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中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」という冗談(ジョーク)──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅷ)

西尾幹二の妄言狂史

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 白鳥敏夫、平野義太郎、大川周明を熱烈支持すれば(表1)、さほど学がなくとも誰でも“極左”と看做す。すなわち、西尾幹二共産党員と同列の“過激な極左”なのは、常識においても明白。それなのに、マルクス・レーニン主義者でないという単純な事実から、そうでないと逆さに勘違いしてきた西尾ファンは、自らの無教養のひどさと論理的な相対化能力の欠如を深く羞じられたい。

表1;西尾幹二が熱烈支持する大東亜戦争期のソ連工作員/狂信的レーニン主義

 

特記事項

GHQ焚書』

白鳥敏夫

終生、ソ連工作員コミュニスト

第八巻

平野義太郎

党籍ある日本共産党員、「ソ連工作員中共工作員

第八巻

大川周明

アジア全域の無秩序化を図るべく反英戦争・日米戦争を起こし、ソ連イスラム教圏・アジアと連携させ、究極には世界を社会主義化で統合。このために日本は特攻の戦争を起こし自らは亡国・廃滅する。

第二巻

 “極左”には、マルクス・レーニン主義コミュニストだけでなく、ニーチェヒトラー主義者(プレ・ポストモダンフーコー・ドウルーズ主義者(ポスト・モダン)、ポスト・コロニアリズム(サイード主義者)など、多種多様な型が存在する。

 清水幾太郎のようにコント・デューイ主義からマルクス・レーニン主義者になった特殊コースすらある。丸山真男知識社会学・フランクフルト社会学主義から最高のコミュニスト知識人となった。ニーチェヒトラー主義の西尾幹二を“極左”に分類しないならば、無知というより、日本共産党を“極左”としない他意に拠るのだろう。

 話を戻す。表1の三人は、共通して天皇制廃止のイデオロギーの狂信者。白鳥敏夫(裏工作専門の外交官)や平野義太郎(知的・学的な擬装に専念した共産党学者)と異なり、行動派でもあったレーニン系マルキスト大川周明は、手の込んだ嘘・天皇主義を擬装する曲者。だが、究極には昭和天皇暗殺と天皇制度の廃止も目指した一九三二年五月十五日の「五・一五事件」の首謀イデオローグであることで、大川周明の心底が“反天皇の権化”であるのは異論を挟み得ない。

 西尾幹二とは、心底では天皇制廃止のイデオロギーに凝り固まっており、だから直観で大川周明を同志だと心酔する。西尾幹二ファンに、天皇制度に怨念をもって廃止せんとする日本国籍を持つ帰化した)在日朝鮮人が多いのも、強度の天皇制廃止である西尾の奥底の真意を正確に覗き込んでいるからである。

 西尾幹二の正体が“天皇制廃止の極左”だと喝破できない(有名人になりたい一心で、芸能人ごっこに明け暮れる)竹田恒泰氏の軽佻さには、ただただ眉を顰めるほかない。これでは旧皇族皇籍復帰という制度づくりは遠のくばかり。

 ともあれ、共産党と同じ位置にいる西尾幹二を、「保守」とか「良心的な学者」だとか、逆さに誤解する“恥さらし日本人”は、“低級な非国民” でもあるから、法廷ですら「黒い烏」を「白い白鳥」だと言い張るに違いない。“極左”度の測定は、日本共産党を基準としてそこからの距離。共産党より左なら“スーパー極左”、やや右なら“左翼”という。つまり、西尾が“極左”なのは事実で、この事実は動かない。

 さて、話を本論へと進めよう。西尾幹二は、大川周明『米英東亜侵略史』は、GHQに“焚書”され日本人は手にできなかったとの真赤な創り話を主張する。そして、自分が、七十歳になるまで、この本を読めなかったのは、GHQ(米国)の焚書のせいだ、と。

 一九四二年から七十年以上連続して日本人すべてが読むことのできた『米英東亜侵略史』を、(学者の基準では)本をまったく読まない“学者もどき売文業者”西尾幹二だけが読まなかった。なのに西尾は、「米国のせいで読めなかった」と真赤な嘘を創作して、自分の無学・無教養と怠惰な生活の問題を米国に転嫁する。重度の精神分裂病からの西尾の虚言癖だし、その分裂妄想からの“歴史の偽造狂”の症状でもある。その上、狡猾な犯罪者性に歪んだ西尾の異常な人格から生まれる怪奇言動である。

 ちなみに、『米英東亜侵略史』はすベての主要大学に一九四二年からずっと蔵書されている。戦後まもなく、『大川周明全集』が出版され、『米英東亜侵略史』が収録されている第二巻は一九六二年の刊行だった(西尾二十七歳)

 ところが西尾は、「二十七歳(一九六二年)から七十歳(二〇〇五年)までの四十三年間オレ様が読まなかったのは、米国が<焚書した>ため。一九六二年に『全集』で再刊された第二巻もずっと東大図書館にあったが、オレ様が読まなかったから存在しなかったのだ」と、狂気丸出しの嘘を喚き散らす。どうも西尾の狂った頭では、「GHQの対日占領は二〇〇五年まで続いた」らしい。

 “<指定図書>となった本はおおむね数冊づつ収されたようだが、焚書など全くなされなかった”のが、正しい歴史事実。だが西尾は、この事実を改竄し転倒し、「焚書されて、一冊も日本に残らなかった」と、分裂病妄想でデッチアゲた嘘歴史に酔い痴れる。

 これほど“重度の精神異常者”西尾幹二を熱烈支持する、“日本人もどき”が今もそれなりに少なくない。日本が滅び行くのは、もう不可逆だろう。なぜなら、妄想と虚言に狂って正常が一点もない西尾幹二の言論活動は、ヒットラーと酷似して、日本の国益を逆行的に毀損するのが狙いである。日本国民であることを忘却したのか、西尾を拒絶しないことは、“快楽殺人”に愉悦するごとく、“日本国破壊”を“快楽”せんとする犯意が強度すぎる。

第一節 暴力革命が至福だった“殺人狂テロリスト”大川周明

 大川周明は“脳梅毒の狂人”だったと、医学的診断を明かしたのは、彼を診察した精神科医の内村祐之東京大学名誉教授、精神医学)。大川の死後十年目に、朝日新聞が報道した内村祐之の証言は、以下の通り。大川の幻覚・幻聴がかなりのレベルだったようだ。

東京裁判の公判中の)大川の病気は決して詐病ではなく、正真正銘の精神病であった。これについては検事側の鑑定人であるアメリカの医師と、日本側の私との意見が全く一致している。その病気も…進行麻痺という梅毒性の脳病」

(精神病院に入院中の大川は、コーランの全訳を完成したが)その頃の大川は、時おり、特別の意識状態となって、マホメットと自由に交霊ができたので、かつてないほどコーランがよく理解できたとのことである」(注1、カッコ内中川)。

  “脳梅毒の狂人”と言えば、ニーチェ。つまり、大川周明ニーチェは同病。脳梅毒と精神分裂症は、症状がほとんど同じ。西尾幹二が、青年時代にニーチェに魅惑され、七十歳のとき大川周明に憑かれたのは、西尾の精神分裂病の共鳴だろう。

 西尾は『GHQ焚書図書開封』第二巻で、大川周明の『米英東亜侵略史』の読後感想文を小学生レベルで綴っている。歴史知見ゼロの“歴史音痴”西尾幹二らしく、無批判に大川の書いた通りをただ転記している。そればかりか西尾幹二は、“マホメット狂徒”大川周明の読むに耐えない『英米東亜侵略史』のデタラメ内容を、歴史学的に正しい最高のレベルとして論を展開している(注2、二〇〇八年刊)。こんなナラズモノ論評しかできないのは、「電気通信大学教授」の職にあったが、(入学したばかりの一年生の教養課程に限定された六流教官として)“真正のバカ教授”だったからである。

 では、大川周明の真像を正確に把握するにはどうすべきだったか。まず最初に、テロリストの大川周明の行動を精査しなければならない。大川周明は、夏目漱石などの文学者や津田左右吉などの通常の学者ではない。

 行動に生きた人物のその行動調査をいっさい排斥し、著作のみに限定するとは、西尾幹二に“偽りの大川周明の虚像”を捏造せんとする悪意が強すぎる。ヒトラーの研究をするに、ヒトラーの著作や演説だけを対象にして、ヒトラーの行動をいっさい無視する、そんな逆立ち学者は世界に一人もいない。だが、西尾幹二は、世界でただ一人、この逆立ちに生きる売文業者。生まれながらに良心をいっさい欠く“狂気の人”西尾の歴史評論の眼目は、“歴史の捏造”で、歴史の真実を日本国民の目からいかに葬るかだ。

 学術的に言い直せば、歴史上の人物の考察は、「行動(actions)の分析が絶対(主)で、言葉(活字、words)の分析はこの補完(従)」である。大川周明をケースとすれば、「五・一五事件のテロリスト」としての大川周明の分析なくして、西尾のごとく大川の著作一冊だけに限定した“活字つまみ食い論評”など、大川周明論とは言わない。

 “社会主義革命テロリスト”大川周明について、「三月事件/十月事件/血盟団事件/五・一五事件」への関与を詳査した上でなければ、彼の著作たった一冊に言及したところで何が判るというのだろう。しかし、西尾幹二は、早熟な大川周明が旧制中学時代に早々と、幸徳秋水の『社会主義真髄』と『週間平民新聞』を座右の書とし“幸徳秋水系のアナーキスト”として革命人生を開始したことも知らない。大川周明の思想解剖もいっさいせず、『英米東亜侵略史』一冊をもって大川の主義思想のすべてだと強弁する、“学者以下の無頼漢”西尾幹二の“大道売文”の毒性と有害性は、看過してよいレベルにない。

昭和の暴力革命すべてに参加した大川周明──「二・二六事件」への不関与は、獄中にいた偶然

 一九三二年の「五・一五事件」で、犬養毅首相を殺害した拳銃は、大川周明が赤いテロリスト将校に渡したもの。この殺人で、大川周明の共同正犯は明白。決行一ヶ月前の四月三日、大川は、古賀清志・海軍中尉に現金千五百円と拳銃五挺・実弾一二五発を渡した。現金はさらに四千五百円を追加し古賀に渡した(注3)。

 この拳銃が、犬養毅を射殺した、海軍中尉・三上卓の一発と黒岩勇(予備役海軍少尉)の一発となったようだ。首謀者の古賀と三上/黒岩/大川周明の四名は、現役首相の殺害である以上、死刑が相当だが、それぞれ禁固十五年/禁固十五年/禁固十三年/禁固五年の余りに軽いものであった。

 大川周明は、「五・一五事件」では、国会を包囲する一万人の大衆動員を担当することになっていた。一九六〇年の日米同盟廃棄の暴動における、天性のアジテーターで知識人の清水幾太郎共産党員)と同じ役割である。

 「五・一五事件」は、前大蔵大臣井上準之助三井財閥の團琢磨を射殺した血盟団事件(一九三二年二月&三月)の延長上のもので、両者のテロリストには、古賀や海軍中尉・中村義雄などほとんど重なり合っている。

 これより一年前の一九三一年には、後の二・二六事件(一九三六年)の予行演習といえる、帝国陸軍のクーデタ事件が実行直前にまでなった。「三月事件」と「十月事件」である。テロリズムを兼ねた陸軍クーデタ計画の「三月事件」「十月事件」は、「五・一五事件」のような若い海軍の尉官や士官候補生クラスによるものではなかった。「三月事件」で言えば、陸軍の少佐・中佐以上で、将軍すら多々参加した。陸軍大将の宇垣陸軍大臣を頂点とする陸軍中枢が主力だった。

 「十月事件」は、満洲帝国陸軍関東軍の支配下一党独裁型政治)におく満洲事変の勃発(一九三一年九月十八日、柳条湖事件に便乗し、むしろこれを模倣して、日本本土も帝国陸軍の「一党独裁」体制下におく全体主義国家づくりを目指したものだった。「十月事件」の五年後に実行された「二・二六事件」は、“東京版満洲事変”というべき“満洲事変のコピー”であった。

 「十月事件」の首謀者は、「桜会」の橋本欣五郎・陸軍中佐。陸軍を社会主義独裁党として、日本を国家社会主義体制に革命する(=「昭和維新」の本当の意味)のを狙ったクーデター。「十月事件」が成功したときの組閣構想は、総理は荒木貞夫・陸軍中将、大蔵大臣大川周明、内務大臣には橋本欣五郎外務大臣は建川美次・陸軍少将、警視総監は長勇・陸軍少佐、海軍大臣は小林省三郎・陸軍少将、・・・(注3)。

 この陸軍クーデターには、大本教教祖・出口王仁三郎(信者四十万人、注4)も加わっていた。これら一連の武力革命の系譜は、次の通り。

 

三月事件―→十月事件――――――――――→二・二六事件

       →血盟団事件五・一五事件

*太字は、大川周明が関わった暴力社会主義革命

 

 なお、「満洲事変」とは、その国際政治の側面にいったん目を瞑れば、皇帝溥儀を傀儡として、陸軍(「関東軍」)が行政のすべてを握る独裁党になる政治体制の創建であった。つまり、三権分立を否定し、独立の国会も裁判所もない、行政が立法と司法のすべてを代行する“無憲法下の一党独裁体制”を満洲の地に創ったのである。

 満洲における日本陸軍は、実態では「社会主義独裁党」だった。統制経済を執行する経済官僚機構も兼務して満州国の経済発展を担う権限まで、この在満の日本陸軍は自分に附与したのである。

幸徳秋水への信仰から始まった、“極左革命家”大川周明の思想本籍

 旧制中学時代から『社会主義神髄』を愛読し『週間平民新聞』の購読者であった大川周明は、幸徳秋水直系のアナーキズム社会主義者として、その極左革命家の人生を開始した。明治天皇暗殺を計画した“大逆事件の首謀者”幸徳秋水の思想が主として「ルソー/マルクス/クロポトキン」で形成されたのに似て、十代の若き大川周明の思想も「幸徳秋水/ルソー/マルクス/レーニン」で形成された。大川は、こう述懐する。

 「社会制度の根本的改造を必要とし、実にマルクスを仰いでわが師とした」(注5)。

カール・マルクスによりて唱導せられたる一大真理、ダーウィンが自然界に向ひてなせる発見を、人類社会に向つてなせりと称せらるる所のものなり。…悪しき実を結ぶ巨木を倒すことをせずや。革命の斧を揮ふてわれらとともに一打をその根に加ふることをせずや」(注6)。

  ルソー教徒でもあった大川周明は、全体主義体制の独裁者はどうあるべきかを人類史上初めて論じた、“近代全体主義の祖”ルソーの『エミール』を、アカギ書房から翻訳出版した。一九一四年。

 日本の現代史では、「左翼」と言えばコミンテルン系の共産党河上肇らの共産党員を指し、「三月事件/十月事件/血盟団事件/五・一五事件/二・二六事件」のイデオローグや実行者の方は「右翼」とか「ファッシスト」あるいは「国家主義者」として、まったく別に分類する。後者をムソリーニやヒトラーを指す用語である「ファッシスト」と分類するのは間違いとはいえないが、「右翼」「国家主義」とするのは、無知にすぎるし、明らに作為の虚偽語である。

 ヒトラー等の「ファッシズム」とは、レーニンの母胎から生まれた畸形児の左翼思想で、マルクス・レーニン主義(=共産主義の亜種。当然、「ファッシズム」は、極左思想の中の極左思想。スターリン共産主義の方を“超ファッシズム”と改名すれば、「ファッシズム」が正しく理解され客観的な用語となる。

 また、スターリンソ連であれ、金日成北朝鮮であれ、共産主義体制は皆、「国家主義」である。大川周明北一輝らを「民族主義ナショナリスト」とするなら少しはましだが、「国家主義者」と分類するなら、同じ「国家主義」の日本共産党との差異がなくなる。

 共産党との差異や相違を明らかにするために「国家主義」を造語したのに、逆に自家撞着し言葉のナンセンス性をひどくしている。「国家主義」は、全体主義というニュアンスが強い用語だから、この原義どおりに用いれば、スターリン大川周明の間には差異が存在しない。

 要するに、スターリンの体制であれ、ヒトラーの体制であれ、大川周明北一輝らの五・一五事件/二・二六事件の赤い将校団の革命であれ、それらは過激な暴力社会主義革命の体制を目ざしたことで、基本性格は根本で同一。いずれも、“極左”。反・社会主義イデオロギー自由主義とか保守主義というが、これを「右」というなら、多少は間違いとはいえない。

 大川周明らの、“極左”暴力社会主義革命のドグマにつき、あえて共産党との相違をズーム・アップしたいならば、ナショナリズム民族主義とりわけ「天皇」を持ち出すことに着目すべきだろう。「天皇」とか「民族」とかを糖衣/白ペンキとして塗りたくる擬装をするかしないか、これが共産党との顕著な相違ではないか。

 大川周明らの社会主義河上肇らの日本共産党系)社会主義との間には、虚構の天皇崇拝で偽装するか、正直・露骨に天皇排撃をするかの違いが、確かに存在する。しかし、前者のメッキをはがせば、後者と同一の金属がむき出しに出てきて同一となる。

 一九二五年以降は治安維持法が適用され検挙されるのを回避すべく、平野義太郎のように共産主義者のほとんどは、「天皇陛下万歳!」で自分たちの天皇制度廃止の革命真意を隠すのが一般的となった。“天皇制度廃絶の権化”なのに、「天皇」や「国体」でその逆に擬装する、日本革命家に独特のこの行動は、大川周明アナーキストの間では昔からやっていた。が一九三〇年以降、共産党も遅まきながら真似するようになった。

 敗戦が近づく一九四五年一月に昭和天皇に上奏された「近衛上奏文」は、吉田茂が代筆したものだが、「右翼=左翼/共産主義者」と見事な正しい定義がなされている。さすが、保守主義吉田茂である。

 「軍部内一味の革新論の狙ひは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取り巻く一部官僚もしくは民間有志(これを右翼といふも可、左翼といふも可なり。いわゆる右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵しおり…」(注7)。

  五・一五事件後の、一九三三年版の内務省警保局(現在の警察庁)の分析は、一九四五年の吉田茂ほど明確ではない。個々の団体の調査は精緻だし、コミンテルン共産主義との相違と類似と重畳などをさまざまに考察したのも立派だが、堂々巡りに終始してしまった感がある(注8)。

 共産主義勢力に対する対置が自由主義勢力とみなして、民族色の社会主義革命勢力とコミンテルン社会主義革命勢力とが同根であることにもっと着目すべきであったろう。例えば、「五・一五事件」の檄文を重視していれば、「農民よ 労働者よ」とあるように、「五・一五事件」は、レーニンやトロツキーの共産革命そのもので変わる所はなかった。日本共産党との差異などいっさい無かった。

 内務省(警察)は、赤い革新将校とそのイデオローグたちが根本においては過激な共産主義者だった事実において、共産党と同一に括る知力をもつべきであった。マルクス・レーニン主義の研究が少し貧弱だし、これらと対極的な英米系保守主義の知見がゼロだったことが、相対化の比較研究に失敗した主原因であろうか。

 また、大川周明北一輝らの行動(actions)の分析に当っては、出版物など書いた活字(words、言葉)などは、擬装用白ペンキだし、警察その他を眼晦ます妨害電波のようなもの。内務省(警察)の調査は、彼らの行動により主力と精力を注ぐべきではなかったか。「五・一五事件」の檄文は、以下の通り。

 「国民よ!国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!奸賊、特権階級を抹殺せよ!」

「農民よ、労働者よ、全国民よ!」

「民衆よ!この(「共産国・日本」の)建設を念願しつつまづ破壊だ!すべての現存する醜悪な制度をぶち壊せ!」(注9、カッコ内中川)。

レーニン崇拝で同志となった大川周明と“日本のソ連工作員第一号”後藤新平

 話を戻す。大川周明の異常なレーニン崇拝は、“日本一のレーニン狂徒”後藤新平との結びつきにも表れている。実際にも大川は、レーニン崇拝を隠すことはなかった。日本だけでなく世界中がソ連を国家承認せず、打倒して、旧ロシア帝国を再興しようとしている一九二二年の時点で、大川はこう述べている。

「僕は(一九一七年の)当初からレーニン政府承認論者であり、日露通商主張者である」(注10、カッコ内中川)。

  一九三〇年出版の『日本的言行』で大川は、間違いだらけなどぶっ飛んでしまうほど異様極めたレーニン称讃をしている。「レーニン主義は)ヨーロッパ精神の権化」とか「(国民を殺戮の恐怖下で支配する共産党独裁体制は)機械的・自働的に人類に福祉を生み出す組織」とは、いやはや恐れ入る。これほどまでの極端なレーニン信仰は、日本共産党員と何ら変わらない。いや、共産党員以上。

 「レーニンは、ヨーロッパ精神の権化である点において、大いに学ぶべきところがある。ギリシャ思想とキリスト教とに養われ、さらに近世科学によつて鍛えられたるヨーロッパ精神は…」

「理性と科学との力を恃み、経済組織の革命によつて共同生活の福祉を実現とする社会主義の唱導となり、…レーニンは、その魂の全力を挙げて、外面的制度の確立、機械的・自働的なる人類の福祉を生み出すべき組織の実現に傾倒した」(注11)。

 だから大川周明は、マルクス・レーニン主義に従い、「ブルジョアジーを打倒して、プロレタリア支配の国に革命せよ!」と、公然とプロレタリア革命を唱導した。一九二七年に発表した論考「維新日本の建設」は、まさにこの一つ。

 大川流“騙しの詐語”「維新日本」が「共産主義社会に革命された日本」という意味だったことは、この論考「維新日本の建設」が明らかにしている。つまり、大川が参画した軍部クーデター「三月事件」「十月事件」「五・一五事件」とは、一九一七年のレーニンのロシア革命を日本に再現すべく、武力をもつ軍を抱き込んで日本の共産化社会を指向する暴力革命だった。

「来るべき明治維新に次ぐ共産革命の)第二維新においては、倒さるべきものは黄金を中心勢力とする閥ブルジョアジー階級)であり、興さるべき者は貧苦に悩む多数の国民(プロレタリア階級)である。すなわち第一維新の標語が<尊王倒幕>なりしに対し、第二維新の標語は正しく<興民討閥(プロレタリア支配の共産社会づくりのため、日本からブルジョアジーを打倒せよ!)>でなければならぬ」(注12.カッコ内中川)。

 一九一七年のレーニンのロシア革命に共鳴・共振する、コミュニストソ連工作員後藤新平は、一九二〇年から東京市長であった。ロシア革命で“世界の孤児”となったソ連を助けるため、後藤は、国家として日本政府が承認するよう日本政府への圧力をかけるべく、“ソ連の対アジア外交の天才”ヨッフェの来日を画策。後藤の招聘という形でついにヨッフェは来日した(一九二三年一月)。一九二五年の日ソ基本条約は、後藤の暗躍がなければ締結されていない。米国のソ連承認は一九三三年で、これが正しい対ソ外交。

 日本の共産化を密かに祈願する後藤新平は、二度の脳溢血で倒れながら、スターリン会いたさに、一九二七年十二月~翌二八年二月、厳寒のモスクワを訪れた。この無理がたたって一年後に死去するが、後藤はスターリンに会えるなら死んでも良いと公言しており前代未聞の狂信的な親ソだった。それは、「反・英米」の裏返しであった。英米を排して日露支の三国が主導する東アジアを夢見、結果としては日本がロシアの属国になることを、後藤新平は理想だと考えていた。後藤は日本の対ソ売国奴第一号で、第二号が近衛文麿である。

 後藤新平はこのような極端なレーニン崇拝者で無批判のソ連万歳主義者だったため、同じ考えの大川周明と意気投合した。一九二〇年四月、後藤新平拓殖大学学長として大川周明を教授に採用したのは、この理由である。

 アジアはソ連(共産ロシア)と同盟し、(英米など)ヨーロッパの市場経済諸国をアジアから追放すべしと煽動する『復興亜細亜の諸問題』を大川が出版したのは、拓大教授になって二年後の一九二二年。対日工作のためのヨッフェ来日の一年前。大川はこう書いている。

ボルシェヴィキソ連とアジアとが、全然相一致することは言うまでもない。共通の敵たる西欧列強と戦うことにおいて、両者(アジアとソ連が握手することに何の不可思議もない」(注13)。

天皇制度廃止の信条隠しの達人”大川周明──平泉澄の「皇国史観」は、大川周明のトリックを模倣した?

 大川周明が心底では天皇制廃止が信条であるのに、戦後に発表された大川周明論の多くの著作はどれもこれも、この重要事実を等閑視するか歪曲する。大川周明は、自らの天皇制廃止の信条を秘匿すべく、さも“天皇主義”であるかの偽装として、『日本および日本人の道』『日本二千六百年史』などの著作を出版した。だが、この両書には天皇制廃止の“麻薬”が仕込まれており、戦後の共産党の「天皇制廃止」出版物の先駆とも言える。

 さも天皇・皇室尊崇をしているかに世間を誤解させる大川的演技は、大逆事件での幸徳秋水の死刑と治安維持法が存在することにおいて、戦前日本の知識人において、ごく普遍的な言動だった。平泉澄の「皇国史観」は、この種の演技の中では、最も高水準な転倒擬装の妙技だったといえよう(注14)。日本国の廃墟に究極の美を観想すべく大東亜戦争讃美/推進論を展開したプレ・ポストモダン文学者・保田與重郎天皇讃歌も、ヘルダーリン分裂症型の転倒表現で、広義には大川周明平泉澄と同じ「演技」に分類してよい。

 尚、これは戦後なので、大川/平泉/保田とは一緒に括れないが、共産党を離党してアナーキストに転向した『大東亜戦争肯定論』(一九六五年)林房雄も、天皇制廃止を信条とし、同じ手口を使っている。林房雄の『神武天皇実在論(一九七一年、光文社)は、自分の信条を隠して虚像をデッチアゲるための擬装用出版物だったろう。はるか昔の歴史の話で煙に巻き自分の逆イメージを創るのは、大川周明でなくとも、世界共通の革命家の常套手段である。蛇足だが、『大東亜戦争肯定論』は、朝鮮戦争に勝利できず落ち込む)金日成・主席を慰撫する献上本として、朝鮮総連(高額の執筆料を渡して)林房雄に書かせたのが真相のようだ。

 大川周明が、“第二の幸徳秋水”で天皇制廃止の教条的マルクス・レーニン主義者である正体(自分の真像)がバレそうになった時が二度ある。『日本および日本人の道』(一九二五年)と『日本二千六百年史』(一九三九年)の出版によってである。

 すなわち、大川周明とは“反・天皇制度天皇制廃止)”のイデオロギーを秘めていただけではない。北朝鮮人で社会主義者の福島瑞穂土井たか子と同種の、激したマルクス・レーニン主義からの“反・日本”主義者でもあった。日本列島は“日本民族の国土”ではなかったなど、大川の“日本(自国)憎悪感情”は半端でなかった。重版では修正したが、『日本二千六百年史』の初版では、次のような主張がなされていた。

「日本は、おそらくアイヌ民族の国土であった」(注14)。

 また、大川は、自らのレーニン狂から“ロシアの犬”を満川亀太郎ともども自認し、日本の対ロ戦争は防衛を含めていかなるものも絶対反対した。そればかりか、レーニンが第一次世界大戦中にロシア人民に革命を煽動した同じ論調で、日露戦争で勝利に喜ぶ日本人を「プロレタリアート」に洗脳して“日露戦争憎悪感情”を植えつけんとした。

 他の著作とも総合するが、『日本二千六百年史』は、大川周明白鳥敏夫と同じく、教条的な「親ロ」で日ソ同盟論者だったのを暴いている。

日露戦争で徴兵され戦死し)妻子を飢え泣かせた者、出征のために家産を倒せる者、老親を後に残して屍を異境に曝せる者は、実に幾十万を算した。戦争の悲惨は平民のみよくこれを知る。けれども彼らは与えられるところはなかった」

「平民は(日露)戦争に疲れ果てたる上に悪税を存続せられ、富豪は特別なる眷顧を受ける」(注14、カッコ内中川)。

 『日本二千六百年史』という表題から、当時の読者の多くも、大川周明民族主義もしくは日本主義だと誤解しただろう。それが狡猾な民族系コミュニスト大川の狙いでもあった。しかし、『日本二千六百年史』の内容は、“日本憎悪”が基調の上に、明治天皇をレーニンやスターリンと同じ「専制者だ」と誹謗したり、奈良時代平安時代の朝廷を「族長相談処(所)」だと罵倒したり、大川の“反・天皇”感情は共産党員そのものほどに激しく、まさしく“幸徳秋水のクローン”であった。

ロシア革命はレーニンおよびスターリンの専制によつて成りつつある。しかして明治維新は、実にその専制者を明治天皇において得た」

(朝廷とは、議長が天皇の、天皇族の)族長の相談処たりしもの」(注14)。

  天皇制度に対する大川周明の憎悪感情は、一九二五年出版の『日本および日本人の道』においては、もっと凄い。そこでは、天皇を日本国民の視界と心理から消す、手の混んだマジック・ショー的な詭弁を展開した。日本をして天皇不在と国家不在の国家廃滅に誘導する、それが大川周明の核心を占める真なる思想だった。

 『日本および日本人の道』は、一言で言えば、「忠君」という天皇への尊崇や忠誠を否定するドクマの本である。なぜなら、大川は「<忠君>の本質は、天皇において生命の本原を認める一個の宗教たる点に存します」と(注15)、天皇は透明人間であり天皇を仰ぎ見るのは透明で不実在の天皇の向こうにある<生命の本原>を観想して信仰することだと、奇怪なレトリックを展開する。

 このレトリックの種を明かせば、天皇を門柱に幻影で映し出し信者を引き寄せ、信者が門柱に来たら天皇の像は虚空に消え、信者はいつしか奥にある暗闇の寺院アナーキズム麻薬を投与する魔窟)に引き摺り込まれている、そんな宗教勧誘の手口である。大川において、天皇は、呼び込む時の蜃気楼に使われているだけで、実在しない。

 大川は、こうも言う、「(忠とは)天皇を通じて神に随順することに外ならない」、と(注15)。「神のみあって、天皇なし」の大川流詭弁は、天皇を手段的に活用する天皇不在のカルト新興宗教の教宣(アジプロ)だろう。そして脳梅毒の幻覚なのか、自らをキリストやマホメットに擬して、日本国を超越する絶対神だとまで言う。

「私は家国を超越する天上天下唯我独尊の大川でもある。私の魂の最も深い処において、私は純乎として純なる神を拝することができます」(注15)。

第二節 “猛毒の危険本”『英米東亜侵略史』の解剖──“脳梅毒の暴力革命家“が目指したのは、世界の無秩序と無法

 第一次世界大戦が一九一八年十一月に終わり平和が到来したとき、第二次世界大戦の芽が大きく芽吹いていた。平和とは、戦争と戦争の合間に訪れる息継ぎのようなもの。だから、この平和の期間を永くすることが外交や国際政治の要諦である。

 第一次世界大戦後に、永続する平和を最も正しく模索できたのは、英国のウィンストン・チャーチルであろう。英国の地政学マッキンダー博士はこれに次ごう。「第一次世界大戦がもたらしたヨーロッパの平和は二十年の息継ぎで終わる」と喝破したのは、フィンランドのマンネルハイム元帥であった。

 “国際政治の天才”チャーチルは、平和維持能力があるかの幻想を振りまく国際連盟各国のパワーバランスの努力を否定する条約で締結される軍縮が、ヨーロッパの安定と平和に対して癌的な阻害要因となると獅子吼した。また、共産主義社会主義イデオロギーがこれからの世界平和の主敵になると世界に向けて警告を発した。世界情勢が透けて見えるチャーチルにとって、「バランス・オブ・パワーのみが平和機能をもつこと」、および「<社会主義イデオロギー=戦争のドグマ>こそ真理」という、二つの国際政治の原理原則は、論じる前に自明だった。

 第一次世界大戦の終了とともに、チャーチルは、一九一九年から、レーニンとソ連に対する非難を激しく開始しソ連を潰すべく対ロ革命干渉戦争を唱導し、次に学術的にも最高の水準で国際連盟有害論/軍縮平和破壊論を展開し、一九三三年にヒトラー政権が誕生するやヒトラーが英国に必ず侵攻してくることを正しく予見して英国の国防増強をイギリス国民に口酸っぱく訴え続けた。

 一九三九年九月、ヒトラーポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発したとき、チャーチルの二十年に及ぶ厖大な演説や活字には一箇所として外れたものがないことが証明された。①②③は確度百%で的中した。外交・軍事での“不世出の天才”と言えばチャーチルを指し、チャーチル以外には存在しない。人類史上の常識である。 

第一次世界大戦が終わった瞬間、東アジア安定と秩序の破壊に驀進した日本

 第一次世界大戦後、世界ではチャーチルをはじめ、慧眼の士が数多く輩出した。が、日本では、そのような人材は出なかった。そればかりか、東アジア(西太平洋)の安定が日本の国益とわかる凡庸な常識人すら、日本の政界・官界・言論界ではごく少数だった。第一線の政治家では、ワシントン会議加藤友三郎(首相)、一九三〇年のロンドン海軍軍縮条約を締結した首相・若槻礼次郎を最後に、日本の国益がわかる者はゼロとなった。友三郎や礼次郎は、戦間期日本の最後の良心であった。

 すなわち、第一次世界大戦の終了とともに、日本では“戦争狂の狂人”ばかりが国中を跋扈した。日本と世界の安定のためには、例えば、日米英海軍同盟がベストであったが、日英同盟恐怖症のウィルソン/ハーディング米国大統領を説き伏せ、四ヶ国条約(一九二一年)の締結延期・棚上げを同意させるに全力をあげた日本の政治家/外交官/軍人は一人もいない。

「シベリア出兵」のついでに、ⅰ 一九一八年に北満洲の権益をレーニンに譲渡させ満州帝国を建国し、ⅱ 一九二〇年に北樺太を割譲させることは、日本の国防上絶対必要だったし容易に可能だったが、陸海軍のトップ軍人で前者を発想した者はゼロ。後者については日本海軍が絶対反対した。帝国海軍は、一九二〇年時点、世界も自国の国防も見えない“盲目の海軍”へと成り下がっていた。

 人格障害に病む山本五十六が率いる帝国海軍は、一九四一年十二月、“日本国の自殺”パール・ハーバー奇襲攻撃を敢行したが、ニコライエフスク港日本人大虐殺(七百名、一九二〇年三月)に対する北樺太の領土割譲で支払えの)対ロ賠償要求を放棄せよと異常な行動に走ったことにおいて、帝国海軍とは、一九二〇年時点で、日本国を破壊したいだけの“狂気の海軍”になっていたのがわかる。

 話が①に戻るが、このように、日本の国益を毀損する方向の逆立ち外交しか発想しない帝国海軍は、英米との同盟的な協調が国際平和に寄与することを理解できない無法者へと変貌していた。軍事合理的にも日本の方が格段に有利だから、ワシントン海軍軍縮であれ、続くロンドン海軍軍縮であれ、両条約に反対する理屈など存在しえない。が、日本の孤立と世界の不安定を招く“米英との海軍軍縮を拒絶する”逆方向に、一九三〇年代の帝国海軍は一気に暴走した。海軍の上層部では、日本の国益が消滅していたし、「日本国なんぞ破壊尽くせ」の“反日の狂気”の方が、紅蓮の炎と燃え盛っていた。

 隣国・支那とは“一定の距離をおく、醒めたお茶の関係”がベストで、大中華思想という毒ある国家・支那には決して従ってはならないが、支那を日本に従属させる関係も避けねばならない。が日本は、日本が厳守すべき対支外交のこの一大鉄則にみずから違反して、一九一五年一月、「対支二十一ヶ条の要求」を突きつけた。支那に対する日本外交があるとすれば、満洲とモンゴルとウィグル東トルキスタンチベットを、漢族から絶対分離する漢族包囲が基幹。これに優る対支外交など存在しない。 

大川の『復興亜細亜の諸問題』、満川の『何故に過激派を敵とするか』.近衛の『英米本位の平和主義を排す』──一九二〇年前後の、日本外交を逆送させた三大悪書

 第一次世界大戦後の日本外交で正常の範囲にあったのは、ワシントン海軍軍縮条約(一九二二年)とロンドン海軍軍縮条約(一九三〇年)の締結ぐらいか。それ以外はほとんどない。

 そればかりか、ロンドン海軍軍縮条約の締結が、日本の極左社会主義陣営の「反日」行動の正当化に悪用されるに至った。このためロンドン海軍軍縮条約の締結以降、日本には正常な外交など不可能になった。国際連盟からの離脱(一九三三年)日独伊三国同盟の締結(一九四〇年)日ソ中立条約の締結(一九四一年四月)など、日本は完全に狂ってしまった。

 一九四一年七月、南部仏印に軍を進駐させた「南進」という、日本の国家自滅への狂気は、一九一九年に始った狂気の日本外交の集大成だった。米国の石油禁輸は(一九四一年八月)、日本を覚醒させる最後の“神の見えない手”だった。が、日本政府にも陸海軍にも、そう考える良心も愛国心も消えていた。昭和天皇が、明治天皇の御製「四方の海みなはらからと思ふ・・・」を御前会議(一九四一年九月六日)で朗誦されたのが、戦間期日本の最後の残光で、最後の“日本の偉大な良心”だった。 

 要するに、日本外交の迷走と狂気は、一九一九年の韓国独立の拒絶や一九二五年の日ソ基本条約の締結など、第一次世界大戦の終了と同時に爆発的に始っていた。韓国併合を止めて北満洲へ「北進」することが“日本の国家安全保障にプラス、日本の経済にプラス”なのは明瞭。が、そんなチャーチル的な正統な外交は、日本では煙ほども存在しなかった。

 「韓国併合」を一九一九~一九二六年の間に終了させておくことは、明治天皇が愛してやまなかった日本陸軍軍人として育った)皇太子・李垠の即位式を挙行し韓国を王制に戻すことだから、これこそ日韓関係には半永久的な磐石が築けただろう。しかし、このような健全な対外政策は、当時の日本のどこを捜しても、発想すら片鱗も存在しない。

 代わりに、日本を覆ったのは、社会主義思想・共産主義思想からの「レーニン万歳!」であり、「日本はソ連の属国になろう!」ばかりの“反日外交”の雄叫び。これらの狙いは、むろん日本の社会主義/共産主義革命。当然、日本の社会主義化/共産革命を阻害する“日本の英米との協調外交”路線は、「反・革命」「反・戦争」であることにおいて、罵倒されるように排除された。

  “スターリン直属のソ連工作員河上肇日本共産党員)が直接教育し洗脳したコミュニスト近衛文麿が、一九三七年七月七日、首相として独断主導で決定した、不必要な上に国益毀損はなはだしい対支戦争は、日本を共産革命するのが主目的だった。むろん日本がソ連の属国になることも含まれていた。英米排除もしくは英米敵視の外交は日本の亡国以外のいかなる情況にもなりえないが、こんな常識を知る者は、一九三七年時点、幣原や吉田など外務省の一部を除けば、日本には“若き大帝”昭和天皇おひとり以外、ついにゼロになっていた。

 一般には、国益毀損を主眼とする逆走の日本外交は、一九三一年の満洲事変に始まるとするのが学界の定説だが、ここではそこに至らしめる一九一九年から三年間の、日本外交を逆走させて日本を亡国に誘導した初期動向を顧みる。方法として、この間に突出した、“赤いハーメルン魔笛”三例を俎上に載せる。

 満川亀太郎の『何故に(日本は)過激派(レーニンのソヴィエト共産党を敵とするか』(一九一九年)近衛文麿の『英米本位の平和主義を排す』(一九一九年)大川周明の『復興亜細亜の諸問題』(一九二二年)である。

 “スターリンの同志”“日本のレーニン”を自認していた近衛文麿が、この論文(『日本及日本人』一九一九年十二月号掲載)で訴えたモチーフは、驚くなかれ、「世界の平和反対!世界よ、戦争の動乱で血塗られよ」であった。世界大戦が終了して世界各国がほっと安堵している時、日本の筆頭五摂関家の公爵が、“戦争の世界”を地球上に到来させたいと公言したのである。地球規模での無制限戦争の動乱によって現出するものは、ソ連宗主国とする全世界の共産社会化だが、近衛は、この状態を「地上の天国」の実現だと狂妄していた。

 つまり、近衛文麿は、この論考発表の二年前、一九一七年十一月にレーニンが起こした人類史上初の共産革命を、全世界に輸出したいと願い、『英米本位の平和主義(は世界共産化を妨害する障害なのでそれ)を排す』を書いた。強度なレーニン崇拝狂の近衛にとって、この狂妄な論考を戯言で書いたのではない。実際にも、この時の近衛の願いは、十八年後に、大東亜戦争という“亡国の国策”として実行された。

 この近衛論文と“祖国叛逆の共産革命”大東亜戦争との関係は、拙著『近衛文麿とルーズベルト(『近衛文麿の戦争責任』)で論及されている(注1)。近衛文麿の頭の中をもっと知りたい読者は、近衛の同志・尾崎秀実の『訊問調書』を詳読されたい。

 このような狂信的コミュニズム礼讃論文が一九一九年末に日本で発表された事実は、日本における共産革命の開始は、一九二二年の「コミンテルン日本支部(=通称名「日本共産党」)」の結党以前だったことを示す。つまり日本では共産党ができる以前から、一九一七年十一月のレーニンの共産革命ボルシェヴィキ革命)に刺激されて、すでに多くの日本人がレーニンを教祖と仰ぐ共産主義者もしくはそのシンパになっていた。

 近衛文麿と同じく一九一九年に、同じレーニン系コミュニストであるのを宣言したのが、大川周明の同志・満川亀太郎(一八八八~一九三六)だった。満川は、謄写刷りの檄文『何故に過激派を敵とするか』を百枚ほど関係者に配布した(一九一九年三月)。この表題は、“日本は、レーニンの共産革命を支持すべきに、英国のチャーチルらに従って<レーニンつぶし>の<ロシア革命反対>を国策としたのは間違いだ”という意味。当時、レーニンのソヴィエト共産党のことを「ボルシェヴィキ」といい、「過激派」と訳した。

 満川によると、この檄文に大川周明が満腔の賛意を表したようだ(注2)。そして、満川と大川は、この檄文の数ヵ月後の八月、北一輝を勧誘して、日本共産化革命団体)猶存社を設立した。満川のレーニン狂がどれくらい激していたかは、その回想でわかる。

「私は(一九一七年十一月)ロシアに労農革命が起つたときから、レーニンが好きでならなかった。この人物こそ必ずロシアを救うと信じてゐた。だが、当時の日本は、同盟国英国の宣伝のほか何ものをも受け入れようとはしなかつた」(注2)。

 満川亀太郎大川周明らの“民族系の共産革命グループ”と、河上肇近衛文麿日本共産党系の“スターリン/ベリヤが直轄するコミュニスト・グループ”とは、確かにセクトは別。だが、上記のように、満川らの思想と、スターリン直系の近衛文麿/尾崎秀実共産主義者との間には、思想の差異などいささかも存在しない。セクト(宗派)が相違するから、日本では区別される浄土真宗と日蓮宗の差異は、国際的には“仏教”だとして同じに括る。

 猶存社や大川らを“極左”の共産党と区別したいばかりに、「右翼」と定義したのがいかに間違いか、もう明らか。猶存社とは“満川・大川系共産党”、満川・大川らは“民族系コミュニスト”とする方が、客観的で齟齬が少ない。尚、満川の『何故に(日本は)過激派を敵とするか』は、回想記『三国干渉以後』に全文が掲載されている(注2)。

 レーニンの暴力共産革命を支持する大川周明は、レーニンがロシアだけでなく一気に世界を、とくに東アジアから中東までの“広域アジア”を共産化すればよいと考えた。それが『復興亜細亜の諸問題』(一九二二年)出版の動機だった。レーニンのソヴィエトとの共同や連携の中で英国を広域アジアから追放すれば、「アジアは(全域を共産化することによってのみ)復興する」という趣旨。そして、この「アジア復興=全アジアの共産化」のために、まず日本自身が共産化しなければならないと煽動する。

「アジア復興(=アジア共産化)の戦士は、否応なく、日本改造(=日本共産化革命)の戦士コミュニストでなければならぬ」。

「大乗日本の建設こそ、取りも直さず真アジアの誕生である」(注3)。

 「大乗日本」とは「共産日本」のことだし、「真アジア」とは「共産社会となったアジア」という意味である。これはレーニンが考案した、第一段階で自国ロシアを「ソヴィエト・ロシア」に改造し、第二段階で世界に向けて共産主義革命を輸出する革命構想をそのまま日本に当て嵌め、「ソヴィエト・ロシア→大乗日本」「世界共産化→アジア共産化→真アジア」と置き換えただけ。

 一九四〇年ごろに考案される“国民騙しの魔語”「大東亜共栄圏」が、経済繁栄などとは無関係な「東アジア全域の共産社会化」を意味するものであったように、大川も“読者騙しの魔語づくり”には長けていた。なお、日本の若者を“共産暴力革命のテロリスト”に洗脳せんとした、大川周明の初期作品の代表三作と言えば、『復興亜細亜の諸問題』と、これに続いた『亜細亜欧羅巴・日本』(一九二五年)と『日本および日本人の道』(一九二六年)を指す。

 大川周明の“民族系コミュニストのイデオローグ”としての才は、北一輝上杉慎吉と並び、群を抜いていた。自由社会・日本を守るためには、共産党などの正統なマルクス・レーニン主義者だけでなく、その亜種である民族系コミュニスト(異端のマルクス・レーニン主義者)もまた、一緒に処断すべきであった。戦前の治安維持法が、民族系コミュニストに対してザル法だったことが、帝国陸軍を“巨大組織の真正な共産党”へと改造する遠因となった。

 河上肇の『貧乏物語』に並ぶ、大川周明の『復興亜細亜の諸問題』の悪影響

 大川周明『復興亜細亜の諸問題』は、日本共産化/アジア共産化をアッピールした、いわば国産の『共産党宣言』といいうるもの。だから、共産党員が編集者のほとんどを占める中央公論社の文庫部門から再出版された(一九九三年)。平成日本では、大川周明は今後も影響ある共産主義者として、共産党系の共産主義者と同じに扱われている。

 大川周明を「日本主義」の民族系イデオローグかに勘違いする西尾幹二らの無教養と極度な知識の欠如には、論評するに言葉が詰まる。

 河上の『貧乏物語』(一九一七年)ほどではないが、実際にも、『復興亜細亜の諸問題』の日本における共産革命運動への影響力は半端ではなかった。まさに、日本を亡国の大東亜戦争に誘導した“大正ハーメルン魔笛”というべき毒書だった。

 だが、この書の論理は、現実を無視した不在と無教養を妄想で連鎖させて構築したもの。第二次世界大戦後に、真赤な嘘だらけの『復興亜細亜の諸問題』の虚妄は、次々に暴かれた。レーニンにかぶれた“第二の幸徳秋水”の大川の論法は、次のごとし。引用頁は、本文。

【第一】 レーニンとそのソヴィエトという“救世の理想国家”が、この地球上に出現した。だが、現実のソ連は、国民を殺戮しまくり生活水準を平均で十分の一に下げた。大川は、ソ連を狂妄の絵空事のごとく一八〇度逆に描いた。

ソ連は、全民の福祉を理想とする労働主義によって、経済生活の統一を実現せんとした」(三四頁)。

【第二】 レーニン共産主義は資本主義市場経済と議会制デモクラシーを破壊することにおいて、人類が理想の政治経済社会体制を構築している。反・資本主義と反・議会制デモクラシーこそは、人類の真理である。

「<ヨーロッパの民主主義という汚れた着物を脱ぎ捨てる時が来た>とはレーニンの宣告、<資本階級のヨーロッパが滅ぶか、われらが滅ぶか>とはトロツキーの怒号」(三五頁)。

 だが、市場経済を捨て欧米型デモクラシーを捨てた「ソ連スターリン独裁/ドイツのヒトラー独裁/支那毛沢東独裁」下での国民生活は奴隷的だったし、自由は逼塞し国民は家畜以下に無制限に殺戮された。脳梅毒で幻聴幻覚に生きた大川は、現実を一八〇度逆に妄想した。

 その上、市場経済は自由と不可分であること、ならびに欧米型デモクラシーは理想の政治制度ではないけれど独裁者と全体主義の最悪政治を出現させない機能を持つこと、の二つの常識が、アジとテロに生きた異常人格者の大川周明には不在だった。

【第三】 ヨーロッパ諸国は、ソヴィエトが放つマルクス・レーニン主義イデオロギーによる階級闘争で国力を疲弊するので、「ヨーロッパ世界制覇の終末」が近づいている。ヨーロッパ白人国を倒壊できるチャンスが到来した(三七頁)。

 だが、階級闘争の方こそ、一九九一年末のソヴィエト連邦の崩壊で、人類史から消滅した。ヨーロッパの疲弊は、現在の日本同様、「福祉国家」の財政重圧によってである。

【第四】 英米などヨーロッパ諸国は「白人」で、第一次世界大戦でその植民地では白人支配に対する「非白人」の抵抗が昂潮している。この人種間抗争を民族闘争に転化して、「不義」と「隷従」の世界を解放して「正義」と「自由」を世界に顕現する時が来た(四〇~一頁)。

 大川とは、自分の定義する「白人国」につき二枚舌の嘘つき。レーニンのソヴィエト白人国だけは、例外的に、打倒すべきではなく、アジアが同盟すべきだとするからだ。

 だが、レーニン建国のソ連は、日本男児百五万人をシベリアに拉致連行し、うち四十~五十万人を殺戮した。これは、ロシア人という白人の、黄色人種・日本人に対する大量殺戮ではないのか。ソ連体制は、「不義」と「隷従」しかない暗黒社会。これとは逆に、十九~二十世紀の世界は、英米による「パックス・アングロ・アメリカーナ」によって、徐々に「自由」と「法的正義」が広がった。大川の煽動とは全く逆のこれらの歴史の推移こそ厳然たる事実。

【第五】 ソヴィエトが世界で鼻摘みの時、イランとアフガニスタンとトルコが騙されてレーニン政権と条約を結びソ連を国家として承認したが、このイスラム教国の対ソ連携の動きに、大川は欣喜する。世界にソ連が進出すること、ならびにソ連イスラム教圏が組むことで中東から一気に英国排斥(英国からの離脱)が始まり、アジアが共産主義で統合していく動きになる(=「アジア復興」)と考え、そう日本で煽った。

「ソヴィエトの後援の下に、諸イスラム教民族が何らかの形態において、連合もしくは提携するに至るべきことは、必ずしも不可能ではなくなった。ソヴィエトが世界に与えつつある深刻偉大なる刺戟に驚かざるを得ぬ」(一七八~九頁)。

 馬鹿馬鹿しい! 大川周明が得意とする真赤な嘘話ではないか。一九七九年末、ソ連軍はアフガニスタンを侵略し、ためにアフガンは米国のレーガン大統領からの武器援助もあったが自らの血で、十年かかったがソ連軍を国外に追放した(一九八九年夏)

 第二次世界大戦の終結と同時に、ソ連軍はペルシャの北半を軍事占領した。ペルシャは米英に支援を求め、米国はスターリンに核を投下すると核恫喝をなし、この助っ人でイラン政府は軍事的にソ連の軍事占領地区の回復を実行した(一九四六年十二月)。また、スターリンはトルコにも侵攻することとしたが、トルーマン大統領は米軍を出動させてギリシャと)トルコを守ると宣言した(一九四七年三月、トルーマン・ドクトリン)。この米国の気迫に、スターリンはトルコ侵攻を断念した。

 第二次世界大戦後のイスラム教国は、ロシアや他の強国から独立を維持するため、英米仏と組んできた。トルコは米国主導のNATOのメンバー。クウェートUAEなどイスラムの湾岸六ヶ国は米国と準同盟関係にある。エジプトの、米国との軍事的結びつきは強固である。インドネシアも同様。

 大川周明の「イスラム圏とソ連の同盟」など、一九二二年以降の歴史において、嘘八百の戯言の極み。『復興亜細亜の諸問題』を中央公論社が文庫本化したのは、時代錯誤にも、同社が今も日本やアジアの共産革命を夢想しているからである。

【「白人」対「有色人種」の戦争】も、【「ヨーロッパ」対「アジア」の戦争】も、大妄想

 “天性の嘘つき常習者”大川周明の著作の中で、最悪なものは、何と言っても『米英東亜侵略史』。これは、一九四一年十二月におけるラジオ放送の活字化だから、ドイツとソ連とイタリアがヨーロッパ/アフリカ侵略の真っ最中においての出版。

 現実に進行している“侵略国”ドイツ/ソ連/イタリア三ヶ国の侵略をいっさい触れず、時効を無視した過去の英米に限っての“つまみ食い歴史”にすりかえるなど、悪質詐欺師の詐言。大川の詐欺話に比すれば、オレオレ詐欺のごろつき達すら無実に見える。国民騙しに長けた“凶悪テロリスト”大川周明の面目躍如というところか。

 ところが、“日本にとって有害毒書の極み”『米英東亜侵略史』に感激した、“極左”文筆家が現在、日本に二人もいる。“札付きのロシア工作員佐藤優と“分裂病の売文業者”西尾幹二。日本国にとって“危険な物書きトップ・ツーである。

 

表2;北朝鮮系“黒ヘルメット”佐藤優とその同志・西尾幹二

 

佐藤優

西尾幹二

大川周明『米英東亜侵略史』

絶賛、

『日米開戦の真実──「米英東亜侵略史」を読み解く』

絶賛、

GHQ焚書図書開封』第二巻

暴力とテロ

暴力破壊主義のアナーキスト同志社大学の「黒ヘル」

凶暴な人身攻撃の病癖、ヒトラー型の戦争狂

ロシアとの関係

ロシアKGBSVR工作員、外務省を回顧された真因はこれ。

ロシア対日侵略は黙過、もしくはロシアの対日侵略を歓迎。

天皇制度

廃止

廃止

血統

父は北朝鮮人、母は沖縄人

日本人だが、分裂病からの日本憎悪と日本破壊願望は強度

歴史知見

ゼロ

ゼロ(“歴史音痴”を駆使した小説)

詐欺の歴史偽造力

エセ作曲家・佐村河内の百倍

エセ作曲家・佐村河内の百万倍、

重度の虚言癖病

悪意の盗用癖

重症

重症

 『米英東亜侵略史』は、日本国を亡国に誘導するため、トンデモ虚偽歴史ばかりを満載したもの。紙幅があればそれらをすべて俎上に上げたいが無理。

 そこでまず、この著書の特性である、二つの大問題(大欠陥、大病巣)を剔抉する。第一の問題は、大東亜戦争支那とインドの両国の支持あるいは同盟において行われていると、架空の前提でそれを正当化する詭弁。第二の問題は、現実に進行している第二次世界大戦の現実に蓋を閉めて一言も語らないこと。

 第一の点は、どうやら大川周明は、持病の脳梅毒による(分裂病と酷似した)妄想で語っているからだろう。第二の点は、“天性の嘘つき”大川周明の詐欺師的なレトリック。大川のこの二つの騙し手法は、オウム真理教麻原彰晃も同様に駆使する。麻原の「ハルマゲドン」は妄想、麻原の「信者の家族の財産奪取」は“凶悪詐欺”。無学な麻原彰晃に多少の教養を注入すれば「大川周明」になるように、両者は祖父と直孫のように実に似ている。

 第二点から話を進めよう。

 『米英東亜侵略史』を大川がラジオ放送で語っていた時、世界は第二次世界大戦の真っ最中であった。この世界大戦で、最も激しい戦場は、ヨーロッパ。しかも、その戦争は「白人」と「白人」の血みどろの戦い。「有色人種」対「白人」の人種間戦争など、地球上のどこにも露ほども存在しなかった。

 一九三九年九月一日以降、ドイツと赤色ロシアソ連ポーランドを侵略し、続いて赤色ロシアはフィンランドを侵略していただけではない。ドイツは、翌年春からノルウェー/オランダ/ベルギー/フランスを侵略し、一九四〇年六月に始る英国本土への猛爆撃は、この一九四一年十二月時点、まだ続いていた。

 そればかりか、独ソは、一九四一年六月、同盟を解除して敵同士の戦争へと反転していた。これらはすべて、「白人」国と「白人」国の戦争であった。大川が一九一九年(注4)から日本人を煽動してきた“真赤な嘘”「<白人国>対<有色人種>の人種間戦争」など片鱗も見当たらない。現在日本でただ一人、蜃気楼より非現実的で決してありもしない「人種間戦争」を書きまくる西尾幹二とは、どうやら精神病院を脱走してきた“狂人の中の狂人”。これほど正常が欠如した人間は前代未聞だし、市中に放置して大丈夫なのか。

 ヨーロッパの戦争は、ドイツとソ連イデオロギーナチズムコミュニズムと領土拡大欲を原因として遂行されていた。

 第一点に戻るが、『米英東亜侵略史』の結論部分を読めば一目瞭然。こう書いている。

「大東亜、すなわち日本・支那・インドの三国は、すでに日本の心において一体となっております。我らの心理に潜むこの三国を一個の秩序たらしめるための戦いが大東亜戦であります」(注5)。

 日本・支那・インドの三国の現実は、同盟など煙ほども存在しなかった。連携すらしていない。それどころか支那は米英を同盟国として、日本と戦争していた。「アジア」が「アジア」と戦争していた。大川がデッチアゲた「<アジア>対<欧米>の戦争」の構図は、現実の日中戦争において全否定された。また、インド人は英国の植民地人として英国側に立って日本と戦争をしようと準備に入っていた。

 スターリンが育てた共産主義者チャンドラ・ボーズ(注6)は、一九四一年十二月時点、まだ動いていない。その後、日本側について傀儡の小さな権力をアンダマン島に樹立するが、インド全体の代表とはほど遠いレベル。

 大川周明は、大東亜の新秩序なんぞ、非現実の妄想であると認識していた。それは「日本の心において」「われら(日本人)の心理に潜む(もの)」と明言して、現実には存在しないと断じているからだ。

 “現実には非在の大東亜”を妄想せよ、そしてこの妄想において、現実の対英米戦争をせよとは、いったいどんな思考から生まれるのだろうか。これではドンキホーテがオランダで風車に向かって槍を突く馬鹿さどころではない。精神分裂症患者が幻覚幻聴に従って凶器を振り回し、無差別に人殺しをしているのと同じではないか。もう一例。

「シナ事変の完遂は東亜新秩序実現のため、すなわち亜細亜復興のため…。亜細亜復興は、世界新秩序実現のため、すなわち人類のいっそう高き生活の実現のため」(注5)。

 ここで用いられている抽象語「東亜新秩序」「亜細亜復興」「世界新秩序」の具体的意味を、敗戦後の日本人で語れる者は一人もいない。いわんや、これらが「人類のいっそう高き生活の実現」にどうして繋がるのかに至ってはチンプンカンプン、説明できる者はなおさらいない。『米英東亜侵略史』は、どう読んでも、カルト宗教家か精神異常者の戯言。それ以外ではない。

 要するに、八名の小学校一/二年生を殺害した池田小学校事件(二〇〇一年六月)における(幻聴がひどい)重度の精神分裂症の犯人・宅間守大東亜戦争を遂行した日本国との間に差異がない。

 大東亜戦争の教訓の一つは、一国の外交や国際政治に精神異常者を決して参画させてはいけないということ。大川周明『米英東亜侵略史』は、祖国日本への叛逆だった“悪魔の戦争”大東亜戦争に日本人を駆り立てるに、精神異常者が大きな負の役割を果たしたことを示す“証拠”の一つ。大川周明東京裁判で死刑を含む処罰ができなかったことは、日本にとって大きなマイナスとなって跳ね返っている。

 佐藤優は大川と同型のアナーキストだから、『米英東亜侵略史』に感涙するのは解る。西尾幹二の共鳴は、イデオロギーはそこそこで、分裂病と脳梅毒の共通妄想からだろう。

 日本を救う“神の見えない手”だった、英米の東アジア進出──大川周明の『亜細亜欧羅巴・日本』は、日本国を日本人に破壊させる自国憎悪のドグマ

 『米英東亜侵略史』と、その前著『亜細亜欧羅巴・日本』において、大川は、国際政治においては排除されるべき“狂妄な概念”を醸し出し、読者を洗脳しようとする。“戦争など起こり得ない友好国間を戦争に誘導する”トリック詭弁の駆使である。すなわち、カルト宗教的な“運命論”。

 大川周明は、天性の“カルト宗教の教祖”を本性とする、人間殺戮狂のテロリスト。運命論で不必要な戦争を日本国にさせようとするのは、麻原彰晃が信者にサリンを製造撒布させ大量殺人をしようとの企図と全く同種。

「アジアにおける唯一の強国は日本であり、ヨーロッパを代表する最強国は米国である。この両国は故意か偶然か、一は太陽をもって、他は衆星をもって、それぞれその国の象徴としているが故に、その対立は恰も白昼と暗夜との対立を意味するがごとく見える。この両国は、ギリシャペルシャ、ローマとカルタゴが戦わなければならなかったごとく、あい戦わねばならぬ運命にある」

「来るべき日米戦争における日本の勝利によって、暗黒の夜は去り、天つ日輝く世界が明け始めねばならぬ」(注7)。

 数十年にわたる大川の作品はすべてに共通しているが、そのどれ一つとして祖国・日本の悠久な存続のための外交合理性・軍事合理性からの考察がない。そもそも国家は侵略の脅威がない限り戦争を決してしてはならない。強力な軍事力を保有すべきは、あくまでも侵略抑止が目的であり、国家の平和的存続と世界の法的秩序維持の手段に徹すべきである。いわんや、勝利の確率ゼロの対米戦争で「日本が勝利した暁には…」とは、日本人騙しの詐言の極みではないか。

 国土とは何か。祖先から預かり子孫に伝えていくものである。よって、固有の領土を完全に守り続けることが、その国家の現役世代が背負っている祖国と子孫への責務である。戦争を「運命で決断する」とは、大道易者に従って、神懸り詐欺教祖の嘘「神の声」に従って、活火山の火口に飛び込むようなもの。国家でなくとも個人ですら、断固排除しなくてはならない。

 大川の日米戦争運命論は、国旗が太陽(日の丸)と衆星星条旗で対立しているからというが、駄洒落にもなるまい。天文学において星と太陽は対立していない。夜と昼も対立していない。二つの強国があるからといって、対立することなく、協調や同盟が選択されうる。国益と世界を裨益するするなら、二つの強国は連携の道を進む。

 キリスト教国の英仏が四百年間の対立の矛を収め、イスラム教国のトルコを守るべく、ロシアと戦争したことはクリミア戦争、一八五四~六年)、その後の中東や東欧の安全と安定に大きく貢献した。イギリスと米国は、独立戦争から続く一四〇年間の宿怨に蓋をして、ヨーロッパの平和回復のためドイツに対し共同して戦争をした第一次世界大戦

 翻って日米という二つの国には、米国の建国以来、対立する禍根がいっさい存在しない。友好と協調しか選択の余地がない日米のような二国など、世界史においても、稀有である。日米対立は、大川の上記の嘘煽動のごとく、人為的に創られたもの。

 しかも、日本にとって、米国との同盟が必ず百%裨益するのは、これこそ地理が定めた日本の地政学的運命である。日本の国土が、南太平洋のタヒチ島の近辺ではなく、あるいはアフリカ北端の砂漠の地でもなく、ユーラシ大陸の東端に浮かぶ小諸島からなることは、神仏が定めた運命である。運命とは地理のような選択の余地のないことに用いる。が、外交や国防のような無限の選択肢がある分野に用いてはならない。小学生でもわかるだろう。

 そして、日露戦争の勝利を考察する時、それは日本列島の「南」に英国と米国が進出したことによって、日本が英米を背後にして「北」のロシアと戦うことのできた地勢に決定的に負うていることが判明する。

 米国が西へと開拓したその延長上に一八九八年フィリピンを領有し、米国がバシー海峡を挟んで日本国とは指呼の隣国となったこと、ならびに英国が永年のアジア植民地政策で十九世紀半ばにはシナ大陸に君臨しロシアの支那への南下を防いでいたこと、の英米の東アジア進出が、日本を支援したのである。これは英米系地政学において完全に証明される。拙著『地政学の論理』は(注8)、これを詳述したものである。

 日露戦争での勝利を機に日本国の隆盛が、英米の東アジア(西太平洋)進出と不可分の関係にあることは誰でも知っている。だが、英米がこの東アジアに進出したそれ自体を“神の見えない手”と考える日本人は少ない。

 地理は運命。が、国際政治や歴史は運命ではない。自国の汗と血の努力が第一だが、これに加えて自国の努力を超えた“神の見えない手(the hand of God、the Divine Providence)”の助力なしには、戦争の成功や勝利は覚束ない。運命と“神の見えない手”の峻別こそ知性。だが、腐敗した頭の大川周明にはこの知性はなかった。

 私は、地政学マッキンダーとスパイクマンに学び、史学をブルクハルトとエドマンド・バークに学んだ。バークの『イギリス史略』(一七五七~六〇年、注9)は、マグナ・カルタまでの英国史で、その後は中断。この『バーク英国史』序章は、歴史学とはかく省察するものかと感動して読んだ、私にとって巨大なダイヤモンドのような“歴史学の指針”である。

 日本は、自国の存続と繁栄を願うならば、日米同盟の堅持と維持しかない。これは地理が定めた日本の運命。米国民の中に、全世界の人類の中で圧倒的に親日人士が多いのは“神の見えない手”の導き。

 大川周明は、この日本の運命に唾を吐き、米国が東アジアに軍事的プレゼンスする“神の見えない手”を罵倒する。『米英東亜侵略史』でテロリスト大川が讃歌した対英米戦争で、日本が惨たる敗北と亡国となったは必然だった。

 

関連エントリ

西尾幹二の妄言狂史シリーズ

  

第一節

1、『朝日新聞(夕)』一九六七年八月十日付け。東京裁判の法廷で、東條英機の頭をペシャリと叩いてウェッブ裁判に狂人とみなされ、最終的に免訴となった大川の狂気の行動につき、狂気演技とするそれまでの「常識」は、この内村証言でつぶれたとの説が多い。だが、大川の狂気は、彼の「大アジア主義」の思想そのもので満開に咲き誇っているではないか。大川の対人応対や日常生活では、日頃から、奇人狂人を思わせる行動は観察されていない。彼の脳梅毒は、彼の学問を十全に狂気へと導いたが、日常生活の方には影響を表さなかった。「東京栽判での奇行は、第一級の演技だった」を否定する証拠は、やはり存在しない。

2、西尾幹二GHQ焚書図書開封 』第二巻、三一三~四三頁。

3、『現代史資料 4 国家主義運動 1 』、みすず書房、一〇二頁、六六~七頁。

4、大本教への内務省の弾圧は、「十月事件」への関与が「証拠」となり、特に一九三五年に激しいものになった。

5、大川周明『日本精神研究』。初出は一九二七年。橋川文三編『近代日本思想大系〈21〉大川周明集 』、筑摩書房、七八頁。

6、大川周明「不浄中の真金をいかがすべきか」。初出は一九〇六年五月。同上『近代日本思想大系〈21〉大川周明集』、七~一〇頁。また、『大川周明関係文書 』、芙蓉書房出版、四〇~四頁。

7、『終戦工作の記録 』上、講談社文庫、四八四~五頁。

8、内務省警保局編『国家主義運動の概要 』、一九三三年。原書房が戦後復刻。

9、上掲『現代史資料 4 国家主義運動 1』、一〇三頁。

10、大川周明「北満から帰りて」。初出は一九二二年、雑誌論考。『大川周明関係文書』、一八八頁。

11、『日本的言行 』。原著は一九三〇年。復刻は大空社。引用は、大空社版の一一六~七頁。同じことを、一九二六年刊の『日本及日本人の道 』でも主張している。「レーニの生きてゐる間は露国の民は皆レーニンの人格に信頼して居たのであります」(九九頁)。

12、大川周明維新日本の建設」。初出は『月刊日本』第二二号、一九二七年一月。

13、大川周明復興亜細亜の諸問題 』、中公文庫、一六四頁。

14、大川周明日本二千六百年史 』。復刻版は、毎日ワンズ。引用は、この復刻版で、三三頁、二八八~九頁、二七六頁、五六頁。『大川周明全集 』第一巻にも収録。

15、大川周明日本及日本人の道』、行地社出版部、三〇~一頁。『大川周明全集』第一巻に収録。

 

第二節

1、中川八洋近衛文麿とルーズヴェルト―大東亜戦争の真実 』、PHP、六九~七二頁。なお、このうち、近衛文麿の部分のみ再刊された『近衛文麿の戦争責任 』(PHP)では八五~九頁。

2、満川亀太郎三国干渉以後 』、論創社、一八七~九頁、二九七~三〇一頁。

3、大川周明復興亜細亜の諸問題 』。引用は、中公文庫の復刻版、二二頁。

4、大川が狂妄の人種運動を展開した最初は、一九一九年二月五日の「人種的差別撤廃期成大会」への実行委員として参加してからである。

5、大川周明米英東亜侵略史 』、頁。

6、チャンドラ・ボーズは、日本が負けると、スターリンのいるモスクワに「台湾→満洲」経由で逃亡しようとした。ボーズは給油に立ち寄った台湾の空港で離陸に失敗し墜落死亡したが、これは大東亜戦争がアジア共産化だった重要証拠の消失といえる。ところが、日本の国益を限りなく毀損した“NKGB工作員”チャンドラ・ボーズの顕彰胸像(東京都杉並区、蓮光寺)をつくった“売国奴の日本人”がいる。国家反逆罪で国外追放できないものか。

7、大川周明亜細亜、欧羅巴、日本 』、原著一九二五年。大川は『米英東亜侵略史』の冒頭で、この部分を引用している。

8、中川八洋地政学の論理―拡大するハートランドと日本の戦略 』、徳間書店

9、The Writings and Speeches of EDMUND BURKE vol.Ⅰ,Oxford,pp.338~552.

 

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