中川八洋掲示板

世界の現状は、日本の国家安全保障の危機を加速しています。この急迫の時局において、刻々と変遷激しい国内外の事態を冷静に俯瞰できる力を与えてくれる、大容量の真正の知識こそ、いまの日本人に必要なものです。当ブログは、国際政治学者・中川八洋筑波大学名誉教授の個人ブログです。

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想? 

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 西尾幹二は、歴史事実を一八〇度逆に転倒するトリックスターなのか、それとも事実や真実が一八〇度逆に見える重度の精神分裂病の狂人ルソーと同じ“究極の妄想症”故の逆走認識が発病するのか。この判断は読者にお預けし、以下、暴言と妄言と危言をフルに駆使して晩節を汚す西尾幹二の悪質な“歴史の偽造”の解剖を続けるとしよう。

 数年前に読んだ『SAPIO』誌上のある記事を、ふと思い出した。センセーショナルに「独占手記」と銘うった、「私が<新しい歴史教科書をつくる会>を去った理由」というタイトルの、西尾幹二の“離脱弁明書”である。そこには、多少の現代史を研究してきたものとして、看過できないパラグラフがあったからだ。

つくる会」の内紛や分裂には、当時も今も、何らの関心もないし感興も沸かない。が、西尾幹二が「会」を離脱した理由の一つとしてあげる、「改訂版が、親米的な内容にされた」という短いパラグラフは、西尾幹二の怖ろしい正体をあぶりだしている。

  この言い草は、「労働者 プロレタリアート」神聖視や「労働価値説」を学問的に馬鹿馬鹿しいと批判する者には、教授であろうとクラスメートであろうと、「ナンセンス!」とか、「“労働者の天国”共産社会に向かって人類が進歩する<歴史の必然>がわからないのか!」とか、「マルクスの『資本論』は永遠不滅の科学だ!」とか、直ちに罵声を浴びせる一九六〇年代の赤旗を振り回すマルクス学生と余りにそっくり。

 批判された内容の学術的な適否や学問的な真偽について、わずかでも検討する、そのこと自体を許さない態度である。西尾幹二のこの態度は、「教会の解釈や聖書の記述は、科学より上位にある」「科学は教会の僕である」と、ガリレオを追い詰めた、中世ヨーロッパでの暗黒裁判を主宰した中世キリスト教会に酷似している。

 なぜなら、西尾幹二は、中学校教科書を「反米」「親米」というイデオロギーを物差しに書くべきで、歴史事実に依拠すべきでないと主張する。実際に、一九九七~二〇〇〇年、歴史事実を絶対的に尊重すべきとする私を、西尾幹二は「中学校歴史教科書において歴史事実などこだわるべきではない」「間違い作為が多いからといって、どうしていけないのだ」と、狂犬が噛み付かんばかりの顔で、難詰した。「間違い」とは「嘘」、「作為」とは「創り話」「改竄」のことだと注意しても、歯を剥いて睨めつけるのが常だった。軽度の精神異常者でないのは明らか。

 確かに、七十万部を越えた西尾幹二の『国民の歴史』は、「人種差別」と「反米」のイデオロギーのみを物差しに日本をとりまく国際関係を叙述しても、歴史事実の精査や省察を決してしない。だからそれは、歴史事実なき非歴史の歴史雑文集となった。日本人から歴史を奪い破壊せんとする西尾幹二は、西尾がニーチェ主義者だから当り前だが、歴史を人間から完全剥奪せんとしたニーチェと酷似する。

 つまり、『国民の歴史』は歴史評論ではなく、「人種差別」と「反米」を“偽りの正義のイデオロギー”とした、反米闘争の政治文書。それ以外ではない。本のタイトルは、『非国民の歴史』と糺されねばならない。

 西尾幹二にあるのは、文明社会のルールを憎悪する野蛮人的な歴史破壊の情動だけ。西尾はさらに、“作曲の詐欺師”佐村河内守すら顔色を失うペテン力を発揮して、さも歴史の専門家かに国民を騙し、中学校の歴史教科書を書いた。だから、西尾版教科書は、次代の日本人を共産革命のシンパや戦士に洗脳せんとする偏向教科書と何ら変わらない、超極左の嘘満載のトンデモ教科書になった。

第一節 架空の「ホワイト・フリート」をでっち上げた、西尾幹二の“歴史の偽造” 

 西尾幹二は、「つくる会」を創設した一九九七年(六十二歳)まで、歴史学とは無縁だった。その分野に分類できる西尾の業績は、学術性のあるのはむろんゼロ。評論でもゼロ。史料を読むことが生涯にわたって一度もない、外交史/軍事史/政治史の区別もできない西尾幹二にとって、歴史学は“豚に真珠”のようなものでしかない。

 しかも、「学者」とは異質な「評論家」活動に専念して、学術的な研究をする習慣がまったくないから、学者の基準で言えば本を読むことがほとんどない。テレビ・タレント同じく、口から出任せの「売文専業評論家」にとって、一般読者をただうならせればよいのである。注つき論文を書く必要もない。当然、先行研究をくまなく読む、関連事実を精緻にチェックして整合性から歴史事実に迫るなど、労ばかり多い学者的な作業すべてを回避できる気楽さ・安易さが習性となる。

日本側に「米海軍弱し」を印象付けた、「ホワイト・フリート」の逆効果 

 例を挙げよう。一九〇八年十月、日本側からの要請・招待の形で日本を“親善訪問”した、十六隻の戦艦からなる「米国ホワイト・フリート」に関する歴史事実を、西尾幹二は、次のように転倒した偽造歴史に改竄する。

「一九〇八年の白船事件…について、わたしは<心の底からアメリカを恐れていたことを物語っている>と記述したが、岡崎久彦氏は十六隻と書くのみで、まるで日本が彼らを友好的に歓迎しただけのことのように書いている」(注1)。

 岡崎氏は、無味乾燥な文章だが、歴史事実に即した内容に教科書記述を訂正した。だが、歴史は小説もしくは政治文書であるべきだと狂信する狂気に生きる、知性も良心もない西尾幹二は、自分がでっち上げた嘘歴史が正しく訂正されたのが気に喰わない。かくして、「つくる会」を去った。だが、これほどのウソ歴史を中学生に洗脳しようとしたのである。西尾幹二を精神病院に収監すべきではなかったか。

 ついでなので、「グレイト・ホワイト・フリート」に関する歴史を、以下、概略だが説明しておく。

 まず、「戦闘しません、友好親善の世界一周の遊弋です」と、艦をペンキで白く塗った米国の戦艦艦隊の日本訪問は、一九〇八年。パナマ運河ができる一九一四年より六年前であった。つまり、有事に、太平洋に一隻も展開できない「大西洋の艦隊」を、必要性もないのに、日露戦争に勝利して“太平洋の単独覇者”となった日本に“見せびらかし”に訪問したのである。

 横綱・日本への、序の口・米国の挨拶である。日本の帝国海軍は、マゼラン海峡を波濤はるばる越えてやってきたアメリカ東海岸防衛用のアメリカ海軍の十六隻の戦艦群を見て、思わず苦笑した。瞬時に海の藻屑にできると確信したからだ。

 日本の帝国海軍は、これより三年半前、一九〇五年五月二十七日、喜望峰周りで対馬沖までやってきたロシアのバルチック艦隊を、世界があっと驚く戦いで殲滅した実戦経験豊富な“世界最強の海軍”(表1)。素人のアメリカ海軍など相手にもならない。

 しかも、日本に寄港などしていなければ、米国海軍の弱さなど日本側が知る由もなかった。なぜなら、米海軍には遠洋で海戦するための石炭船がほとんど保有していない、あられもない姿を日本に見せてしまった。

表1;東郷平八郎提督に殲滅されたロシア艦隊

バルチック艦隊

沈された

日本に捕された

逃走中沈没した 

、新型5

 

 

、旧型3

 

 

装甲巡洋

 

 

 

装甲海防

 

 

巡洋

 


「ホワイト・フリート」が引き連れていた給炭船は五十七隻だが、米国籍はわずか八隻。四十九隻は、英国やノルウェーなどから借りていた。つまり、有事には、米国は太平洋に、十六隻のうち、せいぜい三~四隻しか展開できない情況(=一種の軍事機密)を日本側に知らせたことになる。「ホワイト・フリート」は、実態的には、純粋に日本との友好親善を指向しての日本訪問以外ではありえなかった。

 当時の米国海軍とは、東海岸で英国などの列強などに対する、防御一辺倒の防勢海軍力であった。ブルー・ネイビーではない。

 ハワイとフィリッピンを併合したが、それらは、日本に守ってもらわねばならない米国領土であった。米国には日本に対し低姿勢以外の外交はできなかった。実際に、第一次世界大戦で、日本海軍はドイツ海軍の攻撃占領からハワイを防衛すべく出動した。

 一八九八年のハワイ併呑から第一次世界大戦後にかけて、米国では、ハワイを日本がいつでも占領できることに恐怖していた。私は、米国留学中、大学図書館で、その種の専門書を三十冊ほど見つけてその場で読了し、日米の海軍力格差がこれほどまでの「日本絶対優位、米国超劣位」、すなわち「米国が日本を恐怖していた」歴史事実に驚愕したのを思い出す(一九七四年夏)

 米国がハワイパール・ハーバーにささやかな海軍基地をやっと開港できたのが、一九一九年八月。第一次世界大戦が終戦した翌年であった。このとき、ドレッドノート型戦艦六隻を含む十四隻の艦隊が、パナマ運河を通過した。太平洋は初めて、「日米海軍が共存する太平洋」となった。「ホワイト・フリート日本寄航」から、十一年後のことである。

 ロシアに勝利して“太平洋の単独覇権国家”となった日本に対して、米国軽視/米国侮蔑をしないよう、いわば「牽制の威圧外交」として「ホワイト・フリート」を考えたテオドア・ルーズベルト大統領やその助言者マハン提督の意図は、米海軍の採るところではなかったばかりか、日本に対しては逆効果となった。なぜなら、「ホワイト・フリート」を見て、日本の若い海軍士官の間に「米海軍、超弱し」の対米侮りが蔓延した。この海軍士官の中に、海軍中尉・山本五十六もいた。

日本海軍がハワイを防衛した歴史を知らない日本人 

 パール・ハーバー海軍基地ができる一九一九年八月以前、日本は太平洋の覇者だったため、米国は「怯える鼠」として、「睨む猫」日本に恐怖していた。この対日恐怖心理が、日本人移民排斥につながっていく。なぜなら、日本がハワイを簡単に占領して、その勢いでカリフォルニア州を占領・簒奪するのではないかとの恐れである。この怖れにおいて、加州に移民した日本人は屯田兵で、対米侵攻の前線部隊ではないか、と勘ぐられていた。

 一九一九年八月以前の太平洋の海軍力情況の好例は、一九一七年十一月の日米海軍協定によって、日本がハワイ防衛のため巡洋艦一隻をハワイ沖に遊弋させていた歴史に鮮明だろう。すなわち、第一次世界大戦が勃発するや、米国は太平洋に割ける艦艇が一隻すらなかった。

 太平洋における日米海軍力が、「日米対等 parity」に逆転するのは、一九四二年六月のミッドウェー海戦。このとき、日本側は三隻の空母を撃沈された。この後、帝国海軍は、それまでの約四十年間にわたる対米優越の対米侮りを初めて反省した。「ホワイト・フリート」からでも、三十四年が経っていた。

 そして、その後の日米海戦で帝国海軍は連戦連敗しただけでなく、米国が新鋭艦を続々と建造して戦場に出してくる一九四三年夏以降にいたり、ついに日米海軍力ギャップが「米国優位(supremacy)日本劣位」に大逆転する。一九四一年、日本が絶対回避すべき対米戦争に日本国を牽引した(腐敗と堕落を絵に描いたような)帝国海軍の提督たちは、十代だった海軍士官学校以来、まったく想像したことのない日米海軍力の大逆転にただただ呆然とし愕然とした。その後の彼らは、対米敗戦の責任をどう陸軍に転嫁するかのみに勤しんだ。

表2;1941年12月時点の日本海軍力は対米三倍

艦種

日本

米国(太平洋)

米国(大西洋)

空母

10

 

4隻

10

 

8隻

 

 それからさらに二年後の一九四五年四月、「戦艦大和」が沖縄特攻で撃沈され、日露戦争以来の“太平洋の覇権国・日本”は、海の藻屑と消えた。「驕れる者久しからず」と、平清盛を再現したのが、ポスト日露戦争の帝国海軍の四十年史である。

 日本海海戦に勝利した直後からの “帝国海軍の腐敗と堕落の四十年史”は、戦後日本の教訓にはならなかった。戦後経済復興に成功した日本が、田中角栄が総理になった一九七二年を境に、経済も倫理道徳も、ひたすら腐敗と堕落の階段を転げ落ちる新・四十年(一九七二~二〇一三年)となったからである。

「一九〇八年」を「一九四三年夏以降」に入れ替えた西尾幹二の歴史偽造

 だが、西尾幹二は、次のような真赤な嘘歴史を書く。

(一九〇八年三月のホワイト・フリートという)日本の連合艦隊の二倍の規模もある大艦隊の接近は、たちまちのうちに日本に恐慌をもたらした」(注2、560頁)。

 ここまでの嘘になると、「寒い冗談」では済まされない。日本人の誰一人として、あらゆる階層を含めて、この米国の艦隊に恐慌どころか恐怖すらしていない。日本中、日露戦争の同盟国アメリカの艦隊だからと、心からの歓迎一色で、もてなしに専念した。

 西尾幹二の執念と妄念の“歴史の偽造”の情動は、ペテン師の佐村河内の犯罪がとるに足りない小さなものに見える。やはり、動物(野良猫の仔)と人間(赤ン坊)の区別がつかなかったルソーと同種の強度の分裂病の妄想と狂気が、西尾の精神を蝕んでいる。

 西尾の狂った頭では、まずは、「弱者(=太平洋の米国海軍)」が、「強者(=日露戦争後の日本海軍)」と入れ替わる。次に、米国海軍が<対日劣位>から<対日優位>に大逆転する「一九四三年夏以降」に、「ホワイト・フリートの一九〇八年」を入れ替えている。分裂症患者は、年表の正常な認識ができず時間軸が浮遊するが、まさしくこの病状。

 しかも、正常と良心がない西尾の人格は殺人鬼と同じ異常性が強く、執念と悪意を昂ぶらせた妄念で、歴史事実をどう歪んで解釈しようかとの企図において歴史を捏造する。知見の貧弱から起きる偶然の歴史捏造ではない。

 だから、政府部内の動きを含め、一九〇八年の新聞や雑誌その他すべての歴史関連資料をつぶさに読み漁っても、米国艦隊に恐怖した資料・史料等が一つも存在しない事実に、奇論暴論を捏造せんとする西尾幹二は苛立ち、次のような嘘歴史を創作した。

「アメリカに対する卑屈なまでの迎合作戦は、日本人の当時の心の危機を深く表現している出来事であった。日本政府は愕然とした」(同、563頁)。

 すなわち、新聞報道でも、桟橋でも、東京市内でも、皇居でも、歓迎!歓迎!一色の歓迎行動(行事)を、迎合作戦と言い換える。悪意をもっての、虚偽への歪曲である。当時の日本人の心底から喜んで歓迎する気持ちを、西尾は「オレ様は気に入らない」を理由に、心の危機だとの虚構を創作する。西尾の書いた大量の歴史雑文は、すべて、この種の悪意の歪曲と偽造ばかり。判明・確定している歴史事実をわざわざ排斥して、デッチアゲた架空の嘘話を事実だと強弁する。

 「ホワイト・フリート」の歴史を、妄想上の架空の物語にデッチアゲるに、西尾が活用した下敷きは、唯一つ。東京都知事選に出馬する直前、五千万円の事前収賄をした猪瀬直樹のデタラメ小説『黒船の世紀』(文春文庫)西尾幹二は、肩書きに違背する(学者を捨てた)売文業者だからではなく、分裂病妄想から学問と小説の区別がつかない。猪瀬の小説を「手堅い資料の積み重ねで論述した好著」だと絶賛する(注2、564頁)。

 猪瀬直樹に、歴史資料・史料を集める能力など皆無。誰でも知っている自明なこと。猪瀬自身もそれを認めている。また、小説家に、学者のルールである先行研究をすべて読む能力などあろうはずもないし、先行研究の論文がどこにあるかも知らない。

 なお、信州大学全共闘委員長として名を馳せた北朝鮮人・猪瀬直樹社青同マルクス・レーニン主義者)は、土井たか子北朝鮮人)の信奉者で、ソ連邦崩壊のあとも社会党政権樹立に奔走していた。西尾幹二は、「反日」「反米」「ソ連一辺倒」の北朝鮮人が大好きで、必ず全幅の信頼を寄せる。猪瀬への異様な礼讃も、その一つにすぎない。西尾幹二よ!大好きな北朝鮮に移住したらどうだ。

 「新しい教科書をつくる会」編の『中学歴史』(二〇〇一年版)は、西尾幹二の命令で、この猪瀬直樹のデタラメ小説を根拠に、「ホワイト・フリート」につき真赤な嘘歴史を記述した(注3)。岡崎久彦が第二版では訂正したが、良心があれば当り前だろう。

 しかも、西尾は、猪瀬が書いたデタラメ小説を歴史事実だと囃し立てておき、いつもの通り、「オレ様が発見した」を意味する常套句「この事実はまったく伏せられていた」と書いている(注2、564頁)。笑止である。

 一九〇八年十一月七~九日、帝国海軍は、大蔵省に海軍予算を増額させる狙いで、奄美大島沖から九州の東側海上で初めて米海軍を想定した大演習をした(注4)。猪瀬は、「ホワイト・フリート」とは何の関係もないこの演習を、牽強付会に「関係ある」と作為した。小説家だから、こんな創作をしても問題はない。だが、西尾は、中学生用の歴史教科書で、猪瀬のこの小説を丸写しした。許されるものではない。

 なお、上記の海軍演習は、実施が「ホワイト・フリート」訪日の一ヶ月後になったが、前年から準備していたもの。また、公開の演習であった。

 それなのに、西尾は「まったく伏せられていた」と嘘記述する。「(神である)オレ様が発見した」と言外に自己宣伝するためである。“生来の大嘘つき”西尾幹二の言論公害は、狂犬並みの凶暴な異常人格とあいまって、「焚書」措置が検討されるべきだろう。

 なお、一九〇八年、日本が米国の世界一周艦隊を歓迎したのは、英米からの戦費調達なくしは敗北必至の日露戦争への協力に対する“感謝”の表明であった。恩義に対する礼節は倫理道徳の入り口。当時の日本人は、そのような礼節を重んじる民族であった。西尾幹二のような、倫理道徳の完全抹殺を思惟した狂人ニーチェを信奉する、下劣低級な野蛮人的な精神異常者には、このような礼節は理解できない。

 日露戦争の戦費の四割は、日本の戦時公債の購入の形だが、米英の拠出とも言える。総額二十億円のうち八億円である(注5)。この八億円がなければ、日本は奉天会戦ができなかったのはむろん、それ以前の二〇三高地の攻略もできなかった。礼節を含め倫理道徳に憎悪感情をもつ西尾幹二の人格は、マルクス主義に通底しており、深い闇に包まれ腐敗をきわめている。

第二節 「米国が先に日本を仮想敵とした」という、西尾の“歴史捏造”は、狂気なしにはできない転倒妄言 

 西尾幹二は、日米関係史を論じる資格が全くない。最低限知るべき事柄すら知らない無知・無学がひどすぎるからだ。歴史評論すら書けない、超欠陥だらけの歴史雑文業者、それが西尾幹二

 日米関係史でまず最低限知るべき基礎知識には、①日米の国境、ならびに②この国境における日米軍事力格差。日米の国境は、一八九八年以降、台湾とフィリッピンの間のバシー海峡であって、漠とした広大な太平洋ではない。次に、この日米国境において、日本と米国の軍事力格差は天文学的で、ほぼ「日本の百、米国のゼロ」。日本はいつでも鎧袖一触で、フィリッピンの米軍事力を放逐できた。

 よって、米国にとって、そのフィリッピン/グアム/ハワイの領土保全にとって、対日友好が死活的だった。つまり、「恐怖心」をあえて言挙げするなら、それは米国が日本に対して懐いていたもの。この逆などどこにも存在しなかった。これが歴史の絶対的な真実。しかし西尾は、分裂症思考において、「日本が、米国に恐怖していた」との事実を転倒妄想し狂信する。

 この日米軍事力格差は、一九四一年十二月八日の実戦で証明された。日本は、マニラ防衛の米空軍力をほぼすべて、台湾からの海軍機で一瞬のうちに撃破・一掃した。十八機のB-17、五十三機のP-40、三機のP-35などが、瞬時にお釈迦になった(注1)。

 これほどの軍事力格差がある劣位の米国が、対日防衛を考えないとすれば、その方が正常な国家とは言えない。現在の日本が、隣国・中共の強大な軍事力に対して防衛力を強化すべきだと考える「防衛計画の大綱」と同じではないか。日本の軍事力は、対中共において劣位である。防衛計画も実際の戦争を想定して立案されるべきである。

米国の「オレンジ計画」は、ごく当り前な対日防衛プラン 

 米国では、一九〇六年、日本の日露戦争の勝利に伴い(日本が太平洋の覇者となったことで)、政府ではないが、海軍将官会議が日本を想定敵国とした防衛計画を立てた。これが、「オレンジ計画」の発祥である。

 しかし、これが大統領に報告されるようになったのは一九二四年。クーリッジ大統領の時で、テオドア・ルーズベルト大統領が退陣した一九〇九年からすれば、十四年半が経っていた。しかも、大統領に報告するようなったのは、日本側が対米戦争を国策としたからで、あくまでも米国の方が純粋防衛に徹していた。

 すなわち、日本政府が、“反米の下卑た奇人”加藤寛治が唱導した“対米必戦論”を採用して、国家の最高軍事ドクトリン「帝国国防方針」を定めたのは一九二三年である。日本(帝国海軍)の方が、米国よりも何百倍も過激な対米戦争の熱病に浮かれ騒ぎ始めていた。第一次世界大戦で英米に次ぐ三大強国へ大躍進した日本(実態は帝国海軍)の驕慢は、始末に終えない暴走状態になっていた。

 なお、日本政府が、米国を初めて想定敵国としたのは一九〇七年、第一次「帝国国防方針」においてであった。「オレンジ計画」に米国政府が関与するようになった一九二四年よりも十七年も前であった。

 すなわち、日米の政府において、相手を想定敵国とした軍備の整備をすべきとした時期は、「日本が一九〇七年、米国が一九二四年」。日本が断然に「先」だった。また、日本は攻勢的な対米戦争を想定したが、米国は対日防衛であった。むろん、一九四五年以前の国際法では、戦争は宣戦布告さえすれば合法で、“非合法=侵略”ではない。

 米国は太平洋においては対日劣勢だし、英国との間では十八世紀の独立戦争のシコリが残り、米国にとって英国はまだ完全に信用できる“友邦”ではなかった。少なくとも「日英の絆の方が、米英の絆より緊密であった」のが現実で、これが米国をして「日英という二つの海軍大国に挟撃されるのではないか」との恐怖心と猜疑心とを昂ぶらせていた(たとえば、一九二〇年)

 仮想敵に対する防衛プラン「オレンジ計画」とは、英国に対する「レッド計画」、ドイツに対する「ブラック計画」、メキシコに対する「グリーン計画」などの一つにすぎず、特段に日本のみを敵視する性格は欠如していた。そればかりか、計画を裏づける防衛力(海軍力)が米国にはなかった。それが「防衛計画」らしくなったのは、やっと一九二三年からで、「オレンジ計画」と命名されてから十七年が経っていた。

 それ以前では、太平洋での日米海軍力格差が大きすぎて、「防衛計画」が立案できなかった。それでも一九二三年、初めてハワイだけはおおむね防衛できる海軍力にようやくなった。

 グアムとフィリッピンについては、一九四二年のミッドウェー海戦以前での軍事バランスでは、防衛不可能な軍事態勢が変わることはなかった。「オレンジ計画」についての入門的研究論文は、注2を参照のこと。

 また、西尾幹二は、「オレンジ計画」を、米国の対日本人人種差別の枠組みの一つとする珍説奇論を展開する(注4)。海軍軍人ばかりしか参加しない、純粋な海軍戦闘の机上プランに、日本人移民排斥が政策目標になったと言う。

 つまり、「一九〇六年」のオレンジ計画の濫觴は、「一九二〇年のカリフォルニア州排日土地法」を政策目標としたとの西尾の主張は、西尾の頭では「一九二〇年」は「一九〇六年」、「日本人移民排斥」が「フィリッピン/グアム防衛策」と同一になっていることに他ならない。時間も歴史事項も区別ができない“狂気の人”西尾幹二とは、分裂症妄想で思考を浮遊させては恍惚としている。

 一言で言うと、西尾は、「オレンジ計画」を“人種差別”で捉える。ならば、「ブラック計画」も「レッド計画」も「パープル計画」(対南米)なども“人種差別”となり、イギリス人もドイツ人も黄色人種となる。“狂気の人”の歴史は、このように戦慄百%の怪談小説となる。

 なお、「オレンジ計画」は机上プランだが、日本でのフィリッピン占領の図上演習は、一九一一年から始まっている。このとき、グアム/ハワイ/アラスカ/米本土への上陸作戦も討議されている(注5)。

 さらに、日本は、帝政ロシアとの第四次日露秘密協約(一九一六年七月)で、米国を“日露共同の敵”と定めた。日本の対米戦争プランは、一九〇七年に国策となり、一九一六年には、「日露同盟で対米侵攻をいつでも開始する」決意を国家の最高意思とした。「対米戦争/対米仮想敵国視は日本が先」こそ正しい歴史事実で唯一の歴史の真実である。『国民の歴史』で二章も割いた、西尾幹二の「アメリカが先に日本を仮想敵国にした」は(注6)、事実を一八〇度転倒した、真赤な嘘を越えた荒唐無稽なスーパー創り話。

 西尾のファンは、西尾幹二を精神病院に強制入院させ治療してあげたらどうだ。

第三節 西尾は、人種差別を大義に戦争を煽動する“戦争屋” 

 西尾幹二が歴史の偽造をするに、いくつかの政治的意図がある。その一つが、「人種差別を許さない」である。しかも普遍的な人種差別を許さないなら、多少は理解できるが、「アメリカの人種差別のみ許さない」との偏向した信条である。

 しかも西尾は、「米国の人種差別を打倒するためなら、日本国民は全員死んでもよい」「日本国は亡んでなくなってもよい」と考えている。正気ではない。極限の狂気。

 西尾のこの主張は、日本の亡国ならびに日本国民の戦場・戦火での戦死・焼死・餓死を目的とし、その手段として「米国の人種差別を大義にしての対米戦争(による、日本国の廃墟/日本国民の絶滅)」を、日本人に煽動しているのは明らか。まさしく、ニーチェの国家廃滅・人間絶滅を絵に描いたようなニーチェ哲学そのものだし、ニーチェ的狂気の継承なしには発想できない狂気である。西尾幹二は、こう書いている。

「日本がちょっとでも動き出せば叩き潰そうと待ち受けていた(米国の)戦意の歴史が存在した。そこに…排日運動などにすでに見え隠れしていた人種偏見が働いていなかったとはいえまい」(注1、五九八頁)。
「日米戦争においても、六対四、あるいはまた七対三の割合で責任はアメリカの側にある。そしてそのうち三割ぐらいは人種偏見を抱いていた(米国の)大統領たちの性格に原因がある」(注1、五五〇頁)。

 これほどの嘘は、歴史の偽造にかける西尾幹二の妄執が狂気の炎となって燃えていないとデッチアゲられるものではない。なぜなら、「<仮想敵国>米国はロシアに次ぐ」と定めた、日本国が国家の最高意思で米国を仮想敵国にした第一次帝国国防方針は一九〇七年四月であった。西尾は、これほどの最重要な歴史事実については、口を噤んで無かったことにする。歴史事実の隠蔽操作は、生来の大嘘つき西尾幹二の常套手口である。

 また、過激な米国脅威論というか極端な米国敵視論の佐藤鉄太郎の“毒書”『帝国国防史論』(一九〇八年、注2)は海軍士官の間で広く読まれたが、ホワイト・フリートの来訪の前に印刷に付されていた。西尾の「米国の<日本=仮想敵国>視は、日本より先」は、歴史偽造を越えた妄説・狂説の典型なのは言うを俟たない。

中共北朝鮮と同盟国になれとうそぶく“第二の本多勝一西尾幹二

 このような西尾流“歴史の改竄”“嘘歴史の創作”のやり方は、「南京大虐殺」という歴史の虚構を日本中に撒布した、中共工作員北朝鮮人の本多勝一が書いた『中国の旅』(一九七二年、朝日新聞社のトリックと同じだと気付かれた読者は多いと思う。まさにその通り。日頃から「読者など騙せばよいのだ」と公言する西尾幹二は、実は、本多勝一の再来。西尾を第二の本多勝一と考えると、西尾の正体が鮮明に見えてくる。

 実際にも西尾幹二中国共産党北朝鮮労働党共産党に異常な親近感情を持っている。いや、親近感情以上の同志意識といった方が正確。なぜなら西尾の本心は、日本は、中共北朝鮮側に与して同盟を結び、これからでも米国と戦争をすべきだと考えているからだ。証拠を挙げる。西尾はこう言う。

「日本は中国や朝鮮と手を取り合って欧米と対決するのが自然であり、多くの不幸や誤解を回避しうる道であったことはあらためていうまでもない」(注1、五六六頁)。 

 日本と中共や朝鮮との間には「誤解」がないとの西尾幹二の狂説に従うならば、竹島問題も従軍慰安婦問題も尖閣諸島問題も拉致・強制連行問題も存在しないことになる。

 これこそ、トリックスター西尾幹二の、分裂病の幻覚でなくて何であろう。しかも、中共北朝鮮と同盟国になると、日本は「幸福」になるらしい。なんだか、麻原彰晃の説法を聞かされているようで、思わずゾッとする。

パリ会議で欺瞞と傲慢を晒した、人種差別を実践した直後の二枚舌国・日本 

 日本は、国内では人種差別をしない、穏やかな民族である。たとえば、 “仁慈と虐待”が的確な表現といえる、十九世紀の日本とロシアの、樺太アイヌに対する差異においてもよくわかる。

 しかし、国際社会において、日本は公然と人種差別を支持する異様な国家である。たとえば、一九四〇年秋、日本が日独伊三国同盟を締結したが、それはナチ・ドイツの、人種差別の極地である(財産没収、職業選択・結婚自由の剥奪などの)ユダヤ人弾圧を容認することを認識した上での調印だった。この一九四〇年時点、ユダヤ人大虐殺は始まっていないため、それを知らなかったのは黙過できるが、それ以外のナチ政府のあこぎな人種差別の実情は、外務省も軍部も国民も熟知していた。

 あるいは、第一次世界大戦が一九一四年に勃発したとき、英国は日本に日英同盟の基づき欧州戦線への陸軍の派兵を要請した。だが、日本の政府高官は、国会や新聞インタヴューなどさまざまの場所で、平然と人種差別に徹する旨を公言してこれを拒否した。具体的には、「白人のために、黄色人種の)日本の若者の血は流せない」というもの。

 ところが、西尾幹二ら民族系論客は、一九一九年のパリ講和会議で、人種差別撤廃条項を国際連盟規約として提案したことを、何か正義を体現するすばらしいことをなしたかに自画自賛する。西尾は、パリの日本政府代表ら「日本人は、全有色人種の希望の星」だったという(注1、五七一~三頁)。笑止。

 なぜなら、国際法・国際機関との整合性も考えない、何とも幼児的な戯言だからである。いや、国際関係に不在の「<有色人種>対<白色人種>」を仮構した規約など、世界に紛争と戦争を巻き起こす弊害甚大で有害無益この上もない。六千年間の人類の戦争史に、宗教間戦争や民族間戦争はあるが、人種間戦争はゼロ。そのような戦争は、理論的にも万が一にも起きない。

 ともあれ、ここで西尾幹二に問う。一九一四年から一九一七年の間、「白人のために黄色人種の血は流せない」との人種差別を、日本政府は日英同盟条約解釈の物差し(外交方針、公然たる対外政策)とした事実を、弁明せよ。西尾は、自分の狂説・奇説に合致しない都合の悪い歴史事実は無かったことに隠蔽し蓋をする。かくも狡猾な歴史の改竄をした非歴史から、日本人は益するものを何一つ手にすることはできない。

 日露戦争に勝利した後の日本の傲慢は、日本人をして人格的劣化を促進した。倫理道徳や国際法を尊重した“世界の紳士”だった明治日本人は、「一九〇五~一〇年」を境に消えた。「一九〇六~一四年」以降の日本人は、突然変異したごとく、野卑な二枚舌民族へと低級化した。その端的な事例が、パリ講和会議での連盟規約への人種差別撤廃条項の挿入提案。

 (実際の日常行動ではなく)観念や思想における日本人の人種差別主義は、第一次世界大戦が勃発した頃から、突然、増殖した。「日英分断」「日米分断」を日本国内で画策していたドイツの対日情報工作によるようだが、もしそうだとしても、外国からの偽情報「人種差別」に洗脳されるのは、洗脳される日本人の知性が空洞だからだ。

 ともあれ、当時の日本人の“人種差別マニアック”の一例をあげる。次のように語る山縣有朋は、“人種差別マニアック”の害毒を広く日本国内に流し伝染させたトンデモ日本人の一人だった。

「黄人と白人との争ひにおいて白人が相連合すべきは火を観るより明かにして…黄人に対する白人連合の気勢を未然に予防するの策を講じること必要なるべし」(注3、一九一五年二月二十一日)。

 国防を人種差別で把握するという異常にして現実遊離の視点は、国際政治の冷厳な現実を無視したものだから、当然、国防を誤導し国益を毀損するものとなる。日本が自国の全面破壊となる大東亜戦争という自殺戦争を選択していく全盲外交は、マルクス・レーニン主義に汚染されたことに次いで、この観念的な“人種差別ごっこ”に狂奔したからでもある。

人種差別の国への戦争が正義なら、日本はなぜナチ・ドイツと戦争しなかったのか 

「人種差別において米国は日本に戦争を仕掛けてきた」「人種差別と戦った大義において大東亜戦争は正義である」と言募る西尾幹二が、大嘘つきのペテン師なのは、歴史を学び始める小学生五年生でもすぐわかる。

 なぜなら、ならば日本は、人種差別の極地を実践してしたヒットラー・ドイツに対して、率先して戦争すべきであったはず。しかし、なぜか西尾はこのことに口をつぐむ。また、ヒットラーユダヤ人大虐殺が軽微に見えるほど、その十倍を越える大規模な民族絶滅(「民族浄化」、race cleansing、注4)を実行していた、悪魔の人種差別国・ソ連に対して、日本はなぜ戦争をしなかったのか。西尾幹二よ、なぜ口をつぐむのだ。

 西尾は、“悪魔の人種差別国”ドイツと三国同盟を締結し、“超悪魔の人種差別国”ソ連日ソ中立条約を締結したことと、人種差別国とは戦争を辞してはならないとの西尾自身の“対米戦争人種差別説”とは矛盾しない、と考えている。「万人の目においてこれほどの大矛盾が、西尾の頭だけ矛盾に見えない」。なぜだ。

 このように、重度の分裂病患者は、公平な基準や視点は存在しえない。二重基準、三重基準が分裂病罹患者の常態である。『国民の歴史』と『GHQ焚書図書開封』で展開する、西尾幹二の日米戦争論は、精神病院から脱走した重度の精神異常者が喚く有害・猛毒の戯言の極み。それ以外ではない。

 もし、そうでないと言うなら、“狂気の人”西尾幹二よ! 日本がヒットラー・ドイツと戦争しなかった理由を説明せよ。“歴史の佐村河内”西尾幹二よ! 日本がソ連と戦争しなかった理由を説明せよ。

 しかも、人種差別をする国への戦争は大義だし戦争すべきだとする、西尾幹二の狂説「人種差別日米戦争論」は、西尾幹二が、現在、「日本国は、中共に宣戦布告せよ」「日本国は、ロシアに宣戦布告せよ」と、大声を挙げるべきに、小声さえ出さないことで、バレバレに破綻しているではないか。

 ロシアは、一九八九年頃からチェチェン人を殺しまくっている。それから二十年以上が経ったが、今も続いている。ロシア民族固有の「民族浄化」の殺戮である。四千年の昔から人種差別に生きた漢民族中共も、チベット人ウイグル人を殺しまくっている。

 西尾は「日本は、ロシアや中共に対する戦争をせよ」と発言しないなら、自身の妄説・暴論が狂っていると「罪」を認めたことになる。西尾は、嘘八百の「日米戦争人種差別説」垂れ流しの偽情報犯罪の「罪」を猛省し、その撤回をしなければならない。だが、西尾は撤回しないだろう。重度の分裂病は、「反省」という良心を人間から完全消滅させる。

第四節 矮小な排日移民法問題が、どうして日本が亡国と数百万人の命を捨てる対米戦争の大義になるのか

 『非国民の歴史』と正しく改題すべき西尾幹二の『国民の歴史』は、凄まじい歴史の偽造もさることながら、卒倒するような荒唐無稽な言説がオンパレードである。その一つが、日本人移民排斥をもって対米戦争の大義とする暴論妄説。こう書いている。

カリフォルニアにおける日系移民の排斥問題(人種差別)が日米戦争の最も基本的なモチーフの一つであったのではないか」(注1)。

 米国が、日系一世に対する土地所有を禁じる一九一三年のカリフォルニア州法律や一九二四年の排日移民連邦法律に関して、日本の民族系は、何か鬼の首でも獲ったかに騒ぎ立て米国を糾弾する。そして、大東亜戦争のうちの日米太平洋戦争を正当化する。

 こんな正常から逸脱したハチャメチャな言説は、次の狂った主張ゴチック体)と同義になる。簡単な論理力を働かせれば自明ではないか。

 二十二万人(1920年現在)の日本人移民が米国で受けた(一人も殺されてはいない、血なき)差別に対して、日本国は、三一〇万人以上(備考)の国民の死、ほぼすべての主要都市の廃墟、主要工場の焼失、満洲その他の海外権益の完全喪失、日本固有の領土の南樺太/国後・択捉などの喪失、明治憲法ほか民法その他の日本の宝であった法制度の改悪などの代償を支払っても米国に日本人移民の差別撤廃を強制する戦争をするだけの価値がある。
備考;このうち空襲の被害を含めた対米英豪戦争のぶんは、200万人ぐらいか。

 米国の排日移民は、確かに、当時の日本人を「集団ヒステリー」にした。が、太平洋戦争の敗北を体験して、この「集団ヒステリー」は日本をソ連の属国にする共産革命の土壌を醸成するため日米戦争を起こそうとした内外の反日勢力が策謀したものではなかったか、ぐらいの自省と洞察が、戦後日本の合理的コンセンサスになった。

 ところが、「排日移民」騒動から九十年、「敗戦」から七十年。今ふたたび、“反日の巨魁”西尾幹二ら民族系論客は、沈静化していた有害な亡霊で「集団ヒステリー」を墓場から叩き起こして徘徊させ、日本の正統な外交を誤導し日本の国益を毀損することを図っている。何が狙いか。日本国の亡国である。

米国についての無知蒙昧「移民が建国」を恥じず、米国の移民政策を難じる“傲慢”西尾幹二

 そもそも、日本人は米国を知らない。特に、戦後、東京大学のアメリカ研究者(教授)たちのほとんどは共産党員だったため(たとえば斉藤真)、意図的に米国を歪曲して伝えた。米国理解の基本文書である米国憲法コメンタリー『ザ・フェデラリスト』は、東大では関係する教官すべてが緻密に精読していたが、意図的にその翻訳を出版しなかった(注2)。

 一七八九年春に新生の小国(人口270万人)として誕生した米国は、コークの『英国法提要』を理念として、封建時代の残り香が漂う“百五十年前(一六二〇~三〇年代)の英国”への回帰を目指して建国された保守主義の国家である。当然、デモクラシーを必要悪として認めるが嫌悪し、美しき王制を懐旧する王制主義者モナーキスト)たちが建国の主役であった。ジョージ・ワシントン(初代大統領)、アレグザンダー・ハミルトン(ワシントンの事実上の代行)、ジョン・アダムス(第二代大統領)を思い出せば、この事実は明らかだろう。

 そして、米国民の“当然の資格”は、「元・イギリス国王の臣民であること」「プロテスタントキリスト教徒であること」「国家の根本制度としての英国コモン・ローを尊重すること」「英語を母語とすること」の四条件を満たす、だった。

 さらに、この「原・米国民」のうち、選挙権を持つ者は、原則として「イギリスからの入植者(settlers)」とし、これを体現すべく、一定以上の財産と教養の枠を厳しくはめた。移民(immigrants)を原則として政治から排除するためである。私は、スタンフォード大学に留学中、「ぼくの家系はsettlerで、immigrantではない」と語った学生に出会ったことがある。

 米国を“移民が建国”などと考える日本人は、よほどの無学・無教養。英国以外からの移民が大量に、アメリカの大地を踏むようになるのは、一八二〇年代からである。デモクラシーが徐々に米国の政治制度根幹を蝕むのは、一八二九年からのジャクソン大統領時代からである。それでも、デモクラシーという言葉は米国では排斥され、言葉democracyを使った最初の米国大統領は、ウィルソン(一九一三~二一年)で一九一四年だった。

 一八二〇年代から米国は「移民」を受け入れるようになったが、先述の四条件を緩和しただけで基本はさほど変えなかった。すなわち、「アングロプロテスタント・英語が母語」を、「ヨーロッパ・キリスト教母語を英語にする努力をすること」とした。

 米国が「移民」につき制限を原則設定しなくなるのは、キング牧師公民権運動を支持したアイルランド人のケネディ大統領によってであり、一九六一年以降である。具体的には、一九六三年にケネディが暗殺され後を継いだジョンソン大統領が一九六五年に制定した新移民法である。これは、米国が“多文化主義 マルチ・カルチュラリズム”という新種の極左イデオロギーに屈したと言えるが、このときの米国の保守主義者の同法への怒りはすさまじいものだった。

 二〇〇六年に全米に爆発した千六百万人の中南米からの不法移民たちの騒ぎは、日常スペイン語を喋り英語を無視するように、「ケネディ/ジョンソン新移民法」は、米国社会の安定に欠くことのできない秩序に騒擾的な混乱を招いている。

 さて、カリフォルリニア州での日本人移民差別騒動は一九一〇~二〇年代であって、この新移民法の一九六五年よりも四~五十年以上も昔である。移民が、「キリスト教、ヨーロッパ、母語の英語化」の条件を満たさなければならなかった時代の話である。メキシコを含め、中南米からの移民が禁止されていた時代の事件である。支那人の移民が厳格に禁止されていた時代の事件である。

 すなわち、日本人の移民は、陸軍大国ロシアを破った“東洋の新しい強国”日本国の国民だからという理由において特別な例外として、米国はその移民を認めたのである。特別な例外であるから、特別なハンディを付加しただけである。

 他に例外の国民がいるのに、そのうち日本人だけに差別したのとは異なる。一九九〇年代以降の日本の企業では、正社員と派遣社員とが同じ部屋で同じ仕事をしているが、その待遇はかなり顕著に差別されている。しかし、この差別は、その企業が定めているものであって、その企業で働きたいと応募した以上、派遣社員は受容するほかない。

 当時の日本人のアメリカ移民とは、これと同じ。米国の内政として定めたルールに従うのが当然で、これに対する一定限度を越えたクレームは、“内政干渉”である。米国側の条件が不満なら、米国に移民すべきではない。

 しかし、日露戦争に勝った日本国は傲慢不遜になり、米国の主権である内政の移民条件に国挙げて喚き散らすという乱暴狼藉を働くようになっていた。国際ルールを逸脱する野蛮人へと日本人は変貌した。

 しかも、米国の日本人移民制限・差別は、日本政府として好機であった。彼らを満洲へと移民させ、満洲の経済発展と対ロ防衛力の強化に活用すべきであった。特に、一九二四年をもって、対米移民希望者全員を満洲へと振り替えて、一九三一年の満洲事変を七年ほど前倒しでしていれば、日本のその後は、大東亜戦争をせずとも済んだかもしれないし、少なくともリットン調査団(一九三二年)など歴史に存在しなかった。

 『リットン調査団報告書』は、満洲支那国の固有の領土とは言えず、その開発と発展に寄与した日本の諸権利を支那(「国民党政府」)は十全に認めるべきであるとする。さらに『報告書』は、日本は暢気すぎるから、大量の支那人移民(=外国人労働者満洲無血占領(bloodless occupation)されてしまった、とまで書いている(注3)。

 ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)は一九二八年。満洲事変が一九三一年でなく、この条約以前であれば、完全な合法だった。米国政府の、一九二四年の日本人移民への大幅制限は、満洲進出へと日本が移民政策で舵をきる好機の何ものでもなかった。

外国人労働者支那人」に国を奪われようとする“二十一世紀の日本”

 今日、日本では、「外国人労働者」という名の大量の支那人移民の問題が静かに進行している。いずれ遠からず、日本国を簒奪するに至るのは、一九〇五年以降の満洲簒奪の歴史が証明している。すなわち、支那人移民外国人労働者の制限は、いずれ、日本国の存亡において、日本国の国政を揺るがす問題となろう。

 特に、日本政府は、安倍晋三を見てもわかるとおり、日本人の出生率低下に無関心である。十三億人の赤いチャイナに、出生率と新生児数が大幅に低下した日本が、二十一世紀中に「無血占領」されるのは火を見るより明らかだろう。

 さて、西尾幹二は、この外国人労働者問題では、その容認論に激しく反対した論客ではなかったか(注4)。移民制限を日本の主権事項とする西尾の立場は、アメリカ日系移民差別への西尾の論難とは一八〇度も対極的である。西尾は、移民問題ダブル・スタンダードの言説を弄んでいる。

 では、西尾幹二が、非理の内政干渉であるにもかかわらず、アメリカ日系移民差別を理不尽に糾弾するのは、日本が国益に違背してまで対米戦争を開始した大東亜戦争を正当化する理由に窮して、苦肉のへ理屈としてのデッチアゲだからである。しかし、取るに足りない移民差別で、国あげた戦争をすべきだなど、ジョークならともかく、正常な思考ではない。幻覚や妄想なしには発想できない。

詭弁にも窮して、KGB工作員の「日米分断」情報操作を活用する西尾幹二

 しかも、「移民差別」は「人種差別」とは言えないが、思考が妄想に浮遊する西尾幹二にとって、そのような論理の飛躍は日常の症状である。この“幻覚の連鎖”において、西尾幹二は「米国の日本人移民差別→米国の人種差別→日本敵視→日米戦争」という虚構の歴史を捏造した。しかし、この西尾の妄想歴史を裏づける根拠など存在しない。

 そこで、西尾は、禁じ手に手を出した。“アメリカの小田実”といわれる一九六〇年代のベトナム反戦運動家で、アメリカでは数少ない札付きの共産主義者ジョン・ダワーの“反米・反日の毒書”『人種偏見』を引用して、砂漠の蜃気楼と同じく実態のない幻覚上の嘘歴史をデッチアゲルことにした。『国民の歴史』第24章に、ダワーから引用がある。ダワーは、次のようなデタラメを書いた。しかし、妄想に生きて正気がひとかけらもない朦朧の西尾には、これほどの大嘘すらわからない。

(第二次世界)大戦は人種戦争であった」(注1、五四一頁)。

 日本は、支那大陸蒋介石の国民党政権打倒の戦争を、八年間も遂行し、この地で四十五万という日本人の命を犠牲にした黄色人種同士の日中戦争は、西尾幹二にかかると日本の敵側の支那人はすベて白人だったという。あるいは、インパール作戦で日本が戦争した相手は、英国だが、それはインド人部隊が混成されていた。つまり、西尾幹二は、インド人は白人だという。 

 しかも、ダワーの『人種偏見』は、学界では共産党員学者しか引用しないシロモノ。実際にもダワーは、『人種偏見』を書くに、日本共産党赤旗など丸写しして、日本を中傷誹謗する罵詈雑言ばかりを羅列した。健常の日本国民なら嘔吐を催す内容。

 「百人斬りは実際にあった」「香港の路上で尼僧を強姦・殺害した」「石井731部隊は医学的実験殺人をふんだんにしていた」「三光作戦は本当だった」「南京大虐殺は事実である」「日本兵が赤ン坊を放り投げて銃剣で刺し殺した」などなど、真赤な嘘歴史を延々と書いている(注5)。むろん、ダワーは、通常の歴史学者ではない。米国人には「反日」を、日本人には「反米」を煽動して“日米分断”を図る、ソ連KGB第一総局所属の優秀な工作員である。その洗脳技術は、尾崎秀実クラスといわれている。

 西尾が“スーパー極左”ダワーの大嘘歴史本に共振するのは、民族系を装う西尾の本当の正体が“スーパー極左”だからである。また、西尾は生まれたときから嘘、嘘、嘘ばかりをついて八〇年。彼が座右におきたい書が必ず、虚偽と嘘で書かれたアジプロ本だけとなるのは、同類のよしみ/同病のよしみによる。

 つまり、ダワー(=日本共産党と意気投合する西尾幹二とは、“日本憎悪のニヒル”が本性で、赤いイデオロギーにしか共鳴しないことを露呈した。そんな西尾が書いた『中学歴史』や『国民の歴史』が、歴史であろうはずはない。
                              (つづく)

関連エントリ

西尾幹二の妄言狂史シリーズ




第一節
1、『SAPIO』二〇〇六年六月十四日号、九八~九頁。

2、西尾幹二国民の歴史 』、産経新聞ニュースサービス、五五四~六四頁。引用文の頁数は、本文。

3、『新しい歴史教科書―市販本 』扶桑社、二五八~九頁。

4、防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本営海軍部・聯合艦隊〈1〉 』、朝雲新聞社、一三二頁。

5、『日本外交史 』第七巻、鹿島平和研究所出版会、一二八頁。


第二節

1、『戦史叢書 比島攻略作戦』、一一九頁。

2、「オレンジ計画」についての概説的な論文。

 エドワード・ミラー著『オレンジ計画』は、原題が“the US Strategy to Defeat Japan 1897-1945”。これは、通常の研究者ならば「一八九七年」は「一九〇六年」とするし、「Defeat Japan」ではなく(一九四一年までの)実態に合わせて「Defense Philippines」とするのを考えれば、何か異質さが感じられ、しっくりこない。また、日本の「帝国国防方針」や帝国海軍の軍事演習などにつきいっさい知見がなく、専門家とみなすのには違和感をもつ。

 ただ、実際の軍事力からの検証分析をしないなど幾つかの欠陥に目を瞑れば、机上プランとしての「オレンジ計画」を概観できる。たとえば、(「ホワイト・フリート」から十七年後の)一九二五年頃、フィリッピンは守れないから基本的に捨てるけれども、捨てずに防衛をするためのフィリッピンまでの奇襲特攻の奇策がないものかと思案していることなどがわかる(注3)。

 このことは、「一九〇八年から米国は日本本国に対して戦争を企図していた」との、西尾幹二の妄説が真赤な嘘との証明にはなっている。「オレンジ計画」が、多少、米国海軍の戦争プラン的になるのは、一九三三年三月のルーズベルト大統領の出現を待たねばならなかったが、それでも、戦争プランらしくなるにそれから数年を要している。一九〇七年からの、日本の帝国海軍の具体的な戦争プランには比すべきもない。

3、ミラー『オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略』、新潮社、一三一頁。

4、『国民の歴史』、五七〇頁。

5、『戦史叢書 大本営海軍部・聯合艦隊〈1〉開戦まで』、一三三~五頁。

6、『国民の歴史』第二四章/第二五章、五三九~八七頁。

 

第三節

1、『国民の歴史』。頁数は本文。

2、佐藤鉄太郎は、自著『帝国国防史論』で、たとえば、次のように主張した。「テオドア・ルーズベルト氏(大統領)の意中には、<排日・戦争・海軍>の三者がいかなる状態において存在するやを推知することができるのである。もし強いてこれらの(米国への日本人移民)制限を脱せんと欲せば、武力(戦争)をもって(米国と)相対するの外なく、武力にて彼(米国)に対すること能はずんば、我が国民は永劫、太平洋を退かねばならない」(下巻、三〇八~九頁、原書房、復刻版、丸カッコ内中川)。

 鉄太郎は、西尾と同じく人格も精神も正常ではなかった。米国への日本人移民が減らされたら、どうして当時の日本海軍の太平洋覇権が喪失するのか。移民への扱いと海軍力とは全然無関係。「反米」日本人の「反米」は、狂気から発生する。

 鉄太郎は、この趣旨で、日本人移民の制限を口実にアメリカへの全面戦争をすべしと、若い海軍士官を洗脳し続けた。一世代を経た山本五十六らが、「日本の国益を忘却した野蛮人的なエキセントリック反米野郎」になった原因の一つに、“対米戦争デマゴーグ”佐藤鉄太郎が刷り込んだ害毒も無視できない。

3、『山県有朋意見書』、明治百年叢書16、原書房、三四六頁。

4、ロシアの「民族浄化」史の分野には、日本だけ世界唯一に専門家がいない。参考文献として、次の三冊を挙げておこう。T.Piotrowski,The Polish Deportees of World WarⅡ,Mcfarland & Company. M.Hope,Polish Deportees in the Soviet Union,Veritas Foundation Publication Centre. P.Polian,Against their Will,CPU Press.


第四節

1、『国民の歴史』、五四八頁。

2、『ザ・フェデラリスト』(福村出版)の邦訳出版は、ソ連邦崩壊が定まった一九九一年であった。その訳は、一九五〇年代には完成していたのに、共産党の命令で出版が禁止されていたと聞く。反共に通じる保守主義の思想で貫かれていたため検閲されたらしい。岩波文庫本は、85編のうち、主に重要でない31編しか収録していない。54篇の削除である。米国憲法保守主義なのを日本人に知らせないための検閲済み出版。

3、『リットン調査団報告書』、一九三二年十月。英文・邦訳文は、国際連盟協会(外務省の外郭団体)が『日支紛争に関する国際聯盟調査委員会の報告』として、同時出版した。リットン伯爵は、親日の英国貴族。日本側にもかなり有利な書きぶりで、これを理由に(一九三三年三月に)連盟を脱退した松岡洋右の発想やスタンスは理解を越える。松岡は、国益のわからぬ“ならず者外交官”だった。

4、西尾幹二「労働鎖国」のすすめ―外国人労働者が日本を滅ぼす』、光文社カッパブックス、一九八九年。

5、ジョン・ダワー『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』、平凡社ライブラリー、原著一九八六年、九四~九頁。改題『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別』。


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