中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 朝鮮半島には、私が尊敬する三人の朝鮮人が眠っている。まずは李朝最後の皇太子・垠(ギン)殿下。次が安重根。三番目が李舜臣である。

 李舜臣は、ロシア・バルチック艦隊対馬沖にて撃破した日本の東郷平八郎提督(一九〇五年五月)トラファルガー海戦(一八〇五年)にて対英侵攻に意気込むナポレオンの(スペインとの連合)大海軍部隊を殲滅した英国のネルソン提督とならぶ、世界史上に燦然と輝く名提督。舜臣が豊臣秀吉傘下の小西行長島津義弘軍を撃破する海戦兵法は天晴れと申すしかなく、とりわけ同僚の讒謗で一兵卒となりながらも国のため尽くす武勇の愛国は、世界三大提督の名にふさわしい。

安重根は、二十世紀朝鮮が生んだ“アジアの逸材”

 安重根を私が尊敬することについては、安が伊藤博文を殺害した「テロリスト」であることにおいて、読者は怪訝に思うかもしれない。しかし、国際感覚に先天的な瑕疵がある朝鮮民族の中では、国際情勢が澄み切った青空のごとくに見えた例外的な逸材、それが安重根

 日露戦争期の朝鮮で、“反ロ親日”という最も正しい対外政策に立脚していた朝鮮人は、安重根を除いて誰がいただろうか。安重根こそ、一九一〇年代の朝鮮半島で、最高の“日本の友人”になる資質を存分にもつ、真正の朝鮮エリートであった。

 安重根が日本の韓国併合に反対することは、最も賢明な日韓関係策を展開した“白眉の古典”陸奥宗光の『蹇蹇録(一八九五年、公刊は一九二九年)に従ったものである以上、非難すべきところは一点もない。非難さるベきは、安重根が、“日本史上最悪の外交”韓国併合の推進者・山縣有朋を殺害するのではなく、“人違いの重大ミステーク”を犯したことに尽きる。(私利私欲の権化であった)山縣有朋と“下劣な「反日」新聞”朝日新聞によって、韓国併合へと世論が煽動されていくなか、暗殺された伊藤博文は、日本の動きを阻止して韓国を「保護国」のままに据え置こうと苦慮する“親韓派のドン”であった。

 尚、私は、英米系の明治憲法を起草した伊藤博文を、日本国の大政治家だったと大いなる敬意を表している。

 王制主義者モナーキスト)である伊藤博文は、李朝の王制を廃止することになる以上、韓国併合は心底では絶対反対であった。私が伊藤の心が読めるのは、歴史研究で裏付けてはいるが、私も王制主義者だからである。

 朝鮮総督府の庁舎を韓国が破壊・撤去したとき(一九九五年八月)、私が思わず快哉を叫んだ理由もこれにある。朝鮮総督府を李王家の宮殿(景福宮)の前に建てたのは(一九二六年)、日本側に朝鮮の王制を侮辱する意図があったからで、この朝鮮王制への不敬行為は、日頃から怒りが収まらなかった。朝鮮王制に対する侮蔑と不敬は、日本国の天皇制度や皇室への侮蔑や否定に通底しているのを、一般の日本人はどうして見抜けないのか。

 私は、一九八五年の頃、「朝鮮神社」が建立されていたソウルの高台に、安重根義士記念館の館長を訪ねたことがある。安重根の著『東洋平和論』を展示するよう依頼するためだった。『東洋平和論』は、一言で言えば、対ロ防衛の日韓同盟論である。

 一九四五年八月、ロシアが朝鮮半島北半を侵略してトンデモ国家・北朝鮮をつくったように、ロシアの侵略から朝鮮半島を完全に守ることが、朝鮮民族が国挙げて堅持すべき正統な外交。これ以外の外交選択肢は、地政学的に朝鮮には存在しない。が、(ドイツ人/日本人ととも)世界の三大“外交音痴”民族である朝鮮人一般には、地政学的な自民族の運命がさっぱりわからない。卓越する安重根のみ、これを理解できた。

 かつて百済の救援に駆けつけた斉明天皇のときの百済・日本関係のような(六六〇~三年)、日韓が健全な関係を結ぶに、安重根の『東洋平和論』こそ偉大なカップリング力を発揮する古典である。「安重根義士記念館」を訪ねた後、私は韓国の新聞に、『東洋平和論』の解説記事をハングルに翻訳して寄稿した。五面に大きく掲載してくれた。『ソウル新聞』一九八五年十一月六日付け。ハングルの読める在日コリアンは、必ず一読して欲しい。

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李垠殿下の墓参りをしてから出版した『歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本

 韓国のソウルから二十四㌔ほど東、京畿道南楊州市金谷洞に御陵「英園」がある。ここに最後の皇太子・李垠殿下が埋葬されて眠られておられる。私は、二〇〇一年の秋、『歴史を偽造する韓国』の出版(二〇〇二年四月刊)を控えて、垠殿下の墓参だけを目的に韓国を訪れた。

 線香ほか仏式の祭具一揃いは持参していたし、菊の花はホテルで買った。墓を訪れる朝鮮の観光客は全くおらず、静寂な空間の中でたった一人、私は一時間ほど数珠を片手に墓前にて正座して手を合わせた。むろん、この後、隣に眠られておられる梨本宮女王で世界最高の女性)方子(まさこ)妃殿下の墓にも詣でた。

 その後、永寧殿第十六室に垠殿下を祀るソウル市内の宗廟にも、「英園」から車で直行してお参りした。朝鮮式の礼法を知らないし、神道形式でするのも変だから、ただ跪いて手をつき数回叩頭した。私の背中側では、朝鮮人の観光客数名が不思議そうな顔をして立ち止まって見ていた。

 垠殿下が渡日されたのは、一九〇七年十二月十五日で十歳のとき。芝離宮を宮殿とされ、明治天皇は公的には「元首」級に扱われた。一九一〇年まで韓国は準独立国家。

 明治天皇は私的には、皇后とともに、自らの「皇孫」として最大限の愛情を注がれた。皇孫の一人、後の昭和天皇(垠殿下より三歳半ほど年下)ですら、垠殿下のような破格の扱いなど全く無縁であった。

 明治天皇伊藤博文が、垠殿下を韓国国王に即位させる決意だった事は、韓国併合に反対で保護国の解除も予定していたことにほかならない。しかし、伊藤博文が暗殺され(一九〇九年)明治天皇崩御されたことが(一九一二年)、日韓両国にとってこの最良の策を潰した。歴史の歯車は、一度ボタンを掛け間違えると修正が困難。このケースは、この史諺を端的に物語る。

 日韓基本条約が締結された一九六五年、私は、日本の天皇制度を尊敬している朴正煕・大統領が王政復古の決断をしてくれないものかと多少の期待をした。垠殿下は方子妃殿下の介添え下で一九六三年にすでに帰国されていたので、憲法改正を待たずとも韓国民の支持で“仮即位の大礼”でも挙行してくれないかとも期待した。

 だが朴は、自分の野心を愛国だと勘違いして、そうしなかった。垠殿下は、一九七〇年に薨去された。垠殿下の国王即位を確信しておられた(あの世の)明治天皇のご無念を想っては、この時かなり気が滅入った。安重根は、国際政治は一流だが、国内政治は極度に軽率な男だと、このときは憤慨した。

 なお、終戦時には帝国陸軍中将までなられていた垠殿下の日本での邸宅・屋敷は、戦後、赤坂プリンス・ホテルとなったが、その住居部分は、ホテルの「旧館」として保存され、有名なフレンチ・レストランが開業していた。現在、当ホテルは取り壊されたが、この「旧館=垠殿下の邸宅」はどうなるのだろう。

李朝最後の皇太子・李垠殿下に対する日本の二つの罪

 私が垠殿下の墓参りをした理由は、二つ。第一は、一九一〇年の韓国併合李朝の王制を廃した日本の罪を詫びるため。第二は、一九二六年に最後の国王・純宗(李垢)崩御された時、韓国併合を終了し韓国を独立させ、ソウルにて垠皇太子の盛大な即位の大礼を挙行すべきであったのにそれをしなかった日本の罪を詫びるためである。

 日本は、韓国併合をしていなければ、「シベリア出兵」など不毛な軍事行動などせず、(独露間にブレストリトフスク条約が締結された)一九一八年三月を機に、一気に北満洲へと軍事併呑を決行し、幽閉されていた清朝の皇帝溥儀を奉戴して「満洲国」の建国ができた。一九一八年の時点では、辛亥革命軍閥戦争で揺れる漢族は、万歳して、皇帝溥儀が故郷・満洲へと「帰国(退却)」するのを支持しただろう。一九一八年、満洲支那と考える支那人はほとんどいなかった。満洲支那の一部だと漢族が考え始めるのは、一九二〇年代半ば以降である。

 さて、一九一八年時点の日露間だが、「バイカル湖以東で、黒竜江以北の東シベリア」をロシアと日本の間に介在する緩衝地帯とすることを、内戦で揺れるロシアに合意させるのは容易だった。トロツキーは、日本に沿海州の割譲を決断していた。

 北樺太の日本割譲はいとも容易に実現していた。しかも、ウラジヲストック軍港を日本が買収し日本の軍港とすることも、一九一八~一九二〇年の間に限ってのみ、不可能ではなかった。好機は一瞬に到来し、一瞬に去る。国家の政治家は、いつもその国の最トップの頭脳でなければならないのは、この瞬時の好機を嗅ぎ別ける知力が未曾有のIQの裏づけなしでは生まれないからで、凡庸な人材が外交や国防に関るべきではない。日露戦争後の日本では、人材が突然、国中から消滅していた。

 しかも、これらの果敢な対露追撃外交(「北進」)は、一九二八年の不戦条約以前だから、また第一次世界大戦中であるから、国際法においてすべて合法であった。満洲事変を一九三一年の、不戦条約以後にする馬鹿げた外交などせずに済んだ。国際連盟の脱退(一九三三年)という愚昧きわまる外交など、日本は発想すらせずに済んだ。

 しかし、一九一〇年の不必要な韓国併合で、日本は、なけなしの財源を砂地に水を撒くごとく朝鮮半島に注ぎ込んだ(三十五年間で日本が日本国民に増税して朝鮮に投下した金の総額は、現在価格で百五十兆円規模)。これが上記の軍事行動をするための軍事費を捻出するのを阻害しただけでなく、朝鮮半島が日本領土であることでロシア脅威を忘失し、手を抜いてはならない対ロ防衛・対ロ国防を疎かにする堕落と油断が日本人全体を蝕んだ。

 以上の事柄は、『歴史を偽造する韓国』で論及している。日本人なら必読して欲しい。

第一節 “売国奴河野洋平を断罪しない“腐敗きわめる日本”

 日本には、本当の政治が不在である。すなわち、日本の政治が要諦とすべき正義・不正義を峻別し、正義に従うという倫理が消滅した。「政治家と金」などどうでもいい矮小な話をしているのではない。

 国内・対外の政策など具体的な政治のことをいったん脇に置けば、本当の政治とは、政治が“真善美の適う正義”に立脚しているかどうかである。だが、日本の政治は、真善美を破壊することを旨としている。日本には根底から腐敗した政治しかなく、国家の土台を腐蝕・顚覆するのを日常とする。“反・政治”が、日本政治の常態となった。

 このことは、日本の政治からは、真実とか偽りとかに対する公憤が消えたことでわかる。日本では、科学や歴史に関して政治が正しさとか真実とかを求めず、真赤な嘘でもいいではないかの退嬰を日常とする。正しい科学や真実の歴史を生命をかけても守らんとする真正の倫理観など、日本のどこにも見当たらない。

 科学について言えば、菅直人首相が微量のセシウムで強制避難させ、またその科学的・医学的な過ちを気付きながら安倍晋三は是正しないように、平成日本は“科学なんぞクソ喰らえ!”が横行する野蛮国家になった。

 歴史も同じ。歴史の真実が明らかな史実を改竄し自国・日本を侮辱するのを目的とした「河野談話(一九九三年八月)に対して、それ以降すでに二十年間もありながら、自民党は「河野談話」の破棄もしなければ、この張本人で“戦後最凶の売国奴河野洋平”を糾弾・追及すらしない。日本政治の腐敗と堕落は、ローマ帝国の滅亡直前よりひどい。

河野洋平を「河野談話」後に出世させ、「河野談話」を功績と讃えた自民党

 宮澤内閣の官房長官として内外に発表した「従軍慰安婦は強制連行だった」という“真赤な嘘”「河野談話」後、河野洋平は、自民党内で、一度として糾弾されることはなかった。自民党は、安倍晋三を含め、河野洋平を「河野談話」を含めて功績ある政治家として讃えたことになる。

 「河野談話」の直前、河野洋平自民党総裁に選ばれた(一九九三/七~九五/九)。「河野談話」の罪で洋平を、この総裁の椅子から引き摺り下ろす動きは、自民党には全くなかった。

 そればかりか、「河野談話」の一年後には、日韓関係の主務大臣でもある外務大臣になった。しかも、その期間は「三年以上」。

 まず、社会党委員長の村山富市が首相だった一九九四年六月三十日から一九九六年一月十一日まで。次に、自民党小渕恵三森喜朗内閣で一九九九年十月五日から二〇〇一年四月二十六日まで。総計で「三年以上」になる。

 さらに、河野洋平は、外務大臣の後さらに、自民党の推薦で、首相と同格の衆議院議長まで登りつめた。しかも、六年間もその地位にいた(二〇〇三年十一月~二〇〇九年七月)。米国は、祖国を裏切る売国奴など万が一にも衆議院議長などにはなれないと思う常識国家。だから、この六年間の衆議院議長という河野洋平のキャリアーを観て、「河野談話」は正しい歴史に基づくと確信するに至った。

 「河野談話」という“嘘歴史をでっち上げ、それによって日韓関係の安定に貢献し、その故に日本人は河野洋平を評価し支持した”と米国も世界も考えたのである。世界中の、この誤解は常識的だし非難されるべき点は全くない。非難さるべきは、河野洋平を糾弾する行動をいっさいしなかった自民党の方であろう。安倍晋三を含め腐敗した人間の屑ばかりの自民党議員たちの方であろう。

 日本政府も多数党の自民党もいったん称讃し支持した「河野談話」を、二十年も経った二〇一二年十二月から、この当事者の自民党が突然手の平を返して非難し始めるのは、ゴロツキの無頼漢の仕業だ/良識ある人間のなすべきことではないと世界は考える。このような対自民党観もまた、常識から逸脱したとはいえない。

 特に「安倍晋三は、二枚舌のペテン師で無頼漢」だと、現在の欧米の諸政府は考えるが、欧米のこの安倍評には理があるし、以上に述べた自民党の二十年間を検証すれば腑に落ちよう。二〇一三年三月十一日から米国は、「河野談話」に対する安倍晋三の動きを牽制するようになったが、同じ理由による。

 要は、「日本人は、ゴロツキと同じく、いったん了解したものをポイ捨てする」との、「河野談話」がらみの日本人に対する観察は、公平な裁判官と同じだし、一般通念に合致している。欧米人の方が、日本人よりも、何倍もマナーがいいし、ルールを守る。「河野談話」に関して安倍晋三の動きこそ、ナラズモノのそれでなくて何であろう。

 しかも、「河野談話」の破棄宣言は、ポスト村山内閣の、一九九六年一月から二〇〇七年九月にかけて、自民党政権橋本龍太郎小渕恵三森喜朗小泉純一郎安倍晋三の内閣で、いつでもできた。が、この五名の首相はいっさい何もしなかった。<「河野談話」故に河野洋平を出世させた>と、世界が考えたのは、当然だし常識。

 特に、安倍晋三は、二〇〇六年九月に総理になる前、「河野談話」の廃棄を公約に掲げたのに、総理になるや直ちに舌の根が乾かないうちに、自分の方から“公約”「河野談話の破棄」をポイ捨てすると国会で明言した(二〇〇六年十月五日)。さらに、翌二〇〇七年、総理大臣の安倍晋三は、「安倍内閣は、河野談話を受け継いでいる」との、質問主意書に対する答弁を閣議決定した。

 米国が、「河野談話」を歴史事実に則っていると誤解するのは、とりわけ、二〇〇六年の総理大臣としての安倍晋三の国会発言と翌年の閣議決定を知ったからである。米国の「河野談話」誤解は、“due process 法の適正手続”を重視する米国らしい紳士的行動であって、それ以外ではない。

河野談話」の破棄は、河野洋平自身にさせるのが常道

 ことこの事態に至った以上、「河野談話」の破棄は、まだ生きてピンピンしている“売国奴河野洋平自身に前言撤回させるのが、唯一の確実な方法。これ以外の方法や作戦は、的外れだし隔靴掻痒の無効打とならざるを得ない。

 すなわち、まず、二十万人ぐらいを集めた、“巨大な河野洋平糾弾大会”を、一刻も早く東京の都心のド真ん中で開催しなければならない。そして、この国民集会で、河野洋平売国奴三代であること”及び河野洋平毛沢東系のマルクス主義者であること”の、二つの事実を世界に発信することだ。米国は、反共国家だから、「河野談話マルクス主義、毛沢東主義」の事実さえ認識すれば、平気に“I change my mind”となる。

 このためには、第一段階として、少なくとも四~五万件ぐらいの断罪文をメールやFAXを河野洋平にまず送り付けようではないか。次に、河野洋平の行くところはどこでも、河野洋平を糾弾する(英訳つき)大垂れ幕やプラカードを持ち込み、世界に日本は河野洋平を糾弾していることを報道してもらおう。ただ、河野洋平を殺害するのだけは、天誅においては正義だが、やめて欲しい。

GHQ占領史を改竄する“歴史の嘘つき男”安倍晋三の「従軍慰安婦」論 ──米国の安倍晋三への不信は、当り前

 「河野談話」や総理の靖国神社参拝に関して、永年、米国政府は、中立であった。靖国神社総理参拝に関しては、親日だったブッシュ大統領のように、小泉の靖国参拝を公然と支持して応援したこともある。

 だが、安倍晋三に対しては、「親日」米国人ですら、支持する気にはなれない。米国人の常識において、安倍晋三のマナーの悪さはごろつきかナラズモノの類。ブッシュ大統領のライス国務長官は、安倍晋三rogueだと嫌悪した。ヤクザのような立ち居振る舞いの安倍晋三は、欧米の紳士社会では、確かにrogueそのもの。

 しかも、安倍晋三といえば、GHQ占領七年史を改竄する、嘘歴史を吹聴するトンデモ政治家。安倍晋三のように、日頃、米国を愚弄することに直結する、大東亜戦争と戦後の米国占領の歴史をあらん限りに改竄し嘘ばかりで固めた、イソップ物語の「狼少年」を絵に描いたようなトンデモ政治家が、突然、「従軍慰安婦」問題だけに限り“歴史の真実”を喋っても米国の誰が信じよう。

 嘘歴史大好きの安倍晋三の、その嘘の最たるものは、何と言っても、彼自身の標語「戦後レジームの脱却」に表れていよう。学歴が低く無教養な安倍は、GHQ占領歴史の確定された(日米間の学者間で一致している)イロハすら知らない。代わりに、嘘歴史をデッチアゲル歴史の改竄を職業とする、歴史学などとは無縁な、名ばかり大学教授の)長谷川三千子とか西尾幹二とか、あるいはロシアKGB工作員の支配下にある日本会議とか、“日本の恥さらし”とも言える下等・低級な民族系と交流して、デタラメ歴史の狂信者となった。

 安倍の“嘘歴史スローガン”「戦後レジームの脱却」につき、本稿末尾に【参考】として概説しておく。

売国奴三代の二代目”河野洋平

 河野洋平の家系は、売国奴しかいない。実質的に共産党員でありソ連工作員でもあった河野一郎(農林大臣は一九五四年十二月~五十六年十二月)は、北方領土をロシアに献上する工作をし(一九五六年五月、モスクワ)、その見返りに北洋漁業から当時の金で二十億円(現在価格では五百億円か)ほどを懐に入れた“戦後売国奴”の第一号だった。

 河野一郎の次男・洋平は、「朝鮮人従軍慰安婦は、強制連行」をデッチアゲて日本国の名誉を末代まで毀損するという“究極の反日”に生きる、毛沢東マルキストである。だから、日本側に国際法上なんらの責任も発生しない、ソ連武装解除して渡し、この新たな所有者のソ連満洲に遺棄した、旧関東軍化学兵器の処理を日本に負わせるという、中共のあこぎな要求を呑んだ。河野洋平外務大臣の職権で、外務省の良識ある外交官や防衛省の猛反対を封殺して、「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する日中覚書」を強引に締結した(一九九九年七月)

 このため日本国民は、税金を数兆円、中国共産党に収奪される破目となった。河野洋平は、日本を憎悪し、日本国をハチャメチャに破壊したい、その一念で政治家になった。この“祖国憎悪イデオロギーは、父親の河野一郎譲りだが、自分の息子・河野太郎に継承させる洗脳に成功し、河野太郎北朝鮮崇拝者となった。河野太郎は、拉致問題の発覚に驚き、北朝鮮崇拝を隠すようになったが、代わりに日本経済破壊に精を出す。それが、河野太郎の異常な「原発ゼロ」運動である。

 「河野一郎河野洋平河野太郎」と、“三代にわたる売国奴家系の血を日本から一掃せねば、日本国の血が絶える。本件に関しては、短い論考だが、拙稿「“売国奴三代”河野太郎代議士を日本から追放しよう」(『撃論』第七号)を参照されたい。

第二節 「従軍慰安婦」問題を「反米」運動に転嫁する北朝鮮の策謀と、それに協力する民族系の「反日

 「従軍慰安婦」問題について、基本を復習しよう。この基本歴史を知れば、「河野談話」がデッチアゲというのが、すぐ理解できる。

 最も短く最も要点がしっかと論及されている論考の一つは、拙著『歴史を偽造する韓国』第十章(二一七~四八頁)であろうか。それを要約しておこう。

 大東亜戦争の歴史上、「従軍慰安婦」は半・幽霊、「強制連行」は完全幽霊である。しかし、“反日の巨魁”河野洋平は、宮沢内閣が総辞職する前日、どさくさにまぎれて、朝日新聞北朝鮮人記者たちのデッチアゲ・キャンペーンに従った、内閣官房外政審議室に書かせた“真赤な嘘”『いわゆる従軍慰安婦について』を発表した。一九九三年八月四日だった。

 しかも、その内容は実態的には、“作曲詐欺師”佐村河内守の詐欺力が小さく見える、佐村河内の百倍も千倍も嘘創作に長けた日本共産党員の詐言師・吉田清治の二冊のトンデモ小説『朝鮮人慰安婦と日本人』(一九七七年刊)『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(一九八三年刊)を書き写したもの。なお、吉田の本名は吉田雄兎で、詐欺罪か傷害罪での二年の実刑がある。「軍法会議…」などの自己申告履歴は、すべて詐言である。

 河野洋平官房長官直属の官房外政審議室は、外務省その他から北朝鮮人ばかりを集めたと噂された。現在、外務省の外交官には、田中均(本名は、田均?)のように、「血統は北朝鮮人」はかなりの数になっている。公務員は、四代に遡って血統調査をすべきである。国籍だけで採用するから、河野洋平と組んで『いわゆる従軍慰安婦について』のような虚偽報告書が日本国政府の名で内外に発出したりする。

 吉田清治の『私の戦争犯罪』を真実だと、突然一九九二年に大キャンペーンし出したのが、共産党員と北朝鮮人ばかりが社会部を占める朝日新聞であった。この赤い朝日新聞キャンペーンで「正式共産党員の吉田清治朝日新聞河野洋平」のルートが創られた。一九九三年八月の「従軍慰安婦強制連行」という河野談話が捏造された背景は、これである。日本は、朝日新聞河野洋平の奴隷国家である。

「従軍公娼置屋」の輸送と「公娼」の性病検査の担当は、各師団の憲兵部隊

 「戦場近くの、置屋が開業する<従軍慰安婦>に軍が関与した」のは当り前。この関与が、「河野談話」では、歴史上いっさいの事実が存在しない軍の強制連行にすり替えられデッチアゲられた。戦場近くで開店して商売をする“移動公娼置屋”を、戦地とその出発地との間を無料輸送する仕事は、各師団の憲兵部隊が小部隊を割いて担当した。

 また、憲兵部隊所属の衛生兵が、性病検査を担当した。当時の法律では、公娼は必ず保健所が一週間に一度の検査をすることになっていたが、この法律に従って、日本本土の保健所に変わり、戦地で衛生兵が代行した。

 敗戦から十年が経った一九五六年に公布された売春防止法が施行される前まで、日本全国には「赤線」と「青線」があった。前者が公娼街で、後者が私娼街。「公娼」とは、「公営の売春婦」という意味ではなく、“性病検査が国の強制で公的に実施されている売春婦”という意味である。

 各師団の憲兵部隊は、朝鮮で置屋の入札を行って、誘拐された女性がいないかどうかを厳重にチェックした。日本本土でも入札をするのだが、戦場近くでの開業は危険なため、料金は“戦場近辺”ということで三倍になっているのに、日本人経営の置屋で応募する者は少なく、結果としてほとんど朝鮮人経営の置屋ばかりだった。

 すなわち、「従軍」したのは個々の売春婦慰安婦ではなく、あくまでも置屋。「従軍置屋」は存在したが、個々の売春婦が「従軍した」わけではないから、「従軍慰安婦」という表現は不正確。売春婦は、あくまでも置屋と契約したもの。その雇用は、各師団の憲兵部隊のあずかり知らぬもの。だから、“従軍置屋公娼”が正しい表現。「従軍慰安婦」は、事実に反する表現。

 第二に、「従軍慰安婦」に対する非難キャンペーンは、巧妙に、公娼制度そのものへの非難にすり替えており、歴史問題を意図的にややこしくする作為がなされている。たとえば、日本共産党員の吉見義明は、「慰安婦制度は、特定の女性を犠牲にする性暴力公認のシステムであり、女性の人権を踏みにじるもの」と、難詰する(『従軍慰安婦』、岩波新書、四四頁)

 だが、これは余りにダーティな詭弁。なぜなら、これは「朝鮮人経営の置屋は、外地に出征する日本軍の入札制度がなければ、ソウルなど朝鮮での置屋経営を止めたはず」「よって、これら公娼は他の職業についたはず」のありもしない非現実的な架空を前提としているからだ。吉見義明の主張はすべて嘘ばかり。

 吉見は、自分の主張が虚偽でないというなら、日本軍への入札から外された朝鮮人経営の置屋で、この入札洩れからその経営をやめたケースを一軒でもいいから、具体的に挙げてみろ! 一ケースも列挙できないではないか。

 その場合、朝鮮での公娼の料金は、「従軍置屋公娼」の料金の数十分の一だから、これら個々の公娼売春婦は、過酷な売春ノルマで絶望の生活を強いられた。吉見義明の詭弁は、詐欺師的な騙しの言辞である。

 なお、「従軍置屋公娼」の契約を果たして一年ほどで故郷・朝鮮に戻った女性たちは平均で「七千円」ほどの貯金をしていた。なぜなら、彼女たちの手取りは、少ないもので月収三百円、多いのは千五百円。年収に直すと三千六百円から一万八千円。

 この額は、帝国陸軍大尉の月給が一一〇円(一九四三年)だから、どれほど法外な収入だったかがわかる。現在の日本で言えば一億円から五億円ぐらい。実際、戦時中、ソウルで豪邸が建つと、朝鮮人たちはその親を後ろ指で「娘を置屋に売って<戦場公娼>をやらせたんではないか」と噂話をしたし、ほとんど事実だった。

アジア女性基金」が、「従軍慰安婦」という嘘歴史を真実に化粧した

 河野洋平の「河野談話」に続き、“従軍慰安婦強制連行”の嘘歴史づくりを加速させたのが、極左マルキスト村山富市首相だった。村山は一九九五年六月、「河野談話」から二年後、「アジア女性基金」を創設し、“元従軍慰安婦”と自称するものには誰にでも二百万円の掴み金をばら撒いた。

 韓国だけでなくアジアの諸国から、“オレオレ詐欺”と同じ“オレオレ擬装売春婦詐欺”の悪徳老婆がわんさと群がり、無審査で二百万円を手にした。「金をばら撒くだけで、<従軍慰安婦>問題は完全に終了する」という、真赤な嘘の偽情報工作に、橋本龍太郎ほか自民党の幹部が皆賛成してできた制度であった。

 このとき、自民党のかなりの代議士に、「このアジア女性基金の設立と運営は罠だ! これによって、従軍慰安婦強制連行という嘘歴史が世界の常識になるから、各政治家は日本国の名誉と次代の日本人の矜持と名誉を守るべく、断固として反対してつぶすべし」と説得してまわったが、誰一人として私に耳を貸す者はいなかった。自民党はこの一九九五年の時点で、世界に向かって「従軍慰安婦は強制連行は、歴史事実だ」「河野談話は正しい」と宣言したのである。

 安倍晋三自民党が、仮に真に歴史の真実に立脚せんとするならば、「アジア女性基金」に対しても糾弾の声明を出す必要がある。この初代理事長は、元警視総監の原文兵衛(元参議院議長、自民党議員)、副理事長はソ連工作員の江藤瀋吉(元・亜細亜大学学長)

 すなわち、原文兵衛と江藤瀋吉に対して、「歴史偽造の犯罪者」として糾弾の手を断固として緩めてはならない。それなくして、誤解で固まった国際世論を転回させることはできない。

民族系の論客や雑誌『WILL』は“北朝鮮の犬”

 米国は、在米のコリアン団体の「従軍慰安婦キャンペーン」、とりわけ「性奴隷sex slavery」と称する銅像の建立キャンペーンに、オバマという(米国の基準では)スーパー極左が大統領であることもあって、どうやらどっぷりと騙されてしまった。この米国の対日誤解を解くのは容易ではない。

 特に、「<従軍慰安婦強制連行>は、嘘だ!」と絶叫する日本側の論客や政治家は、米国の国務省など精緻な調査において“札付きの大嘘つき”が証明されている問題児ばかりである。たとえば、「論客では西尾幹二、政治家では安倍晋三」の二人が、「<従軍慰安婦強制連行>は、嘘だ!」と言えば、当然、論理的には「<従軍慰安婦強制連行>は、本当だ!」となる。

 しかも、「従軍慰安婦強制連行」という歴史の偽造を世界に広めた犯罪者は、第一に河野洋平、第二に「アジア女性基金」を創った村山富市、第三が河野洋平や「アジア女性基金」を糾弾しない政権政党自民党であるのに、民族系論客は、この自国の犯罪者たちを糾弾したり断罪すべきにそれをせず、何と常識的・中立的な米国を非難して、「反米」運動に転嫁する。

 例を挙げよう。“歴史の偽造家”としてつとに名高い西尾幹二という、民族系の野卑な論客は、『WILL』二〇一三年六月号で「外国特派員協会慰安婦問題を語る アメリカよ、恥を知れ!」という論考を発表している。その意図は、「従軍慰安婦強制連行」という嘘歴史を是正する解決策を探るのではなく、これに便乗して米国をもっと怒らせ、日米対立の火種にすることの画策をするもの。日本国の自己破壊を信条とする、“ニーチェヒトラー主義のアナーキスト西尾幹二は、日本の国益を破壊すること共産党に優る。

 さらに米国のsex slavery銅像の建立で判明しているように、表では単なる在米コリアンたちの反日行動だが、その背後にいるのは北朝鮮で、その狙いは日韓分断である。この動きは、日本国内でも同じ。西尾幹二にしろ、コリアンばかりが執筆者として登壇する『WILL』にしろ、北朝鮮人との関係は想像以上で、実際にも同志状態にある。

 「従軍慰安婦強制連行」という歴史の嘘を世界から一掃するに、米国を抱き込むのは絶対であり、米国を説得しなくてはならない。これを可能にできる日本の知識人は、一人しかいない。いうまでもなく、米国で信用が圧倒的に高い中川八洋である。

 米国建国時の政治思想や“建国の父”アレグザンダー・ハミルトンに関する造詣の高さで、米国国務省の外交官や上院議員などから尊敬を一瞬でかちとれる人材は、日本政府首席代表としての外交交渉の経験もある中川八洋以外にはいない。“東洋のアクトン卿”といわれる中川を、五日間だけ総理特使として米国に派遣すれば、国務省に「<従軍慰安婦>問題の歴史の検証は、日韓両国の専管であり、米国はいっさい関与しない」というメモランダムを発出させるのに容易く成功するだろう。

 中川の米国滞在の五日間とは、まず三日間をカルフォルニア州/ヴァージニア州/ニューヨークの三ヶ所で一気に米国世論を九〇度転回させ、残る一泊二泊をワシントンで動いて、さらに九〇度転回させ、この国務省メモランダムを取り付けるだろう。

【参考】「反日」から“親日”に反転したGHQ占領七年史 ──無学・無教養な安倍晋三は日米関係に刺さった棘

 民族系の論客や政治家は、ひたすら興奮調で、GHQの占領が日本をダメにしたと米国を難詰する。それは、日本共産党の「反米」と変らない。へんな抑揚で絶叫調の北朝鮮テレビの米国非難アナウンスとも瓜二つである。

 民族系の、GHQと米国への執拗な難詰には、学問的に理に適ったものは一つもない。狡猾なトリックを駆使した、卑劣な闇討ち型の誹謗ばかり。それ以上に、何かいかがわしい新興宗教の色彩も濃い。「大東亜戦争を讃美するカルト宗教」「東京裁判を呪うカルト宗教」である。

 以下、この問題に少し触れる。安倍晋三の「戦後レジームの脱脚」が、いかに異常な間違いであるか、いかに日本の国益を害するものか、を明らかにするためである。

「GHQ主導」と「日本側主導」を混同する、民族系の捏造「GHQ占領七年史」

 まず、GHQ占領七年史に関する市販の書物を読むと、歴史学的に考察すれば、二つの嘘が「神話」となって日本で流布している。第一のウソは、反日的で日本の国益を毀損した、GHQ時代の諸制度改悪のすべてはGHQがやったと、何でもGHQの責任に転嫁する“日本側の犯罪隠し”。第二のウソは、GHQの対日政策は対極的な前期と後期に分かれるが、後期では日本を毀損するものゼロの歴史事実を隠蔽する、おぞましい“日本側の歴史偽造”。

 最初に、GHQ占領による“負の遺産”の方を思い起こすとしよう。誰でも知っている主要なものに、次のがある。

  • A 憲法──一九四六年二月三日に日本に起草命令、GHQ主導の代表。のちダレスそして米国政府が第九条改正を強く要請。
  • B 財閥解体──GHQ主導、一九四五年十一月。ドレーパーらによって中断。
  • C 皇室財産を含め、富裕層に対する財産の強制没収を狙った「財産税法」──皇室は、これにより九十%を課税され、財産における庶民レベルが強制された。旧皇族・旧華族の没落の主因はこれである(注1)。
  • D 十一宮家の臣籍降下──GHQの皇室財産解体の一環、一九四七年十一月。
  • E 小・中学校の教科として社会主義革命運動への参画に子どもを煽動する)「社会科」を導入──GHQの主導。
  • F 労働組合法など労働三法──GHQ政策の中で最悪のものソ連のNKGB製か?日本の共産革命の基盤づくり)
  • G 刑法から不敬罪の削除と外患罪条文の大幅縮小──GHQの命令、一九四七年の年頭。

 しかし、日本の国益を害したのは、これらGHQによる「前期」政策だけではない。実は日本側の方が、占領中というドサクサに便乗して「反日」政策と赤化革命政策をしゃにむに導入した。次に掲げるリストは、そのほんの数例。

 民法の改悪や公家制度の廃止こそ、われわれが是正すべき「戦後レジーム」の基幹的な負の遺産。だが、安倍はそれらを「戦後レジーム」に含めず、民法を旧に戻すとか、公家制度を復活させるとか、一言も言ったことはない。

 安倍のスローガン「戦後レジームの脱脚」の中身は、ただメチャクチャな歪曲歴史のゴミの山。そればかりか、何をどう復権するとか、何をどう改正するとかの具体的な政策が存在しない。「戦後レジームの脱脚」とは、道端にポイ捨てされた割れた西瓜の中の腐った赤い汁のようなもの。安倍の精神と人格の不正常の証しになっている。

  • H 民法の全面改悪 ──我妻栄や中川善之助ら日本の極左学者の策謀、GHQ関与せず、一九四六年十二月。
  • I 公家制度の廃止──佐藤達夫内閣法制局次長)の独断、一九四六年二月。 
  • J 教科書墨塗り──文部省が慌てて、一九四五年九月二日に実行。この日は、戦艦ミズーリー号で、日本国が降伏文書に調印する式典の真っ最中。GHQはまだ存在しない。それを推進した文部省が率先して墨塗りしたことで証明された。「皇国史観」とは、民族主義で化粧した「マルクス・レーニン史観」の畸形モンスター(注2)。
  • K 「君が代」を小学校の音楽教科書から削除──GHQの方が検閲で不許可。文部大臣コミュニスト前田多門の仕業か?
  • L 「北方領土ソ連に貢げ!」「北海道へのソ連軍の侵攻を幇助すべく北海道非武装化を推進せよ」を主目的とした「全面講和」運動

 GHQ内の左翼と日本側の左翼の共同のものもある。

 次に、米国は、その占領中に、自らがなした「反日」的政策のいくつかは、反省し改善した。「君子は過てば、即ちあらたむ」が米国のエリート層にはある。が、日本側は無気力・無定見で、そのような「反省」など、ポストGHQが数十年もあったのに、いっさいしなかった。

 GHQは特に、上記のAとBでは全面改善を図った。Aの憲法については、一九五一年一月、ジョン・フォスター・ダレス国務省顧問が、第九条を改正し国防軍を設置するよう要請した。Bの、「反日」の極みで、また対日懲罰でもある財閥解体など、“日本経済の復興凍結&産業退化政策”については、GHQは、一九四八年夏ごろ全面撤回し、逆方向に大転換した。

 一九四八年夏をもって、GHQの対日方針が「前期」の“左翼的・反日的”から「後期」の“保守的・親日的”にがらりと転換されたのに驚愕し、日本共産党は、この大転換を「逆コース」だと非難した。対日占領政策を「逆コース」路線に変更した米国政府の公式文書の最初は、少し遅れ、一九四八年十月七日付けのNSC国家安全保障会議の『アメリカの対日政策に関する勧告』である

 このような初歩的なGHQ占領時代の七年史の歴史事実に従えば、仮に「戦後レジームの脱却」を主張したいなら、糾弾の矛先は米国ではなく、日本となる。安倍晋三の言説と思考は、真犯人を逮捕せず、意図的に別人を誤認逮捕する悪徳刑事のそれ。

GHQの「前期」政策を、「後期」に大転換させた偉大なアメリカ人たち

 「GHQが、日本をダメにした」との“スーパー嘘歴史”に基づく、誑かしスローガン「戦後レジームの脱却」の害毒の一つは、GHQ占領期政策のうち何を堅持し、何を廃棄的に改正するかの、具体的かつ正常な問題意識から日本人の真摯な知的関心を溶解してしまうからである。

 しかも、一九四八年夏をもって、GHQの対日方針は、「前期」の“左翼的・反日的”から「後期」の“保守的・親日的”にがらりと転換した、この重要な歴史事実すらも知らない、無教養きわまりない男が日本国総理なのは、日本にとって有害この上もない。

 「戦後レジームの脱却」を大義に、安倍晋三のようにGHQ占領期七年間の政策すべてを否定する論法ならば、GHQの「後期」政策、たとえば憲法第九条改正と陸軍三十二万人の国防軍設置”をも否定さることになる。

 また、重工業産業育成のGHQ後期政策を旧に戻し、日本の重工業すべては解体される方が良いとか、日本が技術革新と貿易立国において経済発展するのは阻止される方が良いとか、安倍は日本経済つぶしを主張することになる。それでは、日本共産党の立場とまったく同じで、安倍晋三とは、GHQ対日政策の大転換を「逆コース」だと非難・弾劾した“野坂参三の嫡男”ということになる。

 GHQの対日政策をコペルニクス的転換に導いた先鋒的アメリカ人を二名だけ挙げろとの、「戦後日本政治史」の試験があれば、陸軍次官ドレーパーと『ニューズウィーク』東京支局長パケナムを挙げるほかない。なのに日本では、この二人の名は誰も知らない。消されたからだ。日本の学界・教育界は、米国の「親日」政策を歴史から抹殺する検閲をしてきた。そのおぞましい“偽情報洗脳教育の戦果”の一つである。

 この意味で、江藤淳の『閉ざされた言語空間』は、真赤な嘘に日本人を誤導した最凶最悪のプロパガンダ本であろう。“半コミュニスト江藤淳の害毒は余りに大きい。日本の子どもたちへの偽情報洗脳教育では、日本人の方が、GHQの百倍も千倍も悪質で大掛かりでひどいことをしてきた。しかも、GHQの対日情報宣伝は三年間で完全終了したのに、日本では一九五二年の「四・二八」以降、すでに六十年が経つが、今なお、この洗脳教育の手を緩める気配はない。

 話を戻す。ドレーパーの対日経済政策を継いでその花を咲かせたのがGHQ財政顧問ドッジであった。反・初期GHQ(=反ホイットニー民生局長/反ケーディス大佐)の急先鋒パケナムの東京でのロビー活動を支えたのが、『ニューズウィーク』外信部長カーンであった。「ドレーパーあっての、“反共/反ケインズ”のドッジ」「カーンあっての、“スーパー親日・反ソ”のパケナム」である。

 GHQの前期政策をコペルニクス的に後期政策へと大転換させた、その功績は、GHQ内部における転換もかなりあったが、ワシントンにいた“反共・親日のエリート米国人”の、日本国外からのGHQ批判と改造工作の力に預かるところが大きい。紙幅がないので、表1で我慢していただき、説明を割愛する。

 

表1;GHQ前期政策の大転換に功労ある(GHQ外部の)アメリカ人

GHQ前期政策→GHQ後期政策

推進者(一部)

ホイットニーらの武装解除状態の長期化→憲法第九条改正/国防軍の再建

ダレス、パケナム

懲罰的な賠償として、日本の重工業産業の解体→賠償の中断/重工業産業の再生

ドッジ、ダレス、パケナム

財閥解体」による経済復興の凍結→「財閥解体」中止

ドレーパー、パケナム

労働三法を立法したコーエンらの、労働者による共産革命の幇助→批判と糾弾

ドレーパー、ドッジ

経済界の指導的実業家追放(パージ)→中止

パケナム、キーナン

時すでに遅しだったが、財産税法を糾弾

パケナム

 備考;パケナム(国籍上は英国人)とカーンは一体だから、表1の「パケナム」には、カーンが含まれている。ドレーパー、ドッジ、カーンについては注3を参照のこと。 

 

 表1に掲げたアメリカ人はほぼ、「前期GHQ」の批判者たち。つまり、「前期GHQ」がマッカーサー元帥で代表される以上、マッカーサーを批判する側に立つ。だが、マッカーサーには、「前期」においても評価されるべき偉大な功績が二つある。

 第一は、日本の天皇制度をいかに維持するかに腐心し、かつ昭和天皇の聖性護持に尽力したこと。第二は、確かに、ダレスやドッジほどでなかったにせよ、GHQの対日政策の背骨として「反共」を貫き、“反共の闘士”ウィロビー少将の活動を終始支援し続けたこと。ウィロビーなしに、「後期GHQ」やポストGHQの日本がどうなったかは、わからない。

 上記の第一にからみ、マッカーサーは、“建国の父”アレグザンダー・ハミルトンやジョージ・ワシントンを髣髴とさせる米国の保守主義者で、王制主義者モナーキスト)のジョセフ・キーナンを、東京国際軍事法廷の主席検事に選んだ。この最高の人選におけるマッカーサーの炯眼に対し、日本国民はもっと敬意を表すべきではないか。また日本国民は、昭和天皇を獰猛なソ連や日本の共産主義者から守り続けた“真正の騎士”キーナンに対して、皇居前広場に銅像を建立すべきだろう。

 なお、表1にある、反ケインズ経済学で、反・福祉国家論者で、節倹の美徳を信条とするドッジに、英国の“鉄の女宰相”マーガレット・サッチャーを連想できない日本人は、無教養の誹りを免れ得まい。また、日本人以上に日本人であったパケナムには、『神国日本』を書いた小泉八雲が重なる。

 パケナムの総本家は英国のロングフォード男爵。その城はアイルランドのダブリン郊外にある。八雲とパケナムには、神秘で深遠な思考をする“人類史の天才”エドマンド・バークを生んだアイルランドの風土が血になっている共通がある(注4)。

 ともあれ、三名のアメリカ紳士ウィロビー、キーナン(注5、注6、注7)、ドッジを、“日本を救った反共三銃士”(注8)だと考える、そのような知性も見識も日本人から消えた。日本の亡国は、間近いのではないか。

共産主義者ビッソン/ダイク/コーエンの暗躍を隠蔽する民族系論客

 GHQは、一九四七年二月一日の(全国官公労ストライキ、組合員数二六〇万人の)ゼネストを禁止するとともに、労働基準法など赤色の労働三法を策定したコーエンGHQ労働課長やコンスタンチーノ労働関係班長(ともに共産主義者)の首を斬った。その後、国家公務員の労働争議の禁止と三公社五現業労働争議規制へと進み(一九四八年七月のGHQ命令)、一九五〇年の官公庁からの大規模レッド・パージ(国家公務員・地方公務員・公共企業体から一万〇七九三名の分限免職、注9)へとつながっていく。

 GHQの「反共」政策の嚆矢は、一九四六年五月二〇日の「総司令部声明」。これは、共産党の集団暴力革命の危険につき日本人に注意喚起するもの。一九五〇年に入ると、(韓国へ北朝鮮を侵略させる直前のスターリンの命令もあって)共産党はその路線を暴力革命へと大きくシフトする。たまりかねて、GHQは六月初旬、日本共産党中央委員会の二十四名を追放処分とした。共産党の非合法化については、GHQは自らはせず、日本側の自主でやるように示唆したが、吉田はこれを逡巡して決断しなかった。

 GHQの反共政策を推進した機関車は、なんと言っても、参謀二部のウィロビー少将。ウィロビーこそ日本と日本の国体を守った偉大な不動明王だった。

 GHQ発足時の幹部には、かなりの数の共産主義者と共産主義シンパがいた。共産主義者には、CIC防諜部部隊長エリオット・ソープ准将(GRU工作員や民生局の局長補佐官トーマス・ビッソン(ベリア直属のNKGB工作員、あるいはCIE民間情報教育局長ケン・ダイク(注10)、そして労働課長セオドア・コーエン(注11、志賀義雄と昵懇)らである。共産主義シンパには、憲法改悪の民政局長ホイットニーや、教育勅語廃止・教育基本法制定のケーディス大佐らが知られていよう。

 ソープ准将を、一九四六年の半ばとなったが、GHQから追放したのがウィロビーだった。ソープは、一九四五年秋からわずか数ヶ月間で、矢継ぎ早に露骨な日本共産革命の基盤づくりをした。

 皇族の梨本宮・守正王と皇弟・秩父宮を逮捕しようとしたり、特高警察を完全廃止し、共産党幹部の徳田球一や志賀義雄を一九四五年十月十日には府中刑務所から出所させた。延安から戻った、共産党のトップ野坂参三が帰国した時(一九四六年一月十二日)、わざわざ出迎えまでした。ゾルゲ事件で刑期中のマックス・クラウゼンを仙台刑務所から釈放した(十月十八日)。などである(注12)。

 翻って、日本が主権を回復した一九五二年四月二十八日以降、六十年以上、日本は共産主義思想とも共産主義者やその団体とも、戦うことは決してしなかった。今もしない。

 共産主義の思想もその組織も、オウム真理教となんら変わらない、反人間/反国家/反科学/反・法秩序の異常なカルト宗教のそれ。だが日本は、世界唯一に、人類史上最悪最凶の、このカルト宗教の蔓延と伝染を放置してきた。

 日本がGHQの「戦後レジーム」を六十年以上も、文字通りに「脱却」してきた結果が、この節の冒頭で述べた日本の惨状となった。妄語「戦後レジームの脱却」は、日本を国家滅亡へ導く“安倍晋三が吹くハーメルン魔笛”である。

 

1、一九四六年十一月十一日法律五二号。この超累進課税の暴力的な財産没収制度は、レーニンのロシア革命時の、ブルジョアジー撲滅のための完全財産没収に近いもので、共産主義思想そのものの税法であった。財産「十万円超~」に対する「二十五%」から始まり、「千五百万円超」に対する「九十%」までの十四段階。

2、中川八洋小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版、二〇九~四二頁。

3、H・ショーンバーガー『占領1945~1952―戦後日本をつくりあげた8人のアメリカ人』、時事通信社

4、コンプトン・パケナムについての簡便な概説には、青木冨貴子『昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領』(新潮社)がある。

5、後醍醐天皇に仕えた楠木正成のような、“昭和天皇の股肱の臣”にほかならないキーナン検事につき、日本の民族系は日本共産党に与して蛇蝎のごとく嫌い、彼を茶化して酔い痴れる。

 それは、東京裁判を罵倒的に非難する民族系論客に、歴史事実を確認する程度の、ひとかけらの真面目さすらないからだ。東京裁判の速記録を読んだ者もほぼ皆無。たとえば、(「昭和天皇を裁き、処刑せよ」が世界の大勢であった)国際世論に抗して昭和天皇を守るべく、キーナンが訴追しない正当な理由が存在する対外宣伝として仕組んだ、東条英機に対する八百長検事訊問(注6)を、「キーナン主席検事との応酬においても一歩も引かず…<東條の勝>という印象をみんなに与えた」と、お粗末にも的外れの粉飾的な歪曲をして悦に入る始末。英文訳の東條『宣誓供述書』を法廷に提出させたのは、「昭和天皇に戦争責任なし」の<決定的な証拠>とするキーナンが苦労に苦労を重ねた、キーナンの作で策であった。すなわち、キーナンと東條合作の「宣誓供述書」だった。

 また、事前に打ち合わせた通りの八百長証言から大きくはずれた東條発言(注7、一九四七年十二月三十一日)を、キーナンはあらゆる策を講じて修正八百長証言(注7、一九四八年一月六日)に変更させた。十二月三十一日の時は、キーナンは、東條が事前打ち合わせどおりに証言をするのかしないのかの不安が的中し、その訊問にキーナン特有の鋭さなどなく、下手な演技もせざるを得ず、しどろもどろとなった。

6、ウェッブ裁判長を騙すべくキーナン/東條の“八百長訊問ごっこ”については、保阪正康東條英機と天皇の時代』、ちくま文庫、六二八~四〇頁、などを参照のこと。

7、『極東国際軍事裁判速記録』、第八巻、雄松堂書店、二二一頁、二六五頁。

8、第二次世界大戦が終結した後すぐの“世界を救った反共三銃士”は、ウィンストン・チャーチル、フォスター・ダレス、アレン・ダレスだろうか。

 第二次世界大戦中の“反共・反ソの偉人”といえば、その二大巨星は、米国の“戦車戦の天才”パットン将軍と“英米系地政学の父”スパイクマン博士だろう。両名とも、ソ連に殺害された(前者は交通事故+撲殺、後者は毒殺)

9、吉田茂回想十年』第二巻、中公文庫、三三五頁。

10、神道指令、アメリカ教育使節団の招聘による「社会科」の導入、教科「修身」の廃止、治安維持法の廃止、農地改革などは、ダイクが主導か。コミュニストソ連工作員ダイクが運営した対日情報心理戦ラジオ放送『真相箱』は、ソ連の対日情報戦であって、米国のではない。だが、櫻井よしこは、この事実をまったく転倒して『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』を得意げに出版した小学館文庫、二〇〇二年)。民族系は、米国の対日工作とソ連の対日工作の相違すら区別できない。

11、日本の民族系が称讃する『アメリカの鏡・日本』の著者で、アメリカ共産党員&NKGB(のちKGB工作員ヘレン・ミヤーズの来日を手引いたのは、多分コーエンだろう。

12、ウィロビー知られざる日本占領―ウィロビー回顧録』、番町書房、一三七~八頁。

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