は、前稿「一九四五年夏で時計が止まった戦争狂の狂人」の補足)

 

 ミシェル・フーコーの有名な著『狂気の歴史』は、“狂人”にかかわる歴史について歴史学的な考察をするという表面上の形をもって、実は精神分裂病の狂人を支配者・独裁者とする異常な政治体制の提唱をしたものであることは、つとに知られていよう。

 レーニン/スターリン全体主義体制は、暗黒の血塗られた残虐なテロル社会であっても、その狙いは安定的社会だった。だが、自らの重度の精神分裂病を隠さなかったフーコーが目指したのは、国内を相互殺戮という究極の不安定と阿鼻叫喚の地獄絵的な社会に改造すること。後者のような社会の行き着く先は、ヒロシマ原爆が投下された直後のようなものとなるだろうが、実際にフーコーの目ざしたディストピアは、“ヒロシマの廃墟”であった。

 レーニン/スターリンの共産体制は、現在もその残滓がシーラカンスのごとく北朝鮮において厳然と存在している。それは、出発点では人類のユートピアを企図したが、デカルト主義の必然において暗転し、ディストピアとなったものである。ところが、フーコードゥルーズデリダらは、初めから、ネクロポリス(死者の都市)的なディストピア社会を構想した。

 むろん、この稿は、ポスト・モダンという現代思想を扱うものでないので、このあたりで打ち切るが、読者に喚起したかったのは、フーコーの学問的な方法論ディシプリンである。フーコーは、歴史をフルに活用する歴史学的な考察をする形で、徹底的に歴史学を排斥することに情熱と知力を注いだ。『狂気の歴史』だけでなく、『性の歴史』などもその好例であろう。

フーコーの血縁親類といえる西尾幹二の、その“反・歴史”イデオロギー

 フーコーの“反・歴史”がどこから生まれたかというと、いうまでもなく、ニーチェやルソーが源泉である。ニーチェの“反・歴史”については、ニーチェを“反歴史の元祖”とみなすのが通説だし有名だから、説明の必要はないだろう。

 が、ルソーの“反・歴史”については、この重要なルソー基礎知見を把握している日本人は少ない。英国などでは中等学校の生徒でも常識だが、日本では偽りのルソー像が桑原武夫らによって徹底されたためである。王制顚覆と王様の殺戮を正当化する詭弁としての『人間不平等起源論』は、歴史をフンダンに活用するが、それは歴史事実を全面無視した、文明社会否定/文明社会破壊のために作為された虚偽歴史。ルソー型の虚偽歴史の方法論を忠実に継承したのがマルクス/エンゲルスとレーニンである。

 これに対して、人間から歴史を剥奪することに、脳梅毒で狂った頭脳を傾注したのがニーチェであった。“歴史の脱構築”ともいうべきニーチェ的な歴史剥奪の思惟を、ルソー/レーニン的な歴史の大偽造狂とハイブリッド化したのが、フーコーの“反・歴史”である。そして、ニーチェのこの狂気に深く汚染された西尾幹二もまた、フーコーの“反・歴史”との近似が著しい。“反・歴史”ドグマの源流の一人であるニーチェを、西尾とフーコーとは共有している。

 西尾幹二の“口から出任せ嘘八百”の歴史評論が単に非・歴史の歴史偽造になっているだけではなく、日本人から歴史を剥奪せんとする執念に燃える、強度の“反・歴史の歴史評論”となっているのは、この構造の故である。

 西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』に貫かれている、徹底した“反・歴史”という信条の異状さは、フーコーの『性の歴史』『狂気の歴史』と同種だと喝破すれば、すっきりと氷解するだろう。歴史学上の(一般通念上ともいいうる)歴史を根底から排斥するとともに、西尾幹二が、戦時プロパガンダの常である“「歴史」を装う非・歴史や反・歴史”に共振するのは、自らの強度の“反・歴史”主義に合致するからである。

歴史学検証の対象であるべき、戦時宣伝の“反・歴史”を、「継承しろ」だって?

 戦争中の敵国に関する「歴史」など“歴史”などではありえないことは、常識において自明だろう。敵を嘲けり敵を罵倒することに国民一丸と必死になっている時に、学術的な歴史研究など万が一にも出版されない。

 第一の理由は、戦時中とは、日本だけではないが、検閲が厳格に遂行されるのであって、敵国に関して中立的な学術本の出版などまったく不可能である。敵国の政治についてであれ歴史についてであれ、大学教授たちは、戦争宣伝に加担しない冷静さがあればあるほど一人のこらず沈黙に徹し、出版などから極力遠ざかる道を選択した。

 第二の理由は、読者側の動向である。自分の周辺では親類縁者はむろん、近所の隣人の縁者たちも次々に戦死との訃報が入って、毎日のようにお坊さんと接触しているときに、少なくとも線香や数珠を片時も手放す閑暇などないときに、敵国に関する平常の歴史本など読もうとする気になれないのが当然。日本全国で、米国や英国について、正しい歴史を知りたいと思って図書館に通っていたものが、十名とか二十名とかはいたかもしれないが、それ以上はいまい。このような学術的な読者の不在情況にあって、英米に関する真っ当な歴史書を出版する出版社など一社として存在しないのは常識ではないか。

 前稿で、西尾幹二が興奮して絶賛する、『GHQ焚書図書開封』第九巻から三冊、第八巻から二冊(第九巻と一冊重複)、第二巻から十冊の戦時プロパガンダ本をリストアップした。これら総計十四冊の著書のほとんどは、歴史学の専門家が書いたものではない。当然、これらのほとんどが学術的なものとはかけ離れている。

 戦後、GHQは占領中の叛乱防止のため「市販禁止」としたが、日本もまた正しい歴史の回復のため、これらの戦時プロパガンダ本を徹底検証して、その嘘、嘘、嘘を、徹頭徹尾、追及・糾弾しておくべきだった。この戦時宣伝本の戦後処理を、GHQに丸投げして、日本自身が手を汚さなかったツケが、猛威を振るう西尾幹二の狂気の伝染力を倍化した。民族系日本人で『GHQ焚書図書開封』を鵜呑みにする軽佻浮薄な国賊が意外にも多い、国益に反する事態を生んだのである。

 この西尾幹二の害毒は、ドイツに譬えればよくわかろう。 ヒトラーの『わが闘争』やローゼンベルグの『二十世紀の神話』を、戦後のドイツは、その再刊を禁止したし、それ以前にこれらを読もうとするドイツ人など誰もいない。あるいは戦後のドイツ人で、宣伝大臣ゲッベルスのラジオ演説を聴きたいと思うものはいない。ところが西尾幹二は、それから七十年を経た、二十一世紀の今、ドイツ人に向かって『わが闘争』を読め! 『二十世紀の神話』を読め! と絶叫する。あるいは、ドイツはゲッベルスのラジオ演説を再放送すべきだと、西尾幹二は躍起になって論じている、と想像して頂きたい。

 日本人にとって、煽動洗脳本『GHQ焚書図書開封』とは、このような民族の死活を制する“世紀の毒書”である。

スターリン史観」か、「金日成史観」か──西尾幹二の“対米戦争狂”のドグマ

 西尾幹二が十歳の夏、つまりポツダム宣言受諾を昭和天皇玉音放送で国民に告げられた時、日ソ中立条約を侵犯したソ連軍は、満洲や朝鮮北部そして樺太に“あこぎな大侵略”を開始していた。十三世紀の蒙古襲来そのものの再現であった。

 だが、西尾幹二には、ソ連軍の対日侵略への言及が全くない。この侵略への怒りが一かけらも無い。なぜか。西尾幹二とは、「ソ連人」だからである。

 ソ連が日本を侵略し、日本の財物を持ち去り、日本人を殺しまくるのをすべて大歓迎すべきことだと考えるからである。西尾幹二にとってソ連が祖国なのは、まず間違いなかろう。

 ただ不可解なのは、西尾はマルクス・レーニン主義者ではない。ニーチェヒトラー主義者である。ところが、奇怪なことに、西尾の「祖国」はナチ・ドイツではなく、ソ連である。このアポリアは、西尾にとって昭和天皇は憎悪の対象だが、スターリンは崇拝する英雄であるという事実から、解けるかも知れない。西尾にとって、共産党と同じく、スターリンはどうやら「モスクワに居住されている天皇」ではないのだろうか。

 幻覚妄想状態の西尾幹二は、日本には住んではいない。日本人という自己認識も存在しない。ではいったい、西尾幹二は、どこから大東亜戦争を観ているのだろうか。これは、明白。モスクワかピョンヤンに立って、大東亜戦争を鳥瞰している。加えて、西尾幹二の地球儀には、ソ連毛沢東中共北朝鮮もそっくり白地になって存在しない。西尾が妄想する地球儀には、英米とオーストラリアぐらいしか描かれていない。

 しかも西尾の時計は、一九四五年夏、ソ連軍の対満洲・対日本侵略の直前で、止まっている。西尾の「歴史」では、ソ連は、まだ日本や満洲に侵略していないのである。

 つまり西尾とは、重度の精神分裂病において、このような狂った時間軸、このような狂った地図で大東亜戦争を論じている。大東亜戦争を歴史として論じてはいない。西尾幹二には、歴史は存在しない。西尾の頭では、歴史は完全に「脱構築」され、木っ端微塵に破壊尽くされ跡形も無い。

 代わりに、大東亜戦争が未だ続行しており、西尾は、「この大東亜戦争ポツダム宣言の受諾で終結されてはならない!」「戦争を続行せよ!」と、今も叫んでいる。

 「一億玉砕」の言葉通りに、「日本人が一人残らず死亡して民族が絶え果てるまで大東亜戦争を継戦すべきだ」が、ニーチェと同様に、爛れ腐り空洞化した西尾の脳から搾り出された、彼の本心で狂気である。これは、オウム真理教麻原彰晃が妄想し続けた狂気「アルマゲドン」にも通底している。

 フーコーの『狂気の歴史』は、西尾幹二をも研究対象にしてまとめあげたのかと錯覚するほど、西尾幹二を理解するに役に立つ“狂気による狂気診断のDSM-Ⅳ-TR”(注1)である。

 次回は、約束どおり、西尾幹二が『正論』誌で論及した満洲にかかわる、真赤な歴史偽造を取り上げる。乞う、ご期待。         (つづく)

 

関連エントリ

西尾幹二の妄言狂史シリーズ

 

1、『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』、医学書院。

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